10-45 観察者
「惨いな。あれが……本当に13神が一柱だというのか」
激戦の爪跡が残る迷宮内。《ミクリヤ》のメンバーが一人残らず打ち倒され、クロノスが尽きない哄笑を上げている様を見ている者がいた。
広間の隅に陣取り、できる限り意識と気配を押さえているのは、キョウコツだった。彼女は隠密行動に優れた、エイティスパイダーの糸で編まれた装束に身を包み、じっとクロノスを見つめていた。
彼女の、凛としつつも幼さが残る横顔に、おかしなものが張り付いていた。それは例えるなら眼帯。右目を中心に、顔を覆うように眼帯を付けていた。しかし、それが眼帯ではないのは一目瞭然だ。何故なら、黒い布のような物に金色の眼球がぷかぷかと浮いているのだ。
この瞳の持ち主は誰あろう、キョウコツを雇っているカタリナ・マールムの右目だ。
布のようなものは影だった。それもただの影ではない。『魔王』によって魔人となった怪物だけが扱える影だ。
『魔王』フィーニスが操れる影は、様々な異能を秘めている。体に巻き付ければ鎧となり、刃や槍のように固めると武器になり、影の中に沈むことで長距離を一瞬で移動できる。
フィーニスの娘であるカタリナは魔人になった事で、フィーニスの影の転移を使えるようになった。キョウコツの顔に影を貼りつけ、そこから自分の眼球を露出する事で彼女の見ている光景を一緒に観戦できる。
言ってしまえば、今のキョウコツはカタリナ専属の移動式カメラだ。
「あのレイや、仲間達をああも一方的に屠るとは。強さの格が、立っている地平が違いすぎます」
これまでの戦いを、安全地帯から観察していたキョウコツは、他人事のように評価を下した。
『まあ、そんな所だよね。時戻し、あれを打ち破るのは相当骨が折れる。土台、人間が神に勝つには、神の側を人に下ろすか、人を神の側に押し上げないとね』
キョウコツの独り言に対して、どこからかカタリナの気だるげな声が返った。しかし、彼女の姿はそこに無い。
そもそも、声がしたのはキョウコツの口からだった。
彼女の口腔の奥には、眼帯と同じように貼りつく影があった。そして、右耳の鼓膜近くにも影は入り込んでいる。
迷宮の中にカタリナは居ない。彼女は自分の研究室兼自宅のソファで寝そべりながら、キョウコツが見て、聞いて、話す内容を受け取っていた。
キョウコツにしてみれば、自分の口から別の人間の声がして、片方の視界と聴覚を奪われ感覚が狂いっぱなしだ。加えて、クロノスの神気が遠く離れた隅まで届いていて、今にも倒れたい気分だった。
だが、そうしなかったのは彼女自身、《ミクリヤ》とクロノスの戦いに興味があったからだ。
《ミクリヤ》は強かった。幾つもの作戦パターンを練り上げ、短期間で準備を整えたとは思えないほど高度な連携を繰り出していた。各自が己の役割を理解して、最善の選択肢を取り続けた。その結果がこの惨状だ。
大きな時戻しが87回。小さな時戻しは数え切れず。彼女は全て観察していた、数少ない人物だ。
ヨシツネは確実に死亡。リザ、レティ、シアラの三人は辛うじて生きている……はずだ。最後の一人に関しては、キョウコツの位置からでは確認できない。
レイが時間停止を受けている以上、《ミクリヤ》は全滅したと断言できる。
最強戦力が真っ先に戦闘不能になったのに、くらいついていったのは健闘したといえるだろう、などと上から目線で評価すらしていた。
だが、それも終わりに近い。
戦いと呼ぶには悲惨すぎて、凄惨と呼びには十分すぎる惨状に、キョウコツは頭をかく。
「……それで? 私はいつまで此処に居れば宜しいので。というよりも、レイを見捨てていいのですか」
問いかけた理由は、レイが心配になったからではない。キョウコツがカタリナに拾われて日は浅いが、彼女がシアラとレイに対して並々ならぬ関心を抱いているのは確かだ。こうして、自分が彼らの後を尾行して、監視していたのも助けるためだと考えていた。
「貴女なら、六将軍の魔人ならば、クロノスにも勝てるのではありませんか」
影の転移しかり、時折見せる威圧感しかり、レイを軽々と投げ飛ばした体術。あれらは常人の域を超えている。レイ達が、クロノスと戦った事で、彼女が手掛かりぐらいは掴めたのではないかと推測していた。
しかし、キョウコツの口から放たれたカタリナの言葉は、明らかに笑っていた。
『あっは、ムリムリ。そりゃ、強さ比べしたらワタシが勝つに決まってる。でも、あれは神だ。狂ったとはいえ、神に人が敵う道理は無いさ。神と殺し合うなら、神の理を破壊しなくちゃいけない』
カタリナの言葉はキョウコツにとって理解不能だ。確信に満ちた物言いからすると、彼女は神殺しの手順を知っているかのようだ。
底が知れない雇い主を不気味に思っていると、カタリナがキョウコツの口を使って、一人で語り出した。
『レイ君たちはいい線を行っていた。精霊の召喚によって神の理を限りなく薄める事に成功したよ。ただ、超級精霊一体じゃ、あれが限界だ。それ以上の存在がこの場に居たら、クロノスも此処までの無茶は出来なかったろうね』
「はぁ。そう言うものですか」
『そういうものさ。ワタシとしては、もう少しばかり違った展開を予測していたんだけどね。彼の持つ特殊技能が、聞いた通りなら、それこそ未来の取り合いが行われると思ったんだけど……まさか、初手からレイ君を狙うなんて、これだからハプニングは面白いよ。何が起きるかわからないから、ゾクゾクする』
「はぁ、そうですか」
気の無い相槌を打つと、左の視界でクロノスが動き出すのを捉えた。夢遊病患者のような、不確かな足取りでレイへと近づくと、彼の顔を愛おしそうに撫でる。遠くからでも分かる、歪な笑みは、愛を知らないキョウコツでも歪んだ愛情だと感じ取れた。
あのまま連れていかれれば、レイの命はともかくとして、人間としての生命は終わる。時間停止の状態ですでに詰んでいるという見方もあるが、それでもどうあがいても挽回は出来ない。
『頃合いかな』
冷めた物言いに、心臓が跳ねる。
クロノスも恐ろしいが、カタリナの方がもっと恐ろしい。
体内に影を侵入させられ、根を張られたキョウコツにとって、カタリナの存在はすぐ傍に感じられる。彼女が気まぐれを起こして、喉の近くにある影を脳髄に向けて伸ばすだけで、あるいは瞼の蓋をしている影を内側に向けて棘のように伸ばしたら、自分は即死してしまう。
カタリナはそんな恐ろしい事を地上にいながら、欠伸をするように実行できる。
しかも、実行したらしたで、数秒後には自分の事なんて記憶の隅にすら残さないだろうとキョウコツは予測していた。そんな人間―――否、魔人に拾われたのが運の尽きだったかもしれない。
『レイ君たちを回収しよう。悪いんだけど、ちょっとクロノスの所へ……おや?』
「どうか……なさいましたか」
クロノスの方へ、の後が気になる。まさか、彼女に近づけと命令するのではないだろうなと懇願を込めて確認する。すると、キョウコツの耳朶をカタリナの、興奮を隠しきれない声色が叩いた。
『ああ、これは面白くなった。ここで、登場するのか』
「『レイ、レイ、レイ。貴方とこうしているだけで、心が満たされます。私は、貴方に……貴方に、何を。何をしたかった……こんな、これは……ちがう。そうじゃない、そうじゃない! 守る、そう守らなくちゃ。誰も知らない所で、誰の手も届かない所で、戦わなくて済む場所で、戦えないようにしなくちゃ』」
穴だらけの記憶は、何かを思い出す度に、あるいは記憶するたびに消えていく。レイと会ったらしたかったことも抜け落ち、あるのは彼を守らなくてはいけないという想い。そのためならば、彼の手足をもいで目を潰し、舌を引き抜くことすら正しいという歪んだ理性。
狂った神は、レイの体を歯車で固定すると持ち上げた。
そして、彼女は地上に繋がる階段と地下に繋がる階段を交互に見る。どちらがより安全にレイを守れるのかと思考し、思考を放棄して決めた。
地下なら道を塞げば誰も来れないし、逃げる事も出来ない。
クロノスはレイを連れて地下へと向かう。その足を掴んだのは小さな手だった。
「『驚きました。まだ、生きているんですか』」
体に食い込んだ歯車から血が噴き出し、か細い呼吸で辛うじて生きている事を証明するのはエトネだ。
彼女はクロノスの足を掴み、焦点の定まらない瞳で見上げる。
「いか、せない。おにいちゃんを、かえせ」
息も絶え絶えの唇から出た言葉に、クロノスは激怒した。
「『返せ? 返せですって!この方は貴女たちの物じゃない。返せとは、どこまでも傲慢な物言い!』」
明らかに侮蔑まじりの叱責。クロノスは歯車を新たに出現させた。
それを歯車と呼ぶにはあまりにも禍々しい造形をしていた。刃のように鋭いおうとつが、エトネを狙いに定め、一斉に落ちる。衝撃で迷宮の床が割れ、エトネの体は歯車の回転で弾き飛ばされた。
小さな体は、レイたちが降りてきた階段の入り口まで吹き飛んだ。
鮮血が流れていくも、エトネの呼吸は辛うじてあった。その事実に、クロノスはいら立ちをさらに強めてしまう。
「『これでもまだ死にませんか! ……ならば、直接止めを刺しましょう』」
言うなり右手を伸ばす。すると歯車がひとりでに重なり、絡まり、噛み合い、大きな槍へと組み合わさった。鋭い切っ先は、巨岩すら貫きそうだ。
レイを放置して、クロノスは重たそうに槍を引きずる。彼女が絶対の守りを持っていたとしても、能力値自体は常人以下なのは変わらない。そんな彼女が歯車の槍を生み出してまでエトネを殺そうとするのは二つの理由があった。
やっとのことでたどり着いたエトネに、クロノスは躊躇うことなく槍を突き刺した。それは少女の薄い胸板を穿つはずだ。ところが、彼女の体から染み出た透明な液体が槍の穂先を掴んだ。
「『正体を現しましたね、精霊』」
「―――っ!?」
勝ち誇るクロノスに対して悔しそうにするのは、エトネの体内に潜り込んだ《ミヅハノメ》だ。
指輪を壊される直前、召喚された彼女はエトネの体に潜り込むことでクロノスの知覚をごまかした。そして体内から強化をし、重要な血管が切れたときは内部で血流を操作したりして、彼女を生かしていた。
それが明るみに出てしまったのだ。
「ばれたなら、仕方ない。一気に行くわ……っ、これは」
一転して猛攻に出ようとするミヅハノメ。ところが、槍に触れている液体が蒸発していくのを感じて焦りを浮かべた。
これは間違いなく、クロノスの権能だ。触れた無機物の時間を加速させる権能がミヅハノメの力を削っていく。
「『別に槍に意味なんてないわ。重要なのは、私が直接触れた武器で、貴女に触れていることよ』」
「権能が発動している。まさか、この槍が神器もどきとでもいうの!?」
ミヅハノメの驚愕は正しい。神器とは、神の持つ権能を抽出して、物質へと固定化した物を指す。神以外が扱っても、抽出された権能が正しく機能するのが特徴だ。
その点でいえば、この槍は神器もどきである。クロノスが触れていない限り、無機物の時間を加速させる権能は発動しない。だが、彼女にとってそれは些事に過ぎない。重要なのは、エトネの護りを引きはがすことだ。
体を構成する水が失われていき、ミヅハノメの末端であり中枢のハヅミが表に出てくる。
「ごめんなさい、ごめんなさい、エトネ。これ以上は、もう」
「……いいんだよ、ありがとう」
必死に謝る友人に対して、エトネは唇を動かす。それが言葉になったかどうか、彼女にも自信はなかった。しかし、ハヅミは最後の瞬間まで友の名前を叫びながら消えた。
超級精霊が消えたことで、エトネの体から命の残滓が急速に消えていく。血がとめどなく流れていき、萌黄色の瞳に力がなくなっていく。それでも戦おうという意思はあった。階段に手を当て、立ち上がろうとする。それでも力がなく、すぐに腕が折れ床に倒れ込んでしまう。
そんな姿を見ていたクロノスが、妙だと呟いた。
「『……精霊の存在でごまかされていましたが……妙な加護を持っていますね』」
「……か……ご」
「『自分では気づいていないようですが、何かに守られている……従えている? まあ、どうでもいいことです。ここで死ぬ貴女には、何の関係もありません』」
クロノスは、会話を打ち切るように槍を払う。わずかに濡れていた穂先が渇き、鈍色の殺意がエトネへと向けられる。抵抗する力はエトネに残っていない。
エトネが、レイと対等契約で繋がっていないのはクロノスも感じていた。もっとも、彼女は対等契約という名称も、その内容も理解できない。ただ、レイとエトネの間には呪術的な繋がりがないというだけは理解していた。
だから、エトネを殺すのにクロノスが躊躇う理由はない。
穂先は心臓へと真っすぐに落とされ―――ない。
槍の動きを止めたのは、途方もない熱気だった。それこそ、熱を帯びた空気に押されるように、クロノスの体はよろめいた。
「『いまのは、いったい』」
戸惑いから顔を上げると、彼女の青い瞳を別の色が汚していく。
それは、目にも鮮やかな紅蓮の炎だ。
レティ達が放置した荷物、その中の一つから炎が噴き出し、階段の壁や天井はマグマが噴き出した火口のような有様となる。
クロノスは、本能的に気づく。狂ってしまった理性ではなく、暴走した本能だからこそ、直感できた。
―――あれはまずい。
身構えるクロノスの耳朶を、燃え上がる炎とは違うものが震わした。
「呵々、妾の復活にこのような催しを用意するとは。相も変わらず風な男だな、其方は」
真っ赤な炎の中から聞こえた声は、幼い子供の声に聞こえた。
読んでくださって、ありがとうございます。




