閑話:受付嬢の終点Ⅱ
「まず、状況を整理しよう。此処は法王庁から用意された貸し切りの大浴場。その男湯だ。そして、この壁の向こう側に―――楽園がある」
幾多の戦場を潜り抜けた指揮官のような風格を漂わせたホラスの言葉に、これまた戦場帰りのような険しさをもつ冒険者たちが楽園を阻む壁を苦々しく見つめる。彼らは自分たちがこれまで困難だと、とても越えられないと思って来た強敵以上にその壁を睨んだ。
日々の訓練でも、それぐらいの気合を出せよとカーティスは呟いた。
「目測で高さは十メーチル以上。空間を二つに分けるようにそびえ立ち、隙間一つ無いように見えるが……実際は違うと俺は睨んでいる」
「ほう。それは何故だ」
「簡単だ。壁向うの声が響いている。それが答えだ」
断言するホラスに仲間は信頼を寄せていた。
年若い冒険者集団の中で、盾持ちの役割とはいえ危険を顧みずに仲間の先陣に立つホラスは、班の中でファルナに次いで信頼が篤い。宗教画に彩られた空間で作戦会議をする図は、傍から見れば宗教的指導者が信徒を導く姿と見えなくも無い。
「この広々とした空間だと声や音が反響するもんだが、もしも隙間一つ無ければ音は流れ込んでこない。だが、現実はどうだ? 楽園のせせらぎが、俺達を手招いているじゃないか! つまり、壁が薄いか―――どこかに隙間があるからだ」
冒険者たちに戦慄が走る。彼らの血走った目が高さ十メーチル、横二十メーチル以上はある壁を突き破らんばかりに向けられた。
「落ち着け! 落ち着け、落ち着け。まず、各自慎重になって壁に穴や亀裂が無いかを探すんだ。ただし、向こう側に気取られるなよ。彼方に居るのはお嬢にトリシャ、それにアイナさんに、何よりルリジオンさんだ。中でもルリジオンさんは異端審問官。追跡、尾行に優れてるって事は、人の気配に敏感だって事だ。この壁がどれだけ厚いか分からんが、向うにしたらないのと同じかもしれん」
「物音一つ、立てないようにするって訳か。良いぜ、面白くなって来た」
「夜間の隠密訓練を思い出すな」「寝静まったモンスターを起こさずに仕留めて回る奴だろ、大変だったよな」「それに比べたら、簡単だぜ」
カーメルの勇ましい笑みに皆が懐かしい思い出を語る。止めよう、こんなの馬鹿げているという理性的な声は上がらず、男子たちの本能が背を押していた。
「じゃあ、やろうじゃないか。向こう側の楽園を、この目に焼き付けよう!」
「「「応ッ!!」」」
拳を打ちつけ合い、互いを鼓舞する様を、獣人種用の湯船に浸かりながらカーティスは放置していた。複数の効能を含んだ、色づいた湯で顔を洗い流し、肺の中が空になるまで長く息を吐いた。それだけで疲れが取れていく。
「若いな……そんで、スゲェ馬鹿だ」
言葉は辛辣だが、その頬は緩んでいたのはかつての過ぎ去った日々を思っての事なのか。カーティスが止めようとする気配は無かった。
『紅蓮の旅団』は冒険者にしては性に対する風紀が厳しいクランだ。出自を辿れば田舎出が多い冒険者にとって、他人の目を気にする者は少ない。他のクランやパーティーなら、水浴びも男女で同じ場所を使う事もざらである。
そんな中で『紅蓮の旅団』が厳しいのは、おそらく副団長が性に対して過剰な反応を示す人物なのと、もう一つはオルドの親馬鹿が原因だろう。彼は自分の娘が将来美人に育つと確信し、その時に部下たちが欲情しない様にと律している節がある。
その分、溜まりやすい男性陣を慮って、色街に自費で連れ回す事で発散をさせているので吊り合いは取れていた。
女性冒険者にしてみれば、性欲が溜まった男からのちょっかいが減るため、酷い乱痴気騒ぎにならなければ、黙認されている。
親馬鹿ではあるが、恩恵に預かっている以上誰からも文句は誰も言えなかった。
だが、ファルナ班においてその辺りの息抜きは皆無だった。ファルナ自身が男の機微に疎く、本来なら補佐役のカーティスが上手く回すべき部分なのだが、いかんせん依頼が隠密にかつ迅速に行動することを要求されていたので夜遊びに繰り出せずにいた。
年若い分、溜まった物を発散させなければ可哀そうだと言う理由から、この騒ぎをカーティスは黙認していた。
(まあ、あいつ等程度が何したって、どうにもならんよな)
女湯の前に立ちはだかる壁を蜘蛛のようにしがみ付く仲間達に達観した瞳を向けるカーティス。すると、彼らの一人が何かを発見したとばかり騒ぎ出したのだ。
「此処だ、ここを見てくれ、皆!」「スコット。何処だ、見えねえぞ」「おい、馬鹿。押すんじゃねえ」「痛ぇ! 誰だ、足を踏んだのは!?」
地面に落ちた虫の死骸に群がる蟻の如く、一糸も纏わない筋骨隆々の冒険者が集まるという暑苦しい図が繰り広げられるも、当の本人たちは必死だった。鼻息を荒くし、一人の発見を分かち合おうと顔を寄せ合った。
スコットが発見したのは、壁の角。天井との隙間だった。
遠目からでは連なった宗教柄のレリーフによって穴が開いているとは気づかないが、目を凝らせば湯気が移動しているのが分かる。
小さな発見だが、大きな目標に繋がる一歩なのは間違いない。喜びに湧くホラス達だが、彼らは次なる問題へと直面する。
「さて、どうやってあそこまで昇る」
穴は壁の一番端。大浴場の奥まった部分にあった。
「この壁、引っ掛かりになりそうなおうとつが全くない。しがみ付いて昇るのは不可能だな」
「下手に精神力を使って跳んだとしたら、向こう側に音が聞こえちまうな」
「だとしたら、単純な力技しかあるまい」
「何か、思いついたのか、ホラス」
危機的状況を前に起死回生の一手を思いつた指揮官のように、あるいは神々からの託宣を賜った宗教的指導者のようにホラスは口を開いた。
「―――人梯子だ」
言っている内容は、しょうも無いが。
急速に覚醒するホラスの元、彼らは一丸となって行動した。十メーチルの高さを肩車で到達するには最低でも五人は必要となる。覗きに使命感を燃やしている冒険者は六人と人数は足りているが、それを支える一番下が一人では脆い。そこでホラスは、一番下を二人にして、三人目以降は二人の肩に足を乗せる作戦を提案した。これならば人間が四人乗っても崩れにくいだろう。
最下層に名乗りを上げたのはキャメル、カーメルの双子だった。彼らは顔だけでなく背丈も同じだ。肩の高さも同じであり、安定した足場になるはずだ。
しかしそうなると、必然的に覗く順番は後に回される。それでいいのかと尋ねようとしたホラスに、二人は無言で強い意思を秘めた視線を向けていた。
俺達は大望の為に犠牲になる。だが―――捨て石にはしないでくれよ。
ホラスは二人からのメッセージを受け取り、力強く頷いた。
「ありがとう。二人とも。頼んだぞ」
「任せときな」「あとで、俺達にも譲れよな」
雄々しく戦場に向かう二人に続き、他の益荒男達も湯船へと入っていく。足場になる事を選んだ双子に礼を言いながら、彼らは肩を昇る。一人、二人と天国へと続く梯子が形成されていくと、ホラスは三人目になろうとしたスコットを引き留めた。
彼は隙間を発見した功労者だ。
「お前は、一番上だ。次は俺が昇る」
「いや、でも。一番乗りはお前じゃないのかよ」
「お前が見つけたんだ。一番手柄はお前だ、スコット。だったら一番に昇るのはお前だろ。信賞必罰。功績を上げたもんが、一番でかいツラできるのがうちの決まりだろ」
その言葉に異論を唱える者は居なかった。
ホラスは言うと、仲間達の背をよじ登り、自らも人梯子となった。涙ぐむスコットに向かって手招きした。
「ぐずぐずすんな! 急がないとお嬢達があがっちまうだろ!」
その言葉に弾かれようにスコットは駆けあがった。天に向かって駆けだす姿は勇ましく、例え目的が覗きだとしても人の心を揺さぶる力はあった。
―――だが、現実は無情だった。
冒険者がホラスの肩を足場に楽園を除こうとした瞬間、壁の防衛機構が作動したのだ。
一瞬、壁面が輝いたと思えば、覗きに適した隙間の振りをした虎口が牙を剥く。ホラス以下、覗きに参加した冒険者の体を、壁から放たれた高周波が吹き飛ばしたのだ。一瞬で意識を持っていかれた者も居れば、意識は辛うじて残しつつも湯船に叩きつけられる者も居た。次々と崩れていく姿は、天に向かって伸びた塔が神の怒りに触れて崩れる様だった。
湯船に夢破れた男どもの屍が浮かぶと、意識を保てたホラスが呆然と呟いた。
「な、なにが、おきたんだ」
起きた現実を受け入れられない男に対して、無情な言葉が投げかけられた。
「大馬鹿ども。覚えておきな。此処みたいな、貴族様御用達の浴場には、大抵覗き対策用の仕掛けがあるんだよ」
「ど……どういう、ことっすか」
口も上手く動かせない後輩に、カーティスは己の苦々しい体験を伝えた。
「貴族様は気位が高い人も多い。本当の、一握りの上流様は生まれた時から生活の全てを奴隷に任せているから、他人に見られる事の羞恥心は薄いが、そこそこの貴族は下々に裸を晒すのを極端に嫌う。冒険者なんかに見られた日にはとんでもなく怒り狂うだろうな。そこで、こうした大浴場には、覗きが出来ない様に壁に魔法陣が仕込まれてるんだ。良くあるのが透視系の技能を発動させた途端に警報が鳴ったりとか、覗けそうな隙間に近づいた奴らを纏めて吹き飛ばしたりな」
「し、しっていたんなら、おしえて、くれても、よかった、じゃない、すか」
呂律の回らないホラス達を湯船から引きずり出しながら、カーティスは皮肉交じりに返した。
「こういうのは、痛い思いをしないと学ばないからな。それに、楽しかっただろ」
「……そりゃ、まあ。そうっすけど」
ホラスは否定できなかった。覗きという下らない目的に一致団結して挑むのは、確かに楽しかった。
目的は果たせず、実害を被りはしたが、彼らは心地よい疲労感と達成感に満たされていた。
今はこれで十分だとばかりに火照った肌を床で冷ましていた。
もっとも、大浴場から出て合流したファルナから絶対零度に近い視線を浴びて、心胆から凍える思いになる事を、彼らはまだ知らない。彼らが楽園と呼んだ女の湯側の壁面には、覗き対策の仕掛けが起動したランプが点灯しており、何が起きたのか一目瞭然なのだ。
「まったく、アンタらと来たら盛りの付いたヴォイドモンキーと同じだね」
氷の瞳から注がれる絶対零度の視線がホラス達を射抜く。
ヴォイドモンキーとは、村の力自慢程度でも倒せる初級モンスターの事だ。繁殖力が高く、多産の為、あっという間に数が増えてしまうという特徴がある。
戦いには敗れはしたが、それでも健闘したと慰め合う男性陣の前に現れたのはファルナの眦は鋭く、こめかみは引きつっていた。低く、それこそ地獄から忍び寄るほど低い声で彼女は短く告げた。
「……で?」
「「「申し訳ありませんでした!」」」
戦乙女の容赦ない視線に高揚感なんぞ一瞬で吹き飛んだ。エイリークが作ったとされる最上級の謝罪方法である土下座を一糸乱れずに行った男性冒険者等は、大浴場出入り口前でコンコンと説教を受ける事になった。
「あのね。アタシが問題にしているのは、アンタらが覗こうとした事だけじゃないんだよ。その中に、今回の依頼人が含まれているって事が問題なのさ。まだ依頼は完了していないのに、依頼人に無礼を働こうなんて、気が緩んでんじゃないの!?」
実に真っ当な理由だ。
ぐうの音も出ないほどの正論に覗きを止めなかったカーティスすらも正座をして説教を受けていた。
「ファルナ。私は気にしておりませんから、その辺でおやめ下さい。……人目が、その」
年若い少女が熱弁を振るい、若い少年たちが粛々と頭を垂れる姿は周りの耳目を集めるのを、普段から目立つのを苦手とするルリジオンは苦痛に思った。
だが、人々の目が彼らに集まるのは、この説教だけでないだろうとアイナは推測していた。
ルリジオンは常と変わらない法衣姿なのだが、それ以外の全員が装いを新しくしていた。
白を基調とした法衣に着替えていたのだ。一見すると、神官たちの法衣と似ているが、ホラス達が着ているのは外部から訪れた来訪者用の法衣だ。聖都に暮らす神官ならば、すぐに見分けが付き、それでいて訪れた人々が疎外感を抱かずに済むような心配りだ。
その中でもアイナとファルナが纏っている法衣は更に違った物だった。設えからして職人が魂を込めて一針ずつ塗ったような見事な物であり、生地も、糸も何もかもが一級品だ。滑らかな生地は光沢を放ち、神聖さを増していた。
これが普通の法衣ではないのは、一目瞭然。外部の人間のみならず、聖都に住まう神官ですら、アイナとファルナの法衣を見ると足を止め、感嘆の声を上げ、祈りすら捧げている者も居た。
「その法衣は、外部の方が法王様と面会なさる時のみに纏える儀礼用の服。ですから、その、あまり振り回さないで、ああ、袖が、袖が!」
鉄面皮までは行かずとも、感情の変化が乏しいルリジオンにしては、随分と慌てた様子でファルナを止めようとしている姿にアイナはこっそりと笑みを浮かべた。
とはいえ、そろそろ止めないと可哀そうでもある。アイナはそっとファルナに耳打ちした。
「ファルナ。怒るのもそれぐらいにしないと、折角したお化粧も崩れちゃうわよ」
法王と面会するという事もあって、アイナとファルナは薄らと化粧をしていた。儀礼用の法衣と相まって、その姿から快活な女冒険者の姿を思い出すのは難しく、説教を受けているホラス達も視線を何度も向けていた。
「むぅ。……でも」
「でもじゃありません。あーあ。それにしても惜しいな。これだけ着飾ったファルナをレイ君は見れず仕舞いなんて」
「な、な、なんで、ここに、あのバカレイの名前が出てくんだよ!」
「さあ、何ででしょう?」
少し意地悪めいた笑みを向ければ、ファルナは耳まで赤くした。ほんのりと薄紅色の雰囲気が生まれると、説教の空気はどこかへ消えていった。
すると、背後から音も無く馬車が近づき停車した。
それを目にした人々からざわめきが生まれる。
「お嬢。どうやら、迎えが来たようだぞ」
カーティスが馬車の側面に掘られた法王庁の印に気が付き声を上げると、馬車から怪しげな人物が降りた。
顔を薄布で覆った法衣姿の神官にルリジオンは背筋を伸ばした。小走りで近づき、二言三言言葉を交わすと、アイナの方を向いた。
「アイナ、それにファルナ。この方は法王猊下の傍仕えの方です。これより先は、この方が案内をするとの事です。私はカーティスさんたちを宿までお連れします」
ようやく落ち着いたファルナはホラス達を立たせて、
「了解したよ。カーティス、アタシが戻るまでにギルドに立ち寄って手ごろなクエストが無いかの確認と物資の補給を済ませて置いて。二三日中には、この街を離れるから、全員用事があるならそれまでに済ませてな」
手慣れた様子で指示を出すと、ファルナは馬車の中へと颯爽と入っていく。しかし、アイナは足を止め、カーティス達の方へと向いた。どうしたのかと不思議がる冒険者等に、彼女は深々と頭を下げた。
「この数か月。本当にお世話になりました。……私にとって、皆さんは百年ぶりのパーティーでしたが、凄く楽しかったです。出発の際に見送れるかどうか分かりませんので、ここで挨拶を済ませておきます。道中、お気を付けてください」
「こちらこそ、楽しかったですよ。どうか、お体には気を付けて」
カーティスが代表して礼を返せば、アイナは微笑んで頷いた。この先、彼女がどのような運命を辿る事になるのかは分からない。『紅蓮の旅団』に出来る事は、此処までなのだ。後は、彼女に幸運が訪れるように祈るしか出来なかった。
馬車に乗りこむアイナに対して、ホラスやトリシャ、他の冒険者たちも礼を言い、別れを惜しむ。だが、法王庁から派遣された馬車は、どこまでも任務に忠実に扉が閉まると走り出した。
遠ざかっていく馬車を見送ると、残ったルリジオンがカーティスに近づいた。
「それでは宿の方を先にご案内させていただきます。依頼完了の書類などは明朝持ってくるので宜しいですか?」
「ええ、それで構いませんぜ。それじゃ、お前ら。荷物持って移動するぞ。宿に着いたら荷物置いて、ギルドに向かってステータスの更新と、魔石の換金を済ますからな」
冒険者から疎らな返事がある中、一人無言だったのはホラスだ。
彼は一人、遠ざかっていく馬車が、小さな粒になるまで、ずっと見つめていたのだ。
どういう訳か。
胸騒ぎがした。
言葉に出来ない、漠然とした不安。理由も分からず、確証も存在せず、確信に到らないというのに、彼はどうしてか、こう思ってしまったのだ。
―――あの二人を行かせるべきではないのでは、と。
理由も、証拠も、ましてや技能も無い。単なる個人的な勘に過ぎない。
だが、彼はこの時との不安が正しかったと言う事を直ぐに理解する事になる。
夜も更け、外では雨音がする頃になって法王の傍仕えだけと戻って来たファルナが、用意された宿で待っていた仲間達に向けて開口一番、
「『紅蓮の旅団』を抜ける事にした」
と、告げた瞬間。ホラスは自分の不安が的中してしまった事を理解し、どうしてあの時に行動しなかったのかと身が割れんばかりの後悔に苛まれた。
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