8-48 帝国の剣
帝国軍、動く。
その報せがダリーシャスの軍勢に届けられたのは戦争が始まってから実に四日が経過していた早朝の事だった。日が昇るよりも前に、今にも落馬しそうな程の傷を負った伝令が宿営地に辿り着くと、夢うつつだったダリーシャスの意識は急速に覚醒されていく。
侍従が用意した盥に張った水を掬い、眠気を覚ますと、顔を拭く間もなく近衛に尋ねる。
「状況は!」
「はっ。これより四日前。我ら第二陣が首都を出発した頃より、帝国軍がスカンダ砦から出陣し、此方の前線司令部を襲撃。開戦と相成りました」
息も絶え絶えの伝令から聞きだせるだけの情報を纏めた近衛は、手元の羊皮紙から重要な情報だけを抜粋して、ダリーシャスに伝える。
「帝国軍の動きとしては、六万に及ぶ兵を二つに分け、休憩を取りつつ三万の兵で司令部を強襲しているとの事。マクスウェル殿による司令部の防御陣地強化があるため、帝国の侵入、突破は防げていますが、帝国は兵を交代で休ませているようで、此方の兵は常に攻撃に晒されております」
三万の軍勢を相手どる前線司令部の兵士の数は四万五千。数の上で上回り、マクスウェルによる司令部の砦化もしているため、有利なのはデゼルト国側の筈だ。しかし近衛兵は苦渋に満ちた表情を崩さなかった。
「伝令が敵の攻撃の隙を突いて司令部を脱出したのが昨日の宵闇頃。その時点での戦況ですが、此方が……劣勢との事です」
「なんだと? それはどういう事なのだ」
「やはり、兵の練度の差が著しく、また常に攻撃に晒されている事もあり兵の体力が減り、士気も下がっているようです。此方も交代で休みを取ろうとしておりますが、朝も夜も無く攻めたてられ、兵士は寝る事すらもままなりません」
告げられた内容に、ダリーシャスは改めて帝国との戦力差に呻く。兵の質だけでなく、高質な鉄と、それを扱う製鉄技術を持ち会わせる帝国。装備一つをとっても、向うの方が上だろう。デゼルト国が帝国に秀でている部分を上げるとすれば、騎馬だろう。
荒野でも逞しく成長する駿馬に加え、馬上で眠る事も出来る馬術の高さは帝国を上回る。だが、籠城戦では馬の機動力を披露する機会は限定される。
恐らく、帝国が此方の到着を待たずに戦争を仕掛けてきたのは、此方に籠城戦を強いらせるためだろう。やはり、戦争という分野において帝国は一枚以上上手だ。
侍従の手を借りて身だしなみや装備を整えているダリーシャスの表情が曇ると、侍従たちは自分たちが不始末をしたと思いこんだ。可哀そうなほどに震えるので、ダリーシャスは其方らでは無いと窘めた。
「少なくとも致命的な敗北は避けられてはいるはずですが、依然として戦闘地域は魔水晶による通信が妨害されておりますので、現在の正確な状況は掴めておりません」
「遊撃部隊はどうしているのだ」
遊撃部隊とはサファと《神聖騎士団》の面々を合わせた者達の事である。デゼルト国の命令系統に組み込まれず、六将軍や魔人種の軍勢が現れた時に対応してもらうための切り札だ。
というよりも、《神聖騎士団》に関しては、それ以外での運用が法王庁のあの神官から認められなかったのだ。
法王庁としては、所属している神官たちが戦争に関わり帝国兵を倒すという状況を出来るだけ避けたいのだ。帝国を刺激しないように、穏便な解決を目指している。その為なら、デゼルト国が帝国に服従することすら望んでいるのが、爬虫類じみた細い目の奥で見え隠れしていた。
それを強引に捻じ曲げ、帝国内で活動している特殊戦力だけを相手するなら、という条件で借り受けたのだ。
「遊撃部隊の方々は動けずに居ります。唯一、マクスウェル殿だけが飛竜の攻撃を防ぐためにと防衛に参加しております」
「ふむ。帝国め。切り札は使わずに取って置く腹積もりか」
この戦争において、ダリーシャスたちデゼルト国側が勝利するには、帝国の外征に対する熱意を挫く必要がある。兵士を大量に損耗させるか、あるいは協力関係にある六将軍たち魔人種を倒すしかない。
兵の差で負けている現状、勝機は遊撃部隊に掛かっているのだが、相手の出方次第というのがもどかしい。
「ともかく、我ら第二陣、三万の兵が必要と言う事か。兵の準備が済み次第、全速を持って進軍。帝国の奴らを故国から追い出すぞ!」
拳を高々と上げ、周りを鼓舞するダリーシャス。その熱は彼を中心に宿営地全体へと広まり、朝もやの中で響き渡る。
それは数百メーチル離れた場所で野営をしていたレイ達にも伝わった。
平地に広がる宿営地を見下ろせる丘に寝そべるレイが、望遠鏡越しにダリーシャスの上げた気勢が広がっていく様を見つめる。
「どうやら、何かあったようだね。兵士が大急ぎで出発しようとしている。シアラ、レティとエトネを起こし、僕らも出発する準備を」
馬車を離れ、軍勢を見張っていたレイにシアラは了解と返事をして来た道を戻る。シアラの読み通り、三日目の真夜中、つまり数時間前に軍に追いついた。もっともこれ以上近づく訳には行かないため、離れた場所で監視をしつつ、交代で休みを取っていた。
その為、戦場がどうなっているのかレイには分からない。
だけど、大きな流れが蠢いているのだけは否応も無く感じ取れた。
スカンダ砦まであと僅か。レイは己が不安を飲み込み、地平線から昇る太陽が照らす空を睨むのだった。
「帝国の兵士共には頭が下がる。一糸乱れぬ連携に、各々が命令を遂行するのではなく、任務を達成するために思考を巡らせる。あのような勤勉な兵士、敵に回すと厄介この上ないのう」
防御陣地で一人愚痴るのはマクスウェルだ。長杖を抱えるように持ち、眼下で繰り広げる戦いを睨む。帝国の兵士が異様な熱気を放ちながら吶喊する。それを応戦するようにデゼルト国の兵士が弓を放つも、兵士はそれを叩き切る。
帝国は広い国土に散らばる迷宮を国で管理している。ギルドの介入を許さず、そこから得られる魔石やモンスターの素材、鉱石、そして経験値を独占している。そのため、帝国の兵士たちは皆が冒険者と呼べる存在であり、他国における一般的な兵士以上の実力を持つ。
傷を負えば一般の兵士が回復魔法を用いて癒し、防御陣地を破壊するために攻撃魔法がそこかしこで放たれ、戦技や技能が使われる。
帝国は六万の兵を二つに分けているため、砦となった司令部に篭る四万五千の兵を下回る三万の歩兵が主攻だ。砦を攻略すための攻城兵器などはまだ用意していなのか、それらしい姿が無いのは救いだが、戦況は芳しくない。
数の上では、砦に篭るデゼルト国の方が多いのだが、兵の質の差は歴然である。
加えて、帝国兵は一定の時間戦い続けると、兵を休養させる為に部隊を入れ替える。喇叭が兵士の耳朶に突き刺さると、帝国軍三万は戦いの手を止め、潮が引くように後退していく。その代りにと、砦で休養を取っていたもう一つの三万の軍勢が間髪入れずに強襲する。
少しでも時間が狂うか、手順がずれれば失敗するような交代劇を難なくこなせる所が、帝国が帝国たらん所以なのかもしれない。
こうして、此方は戦争が始まってから休みなく戦い続ける事となった。どうにか兵のやりくりをして、交代で休めるようにと手はずを整えても、空から襲撃する存在に眠りは邪魔される。
飛竜だ。
レイ達が奪った六頭の飛竜とは別の二頭が、南方大陸派兵部隊に与えられていた残りの飛竜だ。数を大きく減らしたとはいえ、飛竜の脅威は健在である。
太陽を遮る雲の如き存在が頭上に居るだけで兵士の士気は下がり、落とされる魔法の爆発に砦の形が変わってしまう。厄介な事に飛竜を奪われたという経験が彼らを慎重にさせる。マクスウェルの魔法でも届かない高所に陣取り、一方的に魔法を落としているのだ。
司令部に向けての攻撃は、マクスウェルを始めとした魔法使い組でどうにか防いでいるのだが、
それ以外の場所はどうにもできない。そのため、スカンダ砦に向けて攻勢に出ようという強気な意見は、飛竜の存在がネックとなり実行に移せないでいた。
悠々と自国の大地を踏み荒らす帝国兵が、自国の盾と呼ぶべき防衛の要に戻る姿をデゼルト国の兵士たちは歯ぎしりしながら見つめるしかなかった。
そんな状況下において遊撃部隊は動けないでいた。
《神聖騎士団》を縛る法王庁からの指示という事に加えて、もう一つ厄介な問題があるのだ。
その問題のせいで、縛りと関係ないサファも動けないでいた。
「『七帝』は最強であっても無敵じゃない」
静かに語るのは自らが『七帝』の一角であるサファだ。出番を待つローランたち《神聖騎士団》の面々は、外から響く戦火の音を前にして、何もできない自分たちに苛立ちを覚えていた。
「俺達は全員が全員、突き抜けた強さを持つ一方でどうにもならない弱点を抱えている。そいつは何だと思う」
問いかけに、《神聖騎士団》の面々は様々な答えを口にした。
だが、サファはそれらを違うと切り捨てた。
「答えは簡単だ。戦い以外に役に立たんという事さ」
自嘲気味の言葉に一同は首を傾げた。
「『機械乙女』は『七帝』の中でも飛びぬけた破壊力を持っているが、反面魔法工学の兵器が使用されなければ、起動することも無い。『魔王』は多種多様な力を持っているが、弱体化しているうえに魔界の管理と維持のために死ぬわけには行かない。かくいう俺も、エルフ絡みの戦いでも無ければ、戦場に立つことは無い。つまり、どれだけ強い駒であっても、戦場に立たなければ、殺し合いの場に居なければ無意味だ」
出せば最強の、それこそ勝利すら容易に掴めるカード。だが、そのカードを出す場がなければ、最強のカードの存在価値は零となる。
「……それを可能とするのがクリストフォロスという事ですか」
「そうだ。あいつがフィーニスから与えられた力は二つ。自らの魂を他者に寄生させる事と、影を使った転移。今回は後者が厄介だ。流石に海を越えて別大陸に飛ばされるような事はクリストフォロスにも出来ないだろうが、それでも海の、深海の底に飛ばすことぐらいは可能だ」
サファがこの戦場において最大限警戒していたのは、クリストフォロスの持つ影の転移。
一度のみ込まれれば最後、独力での脱出は厳しい。戦場から離されるだけでも最悪だと言うのに、飛ばされた先が見知らぬ土地や、あるいは人の生存圏外という可能性もある。
クリストフォロスの存在を警戒して、遊撃部隊はこうして待機を続けていた。
「ちなみに、サファ殿もクリストフォロスの転移によってどこかに飛ばされたことがあるのですか」
「あるぞ。陸地で戦っているはずが影に飲み込まれた途端、運ばれた先は船の中。内側から甲板に向けて叩き切ると、大量の海水が流れ込んできた。どうやら、俺を飛ばした先は沈む船の中だったようで、一気に変わった環境に手間取っている間に、海中に引きずり込まれてしまった」
軽く話すが、その状況を想像して《神聖騎士団》の面々は口元を引き攣らせた。
「どうにか海面に浮上して元の場所まで泳いで戻った時には、全部手遅れ。警護していた港は潰され、クリストフォロスにも逃げられる。……とにかく、俺達が動くべきなのは魔人が動くその時までだ。だから、もうしばらく辛抱していろ」
サファの言葉にローランを始めとした《神聖騎士団》の面々は頷いた。
どうにか落ち着いた高位冒険者らの若さを仕方ないと思いつつも、サファは一方で別の事が気になっていた。萌黄色の瞳を細め、遠くにあるスカンダ砦を睨む。そこから昇る巨大な光は三つ。魔人の精神力をサファの瞳は映し出していた。
三百年と同じ、極彩色の輝きを放つ光は、間違いなく六将軍の物だ。しかし、彼らに匹敵するとはいかなくとも、普通の人間種を大きく上回る光は確認できなかった。ハーフであるシアラですら、遠くからでも輝きが見て取れるほど、魔人種の精神力は多い。
つまり、あの砦に六将軍の三人以外、魔人種は存在しないという事になるのだ。
(魔界に逃げ込んだ魔人種を連れてきていないのか。クリストフォロスの事だから、どこか近場の迷宮を改造して人為的なスタンピードを発生させているに違いないが、それにしても部下を一人も連れていないのは奇妙だな)
人魔戦役の終盤。世界の中に世界を作るという荒業を行ったフィーニスたちは、魔人種しか生息できない新天地に民を導いた。あれから三百年。おおよそ、十年で人間族の一年という成長速度の彼らからすれば、三百年は三十年。代替わりした魔人種の軍勢を率いてもおかしくは無いはずだ。
(魔界で何かあったのか、あるいは伏兵として忍ばせているのか。全くもって、読めん男だ)
魔人種部隊の不在に加えて、もう一つ、クリストフォロスの狙いが読めないでいた。
それはこの状況をどう終息に持っていくかという事だ。
波状攻撃によってデゼルト国側の損耗著しいとはいえ、やはり帝国兵たちも蓄積した疲労、消費した物資などが彼らを蝕んでいる。少なくない数の死体が、司令部前の平野に転がり、同胞の兵士たちに踏みつぶされていた。
当初の読みでは、六将軍率いる魔人種部隊による示威的行為による攻撃で、此方の戦意や防御を砕くつもりだと思っていた。それに対する反撃として遊撃部隊は動く手はずを整えていたが、何時までたっても向うが動こうとはしない。
このまま行けば、六万の敵兵と四万五千の味方兵による消耗戦が続くだけだ。
確かに、それでも帝国は勝てるだろうが、ここは彼らにとっての敵地。損耗した兵の補充はままならない。
分厚いベールに身を隠すようにしている六将軍と帝国の思惑。
身動きの取れない遊撃部隊に、兵の質の差で劣勢となる戦争。
それが大きく動き出したのは、空に浮かぶ太陽が真上を通り過ぎた頃だ。
陣地の兵士たちが沸く声に、サファ達は何事かと様子を窺った。
興奮して何事かを叫ぶデゼルト国の兵士たちの視線は前方では無く、後方の平野に向けていた。サファが視線を遠くにやると、そこに煙を上げて疾走する馬列を発見した。
ダリーシャスが率いる第二陣。その先鋒たる騎馬隊五千が戦場に姿を現したのだ。遂に待ち望んだ援軍がやって来た事に、兵士たちが歓喜の声を上げ、士気を昂らせていた。
此処から、戦場の流れは一気に変わる事になる。
―――良くも、悪くも。
その事に初めに気が付いたのは、マクスウェルだった。竜騎兵による爆撃を防ぐため、仲間から離れて一人で長杖をかざしていた少年は、眼光を鋭くした。
「むう? これはどういう事なのだ」
太陽を視界に捉えないように手をかざしながら、青の背景で動く黒点、飛竜の姿を目で追うと、彼らがスカンダ砦の方向に退いて行くのが見えた。今までも、補給か休憩の為に二頭の内、一頭が砦に戻る事はあったが、二頭揃っての撤退は初めてだった。
その光景は、増援に喜ぶ兵士たちにも見え、彼らが口々に飛竜の撤退を吉報のよう叫ぶ。自然と、ローランたちの耳にも飛び込んだ。
同時に別の音も飛び込んだ。この四日間で何度も鳴り響いた、喇叭の音だった。
途端に、帝国兵は司令部への攻撃を一時中断し、陣形を保ちつつ後退していくではないか。これまでにも何度も見た光景だが、これまでと一つ違う点があった。それは、今しがたまで司令部を強襲していた帝国兵の部隊は、ほんの一時間前に交代したばかりの部隊なのだ。これまでの法則からすれば、あと数時間は彼らが退くことはあり得ない。
立て続けに起きる、それまでと違った帝国の行動にローランは違和感を抱く。まるで勝ったかのようなお祭り騒ぎをする兵士たちを掻き分けて近づくマクスウェルと顔を合わせると、彼もまた表情に不審の色を濃くしていた。
「……マクスウェル。これを君はどう見る」
「臭いな。明らかに芝居がかっている」
短く言葉を交わす二人。彼らだけでなく、サファや《神聖騎士団》の面々も、陣地の中で帝国側が何かしらの策を弄し始めていることに気が付いていた。だが、デゼルト国の兵士たちは、指揮する者達を含めて、そのことには気が付かないでいた。
一つは、彼らの気力が限界を迎えつつあった事にある。昼夜を問わずに繰り返される戦闘に、体力は勿論の事、精神も削がれていき、正常な判断を下すはずの思考を鈍くさせていた。
そしてもう一つが、増援部隊の来訪だ。まさに危機的な窮地に合わせての騎馬隊に、兵士たちは高揚し、体を奮い立たせる。実際は、一時的な戦意高揚に過ぎず、体は疲弊し、休息が必要だ。
本来なら、第二陣が到着し、司令部に収容されるまで束の間の休息を取るべきなのだ。
だが、正常な判断を下せず、一時的に士気が上がったデゼルト国の将軍は、帝国の行動を増援が来た事による撤退だと誤認してしまった。
陣地のあちこちからは突撃だと言わんばかりの雄叫びが上がり始めた。その雄叫びが落城寸前の城からあがる火の手のように、一気に回る。気が付けば、兵士たちが追撃の準備を始めているではないか。
「おいおい。こいつは不味いんじゃないか」
幾つもの死線を潜り抜けてきた『聖騎士』の勘が、彼らの選ぼうとする道に先は無いという事を告げている。同様の結論に達しているのか、マクスウェルも厳しい表情で頷いていた。
だけど、苦渋に満ちた声が現実を指摘する。
「儂らにはどうする事も出来ん。デゼルト国の指揮系統に組み込まれていない以上、こやつらに命令する権利は無い。やるとすれば、ここの指揮を任されている将軍に直談判するぐらいじゃが」
口にしたマクスウェルだが、それが徒労に終わるのは早かった。なぜなら、将軍もまた、雄々しき兜を被り、馬に跨っているのだ。そして、高々と抜かれた剣が太陽に照らされ、鈍く光る。
「敵を見よ。奴らは精強なる味方の来訪に臆病風を吹かして、砦に逃げ込もうとする。これぞ、好機だ! いざ進め、勇猛なる戦士たちよ。我らの国を侵さんとする蛮族らを討ち滅ぼせ!!」
「「「おおお!!」」」
咆哮が反響し合う。
ここの指揮を任された男は、元を正せばアフサルの誘いに乗って手勢を率いていた者だ。それがアフサルの失脚という不運に見舞われ、自らの足元が揺れ動く中での大役。本来なら第二陣が到着するまでの時間稼ぎが主な役割だったが、それを大きく逸脱したのは戦後における自らの立場を強固な物にしたいが為の強行。マクスウェルが忠言する間もなく、陣地の兵の内、三万が勢いよく放出されてしまう。
「さて、この状況どうするべきだ」
一気に変化した状況を離れて観察していたサファがマクスウェルに問いかける。集合した遊撃部隊の面々はマクスウェルの考えに耳を傾ける。
「間違いなく、この状況は帝国が仕掛けた物でじゃろう。その真意はともかくとして、こうなるのが、都合が良いのは間違いあるまい。だとしたら、このまま彼らを行かせる訳にも行くまい」
「だが、俺達にあれを止める権限は無い。その上、貴様等は帝国と事を構えるわけには行かない」
「分かっております。分かっておりますが、見過ごす訳にも行くまい。儂らも打って出るぞ」
「ここを放棄するのか。飛竜が戻ってきたら、司令部が爆撃の雨に晒されるぞ」
ローランの問い、マクスウェルは苦渋に満ちた顔で頷いた。
「三万の兵を失うよりもずっとマシだ。サファ殿もそれでよいか」
「構わん。むしろ、その方が面白い。知恵者気取りの奴の策を食い破った時の快感は心地よいぞ」
凄惨な笑みを浮かべるサファに、マクスウェルは苦笑いを浮かべるしかなかった。
遊撃部隊の面々は陣地に残る者達から馬を借り受け、出陣する兵たちを追いかける。
一本の槍のような陣形で進む彼らと並走し、そのまま先頭へと馬を走らせる。
せめて先頭に立つことで、予想される罠を受け止めようとするのだ。
僅か数分の間に、戦場の光景が一瞬で切り替わった。
三万の帝国兵がスカンダ砦に向けて撤退し、それを後ろから喰らいつこうとするデゼルト国三万の兵。その先頭に追い付いたサファ達は、そこで帝国兵の奇妙な動きに気が付いた。
兵が、何かを避けるように二つの群れに別れるのだ。川の流れを分けるような岩山でもあるのかと訝しむサファだが、二つに割れた帝国兵が通り過ぎた瞬間―――その存在を目の当たりにして激昂する。
「そう言う事か!! いよいよもって、本気でこの地を焦土に変えるつもりなのか、帝国の者ども!!」
その激昂に応じるように平野に一人残された存在は、撤退する帝国兵を守る様に立ちあがった。
遠目からでもはっきりと分かるフルプレートを纏った騎士のような存在は、朽ち果てた銅像のようにも見えなくはない。擦り切れて痛んだマントを背に垂らし、全身鎧は白錆が浮き出て装飾を隠し、見ようによっては銀の色とも取れる。
異様な騎士がゆっくりと腰に差してある剣を抜くと、その動作だけでデゼルト国の兵士たちは自らの首が落ちたような錯覚に足を止めた。首を触り落ちていないか確かめ、中には本当に落ちたと思い込んで大地に突っ伏した者も居る。
その威圧感は《神聖騎士団》ですら一歩退くほどだ。そんな中、馬を走らせるのはサファとローランだ。彼らだけは白錆の騎士に向けて、駆けだしていた。焦燥の色を濃くさせたサファが先頭に立つ。
みすぼらしい姿の騎士だが、一点だけ目を引くものがあるとすれば、それは抜き放たれた剣だろうか。両手で握りしめるロングソードほどの刀身は複雑な文様が刻まれ、それらはまるで黄金の絹糸で編み込まれたように、刀身を輝かせていた。剣は呼吸するかのように光を繰り返し、輝きを強めていく。ローランはその光景を目の当たりにして、死の気配を濃厚に感じていた。
そして、輝きが最高潮に達した瞬間―――世界は黄金の海に沈む。
振り下ろされた剣から放たれるのは、人を一瞬で蒸発させる光の帯。美しくも絶対の死を与えるそれに対して、サファは馬の体を蹴り、前へと飛び込んだ。帯に向けて、藍色の刀を振るった。ぶつかり合う黄金の光と藍色の軌跡は世界を砕かんとする衝撃へと変化した。
真後ろに居たローランは馬もろとも地面を転がった。彼だけでは無い。その衝撃波は帝国兵も、デゼルト国の兵士も関係なくなぎ倒し、急増の司令部にヒビを走らせた。
衝撃波が駆け抜けると、ローランは自分の上にある馬から這いずり出る。どうやら衝撃波を浴びて絶命したようで、舌をむき出しに泡を吹いていた。
だが、もしかするとそれが正解なのかもしれない。此処で死ぬ方が彼らにとっては優しい答えなのかもしれない。
何故なら、僅か十数メーチル先で、異次元の戦いを繰り広げている化け物同士が存在するのだ。切り結ぶたびに発生する衝撃波が地面を砕いてく。
サファは居合いを放つことも出来ないまま、マサムネで聖剣を受け止める。伝わって来る膂力は三百年前といささかも衰えていない。
当たり前だ。この男は三百年よりも前から、すでに止まっているのだ。成長することはあり得ず、劣化することは許されず、道具として使役される存在。
白錆が浮き出て、腐臭が僅かに鼻孔を突く。命のやり取りをしているというのに、一切の熱を持たないそれに、サファは叫んだ。
「クリストフォロスの、帝国の本当の切り札はお前だったという訳か。三百年ぶりだな、ジグムント!」
帝国最強の存在にして、本来なら帝都防衛の為に動かせないはずの怪物。それが三百年ぶりに他大陸へと投入されたのだ。
こうして『勇者』ジグムントと『守護者』サファ。二人の『七帝』による激突を皮切りに、帝国との戦争は最終段階へと入ろうしていた。
読んで下さって、ありがとうございます。




