10-5 蒸気船 『後編』
「若い冒険者の間じゃ、貴方の事でもちきりなんですよ! シュウ王国首都で起きたスタンピード。A級冒険者である『岩壁』のオルドや元S級冒険者『銀狼』テオドールらと共に赤龍討伐に大きく貢献。そればかりか深層迷宮から生還したり、アクアウルプスで起きた『怪物の行進』やデゼルト動乱で名を上げた。彗星の如き存在なんですよ!」
まだ顔に幼さが残る冒険者は一方的にまくし立てると、瞳に興奮の色を隠そうともせずレイを見つめてくる。その視線に居心地の悪さを感じて、思わず逸らしてしまうと、彼の後ろに居た他の冒険者たちと目が合ってしまった。
彼らも、どこか熱病に浮かされた者の目で自分を見ていた。
突然、サインを求めてきた見知らぬ冒険者に、どうして自分の事を知っているのかと尋ねた際の返答が先程の熱弁だった。
「そ、そうなのか。僕の事が、そんなに広まっているなんて。恥ずかしいな」
本心では恥ずかしいどころではない。
自分の知らない所で、自分の事を面白おかしく語られているという状況は気味が悪い。現に、彼らは自分たちの中で思い描いていた《ミクリヤ》のレイと、実際のレイとの差を口々に言い合っている。
思ったよりも小さいだの、白髪と聞いていたけど左右均等じゃないのかだの、威圧感はあまり感じられないだの。
他人からの評価や視線を気にした事の無いレイにとって、彼らの無邪気な批評は耳に耐えがたかった。
そもそも、なぜ自分のサインなんかを欲しがるのかも謎だった。サインという名称もどうして知っているのか。
「あのね、主様。冒険者の習わし、っていうかおまじないにそういうのがあるらしいの。有名な冒険者の名前を持っていると、幸運に恵まれるとかなんとか」
そんな疑問を読み取ったかのように毛布と一体化しつつあるシアラが耳打ちをした。結構な高値で取引されるらしいわよ、と補足した。
現代日本でも、有名人のサインは高値で取引されている。羊皮紙というのも、売りやすさを重視しているのだろう。
押し付けられた羊皮紙を冒険者に返すと、
「悪いけど、サインとか書かないよ。僕はまだまだ駆け出しの冒険者。そんな物を偉そうに書ける様な立場じゃないから」
と、固辞した。それで評判が悪くなるのなら、それでも構わないと思って頭を下げる。
ところが、相手の反応は予想と違っていた。
「―――かっこいい」
「……はぁ?」
顔を上げると、少し年上の冒険者は目を爛々と輝かせて、
「高名な冒険者なのに、どこまで謙虚に振る舞うんですか! 年下とは思えない落ち着いた貫禄。もう、もう、カッコ良すぎます!」
ヒートアップする少年にレイは相槌を打つのも面倒になってきた。何より、彼らが騒いでいるせいで周りの注目を集めていた。誰も彼もが此方を向いて、人垣が生まれつつあった。
どうするべきかと悩んでいると、袖が引っ張られた。それはシアラの手だった。
彼女は毛布の中から顔を出すと、
「主様。悪いんだけど、船にちょっと酔ったわ」
と、儚げな声で囁いた。白い肌も相まってか、いまにも倒れそうな雰囲気だった。
「大丈夫かい。横になって水を飲むか」
レイが言うと、ヨシツネは将棋を脇に寄せてシアラが横になれるスペースを作ろうとした。だが、彼女はそれを断ると、
「少し、外の空気を吸えば大丈夫よ。だから、連れてってくださらないかしら」
「それが良いでござろう。拙者が荷物と場所取りをしておりますゆえ、御二方はどうぞ甲板へ」
ヨシツネの勧めもあり、レイはシアラを上に連れていくことにした。
「すまない、皆さん。仲間の調子がすぐれないので、道を開けてください」
「お話の最中に邪魔をして、ごめんなさい」
「い、いえいえ! こちらこそ、騒いでしまい、すいません。ほら、お前らも」
少年は首が千切れそうな勢いで横に振ると、仲間を突き飛ばして道を開けた。レイはシアラに手を貸して、三等客室を出た。
去り際に後ろを振り返れば、若い冒険者も、集まった人垣も元の場所へと戻っていく。一人居残りを選んだヨシツネが、大丈夫だと頷いた。
レイはシアラの手を取りながら、
「もう大丈夫だ。追いかけてくる人たちも居ないし、あっちも解散したよ。だから、演技は止めて大丈夫だ」
「あら、残念。こうしていれば、堂々と主様と手を繋げたのに」
それまでの弱々しさが一変。シアラはレイの手に指を絡めると、肩に頭を預ける。途端に、自分とは違う匂いがレイの鼻をくすぐった。同じように旅をしているのに、不思議な話だ。
「それにしても、ヨシツネはともかくとしても、鈍い主様がよくワタシの演技を見破ったわね。どこか変だったかしら」
「そんなの一発で分かるよ。だって、いつだって見ているんだから」
シアラが船酔いしたかのような演技をしたのは、困っている此方を助ける為だとレイは見抜いた。ああいえば、取り囲んでいた者達も引き下がるしかない。事実、彼らはシアラの演技を見抜けずに引き下がってくれた。
レイの言葉にシアラは瞬きを繰り返し、そして嬉しそうに微笑んだ。ご機嫌な様子の彼女にどうしたのかと尋ねようとするも、それを遮って廊下に声が響いた。
「あー! お兄ちゃんとシアラお姉がいちゃついてる!」
「いちゃついてる」
振り返れば、そこに船を探索に出たレティとエトネが立っていた。となれば、当然リザも居るのだが、シアラは反応を見るのに一瞬躊躇してしまう。視線を下に向けて、視界に入れないようにした。
「いちゃついている訳じゃないよ。これには訳があるんだ」
「そうですか。そうですよね、そうでしょうとも。訳が無ければ、こんな往来で手を繋ぐ必要なんてありませんものね。……ねぇ、納得のいく説明を聞かせてもらいますよ、シアラ」
ねっとりと名前を呼ばれた瞬間、シアラは背筋に冷たい汗を流した。
蒸気船の煙突から白い蒸気が吐き出されていく。それが灰色の空へと吸い込まれていくのを見ていると、まるで雲を作る船だなとシアラは思った。
「それにしても、人が少ないですね。やはり、この気候では甲板に出ようとする人はあまり居ないのでしょうか」
上を見上げていたシアラとは対照的にリザは視線を周囲へと向けていた。
油断なく辺りを見回すが、甲板に居るのは《ミクリヤ》以外には船員のみだ。レイ達は、彼女らが居る船の縁とは反対の方で川を眺めていた。
三等客室に戻れば、またしても冒険者たちに捕まって囲まれてしまうだろうから、時間を置いてから戻る事になった。
リザは俯瞰でレイ達を視界に捉えながら辺りに怪しい動きをする者を探していた。手は腰に提げてある精霊剣の柄に伸びていた。
蒸気船の中は武器の持ち込みは禁じられていないが、三等客室を利用する者は武器に札を貼るのが義務付けられている。特別な力を持った札という訳でなく、下船の際に破れていたら罰金を払う必要がある。
「そんなに気を張っていたら、本当に必要な時にぐだぐだになっちゃうわよ」
神経を張り巡らせ、精神を集中させているリザにシアラは呆れつつ言う。だが、リザは緊張した面持ちを崩さないまま返した。
「気を抜きすぎたら、いざという時に対応に遅れるかもしれないわよ」
「あら? それってさっきの手を握った事を言ってるのかしら」
唇の端を上げて言うシアラに、リザはぐっと押し黙った。その反応すらシアラにはからかいの材料だった。
「リザも手を繋ぎたいのなら、そうおねだりすればいいのに」
「な! そ、そんなこと、で、で、出来るはずが無いでしょう!!」
「あらあら。しない、じゃなくて、出来るはずがって言うのは本心ではしたくてしたくて堪らないって事かしら?」
「あ、ぐ、む……黙秘します」
もう答えているじゃないとシアラは笑ってしまうと、リザは余計に口を堅く閉じた。流石にこれ以上はからかってはまずいと判断して、シアラはごめんと謝った。
「……謝られる事じゃありません。……それよりも、シアラ。最近の貴女は、その、何と言うか、レイ様に対して近くありませんか」
リザの口から出た意外な言葉にシアラは黙ってしまう。リザも自分らしくないとは思いつつも、疑念を口に出した。
「その、今まではレイ様に対して越えてはいけないという一線を引いていたように思えたのですが、最近はその線引きが曖昧になってきたように思えて。……申し訳ありません。私の勝手な勘違い、不快にさせたのなら謝罪します」
そう言って頭を下げようとしたリザをシアラは押しとどめた。
「勘違いじゃないわよ。リザの見立ては間違ってないわよ」
シアラは自分の髪を弄りながら、自分の思いを語る。
「主様に対して、距離を詰めているって言う見立ては合ってるわ。そして、自分から意識してそうしているのも正しいのよ」
「……その、なぜそうしているのか聞いても良いですか」
「ええ、もちろん。きっかけは、主様が暗示を解いて、自分が御厨玲じゃないと知ったからよ」
リザはシアラの口にした理由に、やはりそうかと思った。
彼女の行動が積極的になったのは、あの日以降だ。
「今までは、主様は将来元の世界に戻る。この世界には居られない、って思ってたの。だから、あんまり深入りしない方が、別れる時に辛くないって自分に言い聞かせていた。でも、あの人が御厨玲じゃないと告白した時、ワタシはこんな風に思ったの。もしかしたら、この人は―――」
「―――この世界に残ってくれるんじゃないか、ですか?」
自分の考えを先んじられたことにシアラは驚きリザを見つめた。すると、彼女の相貌がバツの悪そうに歪んでいるのを見て、同じことを思ったのだと納得した。
「そう。そうよ。ワタシもそう思った。御厨玲じゃない、レイは、この世界に残る。そう思えた時、ワタシはちょっと我慢が効かなくなったの」
「我慢、ですか? それはどういう意味ですか」
「知ってるでしょ? 魔人種は人間族に比べて歳の取り方が遅い。雑種であるワタシでも、五年で一歳。ワタシが二つ歳を取る間に、主様は十も歳を取るの。一緒に老いる事は出来ない。今までは、別れると思っていたから寂しくないと自分に言い聞かせてきたけど、残ってくれるかもしれないのに、先に老いて、置いてかれると思うと寂しいの」
自らの胸に手を当てて寂しそうに笑うシアラ。それを見て、リザは何と言葉を掛ければいいのか分からなかった。
人の中に取り残された魔人種である彼女は、ゆっくりとしか歳を重ねられない。自分たちが死んでも、彼女は残る。同じ長命種であるエトネ以外は。それを想像するだけで、寂しさに心が抉れそうだ。
「だから、思ったの。主様の子供が欲しいなって」
「そう、子供ですか。……こども? 子供、というのは、あの好いた男性と同衾して、その出来る、あの、子供?」
動揺するリザに対して、シアラは一言、そうよと返した。
あまりのあっけらかんとした様に、リザは口をぱくぱくと動かすだけで何も言えなかった。
「主様との思い出として、好きだった人の子供が傍に居れば、失う悲しみも耐えられるとは思わないかしら?」
「それは……そうかもしれませんが」
「勘違いしないでほしいけど、何も今日明日にも手を付けてもらう、なんてことは考えてないわよ。でもいずれは、というか最終的には、そうしたいと考えているのよ」
「……言葉も出ないほど、驚きました」
旅の仲間が思い描く未来予想図に、リザは文字通り魂消ていた。
明日の事も、将来の事も考えられない状況で子供とは。だが、未来に明るい想いを託そうとする方が健全なのかもしれない。そんな風に考えていると、シアラはリザの顔をしたから覗き込んだ。
「どうかしたのですか?」
「リザはさ、どんな風になりたいの。帝国の事とか、主様の事とか、世界の事とかが終わった時に、どんな風になっていたいの?」
未来で、どんな風になりたいのか。そう尋ねられ、リザが頭に描いたのは―――いまと変わらない光景だった。
「同じ、です。今と同じで、レイ様が居て、レティが居て、エトネが居て、貴女が居て、笑っていればそれで十分です」
嘘偽りの無い、素直な気持ちを吐露した。それは過不足なくシアラに通じた。彼女は口元を緩めると、リザを抱き締めた。
「嬉しくなる事、言ってくれるじゃないの!」
「シ、シアラ! 恥ずかしいですから、離してください!」
ぎゅうと抱き締めるシアラに言うも、彼女はやだーと子供のように拒否した。無理に引き離そうと思えば出来たが、どうしてだかリザはそれをしなかった。
ようやく満足したのか、シアラはリザを解放すると瞳に真剣な色を浮かべて口を開いた。
「でも、今の光景にヨシツネは居ないのよね」
意識せずに口から出た願望。それは裏を返せば、リザの素直な心情を如実に表していた。
ヨシツネの名を聞き、リザの表情が硬くなるのをシアラは見逃さなかった。
「どうしたっていうのよ。随分と、あの新参者に冷たいわよね」
「……気づいていましたか」
「当たり前よ。ワタシだけじゃなくて、レティやおちびも気にしてたわよ。真面目な話、あの二人が船の探索に出たのも、アンタをヨシツネから離す為でしょうね」
妹たちに気遣われていたのだと、リザは今頃になって気づいた。
「で? なんでアイツに対して身構えた態度を取っているのよ」
「……聞いても、笑いませんか」
「……答えにもよるわよ」
予想外の返しにシアラは一瞬口籠ってしまう。リザは一、二度、深呼吸を繰り返して落ち着いてから絞り出すように言った。
「その、ヨシツネ殿が来てから、レイ様があの方を重用するのを見て、胸が騒めくのです」
「…………はぁ?」
あまりにも予想外過ぎた答えに、シアラは笑うどころか反応に困ってしまう。そんな彼女の様子に気づかないままリザの告白は続いた。
「いえ、頭では分かっているのです。同性ということも、ダリーシャス王とは違い身分差が無く、隔てなく接せられる人物だという事は。ですが、それでも事あるごとに話しかけたり、あの人が作った将棋に熱中したりと。最近では……肩に凭れながら眠っているじゃないですか!!」
くわっ、と青い瞳がこれでもかと開かれ、シアラはリザの迫力にたじろいでしまった。一通り吐きだせたのか、リザは肩で息を吐きながら汗を拭った。
「つまり、纏めると。ヨシツネが来てから、主様がヨシツネと一緒に行動しているのを見て、こうもやもやしていたと言う事で良いのかしら?」
「はい。……お恥ずかしい限りです」
耳まで真っ赤にするリザに、シアラはふとした疑問を尋ねた。
「あのさ。ワタシが主様と手を繋いでいるのを見た時と、ヨシツネとショウギを指している時。どっちの方がむかむかしたの」
「その、後者です」
恥じらいながらも、迷いない回答にシアラは眩暈がした。
「ワタシといちゃついているよりも、ヨシツネと一緒に居る方がむかむかするなんて。これって敵と見做されていないの? ワタシ、眼中にないの」
「あの、やはり、私はどこか変ですよね。どうかしてますよね」
心配そうにするリザに、シアラは両肩を掴んで言い放った。
「変よ。もう、手遅れなぐらい重傷よ。ご愁傷さま」
「あっちはなんだか騒がしいな」
反対側の船べりで追いかけっこをする二人を、レイは何をやっているんだと肩を竦めた。
あの二人の事だから、いまが安全だと分かっているから遊んでいるのだろうが随分と気を抜いているなと判断した。
まさか、自分が原因でああなっているとは露とも知らず、呑気な発言であった。
ふと、傍に居るはずの二人がしゃがみ込んで、顔を寄せ合っているのに気が付き、どうしたのかと近づいた。
二人はエトネの持っていた鞄を床に下ろして覗き込んでいた。
その中にあるのは二色の斑点模様をした卵だ。
エトネが大事そうに持ち歩くことの卵、実はモンスターの卵だった。
デゼルト動乱の際に、キュイが何処からか拾った物で、どんな種類なのかすら分からない謎の卵だ。エトネとは奴隷契約を結んでおり、孵化した後は彼女の言う事を聞くはずだ。
普段は馬車の中で大切に温められているのだが、馬車は小さくなってレイのポケットの中だ。エルフの技術で大きさを変えられる馬車は、生き物が中にあると効果を発動できない。
そのため、卵はエトネが持ち歩くことになっていた。
「それってモンスターの卵だよね。どうかしたのかい」
尋ねると、エトネは卵を見つめたまま答えた。
「いまね、ちょっとうごいたきがしたの」
「だから、どこかひび割れていないか確認中なの」
そう言って、卵を取り出して上から下まで眺める二人。人の頭よりも大きいそれを、レイも眺めているとおかしな事に気づいた。
キュイが拾った卵は、白地に青色の斑模様だったはずだ。それが、今こうしてみると紅色の斑点が増えているのだ。
どういう事だと首を傾げていると、後ろから甲高い声が響いた。
「ねえねえ、君達! それってもしかしなくても、モンスターの卵じゃないのかい」
振り返れば、船の手すりに掴まりながら、白衣を羽織った女性が軽快な足取りで近づいてきた。
「ああ、怪しい者じゃないよ。ただ、それをちょっとワタシに見せてくれないかな」
眼鏡越しにある茶色の瞳がにこやかに笑みの形を作る。
読んで下さって、ありがとうございます。




