9-8 出立の時 『前編』
正面から吹き付ける潮風が耳へと流れていった。その風にはカモメの鳴き声や、人々の喧騒が混じる。ここはデゼルト国北方に位置する港、カバナの港。
一月ほど前までは、首都を制圧したワシャフらを逆族と名指ししたアフサルの一派が駐留し、その後は帝国の艦隊に港を制圧されていた。しかし、そんな事があったのかと疑いたくなる賑わいを見せていた。
中央大陸や東方大陸を海路で結ぶ巨大港は日々様々な国籍の船が来航し、荷物と人を吐き出し、詰め込んで出港する。それはどのような情勢でも変わらず、それゆえ今日もお祭り騒ぎとなっていた。
そんな人ごみの中にレイ達の姿はあった。
「うーん! やっぱり潮風も気持ちいいね!」
背伸びをして、まるで風を受ける帆のように体を逸らしたレティは花が綻ぶような笑みを向けた。釣られてレイも笑みを作る。
自然な振る舞いはいつもの彼女のままだ。
レティの衝撃的な生い立ちが仲間達に明かされても、彼女に特別な変化は無かった。天真爛漫な性格は変わらず、何に対しても素直な反応を示す、何処にでもいる普通の少女だ。
それが逆に恐ろしくもある。
デゼルト動乱によって、彼女の存在は帝国に知られたのは確実だ。彼女を疎ましく思う皇帝や、餌として生かした第一皇子が何らかの行動を取るだろう。誘拐、あるいは暗殺といった危険がいつ起きてもおかしくない。いわば薄氷の上に立たされているというのに、彼女は今までと変わらないのだ。それはつまり、出会った時からずっと、何かが起きても不思議ではないと覚悟していたのだ。
姉と二人、抱えるには重すぎる秘密を十字架のように背負い、そして死闘を潜り抜けて来た。その精神力にレイは尊敬すらしていた。
潮風を浴びる少女を眺めていると、その視線に気が付いたレティが振り向いた。悪戯めいた笑みを浮かべると、
「どうかしたの、ご主人さま。あたしの事を、そんなに熱く見つめちゃって。肌が火照って火傷しそうだよ」
と、口にした。
訂正しよう。彼女にも多少の変化があった。
どうやら厄介な人物の悪影響を受けてしまったようだ。レイは無言のまま、彼女の頭部に向けて手刀を落とした。
「いったーい!」
「女の子がそんな事を口にしてはいけません。というか、ミストラルさんの真似をするのは十年早い。もっと背とか色々成長してから出直して来なさい」
「ふふん。もう、師匠からは免許皆伝だって言われたもん。いまに、ご主人さまをろーらくしちゃうよ」
再び手刀が落ちた。
涙目で抗議するレティを無視してレイは船着き場に身を寄せていた船を見上げた。巨大な帆船はダリーシャスが用意した物だ。王宮と繋がりのある商会の船だ。
これに乗ってレイ達は中央大陸の南部にあるカプリコルの港まで向かう。
急な出立となったのに、きちんと船を用意してくれたダリーシャスに心の中で礼を言う。
すると、後ろから人が近づく気配がする。
出港の準備に忙しい船から視線を切って振り返れば、そこに居たのは見送りに来た《神聖騎士団》の一人、ミストラルだ。まだ容体が安定していないマクスウェルを除く《神聖騎士団》の面々と、何故かサファが見送りにとここまで来てくれていた。
彼女はレイとレティを交互に見つめ、
「どうかなされましたか? レティちゃんが涙目ですが」
「気にしないでください。《ミクリヤ》の風紀が乱れそうになったので教育的指導をしたまでです。それよりもミストラルさん。あの子に―――」
妙な事を吹き込むなとは続かなかった。
冒険者の筈なのに傷一つ無い、彼女の慈愛を象徴するような白い手がレイの手を優しく包み込んだ。それが胸の高さまで持ちあがると、彼女の淫靡さを象徴する胸元が強調されてしまう。
その迫力に言葉は生唾と共に飲み込まれた。
「レイ様。貴方様の性格ですから、無茶をするなとは申しません。ですが、貴方に支えられ、そして貴方を守りたいと思っている方たちを蔑ろにしてはなりませんよ」
そして、顔を近づけると、レイの耳元で囁いた。
「マクスウェルから伺いました。夜、眠りが悪いとか。これは眠りに役立つ薬です。寝る間際にお湯で溶かしてお飲みください」
言葉と共に握られた掌に薬を押し込まれた。どうやらリザ達に気づかれないよう配慮をしてくれたようだ。レイも小声で感謝を伝えた。
すると、ミストラルは蠱惑的な色香を漂わせる微笑を浮かべて離れ、レイの肩越しにレティへとウィンクを送った。
「と、このようにして殿方を篭絡するのですよ」
「勉強になります、ししょー!」
瞳を輝かせて力強く宣言するレティに頭痛さえしてしまう。
「だから、だからもう!」
抗議も言葉にならず、レイは逃げるようにその場を立ち去った。
「レティが悪女の道に入りそうだよ」
「形は幼くとも『勇者』を誑かせる女だ。才覚はあるのやもしれん。きっと、稀代の悪女になろう」
「そんな冗談、笑えませんよ」
港の片隅で膝を抱えるレイの傍に立つのはサファだ。
切れ長の瞳に怜悧だが整った相貌に、長く突き出た耳は人の注目を集める。頭までをフードで覆ったが、それでも気づく人は多く、人の喧騒から逃げるようにしていたらレイと同じ場所に居た。
「しかし、妙なパーティーと言えるな、童の所は」
顎を撫でながらエルフ族特有の萌黄色の瞳でレイ達を順に見つめる。その発言にレイとて思うところはあるが認めるしかない。
「帝国の叛逆者の一門に、『勇者』を操れる少女。『魔王』の孫娘に、エルフと狼人の混種。そして『招かれた者』である童。成程、これだけ妙なのが揃っていれば、『七帝』だの、六将軍だの、極めつけは黄龍と遭遇しても不思議ではあるまい」
そこで言葉を区切った男は、鋭い眼差しに険を混じらせ空を見上げた。まるで、そこに敵がいるかのように闘気を漲らせた。
「もしくは、誰かの介入があったのか。……まあ、考えても答えは出るまい。それよりも、前に話した事を覚えているか」
急な話題の転換にレイは記憶を急いで辿った。
「ええっと、古代種の最期の龍、黒龍についてですよね」
「ああ、そうだ。封印されていた『七帝』が一角、『龍王』だ」
『龍王』黒龍。
人類の暗黒期の始まりである人龍戦役において、竜を率いて人類に挑み、そして敗れた際に魔人種の国を滅ぼした存在。それが人魔戦役に繋がった事を考えれば、二つの戦争を引き起こした元凶だ。
「黒龍は人類側に着いた三体の龍。赤龍、青龍、緑龍、そしてエルフを滅ぼした時に封印された黄龍を含めた四体の龍を鍵とした封印を施された。封印の核となるのは、彼らの肉体であり、彼らが同時期に地上から姿を消さないと封印は解けない仕掛けだった」
それはある意味完璧な封印と言えた。
肉体を持つ精霊と呼ばれていた古代種の龍達は強靭な生命力と、柔軟な知性を持っていた。仮に、誰かが倒れたとしても、残りの二頭は人の前から姿を消す手はずになっており、更に言えば『国喰い』と成り果てた黄龍の封印を解き、倒そうとする者は皆無。破られるはずの無い封印。
しかし、その封印は破られてしまった。六将軍による、赤龍、青龍、緑龍の同時撃破。そしてさほど時期を置かずに黄龍の封印解除と撃破が達成されてしまった。その一端を担う羽目になったレイは敵の思惑通りに事を運ばれたことに、苦い物を感じた。
「そんな顔をするな。確かに、奴らの目論見通り黒龍は復活したが、結果としては最上の部類に入っている。六将軍第二席ゲオルギウスと『機械乙女』、そして『勇者』ジグムントに黄龍と、考えるだけでも発狂したくなる怪物を相手に、この国は健在。貴様の仲間も無事。これが最上の結果でないとするなら、貴様は傲慢だな」
「……それでも、何か出来たはずだ。ゲオルギウスの目論見に途中で気づけたら、そしたら黄龍の復活までは止められたかもしれない」
フィーニス達の計画を止められる、唯一にして最大のポイントを逃した事にレイは忸怩たる思いを抱いていた。その時はフィーニスの憎悪に飲まれかけ、仲間へ攻撃を振るっていた事も合わせて後悔ばかりが募る。
「あまり気負いすぎるな。過ぎた時をどれだけ振り返っても、何も変わらん。変わらなかったぞ」
呟きは、あまりにも重かった。師を失い、一族の存亡の危機を一人で耐えて来た男だからこその言葉の重さにレイは返す言葉を持たない。
「賽は投げられた。黒龍の封印は解かれ、世界の狭間でフィーニスと激突し、彼奴らがどうなったのか。俺はこれからそれを調べるためにしばらく旅をする」
予想外の宣言にレイは呆気にとられた。サファが見送りの為だけにわざわざここまで来るような人物ではないと思っていたが。よくよく見れば、簡素ながらも旅支度を纏めた鞄を足元にも置いていた。
「驚いた。里には戻らずに行くんですか」
「いや、一度は里に戻る。詳しい説明をしてから旅立つつもりだ。この国の新王と交わした約束事や、黄龍が討伐されたこと。その中に閉じ込められていた同胞の魂が解放されたこと。もろもろ全てな。船の手配も済んでいる。貴様等が出港した後に俺もこの国を離れるつもりだ」
「そうだったんですか。……でも、何で黒龍とフィーニスの激突を調べるんですか」
サファはエルフの『守護者』。彼は自らを、エルフという一族を守る剣と定めた。それが里を離れこのような土地に現れたのは、エトネを守るためだ。雑種とはいえ、エルフの血が流れている以上、彼女もまた彼の守るべき存在となる。
そのような杓子定規な男が里から離れると口にしたのは意外であった。
「貴様は知らんだろうが、黒龍は厄介でな。『七帝』において、明確に人類を憎むのは『魔王』フィーニスと『龍王』黒龍の二つだ。しかし、フィーニスはあれでも『招かれた者』。世界救済を託された者であり、その志を忘れていない以上、奴は世界を滅ぼさない。だが、黒龍は違う。あれは純粋なまでに破壊の意思を体現した存在だ。一分一秒過ぎるのが、そのまま世界消滅までの時間を刻んでいるのと同じだ」
淡々と、どこまでも事実を事実としか口にしてない様子が恐ろしさを引き立たせる。赤龍、黄龍の強さを肌で知るレイは、彼ら以上に厄介な存在が自由になった事に、今更ながらに恐怖を感じた。
「世界崩壊の時が来る前に世界が滅んでしまうのは、俺としても許容できん。とりあえず、心当たりを回り、情報を集めるとする。確認だが、貴様は学術都市にしばらく腰を下ろすのだな」
「そのつもりです。カプリコルで目的を果たしたら、少なくとも、冬の間はそこに居ます」
「了承した。何か分かったら文を出すとする」
お願いしますと頭を下げたレイをサファは見ていなかった。彼の視線を辿ると、港に打ちあがった魚を狙うカモメを捕まえようと機敏な動きをしたエトネだった。
俊敏な動きは捕食者のそれであり、哀れにもカモメは捕まってしまった。暴れて逃げ出そうとするカモメを両手で捕まえたエトネは誇らしそうに高々と掲げ、レイの方へと見せつけるようにしていた。
「あの娘は貴様等に懐いているな。短い旅の間で、随分と打ち解けたようだが……本気で別れるつもりか」
「別れるかどうかを決めるのはエトネです。僕は彼女の選択を尊重します」
それがレイの決めた事だ。仲間の選択肢を尊重する。
彼女が《ミクリヤ》と別れると決めたのなら、無理強いはしない。
―――そのつもりだ。
だが、サファはレイの胸中を嘲笑うように、
「思っていたよりも、随分と冷めた答えだな。薬で心のタガを外されたとはいえ、あの娘の為に里長に飛びかかった男とは思えんな」
皮肉を口にされるも、レイは考えを改めるつもりは無かった。
《ミクリヤ》に残るのか、故郷に残るのか。
それはエトネの選択であり、彼女の人生だ。
何より、自分たちと共に居る事は平穏から背を向ける事になる。
「僕らのパーティーは訳ありが多すぎます。『七帝』にしろ、帝国にしろ。強大で厄介な奴らと敵対してます。……その中で、彼女だけは違う。抜けようと思えば抜けれるんだ」
エトネはリザ達と違う。それは生まれた時から続く柵だけでなく、奴隷契約を交わしていないという意味でも同じだ。彼女はこれ以上、危険に身を晒す必要はない。
「帰る場所があるなら、帰るべきなんだ。危険な目に遭わなくても、世界がどうなろうか気にする必要なんて……無い」
そう呟きながら立ち上がり去っていくレイ。しかし、その表情はどこか歪んでおり、自身の呟きに納得していないのが透けて見えた。
エトネが捕まえたカモメは、よたよたと不安定さを見せながらも空へと戻っていた。それを眺めていると、ふと風に乗ってリザの驚きと困惑に満ちた声が聞こえて来た。
「そんな! 私には不可能です!」
誰かと言い争っている。そんな声に疑問を抱いた。基本的に身内以外には敬語で話す彼女が、こんな風に声を荒げるのは稀だ。
どうしたのかと声のする方に近づくと、積み上がった荷物の影でリザが誰かと話し込んでいる様子だ。誰なのかと興味本位で耳をそばだてると、すぐに分かった。
「今すぐという話ではない。ただもって三年だ。それまでには決めて欲しい」
「ですが、そんな事、考えるまでもありません。……失礼します」
言葉と共に、リザは駆けだした。レイが近づいた方向とは違う方へと駆けだしたため、顔を合わせる事は無かったが、声の調子からすると戸惑いが伝わった。
「ふう。……盗み聞きかい、レイ君?」
「ばれていましたか、ローランさん」
名を呼ばれ、観念したように前へと出れば、貴公子然とした相好を崩さないローランが居た。
「まあね。でも、リザ君は気づいていないだろうね。……どこまで、話を聞いていたのかな」
「終わりの方だけですよ。不可能とか、三年とか。何の話なんですか?」
「ううん、困ったな。しかし、主である君の頭を越えて話すのも道理に合わないし」
口では困ったと呟くが、表情はいささかも変化していないローランは頷くと、
「まあ、聞かれたのなら仕方ない。単純な話さ。君にも説明しただろう。僕に宿る『聖騎士』の力。《ロード・トゥ・ヘヴン》について」
「所有者を変えて現代にまで伝わっている、『招かれた者』の技能ですよね。でもそれとリザに何の関係……まさか」
口にしていくと脳裏にある可能性が浮かび上がる。それは思いつくことすらあり得なく、実行しようとは考えつけない可能性の話。しかし、ローランはそれを思いついて、提案したのだ。
「うん。そのまさかさ。僕は、僕の死後にこの能力を移譲する相手に、彼女を選びたいと考えているんだ」
穏やかな口調とは裏腹に驚きに満ちた爆弾発言が飛び出した。
読んで下さって、ありがとうございます。




