9-37 いってきます
これまでにも幾つもの街や村を訪れては離れていった。それこそ通過しただけの場所もあれば、長逗留した場所もあった。そうなった時は、出発の際に大抵親しくなった人や、縁が出来た人が見送りに来てくれた。元から旅人、冒険者。別れる事が織り込み済みの出会いではあるが、それでも名残惜しそうにしてくる人の顔は忘れがたい。
唯一の例外と言えば、アマツマラを離れる時ぐらいだ。あの時はスヴェン王子に酷い目にあわされた。
それでも、今回ほど居心地の悪い出立は他に無かった。
朝日が災害に見舞われた集落を照らし、鳥や虫が爪跡の残る大地を知らぬ顔で渡って行く。起きて朝の用事を済ませた村民は、今日も復興に取りかかろうとしていたが、ある物を発見して足を止めた。自然と人垣が出来て、それは更に人を集める事になる。
無数の狼人族の視線に晒されているのは、馬車に繋がれたニチョウと、荷づくりをしている《ミクリヤ》の面々である。
本来なら、もっと早くに出発がしたかった。いまだに、エトネのわだかまりを持つ彼らをこれ以上刺激しないように、朝も早い時間に、誰の目にも触れられずに集落を離れたかった。
だが、それを邪魔したのは案内人のミエリッキだった。
表向きの理由としては、役所に提出する報告書を作成する為の時間が欲しいとの事だったが、実際はこれが狙いだったと推測できた。何も言われずに集まった人々は、初日のように声を荒げ、鬱憤を晴らすような真似をしてはこない。だが、どこか恨みがましい視線が、湿った縄のように絡みつき居心地を悪くしていく。当然のようにエトネに注がれる視線の量は多く、彼女の顔色はどんどん悪くなっていく。
「エトネ。もう、こっちは良いから、馬車で休んでいな」
気遣って言うも、エトネは気丈にも首を横に振った。
元々、雛馬車に必要な物資は詰め込んであり、荷づくりもそこまでの時間を必要としない。作業が終わっても、ミエリッキが姿を現す気配は無い。おそらく、どこかでこの状況を伺っているのだろう。単純に憎悪をぶつけられるよりも重く、纏わりつく呪いじみた状況に陥ったエトネを見て、うさを晴らしているのだろう。
惨い話だ。
これが肉親に対するやり方かと憤りたくなるが、自分がどうしようが、どうにもならないのは理解していた。これは、エトネとミエリッキの問題なのだ。
「心が強いおなごですね」
囁くような声は突然の気配と共に耳朶を震わし、反射的に拳を振るう。左手を握って裏拳を叩きこむ直前に、視界の端を暗い色の長布が掠めた。
相手が誰なのか分かった時には手遅れだ。拳は、彼の端正な顔を捉え―――られなかった。ヨシツネは足裏を地面から離さず、上体を地面と平行になるまで仰け反り、拳を回避すると何事も無かったように体を起こした。
「わっ! ごめん、ヨシツネ。急に人の気配がしたから、つい」
我ながら、何とも酷い理由だが、それだけ驚いたと言う事なのだ。つい数秒前まで誰も居ないはずの真横に、突如として現れた存在に、本能が攻撃を選んだ。
「いえ。拙者の方こそ、お気遣いが足りず申し訳ありません。忍びの癖で、気配を押さえておりました」
拳を振るわれたというのに気にしたそぶりを見せず、むしろすまなそうにヨシツネは謝った。
「それで、えっと、心が強い、だっけ」
何も起きていなかったように話を始めると、ヨシツネもそれに従った。
「そうです。あらましについては、レティシア殿から伺いました。親を亡くし、故郷を失い、行き場を無くしてしまった。その上、半分とはいえ体に流れる同じ血の同胞から容赦ない憎悪をぶつけられて。だというのに、彼女はああして、周囲の濁った感情を受け止めようとしている」
二人の視線は、馬車の外で背筋を伸ばして立つエトネへと向けられた。彼女は集まった群集では無く、その向こう側に広がる故郷を目に焼き付けようとしていた。その間も、群集の濁った感情に晒されている。ただ見られているだけなのに、精神を酷く消耗しそうな状況なのに、リザ達が誘っても彼女は馬車へと戻ろうとしないのだ。
そうすることで、村民の悪感情が少しでも楽になれればと、そう考えていた。
「彼らの恨みつらみを引き受けようとする、その姿勢。拙者、感服致しました」
「うん。僕も、凄いと思うよ。あんなに幼いのに、僕なんかよりもよっぽど大人だ」
偽りの無い本音を言うと、レイはヨシツネに頼んだことを確認する。
「それで、ミエリッキの方はどうなんだ。問題は無いのか」
「はっ。拙者の調べた限りでは不審な行動は見受けられません。今も、ここから近くの物陰で時間を潰しているだけです。おそらく、直に此方に来るかと」
隠密、諜報活動に適しているヨシツネには、朝早くからミエリッキの監視を頼んでいた。彼女がエトネに対して殺意まじりの憎悪を捨てていないのは、昨夜の態度でも明白だ。出立の時刻を決めたのも、何かしらの策略ではないかと警戒して、彼にその辺りの事を探ってもらったのだ。
どうやら、これは自分の心配し過ぎだったようだ。ほどなくして、ヨシツネの言った通りの方角からミエリッキが馬を連れてやって来た。
「お待たせしてしまい、申し訳ありません」
言葉では遅刻を詫びているが、態度は不遜で、本心ではないと直ぐに分かる。
「出立前に、これからの予定の確認をしたいのですが宜しいですか」
レイが頷くと、ミエリッキは羊皮紙を広げた。それはこの辺り一帯を記した地図だった。
「当初の計画通り、出国は西の門からとなります。ですが、同道者が一人増えた事と彼の事情を説明する為に、区境の関所で必要な手続きを取る事になります。他にも予定外の寄り道があったため、全体の計画から多少遅れが生じております。そのために、一日辺りの移動距離が長くなってしまうのをご了承ください」
構わないと答えると、ミエリッキは結構と返した。
「では、出立です。私が先導しますので、後に続いて下さい」
言うなり馬の背に乗った。ミエリッキが何を考えているのか不明だが、今の所は問題ない様だ。皆に馬車に乗り込む様に伝えると、それまで聞き取り難かった囁きが一瞬止まった。海上で風が止んだような静寂。それを打ち破る一言は余りにもハッキリと聞こえてしまった。
「もう来るな、忌子」
誰が口にしたのか。それは分からない。群集の方へと振り返れば、彼らも誰が言ったのか驚いた様子で互いの顔を伺っている。
その一言にうなじの毛が立ち、頭の芯に熱い物が吹きあがる。だが、きっかけとなったのは何も自分だけでなかった。
「そうだ、そうだ。もう、戻って来るな」「お前が居ると、俺達は大迷惑なんだ」「二度と、その面を見せるな!」「これ以上、私達を苦しめないで!」
群集は無意識に火種を求めていたのだろう。自分たちの中にある暗い感情を吐き出すきっかけを。一度火が着けば、それを止める術は無い。あっという間に、エトネを罵る言葉が土石流のように襲いかかった。
力に頼る暴動にならないのは、此方の実力を知っているからだろう。遠巻きで、一方的に溜まっていた思いを吐き出していく。
それは確かに楽だろう。心の裡で、重く圧し掛かっている感情を抱えて生きていくのは苦しい。吐き出せたら、さぞ身も心も軽くなるはずだ。だが、言われた側はどうすればいいのだ。
無遠慮に、ただ一方的に呪いじみた言葉で殴られているエトネは、どうすればいいのだ。
「シアラ! エトネを馬車の中に。レティはキュイを出せるように準備してくれ。リザ、ヨシツネは僕と一緒に彼らからエトネを見えないように」
指示を出してエトネを庇おうとするも、それをするりと躱して庇われるはずのエトネが前に出た。それまでは距離があったから、安全圏から攻撃していた群集は近づく彼女に怯えたのか声のボリュームを落としていく。
「エトネ! ああ、もう、何を挑発するようなことを!」
レイが彼女を引き戻そうとした手は、横合いから伸びた白い手に阻まれた。振り返れば、紫がかった黒髪の少女が真剣な表情でエトネを見つめていた。
「様子を見ましょう、主様。あの子も、あの子なりに考えての事の筈よ」
「でも、今の彼らに何をしても、感情を逆なでするだけで逆効果だ。これから先、エトネがこの土地に戻って尽くしたいという目標を考えたら、これ以上の関係悪化は避けるべきだ」
「それぐらい、エトネもきちんと理解してるわよ。いいから、見てなさい」
シアラに説得され、レイは渋々伸ばした手を下ろす。代わりに、即座に離脱する必要があるなら、ヨシツネに頼んで彼女を回収する手はずを整えた。
全員の視線を一身に集めるエトネは、緊張した面持ちで深呼吸を繰り返すと、右手を天へと持ち上げた。そこに嵌められた青色の指輪が朝日に輝く。
「きて、《ハヅミ》」
詠唱と呼ぶには余りにも短かったが、それだけで物理現象を越えた現象が降臨する。大地や空気から水分が集まり、それはあっという間に人らしき形を生み出した。エトネと似た背格好の、人ならざる存在。
それが放つ威圧感は、一般人でも本能で悟る。
この場に居る者達とは、別格の存在。
青色の指輪に宿るのは、水の超級精霊の末端にして中枢である存在、《ハヅミ》だ。精霊の具現化を目にしたのは初めてなのだろう。群集が驚愕と畏怖を持って一歩後ろへと下がった。ミエリッキですら、緊張を顔に貼りつけていた。
「なんと! あの短い詠唱で、精霊を呼び出せるとは。長耳が精霊との親和性が高いとは聞いておりましたが、これほどとは」
「いや、これは指輪の力も関わっているんだけど……でも、エトネの奴。ハヅミを呼び出して何をするつもりなんだ」
ふわふわと空中に浮かび、群衆に対して威圧する精霊に、レイは別の危機感を募らせる。『精霊に愛されし者』であるエトネは、生まれながらにして精霊を見て、触れる事が出来る稀有な存在だ。先代の事もあり、精霊達はエトネに対して甘い所があり、特にハヅミはエトネを溺愛している。彼女の為なら、何でもするだろう。
そんな過保護なハヅミとエトネは精神の深い所で繋がっている。言ってしまえば、コウエンとレイの関係に近い。これまでの出来事も、彼女は見て知っているはずだ。
これは群衆からエトネを守るのではなく、ハヅミから群集を守る事になるのではと危機感を募らせていると、エトネがゆっくりと話し始めた。
「このこのなまえは、ハヅミ。エトネが、しょうかんできるせいれいです。エトネは、エルフのちが、ながれてるから、ほかにも、せいれいをよぶことが、できます」
急な告白に戸惑う群集を前にエトネは続けた。
「おとうさんから、かりのしかたをおそわりました。どうぶつのみつけかた、おいかた、つかまえかた。それにどうやってほぞんするのか、やまでのきまり、しょくぶつのみわけかた、てんきのへんか……ぜんぶじゃないけど、かりうどのためのちしきを、まなびました」
ミエリッキから殺気が漏れるが、それ以上の行動には出ない。様子を窺う事にしたのだろう、エトネの話を遮ろうとはしなかった。
「たたかいかたも、おにいちゃんたちと、たびをしているあいだにまなびました。じとかは……べんきょうちゅうです。たしざん、ひきざんはできるけど、かけざんはむずかしいです。おりょうりは、レティおねえちゃんから、おそわってます」
「……それがどうしたと言うんだ」
どすの効いた声はムワイだ。彼は群衆から一歩前に出た。体格差では、圧倒的に彼に軍配はあがるが、実力は見かけとは逆だ。何より、彼を上から見下ろすハヅミがその気ならば、この群集は一瞬で血の海に沈む。
それを知らないのか、あるいは知りつつも村を代理で預かる者として彼は皆の前に立った。
「お前が何をできて、何が出来ないのか。そんな事、俺達は知りたくないし、興味ない。さっさと、出て行って、二度と帰って来るな」
横柄な物言いにエトネは、
「やだ」
と、短く返した。まるで子供のような物言いだ。
(いや、子供だったな)
「やだって、お前な」
呆れるムワイに彼女は叩きつけるように告げた。
「エトネは、もどってくるよ。また、ここに。みんながいやがっても、ここにもどって、おとうさんのかわりをする」
「タノの代わりだって?」
「うん。もしも、みんながここをすてたら、ここにみんながすめるように、がんばる」
「……正気か、お前。頑張るって、この酷い有様を一人で出来ると思ってるのか」
山肌は崩れ、民家や田を押しつぶす大きな傷跡をムワイは指差す。彼はエトネを睨み付けながら、全員が思っているであろうことを代表して尋ねた。
「大体、何でお前はそこまでして戻ってこようとするんだ。誰にも望まれていないんだぞ。お前が、帰って来ることは!」
普通の子供なら泣いて逃げる剣幕に、エトネは真っ向から立ち向かう。その背中からは、母の死に途方に暮れて、モンスターが闊歩する森の中を怯えて過ごしていたのは嘘の様だ。これまでの旅が、彼女を成長させたのならこれ以上ないほど喜ばしい事だ。
「だって、ここはエトネのこきょうだもん」
結局の所、エトネがこの地に拘るのは、それが理由だ。あまりにも単純で、それゆえに誰の心にも響く理由だった。彼女にとって、集落は対岸の灯りだ。そこに飛び込む事も、混じる事も出来ない、向こう側の景色。しかしそれでも、彼女にとっては故郷なのだ。
故郷が災害に見舞われ、そこに住む人々が困っているなら、助けたいと思うのは当然だ。
「いまのエトネじゃ、できないことのほうがおおい。でも、おにいちゃんたちとたびをして、いろんなことをまなんで、もっとおおきくなったら、もどってきます。ここにすむのがみとめられないなら、べつのちくでくらしながら、まいにちここにきます。それで、こきょうのためにはたらきたい」
十歳にもならない少女の口から出たとは思えないほど、重い覚悟に満ちた言葉だ。困難に対してめげない姿は聖人のようですらあった。
それを眩しそうにムワイは見つめた。そして振り返ると群集へと叫ぶ。
「みんな、聞いたか。この娘は、両親を亡くして、故郷の人間から疎まれ、嫌われ、憎まれようともここに戻って、この地の為に尽くしたいと言っている。こんな、まだ幼い子が。大したもんじゃないか!」
「……ムワイ。貴方、何を言っているのですか」
ある意味、それはレイの気持ちを代弁していた。ミエリッキの焦りを無視して、ムワイは続けた。
「なのに、俺達は起きちまった事をきちんと受け止める事も出来ず、彼女ら母娘を悪く言って、自分たちのせいじゃないと傷の舐め合いをしていた。……情けねえよな!」
同意の声がちらほらと上がった。よくよく見れば、それは食糧庫を守っていた青年団たちだ。思い返してみれば、彼らは群集の中に混ざりながらも、エトネへの罵声に加わっていなかった。
「ここいらで、誰かを恨んで、楽になるのは止めにしないか。この嬢ちゃんのように、前を向くべきだと、俺は思ってる。じゃないと、何時までたっても死者は御霊に昇れず、この地を彷徨う事になる。父祖伝来の土地を、手放す事になっちまう。それでいいのか、お前ら。俺は、嫌だね」
ムワイの演説は、劇的な変化はもたらさなかった。オセロの駒が裏返るように、彼らの気持ちに大きな変化は起きない。だが、群集の中にあったエスカレートしていく心理に迷いが生じたのは確かだ。もう、エトネへと怨嗟をぶつけるような気力は無かった。
「嬢ちゃん。集落がこの先どうなるのか。そりゃ、俺には分からん。なにしろ、俺は代理だ。長が戻って来て、どんな判断するのか。どうなっちまうのか。でもな、もしも集落がこの先も残っていたら、俺達はアンタを受け入れる。そう決めたんだ」
ムワイに賛同するように青年団が群衆から離れてエトネへと集まる。彼らは口々に、エトネの活躍を、決意を褒めた。
思いもよらない言葉を掛けられ、エトネは嬉しくも戸惑っていた。
「……どうして、こんな。きゅうに、なんで」
「今の青年団は、大体がタノに世話になった奴ばかりだ。年寄り連中の中にはタノとミエリッキの親父に世話になった。……アンタがうちの集落や猫人族の為に戦ったって聞いて、嬉しくなったんだよ。ああ、タノの血を引いているんだな、って。大長からも言われたしな」
「おおおさ、おばあちゃんが、なんて?」
「この集落に居る奴らの中で、前を向いているのは、お前らが恨み言をぶつける小さな子だけだってな。それで、色々と考えさせられてな」
ムワイが言うと、青年団に手を引かれて大長がエトネの前へと出てきた。老婆はニコニコと笑みを崩さない。
エトネは今にも泣きそうな顔で、彼女を見つめた。
「エトネ。タノとエスニアの子。今は、お前さんを受け入れられる余裕はない。でも、お前さんが大人になって、この地に戻りたいと望んだら、その時はこの地に暮らす者の一人として、お前さんを受け入れられるように、儂らが頑張るよ」
そこで言葉を区切ると大長は冗談めかして、
「もっとも、そのころには、この老骨。とっくに御霊に昇っているかもしれんな」
「そんなの、やだ。ながいきしてよ、おばあちゃん」
「ほほほ。こりゃ、頑張らないといけないな。……だから、エトネ。行ってらっしゃい。世界を見て、大きくおなり」
エトネは涙を溜めた瞳を拭い、とびっきりの笑顔で答えた。
「うん! いってきます!!」
読んでくださって、ありがとうございます。




