9-19 肉親への怨み
鈍器で頭を殴られたような衝撃に襲われた。
縄で拘束され、自分の命が他者に握られているというのに、ミエリッキは不遜な態度を崩さず、それが逆に威圧されてしまう。森に棲む虫の音がやけに大きく聞こえ、地面が傾くような感覚に陥る。
やっとの思いで口を突いて出た言葉は、否定だった。
「そんなの信じられるか! 本当だったら、アンタは彼女の叔母になるじゃないか。そんな人が、どうして―――」
「―――どうして殺そうとするか。決まっているだろう。忌子を身内から出した以上、身内が責任を取るのが筋だ。……こいつの肉親は、私しかいないのだ。私が、やらなくては」
昏い憎悪に燃える瞳は真っ直ぐに、それこそエトネを焼き尽くさんと向いていた。この手合いに言葉は通じない。レイは自分よりも衝撃を受けているはずのエトネの方を向いた。
そこに居たのは、夜の闇でもはっきりと分かるほど狼狽し、肌を青白くした哀れな少女だった。足は震え、肩も震え、まるで極寒の雪山に放り出されたように震えていた。
「エトネ……エトネ!」
呼びかけに萌黄色の瞳が反応した。ミエリッキから視線を逸らした少女に、
「君のお父さんから何か、親族について聞いているか。妹が居たとか、君に叔母が居る事は? お母さんからでも構わない」
しかし、その問いかけにエトネは弱々しく頭を横に振った。
「おとうさんからも、おかあさんからも、そんなのきいていない」
この発言にミエリッキは一瞬だが傷ついたように息を漏らしたが、すぐ表情を変えた。唇の端を吊り上げ、嘲笑を浮かべた。
「ふん。私の話が嘘だと言うのなら、毒の事はどうなる。それに、このクロスボウ。これも分解すれば分かるだろう。貴様の手にしている、父親の形見と似ていると。なぜなら、同じ職人が作った品だからな」
「アンタは少し、黙っていろ!」
エトネを押しのけると拘束を強めミエリッキを黙らせようとしたが、彼女は応えた様子も無く、不愉快な笑みを口元に残したままだ。
土を踏む音がすると、エトネが近づいた。近づく分、彼女の様子が微細に分かり、まるで幽鬼のような憔悴ぶりに心が痛んだ。
こんな残酷な現実、誰も望んでいない。だが、彼女は覚悟を決めた様にミエリッキの腕に装着しているクロスボウを手で触れていく。
「……おんなじだ」
虫の音に掻き消されるほどか細い声で、彼女は認めてしまった。
考えてみれば、この真実に至る可能性は随所にあった。エトネと同じ狼人族だけでなく毛並みの色や、尻尾の形状。クロスボウを腕に装着させ、案内する集落の出身。エルフの血が濃いエトネとは顔形は似ていないが、山での歩き方がよく似ていた。
些細な欠片かもしれないが、考えれば十分辿り着けたはずだ。
自分の迂闊さを罵倒したくなるが、ここでいくら後悔しても状況は変わらない。
レイは彼女を押さえる首に力を込めた。
「ミエリッキ。僕はアンタが彼女を……殺そうとした現場に立ち会い、アンタを拘束している。この場合、ここでアンタを殺しても罪に問われるのか」
殺すという単語が出てきて、エトネはレイを止めようとした。彼にそんな事を望んでいない。だが、レイは彼女の制止を逆に制した。
これは交渉だ。
「……調査の為に拘束されるだろうが、最終的にお咎めなしだろうな。だが、全員国から即時退去。以後、数年の入国禁止処分になる」
「そいつは困る。なら、アンタをこのまま警備隊に突きだせば、直ぐにでも新しい案内人が派遣されるのかな」
「恐らくは。案内人の交代は、そう多くは無いがあり得る話だ。今回の場合は、普通の場合と違い、事情を知る為に互いの聞き取り調査が行われる。しばらく足止めを喰らってから出発になるだろう」
「そうか。……だったら、アンタをこのまま解放したら、アンタは僕らを案内する役目に戻るか?」
その質問はエトネにとってもミエリッキにしても予想外なのか、困惑の吐息が零れた。
「正気か? 私は、こいつを殺そうとしたのだぞ。そんな人間を傍に置いておくつもりなのか」
「無論、エトネには近づかず、案内人としての役目だけを全うしてもらう。怪しい動きをすれば拘束させてもらう」
レイがミエリッキの同行を拒絶しないのは、彼女が持つ危険性よりも、自分の状態を懸念しての事だった。フィーニスの憎悪を取りこんだ影法師から未だに接触は無く、黒い感情が心を侵食していく日々に変わりは無かった。
ミストラルから貰った薬のお蔭で、眠りに就くことはできるが、それもいずれ尽きる。集落奪還の為に、予定を一日伸ばした事で出国までの時間が一日伸びてしまった。彼女を排除するために必要な手続きで時間を掛けるのは本意ではない。一刻も早く、学術都市で感情の封印を行いたい。
(それに、彼女をこのまま放置しておくと、この先エトネがこの国で暮らすのは危険だ。とりあえず、様子を探って、和解……とまで行かなくても、どうにか憎しみを鎮めないと)
レイの提案が意外だったのかしばらく考え込んだミエリッキは、首を掴む少年に降参を示す。
「分かった。お前の言う通りにしよう。詳しい条件は?」
「まず、武器を全て手放してもらう。弓も、クロスボウも、毒も全てね。その上で、最低二人の監視を受けてもらう。僕らの見える範囲にずっといろ。そしてエトネに近づかずに行動してもらう」
こうして拘束していると、相手の力量を把握できる。ミエリッキのステータスでは、毒などを用いない限りエトネに勝てる要素は無い。無手ならば、一瞬で勝負が着くだろう。
「……受け入れよう。私は、お前らをホスローの狼人族の集落まで連れていく。そして、出国まで案内を続ければいいのだな」
「ああ、そうだ。……それと、もう一つ。答えてもらうよ」
「……何をだ」
「アンタがどうしてそこまで、エトネを。それにエトネの母親を憎んでいるのか。それを教えろ」
エトネも知りたいのだろう。拳をきつく握りしめ、ミエリッキを食い入るように見つめた。ところが、彼女の反応は期待した物ではない。
虫の音を散らす異音に、初めは何なのか理解できなかった。耳から入りこみ、胸を掻き乱す不快な音が笑い声だと気が付いた時には思わず彼女を拘束する力を緩めてしまった。
レイに押さえられ動けないミエリッキが、高らかに笑っていた。それを笑いと形容するには不気味過ぎたが、土に顔を汚し、体を震わしているさまは確かに笑いだ。
「はっはっはっはっはっはっはっはっ! なるほど、合点がいった! 貴様は、知らないのだな。移住だと? 馬鹿が! 貴様等母娘が、我が故郷に何をしたのか。それを知っていれば、そんな馬鹿げた事は思いつかないだろう。だが、知らないならば納得が行く」
「……何の話だ? 笑っていないで、答えろ」
レイが命じるが狂人の哄笑は止まらない。
「断る! 私の口から話した所で貴様等は信じないだろう。ならば、自分の目で確かめろ。行けば、一目で貴様と母親の罪が分かるはずだ!」
一夜明けて、レイ達は警備隊と猫人族に盛大に見送られながら出発した。
心ばかりのお礼だと携帯食料を分けてもらい、皆から感謝の言葉を惜しみなく告げられるも、レイ達の心は晴れやかだとはけして言えなかった。
原因は言うまでもない。
先を行くミエリッキのせいだ。
警備隊から新しい馬を貰った彼女は集落までの道を案内する、本来の役目に戻った。背中にあった弓や、腰や腕に付いていた武器の類は全てレイ達の馬車へと積み込まれ、御者台に居るシアラは杖を引き抜いていた。
彼女が不審な行動を取れば、即座に拘束できるようにしてある。だというのに、彼女は怯えや苛立ちを見せる事はく、鼻歌をしそうなほど上機嫌だった。
昨夜の顛末は、全員に説明した。
エトネを殺そうとしたミエリッキが彼女の叔母である事。肉親に殺されそうになった原因が集落にあると言う事。目的を優先する為に彼女に案内を務めてもらう事。
当初はエトネを囮に使った事や、そんな危険人物を監視で留めている事に反対意見などはあったが、レイの抱えている事情を知っている彼女たちは最終的に納得してくれた。
問題はエトネだ。
いま、彼女は馬車の後端で酷く落ち込んでいた。
毛布に頭からくるまり、足の間にモンスターの卵を抱えて蹲る姿からは陰鬱なオーラが漂っていた。存在も知らなかった叔母が、事もあろうに自分を殺そうとし、母親への呪詛を撒き散らしたのだ。それでショックを受けない方が無理だろう。
リザやレティが彼女を元気づけようとあの手この手を使うも、全て不発に終わった。
「いまは、放っておくのが吉だと思うのに」
「そんな事言っておきながら、内心では彼女を心配しているくせに。出発してから、何回あっちの方を向いたか。数えて、って―――つねるなよ!」
「黙ってらっしゃい、主様」
口調は冷徹だが、耳が赤いのをレイは見逃さなかった。彼女は頬から手を離すと、誤魔化すように咳払いをし、そして金色黒色の瞳を前へと向けた。
先を行くミエリッキへと警戒の眼差しを送りつつ、
「あの女がおちびの叔母、ねえ。それを隠して近づいて、あの子を殺そうとするなんて」
「まったく。本当に、信じられないよ。肉親なのに、あんな風に」
「あら? 主様は肉親相手に人が殺意を抱かないと、そう、思ってるの?」
「……そう、なんじゃないのか。だって、相手は肉親だぞ。どれだけ憎んでいても、こんなに関単に殺す、殺さないなんて、変じゃないか」
レイの答えにシアラは嬉しそうな、だが見方によっては悲しそうな笑みを浮かべた。
「ええ、きっと主様が正しい。でも……ううん、だからこそ。肉親だからこそ、許せない事もあるのよ。血の繋がりがあるからこそ、許せない事情もあるのよ」
その言葉はレイの胸を鋭く穿つ。
シアラの肉親は、彼女の人生に影を落とした。
祖父である『魔王』フィーニスは人類に対して戦争を仕掛け、彼女は非戦派と共に楽園を築くために島へと逃げ、母である元六将軍第三席カタリナの裏切りが原因で彼女は共に暮らしていた人々を失い、自身も時間の流れ方が違う氷へと閉じ込められた。
今回に置き換えれば、彼女はミエリッキの心情に近いのかもしれない。そう考えたレイは、隣に座るシアラに尋ねた。
「あんな風に思い詰めて、実行に移しちゃうぐらいエトネを憎む相手、どうやったら説得できると思う」
「はぁ!? 主様ってば、あの人を説得するつもりなの」
「だって、可哀そうだろ」
レイは馬車奥で蹲り、背中を向けるエトネを見つめた。毛布にくるまれているから表情は分からないが、ここまで悲しみが伝わってくる。
「あの子にとって数少ない肉親の一人。もう一人の肉親は、立場を優先して彼女を遠ざけたけど、ミエリッキは違う。エトネを憎んでいる。この先、同じ国で暮らしていくのなら、それは危険を招く火種だ」
「それは、そうだけど。……でも肉親の憎悪なんて、第三者であるワタシたちじゃ、どうしようもないわよ。同じ目線で話しあっても、このままじゃ平行線だし」
シアラはしばし考え込んでから、ゆっくりと発言をする。
「だいだい、あの女がおちびをあれだけ憎む理由ってなに?」
「理由って、あれだろ。母娘のせいで闇ギルドの奴隷商人がやって来て、争いになって、それでエトネの父で、ミエリッキさんの兄が死んだことが……あれ?」
口にしてから、レイも違和感を抱く。
自分が述べた事が理由ならば、これは肉親の敵討ちだ。強行手段に打って出るのは、何ら不思議ではないが、腑に落ちない点もある。
同様の事に、先に辿り着いたシアラが、そこを明確にした。
「そうなのよ。主様の話からすると、あの女の行動理由が、兄が死んだからってだけじゃなさそうなのよね。誰かに肉親を奪われた時、人って煮えたぎる怒りを覚えるけど、ミエリッキから感じるのは熱よりも、湿った、濁った水のような殺意。もっと言えば、怨みよ」
「兄が死んだから恨む……というのとは違うのか」
「ええ。大体、おちびの父親が死んでから、一月ぐらいは山で生活していたんでしょ、あの母娘。それが理由だったら、その間にいくらでもやる機会はあったはずよ」
シアラの説明は筋が通っていた。ミエリッキと対峙した時に感じた、あの絶望的なまでの悲壮感は、彼女自身が持つ責任感の裏返しではないか。
「じゃあ、別の理由って何だ。何が思いつくんだ」
「……さあね。一つ言えるのは、あの女の中では、原因はおちびとその母親にあるって事よ。実際は違くとも、あの女の中でそれは真実。何かがあって、それはあの母娘のせいだ、って固まってるのよ。でも、おちびに心当たりがないとすると、山を出た後、あの二人が国を出た後に何かが起きたのよ」
「本人たちが不在で起きた事か……例えば、闇ギルドの奴隷商人。そいつには他にも仲間が居て、エトネ母娘が居なくなった後に集落を訪れて山で起きた事を知って激怒」
「集落に怒りをぶつけたって可能性? まあ、あり得る話よね」
本人達が何かをしたのではなく、居なくなったことで起きた事にミエリッキは憤慨しているというのは想像しやすかった。だが、シアラはしっくりと来なかったのか、首を捻った。
「それに、もう一つ気になる事があるのよね」
どういう事だと尋ねると、
「ほら。入国管理局での職員の対応よ。あの時、変な感じだったでしょ」
言われて、レイも思い出した。移住の為の申請をしていた時、エトネがホスロー地区の狼人族の集落出身だと説明すると職員は何かを言い澱んでいた。
「もしかして、これとミエリッキがエトネを殺そうとしたことが繋がっていると、そう思うのか」
「確信は無いわよ。でも、こう、胸の内がざわざわしてるのよね」
シアラは自身の薄い胸に手を当て心配そうに告げた。
―――その不安は的中した。
数日後。
予定よりも半日遅れてホスロー地区へと辿り着いた。
集落へと近づくにつれて不穏な空気と言いようの緊張感がレイ達を包み込んでいた。
そして、否応も無く、その現実と向き合う事になった。
ミエリッキが何に激怒し、どうしてあれだけの悲壮感を漂わせてエトネを襲ったのか。その理由を目にしてしまった。
猫人族の集落と違い、狼人族の集落は、波打つ稜線を描く山のすそ野に広がっていた。畑は収穫を迎えたのか空き地となり、人の姿がまばらに見える。
集落の背後を守る、連なった山々は遠くから見ても秋を迎えて色を変え、燃えるような色合いをしていた。その一角、里側に面した部分だけは地肌が見えていた。おそらく、あの辺りで山火事が起きたのだろう。
焼け焦げた木々らしき物がむき出しの斜面に転がり、集落へと伸びていた。里の中心から、扇形に広がる土砂の高さは、傍にある民家を優に超えていた。
絵画のような長閑な田園風景に、誰かが灰色の絵の具を足してしまい、全体のバランスが崩してしまったような光景が広がっていた。
「……なに……あれ。あんなの……しらない」
この集落を知るはずのエトネが、絞り出すように呟いた。
土嚢の袋が破れて詰まっていた土が零れだしたように、狼人族の集落は禿山からの土砂崩れに飲み込まれていた。
読んで下さって、ありがとうございます。




