9-7 幸せな王
デゼルト国の王宮は政務や謁見を行う実務と、王や彼らの来賓が寝泊まりする居住部分が入り混じっている。庭園を一つ、二つと超えれば政務を行う建物へと辿り着いた。
恐らくこの場所は、この国における最重要地になっているのだろう。人間種や獣人種が建物に収まり切らないでいた。これらは全て新王への挨拶や、顔見せ、あるいは嘆願などの列だ。
バジリスクをも超える長蛇の列を統制するのは兵士たちの厳しい視線だ。王を守るという責任が彼らの顔つきを威圧的にさせているが、レイは意に介さずに近づいていった。
兵の一人がレイに気が付き、別の意味で顔を強張らせた。
「レイ殿。おはようございます。陛下に面会ですか?」
ダリーシャスを此処まで守り抜き、更にはゲオルギウス、黄龍、そして六将軍撃破に大きく貢献した《ミクリヤ》は、戦闘を生業とする者には憧憬の対象となった。過剰な反応を内心で困りつつ、
「そのつもりで来たんだけど、どうやら今日も王様詣でが途切れていないみたいだね。昼に出直そうかな」
「いえ、それには及びません。中にお入りください。ラシード殿とお会いすれば、時間を融通してもらえるかもしれません」
言って、兵士たちはレイが通れるように列を誘導した。レイは、目立たない様にそそくさと中へ入るも、人の視線が途切れる事は無かった。
顔立ちは普通だと自負しているが、やはり白髪交じりの黒髪は目立つのか、兵士たちは直ぐにレイだと気づき、特別対応に訝しむ行列も、動乱で活躍した《ミクリヤ》のリーダーだと気づけば相応の態度に出る。
「やや、これはもしや『緋星』のレイ殿ではありませんか。私は海運に携わるバーナンド商会の者ですが、一つお話しでも」「馬鹿野郎、レイ殿はお疲れだろう! 気も利かん奴。あんなのはほっといて、何か喉でも潤しませんか。ここに我が領地で取れた果実の身を絞った冷たい飲み物が」「聞く所によればレイ殿はパーティーに奴隷を多くお持ちとか。是非、ご覧に入れたい者が居りまして」「おお、アンタがレイなのか。俺はクランを率いるもんだが、《ミクリヤ》が何処のクランにも入っていないんなら、うちに来ないか?」
挨拶、営業、売り込み、勧誘。
あっという間に人の波に飲まれそうになるも、兵士たちが防波堤になって歯止めをかけている間に脱出する。こうなる事を危惧して引きこもり生活をしていたのに、と後悔していると、騒ぎを聞きつけた聡明そうな少年がレイを見つけて名を呼んだ。
「この騒ぎは一体何なんですか? ……って、レイさん!」
困り顔に喜色を混じらせた複雑な表情をしたのはラシード。ダリーシャス王の近習にして取次ぎ役も行う、年齢以上に有能な少年だ。
「やあ、ラシード君。悪い、変に大騒ぎになった」
「ええ、全くです。最近は泥酔状態が長いと聞きましたが、起きれば起きたで問題を起こすとは」
ぐさり。
心臓を見えない槍で貫かれた気分だ。少年嗜好者であれば確実に墜ちるような微笑みを浮かるも、背後から寒々しい雰囲気を放つ少年に怯えつつ、レイは口を開いた。
「か、重ねて悪いんだけど、ダリーシャスと会う時間をくれないかな」
「分かりました。面会の予約ですね。今の状況ですと……最速でお会いできるのが五日後。隣国の使者との会談前の数分ですね。短すぎるというのなら、少々伸びて十日後。今なら夕刻の時間に三十分ほど取れます。ですが、後にはシュウ王国の来賓を招いた宴があり、その前の予定で時間が削れてしまう可能性があります」
事細かに記された束を広げながら言うラシード。それは嫌がらせでも何でもなく、純粋にダリーシャスの時間を取るのが難しいと言う事だ。
動乱を潜り抜けたデゼルト国が置かれた立場は不安定な物。ダリーシャスに暇な時間は存在しない。分刻み、秒刻みで予定が詰まっていた。だが、それを悠長に待つ時間もレイ達には無かった。
「いや、済まないが今すぐ会いたいんだ」
「申し訳ありません。こればかりは、レイさんの頼みであっても―――」
「―――頼む。出立の前に、挨拶がしたいんだ。少し事情が変わって、早いうちに国を離れる事にした。だからその前に、会っておきたいんだ」
その言葉にラシードが表情を一変させた。予定が書かれた束から顔を上げれば、年相応の少年の素顔が露わになり、それは一瞬だが傷ついたようにも見える。
今にも泣きそうな、そんな表情だった。
だが、それも一瞬。ラシードはあっという間に己の感情を押し殺すと、
「畏まりました。今、王と面会している方が終わり次第、数分ですが時間を作ります。どうぞ、此方に」
「ありがとう、ラシード」
感謝の言葉にラシードは小さく首を横に振った。
ラシードの先導で、レイは列の先へ先へと進んでいく。そして辿り着いたのは王の謁見の間に繋がる扉だ。分厚い門扉から微かに声が聞こえてくる。
「レイさんは此方でお待ちを。いま、確認を」
そう言い残してラシードは扉の向こうへと消えていった。これはしばらく待たされるなと覚悟したのは正解だった。
三十分以上の時間が経過して、ようやく扉は再び動く。今度は大きく、複数の人影が一斉に吐き出された。着飾った大人たちを従えるように先頭に立つのはあどけない顔をした少年だった。何気なしに見ていたレイの視線に気が付いた少年は、一瞬訝しんだ後、突然顔色を変えた。
「お、お前。お前、は、神前決闘の、あの時の」
明らかな狼狽ぶりに、レイは怪訝そうに首を傾けた。何処かで会ったのだろうかと記憶を辿ろうとしたが、その必要は無かった。
「ホセイン様。どうかなされました」
「い、いや! 何でも無い」
付き従っていた一人が何事かと尋ねるも、少年は大丈夫だとばかりに声を張り上げた。もっとも言葉ほど大丈夫ではないのは明白で、怯えを含んだ視線をレイに投げつけながら少年は長い廊下を去っていた。
「そうか。あれはホセイン王子だったか」
呟いてから自分の間違いに気づく。彼は既に王子では無い。
ホセイン・プラティス、並びにジャマル・グセイノフ。ダリーシャスの従兄弟であり、王族でもあり、神前投票において彼に票を投じた二人は既に王籍から外れていた。それぞれの母親筋の十四氏族に身を移し、ダリーシャス政権化で責任あるポストを任されていると聞いていた。
ジャマルは元から行っていた美術商と、本人の趣味によって構築された人脈と情報網を見込まれ、他国との折衝を担い各地を飛び回る事になった。何故詳しく知っているのかというと、首都を離れる前に挨拶をしに来たのだ。
人材蒐集が趣味と謳うだけあってレイに対する執着は凄まじく、ねっとりとした視線で見つめられた少年はさながら蛇に睨まれた蛙だった。正直な所、生きた心地はしない。
一方でホセインは、父親であるワシャフ・プラティスが率いていた残存勢力を預かる事になった。
国王の座を力づくで奪おうとしただけに、ワシャフの勢力はダリーシャスの統治下であっても確固たる力を保持していた。だがワシャフの失脚により主流派から傍流へと変わってしまった事で、いつ火を噴くのか分からない火種となってしまった。それを押さえる為に彼は奔走していると聞く。
(しまったな。あの時の事、少しぐらいは詫びた方が良かったかな。でも、あの時は仕方なかったよな)
レイが反省するのは首都奪還の時の事。
王宮に留守役で残っていたホセインを強襲し、拘束したのは他ならぬレイだ。その際に刃物を向けたのが、今の反応に繋がっているのだろう。
反省しても時すでに遅し。ホセインの背中は遠くにあり、何より扉からラシードが顔を覗かせていた。
「レイさん。三分ほど時間を頂きました。どうぞ、お早く、手短に」
急かされる形で扉に滑り込めば、待っていたのは人と紙の海だった。
本来なら広々とした謁見の間。豪奢な飾りが施された室内を埋め尽くすのは、文官と思しき者達が運ばれた書類と格闘する姿だった。
途切れる事の無い謁見の列と、終わる事の無い政務の山を両方片付けるために一つの部屋にこれだけの人が集まったのだ。
誰もが表情を厳しくし、どこかしこで深刻そうに言葉を交わしている。その中で最も忙しそうなのが王の周囲だ。
「陛下。黄龍の死体についてアルビノ砂漠と隣接する国々から、共同利用の申し出が」「南方の村々から税の引き下げを求める嘆願が山のように。ワシャフによって年内に収めるはずの税が戦費名目で強制的に徴収されたとの事です」「首都近郊にある帝国兵保留地から小競り合いの報告も。やはり分散して収容しなくては不満が爆発しかねません」「近隣海域でも海賊による被害が報告されています。海軍の出動許可を」
人と書類が海のようなら、言葉は雨のように彼に集中した。
それらを捌きながら視線を此方に向けた男にレイは片手を上げた。
「この状況下で無理に捻じ込んでくるとはな、レイよ。今度はどうしたのだ」
「やあ。忙しそうだね、ダリーシャス」
「何を当たり前のことを口にしているのだ、貴様」
若干だが、言葉に険が混じってしまう男こそ、ダリーシャス。この度、王家の姓であるデゼルトを引き継いだ新王だ。彼は文官の差し出す書類にサインをしながら、レイに続けた。
「外の列を見たか? あれの多くは商人だが、奴らの目的は手形の履行だ」
「手形って、あれだけ大勢の人が? 何をしたんだ、アンタ」
「したのは俺では無い。兄上やワシャフ伯父だ。あ奴ら、戦争に勝つためになり形振り川まず資金集めに奔走しておった。勝利後に見返りを弾むと約束して随分と金集めをした様だが、その付けが全く関係ない俺の所に押しよせて来た」
「なら、断ればいいじゃないか。自分とは関係ない事だって」
無関係ならば、そう主張すればいいと告げたレイに対して、ダリーシャスはそれでは駄目だと首を横に振った。
「賢い商会は幾らかの資金を投資しても、足元を揺るがすような真似はしていない。だが、商会の中には大博打をしてしまった愚か者も居る。其奴自身がどうなろうと知った事ではないが、商会が潰れれば、事は単純に済まない。商会に属する従業員、そしてその家族。更にはその商会と繋がりのある他の商会も影響を受ける。一つ潰れるだけで、連鎖するかもしれない」
ダリーシャスが口にした可能性は、現代日本でもあり得る話だ。一つの会社がつぶれた事で、ドミノを倒したように連鎖して関連会社が倒産してしまうケースは紙面をにぎわす。
「全ての商会の手形を履行すれば、国は潰れる。だが、ある程度は身銭を切って救済せねばなるまい。……その分、貴様には迷惑を掛けるな」
面目ないと頭を下げるダリーシャスに、レイは気にするなと返した。
動乱の傷跡は癒えていない。復興の為に王家の財が惜しみなく放出されていくので、ダリーシャスはレイ達にこれまでの旅に対する報酬を支払えずにいた。それに対して、レイはある時払いで良いと返したのだ。テオドール王に売ったゲオルギウスの血の代金が幾ばくか残っているため、金銭的には困窮していない。
一つの書類が終わっても、空いた机に新しい書類が差し込まれる。それに嘆息すると、
「王になって分かった事がある。忙しくない王なんぞ、この世にはおらん。もしもそう見えるのならば、それは国の在り方がきちんとし、王の意向が隅々まで行き渡るからだろう。俺のようにこうも雑事に囚われずに済むのは羨ましい限りだ」
デゼルト国は王と十四の氏族による統治が行われている。十四氏族の影響が強い地方になるほど、統治は難しくなり、加えて内乱の勃発により国は混乱から完全に立ち直ったとは言えない。今が正念場であり、一分一秒も惜しいのはレイも承知していた。
しかし、それでも会うべきだった。
旅立つ前には。
「それで。こうして時間を無理に作り、何の用なんだ」
「急な話だけど、僕らはデゼルト国を出立する事にしたよ」
一瞬、ダリーシャスが虚を突かれたような反応をした。全身の力が強張り、レイが発した言葉を拒絶しようとするかのようだった。しかし、それも自然と浸透していったのか、彼の顔つきが変わった。
「……それは確かに急な話だな。当初の話では出立は帝国の様子を見てからと聞いたはずだ。少なくとも、二週間は先の話だと」
「ああ、その通りだ」
「その頃ならば、多少は時間の融通も利く。出立前に豪勢な祝宴を開こうと考え、かくし芸の一つでも披露しようかと画策していたのだが……何があったのか」
「かくし芸!? それはそれで興味があるけど……まあ、ちょっとした事情でね」
レイはそっと右目の下を走る傷口へと触れた。それだけでダリーシャスと、彼の斜め後ろで話を伺っていたラシードは理解した。
「フィーニスの聖印がどうかしたのか」
「うん。実は、封印が完璧じゃなくてね。少しずつだけど、自分の中でフィーニスの影響が広がっていくのを感じるんだ」
その言葉に二人の顔色は変わる。
神前決闘の舞台で、レイが『魔王』の憎悪に飲み込まれ魔人へと変貌していく様を見ていた。その後、どれだけの戦いがあったのかは間接的にしか耳にしていないが、それでも《ミクリヤ》と《神聖騎士団》の半数以上が総がかりだったと聞けば予想は付く。
この場所で再び変貌するのではと不安がる二人に、レイは安心させるように笑みを浮かべた。もっとも、それはできそこないの笑みだった。
「大丈夫だよ。今日、明日にも危ないって訳じゃない。……ただ、それが一月経つとどうなってるのか。もしかしたら魔人に変貌してしまう可能性は否定できないんだ」
「成程な……して、お前はどうするのだ」
問いかけにレイは今後の予定を口にした。
「まずは予定通りカプリコルに寄る。そこで目的を果たしたら、すぐに学術都市に向かうよ。マクスウェルから、そこでならこの呪いをちゃんと封印できるかもしれないと聞いたからね」
「それでこうも予定を早めた訳か。ならば、此方からカバナの方に連絡をして、船を用意させよう。この後出立し、着く頃には船が出港できるはずだ」
「それは助かるよ」
感謝の言葉を述べると、ダリーシャスは立ち上がり書類が積まれた机を迂回してレイの前に立つ。
レイよりも頭一つ分は上で、元々の年齢よりも上の青年は神妙な面持ちをしていた。
「……ダリーシャス? どうかしたのか」
声を掛ければ、ダリーシャスは沈む夕日に似た橙色の瞳に寂寥を滲ませていた。
「残念ながら、いま俺は首都を離れる事は出来ない」
神妙な声色で告げられるが当然の話だ。
最も不安定な状況を脱したとはいえ、流石に王が首都を離れられるほど安定したとは言い難い。まだまだ、予断を許さない状況なのだ。
それは当然なのだが、改めて言われると思う所はあった。
腹の中に、重石を押し込められた気分だった。
「そういえば、約束を果たしていなかったな。どうやら果たせず仕舞いになりそうだが」
「約束? そんなの交わしたか」
首を傾げるレイに、ダリーシャスは眉を上げた。
「なんだ、覚えていないのか。水の都で別れる際に、交わしただろうが」
言われてようやく思い出す。確かに、別れ際に女を紹介するなどと口にして、レイもそれを喜んだ振りをした。だが、あれは死地へと赴くレイ達を気遣っての事だろうと告げようとしたが、意味深な視線にレイもニヤリと笑った。
「ああ、そうだね。うん、それは勿体ない事をしたよ」
「そうであろう、そうであろう。デゼルトの、砂漠の女は懐が深い。それを味わえないのは実に悲劇的だ。だから……また来るといい」
そう言って、ダリーシャスは手を伸ばした。
「必ず、また来るよ。約束する。……それで、さ。一つ、聞きたいことがあるんだ」
レイも応じるように手を伸ばしつつ、しかしそれは止まった。どこか恐る恐ると言ったように切り出した少年にダリーシャスは首を傾げた。
「僕は……ナリンザさんの代わりを、ちゃんと務められたかな」
自分のせいで死んだ女性。彼女の無念を引き継ぐ形で、レイは彼を此処まで守って来た。それが全うできたかと尋ねるレイに、ダリーシャスは仕方ないとばかりに笑った。
「開闢以来、何人もの男が玉座に座ったが、恐らく俺が最も幸せだろう」
どういう事だと訝しむレイに、ダリーシャスは無理やり手を伸ばした。がっちりと掴まれた手は、力強く握られ、そこを通してダリーシャスの思いが流れ込んでくる様だ。
「俺は心の底から信頼できる従者と、そして友人を持てた。だから、俺は最も幸せな王と言えよう」
それが答えだった。
「さらばだ、友よ。其方らの旅路に13神のご加護があらん事を。何かあれば、俺を頼るんだぞ。デゼルト国の総力を挙げて、貴様等を助けてやる」
「そっちこそ、またね。王様の仕事を頑張って。困った事があれば、いつでも声を掛けてくれ。こっちが変な騒動に巻き込まれたなかったら、助けに来るよ」
再会を約束して、二人は名残惜しそうに手を離した。
そして数日後、レイ達がデゼルト国を離れる日がやって来た。
読んで下さって、ありがとうございます。




