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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第9章 故郷
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9-31 御厨玲 『後編』

 自らの正体を知り、絶望の沼地へと沈んでいくレイ。彼の瞳から、生きる希望は失われ、黒い瞳は周囲の闇に染まった様に艶を無くしていく。


 その瞳に、一筋の線が映し出された。


 闇の天を二つに割る、紅蓮の流星。まるで、誰かの命の輝きのように、猛々しく輝くそれは、真っ直ぐ、真っ直ぐ、真っ直ぐ落ちていった。


 レイの元へ。


 胸部に直撃したが、痛みは無い。あるいは、痛みを感じる事すら出来なくなっているのか、それは定かではない。代わりに、レイの心に驚きが生まれた。


 流星から炎が剥がれ、中から現れたのは褐色の肌にグラデーションの入った赤髪をなびかせ、縦に裂けた虹彩に強い覚悟を宿した少女だった。


 レイの心象世界。その最奥に踏み込んできた少女の名を、影法師は呆然と呟いた。


「……コウエン。何で、お前がここに」


「戯けた事を抜かすな、影法師。妾とこやつは心象世界で繋がっておるのだ。妾がこれぬ道理が何処に在る」


「いや……そうじゃない。分かっているのか。これはフィーニスの時とは違うんだぞ」


 何かを言いたそうにする影法師を無視して、少女は自分が踏みつけている少年へと目を向けた。


 レイの黒い瞳は伽藍洞のように光を失い、すでに美術品の胸像程度にしか体を残していない。ここは精神の、魂の世界だ。手足がもげたとしても、精神が正常へと至れば直ぐに元の形を取り戻す。逆に言えば、この状態は、レイが死にかけている事をハッキリと表していた。


 コウエンの小さな唇から舌打ちが零れた。


「この愚か者め。大方、自身の秘密に直面してこうなったのだろうな」


 まるで見ていたかのように言い当てるコウエンに、自我が限りなく薄くなったレイが反応した。


「どういう、事だ。まさか、君も、知っていたのか」


「……不思議に思っていた事があった。其方と魂の交換を行うたびに流れ込んでくる記憶。あれの中に、一度として貴様の、御厨玲としての記憶は無かった。何より、心象世界で共に過ごしていれば、嫌でも気がつく。其方は一度として、元の世界の事を自分から振り返ろうとしてこなかった。請われれば、答えよう。懐かしき物と出会えば、想うだろう。だが、自分からは一度として、無い」


 普通の人間でも、過去を振り返る時はある。ましてやレイは、半ば拉致のような形でエルドラドに来たのだ。幾度となく、故郷に戻る事を口にしていながら、彼は自発的に思いだそうとしてこなかった。


 その事実を、レイの心と繋がっていたコウエンは感じ取っていた。


「其方にとって、御厨玲の記憶は最も大切な物ではない。その事に確信した時、其方が御厨玲の記憶を植えつけられた存在だと推測した。……それを話さず、胸に秘していた事はすまなく思う。話せば、其方を追い詰める事となると危惧したが、返って逆効果だったな」


「珍しいね、君が僕に謝るなんて。……でも、まあ、正しいよ。御覧の通りの結果さ」


 レイは僅かに首を動かし、ひび割れた頬で自嘲する。無理な動きに頬の端が砕けた。


「コウエン。僕は……御厨玲じゃなかった。それどころか、何者なのかすら、分からないんだ。本当の名前も、記憶も、故郷も無い。名前の通り、空っぽのレイだった。ただの死なずの、化け物だ」


 これまで、《トライ&エラー》が発動する理由は、治療中の御厨玲の肉体があるため、エルドラドのレイが死ぬという矛盾を解消するために時を巻き戻していたのだと考えていた。


 しかし、御厨玲の記憶が完全に解放された今、それが間違っていると理解できた。


 あの事故で瀕死となった御厨玲の肉体は、真っ当に治療された。当たり前のように人生を歩んでいき、そして天寿を全うした。つまり、治療中の肉体ということ自体が真っ赤な嘘だ。


 あれが幻影なのか、それとも別の何かまでは不明だが、それでも一つだけ言える事がある。


 自分は死という事象すら捻じ曲げる存在だと。


 それを化け物と呼ばずになんと呼ぶ。


 口にすれば、絶望が込み上げる。纏わりつく水が、割れていく体の内部に染み込んでいき、絶望と混じり合って崩壊を加速させている様だ。内部から聞こえる破砕音が、どんどんと近づいていた。


 終わりの時間は、近い。


「ほう。目を離した隙に随分と腑抜けおったわ。なんじゃ? 妾は犬の糞でも拾いに来たのか」


 死を望むレイに対して、コウエンは冷然と言い放つ。縦に裂けた虹彩は怒りすら滲ませ、周りの空気すら紅蓮のオーラが漂っていた。


 赤龍の力と魂を継ぐコウエンの怒りは、魂であっても、否、魂だからこそ強烈だ。だというのに、レイはそれに当てられてもなお、死を望んでいた。


「もう、いいんだ。これ以上、生きていても意味が無い。それに、僕が居れば、僕をエルドラドに送り出した何者かの思惑通りだ。そいつが何をしようとしているのか、知らないけど、僕が存在する事自体、危険すぎる。因果を重ねていけば、周りを危険に巻き込む。だから、僕はこれでいいんだ」


「死ぬことで、ここで消える事で全てが平和になる。其方、本気でそう思っているのか」


 鋼鉄すら難なく溶かす龍の口から出たとは思えない冷たい響き。しかし、レイは何も思わずに肯定した。


「ああ、そうだ。僕には……帰る場所なんて無かった。ここが死に場所で十分だ」


 ゆらり、と。


 コウエンの髪が揺れた瞬間、世界に激震が走る。水しぶきが高く舞い上がり、地震が起きた様に揺れた。


「コ、コウエン!? おま、お前、何をしやがるんだ!」


 仮に、影法師に人の顔があれば、血相を変えただろう。慌てて叫ぶのは、コウエンがレイの胸部を足で踏み抜いたからだ。その衝撃で、レイの体は首から下が完全に崩壊していた。コウエンは首だけとなったレイの頭を掴み、自分の目線の高さまで持ち上げた。


「呵々。何を呆けておる。死にたいのだろう? 妾がしたのは、その手伝いだ。とはいえ、後は簡単だ。この手を離せば、其方は砕けて消えるだろう。じゃが、その前に妾の話を聞け。さして時間は取らせんぞ……影法師、其方は動くでない。動けば即座に離すぞ」


 言葉は鋭く、近づこうとした影法師の動きを縫い付けた。彼女が冗談や脅しでは無く、本気でレイを落とすだろうと直感した。何の躊躇も無く。


「良い。そこで見ておれ。……さて、レイ。其方、おかしな事を抜かしたな。確か、自分には帰る場所は無かった、と。そのような世迷い事を」


「……ああ、そうだ。だって、そうだろ。僕の記憶は他者の記憶だ。家族だと思った人は、友達だと思った人は、故郷だと思っていた場所は、全部、別人の物だ」


「不可思議な話だな。妾は、この耳でしかと聞いたぞ。あの時、フィーニスの憎悪から逃れようと其方がもがいていた時。其方はハッキリと言ったはずだ。―――僕が帰る場所なんて、一つしかない、と。あれは何だったのだ」


 言葉は記憶を蘇らせる引き金となる。


 闇の世界に再び色が生まれる。映し出された映像は、ここと比較しても漆黒の世界。フィーニスの憎悪の内側だ。闇の中で、映像のレイは叫んでいた。


 自分の帰る場所として、彼女たちの事を。


 リザの事を、レティの事を、シアラの事を、エトネの事を。彼女たちの事を想った。


 それが力となって、侵食する憎悪を引き剥がせた。


 映像を見ているうちに、頭の芯がぼうっとした。何か、暖かくて、心地よい液体に浸かっているようだった。


「大体、其方が何者だと。あまりにも馬鹿々々しい。そんなもの、悩まずとも答えられよう」


 コウエンはレイの頭を掴んだまま、額を合わせる。紅蓮の瞳の中で崩壊しかけている自分が映りこんでいた。


「其方はレイだ。それ以外の回答が、何処に在ると思う。状況に流されるまま、振り回されるまま、主体性を欠片も感じられず。そのくせ、荒れ狂う大海の中に溺れる者を見つければ飛び込み、自身の命すら平気で投げ出す。そうやって此処まで来た、違うか?」


「……そんなの、答えでも何でもない」


「気休めだと言うのか。ならば、問うぞ。自殺をしてまで赤髪の小娘を助けたのは誰だ? 魔人を相手に奴隷の少女を庇ったのは誰だ? 行き場を無くした姉妹を救ったのは誰だ? 妾相手に仲間と共に挑んだのは誰だ? 死にたがりの王子を王へと導いたのは誰だ? この半年近く、この地で戦ってきたのは誰だ?」


 コウエンが尋ねる度に、闇の空間をレイの記憶が彩る。御厨玲の記憶が再現されるとの同じように、あるいはそれ以上の勢いで、エルドラドを旅した記憶が鮮やかに映し出された。


 心が湧きたつほど嬉しかった事もあった。心が引き裂かれそうなほど悲しかった事もあった。時間があっという間に過ぎ去るほど嬉しかった事もあった。一分一秒を永遠のように感じるほど辛い事もあった。何でもない、穏やかに時間が過ぎていく事もあった。


 それらは全て、レイの記憶だ。


 映像の中で、誰かが親しげに名前を呼んだり、あるいは敵意をむき出しにして睨みつけてくる。御厨玲ではなくて、レイを。


「全てはレイ、其方だ。例え、始まりが偽りだらけで、誰かの意思で舞台に上げられた何者かだとしても、今日まで歩んできた足跡は其方の意思と勇気が切り開いてきた、唯一無二の物。誇れ、レイ。其方は《ミクリヤ》のレイだ」


 どこか、慈愛を持って告げられた言葉。それが頭の中で形となって結ばれる直前、最後に残った映像が、コウエンの向こう側に映し出された。


 それは、これまでの映像と違い、何もかもが黒く塗りつぶされていた。闇を映し出しているのではなく、何かに邪魔をされているように。だが、声だけは聞こえた。


 ―――「はい。成長したレイ君をずっと待ってますよ」


 誰かの声。


 聞き覚えは無い。


 でも、どうしてだか、それを聞いた瞬間に心が叫んでいた。


 ―――ここで、終わりたくない。


 例え、自分が誰かの策略でこの世に送り出されたとしても。この先も、因果を重ねる事で災いを呼び寄せるとしても。もし、自分が人間ではない化け物だとしても。


 こんな所で終わる為に生きて来たわけではない。


「僕は……僕だ」


 言葉にすれば、それまで沼地の泥のように絡みついて離さなかった絶望が、ずるりと剥がれていく。途端に、崩壊は動きを止めた。


「僕は、レイだ」


 言葉は力強く、意識は明確に。コウエンの瞳に映りこむ自身の顔は、ひび割れが塞がっていく。それどころか失ったはずの肉体が戻り始めた。映像を逆再生するように、レイの体は人の形を取り戻していく。


「僕は、《ミクリヤ》の、レイだ!」


 叫ぶと同時に、レイの体は闇の中だと言うのに白い光に包まれた。


 闇の世界を打ち払うかのような光が収まると、そこに残っていたのは膝を折ってコウエンと額を合わせているレイだ。四肢は完全に揃い、ひび割れも消えていた。


 自身の絶望と向き合い、今にも消えそうなほど追い詰められた少年の姿は影も残っていない。


「世話になった、コウエン。君が居なかったら、僕はここで死んでいた」


「……相変わらず、手のかかる小僧だ。もう、大丈夫か?」


「正直、まだ胸のここら辺が、じくじくと痛む」


 額を合わせたまま、レイは自分の胸元に手を置いた。


「僕が御厨玲じゃないと、それを考えるとここに刃を押し込められたように痛くなる。でも、君が教えてくれた。僕はレイだ。今は、それで大丈夫だ。ありがとう」


 感謝の言葉に、コウエンは目を瞑って頬を吊り上げた。


「まったく。これでは、おちおち、目を離せんではないか」


「……コウエン?」


 傲岸不遜な態度は変わらないが、声に覇気がない事にレイは気が付いた。頭を掴んでいた手が離れるのと同時に、彼女は重心が定まらない棒のように倒れそうになる。レイが抱きとめると、その体は驚くほど軽かった。中身が零れた袋のような見た目との違いに、不吉な予感を抱く。


「コウエン! その姿は!?」


 腕の中の少女は、褐色の肌にヒビを走らせ、吐息がか細くなり、今にも砕けそうなガラス細工のような脆さを放つ。それはほんの数秒前のレイと同じだった。


 どう考えても異常な状態のコウエンは、薄らと瞼を開け、紅蓮の瞳でレイを見つめた。


「五月蠅い奴だ。きんきんと騒ぐでない」


「だって、そんな。どうしてこんな事に」


「どうしてだと。そんなの決まってるだろ。お前を助けに来たから、こうなったんだよ」


 冷や水を叩きつけるように言うのは影法師だ。彼はレイの背後からコウエンの様子を覗き込み、舌打ちをした。


「僕を助けに来たから、こうなっただって?」


「そうだ。ここはお前の心象世界ではあるが、いつもの表層的な部分じゃない。最奥、いわば核と呼べる場所だ。幾らコイツが赤龍の魂であっても、こんな深い所に飛び込んでしまえば、拒絶反応が出る。魂の交換を行うたびに、少量でも拒絶反応で苦しんでいるんだぞ。それなのに、ここに飛び込んでくるのは、硫酸の海に飛び込むのと同じだ」


 自身の魂の一部を切り離したフィーニスの憎悪と違い、レイの心象世界の最奥は、まさにレイの魂その物。魂の交換を行うたびに、身もだえして苦しむコウエンにしてみれば、そこに飛び込むのは自殺行為だった。


 影法師は、彼女がここに来るとは考えていなかったようで、苛立ちを隠さなかった。


「そんな。それじゃ、どうすればコウエンを助けられるんだ。今から、ここを出れば間に合うのか」


 藁にも縋る思いで尋ねるも、コウエンは無情な答えを返した。


「いいや。そんな甘い話じゃない。こいつが、ここに来た時点で魂は修復不可能なまでに摩耗している。……最初から詰んでいるんだ」


 自分が御厨玲じゃないと知った時とは違う絶望が胸の内で広がっていく。


 このままではコウエンが死んでしまうというのに、何も打つ手が無いのか。


 途方に暮れるレイの腕を、コウエンは弱々しく掴んだ。


「良い。妾の事は、気にするでない」


 震える唇から零れた呟きに、力は無い。抱えた両腕から今にも消えそうな程、彼女は儚かった。


「気にするなって、そんな事出来るはずがないだろ! 何か、何か方法があるはずだ。だから、お前が諦めるなよ!」


「くっはは。これでは立場が逆ではないか。……良いのだ、本当に。こうなる事は予期できた事、覚悟していた事なのだ」


「嘘だろ。それじゃ、まるで僕を助ける為に、死ぬのを覚悟したみたいじゃないか」


「まるで、ではない。まさにその通りだ」


 信じられない。


 コウエンは幼く見えても、本質は赤龍の記憶を引き継いだ超常の存在だ。それが自らの死を覚悟してまで人間であるレイを助けに来るとはあり得ない。だからこそ、影法師も驚いたのだ。彼女が、死を覚悟してここに来ることを。


 だが、あり得ない事が現実として起きていた。彼女が来なければレイは消えていたはずだ。


「どうして、そんな事をしたんだよ。自分が死ぬと分かっていて、何で来たんだよ」


「其方が、諦めようとしないからな」


「……どういう、事だよ」


「其方の人生は、この世界においても指折りの過酷さだろう。どれだけ力の限りを尽くしても、それをあっさりと上回る絶望に苛まれ、膝を屈してしまう。だが、其方は諦めると言う事をしなかった。妾を相手にした時も、深層に落ちて『魔王』と対峙しても、諦めようとはしなかった。だからこそ、其方がどうしようもなく、心が折れそうな時には、助けてやりたいと思ってしまったのだろうな」


 びしり、と。不吉を纏った音が耳朶を震わした。


 コウエンの体を砕くようにヒビは広がっていく。比例して、彼女の存在感は薄まっていく。


「嘆くな。妾は本来なら、赤龍として死した時に大地を巡り、再臨の時を待つ運命さだめだった。それが何の間違いか、あの鋼を体として宿ってしまった。それは言ってしまえば、微睡に見る夢のような物。目覚めてしまえば、泡となって消え思い出す事も無い。全てはあるべきところに収まる」


 自らの消失が世界にとって正しい事だと語るコウエンだが、レイは駄々をこねる子供のように首を横に振った。


「夢なんかじゃない。君が居たのは、紛れも無い事実なんだ。僕らの仲間として、君は確かに居たんだ。でも、このままじゃ、君は赤龍として蘇る。その時にはコウエンとしての人格は」


「無いな、残念ながら」


 龍刀に宿ったコウエンという人格は、赤龍の体と魔人の血を触媒に、当代一のテオドールが己の技量を全て注ぎこんだ傑作だからこそ生まれた存在。それは奇跡としか言い表せず、理を捻じ曲げていた。


 本来ならあり得ない事象ゆえに、赤龍として再臨を果たした時には、全て無かったことになる。


 コウエンとして、龍刀の中でレイ達と旅をした数か月の記憶と、抱いた感情は微塵も残らない。


 今にも泣きそうなレイを見て、コウエンは仕方ないなと呟いた。


「……まったく、戯け者め。これでは未練が出来てしまうだろ」


 眦に浮かんだ雫が一滴、筋となってひび割れた顔面を流れていった。


「だったら、まだ何か方法を考えよう」


「いや。それよりも、先にすべきことがある。レイ、少し、顔を寄せろ」


 提案を遮ったコウエンに従い、レイは顔を寄せた。すると、それまで弱々しくしか動かなかった少女の腕がレイの後頭部を掴み、一気に引き寄せた。


 自然と互いの距離は零となった。


 紅蓮の虹彩に、自身が驚いている姿が映った。


 咄嗟に離れようとしても、後頭部を押さえつけられているので逃げようが無かった。


 唇が合わさっているのに甘美さは無く、荒々しい行為に思考に空白が生まれた。


 そこを埋め尽くすような熱に、レイは思わず息をするのを忘れてしまった。


 ようやく離れた時、互いの唇を繋いでいたのは血の雫だった。


「な、何をするんだよ!」


「照れるな。こうする方が手っ取り早い」


「手っ取り早い、って何の事―――っ!」


 言葉は最後まで続かない。レイの中に流れ込んできた熱は渦を巻き、体を突き破らんと暴れていた。頭の天辺から、爪先までを灼熱が清めていく。


 その感覚に覚えがある。魂の交換を行い、コウエンの魂を取りこんだ時と似ていた。


「妾の魂を、渡せるだけ渡した。これで其方を縛る暗示とやらも消えただろう。同時に其方は龍刀の力を余すことなく使える資格を持った。ただし、勘違いするなよ。資格はあっても技量は足りない。御しきれなければ、龍刀に食われてしまうだけだ」


 その言葉が引き金のように、崩壊は一気に加速した。コウエンの足は崩れ落ち、闇に溶けていく。崩壊の波は上へと押し寄せていく。


 もう、止める事は不可能なのは火を見るよりも明らかだ。


 彼女の輝きが弱まっていく。レイは零れそうになる涙を必死に堪えた。何故なら、コウエンは己の死を前にしても、揺らいでいなかったのだ。


 崩壊は止まらない。


 コウエンの残った体は、既に首だけとなっていた。それでも、彼女は、古代種の六龍が一つ、赤龍の生まれ変わりとして、最後の一瞬まで誇り高く毅然としていた。


「レイ。其方の進む道は険しいだろうが、決して諦めるな。諦めない限り、敗北はあり得ない」


 その言葉を残して、コウエンの姿は紅蓮の花びらとなって散った。


 後に残されたのは両腕に宿る熱と、自身の中で暴れ狂う力の奔流だけだった。








 どれだけの時間をそうしていたのか。


 魂だけの世界に時間の概念は無い。どれだけの時間を過ごしていても、戻れば一瞬だ。


 レイはコウエンの居た場所をじっと見つめていた。両腕に宿る熱が、彼女の居た証だ。


 コウエンから託された力は、体の中で馴染んでいた。


「……影法師。そろそろ、腹を割って話さないか」


 レイの背後で、何かをするわけでも無く佇んでいた影法師が、不思議そうに首を傾けた。


「残念ながら、俺に自殺願望なんて無いぜ」


「冗談は止せ。……正直、そんなのに構っていられる余裕なんて無い」


 振り返り、影法師を仰ぐレイの瞳にあるのは、苛立ちと怒りだ。自身に込められた秘密に振り回され、仲間を一人失った事への悔しさに、後悔に身を焦がしていた。


「お前はどこまで知っていて、何をしようとしているんだ。フィーニスの憎悪を取りこんで、何を企んでいるんだ」


「フィーニスの憎悪を取りこんだのは、お前の暗示を解くきっかけ作りさ。ついでに、『魔王』の力を得て、強化できればなと考えたんだが、中々狙い通りには行かないな」


 そして、と影法師は続けた。


「前にも言っただろう。俺はお前の知っている事も、知らない事も大体知っている。何しろ、お前から生まれたんだからな」


「なら、やっぱり僕に成り代わるのが狙いなのか」


 自身の影と呼ぶべき存在が望むことは、自分が主人各となる事。レイはそう考えていたが、影法師は詰まらなそうにため息を吐いた。


「馬鹿か、お前。俺が、何時そんな事をしたいなんて言った。大体、そんな事を考えているなら、フィーニスの時にアイツの側に着いていたぜ」


 フィーニスの憎悪に取りこまれそうになった時、確かに影法師はレイを助ける側に居た。もっとも、彼が助けたのはコウエンであって、レイだったとは言い難い。だが、先程まで死を望んでいたレイに対して、生きるように説得したのは嘘ではない。


 あの必死さが偽りだとは思えなかった。


 余計に混乱するレイに対して、影法師は仕方ないと呟いた。


「まあ、今のお前なら話しても大丈夫だな。……俺の目的は、神を殺す事だ」


 告げられた内容以上に、影法師から伝わる冷たい空気にレイは体が震えた。自分が抱いた絶望よりも、遥かに底が深く、重たい感情だ。


「神殺し。それじゃ、13神の誰かを殺すつもりなのか。それとも、まさか全員か?」


 自分の罪悪感から生まれた存在が望む事なのかという疑問を脇に置いて尋ねると、影法師は一瞬停止して、それから身を捩らせて笑い出した。


「ぎゃははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」


 狂った笑い。錆びた歯車を無理やり回すような不快な声にレイは耳を塞いだ。しかし、声は治まるどころか、ますます大きくなる。


 まるで―――幾千、幾万、それよりもっと多くの人の合唱のように。


 男のようで、女のようで、子供のようで、大人のようで、それでいて誰でも無い。そんな影法師の哄笑は突然終わった。


「たりないなぁ」


「足りないだって?」


「ああ、そうさ。足りないんだよ。13神? 少ないねぇ、少なすぎる! 俺が殺したいのは、この世全ての神だ! エルドラドを、『神々の遊戯場』と呼称して遊興に浸り、清らかな水を汚泥に穢した全ての神に、災いあれ!!」


 吐き出される怨嗟が実体を持っていたら、辺り一帯を炎で覆っただろう。それだけの怒りを撒き散らした時、レイは確かに見た。


 どこまでも際限の無い暗闇の世界。薄く広がる水面の上に、無数の影法師が直立しているのを。


 それは瞬きと共に消えた。だが、確かに居たはずだ。


 唯一残った影法師が、先程までの激昂をどこかに置いたように静かに告げた。


「コウエンの魂を注ぎ込まれたお蔭で、お前の意思を無意識化で縛っていた暗示は綺麗に消えたぜ。あいつに感謝しな。もっとも、《グレートディバイド》のペナルティは残ってるがな」


 これで、この先雑音によって意識や、記憶が影響を受ける事は無い。両腕に焼き付いて離れないコウエンの残滓に、改めて感謝を抱いていると、闇の世界に変化が起きた。


 再び、映像が再生されたのだ。


 誰の記憶かは直ぐに分かった。


「これは、御厨玲の記憶か」


 直ぐに正体に辿り着いたのはその映像の中身が見たばかりの物だからだ。


 御厨玲が死ぬ間際の光景。


 視界を映し出す映像は瞼が閉じられるのに合わせて黒く塗りつぶされる。


 死んだのだろう。先程と同じ、寸分違わない映像にレイはどういう事だと影法師に尋ねた。ところが、影法師は静かにと強く言い放った。映像を見逃すまいと、集中していた。


 そこで、レイも気が付いた。黒に塗りつぶされたはずの映像が終わっていないのだ。


「まだ、続いているのか。でも、死んでいるはずだろ」


「暗示が解けた以上、御厨玲の記憶に掛かっていた制限はすべて消えた。これで分かるぞ。どうして、お前に与えられたのが御厨玲の記憶だったのか」


「御厨玲の記憶だったのは、理由があるのか」


「そうだ。俺の推測通りなら―――」


 言葉は映像に変化が起きると止まった。


 ゆっくりと開かれた視界は、先程までとは全く違う光景を映し出した。


 頭上にあるのは満点の星のドーム。明らかに異質で、静謐な空間を前にして、御厨玲は戸惑いの声を上げた。その彼に向けて、重々しい声が響く。


「ここは神の観測所である、御厨玲。貴殿にはこれより、我らが管理するエルドラドに―――」


 言葉は最後まで紡がれなかった。


 映像が一瞬にして燃え尽きてしまった。


 それは、これ以上を見せたくないという意思を感じさせた。


 映し出された、御厨玲の最期の記憶。それが何を意味するのか、レイは衝撃のあまり混乱していた。


「……影法師。……今のは、まさか」


 動揺するレイとは違い、影法師は予測していたからなのか、冷静に返した。


「ああ、見ての通りだ。どうしてお前に与えられた記憶が日本人の御厨玲だったのか。それは御厨玲が、ただの日本人では無かったからだ。奴もまた十三人の『招かれた者』の一人だ」


読んでくださって、ありがとうございます。


12月も奇数日投稿を予定しております。

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