10-25 我が家 『中編』
トロンスは貴族の出であるが、暮らしぶりは庶民よりも僅かに良い程度だった。
一日の食事が三回取れるのは、週に五日。それも大黒柱の家長と、家を継ぐことになっている長男や、そのスペアである次男にはそれなりの食事が出され、酒も付いてくる。しかしながら、三男である彼や弟たちにはパンや酒はほとんど回って来ない。
そんな現実から早々に家を出る決意をしたトロンスは、腐っても貴族という家柄を利用した。
貴族世界は縦割り社会。
トロンスの家も有力者の傘下に入っていた。そのため、少なくない頻度で晩餐会や園遊会などの誘いがあった。本来なら、誘われて行くのは当主と次期後継者の長男だけだが、トロンスは無理やりパーティーに潜りこんでいた。ある時は兄の傍仕えとして、ある時はパーティーの給仕として、ある時は庭師の手伝いとして。
その目的は、多くの邸宅を見聞して知識と経験を得る事だ。それがいずれかけがえのない財産になると信じて。
ほどなくして成人になった彼は、家の繋がりを辿っていき学術都市の商工ギルドへと潜りこみ、中堅所ではあるが長く都市で不動産を扱うコクーン商会へと就職できた。
未だに下っ端ではあるが、ここで経験を積んで、いずれはもっと大きな商会で大物客を相手に仕事をするのが夢だ。
それなのに、今回付くことになった客は厄介だと彼は内心でため息を吐く。
ゆっくりと坂道を登っていく路面魔車の中で、面白そうに景色を眺めている少年を盗み見た。
《ミクリヤ》のリーダーにして若くして『緋星』という二つ名で呼ばれる冒険者、レイ。
学術都市における最高権力者である学長からの依頼、断る訳にはいかず、かといって満足な商品を紹介できなければ機嫌を損ねてしまう恐れがあった。そのため、何かあった時に備えて一番下の自分が行かされたのだろうとトロンスは読んでいた。
簡単に切り捨てられる人間として。
だが、予想に反して依頼内容自体はそこまで難しい案件では無かった。
予算は乏しいと言っていたが、提示された金額ならば商会が持っている切り札を紹介できる。
さる貴族の子息が留学する為にと建てられた屋敷は、それなりに広い敷地に最新設備の揃った邸宅が三つ。防犯対策は万全で、水の漏れる隙間も無い。欠点と言えば、路面魔車から遠い場所にあるため、移動には自動魔車を手に入れる必要がある事だ。それさえ除けば、コクーン商会の目玉である。
事前に、上からはある程度の、それこそ破格の割引をしても良いとの許可は貰っていた。
こちらが損を被る事で、相手の機嫌が良くなれば、学長にも好印象を与える。それは巡り巡って大きな仕事を得るチャンスとなりえるだろう。
肉を切らせて骨を断つ。
『冒険王』の有名な言葉だ。
とはいえ、初手から最高級の物件をぶつけた所で芳しい結果になるとは限らない。レイが提示した金額の中に納まり、これはという物件もトロンスの候補の中にはある。
不動産の営業において、相手の思考力や体力が充実している時に高額な物件や、目玉の物件を見せては、かえって冷静な判断をされる場合がある。ここ以外にも他の所なら良い物件があるのではと考えてしまう。
それに、良い物件から見せて次に紹介する物件がそれ以下だと、例え二番手の物件でも見劣りしてしまう。
それゆえ、トロンスはレイ達を最も選ばないだろうと考える物件へと最初に紹介する事にしたのだ。
路面魔車で揺られること一時間以上。冒険者などが多く集まる地区から離れ、住宅地区と研究地区の境に近い場所に、それはあった。
外観は古びた切妻住宅だ。四階建ての上に斜めの屋根がちょこんと乗っており、しなびた蔓が外壁に沿って伸びている。
通りに面した壁にはドアが二つあった。
「随分と古そうな外観ですね」
「仰る通りです。当商会において、もっとも古い物件となっております。ですが、中は清潔に保たれております。どうぞ中へ」
二つあるドアの内、一つを開けると風が流れ込む。埃が舞い上がり、窓から射し込む光の中で浮いているのがはっきりと見えた。
「こちらは仕事や作業などに仕える多目的な部屋です。来客用にも使えるかもしれません。奥に台所と内庭があり馬房もあります」
「奥というと、長方形の建物なんですね」
「はい。この辺りの物件は横幅が狭く、奥に細く、上に高くなっております。階段はこの部屋の奥にあるホールにありまして、二階へと繋がっています」
「地下室はどこかしら」
「二階に続く階段の裏側にあります。最後にご案内しますので、少々お待ちください」
シアラの質問に答えるとトロンスは奥へと案内を始めた。
最初の部屋の奥にある扉を開けると、言葉通りホールが待っていた。四階まで吹き抜けになっているからか、広々とした印象を与える。通りの明りは此処まで届かないため、常備してあるカンテラに火を灯そうとしたが、シアラが杖で《光》を生みだした。
ホールの向こうに台所と食糧庫、そしてその奥に内庭と馬房がある。学術都市は上下水道が完備されているため、蛇口を捻れば水が流れ、内庭にあるトイレも下水へと流れる。内庭は馬房とトイレが併設されて、小さいながらも畑をやるスペースもある。背の高い塀に囲まれていて、外から遮断されている。
年若いレイ達が興味深そうに中を見て回るのを、モランヌと一緒に邪魔にならない場所で待っている。一通り確認が終わったのを見計らい次へと促す。
「一階には居住可能な部屋はございません。それでは皆様、二階へ参りましょう」
二階の階段を上ると、右手に扉が左手に通路が伸び、その先に次の階への階段がある。
「二階から四階までは部屋が二つずつございます。吹き抜けを挟んで通り側と内庭側に一つずつです。こちらの部屋は、四階までで最も大きな部屋となっています」
台所の真上にある部屋を開ける。当然のように空の部屋だがレイ達は中に入り、その広さを体感していく。もう一つの部屋を開けて同じように確認をした。
三階も、四階も同じ工程だ。細長い通路の両端に階段があり、二つの部屋の間は吹き抜けとなっている。案内は屋根裏にまで辿り着いた。
「屋根裏は部屋……というよりも物置のような場所になっております。天井が見た目よりも高いですが、住むには適しては居りませんね」
説明しながら屋根裏部屋の扉を開ける。大きめの天窓から光を取り入れた空間は、何かの物語めいた空間のようにも見える。
「ですが、吹き抜けが無い分、面積では最も広くなっております」
レイが斜めの天井を見つめているとシアラが何やら耳打ちをする。トロンスには聞こえなかったが、何か真剣そうな話し合いを二人は始めた。
タイミングを見計らって声を掛けようと決めた矢先、レイの方からトロンスへと話しかけた。
「ここまでの説明は分かりました。それで、地下室を見せてはもらえませんか」
「は、はい。承知しました」
階段を降りて、一階へと戻る。ふと、振り返ると人数が足りない事に気づいた。
「あの、金髪の方と黒髪の方は? それにもう一人の男性も」
「彼らはもう少し部屋を見ておきたいと。さ、地下室へ行きましょう」
様子を見に行こうとするトロンスの背をレイは押した。まあ、何かしていたとしても、この屋敷ならさほど問題にはならないかと考えを切り替える。
そして、階段裏にある蓋を開けると、地下への梯子が顔を覗かせた。
ふわふわと一行の後ろをついていた光球が闇の中へと沈み明るく照らす。そこへと何の躊躇いも無くレイは降りた。この辺りの身軽さは、やはり若くとも冒険者なんだと認識を改めながらトロンスは梯子に足を掛け地下に潜った。
石で補強されているとはいえ、湿った土の匂いが鼻孔を突く。土の下という事実が、妙な圧迫感を生み、早く地上へと戻りたいと思わせた。
すると、微かな振動音が聞こえた。音の方向は上だろうかと見上げると、ちょうど穴を覗き込んでいたモランヌと視線が合う。パンツスーツだったが女性として抵抗があるのか唇を真一文字に結んだのを見て、トロンスは慌てて話題を変えた。
「こ、この地下は単に石で補強された空間です。その分、頑丈に出来てはおりますが……それで、どうでしょうか。何か、ご質問などはありますか?」
どんな些細な疑問にも答えるという姿勢が信頼に繋がる。
培った営業ノウハウを使うトロンスに、レイは一点だけと前置きして質問を口にした。
「この建物は、前にどなたが使っておりましたか」
「前の所有者ですか。少々お待ちください」
言いながら、トロンスは手持ちの資料を漁る。気を聞かせてくれたのか、光の球が頭上を照らし、文字を追いかけやすくする。
ほどなくして、前の所有者に付いて分かった事実がある。
「申し訳ありません。前の所有者に関しては不明となっております」
「不明、ですか」
「この物件は、複数の別の商会の手を渡って、当商会に流れ着いたという経緯があるのです。そのため、細かい来歴などは不明で。……もしかしたら、学術都市の公式記録を調べれば所有者など判明するかもしれません」
学術都市で売買される不動産は、税の関係上書類を提出する必要がある。
公式文書は保管され、必要な申請と資格さえあれば確認できる。
「宜しければ、確認いたしましょうか。少々、お時間は必要になりますが」
「構いません。よろしくお願いします。それと、物件の内覧はここまでで結構です」
一瞬、何を言われたのか分からないかのように呆気にとられた顔が、みるみるうちに青ざめていく。トロンスは今にも倒れそうなほど膝を震わせて、同じように声も震えた。
「そ、そ、それはど、どういう事でしょうか? わ、わ、私は、何か不始末を、してしまったのですか!?」
「いいえ、そうではありません。トロンスさんの接客は丁寧で信頼できます。ですが、僕達はこの屋敷を購入したいと、そう決めたんです。ですから、これ以上他の物件を見て回るのは時間の無駄だと思って断らせてもらおうかと」
自分の手落ちでないと分かり一安心だが、しかしそれで話が終わる訳ではない。ここは、コクーン商会の中でも低ランクの物件だ。それを紹介して売りつけたとなれば、それはそれで体裁が悪い。なんとか考え直してもらおうと必死に言葉を絞り出す。
「いえいえ、レイ様。何を仰いますか。私共商会が所有する物件はまだ他にもございます。それこそ、此処よりも高級な屋敷も、広々とした住宅も。例えばこちらの物件は一階が完全に店舗として使え、こちらは増築しやすいように敷地が広くなっており、そしてこちらが当商会目玉の、さる貴族が留学用に―――」
ファイルを取り出し、図面や姿絵が乗っている資料を提示しようとしたが、それをレイはにこやかな笑顔で黙らせる。
「本当にもう、大丈夫です。この屋敷を購入させてもらいます」
魂が半分抜け落ちたようなトロンスがコクーン商会に戻って来たのは、夕方を多少過ぎた頃だった。朝早くに送り出した商会の人間達は、彼の様子から何があったのか察した。
商会長はトロンスの首を切る算段をしながら、確認の為に話しかけた。
「ご、ご苦労さん。それで、首尾はどうだった。先方は気に入った物件を見つけたのか。まあ、その反応からするとどうせ駄目だったのだろうが―――」
「―――いえ、物件は決まりました」
「なんと、それは本当かい、トロンス君!!」
自席で体を投げ出すトロンスに、周りは喝采を上げる。なんという幸運だ、これぞ13神の導きだ。今にも祝宴が始まりそうな程の騒ぎだったが、反対に沈んでいくトロンスに皆が不思議そうな顔をした。
難しい客が上手く行くのは良い事の筈だ。
商会長の中で別の疑念が膨らんでいく。
「もしや、うちの目玉物件の値引きを要求されたのではなかろうね。三割か、それとも四割。まさか、五割じゃあるまいだろうな! そこまで行けば、大赤字だぞ!」
自分で言いながら激昂する商会長にトロンスは首を横に振って否定した。
「じゃあ、何なんだ、その態度は。どこの物件が売れたんだ」
言うと、トロンスはファイルから資料を抜き取り商会長に渡した。老年からかぼやける視界を老眼鏡で調整した商会長は、小さく呻いた。
「よりにもよって、そこですよ。うちの中じゃ、一番ボロくて、安普請の。ああ、上り調子の冒険者集団に、あんな物件を売ったことが知られれば、商会の名前に泥を塗っちまうことに。本当にすいません!」
勢いよく頭を下げたトロンスは、飛んでくるだろう雷を待った。だが、一向に商会長の怒りは来ず、どうしたのかと顔を上げると古株の社員と一緒になって難しい顔をしていた。
「あの、もしかして、その物件。何か曰くでもあるんですか? まだ正式な手続きは終わってないんで、明日にも先方に伝えたいんですけど」
「……どうしてそんな事を聞くんだ?」
質問に質問で返される。それだけで、何か末端に知らされていない情報があるのだと気づいた。
「いや、お客様が前の持ち主に付いて質問されたんで。もしかして、事故物件とか、何か呪われているんですか?」
思いついた可能性をとりあえず口に出してみると、商会長たちは困り顔で唸る。
「呪いか。まあ、あながち間違っていないな。あの屋敷は、普通じゃない」
「どういう意味なんですか?」
商会長は資料にある前歴を示しながら言った。
「あの屋敷は、今から四百年以上前に作られた屋敷だ。あの区域ではもっとも古く、そして建設されてから一切、補強も修繕も何もされていない。それがどういう意味か分かるよな」
「そんな馬鹿な事があるんすか!? だって、普通の健在なら百年も持てばいい方じゃないですか。魔法で保護されているとしても、定期的に掛け直さないといけないし。それをしている訳じゃないんですよね」
「ああ、そうだ。それでな、前の所有者は誰にも分からない。公式文書は所有者の欄を黒く塗りつぶされた。うちに来るまでに何度か買い手が出たが、そいつらは書類を提出するよりも前に屋敷を手放すんだ。だから、最初の所有者以降、書類上は誰も住んでいない事になっている、曰く付きの物件だ」
空気が真冬並みに冷たくなる。底冷えする寒さに、トロンスは絶望しかなかった。
「お前、よりにもよって、そんな物件を紹介して、売りつけてしまったのかよ」
商会長の苦虫を噛みしめたような表情は、トロンスの網膜に焼き付いてしまった。
「それでさ、どうしてあそこに決めたの? 商会の人が土下座してまで他の物件を見てくださいと言って案内された二つの方が、綺麗で広々としていたよ。まあ、流石に貴族のおうちはどうかと思うけど、もう一個の方は良さそうだったよ」
宿の部屋に戻るなり、開口一番レティが尋ねた。同様の疑問をエトネも抱いているのか、こくこくと首を縦に動かした。
「それなんだけど、シアラがとんでもない事に気が付いたからね。とりあえず、こうして話し合いの場を設けたかったから、あそこで即決しようとしたんだ」
結局、トロンスの土下座で他の物件を見て、その上でもう一晩考えてから決断してほしいと懇願されてしまった。貴族の出の割に、随分と粘る男だった。
「それって、どういういみなの」
「シアラ。僕に言った事を皆にも聞かせてくれ」
レイが言うと、一同の視線がシアラへと向いた。彼女は自分でも不可解だと言わんばかりの表情で、気づいた事を打ち明けた。
「あの屋敷は魔道具よ」
読んで下さって、ありがとうございます。




