10-17 学術都市 『後編』
告げた名前に驚き立ち尽くす職員。薄く開かれた口に、丸くなる瞳に浮かぶのは困惑と戸惑いだった。
それは彼だけでなく、話を聞いていた他の職員も同様の反応だった。
受付を隔てて彼方と此方で、空気がまるで違っていた。
「えっと、何か問題でもありますか」
レイが尋ねると、職員は電源が入った機械のように動き出した。
「いえ、大変失礼しました。《ミクリヤ》のレイ様、ですね? ただいま、ご確認いたしますので、少々お待ちください。その間にプレートの更新を行いましょうか?」
職務に戻った男の提案に頷くと、彼は同僚へとアイコンタクトを送る。受け取った側もどこか戸惑いを残しつつも、メッセージがあるかどうか確認に走った。
これまでも、名前を告げて何かしらの反応はあったが、今回は大分奇妙な反応だった。
これまでの活動から、望んでいなくともレイの名前は有名になった。冒険者界隈で名前を、あるいは二つ名、パーティー名を口に出せば大多数が懐疑的な視線を、少数が憧憬や称賛の、更に少数は反感まじりの反応だった。しかし、今回のはどうにも奇妙だ。
まるで、噂話をしていた現場に、当の本人が現れてしまったような気まずさが漂う。問題なのは、それが《ミクリヤ》というパーティー全体にではなく、レイという名前に彼らが過剰な反応を示している事だ。
提出したプレートを更新する作業の傍ら、レイはカウンターの向こうを伺えば、手すきの職員がこそこそと言葉を交わしつつ、こちらに視線を向けている。
「変な感じ。職員から警戒……とはちょっと毛色が違うけど、なんだか妙な視線が向けられているわね」
シアラも気づいたのかそれとなく耳打ちする。
「何か、心当たりでもあるかしら?」
それに首を横に振ると、全員分のプレートの更新が終わった。丁度、パーティー宛のメッセージを確認しに行った職員も戻ってきた。
「レイ様。ギルドには、《ミクリヤ》宛のメッセージはお預かりいたしませんでした。他にご用命はございませんか」
他の用と言われて思いついたのは、学術都市の地下に広がる三大迷宮に数えられているラビリンスの情報だ。ギルドには、付近のモンスター分布のみならず、先人たちが持ち帰った迷宮の情報が蓄積されている。
冒険者たちはそれを参考に計画を立てて、迷宮へと潜っていくのだ。当然、レイ達もそれを参考にするつもりではいたのだが、
「いえ、今日の所は以上ですね」
と、言ってカウンターを離れたのだ。少し離れた所で様子を伺っていたモランヌが笑みを浮かべて近づく。
「用事は御済でしょうか。でしたら、次はどちらに向かわれますか」
「まだ、会議の方は終わっていないのですか」
「そうですね。……いましばらくは、お時間を頂戴したいかと」
モランヌは振り返り、時計を確認した。時刻は、昼を大分過ぎた頃だ。まだ昼食を取っていない事を思いだすと、途端に空腹を強く感じる。
「それじゃ、食事にしようか」
仲間に尋ねると、口々に賛成という言葉が返ってきた。意見が一致したため、それをモランヌに伝える。
「畏まりました。何か、ご希望のお食事処などはございますか」
「冒険者が多く通っている、安くて美味い食堂とかを教えてもらえれば助かります」
注文に、一瞬だけ目線を外したモランヌだったが、すぐに思いついたのか分かりましたと返事をして先導するように歩き出した。
最後に、ギルドを出る時にもう一度振り返れば、やはり職員たちの、何とも形容しがたい視線が途切れていないのだった。
モランヌの言葉に偽りは無かった。
案内された店は冒険者御用達の飲食店だ。安く、速く、美味しく、そして腹いっぱいにして客を送り出すのがモットーの店主によって繁盛している店らしく、昼の時刻を幾らか過ぎていても満席に近かった。
そんな中で無理を言って席を用意してもらい皆はめいめい注文を出す。モランヌも同席して、紅茶を注文していた。
「ここでの支払いは私達の方で払いますので、どうぞ好きな物を注文してくださいませ」
接待する側の矜持から出た言葉だったが、数分後に彼女の秀麗な美貌は固まっていた。
大きめのテーブルを埋め尽くすような皿の軍勢。その大半はヨシツネが注文し、平らげていく。特殊技能の代償とはいえ、やはり圧巻の食欲だ。それでいて、衣服で隠れた体躯は薄く、無駄な脂肪が一切ない研ぎ澄まされた刃を思わせる。どれだけのカロリーを一日で消費しているのだと首を傾げてしまう。
視線に気づくと、もきゅ、もきゅと頬張った肉を押し込めてから、
「御見苦しい所を、主殿。拙者、食べられる時には食べておかなければ死んでしまうゆえ」
「咎めている訳じゃないよ。むしろ、いつもは食料の在庫を気にして抑えていてくれたんだろ。こうして無事に学術都市に着いたのは、君の働きがあってこそだ。だから、目一杯食べてくれ」
どうせ支払いは自分の財布ではないのだ、という言葉は飲み込んだ。ヨシツネは嬉しそうに頷くと、食事へと戻った。
色とりどりの料理が机の上から消え、サービスとして紅茶が全員に振る舞われた。
どうやら店主がヨシツネの食いっぷりを気に入ったらしく、満面の笑みを浮かべてまた来いよと声を掛けた。支払いの金額を計算すると、思っていたよりかは安く済んだ。味も良く、店の雰囲気も悪くない。また来るとするかと頭の中に記憶した。
「モランヌさん、大変おいしかったです。ご馳走様でした」
支払いを終えて店を出ると、レイが頭を下げて言う。リザ達もそれぞれの言葉で感謝を伝えると、
「それは宜しかったですわ」
と、微笑んだ。もっとも、その口元は僅かに引き攣っていた。
支払いの段階で、これって経費で落ちるのかしらと呟いていたのは聞かなかった事にしよう。
モランヌは腕に巻いてある時計で時間を確認した。
「そろそろ、会議も終わった頃の筈。これから評議会館の方へ向かうので宜しいでしょうか」
「はい、構いません。評議会館というのは近いのですか」
「目と鼻の先とまでは言いませんが、近くにございます。ここからは歩きで向かいましょう」
そう言って、再びモランヌが先導して案内が再開された。彼女の言葉通り、そう遠くない場所に、その建物はあった。
モランヌが足を止めた左手にある建物をレイ達はため息と共に見つめた。
それは先程のギルド本部に比べても見劣りしない大きな建物だった。太陽の輝きを受けた白亜の建物は、細かい部分まで彫刻が施され、玄関に置かれた銅像は今にも動き出しそうな迫力がある。
「流石はこの街を取り仕切る評議会が集う建物ですね。相応しい風格と、威厳に満ちています」
率直な感想を口に出すと、モランヌからの反応は違っていた。彼女は不思議そうに首を傾げて、そしてレイの視線の先に気づいて納得の声を上げた。
「レイ様。彼方は都市文殿の一つでございます。評議会の建物は此方になっております」
そう言って、彼女は道を挟んだ反対側の建物を指した。
「こっちって……まさか、これ?」
思わず聞き返してしまったのは、あまりにも貧相だったからだ。いや、普通の都市にあればそれなりの規模ではあるが、文殿と比べれば何段も見劣りがしてしまう。それが表情に出たのだろう。モランヌはくすりと笑った。
「あ、いや、失礼しました。その、これだけの規模の街を治める人が働く場所としては随分と手狭なように感じてしまって」
「いえ、構いません。初めてここを訪れた方は、皆一様に驚きます。ですが、この建物こそ、街の誇りなのです」
そう言って建物を見上げる眼差しは、憧憬の光が混じっていた。
「『冒険王』が興したギルド、それを大きくした『科学者』。その資金力を元にして誕生したのがこの学術都市です。初代学長であり、立役者だった『賢者』は三人の弟子にそれぞれ役目を与え、ご逝去。代々、学長を継いできた方々は、みな繁栄の賢者を名乗られています」
デゼルト国でマクスウェルが語ったことが思い出される。
「繁栄の賢者の役目というのは確か、研鑽を捨て、都を繁栄せよ。折れる事の無い柱と為れ、でしたか」
「はい。賢者の二つ名を頂く方は、どの方も知に優れ、偉大な功績を残した方です。しかしながら、繁栄の賢者となれば、それを捨てなくてはいけません。残りの生涯を、都の維持、いえ、都の発展の為に尽力しなくてはいけません。そこに一切の私心は挟まず、我欲を捨て、学術都市を支える柱になるのです。そのため、自らの執務室をきらびやかにすることなく、清貧を貫く象徴してこの建物は使われ続けました」
熱っぽい語り口は止まる所を知らない。いつの間にか、瞳には狂信者めいた危ない光が宿っており、その迫力に、レイは口を挟めずにいた。
「ここは、初代学長が最初に作った学び舎の跡地に建てられたのです。以来九百年近く、存在しています。魔法などで補修や補強などはされていますが、次の世代、更には次の世代に引き継がれていく、まさに文字通りの柱です」
酸素を取り込むために一瞬言葉が途切れた。その隙を狙って、レイが口を開いた。
「なるほど! ここが貴方がたにとってとても大切な場所だと言う事は分かりました。ですが、ここで立ちつくしていると往来の邪魔になるので、中に入りませんか」
「も、申し訳ありません。いま、ご案内いたします」
己の役割を思い出してくれたモランヌの誘導に従って、レイ達も中へと入っていく。建物内は、外の見た目と変わらず古臭く、されど長年にわたって使いこまれたことで積み重なった重厚さが漂う。言ってしまえば、国宝指定された寺や神社と同じなのだ。
人の手によって受け継がれた建造物特有の重たい空気が自然と居住まいを正す。
働いている職員が挨拶を送る中、モランヌは上へ、上へと歩いていく。
そして目的の階に着くと応接室と書いてある部屋に誘導された。
「会議が終わったか確認を取りますので、ここでお待ちください」
了承すると、モランヌは廊下へと戻っていく。《ミクリヤ》だけになると、途端に室内の空気が和らいでいく。
「やっと、学術都市に着いたなぁ」
ソファに腰かけながら、レイは様々な思いを込めて呟いた。
ネーデの街を出発してから八か月も掛けて、旅をしてきたのだ。
本来なら、アマツマラを出て、東方大陸、南方大陸、そして中央大陸に戻って此処へ到着するのに二月から三月程度の筈だった。それが幾つもの事件や騒動に巻き込まれ、あるいは首を突っ込んでいるうちに半年近くの時間が経過していた。
長かった旅の、一つの目的が達成されたことに、レイは疲労感と共に手ごたえを感じていた。
その旅の始まりからほとんど共にしていたリザがそうですね、と同意した。
「長い、本当に長い旅でしたね。色んな方とも出会い、貴重な経験をしました」
「そうだね。あたしもこの八か月が、もっとも濃い時間だったと言えるな。色んな意味でね」
シアラやエトネも同様の意見なのか、少し遠くを眺めるような視線をしていた。一方で合流が最近だったヨシツネは肩を落として、
「拙者は皆様方と共有できる思い出が少なくて、寂しいでござる」
と、率直な気持ちを吐露した。
「あはは、大丈夫だよ。お兄ちゃんと一緒に居ると、すぐに色んな厄介事に巻き込まれるんだから。あっという間に思い出で首元まで浸かっちゃうよ」
「ははは。ちくしょう、何も言い返せない」
レティの辛辣な物言いにレイはぐうの音も出なかった。
すると、タイミングを見計らったように扉がノックされ、モランヌが戻ってきた。
「お待たせしました。会議が終わりまして、学長がお会いしたいとの事です。ですが、学長もご多忙の身ゆえ、誠に申し訳ありませんがお会いになるのはレイ様と、お付きの方一名様までとさせて頂きます。残りの方々は此方の部屋でお待ちになっていただけませんか」
「分かりました。それでは、ちょっと待っていてもらえますか」
恐縮そうに伝えたモランヌに断わりを入れて、レイはどうするべきかと仲間を見渡した。
学長と面会する目的は、大きく二つ。
一つは、学術都市で活動する際の後ろ盾になってもらう事。もう一つが、ナタリカことカタリナ・マールムがこの街に潜伏しているのを伝える事だ。
交渉の場において役立つのはレティとシアラの二人だ。しかし、レティを表に出すのは躊躇われる。となれば、残った選択肢は一人だ。
「シアラ、お願いできるかな」
最初から同じ結論に達していたのか、名前を呼ばれた彼女は立ち上がると服の皺を伸ばした。残りの皆に待機しているように伝えて、モランヌに準備が出来たと告げた。
「それでは場所を移しますので、こちらへどうぞ」
応接室を出ようとすると、丁度応接室前の廊下を団体が通り過ぎる所だった。ちょっと待ってから部屋を出ると、モランヌは集団とは別方向へと歩き出した。それに付いていく直前、レイは何気なく集団の方を見た。
後ろ姿だけでは判別できないが、誰もが身なりの良い格好をした人種もバラバラな集団が階段へと消えていく。その最中、視界に妙な者を捉えた。
それは集団よりも一つ分、二つ分と大きい男の禿げあがった頭部だ。
見事なまでに剃りあがった頭部は、間近で見れば、自分の顔が写るのではないかと思ってしまうほどだ。
視界に捉えたのはほんの一瞬。その人物は直ぐに階段を降りて消えてしまった。
「……いまのは……まさかね」
その特徴は、脳裏に浮かんだ大男と一致したが、まさかこのような場所ですれ違うだろうか。彼らが、この世界の何処を旅しているのか知らないが、約束もしていないというのに
同じ時期に同じ場所に集まるなど、それこそ運命の悪戯だろう。
「どうかなさいましたか」
「いえ、何でもありません」
疑問を片隅に追いやり、モランヌと共に学長室へと向かった。彼女が扉をノックすると、
「誰かな?」
と、重々しくも理知的な響きのする声がした。声だけで、学術都市の長たる風格を漂わせていた。
「モランヌです。冒険者レイ殿とそのお仲間をご案内いたしました」
「うむ、入って貰いなさい」
失礼しますと言って開け放たれた扉。
学長室と銘打たれた部屋は、この建物の中でも最も簡素で、機能的な空間だった。権力を誇示するような装飾品は無く、重厚な黒檀の机に、来客を迎えるテーブルとソファの一式がある程度。
その最奥に居た人物が立ち上がりながら、自己紹介をする。
「私が『三賢』が一人、繁栄を司る、学術都市運営評議会学長のグラッセと申します。初めまして、『緋星』のレイ殿」
そういった学長の姿は―――ゴリラだった。
読んで下さって、ありがとうございます。




