閑話:受付嬢の終点Ⅰ
晴天に訓練に励む者達の声が吸い込まれていく。
白を基調とした訓練服に身を包んだ、十代前半から後半ぐらいの少年少女らが、運動場を駆け抜ける。流す汗は秋の日差しで輝いていた。
峻麗なイプテン山脈のひざ元に広がる聖都。一年を通じて雪が降りしきるイプテンの寒波に道行く人々の服装は常に厚着を強いられていた。秋の上月だというのに、吐く息が白くなる。
世界中に信徒が存在する法王庁の総本山には、武装神官を育成する神学校がある。此処で歴史を学び、教養を身に着け、心身を鍛え抜き、信仰を深めていった者達が世界へと羽ばたき、神への祈りとモンスターの脅威に立ち向かっていく。才能と修練が認められれば、《神聖騎士団》の予備人員として推挙される可能性もあった。
また、武装神官としての道を歩まずとも、ここを卒業すれば法王庁内の他部署に、好待遇を持って入庁することも可能だった。そのため、貴族の子弟であり、家督を継げないような者はこぞって入学したがる場所だ。
そんな誇り高い、将来のエリート候補たちの中に、少々毛色の違う青年が居た。
長く伸ばした茶色の髪を紐で結わい、鋭い瞳で他者を威圧する。
周りと同じ白の訓練服は身に馴染んでいないのか、首元を何度も指で掻いていた。
彼の名はホラス。
エルドラド大手クランの一つ、『紅蓮の旅団』、ファルナ班所属の冒険者だ。
しかし、今はその肩書に元が付く。
今の彼は法王庁神学校下級訓練生として、武装神官になるための訓練を受ける身だった。
こうなったのは、今から三週間ほど時間を遡る事になる。
ホラスの所属が『紅蓮の旅団』だったころ、彼らが任されていた依頼は佳境を迎えていた。
団長の娘、ファルナが任された新設の班は怪しげな依頼を請け負っていた。
依頼主は法王庁情報部一級異端審問官オーバート。
依頼内容はネーデの街に住む魔人種、アイナを聖都まで護送する事だ。
水面下で動き出した六将軍が、力のある魔人種アイナを仲間にするべく行動を起こすと予想したオーバートは、彼女を囮として後々利用する為に聖都へと護送する計画を立て、その実行に結成したばかりのファルナを指名した。
本来なら武装神官だけで行われるべき内容なのに、よりにもよって新設の班を指名するという不審な行動だが、法王庁との力関係もあり、断わる事も出来なかった。心配するオルドは娘に補佐役兼護衛として自分のパーティーメンバーを付けたが、当の本人は裏のある依頼であっても掛かって来いとばかりに強気だった。
法王庁からお目付け役である二級異端審問官のルリジオンも同行した旅は、紆余曲折はあったものの半分までを踏破した時、ある事件に巻き込まれてしまった。
中央大陸の一都市であるカバナ。その都市が所有する迷宮で魔法工学の兵器が起動してしまった。『機械乙女』襲来の恐れがある中、偶然にも滞在していたファルナ達は危険を顧みず、迷宮に突入。そして見事、『機械乙女』が来る前に兵器の破壊に成功したのだ。
この一件に感謝したのはカバナのギルド長であると同時に行政の長をしている男だった。
何しろ街が地図から消えるかどうかの瀬戸際から救われたのだ。
ファルナ班にはギルドから総動員令の報奨金が、そして行政の長として旅の援助が行われる事になった。
とはいえ、依頼の内容が隠密行動なのであまり大掛かりの援助は断ったが、一月半は掛かると思われた残りの道程を、三週間足らずで踏破したのはカバナの長の尽力があっての事だ。
予定外の幸運に見舞われて、当初の予想よりも早く、ファルナ達はイプテン山脈を貫く秘密の坑道に辿り着いたのだ。
中央大陸は人魔戦役の終わりに起きた、『魔王』フィーニスと『勇者』ジグムントの一騎打ちにより大きな地形変動を起こしていた。
楕円形だった大陸の中心部は抉れ、海水が逆流して凶暴なモンスターが跋扈する内陸湾が生まれ、北部のイプテン山脈は一年を通して吹雪く異常気象に見舞われていた。そのため、山脈の西に位置する聖都は四方の内、山と海に三方を囲まれた天然の守護を得る代わりに、もしもの時の脱出路が存在しなかった。
そのため、イプテン山脈の下を貫く坑道を数十年単位で掘り進み、山脈の東西を行きする秘密の抜け道が出来た。
今、その道を東から西へと抜けようとする一団が居た。
「ねえ、本当にここが出口なのかい。何処を向いても壁、壁、壁ばっかりで、外への隙間すら無いじゃないかい」
松明を左右に振りながら前面の壁を眺めているのはファルナ。その度に自分の体を炎が陰影を作り艶めかしさを生むが本人は気にしていなかった。対して、法衣で全身を隙間なく覆う少女が指示書と目の前の状況を見比べ、不安そうに呟いた。
「出口があるのは間違いありません……ですが……妙ですね。本来ならこの辺りに鎖があって、それを引けば開くはずのですが」
「ルリジオン。その指示書、少し見せてくれない」
横から顔を覗かせた魔人種の女性アイナに異端審問官ルリジオンは上役からの指示書を手渡した。同時にファルナも近寄り指示書を覗き込んだ。
出口を動かすための鎖を探しながら、ホラスはその光景を盗み見た。ごく普通の光景だが、旅を始める前はこんな普通の光景が見られるとは予想だにしていなかった。
アイナはともかくとしても、明らかに何かを隠している依頼主と、それを問い質せずにいる請負人という図式は険悪とまでは行かなくても、場の雰囲気を悪くする。
それがこうして和やかになったきっかけは、やはりカバナで起きた出来事だろう。
『機械乙女』襲来という危機の前に一致団結をし、困難を乗り越えた事でそれぞれが感じていた溝が埋まったのか、一気に距離が近くなった。
この依頼に何か裏があるとファルナは口にしていたが、それはそれ、これはこれと割り切って受け入れているようにホラスには見えた。
さっぱりとした性格のファルナにしてみれば、ルリジオンがどのような指示を受けているのかよりも、彼女自身の人柄や能力がどうなのかが重要であり、彼女の好みに合致した様だ。
ルリジオンとしても、距離を詰めてくるファルナに最初は苦慮していたようだが、今では心を許せる関係になってくれた。
無論、たった一回の出来事がきっかけで此処まで関係性が良くなったわけではない。此処に到るまで、ホラス達は幾度も危機を乗り越えて来た。
「出口まであと僅かだってのに、ここで足止めとか無いわー。……まさか出口が見つからずに延々と坑道を彷徨う事になったりして」
「黙って探せよ、スコット。これぐらい霧の街で遭遇した、現代に蘇った殺人鬼に比べれば簡単だろ。あん時は、カーティスの兄貴を含めた全員が溺れ死に仕掛けたが、それに比べれば何でもないだろ」
「でもよ、ホラス。来た道を引き返そうにも無神時代よりも前の、前時代の遺物が起動して落盤が起きちまっただろ。やっぱり俺達、生き埋めで人生お終いかよ」
「お前は直ぐに弱気になる奴だな」
ファルナ班の中でも器用さが売りのスコットだが、人一倍精神が弱い。ちょっとした困難を前に直ぐに弱音を吐いてしまう。
「だってさー。何か最近……というか、あれだ。スタンピードに巻き込まれてから、ずっと面倒事に巻き込まれてるぜ。絶対そうだ! 間違いなく祟られてるんだ。聖都に着いたら、御祓いしてもらおうぜ」
「考え過ぎだろ。冒険者なんだから、危険の一つや二つ、出会って当然……うん?」
壁面に手を這わせていたホラスは、指先に冷たい金属の塊が触れて言葉を切る。手さぐりで形を確かめると、それは鎖だった。
「お嬢、ルリジオンさん! これが鎖じゃないんですか!?」
「でかした、ホラス! 引いてみな!」
「ちょ、ちょっと待ってファルナ!」
「そうです。それが本物かどうか確かめるべく」
即断即決が信条のファルナに言われるがまま、ホラスは鎖を力の限り引く。途端、何かが動き出す音が坑道内に響き渡る。頭上の岩盤から埃が落ち、一同はそのまま落ちてくるのではないかと色めき立った瞬間、それまで黒塗りの壁だった岩がずるりと音を立てた。
壁面に一本の白い筋が走ったと思えば、そこから光が差し込む。長時間坑道内を進んでいた一同には強すぎる日差しであり、誰もが目を守る為に顔を伏せた。
音と震動は続き、やっと終わった頃、誰かが光の中へと消えていく。一人、二人と目が慣れた者から外へ出ると、新鮮な秋風が頬を擽り、そして永久の冷気が背中から吹き寄せ、眼下に現れたのは神々しい都だった。
「あれが……聖都」
誰かの呟きに応えるように、鐘楼の連なる音色が響き、長旅を終えようとする一行を祝福していた。
法王庁の総本山である聖都は、住人のほとんどが法王庁に所属している。そのため敷き詰められた白いレンガを闊歩する人々は、都と同じ白を基調とした法衣姿の為、外部から来た人間は純白の園で浮いてしまうのだ。
特に長旅に加えて土の中を進んだファルナ達は一段と汚く、すれ違う人々が避けてしまう。もっとも、当の本人たちはその事実に気づいていなかった。彼らは皆、美しく整えられた聖都の街並みに、ただただ唖然としていた。
「すっごい、綺麗な街ね。整備された都市は幾つもあるけど、ここは、何ていうか神様の都っていう基本を忘れてないわね」
世界から一度は消えてしまった13神への信仰心。それを取り戻す為に作られ法王庁の総本山ともなれば自ずと景観も宗教色が強くなる。等間隔に並べられた13神の身姿をした像が置かれるだけならまだしも、かの神々に仕えた精霊や神々が用いた神器を模したオブジェ。更には神々がどれ程偉大だったかを伝えるため、過去にあったとされる神話の一節を歌として奏でる楽団などが当たり前のように居る。
宗教が、13神への信仰が日常の風景として成り立っていた。
「ここまで13神を崇めていると、ちょっと不気味な感じもしますね」
目立つ黒髪を頭に巻いた布に押し込めて歩くアイナが、居心地も悪そうに左右に視線を向けていると、先導していたルリジオンが足を止めた。
「此処が情報部の部署が入っている建物です。申し訳ありませんが、部外秘の為、皆様に此方でお待ち頂きたいのですが」
「分かってるわよ」
「いってらっしゃい」
「ありがとうございます。直ぐに戻ってきます」
ぺこりと藍色の頭を下げたルリジオンは、武装した神官に守られた建物の中へ消えていった。旅の間は冒険者の中に混じったせいで奇異の眼を向けられていた法衣姿だが、こうして彼女のホームに来れば自然なまでに溶け込んでいた。むしろ、異質なのはファルナ達の方である。
行き交う人々から視線を一瞬向けられるも、年若い冒険者たちにとってはさほど気にならず。珍しい街並みを眺めているだけで時間は過ぎていった。
しばらくして建物へと消えていったルリジオンが戻って来た。
ただし、一人では無かった。
彼女よりも先を歩く男を見て、アイナは苦い思いが蘇った。
「ご苦労様です、『紅蓮の旅団』、ファルナ班の諸君。見事、依頼を達成して下さり、感謝の言葉もありません。流石は『岩壁』の娘ですな」
慇懃な態度なのに、どこか此方を嘲笑する態度が明け透けに見える、土気色の顔をした男こそ一等異端審問官オーバート。この依頼を『紅蓮の旅団』にした張本人である。
依頼人を前にして渋面をしてしまったファルナに、補佐役のカーティスが肘鉄を喰らわせた。小声で笑顔と言われてしまえば仕方ない。
彼女はストライキ中の表情筋を無理やり働かせた。
「いえいえ。道中の無事も、依頼の達成も全ては13神の思し召し。アタ、私の力なんて微々たるものです」
営業用の愛想笑いに満足そうにオーバートは頷いた。ファルナが人知れず胸をなで下ろすと、爬虫類のような不気味な眼は一行へと向けられた。その視線に身構える冒険者等に彼は言った。
「早速、依頼の完了手続きと致したい所なのですが……その前に幾つかお話しなければなりません。実は予定が狂いまして私は本日中に聖都を発つことになってしまいました。これから早馬を乗り継ぎ、港から南方大陸の方に渡らなくてはなりません」
「お待ちください。それでは依頼の報酬などは」
「御心配なく、『拳士』殿。その辺りはルリジオンに後を任せております。彼女が万事抜かりなく行ってくれます。ですが、私の事情とは別にもう一つ、お話しする事があります」
持って回った言い方に、含みのある粘ついた視線。正直、ファルナとしてはこの異端審問官を長く視界には入れたくないのだが、これも仕事と言い聞かせた。
「それは何でしょうか」
「ええ、実は―――」
一拍溜めたオーバートは、さもこれから驚かせるぞとばかりに声を潜めた。事実、彼が口にした内容に全員が驚いてしまう。
「アイナ殿、並びにファルナ殿に法王猊下がお会いしたいとのことです」
湯気が長旅で強張った冒険者の体をほぐしていく。並々と張られた湯が微かに色づいているのは、何かしらの効能を含んでいるからだろうか。
本来なら位の高い神官や信徒か、あるいは巡礼の為に訪れた貴族しか使えない大浴場は、今の時間帯だけ『紅蓮の旅団』だけに貸し切りとなった。
「面会は本日中にとのご要望ではあるが、流石にその薄汚れた姿で参上されても困る。また、君達の身なりもこの街では少々浮いてしまうから、服と宿、それに大浴場を用意した。そこで旅の疲れを洗い流してください」
そう言って、オーバートは複数の部下を連れてファルナ達の前から消えた。後からルリジオンに話を聞けば、どうやら南方大陸の方で六将軍の動きがあったらしく、先に派遣された《神聖騎士団》と合流して情報を収集するのが目的らしい。
「南方大陸って言えば、デゼルト国がきな臭いって団長が言ってまたよね」
体を洗いながらホラスがカーティスに尋ねると、狼人の青年は全身の毛を泡まみれにさせながら答えた。
「ああ。中央に戻る前に通ったが、随分と武器の値が上がっていたからな。近いうちに戦争が起きるだろうとぼやいていたぞ」
「もしかして、それも六将軍とかの作戦だったりして」
「そんな訳あるか、馬鹿」
自信があった訳ではないが、それでも意見が一蹴されると面白くないのか、バツが悪そうにホラスは顔を背けた。すると、視界に飛び込んできたのは旅の仲間達の背中だ。
日々、モンスターなり野盗なりと戦い鍛え込まれた筋肉が、湯気の熱に当てられ汗ばむ中、男たちは壁の方にへばり付いていた。ある者は壁にめり込みそうなほど耳を当て、ある者は瞼をこれでもかと開かせて目を近づけていた。異様な光景に、ホラスは一瞬だが声を掛けるのを躊躇ってしまった。
「……おい、お前ら。そんな所で何をやって―――ムグホッ!」
とはいえ、声を掛けずにも居られず、近づいて話しかけると双子の片割れであるカーメルがホラスの口を塞ぐ。即座に兄の方、キャメルによって四肢も拘束された。
「黙れホラス。音を立てるな、気配を立てるな、心臓を止め、自分が壁になる所を想像するのだ」
「さすれば、貴様にも聞こえてくるだろう。……この向こう側にある楽園のせせらぎが」
真剣な、それこそスタンピードの時以上に真剣な顔をした双子に言われるがまま、ホラスは神経を研ぎ澄ませた。
自分の心臓の鼓動すら爆音に聞こえるほどの無音の中、彼の耳朶に届いたのはきらびやかな輝きに彩られた嬌声だった。
「あっこら、ファルナ。どこを触っているのよ」
「ごめん、ごめん。だって、アイナさんの肌って白くて綺麗なんだもん。羨ましいな、って思ってさ。アタシってほら、色白と対極でしょ。筋肉だってついて、見栄えが悪いんだもん」
「それはありがとう。でも、ファルナだって綺麗よ。褐色の肌にうっすらと浮かぶしなやかな筋肉。女から見ても綺麗だって憧れるわ。男の人が放って置かないわよ」
「あはは、アタシなんて、全然全然。男が放っておかないなんて言うのは、ほら。ルリジオンのような白くて透明な肌とかだよ。いつもは法衣で隠している分、日に焼けていない肌なんて、男の視線の的だよ」
「……同性でも、流石に失礼ではありませんか、ファルナ。それに私のような貧相な体よりも、トリシャのように、豊満な方の方が好まれるのではありませんか」
「いやはは。そんな風に言われると、照れまスナ。でもあたいなんか、チビだからね。妙な性癖の奴しか好んで近寄って来ませんよ」
華やかさと瑞々しさのする声に、ホラスの脳髄は押し寄せる快感に蹂躙された。体内で生成された物質によって生み出される妄想の光景は、四人の女性たちが仲睦まじく風呂に浸かる場面だった。
「お前、お前、お前ら。これは、これは!!」
「何も言うな、兄弟!」
「俺達の思いは一緒だ!」
キャメル、カーメルを始めとした青年たちの眼差しは希望に輝いていた。
例えそれが、倫理に悖る行為だと理解しつつも、彼らは止める事が出来なかった。
男だからこそ抗えない。持って生まれた業とでも呼ぶべき本能。
そして何より、彼らは冒険者なのだ。冒険を、身を震わせ、魂を焦がすほどの冒険に憧れてしまった、大馬鹿野郎たちだった。拘束を解かれたホラスは、ゆらりと興奮に体を震わせた。自らの裡から突き破らんとする感情を、そのまま口から放った。
「覗こうぜ、あの向こう側にある楽園を!!」
「「「応ッ!!」」」
男たちの思いは一つになった。
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