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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第10章 世界の中心
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10-1 帝国の影

 人々の際限なき欲望が生み出す腐臭漂う街、ウージア。底なしの快楽と狂った享楽を求めて堕落した人間が集まる。表面上はきらびやかな街並みだが、細い路地などを覗けば暴力の爪跡が当たり前のように転がっている。身ぐるみを剥がれ、あるいは何者かによって殺された死体があっても、誰も気に留めない。


 そんな暴力が泥のように沈殿して層を為しているからこそ、闇にしか生きられない者が集まってくる。


 歓楽街から少し離れた倉庫街。シュウ王国の主要な街道が交差するウージアでは、連日大量の荷が運ばれ送り出されていく。そのせいもあって見た目は同じ倉庫が幾つも並んでいる。その中の一つは本来の目的とは違う使われ方をしていた。


 肉を叩く音がする。


 掌ではたくのではなく、何か重たい物で、深く、深く刻み込むような音だ。音の響きだけで、痛みが骨まで伝わってくるようだ。


 がらんとした倉庫に男が一人、椅子に座らされ拘束されている。衣服は脱がされ、むき出しの肌には赤黒い染みが斑点のように浮き出ている。意識は朦朧としているのか、うつむいたままだ。それを、男の眼前に立つ黒装束が髪を持ち上げ様子を窺った。


 そして息があるのを確認すると、手にしたブラックジャックで男を殴打する。砂の入った革袋が肉を軋ませ、男の口から何度目かの悲鳴が上がった。


 一種の儀式めいた行為を、同じ姿の黒装束たちが見つめている。じっと、感情を欠片も感じさせない瞳で、何時まで続くのか分からない演奏を見守る。


 そんな集団から距離を取って佇む老人がいた。


 深く刻まれた年輪のような皺に固く結ばれた口元は、どこか苛立ちを隠せない様子だった。


 すると、扉が薄く開かれ近づきつつある冬の寒さが倉庫の中を撫でた。老人はそれに顔をしかめた。


 ある戦いで失った右手は、今は鋼鉄の義手が代わりを務めている。高性能な義手ではあるが、生身との接続面は寒さに反応して鋭い痛みを与えるのだ。痛みを誤魔化す為に右手を動かしている老人に、黒装束の一人が足早に近づく。


「頭領。至急お耳に入れた事が」


 部下の急いた様子に何かあったのかと老人は尋ねた。


「本国に残した者達から連絡が入りました。ご子息が討ち死に致しました」


 老人は告げられた内容に、それまでの不機嫌さは払しょくされ破顔した。ぱっくりと割れたような口元に笑みを浮かべ、


「そうか! あの愚息めが死んだというのか。それは真であろうな」


「間違いなく」


「ふふふ。この地に追いやられて幾年。奴が死ぬまでは戻る事は出来まいと覚悟していたが、これで潮目が変わったな」


 自らの息子が死んだというのに、涙一つ流さず喜ぶ老人の姿に周囲は軽蔑どころか同調した。それもそのはずだ。ここに居る男たちは老人の息子によって故郷を追われたのだから。


 老人の名はガシャクラ。元は帝国に古くから存在する諜報組織の頭領だった。だが、自身の息子と対立し、その座を追われ帝国からも逃げ出した敗北者だ。現在は帝国皇室から嫁に出たジョゼフィーヌの元に身を寄せていた。


 帝室の中でも最も悪辣で権力と財力を持ち女帝と冠される人物ではあるが、やはり帝位継承権から外れた傍流。いわば僻地に逃げ込んだのと同じだ。それゆえ、こんな場所で辛酸をなめる事になった原因に対して、彼は並々ならぬ憎悪を抱いていた。同時に自分が返り咲けるようにと、本国に配下の者を残して、情勢に動きがあれば逐次報告するように手はずは整えていた。


 それが功を奏した。実子の死が一つの転機になると逸る気持ちを押さえつつ、表面上は冷静を装い、話を続けた。


「それで、現在の一族を率いているのは誰だ」


「はっ。ご子息のご息女が代行という立場で率いているとの事です」


「あ奴の……娘? おかしな話だな。我らの一族は代々男子が頭領を務めるのが習わし。それ以前に奴には息子が何人かいたはずだ」


 息子の子供、つまりは孫の事だというのにガシャクラは正確な人数を把握していなかった。


 孫娘と聞いても、その顔すらおぼろげだ。


 これは老人性の痴呆などでは無く、息子が父親に対して子供の情報を秘匿していた為だ。いつか対立した時に、肉親を人質に取られないための策。この親子関係はとうの昔に破綻していた。


「それが、ご子息のご嫡男、及び男子は帝室に起きた騒乱に巻き込まれ、悉く討ち死に。一族も分離の危機にございまして、そこを纏めているのが御仁の娘だとか」


「帝室の騒乱というと、魔人との協力関係に関する一件か。愚か者め。大方、肩入れする御方を間違えて、足元を掬われたな」


 熱砂の大陸で起きた、世界を揺るがした戦いは海を隔てたウージアにも当然届いていた。


 王位継承で揺れるデゼルト国を舞台に、帝国と魔人が密約を交わして、軍を動かしていたという報せは、瞬く間に広まった。全ての魔人がデゼルト国に結集したとも、あの『魔王』すら参戦しただの噂には尾ひれが付き、人々の口を経ていくうちに変容していったが、基本的な事実は形を変えずに周知された。


 帝国が魔人と手を結んだという一点だけは、正確に広まった。


 帝国にとって最も隠したかった事実だけがゆがめられることなく広まったのは、まるで誰かの作為を感じずには居られない。


 人類の敵と法王庁が定めた『魔王』とその一派と関係を結んだという事実は、さしもの帝国でも痛恨の一撃となった。帝室は誰に責任を取らせるかで紛争し、領民たちは国の上層部が世界に対して喧嘩を売るような真似をした事に不信感を抱き、他国は巻き込まれては堪らないとばかりに距離を取った。


 結局、帝国は帝室の中に暴走した人間が居たと声明を発表。その者の首を落す事で、決着を付けようとした。周辺国は納得しなかったが、当事者であるデゼルト国側が帝国の謝罪を受け入れたのだ。その裏で膨大な金銭のやり取りや、様々な便宜を図る工作があったのは想像に難くなく、復興に向けて歩き出したデゼルト国にすればこれ以上深入りして帝国の逆鱗に触れる事を避けたのだろう。


 人生の大半を帝室の人間達に捧げたガシャクラだけに、彼らの闘争が血みどろで、この世の汚泥を更に濾して煮詰めた物だと理解していた。それに巻き込まれれば、命などあっという間に消えてしまう。


 一瞬、頭領の座を奪った息子に対して憐憫の情が浮かびそうになるが、ガシャクラはそれを、頭を振って落とす。これから、自分は彼の娘、自分の孫娘から頭領の座を奪う事になる。情けは無用だ。


「それで、儂の孫娘はいま、本国に居るのか。一族内での後見人は誰なのだ」


 問いかけに対して、報告をしに来た男は言葉を詰まらせた。おかしな様子の部下に怪訝そうに眉を顰めていると、告げられた内容にガシャクラの表情は一変した。


 憎悪と憤怒が入り混じった形相に、思い出すのは腕を無くした時の痛みだった。








 ウージアの中央。そこに女帝の城はあった。


 開け放たれた塔の窓から聞こえてくるのは艶やかな嬌声。それは人の体を鍵盤に見立てた演奏のようでもあった。白い指先が柔肌を押して、反応を確かめる。吐く息が肌に当たるだけでも悦びの声は上がる。


 天蓋付きのベッドをキャンバスに、裸身の女性が二人、まるで溶け合うかのように肌を合わせていた。片方はこの街の主にして女帝と冠される女性。もう片方は、彼女の影として付き従い、名前と存在すら捧げた従者だった。


 短く揃えた黒髪をジョゼフィーヌは愛おし気に撫でる。それだけで従者は昂るのを自覚していた。昼間は男装をしている彼女だが、この伽の間は全てを曝け出して与えられる快楽を甘受していた。


 ジョゼフィーヌにとって肌を合わせるというのは、一種のコミュニケーションであり、人を操る方法であった。転生を繰り返す事千三百年。途中に空白期は何度かあったが、磨かれた技術は隔絶された物があり、性の区別なく誰もが彼女の虜となる。


 それは技能スキルの領域を超越して、神々の権能の域に達する、ただの技術だ。至上の快楽を知ってしまった者は、彼女から逃れる事は出来ず、過去に絡めとられた者達は彼女の死に絶望して後を追う者が断たなかった。


 そんな至高の時間を邪魔するように、扉が叩かれた。音に気付いたジョゼフィーヌが従者の体から舌と指を離すと、彼女は切なそうに声を上げた。


「お楽しみはまた後で。誰か来たようよ」


 従者は扉をきつく睨んだ。その向こう側に居るであろう邪魔者を視線で射殺さんばかりの眼力だ。そして、己の本来の役目を思い出してベッドから立ち上がる。普段は中性的な容姿に颯爽とした振る舞いも相まって、城中のメイドから懸想されているのだが、情交の途中だからか腰が砕けて、満足に歩くことすらできない。そんな従者をジョゼフィーヌはかわいい子だと見つめた。


「な、何用だ、こんな夜更けに」


「申し訳ありません。しかし、火急の折にて、至急お耳に入れたき議がございました」


 声で扉の向こうに居るのがガシャクラだと従者は理解した。頭の中で、ガシャクラに命じた仕事の内容を思い出し、それに関連した何かなのかと身構えた。


 ところが、続けて発せられた内容は従者の予測を裏切った。


「《ミクリヤ》の小僧に関して、帝国にて動きが確認されました」


 その名前に従者は背後を振り返ると、ベッドに体を横たわらせ、それこそ裸婦画のモデルのようにしていたジョゼフィーヌが、一瞬だが歓喜に顔をほころばせたのを見逃さなかった。


 恐らく、自分を含めた彼女に虜にされた人間全員が見た事も、そしてさせる事も出来ないその表情に従者は胸を張り裂けんばかりの慟哭を上げたくなったが、そんな醜い本心を曝け出す訳にもいかず視線で主に問いかける。


 ジョゼフィーヌは浮かべた素の感情を打ち消すと、妖艶に微笑む。


「話を聞くわ。ガウンを取って頂戴」


 従者は言われるがままガウンを取り、立ち上がったジョゼフィーヌに背後から着せて、そして自分の分も羽織ると扉を開けた。


 開け放たれた扉の外に居たガシャクラは膝を突き、顔を伏せていた。そのままの姿勢で、そこから動かずに彼は報告をするのが決まりだ。


「それで? 《ミクリヤ》のレイに関して、帝国がどのように動くのかしら」


「はっ。我が手の者がもたらした情報によりますと、帝室内のいずれかの皇子から、《ミクリヤ》に所属するレティシアという少女を誘拐、あるいはそれが不可能ならば暗殺するように指令が下された模様」


 従者が用意した椅子に深く腰掛け、足を組むときめ細かい肌の太腿が露わになった。


「レティシアの誘拐か、暗殺、ね。エリザベートに関して何もないの。……ふーん」


 面白いとばかりに頬に手を当て考え込む主に代わり、従者がガシャクラに質問を投げかけた。


「その命令を飛ばしたのはどの皇子なのかは」


「申し訳ありませぬ。それはまだ不明でございます。今の所、本国に居ります我が一族に、その命が下った事しか判明しておりませぬ。詳しき情報は、これからとなりまする」


「貴様の一族となると、確か息子が頭領を務めているのだったか」


「いえ。此度の政変に巻き込まれ、愚息、並びに彼奴の息子らも死亡したようで。いま、一族を率いているのは孫娘なのですが、やはり急場しのぎの代役。一族を纏め挙げられていないようで、簡単にこの情報が儂の所まで伝わった次第です」


 ガシャクラと従者のやり取りを聞いていたのかどうか、ジョゼフィーヌは静かな沈黙をうち破って発言した。


「レティシアだけを狙ったとなると、間違いなく陛下の命令ではないわね。暗殺では無く誘拐を優先したとなると、あの子の価値を正確に理解して、利用したいと考える誰か、ということね」


 それは従者やガシャクラに対する説明というよりは、自身に対して考えを述べる独り言に近い。ジョゼフィーヌの影として、あの姉妹の秘密を知る従者ならば意味は理解できても、帝室の恥部を知らないガシャクラには意味が分からなかった。


「第一皇子の差し金という線は?」


「それは無いわね。あの人なら、こういった直接的な行動を取る者を背後から討つわ。だって、あの二人を生かしておいたのは、そのためですもの。きっと、今回の政争で負けはしなかったけど、大分追い詰められた誰かの仕業ね。あの子を手に入れて、一気に皇帝の座を狙うつもりよ」


 エルドラド最大の国家である帝国。その中枢である帝室は王位継承順位がそのまま力となっていた。生まれた順に付けられた格付けをひっくり返すには、それ相応の働きか、あるいは望外の幸運を待つしかない。本来ならあり得ないはずの幸運が、この数か月の間に発見されたのだ。


 帝国を最強足らしめる矛、『勇者』ジグムント。それを御すことのできる少女、レティシア。彼女の存在が帝室に与えた衝撃は、隕石に匹敵する。不義の交わりから生まれた子は、皇帝を飛び越えてジグムントに対する命令権を所有していた。彼女を手に入れる事は、そのまま『勇者』を手に入れる事と同意なのだ。


 魔人達と手を結んでいたという事実が発覚して、粛清と弾圧の嵐が通り過ぎ去った帝室に芽吹く新しい騒乱の芽にジョゼフィーヌは頬を緩ませる。


 全てが自分の思うがままだった。


 帝国が魔人と協力関係を結んでいたと各国にそれとなく広めたのも、兄弟や肉親の対立を煽り、帝国国民の感情を悪化させ武器を提供して反乱の動きを作ったのも、レティシアの存在を匂わせたのも、全てはジョゼフィーヌのおぜん立てだ。


 本来なら身内である帝国を追い詰めるような事をしたのは、本当の身内である者達のために、帝国の持つ力や立場を削るためだった。


「誘拐というのも欲の表れよね。少しでも第一皇子に近い位置にいるのなら、あの子が他国に渡られるのを防ぐために暗殺を優先するもの」


 ジグムントを止められると言う事は、帝国が侵略戦争を始めた時に、その先鋭たる絶対の矛を止められるどころか、奪う事も出来る。帝国が外征を諦めていないのは、デゼルト国での振る舞いを見れば一目瞭然。それに対抗する手段を、周辺国が求めない訳がない。


 先手を打つためにレティシアを暗殺するのではなく、誘拐するのならばそれは外向きではなく内向きの対抗策だ。


「まあ、いいわ。誰が命令したにしろ、それは此方の望む事。それよりも……ねえ、ガシャクラ」


 問いかけにガシャクラは顔を上げずに返事をした。


「その命令を下されたのが貴方の一族なら、それに介入する事は出来るかしら」


「いまから、ですか。……それは難しいかと、《ミクリヤ》の現在の動向はカプリコルを出たとの事。流石に今からでは追いつけませぬ」


 ウージアがあるのは東方大陸。カプリコルがあるのは中央大陸の西側だ。海を渡り、閉鎖的な国家を越えてとなると時間も手間もかかってしまう。だが、ジョゼフィーヌは違うとガシャクラの考えを否定した。


「直接的な介入ではないわ。ちょっとした力添えをしたいのよ。貴方の孫娘にね」


 そう告げたジョゼフィーヌの表情は、どこまでも楽し気に歪んでいた。


読んでくださって、ありがとうございます。


10章も隔日投稿を目指していきます。

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