8-50 集結
戦場に到着したダリーシャスを待っていたのは、帝国兵とモンスターによって今にも蹂躙されようとする自国の兵の姿だった。
前線司令部から打って出た三万近い兵は、その倍はある帝国兵によって左右から磨り潰すように、じわじわと数を減らしていた。戦場の最奥では激闘が華を開かせているのか、近づけば余波だけでも死にかねない。おそらく、あの辺りで遊撃部隊と六将軍がぶつかっているのだろう。
「ええい! これでは指揮を執るどころではないではないか」
馬上から激昂を露わにしたダリーシャスに、近衛兵が表情を厳しくして尋ねる。
「如何致しますか。我らは前線司令部内に篭り、撤退の鐘を鳴らすべきでは」
現実的な判断ではあるが、それをダリーシャスは選ぶことは出来ない。
「撤退をするにしても、あの状況では指揮系統が乱れている。撤退の鐘を鳴らした所で、組織だった撤退は望めまい。むしろ戦意を失い、そのまま壊滅まで追い込まれてしまう。そうなれば、この第二陣に司令部に残っている一万を合わせた、四万の兵で、帝国と戦う事になる」
「では、まさか。このまま強引に戦場に割り込むのですか」
「ああ。突撃を仕掛けた自軍の兵を収容しつつ、指揮系統を再構築し、帝国と野戦をする。こうなった以上、強引に押し切るしかあるまい」
ダリーシャス自身、その案が現実的ではないと知っているのか、野性味ある顔立ちに汗を浮かべていた。だが、橙色の瞳は鋭く、近衛は指示を飛ばす為にその場を離れた。
「問題があるとすれば、どこまでこの新王の威に従ってくれるかという事だな」
誰にも聞かれないように、小声で心中を吐露する。ダリーシャスがこうも強引な戦い方を選んだのは理由がある。そもそも、王となったばかりのダリーシャスが前線に来ること自体、早計と言えた。
元々、政治的な基盤を持たないダリーシャスは、アフサルの対抗馬という形で神前投票に名乗りを上げ、アフサルの自滅とも呼ぶべき形で神前決闘に勝利した。その経緯があってからか、彼の事を王と認めない者が十四氏族の中にも居た。
そのため、今回の帝国との戦争において弱気な態度や、敗戦はあってはならないのだ。
強き王という姿を内外に示すためにも、ダリーシャス自らが前線に立ち、指揮を執る必要がある。ラシードの反対を押し切ってまで、戦場に赴いたのはこれが理由だった。
「陛下。司令部に残る兵の内、五千が合流。此方は三万五千となりました」
「宜しい。では、全軍! 前へ進め!!」
ダリーシャスの叫びに呼応するように兵士は高らかに己を鼓舞し、騎馬隊を皮切りに兵士たちは大地を駆ける。左右から挟撃されている同胞を救うために、兵を二手に分け、それぞれ帝国兵とぶつかる。横合いから攻め込まれたことで、帝国兵達は一瞬の後退を余儀なくされたが、それでも即座に反撃に転じ始める。
数の上では五分。兵の質では帝国に軍配が上がる。
ならば、気力で勝負だと言わんばかりにデゼルト国の兵士たちの士気は高かった。ちょっとやそっとの負傷で後ろに下がる者は居らず、勝利は前進した先にしかないとばかりに彼らは戦う。
それは後方で状況を確認しているダリーシャス達の元へ吉報という形で知らされていく。
「お喜びください、陛下。我らの兵は、善く戦っております」
「これも神々の祝福と言えましょうな」
「違いない。我らの故国を踏み荒らす者らに、天罰を!」
威勢よく叫ぶ近習の兵たちをダリーシャスは一睨みで黙らせる。
「浮かれるのもそこまでにしておけ。一時は優位に立てるだろうが、それも向うの横合いから殴れたからに過ぎん。ここからが本番だ。帝国の事だからそろそろ」
周りを窘めていると、周囲の地面に影が浮かぶ。空を見上げれば、竜騎士が空を斜めに切り裂くように落下しているではないか。
「やはり、来たか! 全員、防空攻撃!」
ダリーシャスの指揮に周囲を取り囲んでいた魔法使いたちが一斉に新式魔法を展開する。ダリーシャス自らを囮にして飛竜を引きずり出すという策が功を奏したのか、飛竜たちは魔法の弾幕を前に撤退を余儀なくされる。
「むう。ここで飛竜は潰しておきたかったのだが……致し方あるまい」
急襲を受けたというのに落ち着いた素振りをするダリーシャス。流石は混乱渦巻く王家の中で王位を奪い取っただけはあると兵たちが噂する中、王の瞳はそれを見つけた。
黒い影。
竜騎士襲来に合わせて王を守るための陣形が乱れた隙間に突如として現れた、黒い影。一瞬、またしても飛竜が迫ったのかとダリーシャスは空を睨むが、そこには何もなかった。
瞬間、ダリーシャスのみならず、全員が悍ましい死の気配に身震いした。心臓を鷲掴みにされる恐怖に馬が悲鳴を上げる中、闇よりも昏い影から青銅の輝きが鈍く現れた。
ずぶり、と音を立てて現れたのは、青銅の鎧に身を包んだ、巨大な存在だった。人の背丈の倍以上はあるそれに、兵士たちは戦慄する。
サイズだけなら王宮で起動した巨人兵を下回るが、放たれる威圧感は比にならない。手にした金砕棒もまた、鎧男の背丈に合わせて巨大な造りとなっていた。
「ブサホウハ、オワビシヨウ。デゼルトコク、ダリーシャスオウ」
金属製の板を反響して響く声はひび割れて、言葉は聞き取りにくい。だが、構わずに闖入者は名乗りを上げる。
「ワガナハ、ディオニュシウス。ハエアル『魔王』サマキカ、ロクショウグンノマッセキヲツトメルモノナリ。キデンニウラミハナイガ、コレモイクサバノナライ。シンデモラオウ」
無慈悲なまでの重々しい響きを持って、ダリーシャスに突きつけられたのは紛れもない死刑宣告だ。
クリストフォロスが描いていた作戦図は、最初からダリーシャスに狙いを絞っていた。
そもそも、帝国とデゼルト国では勝利条件が違う。帝国は、デゼルト国の意気を挫き、占領さえできればそれでいいのだ。一方で、六将軍らの目的は南方大陸に戦乱と混乱の嵐が吹き荒れる事であり、『守護者』サファや、《神聖騎士団》など初めから敵でも何でもないのだ。むしろ余計な副次物として取り扱っていた。
ゲオルギウスの副官としてアフサルと行動を共にしていたディオクレティア将軍から、デゼルト国の内情を知ったクリストフォロスは、そこから作戦を打ち出した。ダリーシャスが政治的基盤を持たず、後ろ盾が少ないため、あえてこの窮地において強い王であることをアピールするために出陣するだろうと見越し、前線司令部の指揮官がアフサルの誘いに乗って手勢を率いて合流したため、新王の治世において有利な立場になる為に功に焦っていると睨んだ。
事実、彼の読み通り、ダリーシャスは危険を承知で戦場に現れ、故意に退かせた兵を追いかけてデゼルト軍は引きずり出された。
乱戦となった事で王の守りは薄くなり、唯一の障害であるサファはジグムントとぶつける事で動けなくした。こうなるようにクリストフォロスは綿密な計画を打ち立てたのだ。ダリーシャスがこの時間帯に来るようにと、偽の伝令すら用意してまで。
全ては魔人の思うがままだった。
「クリストフォロスノサクハ、アイモカワラズ、サキノサキマデヨミキッテイル。オチコムコトハアルマイ」
「王をお守りしろ。近衛は前に!」
近習の兵が剣を持ち、槍を携えてディオニュシウスとの間に割り込む。その隙にダリーシャスを下がらせようと兵士たちは手綱を取るも、魔人は逃がそうとはしない。
金砕棒が唸りを上げると、突風が吹き荒れる。その風には肉と金属、そして生暖かい血が混じっていた。
ダリーシャスの視界の中に、自分を守ると立ちはだかる兵士が、下半身だけを残して大地に倒れていくのが映った。どれだけの膂力を持ってすれば、防具に身を固めた兵士の状態を、紙で千切れるように吹き飛ばせるのか、想像すら出来なかった。
「これが、魔人の力という訳か」
ゲオルギウスとローランとの戦いを目の当たりにしていなかったため、ディオニュシウスの一撃に戦慄が走る。兵の血と肉片がこびり付いた金砕棒がダリーシャスの方を向く。
「ソコヲウゴカナケレバ、デキルカギリイタミヲカンジサセズニ、シナセテサシアゲルガ、ドウスル」
「……愚かな質問だな。答えは決まっておろう―――否だ! 貴様に殺されるような俺では無い!!」
ダリーシャスの檄に兵士たちが己を奮い立たせる雄叫びを上げた。王の逃げる時間を稼ぐべく、兵士たちは敵わない相手と知りつつも、肉の盾となって散る事を選んだ。
ディオニュシウスは、その士気の高さを素直に称賛しつつも、ダリーシャスの選択は愚考だと嘲笑う。
「ナラバ、ムゴタラシキ、シヲ」
言葉と共に金砕棒が振るわれる。
そこから先は、一方的な虐殺に過ぎない。防具で身を固めているはずの兵士が、濡れた紙を引き千切るような柔らかさで吹き飛んでいき、剣や槍は青銅の鎧を貫くことが出来ない。武器の剣先が削れるも、輝きに曇る所は無い。
魔法使いが雨あられと放つ魔法すら、そよ風だと言わんばかりに巨人は受け止めていく。爆炎が昇るも、青銅色がすぐさま突き破り蹂躙を再開する。
何時しか、人々の血で青銅は赤く染まり、金砕棒の突起は肉片と血で異形な姿へと変貌していた。
「これは……いささか以上に厳しいな」
「王よ! 諦めないでください!」
馬を走らせるダリーシャスだが、背後から迫る鎧武者が恐るべき速度で近づいて行くのを、首筋に突き刺さる殺気で感じていた。事実、肉の壁を突破したディオニュシウスは、供だけを連れて戦場を離れようとするダリーシャスを追いかけていた。
巨体と鎧姿からは想像もできない俊敏さは、馬に曳かれる戦車を思わせた。
「ダリーシャス王! ともかく今は、前線司令部に戻られよ。あそこならば、まだ王をお守りする兵が居ります!」
そう言って、共に付いてきた最後の兵たちが来た道を引き返した。そしてそのままディオニュシウスを足止めしようとして、一人ずつ粉砕されていった。
ディオニュシウスは持っていた金砕棒を振りかざし、投げた。それは地面を舐めるように円軌道を描き、ダリーシャスの乗る馬の足をもぎ取った。
一瞬の浮遊感の後に、ダリーシャスの体は地面へと叩きつけられた。
意識が明滅する。視界が不明瞭なのは、片方腫れているからなのか。立ち上がれと頭は叫び、神経が命令を伝達するも、最後の筋肉が落下の衝撃で痺れて動けなかった。
地面を通じて巨人が近づいてくるのが分かる。大地を踏みしめる震動が、ダリーシャスの体に死へのカウントダウンのように刻み込んでいく。
「ミヨ、デゼルトコクノヘイシタチヨ!」
突如としてディオニュシウスは足を止めると、声高に叫ぶ。鎧に阻まれてひび割れた声だと言うのに、その大音声は雷鳴のように戦場全域に届いた。
金砕棒が地面を砕くと、ダリーシャスの体は僅かに宙を浮いた。その際に体の向きが仰向けになると、自分の体を取り囲む魔法の球体がある事に気が付いた。
たしか、古い魔法の一つに、遠くの光景を近くに映し出すという『窓』なる魔法があったはずだ。もしかすると、それが使われているのではないかとダリーシャスは考えた。
だとすれば、ディオニュシウスが馬の足を狙って攻撃した理由にも説明が付く。この光景が戦場全域に、あるいはデゼルト国全土に流れているとしたら、狙いは自分の処刑だろう。
それを裏付けるようにディオニュシウスは演説を続けた。
「イマコノバニタオレフスノハ、ショクンラノアガメルオウ、ダリーシャス・デゼルトオウデアル。カノモノハユウカンニモセンジョウニタチ、ソシテフコウニモコレカラ……シヌ」
最後の一言に、戦場全体が騒めくのがダリーシャスにも伝わった。王の死が与える影響の高さは、この先の戦争行為を続けられない可能性もある。
「コレヨリサキ、ワレラノグンモンニクダルツモリガアルノナラバ、ケンヲステ、トウコウセヨ。サイゴノイッペイニナルマデ、タタカウトイウノナラ、ワレラハウケヨウ!」
降伏勧告を告げるディオニュシウスだが、ここに来てダリーシャスの《王者ノ勘》が囁いた。この男は明確に嘘を、否、真実を告げていない。
「皆の者! 騙されるでない!」
叫ぶと同時にダリーシャスは満足に動かない体に喝を入れ、立ち上がった。自分の言葉が『窓』を通じて伝わっているのかどうかは分からないが、それでも伝えるべき事がある。
「ディオニュシウス。貴様は皆に降伏を促したが、答えよ! 降伏した者の生命は保証するのか」
返答は無い。ディオニュシウスの相貌は兜で覆われているが、薄く、斜めに入ったスリット越しに浮かぶ金色の双眸は冷たく、蔑むような視線を向けていた。
帝国にとって、これは外征。国土の拡張が目的の侵略戦争だ。敵軍を破り、王族を殺して、それで終わりというわけには行かない。むしろ、其処から統治をしていき、税などを円滑に徴取する必要がある。単純な労働力としても七万近い人的資源が失えば、実利としても、感情の面でも大きな痛手となる。
だが、それは帝国の都合だ。
六将軍、ひいては『魔王』にとって人間の国家がどうなろうが知った事ではないはずだ。唯々諾々と降伏した兵士たちが無事でいられる保証はない。それを否定しないディオニュシウスの態度で、確定的と言えた。
「聞け、我が兵よ。この者らは、故国の地を侵す蛮族である以上に、人の世に仇を為す害悪でしかない。これらを野放しにすれば、人の世界は滅びてしまう。其方らの父母が、愛すべき者が、これからを担う子供が、皆殺されてしまう。それを許すわけには、断じていかん!」
血潮が沸騰し、ダリーシャスは腰から提げているチャクラムを構えた。刃が日光を浴びて鈍く輝くも、それらがディオニュシウスを貫く姿など想像すらできない。
しかし、それで十分なのだ。
この『窓』を通じて見ているであろう兵士たちや、そして民に、最後の瞬間まで戦う事の必要さを、身をもって示すためなのだから。
自分はなんと愚劣な王なのだとダリーシャスは自戒する。
民に生き残る事よりも戦う事を強制するとは。だが、このまま何もせずに死ねば、待っているのは阿鼻叫喚の地獄絵図だ。無辜の民が、何もすることが出来ず、戦う事も出来ずに死ぬ未来だけは絶対に許せない。
ダリーシャスの手首が返ると、チャクラムが弧を描きディオニュシウスへと向かう。
前後左右。中心で交差するようにとナリンザから襲わった技法は、しかし、魔人に爪の先の傷も付ける事は出来なかった。チャクラムが地面に虚しく転がると、ディオニュシウスの足がそれを踏み潰した。
一歩、また一歩と距離を詰めていく敵を前にして、ダリーシャスは視線を逸らそうとしなかった。それが最後の意地だと言わんばかりの態度で、ディオニュシウスを睨む。
―――だからなのだろうか。
ダリーシャスの瞳は、横合いから飛び込んできたボルトの先端までをくっきりと視認することが出来た。先端が膨らむ、特殊な形状のそれは、ディオニュシウスの眼前で爆発したのだ。
「ヌゥウ! ナニヤツ!」
魔人にはケラブノス石の爆発など微々たるものなのか、動揺すらしなかった。ボルトが飛んできた方角へと振り返ると、一つの影が躍りかかる。それは紅蓮色の炎の軌跡を描きつつ、宙を舞うように飛んでいた。
咄嗟に金砕棒を構えると、金属音がぶつかり合う。紅蓮の刃が青銅を赤く塗ると、その奥に居る人影が小さい事にディオニュシウスは気が付く。
金砕棒が刃ごと敵を吹き飛ばそうと押し上げる寸前、敵は逆に力を抜いて鍔迫り合いから降りた。地面に着地すると、再び刀身から炎を走らせて、それを動力として地面を滑るように移動したのだ。金砕棒が影の痕跡を追いかけて地面を叩くも、その時には人影はダリーシャスを庇うように立っているのだ。
黒髪に白髪が混じり、左目の下には刀傷が残る。手にした刃は紅蓮の煌めきと波紋は魂を震わせる美しさをしている。急いでいたのか、首に浮かぶ汗を拭う少年は周りの状況を確認しながら息を整えた。
「どうやら……ギリギリで間に合ったようだな」
その光景は、戦場の至る所で開かれた『窓』に映し出された。あるデゼルト国の兵士は自国の王を助けた少年に声援を送り、ある帝国軍兵士はガヴァ―ナの港町で遭遇した小僧だと指摘し、ジャイルズと戦うローランは目の端を過った白色に仕方ないとばかりに苦笑し、クリストフォロスと対峙するマクスウェルは静かに眉間の間に皺を作り、ジグムントと激しい攻防を繰り広げるサファは口の端を吊り上げた。
「……キサマ、ナニモノダ」
ディオニュシウスが警戒を露わにして尋ねると、少年は龍刀を構える。六将軍から放たれる命すら削りかねない威圧感を跳ね飛ばす姿に揺るぎは無かった。
いつの間にか、ダリーシャスと少年の傍に動物が二頭、到着していた。ニチョウから飛び降りた活発そうな幼女はクロスボウに新たなボルトを装填し、神秘めいた紫がかった黒髪をなびかせる少女は杖を構えた。白馬から降りた少女は手持ちの鞄の中から使えそうなポーションを取り出し、ダリーシャスに飲ませようとしていた。
頼もしい仲間達の存在を背に感じながら、少年は答えた。
「《ミクリヤ》所属。『緋星』のレイだ。悪いけど、お前らにダリーシャスを殺させるつもりは無い、六将軍!」
その声に、恐れや震えは無い。力強い宣言だった。
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