10-34 幽霊の正体Ⅳ
オルドやベルドランドを含めた六人は、『紅蓮の旅団』において最もバランスの取れ、なおかつ高レベルの冒険者で構成されている。『紅蓮の旅団』の名を世に知らしめた、オリンピア峠を占領したアークスフィンクス討伐や、魔術師の多重精霊召喚によって沈む村の救出劇など、世に伝説を刻んだのはいつもこの六人だった。
つまり、この六人は『紅蓮の旅団』の中で、最も経験豊富な冒険者だと言う事になる。
―――ゆえに気づいた。
それは人でも、魔人でも、モンスターでも、精霊でもない、別のナニカだと。
血で汚れたオークを蹴散らし、骸となって散らばる冒険者に僅かな黙とうを捧げた六人は三つ繋がりの最後の広間へと辿り着いた。
そこは事前に下調べした通り地底湖だった。
広い空間のほとんどを湖に占領され、僅かに残った地面は通路の周りだけ。天井から伸びた氷柱から水滴が落ち、自然の音楽を奏でる。地下特有のひんやりとした空気とは違う、不気味な寒さが辺りに満ちていた。
湖の中央に、それは居た。
こちらを向いているが、顔は長い髪で隠され、白い布を体に巻き付けた姿は、冒険者のようには見えない。
しかし普通の人間ではないのは確かだ。何故なら、湖面の上に座っているのだ。長い髪も、白い布も、むき出しの素肌も湖に触れてはいるが沈んでいない。それどころか、濡れてもいなかった。
だが、オルド達はそんな小さなことに気づく余裕も無かった。
彼らはそれを見つけた瞬間、呼吸を止め、思考すら停止させてしまった。
湖面に触れ、白い布の上を滑り、顔を隠す長髪。その鮮やかなまでの青さに目を奪われていた。まるで湖が彼女の青い髪を吸い込んだかのように空間は青に染まっている。
誰も何も発せない状況で、ゆっくりとそれは顔を上げた。
青髪の隙間から覗くほっそりとした顔立ちは女で、今にも消えそうなほど儚く、平時ならばその整った美貌に誰もが見惚れる事だろう。だが、オルドは自分を射抜く伽藍洞な瞳に思わず呻いた。
「……青い瞳、だと」
湖面の上に座り込み、やつれてはいるが確かな美貌の女の双眸は光を失っているが間違いなく青だ。それが何を意味するのか、導き出した可能性をロータスは認めたくはないと思いながら絞り出しだ。
「……青髪、青目。……13神、だというのですか」
青髪青目。それはエルドラドにおいてある存在にしか許されない組み合わせだ。
だからなのか、青い目で生まれた子供は吉兆の証と言われ大切に育てられる風習が根強く残っている。例え、その両方を持っていた存在が人々の前に現れなくなっても、その考え方は残り続けていた。
「冗談じゃない。あれが、あんなのが、13神だと。お前はそう言うつもりなのか。あんな不気味な思念をばら撒いているのが、神のする事だと言うのか」
ベルドランドが必死に否定する。青筋を立てて憤る姿は、不安の裏返しなのだろうか。豪胆で知られる男がこうも怯えるのかと、ロータスはショックで真っ白になった頭で思った。
ロータスの示した可能性を認めるのは現代を生きるエルドラド人にとって、天地がひっくり返るのと同じだ。
そのためか、エスラもベルドランドに同意した。
「そうよ。あんなの偽物に決まってるわ。聞いた事があるもの。無神時代が始まってすぐ、13神が降りて来ないのをいいことに、自分の目と髪を青く染めて、神の振りをした不埒者が居たって。あいつもきっとその類でしょ。ねぇ、そうでしょ」
言って、周りに同意を求める姿は滑稽でもあった。自分が口にした可能性を砂粒程も信じていないのが、引きつった口元に現れていた。こうであってほしいという嘆願に近いのを自覚している。
あれが何なのかは、この場に居た六人は全員理解していた。
理解させられてしまった。
「認めるしかねえ。あれは13神、なんだろうな。見ろよ、この鳥肌。赤龍やゲオルギウスとやり合った時だってこんな事にはならなかったぜ」
どこか達観した物言いのオルドに、全員が認めるしかなかった。体が、本能が、精神が、あの存在と同じ空間に居る事を恐怖し、平伏したがっていた。生物としてではなく、存在としての重みが違う。同時に、『姿なき存在の呼び声』の謎が解けた。
どうして聞いた人間の精神を摩耗させ、汚染させるのか。どうしてこんな地底湖に居ながら迷宮の彼方此方に声を飛ばせたのか。
あれは技能でも魔法でも無い。
神の声だ。
ただの人間が、神の声を浴びて平気でいられるはずが無い。上位冒険者ですら、同じ空間に居るだけで圧倒されているのだ。見つめられているだけで、動けなくなっているのだ。
光を発しない、無機質な青の瞳がゆっくりと六人を順番に撫でる。それだけで、全員が心臓に触れられたような悪寒を味わう。
そして、瞳の焦点がオルドに絞られた。
「『ねえ』」
零れた音は、たった一言。だが、それだけで六人は苦痛に喘ぐ。空気を震わす振動としての声と、頭蓋の奥にある脳に直接刷り込むような声。その両方を同時に味わい、体が拒絶反応を示していた。
「『貴方、そう、貴方よね。私に話しかけたのは』」
「ま、待ってほしい、13神よ! 貴女の存在に、俺達は押しつぶされそうなんだ。できるなら、神としての存在を抑えてくれないか」
そう願うのが限界だった。神に要求するという行為がどれだけ危険なのか考える余裕すらない、必死の懇願。だが、女は不思議そうに小首を傾げた。
「『カミ? 髪、紙、……ああ、神、神、神。貴方、私が誰なのか、知っているの』」
どういう事だ、とオルドは疑問に思う。青神青目であり、この圧倒的な威圧。陰りはあるが人ならざる美貌に、浮世離れした雰囲気。重ね合わせて浮かび上がるのは13神の誰かという推理は間違っているのだろうか。
だが、オルドが迷う暇も無く事態は動いていく。
「『別に、何でも良いわ。私が神なのかどうかなんて、興味ない。それよりも答えて。貴方は本当に、レイを知っているの?』」
「答える前に、重ねて頼む! どうか、御身の神気を抑えてくれ!」
もう限界が近い。オルドやベルドランド、エスラはまだ耐えられるが、ロータス以下副長たちは既に崩れ落ち、辛うじて腕で倒れるのを拒否していた。
そんな姿を見て、女は目を閉じた。
それが合図だったように、空間に満ちていた異質な空気が消えていくのが分かった。
「無事か。ロータス、それにお前ら」
「は、はい。何とか。ですが、本物のようですね、彼女」
「ああ、最悪な事にな。誰か、あれが13神のどれなのか、心当たりがある奴は居るか」
オルドの問いかけに答えるのは、エスラの腕に捕まり立ち上がろうとする彼女の副長だ。元々、聖都の神学校に通っていた経験があるため、神についての知識はクランでも頭一つ抜けている。
「女神ということは、オケアニス、レアー、ヘメラ、テミス、エリス、クロノスの六柱に加えて、ニュクスの七柱と言う事になります。ですが、そこから先は不明です。何しろ、無神時代前の情報は殆どが口伝形式なので、神の人相までは判別できません」
無神時代が始まった直後、それまでの神に依存した社会は見捨てられたという思い込みから13神への信仰を焼き尽くす暴動に発展した。神を模った像は破壊され、肖像画は切り刻まれ、古文書の類も燃やされた。残ったのは語り部の口伝や、僅かに残った遺跡の碑文程度だ。
後に、『冒険王』と旅する初代法王がそれらを蒐集して整理するまで神々の存在は記憶から薄れてしまった。
その当時の事を戒める意味も込めて、現代にある神々の像や肖像画の類は神の尊顔をあえて作らないでいた。
「水に、土に、生に、人に、魔に、時。そして闇を司る女神たちのどれかって訳か。まあ、そこまで分かれば上出来だ」
「どうなさるおつもりですか? まさか、あの方と戦うおつもりではありませんよね」
「冗談じゃねえよ。俺はこれでも平和を愛する男だぞ」
それはこの状況で笑いを誘う冗談なのか、至極真面目に言っているのかロータスには判断できないが、オルドは13神の誰かに向けて口を開いた。
「御身の神気を抑えて貰い、感謝する。重ねて問うが、名前を知りたい」
「……分からないわ」
気だるげな、ともすれば風に吹かれて消えそうな声が地底湖に反響する。思念じゃない声は、神気が収まっている事もあってか耳に心地よく感じた。
「名前が分からない、と。では、何故此処に居るのか教えて願いたい」
「……そんなの、私だって知りたいわ。気が付いたら、此処に、この地下に居たんだから。自分が誰なのか、それすら分からない。彷徨ってみたけど、出口なんか見つからない。誰かに尋ねようにも、声をかけたら、みんな倒れてしまうの。ようやく喋れたのが、貴方」
胡乱げな瞳で周囲をぐるりと見回す女神。話す内容もそうだが、喋り方もどこか夢見心地でハッキリとしない。
女神の言葉に全員が戸惑ってしまう。先程までの神気を無視すれば、その姿は不安と恐怖に怯える娘のように見えなくも無い。オルドは先程のエスラの副長に小声で尋ねる。
「どう思う。あれは本当に、記憶を失っているのか。というか、神が記憶を失うなんて事があり得るのか」
「……分かりません。神々の中には人の振りをして地上に降り立ち、人の中に溶け込んで暮らした者も居るとされています。ですが、記憶を失ってなんて。そもそも、無神時代は神から絶縁された時代です。それなのに、神が現れる事自体、あり得ない事です」
「そうか、あり得ないことだらけだから、あり得ることもある。……ならば、重ねて問いかけたい! 貴女は……レイを知っているのか?」
一拍開けた後、オルドは続けた。
「記憶を失ってもなお、レイという人物を探しているのは何故だ?」
―――それが引き金だったと、オルドは後に思い返した。
それまでは、まだ悲惨な目に遭った被害者という様相だった神が、一転して得体の知れないナニカに変わりつつあった。目は更に艶を無くし、鮮やかな青髪は震え、ただ口元だけが歓喜に彩られる。
「そう、そう、そうよ。レイ、レイ、ああ、レイ。誰だか分からない、男なのか、女なのか、子供なのか老人なのか。人なのかどうかすら知らないのに、私はその人を知っている。何も知らないのに、その人に会いたいと、消え去った私が叫んでいる。その人を守りたいと、心が願っている。ああ、レイ、レイ、レイ、レイ、レイ。ああ……会いたい」
これが頬を染めた恋する乙女の内緒話なら、あるいは涙を流して訴える悲痛な願いなら。まだ理解できる状況だ。激しい感情表現かもしれないが、真っ当な筋道が立っている。
だが、狂ったように名前を叫ぶ女神の相貌は、酷く歪んではいるが笑っているのだ。
笑顔がこれ程不気味な情景は、これ以外知らないとロータスは戦慄と共に思う。
「……レイと出会ったらどうするんだ。……どうしたいんだ」
どうしようもない不安を感じつつも、オルドは尋ねた。それが禁断の質問だと理解しながら。
女神は首を僅かに傾け、何をおかしな事を尋ねるのだろうと言う視線をオルドに向けた。
「どうするですって。守るに決まっているでしょ、救うに決まっているでしょ、助けるに決まっているでしょ。あの人をどんな危機からも守り、どんな窮地からも救い、どんな困難からも助ける。そのためなら、なんだってするわ。まず、両手両足を切り落として動けなくして、目玉と耳を塞いで怖い事を感じないようにするの。次は周りの危ない人を遠ざけて、誰の手も届かない、誰にも気づかれない、誰も居ない場所に隠すの。そうすればあの人を守れるでしょ」
悍ましい。
そう、断言できる狂気がそこにあった。神だとか、人だとか、そんな次元では無い。一個の生命体が宿
すには重く澱んだ狂気が、たまたま人の形をしているかのような、そんな悪夢がオルド達の前に居た。
「助けなくちゃ、助けなくちゃ、助けなくちゃ。だって、私のせいなの。私が、あの人を選んだから、だからこんな事になったの。だから、守らなくちゃ、守らなくちゃ、守らなくちゃ。どんな悪意からも、邪悪からも、脅威からも。誰にも触れさせない。誰にも奪わせない。誰にも渡さない。私が、私が、私が守ってあげなくちゃ」
瞳から正常な意思は感じられない。オルドに向かって答えるのではなく、自分の内側に向けて喋りかけるように意識が向いている。明らかに異常だ。
いや、最初からこうだったのだろう。
女神は壊れている。神としてではなく、存在として重要な部分が壊されてしまっていた。
「団長。これはもう、私達の手に余ります。一度戻って、ギルドに報告しましょう」
ロータスの具申にいつものオルドなら頷いていた。だが、彼はこの場で、ある意味女神以上に状況を理解していた。
彼女は、おそらくだがレイをこの世界に招いた13神の誰かだ。レイを知っているという事実から、その可能性は高い。だが、この心理状態からすると、この神と出会ってレイが無事な可能性は限りなく零に等しい。
あまりにも危険だ。
このままギルドに報告すれば、統括長であり師匠である男は事態収拾のためにレイを送りこませる。
冷血と呼ばれた男ならば、間違いなくそうする確信があった。そして、レイと女神を出合わせるのはあまりにも危険だった。
「いや、このまま俺達であれを無力化する」
「……正気か、オルド。狂っていても13神だ。神気を感じただろう。全身が圧迫され、精神がやすりに掛けられる、あの感触を。もしかしたら、神の権能さえも使えるかもしれないぞ」
神の権能とは、エルドラドの法則に直接介入できる、神にだけ許された力だ。どんな力を司っているのか不明だが、神々に人が敵う道理は無い。
それでも、オルドは戦う意思を止めない。斧の柄を握り身構える。
「これは俺の我儘だ。だから、戻る奴は戻れ。カーティスにも撤退命令を出して構わねえ。ただ、あれをこのまま野放しにすると、どう転んでも待っているのは悪夢のような状況だ」
脳裏に浮かぶのは、レイがこの女神と向かい合うという可能性と、大迷宮ラビリンスから冒険者が一掃されるという可能性だ。
ラビリンスも迷宮であることには変わりない。スタンピードが起きる可能性は常にある。このまま女神による『姿なき存在の呼び声』が続けば、冒険者たちが迷宮を潜る事も出来なくなり、いずれはスタンピードが発生してしまう。
モンスターが地上に大量に雪崩れ込むという未来図を冒険者たちは容易に想像してしまった。
そうなれば学術都市は放棄。積み上げてきた魔法工学の研究や、知識は散逸してしまう。それが世界に対してどれだけ大きな影響を与えるのか、各国を渡り歩きテオドールの懐刀として政治を垣間見るオルドには十分理解できた危機だ。
ゆえに、彼は逃げ出せない。そして、同じような志を持って行動を共にする仲間達も、同じ選択をした。
一歩前に出る団長に、全員が応じた。
揃う足音に、オルドが左右を見れば、そこにはいつもの五人が並んでいた。
武器を構え、何も言わずに隣に居た。
オルドも礼を言わない。ただ、心の中で頭を下げた。
「ああ、レイ、レイ、レイ。……貴方は、レイを知っていると言いましたね。教えなさい。何処に行けば、会えるのですか。どうすれば、会えるのですか。さあ、さあ、『さあ、さあ、さあ!!』」
再び起きる神気。
神という規格外の存在に、体が耐えきれなくなる。だが、覚悟を決めたオルドは至上の存在に向けて吼えた。
「ぐだぐだうるせぇ! てめぇみたいな、病的な女にアイツに会う資格なんかねえよ。大人しく、捕まりやがれ!!」
それが開戦の合図だった。
大迷宮ラビリンスの一角にて、神と人の戦いが始まってしまった。
読んで下さって、ありがとうございます。




