9-33 崩壊 『中編』
『正体不明』。
ヨシツネが居た一週目のエルドラドを実質的に滅ぼした最後の『七帝』。しかしながら、その正体に迫る有力な情報は一つも無い。13神ですら把握できず、いずれ来るであろう崩壊の刻限に現れる事だけが予言されている。
そんな謎めいた存在の名がシアラの口から出た。リザは戸惑った風に瞬きを繰り返した。
「確かに、『正体』は情報不足。ですから、記憶や認識を改竄できるかもしれませんが、それにしても無理やりな気がします」
「そうかしら? 『正体不明』についてワタシ達が知っている事はほとんどない。それはこの世界を管理する13神でも同じよ。彼らの目を欺き、世界を終らせた。でも、そんな事があり得ると思う? 一週目の時、13神は世界に対して今よりも、もっと深く介入していた。それなのに、彼らは旧『七帝』の中で『正体不明』だけは何の情報も得られていない。ワタシは、ここから、『正体不明』が記憶や認識を改竄できる力を持っていると睨んでいたの」
情報が極端なまでに存在しないという事実から発想を逆転させた。神々の観測でも見つからないというのは、神々の目を誤魔化す力があるのではないか、と。
シアラの推測を裏付ける証拠は無いが、だからといってそれを否定する材料も無い。何より、記憶や認識といった単語は自身の境遇と関係が深い。
黒幕と呼ぶべき存在が、自分や神々の記憶や認識に手を加えているのは間違いない。その候補として『正体不明』はあり得る話だった。
「エルドラドで誕生した生命なのに、神さまにまで影響を与えるなんて事、できるのかな?」
「……普通の存在なら出来ないでしょう。でも肥大化された魂を持つ『七帝』ならば、と思えてしまいますね。あれだけの実力を目の当たりにすれば。……正直、サファ殿の刃の冴えは、神々にすら届くのではないかと思ってしまいました」
リザの気持ちも分からなくない。デゼルト動乱で姿を現した『守護者』、『勇者』、『機械乙女』。シアトラ村で遭遇した『魔王』に、封印から解放された『龍王』。
単純な物理的な破壊力以上の、得体のしれない強さを秘めている彼らならば、エルドラドという箱庭の枠に収まり切れず、存在するだけで世界を滅ぼしてしまうと納得できる。
「つまり、現状を纏めるとこんな感じかな。まず、世界救済を託された『本物の御厨玲』がこの世界に来た。その後、彼がどうなったかは不明だけど、黒幕はその事実を隠ぺいした。隠ぺいした証拠は、僕がこの世界に転移したという状況が矛盾するからだ」
「一度、召喚された御厨玲と同じ記憶を持つ存在が居れば、『本物の御厨玲』を呼んだ神か、あるいは周りが不審がります」
「でも、それは起きていないようね。少なくとも、クロノス様は主様に対して、生存中の『招かれた者』は二名と言っていた。彼女は自分が呼びだした『招かれた者』以外の動向を知っている事になるわ。これが遊戯である以上、他の神が呼びだした『招かれた者』の情報は共有されていないと公平じゃない」
「その黒幕として怪しいのは順に、クロノス、サートゥルヌス、あるいは他の神。そして『正体不明』っていうわけか」
沸騰した湯のように次々と謎が噴き出してくるが、こうして纏めるとバラバラだった情報が線で結ばれた。
黒幕は記憶か認識を捻じ曲げる事が出来る。
それは間違いないだろう。
孤独の地平にて出会った、フードを被った謎の存在によって、『本物の御厨玲』の記憶を焼きつけられた。その上、神々に対してまで『本物の御厨玲』という人物が居た事を忘れ冴えているのだ。
そして、もう一つ。
《トライ&エラー・グレートディバイド》の持つペナルティ、認識の喪失。使用した代価としては重すぎる代価。これも黒幕が仕掛けた可能性がある。
これらを単なる偶然の一致で片づける事は出来ない。だが、シアラの推測にも、一つだけ無視できない穴があった。
「でもさ、シアラお姉ぇの説明だと分かんない事があるよ」
レティが小さな指を指揮棒のように振って、それを口にした。
「『正体不明』が誕生するのは、五年後、じゃなくてもう四年半ぐらいかな。未来の話なんだよ。でも、シアラお姉ぇの説明だと、もっと前から活動している事になっちゃう。それはどうして?」
「それは……その……むぅう」
一転して怜悧とも取れる相貌は渋くなる。喉で物が詰まった様な苦しげな声を上げて唸ると、シアラは観念したとばかりに、
「駄目。それに関しては説明できないわ。ヨシツネ様と同じく、崩壊を免れた……としても狭間の世界を自力で脱出したなんて都合のいい話があるとも思わないわ。同じ『七帝』の黒龍ですら、自力では不可能なんだから」
と、両手を上にひらひらと振った。降参のつもりなのだろうか。
天を仰ぐシアラをフォローするようにリザが口を開いた。
「聞いていて、面白い発想だと思ったわ。『正体不明』が13神すらも手玉に取る、というのは中々思いつかないもの」
「ありがと。でも、やっぱり未来に誕生する存在が過去でもう活動していることへの説明が出来ないと、この説はただの推測よね」
振り出しに戻ったと嘆いていたシアラは、ふと議論に口を挟まずに神妙な表情をしていた忍者に気づく。ヨシツネは形の良い眉の間に皺を作り、考え込んでいる風だった。
「ねえ、アンタは何か思い当たる事は無いかしら」
シアラが彼に話を振ったのは、自説が行き詰ってしまい、新しい発想を得るためだった。それゆえ、無ければそれでもいいと軽い気持ちだった。
呼びかけられて顔を上げたヨシツネは慎重に、探るようにおかしなことを尋ねた。
「……一つ、疑問に思うことが」
「なになに? 何でも言ってみてよ」
レティが人懐っこく言うと、ヨシツネは囁くように、
「その、皆様が先程から何度も言う、13神、というのは、この世界を管理する裏方。いわば黒子のような御仁の事で間違いありませんか」
「表現は気になりますが、概ねその認識で間違いありません。エルドラドを管理運営する、13の神々の事です。それが?」
当たり前の事実を確認するヨシツネに不思議そうな顔をするリザ。それが返ってヨシツネの自信を削るのか、彼は自身を失ったように顔を伏せた。
「いえ、その。もしかしたら、拙者の勘違いかもしれませぬが……その」
「ああ、もう! アンタ、男なんでしょ! だったら、もうちょっとはきはきと喋りなさい!」
何度も言葉につっかえながら喋るヨシツネに対して苛立ちを交えた叱咤を浴びせた。シアラの金色黒色の瞳に委縮しつつも、これ以上怒らせては不味いと思いヨシツネは一気にまくし立てた。
「その、拙者が知っているのと人数が合わないのです!」
不意に訪れる沈黙。
たき火が爆ぜ、木々が風で揺れ、鳥や虫が奏でる音だけがやけに大きく聞こえた。ヨシツネの告げた内容が、各々の中で明確な意味となって飲み込めるまで、短くない時間が必要だった。
どうにか立ち直ったレイが、慎重に、警戒すら滲ませて尋ねた。
「……どういう、事なんだ。それは。ヨシツネ、もう一度、言ってくれないか」
「何度でも。……拙者の知る限り、エルドラドを管理する神々の数は、12だったはず」
「……つまり、何か。君は、エルドラドを管理しているのは13神ではなく、12神だって言うのか」
オウム返しに尋ねている事にすら気づかないレイに、ヨシツネは頷いた。
「その通りです。拙者が、各々の申す一週目のエルドラドに降り立つ前。そして降り立ってから得た知識では、そのはず。それゆえ、皆様方が13神と口にする度に、数が増えたのかと思っていましたが、それも妙な話ゆえ」
妙どころではない。
ヨシツネが口にした内容は何もかもの根底から揺るがす発言だった。
「リザ、シアラ。神が増えるなんて事、あり得るのか?」
「……いえ。申し訳ありませんが、そのような話は聞いた事もありません。シアラ、貴女は?」
「ある訳ないでしょ、そんな無茶苦茶な話」
吐き捨てるように言うと、シアラは金色黒色の瞳に理知の色を携えて、深く考え込み始めた。紫がかった髪の下に収まる頭脳が活発に動く。
「無神時代が始まる前から、神の数は13.それは幾つも残っている古文書や、神話の痕跡からして間違いない。だとすると、一週目のエルドラドでは神の数が減ったということ? ……いいえ、それはあり得ない。もしも減ったのなら、現在の神々の数も12じゃないと話が合わない。だって、時間が巻き戻ったのは、エルドラドの内部であって、外部の、神の領域は変わっていない。だとしたら、減ったのではなく、増えた?」
自身の呟きに愕然としながらも、シアラは辿り着いた可能性を呟いた。
「12の神が、13になった。二周目の、現在の時間軸が始まってから、今に至るどこかの地点で神の数が増えたんだわ」
「それは……そんな事があり得るのですか。神が増えるなんて、そんな。そもそも、それが歴史の何処にも記されていないじゃないですか。初代法王が纏めた経典にも、神の数は13です」
姉の言葉にレティも頷いた。彼女らは修道院に預けられていたとはいえ、帝国四大貴族の一員。反乱が終わった後の事を見越して、高度な教育を受けていた為、神学についても詳しかった。
同様にシアラも歴史に関する知識は持っており、自分が呟いた可能性が、何処にも記述されていない事はとうに知っていた。
同時に、それを可能とする存在にも心当たりはある。
「ここでも同じことが起きていたとしたら。神々と、主様の記憶と認識を改竄したように、世界中の情報すら改竄されてしまったとしたら」
シアラの中で繋がる可能性。それが生み出す絵をレイもおぼろげながらに理解した。それは余りにも異常で、正気を疑いそうになる可能性だ。
「……つまり、君はこう言いたいのか。僕に御厨玲の記憶を植えつけた黒幕は、全ての人の認識や記憶を改竄して、13番目の神となり、今も13神として堂々と居座っているのだと」
レイ達があり得ざる可能性について喧々諤々の議論をしている中で、それを『窓』で覗き見ていた当の本人達は一触即発の火薬庫めいた空気の中に居た。誰かが不用意に動いた瞬間、何もかもが崩れる。まるで斜面に積もった雪が崩れる直前を目の当たりにしているようだった。
会話を聞かれているとも知らずにヨシツネが口にした、神々の数が違うという言葉から、シアラが語る黒幕がこの十三人の中に居るという推測は、前述の記憶と認識を改竄できる者が存在するという推測と結びつき、疑心暗鬼を生み出した。
何しろ、知覚している情報や記憶が、改ざんされていないと誰も断言できないのだ。全てに対して疑ってかかるしかない。
青い瞳が刃の切っ先に似た鋭さで見つめるのは、クロノスとサートゥルヌスの二人だ。
彼らはレイをこの世界に送り込んだ当人とその兄だ。シアラの言う通り、悪意ある何者かが神々にまで記憶や認識を改竄できるとなれば、彼らが被害者なのか、あるいは加害者なのか。その判断も着かない。
その中でエレボスによる告発が、全員の意識を集めていた。
「エレボス。話が途中となっていましたね」
そんな状況下でも、己の無実を知っているクロノスは堂々とした口ぶりで口火を切った。彼女に名前を呼ばれ、『窓』から胡乱げな瞳を向けたエレボスに続けた。
「私に別の疑いがあると、貴方は仰った。さあ、それが何なのか、教えて下さいませんか」
口調は丁寧だが、怒気は隠しきれていない。エレボスは卑屈そうに視線を下に向けつつ、全員の前に新しい『窓』を作った。
それは一瞬の空白から映像が始まる。
映し出されたのは黒髪に白がまばらに混じる少年が、うだるような熱砂以上の熱気を放っている瞬間だ。
レイがコウエンと魂の交換を行い、窮地を乗り切る場面だ。
それを見て、この映像に何の意味があるのだと首を傾げる神々とは別に、クロノスは表面上では静かに、しかし心の裡では動揺が嵐のように吹いていた。
この映像が、なぜこのタイミングで。
「これは御厨玲……いやさ、レイが魂の交換なる絶技を初めて使った瞬間……とされていた。でも、僕はこれを見て違和感があったんだ」
「違和感ねぇ。私には、驚嘆すべき技、としか映りませんが」
ヘメラの言葉に何人かの神が同意する。エレボスはぼつぼつと自身の違和感を説明した。
「僕は、レイをあまり知らない。ただ、これまでの彼の行動から、こんな危険度の高い技を何の躊躇いも無く、ましてや不安も無く使えるような人間じゃない、とだけは想像できる。そして、その力を使った仲間達の反応も気になるんだ」
言葉と共に映像が進み、リザが魂の交換に対する感想を言う。それは全く知らない物への反応では無かった。
「妙だとは思わないか。これじゃ、話が繋がらない」
「……もしかすると、君はこう言いたいのか? レイ君が実は魂の交換を事前に使っていた。でも、その時の映像が改ざんされていると」
サートゥルヌスの語気が強まった。続けて飛び出す言葉次第では、妹を守る為に敵対も止む無し、と匂わせていた。それを理解しながら、エレボスは言い放った。
「その通りだ。そして、クロノス。君がそれを知らなかったとは言わせないよ」
じわり、と。膝の上で固く握られた拳に汗が滲む。一斉に向けられる視線が自らを苛むように突き刺さる。この流れは不味い。
しかし、一度勢いづいた濁流は、全てが流されるまでは止まらない。
「ここに、君が短期間で何度も、レイの映像にアクセスした記録がある。不可解なまでに多いのは、この事実に気づいていたという証だろ」
再び開かれた『窓』には、クロノスが映像にどれ程の頻度で開いていたのかという履歴や、更には彼女が観測所で、一人で作業している映像まで付いていた。
「エレボス! まさか、私を監視していたの!?」
「それに関しては謝るよ。最近の君の振る舞いが怪しくてね。でも、謎は解けた。君が調べていたのは、何者かによる映像の改竄。そうだろ」
一瞬、クロノスは答えるのに躊躇した。
このまま答えるのは危険だと感じ取ったのだ。しかし、事実名だけに否定は出来ず、仮に否定すればこのアクセスは何の為だと追及されてしまう。ゆえに、クロノスは頷いた。
「ええ、その通りよ。玲様の映像が改ざんされている痕跡を見つけて、それを調査していたの。でも、それが何か問題があるかしら」
すると、エレボスの瞳に暗い色が差した。ブラックホールのように光を飲み混み離さない暗さは、彼の者ではない。
「問題? ええ、大ありですわ! クロノス。記録では、貴女がそれに気づいたのは、恐らく十四番目の『招かれた者』が出現した頃ね。そうでしょ、違うとは言わせないわ。だとしたら変よね、変よね。あれから随分と時間が経つのに、貴女はその事実を誰にも言わずに、秘密にしていた。私達が、この中に裏切り者が居るのではないかと互いを疑いあっている時に何も言わなかった」
打って変わって金切り声を上げる神の姿に、他の者からうめき声が上がった。二人で一人の神、エレボスの半身であるニュクスが表に出たのだ。
「それは……下手に公開すれば疑念が加速して、最悪互いを信じられずに分裂すると思ったから」
「いいえ! いいえ! 十四番目の『招かれた者』が一週目のエルドラドから流れ込んできたと知っても、貴女はこの事実を公表しなかった。私達が指摘するまで、言おうとしなかった。それは何故? 何故? 何故? 決まってるわ。気づかれたくないからよ。裏切り者なんていない。そう、思って皆が気を緩めている時に裏で動く為に、何も言わなかった。その方が、都合がいいと思っているのでしょ」
金切り声でまくし立てる神に、クロノスは言葉を荒げて応じた。
「ニュクス! それは私に対する侮蔑だと理解していますか!?」
「侮蔑? 違うわ! これは告発よ! だって、貴女は知っていたはずよ。誰もが裏切り者の存在を疑っている時に、貴方だけは確実に居ると知っていたわ。誰かがこの映像を改竄していた事を、貴女は知っていたと自分で認めた。それなのに、貴女は言わずに黙っていた。それは、何故? 答えは決まっているわ――――貴女が改竄したんでしょ、これを」
二人で一人の神。エレボスから気弱さを拭い、狂信という火で自らを炙るニュクスがクロノスへと指を突きつけた。
「映像の改竄をした貴女こそ、私達の中に紛れ込んだ裏切り者。違うかしら、十三番目の神。それともこう呼んだ方が良いかしら―――『正体不明』?」
読んでくださって、ありがとうございます。




