10-23 姿なき存在の呼び声
オルドが口にした幽霊の意味が分からないから、ロータスもカーティスも戸惑いを隠せず顔を見合わせていた。
だが、レイは怪訝そうな表情をしつつも、
「またですか。また、幽霊ですか」
と、半ば自棄になった様な口調で吐き捨てた。
「なんだ? 本当に心当たりでもあるのか」
「無い。ただ、此処に来る前にお会いしたグラッセ学長も同じことを僕に尋ねてきたんですよ。幽霊についてね」
そう言う事かと納得したオルドは杯を空にして、不思議そうにする三人に向かって詳しい説明を始めた。
「お前らも知っているように、俺が統括長に呼ばれて評議会館に行くと、学長以下運営評議会全員が出席する会議に参加させられたんだ。どうやら緊急の案件で、専門家として意見を求められた」
「専門家というと、問題は迷宮絡みと言う事ですか」
「そう言う事だ、ロータス。かいつまんで説明するとな、この足元に広がるラビリンスで、妙なのが目撃されているそうだ。いや、正確に言えば目撃じゃなくて体験したって言う報告だ。迷宮を潜っていると奇妙な声を聞いたとギルドに情報が集まっているんだ」
カーティスが注いだ酒で唇を湿らしたオルドは、話をしているうちに調子が出てきたのか、雰囲気を作ろうと声を低くした。
「女の声だ。低く、囁くような。それこそ迷宮に吹く風のような薄気味悪さを伴った、不気味な声。辺りにはモンスターはおろか不審な人の影すらない。だというのに、まるで迷宮が囁くように、聞いた者の耳朶を震わせる不気味な声。あまりにも不気味すぎて、迷宮から離れても、耳に木霊して聞こえると訴える奴が後を断たないのさ。ギルド関係者の中では『姿なき存在の呼び声』と呼ばれている。どうだ、怖いだろ」
「馬鹿々々しい話ですね」
オルドが唇を吊り上げると、ロータスが不快だとばかりに一蹴した。
「姿を隠して声だけを囁く存在に、都市の上層部が集まって対策会議なんて。いくらなんでも大げさすぎませんか?」
「いや、それが馬鹿に出来ない話になってきたんだ。その『姿なき存在の呼び声』を聞いた奴ら、全員が体調不良を訴えている。肉体的には何ら損傷していないのに、精神が大きく疲弊して、中には衰弱死寸前の奴も出ちまっている」
「声を聞いただけで、体調がおかしくなったって事ですか? 何かしらの戦技とか、技能による攻撃の可能性もありますね」
「会議ではその結論で決着した。と言う事で、明後日からの迷宮探索に副目標を加える事にした」
オルドがそれまでのふざけた気配を消すと、左右に座っている二人の顔つきも変わる。酒精で色づいた頬はたちまちのうちに消え、命のやり取りをする戦士の横顔を晒していた。
「学術都市運営評議会からクエストだ。ラビリンス内で聞こえる『姿なき存在の呼び声』の調査、最終的には解決までを依頼された。こいつが現時点でギルドが収集した詳しい情報だ。後で、他の奴らにも回しておけよ」
脇に置いていた封筒を机に放りだすと、ロータスが中身を検める。
カーティスも席を立って回りこむと、ロータスの肩越しに内容を覗き込んでいた。
「……被害、というか声の聞こえた範囲は随分と広いですね。上層部に集中しているとはいえ、こいつは手間ですよ。人海戦術を取るにしても、精神に作用する力だと仮定した場合、対抗できる装備や道具を人数分揃えないと」
「相変わらず、面倒な仕事を引き受けたがりますね」
「嫌味を言うんじゃねえよ。これも、渡世のしがらみって奴だ」
『紅蓮の旅団』はオルドが二代目の団長だ。
彼の妻であった女性が初代団長であり創設者だったが、彼女はファルナを生んでしばらくして死んだ。オルド以上のカリスマ性を持っていたがゆえに、彼女の死によって『紅蓮の旅団』は人数を大幅に減らし、存続の危機に晒された。
それをどうにか耐え、初代団長の頃よりも規模もランクも、何より強さを上回るようになったのはオルドの手腕だけでない。ギルドがオルドの才覚や将来性に賭けて、高額なクエストの斡旋や、有力な支援者とのパイプを繋げてくれた面も大きい。そのため、『紅蓮の旅団』はギルドからの依頼などは断わりにくく、加えてファルナの問題の解決にもギルドの力を借りるかもしれないという事情から、こんな面倒な依頼も受けざるを得なかった。
「それで、どうして僕が幽霊を知っているかなんて話に繋がるんですか。学長にしても、ギルドの職員だって変だったんですよ」
レイが尋ねると、ロータスたちもそう言えばと羊皮紙から顔を上げた。レイと幽霊を結び付ける何かをオルドは話していなかった。
すると、オルドがつるりと禿げあがった頭を爪で掻きながら、
「そいつはな、呼ばれているのがお前さんだからだ」
「……どういう、意味なんですか」
「ロータス。報告書の八枚目を、レイに渡してやんな」
質問には答えず、オルドが命じるとレイの手元に羊皮紙が一枚置かれた。そこには数人の被害者の証言が記されていた。どうやら被害に遭った中で聞き取り調査に協力する程度には無事なようだ。
自分たちの身に何が起きたのか、今も聞こえてくる声に精神がどれだけ追い詰められているのかを克明に、何行にも渡って訴えている。
その中に、繰り返し登場する単語をレイは拾い上げた。
「レイ、レイ、レイ。……これって何の冗談ですか」
「残念だが、冗談じゃねえんだよ。呼ばれているのは、お前さんだ」
驚き硬直するロータスたちを片隅に捉えつつ、レイは納得もしていた。
これで一つの線が繋がったのだ。
ギルド職員たちの戸惑いや、学長が尋ねた意味も。
全ては『姿なき存在の呼び声』が原因だった。
迷宮内で響く声に冒険者たちが不調を訴えるのと時期を同じくして、声が呼んでいると思しき人物と同じ名前の人間が現れれば、不気味にも思うし、因果関係を疑う。
「単なる偶然、で片づけていいのかどうか分からん。何しろ、お前さんは色々と特別だからな」
オルドの言う特別という響きの中に『招かれた者』も含まれているのだろう。もしかすると、そういった事も含めて運営評議会からの依頼を受けてくれたのかもしれない。
目礼で感謝を告げると、オルドは小さく首を横に振った。
気にするな、というメッセージだ。
「それで先程の質問に繋がる訳ですね。幽霊を知っているか、と」
「横で聞いていて突飛な質問で驚きましたよ。まさか幽霊なんて、存在する訳ありませんしね。死者の魂は御霊へと昇って、浄化されて、新しい命になるんですから。幽霊なんて、言う事を聞かない子供を脅かすおとぎ話でしょう」
「いや、それがそうとも限らんらしいぞ。ここのお偉いさんたちが随分と頭を捻って、幽霊が……正確には御霊に魂が昇らない可能性を纏めてくれたぞ。その報告書にも載ってるから読んでみな。俺は最初の三行で諦めた」
「何を情けない事を堂々と言っているんですか」
呆れながらもロータスは細い指で羊皮紙を捲り、目的の部分を発見すると眼鏡の奥にある理知的な瞳を細めた。覗き込んでいたカーティスが、肩を竦めて苦笑いするのとは対称的に、ほんの数分の沈黙を置いて話し出した。
「専門用語ばかりで全てを理解したとは言い難いですが概要だけを。本来、死者は肉体を地上に、魂と精神が空へと昇り、御霊へと収容されます。そこで精神だけが浄化され、無色になった魂が地上へと降り、地上で生まれた肉体と混ざり合う事で精神が発生する。ですが、ここでは魂と精神は御霊とは別の存在に収容、あるいは取りこまれた場合、それは浄化されず便宜上幽霊と呼ぶにふさわしい存在になる可能性があると書いてあります」
「本当なんですか、それ?」
疑わしいとばかりに首を傾げるカーティスにロータスも同意しつつ、
「ここでは最近発見された実例について書いてあります」
と、告げてからレイの方を見た。話を聞いているうちに、身に覚えがあったレイは直ぐに答えた。
「黄龍の事ですね」
ロータスが正解だと言わんばかりに頷いた。
デゼルト動乱にて封印から解き放たれた、古代種の龍が一頭、黄龍。『国喰い』と恐れられた怪物は、死者の魂をその身に取りこんでいた。レイ達の行く手を遮ったのは、黄龍に囚われた亡霊の如き存在だった。
「黄龍だけでなく、例えば土地や建物などに縛られた霊や、古い事例では魔法使いが魂を研究する為に死者の魂を容器に保存した事もあったと。今回の場合は、ラビリンス内で死亡した誰かの魂が、迷宮内の何処かに蓄積され人格らしき物を形成し、声を発している、かもしれないと推測しています。もっとも、それは対象が実体無き幽霊だった場合で、一番可能性が高いのは実体を持った何かによる犯行だろうと結んでいます」
推測だらけの資料から目線を上げて纏めるロータス。
オルドは半ば聞き流していたかのように、適当に頷いていたが、話が終わった事で正気を取り戻した。
「お、終わったか。それでお前は、この先の予定は?」
「とりあえず、明日は学長が手配してくれた商人と会って物件巡りをします」
「うん? 何だ、冬ごもりの間だけ学術都市に滞在するんじゃないのか」
「はい。旅をしている間に、色々とやらなくちゃいけない事が増えましたんで。調べ物もありますし、何よりここで本腰を入れて強くなりたいんです」
そう告げたレイを、オルドはどこか眩しそうに見つめていた。それもほんの一瞬、彼は自分の中にあった感情を誤魔化すように酒を口に含んだ。
「強くなりたいなら、学術都市は打ってつけだ。古今東西、ありとあらゆるモンスターが出没するラビリンスじゃあ、何よりも仲間との連携が重要だ。どれだけ個の力を鍛えても、どうしても苦手な分野は残っちまう。そういったのを補えるのは、やっぱり仲間だ。そして、様々な職人や商人が集まるから、個性的な武器や防具、中には掘り出し物と出会う事もある。何より、ここは魔法使いにとって最先端の知識が集まる場所だ。それこそ、マクスウェルと同等の知識や技術を持ちながら、表に出てこないような魔法使いもゴロゴロいるぞ。そういった偏屈から話を聞くだけで、成長する事もあるだろうな」
13神を信仰する者にとって聖都が聖地ならば、学術都市は冒険者にとっての聖地だ。
レイは自分の判断は間違っていなかったと自信を深めるが、続いて出た言葉にレイは出鼻をくじかれてしまう。
「だが、迷宮に入るのはこの幽霊騒動が終わるまでは駄目だ」
重く、厳しい言い方にレイは僅かな不満を抱いてしまう。
オルドはそれを鋭敏に感じ取ると、身を乗り出した。強面が近づき圧迫感にレイは仰け反った。
「『姿なき存在の呼び声』が本当に幽霊なのか、それとも誰かの陰湿な悪戯なのか知らねえ。もしかしたら、レイと呼んでいるように聞こえたのは、偶々かもしれない。だが、偶然じゃなかったら? 本当にお前か、あるいはレイという名前の人間を呼んでいて、お前がラビリンスに来ることで状況が変化するかもしれないだろ。この馬鹿々々しい騒動が終わるならまだしも、悪化した場合、責任は取れるのか?」
辛辣な言い方だが、オルドの言う事も一理ある。ロータスが団長を席へと戻すと、レイに向かって、
「団長の言い方はどうかと思いますが、私も同意見です。迷宮へと急ぐ理由が無いのでしたら、私達の調査が終わるまでは迷宮に入るのは自制されたらどうでしょうか」
オルドのように威圧的じゃない分、ロータスの助言は胸に染み込む。
「……そうですね。分かりました。その代り、幽霊騒動で進展があったら、僕にも教えて下さいよ」
「おう。分かってる」
鷹揚に返事をすると、オルドはカーティスへと目配せした。それは退席を促す合図だった。
狼人族は了解とばかりに、レイの腕を取った。急な展開に、レイは目を白黒させた。
「ちょ、ちょっとカーティスさん? どうしたんですか」
「空気が湿っぽくなっちまったからな。河岸を変えるぞ!」
叫ぶなり、カーティスはレイを掴んだまま店の一階へと飛び降りた。人を抱えた跳躍の筈が、着地の音は軽やかで、酒に酔っていても男が優秀な戦士だという証だ。
「よし、お前ら! 『緋星』のレイと差しで飲み比べしたい奴は居るか!? 最近、ちょっと調子に乗ってるやつの鼻っ柱を折りたい奴は前に出ろ!!」
レイの抗議の声は、それを上回る喝采と雄叫びに飲み込まれてしまった。
階下から聞こえる喧騒を肴にオルドは杯を空にする。
「随分とお優しい事ですね」
間をおかずに注がれる酒の音に混じって、ロータスが囁いた。
「何のことだ?」
「お惚けにならないでください。運営評議会が求めたのは専門家としての意見を聞くだけで、これの調査や対処は依頼していなかったでしょう」
矢で鎧の隙間を射抜かんばかりの鋭い指摘にオルドはニヤリと笑った。
「ばれたか」
「ばれますよ。カーティスも気づいていましたよ。評議会が本当に依頼してくる程の大事になっているなら、ギルドが情報統制しても自然と耳に入ってくるぐらい情報が拡散しているはずです。そうじゃないと言う事は、被害はさほど深刻では無く、評議会も直接的な行動を見送るつもりだったのでしょう。大方、運営評議会に自分から売込みしたんでしょ。クエストを公開して、冒険者を大々的に集めるよりも、一つの凄腕クランに任せた方が確実だ、とかなんとか言いくるめて」
「仕方ないだろ。たかが幽霊と侮って多くの冒険者が犠牲になるよりかは、俺達だけで事に当たった方が早く終わるぞ」
「それも嘘。本当は、レイさんたちへの風評を気にしての事でしょ」
途端に口籠り酒へと逃げる男の不器用な姿に、ロータスはくすりと笑った。
今の時点ではギルドによる情報統制は上手く行っている。幽霊騒動に関する情報は、ギルド内部と運営評議会で共有されており、被害に遭っていない冒険者たちは騒動すら知らない。
しかし、調査依頼を正式な形でギルドが出せば、情報は拡散される。幽霊と思しき謎の存在がレイの名を呼んでいる事も、その声を聞いた冒険者が不調を訴えている事も。元々、レイの存在は目立っている。この短期間で急成長したことに対して、悪感情を抱く者も存在する。例え、レイ達と会った事が無くとも、自分たちのランクをあっという間に駆け上がった者へのやっかみは避けようが無い。
それらが交わって妙な反応を起こして、今回の騒動がレイ達への悪評になる可能性は十分に考えられた。
「レイさんたちを知っている私達なら、何の偏見も抱かずに、調査、対処が出来ますしね。こちらからギルドに恩を売る事も出来ますし、悪い判断だとは思いませんよ」
「だが、その分お前たちに無理を掛ける事になるな」
「そうですね。人数分の恐怖への対抗力を上げるポーションなり装備を揃えなくてはいけませんね。明日も買い出しです。団長、荷物持ちは頼みますよ」
「……仕方ない。久しぶりに、本気を出してみるか」
「どういう意味なんですか、それって」
どこか楽しげな団長と副団長の会話も、そして一つ下で繰り広げられる宴も、名残を惜しむ様にいつまでも、いつまでも続いた。
読んで下さってありがとうございます。




