10-24 我が家 『前編』
トロンス・パロンは黄金の小鹿亭前で軽く身なりを確認する。今日、急に会う事になった人物に失礼が無いようにするためだ。
トロンスは学術都市で不動産を扱うコクーン商会に務めている。
昨日の夕暮れ時、商会に珍しい人間が訪れた。学術都市運営評議会学長付きの秘書、モランヌ女史だ。トロンス自身に面識はないが、コクーン商会の長と学長は懇意の間柄ゆえ、不動産を紹介して欲しい客の世話をお願いしたいと頼まれた時は、驚きはしたが納得できた。
問題は、今回紹介される冒険者が色々と特別な人物である事だ。
《ミクリヤ》所属、『緋星』のレイ。
半年ほど前、二つ名通り星のように現れたこの冒険者は、中央、東方、南方と、三つの大陸で起きた大事件に遭遇し生き延びた新進気鋭の冒険者だ。
腕が立つだけなら、そんな冒険者はごまんといる。彼にはシュウ王国のテオドール陛下やデゼルト国のダリーシャス王との繋がりが実しやかに囁かれていた。その噂の真偽はともかくとしても、そんな大物が学長の紹介で屋敷を探していると聞かされたときは、商会中がひっくり返った騒ぎだ。
トロンスの務めている商会は、古いだけが取り柄の中堅どころ。貴族筋が求めるような大邸宅や、大所帯のクランが一堂に介する本拠地のような大きな不動産は扱っていない。
どう考えても受けられるような仕事ではないのだ。
かといって、この都市における最高権力者の頼みを断るなんて事も、力関係の問題で出来なかった。
商会に出来る事と言えば、紹介を受けて、持っている不動産の中から出来るだけ最高の物を紹介し、万が一の成功を掴み取る事。仮に―――というよりも、ほとんどの確率で―――失敗した時には、全力を尽くしましたがご期待には沿えませんでしたと頭を下げる。場合によっては担当した人間の首を切ればいいのだ。
学長からの評価は下がってしまうが、受ける前から断るよりかは、被害は少ないと考えたのだ。
そんな敗戦処理をやる事になったのが、商会の中で最も若手のトロンスだった。
黄金の小鹿亭を前にして、小心者の胃がじくじくと痛み出す。
どうして自分がこんな所に一人で送り込まれているのだろうかと、今更ながらに思ってしまうが手遅れだ。
「それでは時間ですし、中に入りましょうか」
隣には学長付き秘書のモランヌが立っている。遠目では時々見かけていたが、間近に立つと美人がより明確になる。こんな状況じゃなかったら、ぼうっと見惚れる事も出来ただろうが、いまは不安の方が強い。それは顔色にすら表れていたのか、
「……大丈夫ですか。今にも倒れそうな御様子ですが」
「だ、だ、だい、だいじょう、大丈夫です!」
明らかに大丈夫ではない返事だった。
トロンスはぎこちない動きで宿屋の扉を開けようとする。だが、その前に扉が開くと小さな悲鳴を上げそうになった。
中から現れたのはいかにもな風体の冒険者たちだ。簡素な衣服に、武器など持っていない人が多いのに、暴力と血で研ぎ澄まされた四肢を見た瞬間、肝が冷えてしまう。
学術都市という場所柄、冒険者は数多くいるが、大抵は冒険者の集まりやすい区域から出てこない。必要な道具類や、飲食や酒を提供する店、更には風俗も一カ所に集中しているので外の地区まで出張らないのだ。
冒険者と関わる職業を選ばなければ、滅多に話をする事も無い。それゆえ、トロンスは冒険者に対して物語で得たような知識しか持っていない。
冒険者とは、モンスターの血肉を喰らい、時には人肉すら啜って宝を求める怪物。
悪意と偏見に満ちた物語だが、親の教育方針によってそういうゴシップまじりの噂しか聞いた事が無く、大人になっても先入観が拭えないでいた。
じろり、と。冒険者がトロンスを睨む。
否、男にすれば睨んだつもりはないのだろうが、トロンスには睨まれているようにしか思えない。
このまま殺されるのではないかと思った瞬間、男は脇に退いた。
「すまないな。邪魔だったか」
「ひぇ? あ、いえ……何でもありません」
後半は言葉にもならない。冒険者は気にしたそぶりを見せず、トロンスとモランヌを見て、
「この宿は『紅蓮の旅団』が貸し切っている。アンタら、うちの団員にようなのかい」
「いえ。私は学長付き秘書のモランヌと申します。本日、私たちは此方に滞在しているはずの《ミクリヤ》の方々にお会いしに参りました」
「そうか、レイの客か。じゃあ、中に入って待ってると良い。あいつらも朝飯を終えて支度に入っているはずだ」
そう言って、扉を手で押さえ、紳士的にも道を譲った。
モランヌは上品に礼を言うと中に颯爽と入ってく。取り残されたトロンスは慌てて後へと続いた。
宿の中は外観と違わず、広々とした空間を確保し、さりげなく高価な品を置くことで格調高く演出している。トロンスは不動産を扱う人間として、この宿の相場を大よそで割り出していた。
その間も視界を右から左へ、左から右へと冒険者が通っていき、その度にトロンスは全身を硬直させる。
「トロンスさん。もしかして、冒険者の方に気後れしていませんか」
ロビーの片隅で立って待っていると、モランヌが耳打ちをした。心を読まれたかのような問いかけに、トロンスは飛び上がりそうになった。
「ど、どう、どうしてそれを?」
「見ていれば、何となく分かりますよ」
苦笑すらも美人は様になる。それを拭うと、モランヌは諭すような口調で続けた。
「確かに冒険者の方々に対して、おっかないという印象は拭いきれません。低位であっても武器を使えば人は簡単に殺せますし、中位になれば素手でも出来るかもしれません。高位の方々になれば、私達なんて紙きれ同然でしょう」
学長付きとして観察してきた経験だろうか。淡々と続く言葉の裏には真実の重みがあり、トロンスは知らずの内に喉を鳴らした。
「ですが、そんな恥知らずの冒険者はごく一部です。此方に滞在している『紅蓮の旅団』の方々は粗暴な見た目とは裏腹に紳士的な方たちです。そして、これからお会いする《ミクリヤ》の方たちも、誠実そうな人柄の方ばかりです。それだけ怯えていると、逆に失礼ですよ」
「そ、そういう物なんですか」
モランヌの説明を聞いて、改めて周りを見渡した。この宿を貸し切っている冒険者たちが出たり入ったり、忙しなく動き回っている。自分と同い年ぐらいの者も居れば、一回り、あるいはそれ以上に幼い子供もきびきびと働いている。
彼らには冒険者特有の圧迫感を感じられるのに、時折目が合えば決まって会釈をする。それが学長付き秘書のモランヌと一緒に居るからなのか、それとも礼儀作法を教え込まれているのかは知らないが、紳士的な振る舞いにいつしか不安は薄れていった。
「お待たせしました、モランヌさん」
しかし、平静を取り戻したのは束の間。呼びかけに、トロンスの緊張のゲージは振り切れた。
「ああ、レイ殿。おはようございます」
「おはようございます。お待たせしましたか?」
「いえいえ。私達の方が早く着きすぎただけです。それで、こちらの方が」
「は、始めまして。コクーン商会より参りましたトロンス・パロンと申します!」
室内を震わす大声を発してしまい、トロンスは伏せた顔を青ざめる。すると、くすくすと笑い声が聞こえて、恐ろしい思いをしつつも顔を上げた。
正面に立っていたのは、黒髪に白髪が混ざった、自分よりも一回りは年下の少年だった。彼は穏やかな笑みを崩さず、胸に手を当てた。
「元気な方ですね。初めまして、《ミクリヤ》のリーダーを務めています、レイと申します」
黄金の小鹿亭のロビーは、『紅蓮の旅団』が迷宮探索前と言う事もあって準備で慌ただしいからと、レイの発案によって隣の食堂へと場所を移した。
席に座り、飲み物だけを注文するレイをトロンスは失礼のない範囲で観察する。
飾り気のないラフな姿からは、平凡な少年という印象しかない。珍しい黒髪に、白髪が斑に混ざっているのが特徴といえば特徴だ。しかし、彼が纏う空気は物質的な重たさを感じさせる。
正直に言えば、正面に座っているだけで息が詰まるのだ。『紅蓮の旅団』の冒険者たちから感じた圧迫感以上の物だ。
「えっと、トロンスさん、でしたか。珍しいですね、名字持ちって。もしかして、貴族か名家の出なんですか」
「え? あ、はい。中央大陸の東にある都市の貴族でしたが、三男坊なので爵位も貰えず、名字を名乗る事だけ許されてこちらに働き口を求めまして、いまの商会に拾われたんです。レイ様は、どちらの出身ですか」
「内緒です」
「……え?」
「内緒です」
それ以上の事を聞く勇気はトロンスには無かった。
彼の両脇を固める、紫がかった黒髪の少女や、鮮やかな金髪の少女が無言で圧を掛けてくる。まるで見えない刃に喉元を抑えられているかのような感触に、生きた心地がしなかった。
「……そ、それでは改めまして。レイ様は、学術都市に滞在するにあたり屋敷を購入したいと伺いましたが、何かご希望はありますか」
不動産でなくとも、商売の鉄則は客の要望を聞くこと。何を、どうして、どれぐらいの予算で欲しているのかを知らなければ、適切な商品を紹介する事は出来ない。
「そうですね。正直、不動産を購入するのは初めてなので、色々とお話を伺いたいのですが。……まず、冒険者向けの物件というのは何がありますか」
「冒険者の方々向けの物件となりますと、大体二つに絞られます。一つは、クランやパーティーの本拠地として求める場合です。これは一例ですが、学術都市に定住するA級クラン『黄金戦士団』は一等地に本拠地を持っております。広大な敷地に邸宅が四つもあり、メンバーの個室や作業場、訓練場など目的別に使っていると伺います。敷地があると、増築もしやすいですしね。もう一つが、集合住宅に私室を借りる場合ですね。仲間と切り離された空間を欲して、一人で借りるという例もあります」
「その二つですと、本拠地が欲しいですね。メンバーは此処に居るだけです」
「え? これだけ、ですか」
思わず本音が零れてしまう。レイが仲間だと紹介したのは両脇に控えている少女二人に、一つ離れた机で文字の勉強をしている幼女二人に、地味な見た目の青年が一人。
新進気鋭の冒険者集団が僅か六人だった事に驚いてしまった。
「少なくて驚かれましたか?」
「あ、いえ、そんな、そんな、失礼いたしました!」
服の下を冷汗が伝う。頭を下げると、レイの笑い声がした。
「頭を上げてください。少ないのは事実ですから。だから、この六人がそれぞれ個室を持てて、ある程度の作業が出来る部屋などがある建物が欲しいですね。他に要望はあるかな」
最後の問いかけはトロンスでは無く、左右の少女に向けてだ。
「レイ様。私達は個室でなくても構いません。それこそ廊下でも」
「それは駄目だって、昨日も話したよね。個室を得ることで、精神的にも肉体的にもきちんと休める環境を作るのも、冒険者として必要な事だ。レティと同室ならまだしも、シアラも含めた奴隷だけでの部屋とかも駄目だからね」
金髪の少女はレイの強い口調に意見を取り下げた。代わりに紫がかった黒髪の少女が口を開いた。
「魔法の実験とかをしたいから、その分の空間は確保したいわ。でも、そういうのって庭付きの屋敷とかじゃないとだめかしら」
「一番望ましいのはそうですが、地下室に対魔法用の障壁や補強などがされていれば問題ありません」
「じゃあ、条件に地下室を。できれば障壁や補強済みの地下室付きなら有り難いですが、無ければこちらで施します。できるよね、シアラ」
名前を呼ばれた少女は頷いた。そしてレイは、少し離れた場所に居た三人へと同じ質問を投げかけた。
緑色の頭髪から長い耳が飛び出た少女は、無言のまま首を横に振った。特に意見は無いと言う事だろう。
対称的に、栗色の頭髪の少女は手を上げて、
「はいはい! 薬草とか育てたいから温室を作る場所が欲しい!」
「温室か。そうなると、やっぱり庭付きの屋敷とかになるかな。でも敷地付きの屋敷となると維持も大変だろうしな」
「規模がそれほど大きくないのでしたら、内庭というのはどうでしょうか。学術都市では住宅地で養蜂に挑戦している方も居りますし、内庭で温室というのも可能かと」
意見を言った少女はそれでいいよ、と元気よく言った。
最後に残った青年は、
「現地を見て判断させていただきたい」
と、短くも謎めいた事を口にした。
その後もレイと言葉を交わし、細かい要望を押さえていく。一緒に旅をしたニチョウが共に暮らせるだけのスペースがあり、建物の中に風呂場が、無ければ近くに公衆浴場があると望ましいなどなど。
トロンスは持っていた鞄からファイルを取り出す。中を開くと、商会で取り扱っている物件の見取り図が詰まっていた。その中から、レイ達の目的に合う物件を抽出する。
「それで、ご予算の方は如何でしょうか」
問いかけにレイが提示した金額を条件に加えた。
こうなると、学長が中堅どころのコクーン商会に話を持ってきた意図が見えてきた。彼らが出した条件や金額だと、大手商会だと逆に手に余るのだ。正直な話、レイが提示した金額で大手商会が扱う屋敷などは購入できるかどうか微妙だ。その点、コクーン商会なら十分に応えられる。
「支払方法はどういうのがあるんですか?」
「冒険者の方の場合ですと、規則で一括払いとなっております。これは当商会のみならず、不動産を扱う商会ですと、全て同様の措置を取っております」
これは事実である。
冒険者にとって金を稼ぐ手段は、迷宮に潜る事だ。
モンスターを相手に命懸けで魔石や素材を手に入れる。そこには大怪我や、ましてや死ぬ危険が付き纏う。
賃貸ならまだしも、分割支払いやローンを組んで、途中で支払いが滞る可能性は十分にあり得る。そのため冒険者が学術都市で物件を手に入れるには、面倒な審査と手続きを経て、支払い能力があるという証明をしなくてはいけない。
本来なら、《ミクリヤ》の経歴では審査は通るかどうか微妙な所だったが、学長の肝入りと言う事もあって今回は認可が下りた。
それから幾つかのやり取りをして、トロンスは自信を持って紹介できる物件を選ぶ。食堂に掛かった時計を見て、今日中に全部回れるか、記憶している路面魔車の時刻表と照らし合わせた。
「畏まりました。それではレイ様。そして《ミクリヤ》の皆様。これからお時間の都合がよろしければ、現地まで行き内覧をされてはいかがですか?」
問いかけに、レイ達は首を縦に振った。
読んで下さって、ありがとうございます。




