9-38 僅かな可能性
狼人族との別れは覚悟していたような重く、冷たく、後悔が残るような物とはならなかった。一部ではあるがエトネに対して歩み寄ろうとする考えが芽吹いていた。それが華を咲かすか、あるいは腐ってしまうのか分からないが、それでも未来への希望が残る別れと言えた。
それゆえ、馬車の中は柔らかい日差しを浴びた様に明るく、特にエトネが嬉しそうに鼻歌すらしていた。
「ご機嫌だね、エトネ。里の人の中に、君を理解しようとする人が出来て、良かったね」
「うん! だから、エトネはがんばらなくちゃ。おばあちゃんや、ムワイおじさんのきたいを、うらぎらないために」
男子三日会わざればなんとやら。エトネは女子だが、人が成長するのに、三日ですら長い時もある。腕を高くつきあげた少女を微笑ましく思っていると、その背後にぬるりと現れた人影と目が合った。
金色黒色の瞳は黙っていろと命じていた。レイはその強烈なメッセージに従った。
「やる気は十分ね。それじゃ、まずは勉強の時間といきましょうか」
エトネの首が油を刺し忘れた歯車のように動くと、にんまりと笑うシアラを見て頬が引きつった。
「えーと。また、あした、じゃだめかな」
「駄目よ。鉄は熱いうちに打てと言うでしょ。今日は字のおさらいよ。おちびだけじゃなくて、もう一人教える事になったんだから。びしばし行くわよ!」
もう一人とはヨシツネの事だ。何しろ、彼が転生した時間軸のエルドラドと、今のエルドラドは千三百年分の違いがある。歴史や思想、文化は勿論の事、此方の時間軸でしか誕生していない技術などを彼は知らない。特に、『招かれた者』が生みおとした物である、エルドラド共通言語、魔法工学、そして新式魔法などに関しては、エルドラドに来たレイと同程度だ。これらは、この先冒険者として過ごしていく上で、重要になる知識だ。
そのため、シアラ先生による短期促進教育が施される事になった。具体的にはカプリコルを出るまでに、最低限の知識を身につけて置かなくては、ボロが出かねない。
馬車の中で正座をして、授業の開始を待つ姿は何処か楽しそうですらあった。
「お、おにいちゃーん」
助けを求めて縋るように言うも、レイは優しく、
「エトネ。僕は感動したよ。あの村民を前にして堂々とした君の決意表明にね。だから、頑張っておいで」
と、言って送り出した。魔法で拡張された馬車の中を、エトネはシアラに首根っこを掴まれたままずるずると連れていかれた。そこに待っていたヨシツネに並ぶと、シアラの授業が始まった。
「何はともあれ、無事に集落を脱出できて良かったですね」
入れ替わるように馬車の後端に腰を下ろしたリザの言葉に、レイは頷いた。
「最初はどうなるかと思ったけどね。あんな災害が起きていて、エトネに対して村民が憎しみを募らせて……おまけに肉親は本気で命を狙っていたし」
「そうですね。もっとも、その問題は解決していませんが」
言うと、緊張した青い瞳が、馬車を先導するミエリッキへと向けられた。
村民の一部と、最低限の和解を果たしてもなお、彼女の中にある煮えたぎった油の如き憎悪は冷めていない。事前の取り決め通り、彼女の武器や毒の類は一切回収させてもらった。ヨシツネに毒の分析を頼んだところ、やはり猛毒らしく、死に至らずとも呼吸困難、意識の混濁、四肢に麻痺を発症させるという。
彼女が次は何を企んでいるのか不明だが、しばらくは大丈夫だろうとレイ達は考えていた。理由の一つが、この近くに関所があるためだ。区境と言う事で、他の道とも合流していき、周りは人で溢れるようになっていた。
流石に人目のある場所では行動しないだろうとレイ達は考えていた。それゆえ、リザも警戒を解いて、こうしてレイの隣に座っていた。
「集落に滞在したのは正味二日。ですが、濃い二日でしたね」
「まあね。初日にエトネの事があって、夜には食糧庫に忍びこんだヨシツネと遭遇して交戦。次の日には逃げた彼を追いかけて森に入って、米を餌にしておびき出して。その最中に僕に掛けられた暗示が暴走して……コウエンが命を掛けて助けてくれて。確かに濃い二日だ」
それは激動と呼んで差し支えない連続の出来事だった。その果てに、一人の仲間を失ってしまった。
手元に置いてある龍刀の鞘を撫でる。そこにコウエンは居ないと分かりつつも、彼女の残滓を感じようとするが、伝わってくるのは鋼の冷たさだけだ。
仲間の喪失に悲しむレイを、労わるように見ていたリザは、恐る恐るといった風に尋ねた。
「その、失礼ですが、お尋ねしても宜しいですか」
「ん? どうかしたのか」
リザは一瞬ためらうも、それでも尋ねたいのか口を開いた。
「……自身が御厨玲じゃないと、自分が何者なのか分からないという現実を突きつけられて、それでも普段と変わらないように振る舞えるのは何故でしょうか」
それはある意味酷とも言える質問だ。レイのぽかんとした表情を見て、彼女は額を床にたたきつけるような勢いで下げた。
「失礼を申し上げました。今のは忘れてください!」
「……いや。失礼でも何でもないよ。それは気になって当然の話だ。だから、まずは顔を上げて」
レイの言葉に従ったリザが顔を上げると、額に赤い跡が出来てしまった。それを見て、レイはくすりと笑ってしまう。
「ああ、ごめん。……どうして普通でいられるか。うん、そりゃ、やっぱり最初は冷静でいられなかったよ。何しろ、自分の記憶を。正確には自分の記憶だと思いこまされていたのを根底から崩されたんだ。否定されたんだ。本当に、天地がひっくり返ったようだ」
自らの心象世界。その最奥で影法師と向き合った時の事は、思い出すと心が騒めく。盤石だと思っていた足元が、これほど脆いのかと嫌というほど思い知らされた。
「それでも、コウエンに叱咤されて、気が付いたんだ。僕が誰であろうと、僕が歩んできた道程は。旅の記憶は偽物なんかじゃない。他人の者なんかじゃない。僕の物なんだ。ファルナや『紅蓮の旅団』と賑やかに海を渡った事も、アマツマラの街でスタンピードに遭遇した事も、エルフの里で修業した事も、シアトラ村の迷宮でナリンザを死なせた事も、アクアウルプスでエレオノールと激突した事も、デゼルト国を駆けずり回ってダリーシャスを王にした事も。そして何より、皆と旅をしている事。良い事もあったし、悪い事もあったし、辛い事もあったし、嬉しい事もあった。それら全部が、僕なんだ」
壊れ行く自我。暗闇に呑まれていき、世界から消えようとした寸前、その事に気が付けたのは誰かとの
思い出がきっかけだった。それを思い出す事は出来ないのは、失った記憶だからだろうか。
だとしたら、それを取り戻さなくてはいけない。奪われた物を取り返す。
新しい目標に覚悟を決めていると、何やら視線を感じた。周りを見渡せば、リザが、レティが、シアラが、エトネが、そして何故かヨシツネまでもが感極まった様子でレイを見つめる。
「……もしかして、いま、こっぱずかしい事を口にしたかな」
「……まあ、うん。聞いている方が恥ずかしくなったわよ」
シアラが生暖かい視線で、労わるように見てくるのが逆に辛い。レイは、顔を手で覆い隠した。
「は、恥ずかしすぎる。穴掘って埋まりたいぃぃ!」
「まあまあ。聞いている方が恥ずかしくなりそうな言動もご主人さまって事だよ。そうでしょ」
「レティ。追い打ちはそこまでにして。アンタは前向いてキュイの操縦してなさいよ」
はーい、と伸びやかな声に続いて馬車が揺れた。その振動に合わせて、レイは床に体を投げ出した。あまりの恥ずかしさに悶絶していた。
「ううう。記憶を消す魔法とか無いかな。学術都市でそれを習得したい」
初めての魔法が記憶消去なのはどうなのだろうかと悩んでいると、リザがレイの体を引き戻した。
「私は、聞いていて嬉しくなりました。レイ様を助ける所か、いつも迷惑を掛けてしまっているこの身を恨めしく思っていましたが、貴方が戻ってくることの助けになったと知れて。……そして、誓います。貴方が御厨玲でなくとも、私が剣を捧げたのはレイ様、貴方一人です」
真っ直ぐな、照れも恥ずかしさも無い、気高き忠誠心に、自身の中で恥ずかしいと思う感情は薄まった。言葉に出さなくとも、レティ達も同じ気持ちなのだろう。
彼女らと共に居るの事を望んだ。ならば、自分がしっかりとしなくては。
そう、思いを新たにしたレイ達に頭上から声が降って来た。
『いちゃついているところ悪いんだけど、少し話があるの。いいかしら?』
「い、いちゃついてません! ……って、今の声はどこから?」
正確には、声が脳へと直接送りこまれた。突然の出来事に全員が驚きの声を上げた。特に初体験のヨシツネに至ってはエトネを庇い、手元にあった剣を抜いていた。彼には、エトネを守るように指示を出していたからの行動だ。
だが、その守られているエトネが声の正体に気が付いた。
「いまのこえって、ハヅミ?」
『そうよ、エトネ。驚かせてしまって、ごめんなさいね』
馬車の幌を通過して降りてきたのは、水が集合して人の形を作った精霊、《ハヅミ》だ。エトネと年の近い少女は、自分を召喚した少女を抱き締める。そのまま頬をこすり合わせた。
「もう、どうしたの。くすぐったいよ。それにまだ、いるなんて」
『だって、召喚されたのに力を振るってないから、実体化が解けないのよ。それに消えるのが勿体ないわ。こうして触れ合うのは久しぶりね。ああ、暖かいな』
「いつも、ゆめであうのに」
『夢は夢よ。あれじゃ、味気ないわ。それとも、エトネは私とこうするのは迷惑かしら』
「そんなことないよ」
エトネがはっきりと否定すると、ハヅミは嬉しそうに微笑んだ。だが、それも名残惜しそうに手を離すと、
『勉強の邪魔をしてごめんなさい。ちょっと、そこの『招かれた者』と話をしたいの』
予想外の発言に全員が軽い戸惑いを覚えた。精霊であるハヅミがレイに何の用なのか。シアラとリザは視線を見合わせた。
「おにいちゃんと? うん、わかった」
不思議そうに首を傾げたエトネに手を振るハヅミ。その横顔は、慈愛に満ちていた。しかし、レイの方へと向いた時は、一転して無表情となった。
否、無表情という仮面で自身の中にある怒りを押し込めていた。その証拠に、レイに絞って殺気がぶつけられている。隣に座るリザですら、辛うじて感じる高等技術だ。
『さて……お話をしましょうか』
絶対に穏便な話し合いでは無い。直感で悟ると、レイは諦めた様に頷いた。だが、その間に入ったのはリザだ。
「お、お待ちください、ハヅミ様。何があったのか分かりかねますが、一度、気を静めてからでは駄目なのでしょうか」
それは非常に勇気ある行為なのだが、ハヅミの神経を逆なでしまった。圧は強くなり、レイは遺言を頭の中でぼんやりと考え始めた。
『退きなさい、人間』
「嫌です」
馬車の中央を境に、後ろは別世界のように空気が深刻化していた。さながら、深海へと引きずり込まれるように、体に圧がかかる。それはリザも同じだろうが、彼女は退こうとしない。
とはいえ、リザとハヅミをこれ以上対立させるのは本意じゃない。レイは、リザの腕を取った。
「心配してくれて、ありがとう。でも、大丈夫だから」
「ですが」
「リザ。……レティと一緒に、ミエリッキの監視をお願いしてもいいかな」
口調は柔らかだが、瞳に有無を言わせない力があった。リザは不満を胸に従い、主の言葉に従った。彼女は、ハヅミの横をすり抜け、御者台の方に移った。
ようやく二人きりになると、ハヅミは宙に浮きながら、レイを見下ろしていた。
その構図に既視感を覚えた。
(そうか。コウエンと話している時も、こんな風だったな)
彼女の事を思い出せば、心の中が抉られる。それを古傷と呼ぶにはまだ日が浅い。かさぶたも無い、新鮮な傷口はきっかけさえあれば何度でも開いた。
『さて、レイ。覚えているかしら。私は、あの子の中で全てを見ていると』
「ええ、まあ。聞いた覚えがあります」
『それなら結構よ。……なら、私が凄く、すごぉく怒ってるの、理解できるわよね』
「ええっと、な、なんでしょうかあああああ!」
言い切る前に、レイの頭は伸びた腕に揺さぶられる。容赦のない攻撃に、首の骨が痛み出す。
『あの子を悲しませるようなことをしたからに、決まってるでしょうが!』
エトネはエルフの血を引いた上に、『精霊の寵愛を受けし者』だ。精霊の姿を見て、触れられる稀有な存在。なかでもハヅミは、彼女の事を心の底から可愛がっていた。
それゆえ、彼女を泣かせるようなことになれば頭に来るのも仕方ないと言えば仕方ないが、それをぶつけられる側は溜まった物ではない。
「精霊とは、あのように感情を出す物なのですか」
「勘違いしないでよね。あれは、こっちでも珍しい方の事例だから。さあ、集中集中」
「とりあえず、助けてくれてないかなあああああああ!」
水で出来たハヅミの体越しにシアラへと助けを請うも、彼女は無情にも無視をした。
それからしばらく、八つ当たりという名の制裁は続いた。やっと解放された時には、レイの体はボロボロとなっていた。
『ふぅ。まだまだ言い足りないけど、これ以上やるとアンタが死んじゃうかもしれないから止めといてあげるわ』
「ありがとう……ございます」
礼を言うのは間違っている気がしたが、深く考える余裕はない。すると、ハヅミは自分の体を切り離すと、それをレイの唇に押し当てた。閉じる間もなく喉へと流し込まれると、途端に体が癒されていった。
『……アンタ、いいえ、貴方達にはこれでも感謝しているのよ。イーフェと、そしてエルフ族の千年の牢獄を解いてくれたことにね』
デゼルト動乱中盤。ゲオルギウスの策略によって、かつてエルフの国を滅ぼした黄龍が復活し、それを討伐する為に向かったレイ達を阻んだのは、千年前に死んだエルフたちの魂だった。黄龍によって囚われていた彼らの中に、先代の『精霊の寵愛を受けし者』であるイーフェも含まれていた。
紆余曲折あったが、黄龍は倒れ、囚われていた魂は解放された。そこにレイ達の功績があったのは間違いない。
『伝えるのが遅くなったけど、精霊を代表して感謝を。本当にありがとう』
感謝を伝えると、ハヅミは頭を深々と下げた。いくら、彼女の存在が不安定であっても、精霊には変わりない。人と神の間を懸け橋のようにつなぐ精霊が頭を下げる事はあり得ない。それだからこそ、本心からの感謝だと言うのが伝わる。
「……だったら、もう少し優しくしてくれてもいいんじゃないかな」
『それとこれとは別に決まってるでしょ。馬鹿なの?』
一転して苛烈な対応に戻るハヅミだが、彼女はレイの持つ龍刀へと視線を向けた。
『ねえ、レイ。本当に、コウエンは消えたの。赤龍の魂を受け継いだ彼女は、貴方を助ける為に、その命を使ったの?』
エトネの中で聞いていたのだろう。彼女に対して頷いた。
「そうだ。僕を助ける為に、コウエンは消えた」
だが、その答えに納得していないのか、ハヅミ気難しそうに、
『本当にそうなの? 一欠けら程度の魂を別に残しているとか、そう言う事を託された事は無いのかしら』
と、念を押すように尋ねた。その反応にレイは逆に違和感を覚えた。
「そのはずだ。現実に、龍刀の中に彼女の気配はしないし、僕の中にも居ない。君なら、それが分かるはずだ」
『ええ。その通りよ。確かに、龍刀からも、貴方からもコウエンの残滓を感じても、本体は感じ取れない。でも……妙なのよ。こうして実体化しているからなのか、僅かに感じるの。……コウエンの気配を』
「何だって!? 彼女は、まだ生きているのか」
思いがけない情報に声が大きくなった。皆が注目するのも構わずに、レイはハヅミに食って掛かる。
「何処に居るんだ。彼女は、どうしているんだ。無事なのか!?」
『落ち着きなさい。……正確な事は分からないけど、消えていない、事だけは伝わるの。でも、それが何処に居て、どうなっているのかまでは……もしかしたら、私の勘違いと言う事もあり得るわ。だから、間違っていても落胆しないでよ』
「……そうか。でも、本当に生きていて、また会えるなら、その望みを僕は捨てない」
コウエンが、あの彼女が人格も記憶もそのままで存在してくれるのならば、これほどうれしい事は無い。
レイの言葉にハヅミはどこか嬉しそうに微笑んだ。そして、表情を改めると、
『それと、13神様の事も聞いたわ。……本当は12神だったなんて話。信じられないわ』
「全くだ。……そうか、ハヅミ。君が居たんだ」
自身の正体やコウエンの死などの衝撃的な出来事の連続で頭が整理されていなかったが、彼女以外にも無神時代よりも前から存在する者が身近に居た事に気が付いた。精霊であるハヅミならば、何か心当たりがあるのではないか。
一縷の希望を持って尋ねるも、
『ごめんなさい。私の記憶でも神の数は13よ。それは間違いない……はずだった』
と、答えが返って来た。
どうやら、認識の改竄か、記憶のねつ造は精霊にまで及んでいた。
『信じられないけど、影響下にあるのは間違いないわ。となれば、他の精霊に尋ねても答えは同じだと思わ』
こちらに反撃の手段がないとはいえ、黒幕の強大さだけが浮き彫りになってしまう。ハヅミの姿は泡となって消えた。後に残されたレイは、龍刀を鞘から少しだけ抜いた。波紋に浮かぶ鋼の奥に、紅蓮の瞳は見えない。
本当に生きているのなら、もう一度、会いたい。例えそれが、砂粒程度の僅かな可能性であっても、祈らずにはいられなかった。
そして馬車は他の馬車と共に区境の関所へと到着した。
カプリコルを離れるまで、多くの時間は残されていない。そうであるのにもかかわらず、ミエリッキは静かに案内人の役目を果たそうとしていた。それはレイの目に不気味に映っていた。
読んでくださって、ありがとうございます。




