9-32 崩壊 『前編』
「どういうことなんだ、影ぼう……あれ?」
叫び声は周りの状況を理解して萎んだ。たき火の傍で立ち上がり、吼えた自分に驚きの視線を向けるのはリザ達だった。いつの間にか、暗闇に包まれた心象世界から脱出していた。
脱出していたというよりも、どちらかというと放り出された方が近いかもしれない。
「あの野郎。やりたい放題して、そのまま外に追い出しやがった。おい、影法師、影法師!」
苛立ちながら自分の中に居るはずの影法師を呼びかけるも、当然のように返事は無い。
ここ最近、影法師が此方と接触してこなかったのは、心象世界の最奥に篭っていたからだろう。あの領域は、例えるなら自分の心臓を自分の目で見るために開胸手術をするような危険な行為だ。暗示によって自我が崩壊しかけたから、緊急避難として自我はあそこに逃げ込んだ。そんな事が起きない限りは戻れない。
「ご主人さま、急にどうかしたの。影法師って、ご主人さまの中に居る……人? だったよね。また、何か言われたの?」
レティ達は影法師の事を既に聞いている。フィーニスの憎悪を取りこんだと言う事も合わせて、彼女たちには話していたため、またそれ関連かと警戒をしていた。
しかし、レイは彼女らに構っている余裕は無かった。影法師が呼びかけに応じない以上、そちらは後回しだ。次にレイが行動したのは、地面に突き刺したままの龍刀へと駆け寄った事だ。
紅蓮の刀身は変わらず、だが手に持てば違和感に気づく。いつもよりも冷たい鋼の感触に、心が軋んだ。
「コウエン。……コウエン! 本当に、居ないのか? 僕をからかっているなら、止めてくれよ。……頼む、出てきてくれ」
呼びかけに返事は無かった。刀身から覗き返す縦に裂けた虹彩も、居丈高な哄笑も、不遜な態度を崩さない幼女も現れなかった。
間違いなく、コウエンは逝ってしまった。この刃の中に、彼女はいない。
否定できない現実に、レイは風の音を聞いた。心の中に開いた穴を通る風が、苦しさを増す。
「レイ、様。どうかしたのですか?」
恐る恐ると言う風に尋ねたリザにレイは振り返った。極力、平静を保とうとしたが、果たして笑っていられたのか。自信は無かった。
「ああ……少し、ね」
どうやら、笑顔は作れなかったようだ。
リザやレティ、シアラやエトネは一瞬で何かがあったのだと察知して、痛ましそうに目を伏せた。唯一分からないヨシツネは口を挟まないように押し黙っていた。
まず、切り出したのはリザだ。
「レイ様。私が口出しする資格は無いかもしれませんが、何かあったのならば、それを胸の内に収めないでくださいませ」
「うん。お姉ちゃんの言う通りだよ、お兄ちゃん。レティ達じゃ、頼りないかもしれないけど、それでも話してほしいんだ。だって、お兄ちゃんが辛そうにしている方が、辛いもん」
レティの言葉にエトネが首を上下に何度も動かした。
「そうだよ! だって、エトネたちはなかまだよ。こまったときは、つらいときは、たいへんなときはおたがいさまだよ」
「あら、生意気な事を言うようになったわね、おちび」
「おちびいうな。あたま、くしゃくしゃにしないでよ!」
「あははは。まあ、言いたいことは三人に言われちゃったけど、そういうことよ、主様。とりあえず、話せる所だけでも、話してちょうだい」
レイがどれだけの苦しみを背負っているのか、顔を見るだけで彼女らは理解できた。そして、それを必死に隠そうとする性格を熟知していた。
四人の少女らが向ける親愛の情にレイは嬉しく思う。直面した真実と、予期していない別れによって、彼の心は追い詰められていた。それが少女らの優しさに触れて、和らいでいく気がした。
「シアラ、みんな。心配してくれてありがとう。……うん、これは皆にも聞いて欲しい話だ」
話す事のリスクや、メリットの消失はある。だが、この事実は隠しておくにはあまりにも重たく、何より知ってもらわなければならない。
自分が御厨玲ではなく、それこそ人間かどうかも怪しい存在だと言う事を。
「だとしたら、拙者は居ない方が宜しいですか?」
ヨシツネがその場を去ろうとするのをレイは止めた。
「いや、君にも居て欲しい。第三者の立場から、気が付いた事があれば教えてほしいんだ」
承った、と返してヨシツネが座るのを確認して、レイは説明を始めた。
リザの何気ない一言をきっかけに、これまで自分を縛っていた暗示によって自我が崩壊しかけ、自身の心象世界の最奥に逃げ込んだこと。
そこで自身が御厨玲では無く、彼の記憶と人格、そして名前を植えつけられた存在だったことを。
本物の御厨玲は既に故人であり、彼が二十歳の時にあった交通事故までの記憶を本物の自分の記憶だと誤認させられ、それ以降の記憶を封印。そして、その事実に近づきそうになると脳が思い出さないように細工されていたことを。
明かされた真実に絶望して死を望み、まさに崩壊する寸前にコウエンが助けに来てくれたことを。
彼女から一喝されたことで、御厨玲ではなく《ミクリヤ》のレイとして自我が復活した事。そして―――その代償としてコウエンが死んでしまった事を。
「うそ……コウエンちゃんが……しんじゃったの」
「お兄ちゃんを助ける為に。……本当に、龍刀の中に居ないの。助けに行く時に、自分の魂を二つに分けて残したとか、何かしてないの?」
あのコウエンをちゃん付けする二人が瞳に涙を溜めこみ、縋るように尋ねるが、レイは首を横に振るしかない。少なくとも、龍刀の中にも、そして自身の中にもコウエンの人格は存在しない。
ショックを受ける二人を、リザとシアラは抱き寄せて、レイに話を続けるように促した。
コウエンが消え、影法師の口から明かされた彼の目的。それは全ての神の抹殺という途方もない物だった。
「エルドラドを管理する13神だけでなく、エルドラドを『神々の遊戯場』として使用していた、全ての神を殺す。そう、影法師は言っていたのですか」
リザが驚きと共に聞き返す。レイがそうだと言えば、
「信じられない。馬鹿げている。そもそも、神殺し自体が、そんな……できるのですか、そんな事が」
「知らないわよ、そんな事。そもそも、神の領域に手を出すことなんて、人の身で出来る事なのかしら。……それで、話はお終いなの?」
「いや。あともう一つある。影法師の目的を聞かされた直後、コウエンによって完全に暗示が破壊されたことで、御厨玲としての最期の記憶が蘇った。……その内容が……あまりにも謎なんだ」
レイはこの会話も神々に見られているかもしれない、と一瞬だけ危惧する。クロノスか、あるいはサートゥルヌスか、あるいは他の神か。彼らの中に、自分を御厨玲としてエルドラドに送り込んだ存在が居る。そいつは、これまでは表に出ずに、安全な場所で暗躍していた。それは自分という存在を誰にも知られていないという前提があったからだ。
今回の事でレイはその前提に気が付いている。安全圏に居ると思い込んでいる黒幕の背後を取る事が出来る。
しかし、それは此方が黒幕の正体を掴んでいればの話。あまりにも複雑に入り組んだ盤面において、全てで上回る存在に心理戦は厳しい。
だから、レイは石を投げる事にした。凪いだ水面に石を投げ、隠れている物を引きずり出す。
レイは、撒き餌として最後に見た記憶を語った。
「明らかに人界とは異なる神聖な空間。天に星が瞬き、静謐な場所に響いたのは、重々しい声だった。『ここは神の観測所である、御厨玲。貴殿にはこれより、我らが管理するエルドラドに』。……そこで、記憶は途絶えた」
重々しい口調と共に放たれた言葉がもたらした衝撃を、少女達も浴びる事になった。
重たい沈黙が場を支配する。少女達は受けた衝撃の凄まじさから息をするのを忘れた様に呼吸を止め、ヨシツネは部外者である立場を崩そうとはせず一人思案を巡らしていた。
ゆるゆると息を吐き、《ミクリヤ》の参謀たらんシアラが口を開いた。
「情報が複雑で断片的すぎるわね。『本物の御厨玲』とか、主様の正体とか色々と気にはなるけど、一番の厄介な所はその『本物の御厨玲』までが主様と同じ世界救済を託された『招かれた者』と言う事よね」
「どうして、おにいちゃんとおんなじなの?」
「それはね、ご主人さまが見た記憶で、我らが管理するって呼び出した神さまが言ったからだよ。エルドラドを管理するのは13神。13神さまが『招かれた者』を呼ぶのは世界が滅んでからでしょ。だから、『本物の御厨玲』も十三人の『招かれた者』に入るわけ」
「ですが、シアラ。どうしてそれが厄介と。確かに、予想外な話ですが、他の問題点に比べれば特別視する必要があるでしょうか」
「必要あるわよ。だって―――」
「―――ちょ、ちょっと待ってくれ!」
シアラが語り出すのを遮って、レイは叫ぶ。少女達はどうしたのかと視線で訴えてくるが、どうしたのかと尋ねたいのはレイの方だ。
「君たちは、その。……気持ち悪いとか、不気味だとか、思わないのか」
「はぁ? 何の話よ」
話を遮られて若干だが苛立つシアラに、レイは言葉を濁しつつ答えた。
「いや、だから。……僕が人間じゃない、可能性について、だよ」
『本物の御厨玲』の記憶を植えつけられ、影法師なる不気味な存在を宿し、誰かの意思で舞台に上げられ、死すら捻じ曲げる技能を得た。
自分のことながら、羅列するだけでも気が滅入る。だというのに、彼女らはそこを触れようとはせずに話を進めていた。
「もしかしたら、人間じゃないのかもしれない。それなのに、みんな、何とも思わないのか」
レイにしてみれば、ここで拒絶されても仕方ないと、それを覚悟していた。だが、少女らは互いの顔を見合わせて、
「でも、レイ様はレイ様ですよね」
何でもない風に言う。その言葉は、耳朶を通して脳で木霊した。ちかちかと、目の前が輝き、胸の内を暖かい想いで満たされていった。
「そう言う事だよ。お兄ちゃんが、人間じゃないからって、何かが大きく変わる訳じゃないよ」
「うんうん。エトネたちは、おにいちゃんに、いっぱいたすけられたもん。それがいちばん、たいせつ」
「……まさか、それを知って、ワタシたちの態度が変わるとでも思ったの? だとしたら、甞めないでよ。それぐらいの事で、変えちゃうよな脆い繋がりじゃないわよ」
自分が死を望むほどの衝撃をそれぐらいと言われたことに、腹立たしさは微塵も浮かばない。あるのは、自分を肯定してくれた彼女らへの感謝だった。
「……すまない。疑って、悪かった。それと、ありがとう」
「礼なんていらないわよ。それ以上の物を、こっちは貰ってるんだから」
「え? どういう意味だい?」
「何でも無いわよ!」
紫がかった黒髪の下にある耳を赤くしたシアラは、咳払いを一つして話を切り替えた。
「それで、何が問題かって言うと、主様を呼び出す前に、『本物の御厨玲』が呼び出されていることよ。これは遊戯なのよ。神々は、他者がどんな人を招いたのか、知っていて当然。仮に自分が呼んだ人間の同姓同名どころか、記憶まで同じ人物が呼び出されれば、おかしいと思うでしょ」
「『招かれた者』が死亡した場合、魂は御霊に向かう。確かに同じ人物の登場は理屈に合いません。そもそも、レイ様は最後の『招かれた者』。それならば、クロノス様も知っておいでの筈」
「それを不自然に思わないという時点で、神々の中で異変が起きている、って事になるわ。……もっとも、最初の前提から間違っている時点で、そうなんだけどね」
前提と言われて、レイも心当たりがあった。
この世界に来た元凶とでも呼ぶべき事件。
クロノスが原因で起きた交通事故。それに巻き込まれて瀕死となった肉体を治療する間、エルドラドを旅して欲しいと言われた。
だが、これはあり得ない。『本物の御厨玲』が事故に遭ったのは事実だが、その肉体は普通に治療を受けて完治している。そもそも、レイは彼の記憶を植えつけられただけであって、事故とは無関係なのだ。
当然、治療中の肉体なんて、存在しない。
肉体が存在しなければ、事故も存在しない事になる。
「部分的な情報の中で、唯一言えるのは、誰かが主様をエルドラドに送り出して、何かをさせようとしている。その誰かを黒幕と呼ぶとしたら、最有力候補はクロノス様ね」
時を司る神、クロノス。彼女を名指しで黒幕に上げられたことに、引っ掛かりを覚える。
状況から見れば、彼女がレイを騙し、他の神をも騙している可能性は高い。何故なら、レイをエルドラドに送り出した当事者だからだ。細工も、改竄も自由自在だろう。
一番怪しい人物なのは違いない。
しかし、レイはそれに納得できなかった。
あの不思議な空間で、額を床に押し付け、必死になって謝る姿に。聖域で再会した時、この様な過酷な目に合わせた事を、彼女は嘆いていた。
自分に別人の記憶を与え、更には他の神々をも騙して暗躍するようには思えないでいた。もっとも、それすらも演技だと言われれば、否定しようがない。
「次に怪しいのはサートゥルヌス様ね。クロノス様の兄というだけでなく、主様が事故に遭ったって説明したんでしょ」
「そうなると、二柱が結託している、という可能性もあるわね」
「そう言う事になるわ。……でも、もう一つ、可能性はあるわ。……二柱が、騙されているという可能性よ。主様、確認だけど、主様をこの世界に送り込んだのはクロノス様なのよね。事故を起こした、っていう意味じゃなくて、エルドラドへの道を開いたのは」
念を押すように尋ねられ、レイは記憶を振り返る。不思議な空間で、エルドラドへの道を開いたのはクロノスだ。
「クロノスなのは間違いない。彼女の持つ青い鍵を使って、僕はこの世界に降りた。でも、それがどうしたっていうんだよ」
「とっても、重要な事よ。いい? 主様をエルドラドに送り込む為にはその鍵とやらが必要なの。だって、彼らの遊戯には一柱に付き一人までしか送りこめないという制限があるから。仮に、その鍵を自分が持っていないとしたら、どうするべきだと思う?」
「そりゃ、誰か別の人の鍵を奪うか、あるいはその人に……代わりに……送り出してもらう」
言いながら、レイの中でシアラの考えが理解できた。少女は得意げに笑うと、
「そう。主様を送りたかった黒幕は、自分では送り出す事が出来ない。だから、鍵を残していたクロノス様を利用した。御厨玲が経験した事故を起点に、それの加害者と被害者としてクロノス様とレイ様を結び付けた」
シアラの説明にリザは納得したように頷き、少々理解が遅れているエトネをレティがフォローしていた。突拍子もない可能性だが、あり得なくも無い。もちろん、穴も無いわけではない。
「もっとも、この可能性は、クロノス様やサートゥルヌス様が騙されている、という前提よ。普通に考えれば、怪しいのはやっぱりクロノス様ね」
「そうかもしれない。でも、僕があって話し印象だと、彼女が嘘を吐いているようには思えない。あれだけ必死に謝る姿は、演技じゃない」
自身の観測しか根拠は無い。だが、それを否定する事をシアラはしなかった。
代わりに、エトネへ解説をしていたレティが不思議そうに呟いた。
「でも、どっちの可能性であっても、神さまの中で記憶か、あるいは認識が改ざんされているんだよね。だって、『本物の御厨玲』を呼び出した神さまはクロノスさま以外に居て、その神さまがご主人さまを見ればおかしいっていうもの。でもそんな力、あるのかな」
記憶や認識の改竄と聞き、レイは嫌な一致だと心の中で思う。
どちらも、自分を悩ませる障害だ。
するとシアラが真剣な表情をして、口を開いた。
「……一人だけ、心当たりがあるわ。神の記憶か、あるいは認識をも改竄できる存在。それは同時に、主様に御厨玲としての記憶を植えつけた人物かもしれないわ」
どこか確信を持ったように告げるも、金色黒色の瞳に陰りがあった。自身の推測が正しいかどうかを悩んでいるというよりも、それを口に出す事を恐れている様子だ。
全員の視線を一身に浴びて、シアラはゆっくりと、その名を告げた。
「エルドラドが直面している危機の、根幹であり原因である存在。これが誕生したから、世界は滅び、時を巻き戻す事になった。なのに、観測する神々の目すら誤魔化した存在。それゆえ付けられた二つ名は、『正体不明』。七帝最後の一角にして、神々にすら観測できない存在。それは記憶か、あるいは認識を改竄できるからだとしたら、どうかしら?」
『正体不明』の名。それはレイ達のみならず、別の場所でも特大の爆弾となって炸裂していた。
神々しか足を踏み入れられない神の観測所。無数の星が空を埋め尽くし、聖櫃な空間はいまや、不信と疑念が入り混じる戦場と様変わりをしていた。
「答えろ、クロノス、サートゥルヌス! 貴様等は何を隠し立てているのだ!!」
炎を司るからか、激情しやすいプロメテウスの恫喝じみた声が響くが、それを咎める者は居なかった。何故なら、他の神々もクロノス、そしてサートゥルヌスに対して程度に差はあるが似たような感情を抱いているのだ。
神の力が充満する空間。人ならば一瞬で飲み込まれ廃人と化すそれを浴びている者もまた神だった。クロノスは毅然とした姿で反論する。
「隠し立てなどしておりません。私は、自身の潔白を主張します」
「面白い事を言うね。だとしたら、君の送り出した『招かれた者』の発言は偽りだと?」
髪を弄る気障な仕草は変わらないが、アネモイの瞳は刃よりも鋭い。一切の虚言も見逃さないとばかりだが、クロノスは自身の潔白を主張した。
「何度でも言います。私は、確かにあの日、玲様を瀕死に至らしめてしまいました。それに責任を感じ、彼の肉体を治療するのを申し出て、その間にエルドラドを旅する事を願い出ました。それは兄さん、貴方も知っているはずよ」
急に名前を呼ばれ、前髪で顔を隠すサートゥルヌスは神々の強烈な視線を前に苦笑いをした。
「確かに、妹の言に間違いはありません。事故現場にも俺は立ち合いましたからね」
「だったら、お前の『招かれた者』が言ってることは嘘だって、お前はそう言うのか。どうなんだ!」
神とは思えない荒い口調で攻め立てるテミスにクロノスは一瞬押し黙った。
レイが嘘を吐いているとは思えないのも事実なのだ。
彼が自身の心の中で何を見たのかまでは『窓』は映し出さない。だが、沈痛そうな表情で告げた言葉に嘘が混じっているとは思えないし、何より自身が御厨玲ではないと嘘を吐く理由が分からない。
十四番目の『招かれた者』であるヨシツネの正体が判明して、微妙に弛緩した空気の流れた神々の観測所。それがレイの語った告白で一気に揺らいだ。
たかが人間の戯言とは誰も受け止められなかった。神々の中にあった、わだかまりや苛立ちは、例えるならガスだった。地下から染み出て溜まっていた可燃性のガスは、マッチ程度の火種で一気に爆発した。
自然と魔女裁判じみた糾弾の場へと変わり、不信は刃となって一気にクロノスらへと向いた。
「待ちなさい、脳筋共。まずは、確認するべき事があるでしょ」
荒っぽい二柱を制したのは水を司るオケアニスだ。
「何だよ。確認する事なんて。こいつを締め上げれば、それで済む話だろ」
「本当に馬鹿ね、貴方達は。そんな事をしなくても、クロノスの言葉と御厨玲の言葉。どちらか正しいのか、一発で分かる方法があるじゃない」
どういう事だと訝しむテミスに対して、小柄なレア―が消え入りそうな声で呟いた。
「クロノスが、治療中の肉体の事?」
「そうよ、その通り。流石はレア―ね。この二人とは大違い」
「え、えへへ。そうか―――ひぃ!」
「こらこら。レア―を睨むな、テミス」
タナトスに窘められたテミスは苛立ちまじりに舌打ちをした。しかし、その提案が正しいのを認めているのか、それ以上は何も言わなかった。
青髪で顔を半分隠しているエリスが頷き、
「妙案ですわね。本当に治療中の肉体があればクロノスの言葉が正しく、無ければ彼の言葉が正しい。これ以上ない証拠ですわ」
「然り、然り。クロノスよ、御厨玲の肉体は、今どちらに」
「私の座にありますわ。……いいでしょう。貴方がたが、私を疑うというのなら、潔白を示す為に、此方に移送します」
座とは、13神がそれぞれ所有するプライベートスペースのような物だ。個人の嗜好にデザインされ、主以外が立ち入るのには、主の許可が必要だ。
クロノスが席を立とうとすると、それを遮るように手が伸びた。
それに小さくない驚きの波が神々に起きた。
何故なら、手を上げた神が意外な人物だった。光を司るヘリオスですら、訝しむ視線を彼にぶつけつつ、名を呼んだ。
「エレボスよ。貴様が発言を求めようとするとは珍しきことだな」
重々しい問いかけに中性的な顔立ちをした神は体を左右に揺らしながら面倒だとばかりに答えた。
「まあね。でも、今回ばかりは面倒だと言ってられないんだよ。クロノス、君が座に向かうのは反対だ。別の誰かを向かわせるべきだ」
「……それはどういう意味ですか。例え、13神であっても、座に神が不在の時に入りこむのは不敬であるはず。それを承知での発言ですか?」
静かに、それでいてクロノスの怒りが周囲に広がる。神としての尊厳を傷つけられたとばかりに憤慨する彼女の反応は正しかった。だが、エレボスも彼にしては珍しく退こうとはしない。
「君には別の疑いがある。それを説明してもらうまでは、座に戻られては困るんだ。中から鍵を掛けられたら、僕らにはどうする事も出来ないからね」
「別の疑いですって。それは何なのか、ハッキリと説明してもらいましょう」
毅然と言い放つクロノスの姿は糾弾を受ける側とは思えないほど凛々しかった。対照的に糾弾する側のエレボスは視線を斜め下に向け、陰鬱な雰囲気を醸し出していた。立場があべこべな二人を前にして推移を見守る神々だったが、ふと、『窓』の光景が変化している事に気が付いた。
十四番目の『招かれた者』であるヨシツネが手を上げ、レイ達に対して何かを語りかけていた。それにレイ達が唖然とした表情をしていた。
誰かが、音量を大きくすると、その会話が飛び込んできた。
『……それはどういう、事なんだ。ヨシツネ、もう一度、言ってくれないか』
『何度でも。……拙者の知る限り、エルドラドを管理する神々の数は12だったはず』
それは混迷する神々を、更に掻き乱す一言だった。
呼応するように、観測所の空間にひずみが広がっていくのを、誰も気づかないでいた。
読んでくださって、ありがとうございます。




