閑話:残された者達
夢を見ているのだと、すぐに気が付いた。
夢を見ているのだと自覚する理由はいくつかあるだろう。例えば、荒唐無稽な内容。あるいは、あまりにも自分に都合の良い内容。もしくは出てくる人物が既に死んだ者達だけだから。
そして、過去の記憶を夢として見る時も、これが夢だと自覚できる。
先を進む男性の背は、この世の誰よりも逞しいと幼い私は本気で信じていた。槍を振るう剛腕は、古の英雄たちにも引けを取らないだろうと、いつも誇らしく思っていた。
そんな父に連れられて私はとある屋敷へと連れて行かれた。隣にはいつものように、双子の妹が居た。共に幼く、ぼんやりとした表情で、屋敷のあちこちへと視線を向ける妹の様子に、私は妙な苛立ちを抱いていた。
この屋敷が誰の屋敷であり、これから誰に会うのか言い含められていた。粗相をすれば、それがそのまま父の恥になる事ぐらい、幼い私でも理解していた。だからこそ、妹がとんでもない失態を犯すのではないかと気が気でなかった。
同じ説明をされたはずなのに、妹は今にも飾ってある花瓶に手を伸ばそうとする。慌てて妹の手を取って注意を促すと、しゅんとした表情を見せた。
私の心情をくみ取ったのか、運命は特に問題を起こそうとせずに私達は目的地へと辿り着いた。
父が扉をノックすれば、入室の許可が中から投げられた。
父のあとに続いて入室すると、茶の香ばしい匂いが鼻をくすぐった。机の上には薄紅色の飲み物が置かれているが、室内にメイドの姿は見えない。どうやら屋敷の主が手ずから給仕したようだ。
応接室の上座に腰を掛けたまま、悠然と構えているファラハ・オードヴァーンに父は頭を下げた。
「ファラハ様。この度はおめでとうございます。念願の男児とお聞きしましたが」
「うむ。三人目にして、やっとな。それで、その双子が貴様の子らか」
「その通りでございます。お前たち、ファラハ様にご挨拶を」
父に背中を押され、私は寝ずに練習した通りに口を動かした。
「おはつにお目にかかります。ナキ家長男、クリシュともうします」
「……ナリンザ……です」
練習通りにうまく言えたとほくそ笑む横で、妹はたどたどしい口調で挨拶をした。ファラハ様は相好を崩して空いている席を指差した。
「ああ、初めまして。オードヴァーン家当主、ファラハだ。さあ、立ち話もなんだ、座り給え」
一瞬、如何するべきかと悩み父を見上げれば、そうしなさいと目線が返る。おずおずと、ファラハ様に指示された場所に腰を下ろした。
そこからの事は、正直に言えばあまり覚えていなかった。
父とファラハ様が歓談しているかと思えば、時折ファラハ様が投げかけてくる質問にしゃちこばった回答をして、それが一つ終える度に肩の力を抜いた。
何しろ、あの場において自分は品定めをされたのだ。
生まれたばかりの我が子の、従者として相応しいかどうかをファラハ様ご自身の目で確かめられた。ナリンザが連れてこられたのは、おそらく予備だろう。自分に不満があれば、あの方の従者は妹が務めていたかもしれない。
しばらくして、ファラハ様はメイドを呼ぶためにベルを鳴らした。おそらく、合格を頂いたのだろう。横に座る父が僅かに、緊張した体を弛緩させたのを感じた。
そしてメイドに抱きかかえられて室内に入った赤ん坊へと全員の視線は向けられた。
「名をアフサルと付けた。クリシュ・ナキよ、此方に」
メイドから赤ん坊を受け取ったファラハは、生まれたばかりの我が子に慈しむような眼差しを向けていた。
だからだろうか。主家の当主に近づくと言うのに、私は緊張などしていなかった。
赤子の顔を覗き込むと、父親に抱かれた幼いアフサル様は健やかな寝顔をしていた。
「クリシュ・ナキ。オードヴァーン家当主として、其方に問おう。我が子、アフサル・オードヴァーンを、その命が尽きるまで支え、手伝い、そして守れると誓えるか」
「ちかいます。この身がほろびるまで、アフサルさまをおまもりします」
「ならば、其方に命じる。今日、この時を持って、其方をアフサルの従者に任じる」
その瞬間、私はこれからの人生をこの小さな赤子に捧げるのだと理解し、そしてそれを誇らしく思った。尊敬する父と、ファラハ様のような固い絆と信頼で結ばれた主従になるのだと夢を見た。
―――ああ、全ては夢だった。
声が聞こえる。
幼い少年の声だ。それに導かれるように意識が覚醒へと向かう。穏やかな春の日差しが射し込んだ屋敷の一室は虫に食われた布のように千切れていき、笑みを浮かべていたファラハ様も、寝顔を見せていたアフサル様も、どこか嬉しそうにしていた父上も、状況をあまり理解していないナリンザも消えていった。
意識を覚醒させると同時に、彼らが御霊へと昇っていた事を思い知らされた。体は冷たい牢に冷やされ、同時に微睡は消えていった。
「兄上、起きてください」
固い声だ。相当な苦労を重ねなければ出せず、十かそこらの少年の声じゃない。それだけに、彼が背負う重さが想像できてしまった。
頬に当たる冷たい石の感覚を引き剥がして体を起こせば、夢には登場しなかったラシード・ナキの厳しい眼差しと鉄格子の隙間をすり抜けてぶつかった。
「時間です。……お立ちください」
「そうか。やっと私の順番が来たのだな」
腰を下ろしたままの自分を外へと連れ出す為に、武装された警吏が牢の中へと入って来る。今更、抵抗するつもりないため、その姿は大げさだろうと思うが、口には出さない。
今日、私は処刑される。せめて、その末期は余計な血で汚したくない。
クリシュ・ナキは混乱渦巻く神前決闘が行われた舞台から生き延びてしまった。奪った槍が折れ、右腕に深手を負ってもなお、彼の体は死の安息を得る事はなく、出血により意識を失いかけた所を拿捕されてしまった。
目が覚めた時には申し訳程度の治療と―――アフサルの死を告げられた。
最初は信じられなかった。死を偽装していたルドラともつれるように、祭儀場の窓から落ちたと聞かされるも、信じられなかった。
否、信じたくなかった。己が命を賭けて護ると誓った主が死に、どうして自分が生きているのか。受け入れがたい現実から目を逸らしていたが、ある時、それを受け入れざるを得なくなった。
アフサルの遺体と対面する事になったのだ。
連れて行かれた安置所で整えられた遺体を前に、これが現実だと認めた。
アフサルは、主は死んでしまった。
さぞ、無念だったろう。己の境遇を呪い、己の未来を悲嘆し、しかし諦念に膝を屈することなくそこから道を開こうと足掻き、それでも勝利に手が届かなかった。道半ばで死を迎えた主の無念さが伝わって来る。
そして何よりクリシュの身を揺さぶったのは、主を守れなかった事への自責の念であり、虚無感だった。物心付いた時から、身命を捧げて来た対象の喪失が、男に自害する気力さえ奪った。
牢に戻されたクリシュは指を動こうとはせず、出された食事にも手を着けず、ゆっくりと死の淵へと漂っていた。
だからこそ、弟の来訪は心待ちにしていた事でもある。
処刑場へと向かう護送の馬車にクリシュは揺られていた。
貴人や、雑貨を運ぶような種類の馬車と違い、罪人を運ぶために牢から刑場を行き来する特別製の馬車には、不測の事態に備えて幾つもの加護が仕込まれている。脱出も奪還も不可能な造りだ。
不可解なのは、馬車に揺られている人数が少ないと言う事だ。警吏の者が二名と、ラシードを除けば、牢から連れ出されたのはクリシュ一人しかいない。
「今日、処刑されるのは私だけなのか」
対面に座るラシードはうつむいたまま兄に答えた。
「はい。……処刑されるべき方々は、既に終えております。残ったのは、兄上ただ一人です」
「そうか。俺なんぞを最後にして、他の方々を。王族の方たちを先に済ませるとは、何ともこそばゆい扱いだな」
自虐的な笑みを浮かべるクリシュ。牢の中に入れられ、情報が遮断された状況でも外の情勢ぐらいは予測できた。ダリーシャスが王となり、まず手始めに行うべきなのは混乱の鎮静に伴う体制の見直し。アフサルやワシャフに付いた者達への処罰だ。
その中にクリシュ・ナキも含まれていた。
仕方ないとクリシュはこの結末を受け入れていた。抜け殻のように成り果てた牢の中で、心の整理は付けた。アフサルが死んだ時に、自分は既に死んでいるのだ。此処に居るのは、クリシュ・ナキの残りかすでしか無く、あとはそれが大地に葬られるだけ。
「ラシード」
名を呼びかけるとラシードはやっと顔を上げた。どちらかといえば、母に似た優しげな顔立ちに浮かぶのは悲しみの色だ。死を受け入れようとする兄と違い、弟はどこか受け入れ難そうに歯を食いしばっていた。そうしなければ、溢れる感情が漏れ出すかのように。
しかし、考えてみれば無理も無い話だ。ラシードにとってクリシュは最後の家族だ。血を分けた最後の一人がこれから死ぬというのを前にして、十歳の少年が受け入れるのは難しい。
一人残される事になるラシードに申し訳ないと思いつつも、クリシュは頭を下げた。
「このような形で、お前一人を残してしまう兄を許せ。お前から父を奪ったのは、間違いなく我が主君であり、そして俺でもある。そんな俺が言うのも烏滸がましいが……ナキ家を。そしてダリーシャス様を頼む」
「兄上! ……若輩の身ですが、精一杯、努める所存です。ですから……ご安心ください」
胸を張って言う姿を、在りし日の自分と重ね合わせた。ファラハ・オードヴァーンの前でアフサルを守ると誓ったあの時、ファラハや父はこのような気持ちだったのかと今更ながらに実感する。
「ああ、頼んだぞ。ラシード」
そう告げるのと時を同じくして、馬車は止まった。同時に目隠しをされたクリシュは警吏に引きずられるようにして降ろされた。
(随分と静かだな)
眼とは違い、耳は塞がれておらず、奇妙なまでの静寂に耳朶は戸惑う。処刑の場は、目的に応じて公開されることもある。大衆への見せしめや、王の威厳を誇示するためにあえて公開する場合もあるが、今回は違うのかとクリシュは判断した。
刻一刻と近づく死の気配に心が取り乱す事はなく、青年は動じることなく己が足で大地を踏みしめた。
そして目隠しの布を取り払われ―――飛び込んだ光景に絶句する。
そこは、処刑場では無かった。
乾燥した大地が続く南方大陸にしては珍しく水が湧きだす小さな池の畔に、ひっそりと咲いた花畑。その横に並べられた石には名が刻まれていた。
アフサル・オードヴァーン、ここに眠る、と。
そしてその手前で膝を折り、頭を垂れている男の後ろ姿に、クリシュだけでなくラシードも息を呑んだ。
「陛下!? こ、ここで何を? それに、ここは一体」
「静かにしろ、ラシード。死者が目を覚ます」
座して伏していたダリーシャスが顔を上げ、そして二人に振り向く。地下牢に押し込められていたクリシュに、あれからどれだけの日数が経過したのか見当も付かないが、それでもさほどの時間は経過していないはず。だというのに、眼前に経つ男は王の風格を我が物としていた。
立場が人を作るとはまさにこの事だった。自然とクリシュは膝を突いて頭を垂れていた。
「クリシュ・ナキ。其方はナキ家の人間でありながら自家と主家のみならず、国その物を揺るがす陰謀に加担。その罪は命を持ってしても贖いきれない物であるが、其方自身はナキ家の人間として主君アフサルに付き従っただけである。よって、命までを取ると物ではないと判断。其方の家名はく奪、及び国外への追放を持って罰とする」
「お待ちください、陛下! それでは、他の者に示しがつきません。アフサル王子に与した者は、須らく極刑、あるいは命まで取らずとも現地位からはく奪をしたと言うのに」
ラシードの言葉は正論である。だが、ダリーシャスは従者の言葉を無視して続けた。
「ただし、其方が望むのならば、ここで。兄上の墓守を務める事を認めよう」
「……アフサル様の……墓守、ですか」
「うむ。其方も存じているだろうが、神に勝利を誓う神前投票、並びに神前決闘で敗北した王族は骸を晒され放置される。王家の墓に入る事を禁じられている」
神に偽りを告げた者に罰を。
その者が王に相応しいと票を投じた愚か者に罰を。
それが敗者の末路である。風雨に削れ、鳥獣に啄まれ、やがて腐った肉や乾いた骨が大地に飲み込まれるまで放置されるのが仕来りだった。事実、アフサルに票を投じたワシャフの子らは、そうなってしまった。
だが、アフサルとルドラは、神前決闘の敗北による処刑前に死んだのだ。
「頭の固い老人共を説得するのには苦労したが、ルドラ殿は娘御、リリーと同じ墓に入れた。流石に、兄上は王家の墓に入れるのはまかり通らんと拒絶されてな。こうして、人目からしのぶような場所にしか建てるしかできなかった。ここは人里から遠く、放っておけば直ぐに荒れるだろう。ゆえに、其方に墓守を頼みたいのだ」
「……な、なぜ。なぜ、私、なのでしょうか」
「不可思議な事を尋ねるな。其方以外に、誰が兄上の眠りを妨げずに済む」
全身に稲妻が貫いたような衝撃にクリシュは見舞われた。
不本意な決着でアフサルの野望はとん挫したが、それでもオードヴァーンの兄弟において、アフサルの方がダリーシャスよりも優れているとクリシュは疑っていなかった。人格、実力、人気、どれをとっても、アフサルの方が上回っていた。
しかし、たった一点。他者を思いやるという気持ちに置いては、ダリーシャスの方が上回っていたと認めるしかない。
(ナリンザが生きていたころには、そのような部分は見受け出来なったが……皮肉な事だ。あれの死が、この方の成長を促すとはな)
妹の死が無駄になっていない事を喜ばしく思いつつも、クリシュは首を横に振った。
「兄上! 陛下の恩情を拒否するのですか!?」
背後からラシードの叱責が飛ぶも、クリシュの覚悟は決まっていた。
「ダリーシャス様にはお礼申し上げる。このような塵芥に、身に余る扱いです。しかし、私は主の死に殉じたいのです」
守り切れなかった主を思い、無念さが全身を蝕んでいた。クリシュにとってこの世に未練は無く、生にしがみ付くだけの理由が無かった。
兄の中にぽっかりと空いた穴は埋まらないと察したラシードが、視線だけで懇願するようにダリーシャスの方を向いた。
彼の願いを叶えて欲しいと、と。
だが、ダリーシャスは兄弟たちの懇願を拒絶した。
「……其方が死ねば、兄上は真の意味で死ぬぞ」
「それは……どういう意味なのですか?」
困惑するクリシュにダリーシャスは続けた。
「人は死ねばそれで終わりではない。その者の生きた姿を、したことを、思いを受け取った者が生きている限り、人は死なない。『冒険王』の偉業が現代まで伝えられたのは何故だ。『魔導師』が生み出した新たな魔法が廃れなかったのは何故だ。語り継がれたからだろう。人の記憶から消えず、繋いでいった者が居たからこそ、彼らは今も生きている」
感情が高ぶったのか、ダリーシャスは両の目から涙を流しつつ、クリシュと同じ目線まで腰を下ろした。その行動に危機感を抱く警吏達だが、彼らをラシードは制した。
「誰よりも兄上の傍に居たお前が死ぬことで、兄上は本当に死んでしまう。だからこそ、其方は生きるべきだ」
―――完敗だ。
クリシュは心の裡で呟いた。
彼にとって仰ぐべき主は過去も、現在も、そして未来に置いてもただ一人、アフサル・オードヴァーンただ一人―――だった。
しかし、敵対していた者の死に涙を流し、死を悼む姿を見て、クリシュはほんの僅かに心が揺れてしまった。この男に仕えたいと、刹那の瞬間だが思ってしまったのだ。
そんな心変わりを恥じるように、男は額を地面に着けるほど下げた。
「陛下の寛大なお心。この身には勿体なき物。何より、陛下のお言葉に道を見出しました」
「そうか。では」
「しかし、私が生きていることを知れば、何かしらの企みに利用する者が現れるかもしれませぬ。それにこの地に居れば、それだけ陛下の迷惑になるやもしれませぬ。即刻、この国から退去させて頂きたいと存じます」
「……うむ。……相分かった。荷を作る時間は与えよう。兄上の墓は此方で手配した者に任せるゆえ、安心せい」
「はっ、ありがとう存じ上げます」
そう言って、顔を上げたクリシュの相貌は、絶望に彩られていた時とは全くの別物となっていた。
護送の馬車がクリシュを乗せて来た道とは別の道を進んでいく。これから彼は国境境の街まで送られ、荷を作り次第国外退去となる。おそらく、生きて故郷の大地を踏む事はないだろう。
アスタルテの馬上から遠ざかる兄を見送るラシードに、ダリーシャスは声を掛けた。
「どうする。もうしばらく、ここで見送るか」
「いえ。陛下のお時間をこれ以上頂くわけには行きません。何しろ、処理しないといけない案件が山のように残っておるのですから。近隣諸国への説明に、黄龍の死体の使い道を商人ギルドと十二氏族の間で協議しなければなりませんし、何より帝国兵五万をどのように扱うのか決めないと。ああ、もう、時間がいくらあっても足りません! ああ、お腹が痛い」
「ははは。一歩ずつ解決していくしかあるまいな」
十歳にして胃痛に苦しみだしたラシードとは対照的に、手綱を握るダリーシャスは能天気そうに笑った。なにも、彼が現状を理解しておらず思考を放棄しているのではなく、きちんと理解した上で高らかに笑っているのだ。
「なーに。これまでの苦労を思えば、これぐらい何のその!」
波乱万丈といえた旅路がダリーシャスを一回りも二回りも大きくしていた。背にある男の大きさに、ラシードは頼もしさを思え、そして同時に疑問を口にしていた。
「何故、兄上に恩赦を与えようとしたのですか。てっきり、兄上も処刑するのかと思っていましたが」
事実、ラシードはクリシュを処刑場まで護送するのを任されていたはず。それがこのような状況になるとは予想すらしていなかった。
すると、ダリーシャスは困った様に頬を掻きながら答えた。
「なに、本音を言えば、一人でも優秀な人材が欲しくてな。俺が心を許せる腹心といえば其方とレイ達ぐらいしかおらんだろ。あそこまで慈悲深くされれば、ころりと傾くと思ったのだがな」
「嘘ですね」
「なんと!」
大仰に驚くダリーシャスにラシードは観察の結果を指摘する。
「陛下は嘘を吐くとき、頬を掻く癖があります」
「む。そうなのか。それは気が付かなかったな。これからは注意するとしよう」
「いえ、申し訳ありませんが、今の言葉は嘘です。陛下にそんな癖はありません」
さらりと告げられた内容に、ダリーシャスは言葉を失った。遥か年下の子供に手玉に取られたという事実は、不愉快さよりも小気味よさを感じていた。
まるで、かつての従者としたやりとりのようであった。
そして、振り返って見上げられた灰色の瞳に、在りし日の彼女を重ねた。
その瞳を前に、嘘は付けなかった。
「……それと、まあ、なんだ。……ナリンザの兄を死なすのが忍びなくてな」
「そうですか。……陛下」
「うん、なんだ?」
呼びかけに応じたダリーシャスの前で、ラシードは己の胸に手を当てた。やり方は既に知っていた。
「誓います。この身が滅びるまで、貴方様をお守りします」
真摯な、どこまでも透明でそれでいて真剣な誓いの言葉をダリーシャスは重々しく受け止めた。
「相分かった。其方の忠誠、このダリーシャス・デゼルトが受けよう」
それは主君と従者の誓いだった。
見届けたのは沈みゆく夕日と、混乱の嵐が吹き荒れた大地と、どこまでも美しい白馬だけであった。
読んで下さって、ありがとうございます。
次回の更新は水曜日頃を予定しております。次はアイナさん編の予定です。




