9-20 故郷に起きた悲劇
山が燃える事で周りに与える影響は多い。
例えば、火が延焼し人の生活圏へと届けば、住居や財産、更には生命まで脅かされる。舞い上がった煙に有害物質でも含まれれば、健康被害をもたらし、山を中心とした生態系も乱れる。
ざっと上げるだけでこれだけあり、他にもまだ問題はある。しかし、これは表の、つまり目に見える表面上の事に過ぎない。山の表面が燃えた時、その裏側でも深刻な影響を与えていた。
この場合の裏とは、地下だ。
山の斜面などに木々が倒れずに生えているのは、その下に伸びている根が土を掴んでいるからだ。しかし、山火事によって発生した、空に昇る煙よりも比重の重いガスが土壌へと浸透し、根を弱らせ腐らせると、地面が緩んでしまう。そこに雨が降れば、土砂は塊となって雪崩れてしまう。その上に乗っていた木々や岩石などを乗せて、下へと転がり落ちる。
詰まる所、レイ達の前に広がっている光景がその結果だ。
「エトネ。お前もこの国出身で、あの山に住んでいたなら知っているだろう。夏から秋の間、この辺りは断続的な雨季に入る。今年は、例年に無いほどの長雨となって、日が射し込んだのも数日程度だったらしい。そんなある時、皆が寝静まった夜に、轟音が集落を襲った」
残酷な真実を打ち明ける陰鬱な口調のミエリッキを止める者はいない。誰かの無念を晴らすように、彼女は続けた。
「あっという間の出来事だったらしい。雨が降りしきる中、外に飛び出した者達は、山が削れ、直ぐ足元まで土砂が流れ込んでくるのを見て驚き慌てふためいた。集落全域に鐘の音が響き渡り、とにかく一目散に逃げた。翌朝、雨にずぶぬれになった住民達は、自分たちの集落が土砂で分断されているのを目の当たりにした」
「……その時、アンタは何処に居たんだ」
「私は集落出身だが、案内人としていつも港の管理局勤めだ。その時は、別の者達を案内している最中でな。……報せを聞いた時は天地がひっくり返る衝撃だった。一夜にして、集落の人口の三割が土砂に飲み込まれ、家屋も半数が使えなくなった。土砂崩れは一度で終わらず、二度も三度も起きて、雨季が終わる頃になってようやく止まってくれた」
眼前の山はスコップで削り取った様に抉れ、土砂が丘のように広がっている。その下にはまだ犠牲者たちが埋まっているのだろうか。
自分の想像に気分を悪くさせると、ミエリッキが憎悪の籠った視線をエトネに向けた。
「これで分かっただろう。私がお前を、お前ら母娘をこんなに憎むのか。全ては、あの山火事が起きたからだ! あれさえなければ、集落は、皆は……っ!!」
ミエリッキは嗚咽を噛み殺し、涙を堪えると凶悪な面構えとなった。
彼女の気持ちも理解できない訳ではない。肉親の犯した不始末によって周りが、生まれ故郷に被害が出てしまえば、その責任を取らなくてはと強迫観念に駆られ、それが裏返って殺意となって、エトネを狙ったのも筋は通る。
だが、これは自然災害だ。
「おちび、エトネにこれの責任を取れって言うつもりなの? そんなの間違ってるわよ。確かに山火事はエルフの母娘が居たから起きたかもしれない。でも、その後に長雨が降ったのも、それのせいで土砂崩れが起きたのも、単なる偶然じゃない。この子に罪は無いわよ」
「罪が無い? 偶然だと?」
その言葉はミエリッキの琴線に触れてしまった。毛が総毛立ち、短く太い尾が膨らみ、歯茎までむき出しにした彼女は、まさに狼が吼えるが如く烈火の怒りをぶちまけた。
「貴様、それをあの冷たい地面の下で眠る者達に言えるのか!? 肉親を失い、家を失い、途方に暮れる子供に言えるのか!? 子を無くし、その面影を探して彷徨う親に言えるのか!? 貴方達の大切な人が死んだのは、運が悪かった。偶然だ。そう、言えるのか!」
気迫だけでも人を死に追いやれそうな咆哮。だが、シアラは一歩も退かない。金色黒色に絶対零度もかくやの眼光を携えて激昂するミエリッキを正面から対峙する。
「言うわよ。お気の毒に。肩を落とさないで。死んだ人も、生き残った貴方がこうして悲しんでいると、御霊に昇れないわよ。そう、言ってあげるわよ。そうして折り合いを付けなくちゃ、生きているだけで苦しくなるわよ!」
「貴様……部外者が知ったような事を。……来い、エトネ!」
シアラの堂々とした振る舞いに怯んだミエリッキは卑怯にも相手を変えた。彼女からしてみれば、最初から胸の内で渦巻く感情をぶつける相手は一人だった。
案山子のように呆然と立ちすくんでいたエトネの手を掴むと、坂を降りていった。エトネの身体能力ならば、一瞬で振りほどく事も可能なのに、そうは出来ないのは心が受けた衝撃が大きすぎた。
「エトネを離せ、ミエリッキ!」
レイが叫びリザが飛び出そうとするも、大音声が足を止めさせた。
「こないで!!」
誰あろう、エトネが叫んだ。萌黄色の瞳に涙を浮かべ、首はハッキリと横に振っていた。
強い拒絶の意思を発していた。
騒ぎは遠くに居た集落の人にも聞こえたのだろう。顔が此方を向き、様子を窺っている。その方向へとミエリッキはエトネを連れて行こうとする。
「どうしましょう。ここでミエリッキからエトネを取り戻せば、間違いなく騒ぎになります。後々が面倒になりますが」
リザの言う通りだ。人目に付かない夜間の山中ならばともかく、こうも開けた場所で国の案内人であるミエリッキと争うのは分が悪い。
「……ここは様子を見よう。でも、何かあれば直ぐに動けるようにしてくれ」
そういって、レイ達はミエリッキとエトネから離れた場所で様子を窺っていた。
「おや、ミエリじゃないか。今日はまた、何の用かな」
穏やかな表情と共に不思議そうに声を掛けたのは畑で作業中の狼人族だ。彼以外にも大人や子供が畑で作業をしていた。彼らはミエリッキを知るのか、手を止め集まり始めた。
その人達の前に、彼女はエトネを放り投げた。
地面を転がる少女に集まった人々はミエリッキを非難する。
「こりゃ、ミエリ! お前さん、こんな事をするなんて。お前さん、大丈夫……その、耳は」
ミエリッキに声を掛けた男は膝が汚れるのも構わずにエトネを抱き起そうとして、彼女の髪から突き出た長い耳に瞠目する。男の驚きが伝染したように周囲の人間たちにも広がった。
「おい、あの耳。あれってまさか」「エルフの耳? でも、なんでエルフの子が」「ちょっと待て、あの子供。尾もあるぞ」「じゃあハーフなのか」「緑の髪に灰色が混じっているハーフエルフの子供。それってもしかして」「……タノの子供か?」
騒めきは答えを得て静寂へと至る。集まった群集は自分たちが出した答えが真実かどうかを確かめるべく、エトネとミエリッキを交互に見つめた。
その群集に対して、昏い色を瞳に宿したミエリッキが、彼らが求めているであろう答えを投げつけた。
「聞いて欲しい。ここに居るのは、我が兄、タノの娘、エトネ。今年の春に起きた、あの山火事の原因の片割れだ」
爆弾は最大限の効果を発揮した。ざわめきが打ち寄せる波のように激しくなり、群集の中で怒りが膨らみ、沸騰寸前まで行くのをエトネは感じた。
「タノの妻、エス二アはこの集落を出て死亡した。天涯孤独の身になったこの娘は、愚かしくも行く当てがないからとこの国の、この集落に移住を希望した。信じられるか!? こんな災害を引き起こした当事者が、のうのうと戻って来たのだぞ!」
それが最後の一刺しだったのだろう。
群集はエトネを扇のように取り囲むと、口々に罵声を浴びせた。
「忌子が、どの面を下げて戻って来た!」「お前ら母娘のせいで、私の家は潰されたんだぞ!」「うちの孫が、生まれたばかりの孫が、何処にも居ないんだよ」「母さんを探しに行った姉ちゃんが、返って来ない。お前のせいだ!」「返せ」「お前が悪い」「返せ」「責任を取れ」「死んだ人を、返せ!!」
言葉で心を抉るとはまさにこの事だ。
大人も子供も、男も女も関係なく。エトネに罵詈雑言を浴びせていく。まだ、石などを投げつけた方がマシだろうとさえ思ってしまうほどの憎悪の合唱。それを一歩離れた場所で眺めていたミエリッキは残忍な笑みを浮かべていた。
自らが煽り、扇動した人々が彼女に罰を与えるのが当然だと考えていた。
群集の熱が最高潮に達した時を頃合いと見計らい、エトネの首を絞める。例え、刃物などを奪われても、素手で人を殺す方法は幾らでもある。レイ達が邪魔をするのは想定の範囲だが、こうして人の壁が取り囲んでいる以上、邪魔は出来まい。
そう、邪悪な考えを巡らしていると、畑に転がっていたエトネが起き上がった。土に汚れた体に向けて容赦なく飛ぶ怨嗟の声に、彼女は頭を下げたのだ。
「……ごめんなさい」
それはか細い声だった。容赦なく、エトネを詰る声にかき消されるほど弱々しい声。だが、彼女は何度も繰り返し言う。
「ごめんなさい」
決して大きいとは言えない声。だが、それを微かに聞き取った者は、マグマのように噴火する感情を一瞬だが忘れてしまった。
「ごめんなさい」
一人、また一人。口を噤み、冷静さを取り戻していく人々。彼らの顔に浮かぶのはバツの悪さだ。寄ってたかって、一人の少女を追い詰める自分たちの姿を省みて、同時に鬼の形相で詰り続ける隣人を見て、自分もこうだったのかと苦い思いを噛みしめる。
「ごめん、なさい」
罵声の嵐は静かに凪いでいく。どよめきが広がると、高まっていた興奮はどこかへと消え失せていく。ミエリッキは自分の思い描いていた展開と違い、舌打ちを一つした。
「おかあさんと、エトネがいたせいで、こんなことになって、ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい」
「いや……お前さんに謝られても……むう」
涙ながらに謝罪を繰り返す少女を前にして、大人たちは拳の振るいどころを見失った。そうなると、子供たちも似たような物だ。むしろ、彼らの熱に突き動かされていた所のあった彼らは、一番戸惑った様子で大人たちを見つめていた。
そこに割って入る様に人影が飛び込んだ。
黒髪に白い物が混じる少年、レイだ。
見知らぬ人物の登場に驚く人々に、レイは静かに口を開いた。
「驚かせて、すいません。《ミクリヤ》所属、リーダーを務めています、レイと申します。彼女、エトネは僕のパーティーの一人です」
「その子が、冒険者なのかい?」
「はい。とある縁がありまして、彼女と共に旅をしてきました。……皆さんの置かれた状況、そして怒りは十分に伝わりました。どれだけ悲惨な目に遭ったのか、多分、僕が理解しているのは全体の一割にも満たないかもしれません。でもね」
レイは言葉を区切り、自分に冷静になれと言い聞かせないといけなかった。さもなければ、感情のままに行動したくなる。
たった一人で、耳を塞ぎたくなる呪言めいた罵声を浴びてなお、頭を下げ続けたエトネ。見ていられず、飛び出そうとしたレイ達を、彼女は小さな手で制していた。皆の憎悪を、怒りを受け止めるのが自分のけじめだと言わんばかりに。
その姿を見た以上、彼女の勇気ある姿を汚す訳には行かない。
だからといって、言いたいことは幾らでもあった。
「この子も、血風吹きすさぶ戦場を駆け抜けた。迷宮に潜り、生死の境を何度も経験した。人の死に悲しみ、両親を失った。この集落を出てから、平坦な道を歩いてきたわけじゃない。そんな子に対して、これ以上何かを言うなら……僕が受けて立つ」
敵意が頭の温度を上げる。脳髄の後ろから纏わりつく様に囁く、言葉の形を成していない声。フィーニスの憎悪が体の内側で蠢くのを、ハッキリと感じていた。右目の下にある聖印が焼きつく様に痛い。
すると、そんなレイの隣に並び者たちが居た。それはリザであり、シアラであり、レティだった。エトネを庇うように立つと、シアラが宣戦布告するように告げた。
「主様だけじゃなく、ワタシ達も受けて立つから、その事、よろしくお願いいたしますわ」
上品な仕草でお辞儀するが、伏し目がちの金色黒色の瞳に込められた威圧は群集を震わせた。リザも、レティも無言ではあるが、ここを退くものかという気迫が漲っていた。
数の上ならば圧倒的に群集の方が上なのに、彼らはレイ達に圧倒され、どうする事も出来ずにいた。
すると、そんな止まった時を動かす声がした。
「これ、これ。お前さん方。こんな所で集まって、何をしておるのかのう」
人垣が割れ、声を上げた老人の姿が見えた。杖を突き、曲がった腰でどうにか歩く草臥れた様子の老婆に対して、集落の人々は救いを求める様に群がった。
「大長、大変です」「実は、あの子供が」「タノの娘のエトネが戻って来たんです」「ミエリが、連れて来たんだ」「移住を求めて」
「ええい、鬱陶しい。一遍に喋るでない。いま、ミエリッキの名が出たように思えたが、一体、どういうこと……ふむ」
小柄な老人は集落の人々の隙間からやっとの思いで出ると、レイ達とミエリッキを見て、そして彼らの背後で、腰を折り曲げて頭を下げている少女に気が付いた。
「ほほう。お主、もしやエトネか」
名前を呼ばれ、エトネは震える。更に罵声を浴びせられるのだろうと覚悟し、だがそれを受け止めようと気丈にも顔を上げた。涙で濡れた頬を見て、老人は深いため息を吐いた。
「成程、成程。そう言う事か。ふむ、ふむ。……ここでは、話も出来んな。のう、お主、そこの人間族の少年。名前は?」
「レイと言います」
「レイ殿か。見た所、エトネと共に旅をしておったようだが、相違ないかな」
「はい。彼女は僕の仲間です。ここまで一緒に来ました」
「ならば、歓迎いたそう。生憎と、集落はこの有様だが、儂の庵に来て下されば、茶でも出しますぞ。ここでは落ち着いて話も出来んしな」
その誘いに、レイは有り難く受ける事にした。
読んで下さって、ありがとうございます。




