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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第9章 故郷
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9-30 御厨玲 『中編』

 清潔を保たれた病室に集まった人々の顔は、一様に心配そうにしていた。此方を見つめる視線に労わりの感情が込められ、口々に大丈夫か、と尋ねてくる。それらに返していけば、皆が安心して病室を後にした。


 どうやら壮絶な事故だったらしく、動けるようになるまでにそれなりの時間を必要とした。休学したせいで卒業は一年遅れとなったが、就職の障害とはならなかった。勤め先はとある研究分野で名を馳せている所だ。希望に沿った形になるのだろう。


 意気軒昂に働く姿は信頼を得やすいのか、周りには人が集まっていた。優秀だったのだろう。順調にキャリアを築いていく。


 実績を積み上げ、研究を進めていき、何かの賞を得るほどに著名になった時は、男の人生も佳境に入っていた。


 不思議な事に、結婚には乗り気ではなかったのか、生涯独身を貫いていた。孤独を埋めるように、慈善活動に積極的で、匿名で寄付などを繰り返していた。


 そんな男の最期は、まさに大往生だ。


 穏やかな春の日差しが射し込む病室のベッドて、うたた寝をするように人生に幕を下ろした。


 ―――それが御厨玲の人生だ。


「平凡だが、それなりに幸せな人生、と言えるな。特段、目を引くような事は一切ないが、逆に不気味にすら映るな、この場合は」


 終わった映像を前にして、影法師は映画を見た感想のように言うが、それをレイが聞いている余裕は無かった。


 彼の体はひざの下から砕け散り、水面に手を着いていた。ひびは加速度的に広がっていき、崩壊は目前へと迫っていた。


 存在しないはずの映像が流れていくのに合わせて、自我の崩壊が進んでいた。


「無様な姿だな、レイ。ここは精神の、魂の世界だ。動揺や混乱で心を乱せば、形は崩れていくぞ。ただでさえ、暗示によって崩れかけている体なんだ。このままじゃ、あっという間に消えちまうぞ、お前」


 投げやりな物言いだが、真実を告げていた。


「……何の、冗談のつもりなんだ」


「冗談? 何の事だよ」


「恍けるな! 今の映像だ。何が、御厨玲の記憶だ。あんなの、僕は知らない。あんな、事故の後なんて、そんな、未来なんて、あるはずがないだろ!」


 映し出された映像。


 それは自分の身に置きた悲劇の後の日付を、未来を流していた。


 病室のベッドに縛りつけられる日々。そこから解放されるも待っていたのは、厳しいリハビリの連続。投げ出したくなるのを懸命にサポートしてくれた病院のスタッフや友人、家族。そのお蔭で退院をして日常へと戻る。


 入院していた遅れを取り戻すように勉学に励みつつ、就職活動に勤しむ毎日。新品の革靴がすり減り、ボールペンを何本も空にして希望の会社に入れた。


 待っていたのは世界が広がる感覚。学生時代とは違う視点や経験に新鮮さを感じ、没頭するように研究にのめり込んでいく。上司や同僚に恵まれ、何より幸運もあったのだろう。もしくは何かしらの才覚か。ともかく、キャリアを積み、実績を上げ、外国からヘッドハンティングも受け、駆け抜けるように人生を突き進んだ。


 その結果に得たのは栄達であり、称賛だった。


 ピークは過ぎ、体の衰えに逆らえなくなると一線を退き、そのままリタイア。ある時、体に病気が見つかりそのまま入院したと思えば、ぽっくりと逝った。


 そんな、ありふれたような、出来過ぎたような、現実味の無い未来の映像が御厨玲の、自分の未来だと言うのか。


 必死に否定しようとするが、同時に頭の中で異変が起きる。脳を直接かき回すような痛みが走る度に、記憶が浮かび上がってくるのだ。まるで白紙のページに、新しい物語が浮かび上がってくるように、今しがた見た映像を補完する記憶が次々と流れ込んでくる。それまで覚えていた二十年分の記憶よりも長い記憶に、脳は悲鳴を上げていた。


「知らないんじゃない。単純に思い出せないように、記憶に封印を掛けられていたんだ。最初からあったんだよ。事故に遭う前の記憶と同様に、事故に遭った後の記憶もな。いい加減、理解できてるんじゃないのか?」


 影法師の何もかも見透かした物言いは腹立たしいが、正しい。


 頭痛の波が治まっていくと、泡のように浮かび上がる記憶も完成へと至る。それは一分の隙も無い、御厨玲という個人が生まれてから死ぬまでの記憶だ。


「……ああ、そうだ。お前の言う通りだ。……事故に遭った後の……その後の人生も、僕は覚えている。おかしな話だ。僕は、僕が死ぬ瞬間の事を、こんなにもハッキリと覚えているなんて、そんなのありえないだろ」


 シアラの持つ、《ラプラス・オンブル》のように未来の記憶がある、という事ではない。レイの中で、御厨玲としての記憶は、一冊の本のように完結して存在する。映画ならば、エンドロールまで収録されていた。


 だが、それはありえない。


 自分は、事故に遭った事でこのエルドラドに転移する事になったのだ。それは、今でもはっきりと覚えている。神々と高次元の空間で対話し、そしてネーデ近くの森に落とされたことは、魂に刻み込まれている。疑いようのない事実だ。


 いま、レイの中で二つの記憶が存在していた。


 一つは、御厨玲として完成された記憶。


 もう一つは、レイとしてエルドラドを旅している途中の記憶。


 これらが同時に存在するのは矛盾していた。


「矛盾も何もないぜ。だって、お前の中にある御厨玲の記憶は、最初から完結しているんだ。完成された人生を、お前は後生大事に自分の人生だと勘違いさせられていた。暗示の力によってな。自分で経験していない事は、自分の物じゃないんだぞ」


 せせら笑う影法師の言葉を、否定する気力も無かった。言われた内容に、納得が行くのだ。


 こうして完結された御厨玲の人生を頭の中で辿っていても、それが自分の物だという実感が湧かないのだ。他者の綴った伝記を読んでいるのと同じだ。


 一方で、クロノスとサートゥルヌスに出会った瞬間からの記憶は、自身の血肉のように感じていた。胸を張って、自分の記憶だ、と叫べる。


 それが何を意味するのか。もう、認めるしかない。


「……ふざけるな。……それじゃ、そんなの、だったら」


 喉に蓋をされたように、言葉が出ない。


 辿り着いた、認めたくない真実に絶望を抱くしかない。否定したいと心が叫んでいても、その心が、これこそが真実であると屈服していた。


 影法師は、そんなレイの心を読んでいながら、何も言わない。レイが自分の口で認めるのを待とうとしているのだ。


 一分か、十分か、あるいは一時間か、はたまた一日か、それ以上か。どれだけの時間が過ぎたのか、レイには分からなかった。


 魂と精神の世界で時間はどれだけ過ぎても、現実の世界では刹那に近い。しかしレイがそれを認めるのに必要とした時間は永遠にも近かった。


「僕は……御厨玲という他人の……記憶を……植えつけ……られた」


 絞り出すように絶望の答えを口にした瞬間、体が崩れる。水面に伸ばしていた右腕は半ばで崩れ、腰から下は音を立てて消えてしまった。


 態勢を崩すと、レイは顔の半分を水面に濡らし、呆然と、自分の告げた絶望に向き合った。残った胸に広がるのは、心を飲み込みそうなブラックホールに似た闇だ。


「正解だ、レイ。ようやく、その真実に辿り着いたな」


 称賛の声はすぐ傍から落ちた。影法師はレイを見下ろしながら、書き割りのような手を叩く。不気味な拍手が闇の世界に沈んでいく。


「その通りだ。お前の中にある御厨玲の記憶は、他人の記憶だ。大学生の時に事故に遭った彼は、こんな異世界に連れて来られず、普通に治療され社会復帰したのさ」


「……なら、僕は、誰なんだ」


 口にしてから気づく。


 これと同じ事を前にも呟いた。


 デゼルト動乱において、フィーニスの憎悪に飲み込まれた時、意識が落ちる寸前に呟いていた。


 ―――僕は―――だれだ?


「良い質問だ。その答えもお前の記憶にあるのさ。思い出しな、今なら思い出せるはずだ」


 影法師が膝を折ると、水面に波紋が広がる。レイの頭へと黒い腕が伸び触れた瞬間、頭の中に電流が流れ、少年の目から光が零れる。


 それは走馬燈とでも呼ぶべきか。


 エルドラドで過ごした半年近い記憶が逆から頭の中を駆け巡る。


 エトネの故郷に辿り着き、群がる海賊を追い払い、デゼルト国でダリーシャスらと別れ、人知を超えた怪物達の間をすり抜け、深夜の首都へと忍び込み、月下の中を逃亡して、雄大な砂漠を越え、水に浮かぶ都にて悪魔のような女と渡り合い、シアトラ村でナリンザを死なせたことを悔やみ、エルフの里でクロノスと再会し、シュウ王国で起きたスタンピードの中でシアラと巡り合い、不夜城の如き都市でレティが誘拐され、船の中でオルドに拷問まがいの特訓を付けてもらい、見捨てられた姉妹と再会し、ネーデで■■■やファルナと出会い、右も左も分からないまま森の中で何度もスライムに殺され。


 そして、クロノスとサートゥルヌスの二人に肉体を治す間、エルドラドを旅して欲しいと頼まれた。ここが御厨玲では無く、レイとしての最初の記憶だ。


 御厨玲が自分でないのなら、あの時に見た治療中の肉体は偽物なのだろうか。だとしたら、クロノスとサートゥルヌス。そのどちらか、あるいは両方が自分をだましていた事になる。


 記憶の逆再生を強制的に見ている時に浮かんだ疑問に、影法師は首を横に振った。


「違う、違う。お前が思い出すべき記憶は、この前だ」


「この前、だと? そんな記憶が……あるはず……無い」


 視界は電流に点滅し、脳は沸騰寸前だ。しかし、影法師は力を緩めるような事をしない。


「いいや、あるんだよ。思い出せ、お前の、俺達の始まりを!」


 言葉と共に頭の中を掻き乱す電流は増した。喉からは悲鳴だけが放たれ、意識は今にも途切れそうだ。


 視界は強すぎる光に覆い尽くされ―――。







 赤灼けた空。ひび割れた大地。生が枯れ、死に満たされた世界。


 黒い光。


 あれから、どれだけの時間が過ぎた。


 千年? 二千年? 一万年?


 否、数えるだけ無駄だ。


 ここは時の止まった世界。


 永遠の孤独。


 誰も居ない。


 ここには僕一人。


「驚いたな。こんなのが生まれていたとは」


 初めて聞く声。


 いや、声を、音を聞くのが初めてだった。


 前にはフードで全身をすっぽりと隠した誰か。


「人格が無いのか? いや、違うな。混ざり過ぎて、人格が形成できていないのか。なら、丁度いい。もう、使わない名前を君に与えよう。人格も、記憶も、生きるための目的も。その代り、僕の頼みも聞いてくれるかな」


 何を言っているのか分からない。


 でも、それが魅力的に思えたのは確かだ。


「良い子だ。それじゃ、今日から君が―――」








「―――御厨玲だ。今日から君が御厨玲だ」


 気が付けば、体は仰向けに転がり、頭の中を焼き尽くそうとした電流も止まっていた。同時に、断片だらけの記憶も急速に失われていき、唯一の残ったのは口にした言葉だけだ。


「今日から君が御厨玲だ。僕はそう言われたんだ。そう言われて、でも、誰にだ。あいつは、誰なんだ!?」


「それが分かれば苦労しねえよ」


 隣で胡坐をかく影法師をレイは睨んだ。


「お前、どこまで知っているんだ」


「前にも言ったよな。俺はお前から生まれた。お前の知っている事は全て知っているし、お前の知らない事も大体知っているぞ」


「なら……僕は、何なんだ」


 誰、とは聞けなかった。もう塵芥になりつつある引き出された記憶だが、そこから受けた印象は傷のように残っていた。


「人間……なのか」


 答えを聞くのは恐ろしく、声が震えてしまった。それに対して、影法師は気の抜けた様に返した。


「微妙な所だ。少なくとも、母親の胎で十月十日過ごして生まれた訳じゃないぞ」


 びしり、と。体が砕ける音がすると、残っていた腕すら崩れて水に溶けていった。後に残されたのは、水面に横たわる、四肢を失った胴体だ。それも胸像のように胸の半分から上しかない。


「そうか。……僕は、神に騙されていたのか」


「さてね。そればっかりは分からんさ。クロノスが騙しているのか、サートゥルヌスが騙しているのか、それ以外の神が騙しているのか。もしかしたら、13神全員が騙されているのかもしれないぞ。あのフードの存在に」


 何処か投げやりな口調なのは興味が無いからなのか。


 ここでいくら頭を捻った所で、真実を突き留めるには材料不足だ。


「なんで、御厨玲の記憶を、植えつけたんだ」


「それに関しては一つ可能性があるが、まあ、確かめるにはお前さんの協力が必要なんだが……おい、ちょっと待て。レイ、お前、消えようとしていないか」


 水面に横たわる、レイの姿は無残だった。体は端から砂のように崩れていき、ひび割れは止まる事を知らない。虚ろな瞳は洞穴のように昏く、全体から生気という物を感じられない。


 影法師の言う通り、レイは消えかけていた。


 慌てた様に立ち上がる影法師の姿に、この様な状況だと言うのに笑えてしまった。表情は無いが、もしかすると心配しているのかもしれない。


「ふざけるな! なに、勝手に消えようとしているんだ!?」


「……お前が怒る事か」


「黙れ。いいから、さっさと自分を高めろ。自分に手足があるのを、自我を組み立て直せ。じゃないと、本当に死んじまうぞ」


「……いいんだよ、それで」


「何だと。お前、どういう意味だ」


 声に鋭さが宿る。


 驚いたことに、影法師は本気で怒っていた。自分が消える事に、自分以上に怒っている。それをおかしく思いつつ、レイは自分の中に広がる虚無を告白した。


「もう、生きたいと、思えないんだ。自分が、帰りたいと思っていた場所が無くて、それどころか御厨玲ですらなくて、まともな人間かすら怪しいんだ。そんなの、ただの化け物じゃないか……もう、訳が分からないよ」


幾百の死すら乗り越えた少年の、悲痛な独白。


 自己を肯定するはずの記憶は、自身が人なのかどうかすら曖昧にしてしまう。御厨玲という人間だと言う記憶が、レイにとってこの不条理だらけの世界を旅する原動力だった。


 元の世界に戻りたい。


 その一心で、ゲオルギウスや赤龍、フィーニスやエレオノール、黄龍と言った怪物らとも戦えた。


 それがいま、根底から崩された。


 これまで、気がつくチャンスは幾らでもあった。こうして真実を受け入れれば、別の記憶が思い出せた。それは、影法師が言う暗示が働いた瞬間の記憶だ。


 家族クランの事を幸せそうに語るファルナを見て、自分は羨ましいと思った。何故なら、自分に家族なんて居ないのだから。


 エトネが故郷に帰りたがっていた気持ちは、自分になら分かると思い込んでいた。だが、それで思い出す場所なんて無い。故郷なんて無かったのだ。


 これだけは無い。暗示は日頃から自分の思考をコントロールしていた。日常のふとした瞬間に、故郷の事や、日本での出来事を思い出したり、重ねたりすることはほとんど無い。これらは全て、暗示によって思考に制限が掛けられていたからだ。こうして、自我が崩壊するにつれて、暗示も崩れていき、その事にようやく辿りついた。


暗示を仕掛けた奴は、とんだ臆病者だ。どんな些細な違和感から真実に辿り着くのか分からないから、片っ端から制限を掛けていた。もっとも、自分はフィーニスの憎悪を取りこむまで、その事に気が付けなかったから、正しい判断なのだろう。


「体に力が入らない。このまま、誰にも気づかれずに、消えるなら、それでもいい。自分が、化け物のような存在だと、誰にも、知られないまま」


 口にすればするほど、体の中で崩壊の音が激しさを増す。


 それが今では救いのように聞こえていた。


 立て続けに明らかになった驚愕の真実を前にして、このまま闇の中で消えたいとレイは思っていた。それが自我の崩壊を加速させ、消滅へと駆り立てた。


「このっ、大馬鹿野郎! お前が消えたら、どうなると思ってるんだ!」


「……おかしいな、影法師。僕は、それがお前の望みだと……思っていたよ。僕を消して、僕の肉体を乗っ取るのが、お前の目的じゃないのか」


「大間違いだ。俺の目的は……ちっ。そんな事を話している場合じゃない。いいか、レイ。確かにお前の知った真実は残酷だがな、それに飲まれるんじゃねえよ」


 影法師の顔が、起伏も無い、のっぺらぼうな顔が迫る。おかしなことに、その顔の中に、レイは誰かの顔を見出せそうだ。それは子供のような、大人のような、男のような、女のような、善人のような、悪人のような。


 誰かに似ているが、同時に誰でも無い。そんな顔に見えた。


「お前の旅の終わりはここで良いのか。こんな何も無い所で終わるつもりなのか、お前は!?」


「……仕方ないだろ。僕には何もないんだ。過去も、名前も、目的も。全部、御厨玲の借り物なんだ。僕は、誰でも無かった。ただの、名無しだ。名無しとして生まれたから、名無しのまま消えるべきだ」


 崩壊していく体は皮肉ではあるが自分の真の姿を示していた。


 外側だけは人間の振りをした、伽藍洞の人形。張り子の虎と同じで、あっという間に崩れてしまう。中身が空だから、こうして何も残さずに、虚無へと消えていく。


 それが自分だ。


 自分が何者なのか、それすら分からないまま、こうして闇の中で消えていくのが似合いの終わり方だ。


 それを受け入れ、瞼を閉じようとした時―――闇のそらを切り裂くように、新しい色が翔け抜けた。


 命を燃やし尽くすような、色鮮やかな紅蓮の火花を散らして。


読んでくださって、ありがとうございます。

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