8-45 王宮脱出 『後編』
エトネが扉を薄く開けると、窓が開いていたのか風が這入り込み、窓から差し込む月光に埃が粒のように浮かぶ。室内に人の気配は無く。後ろで様子を窺うレティに、手で問題ないと示すと、二人は揃って薄暗い部屋へと入った。
厩舎の脇にある建物は幸いにも無人だった。二階建ての建物の内、一階部分は休憩部屋なのか、待機部屋なのか、探索するほどのスペースは無かったため、二人は素通りして階段を昇り、この部屋へと辿り着いた。
此処の警備が先程昏倒させた二人だけというのは気が抜けているのではないかと思いつつも、警備が薄いからこうして侵入できる。そのことを感謝しようと割り切り、レティは室内をぐるりと見渡した。
こちらは馬の世話をする者達の仕事部屋なのか、棚には鞭や馬蹄が並べられ、隅には修理待ちの鞍が積んである。
「とりあえず、机から調べよう。鍵なら纏めて管理しているかもしれないから、とりあえず、鍵の保管場所を探そう」
レティの提案にエトネはこくりと頷き、二人は手分けして探索を始めた。
薄闇の中、何処に在るのか分からない鍵を探すのはいささか骨が折れる。だからといって、灯りを点けるわけには行かない。無人という事は、この時間に灯りが点いているのを外から見られると侵入が発覚してしまう。いくら王宮の端だとしても、誰かが見ているかもしれない。
とはいえ、あまり此処で時間を使うのも駄目だろうとレティは考えた。
宛がわれた部屋を女中などが覗けば、こうして抜け出した事が露見する。
「おねいちゃん、そっちはみつかった?」
エトネの囁く声にレティは顔を上げた。彼女の持ち場は既に探索済みなのか、薄闇でも徒労に終わった事への不満が浮かび上がる。レティは首を横に振って、自分も見つからなかった事を伝えた。
部屋の中で目ぼしい場所は全て探したはずだ。だとすれば、此処に鍵は無いという事なのだろうか。疑問がレティの中で浮かぶが、答えを確かめるまで探すという時間は無い。
此処は一度、レイに相談するべきだと彼女は判断した。
「ねえ、エトネ。探しても見つからなそうだし―――」
「―――レティおねいちゃん。まって」
言葉鋭く制したエトネの様子に、レティの思考が戦闘用のそれに切り替わる。エトネは自分たちが入ってきた扉の方へ身構え、今にも飛びかからんばかりに脚に力を溜めている。そして、レティの耳にも聞こえた。
誰かの足音が近づいてくるのを。
それが扉の前で不自然に止まった。
どうやら、向うも此方に気が付いている様だ。
扉の向こう側に居る来訪者に対して、エトネは殺気を飛ばしていた。引きずられるようにレティも臨戦態勢を整え、何時でも一戦交えられるように意識を切り替える。ところが、来訪者は予想外の行動に出たのだ。
扉をノックしたのだ。
夜の闇を驚かせない優しい音に続いて、聞き覚えのある子供の声がした。
「レティさんにエトネさんですよね。少し話がしたいのですが、そんな殺気を放たないでください」
「え? もしかして……ラシード君?」
返答は無かったが、ゆっくりと開けられた扉から顔を覗かせたのは、紛れも無くダリーシャスの従者であるラシード・ナキだった。幼い相貌に似つかわしくない疲労を漂わせた少年は、これまた年齢にそぐわないため息を吐くのだった。
「というわけで、みつかっちゃいました」
「ました」
気まずそうに視線を逸らしながらおどけるレティにエトネ。その間に立つラシードの眉間には、立派な皺が刻まれていた。
こんなに幼いころから眉間に皺を寄せていると取れなくなるぞ、と言ってやりたかったが、そんな空気では無いので止めておく。
じろりと見上げてくる琥珀色の瞳を前にして、レイは内心困ったなと頭を抱えた。
何しろ、ダリーシャスから外出禁止を言い渡された、その日の夜に抜け出す準備をして、こんな場所に居るのだ。言い逃れは出来ない。
だけど、この場を切り抜ければ、ダリーシャスたちに追いつく事も出来なくなる。レイは咄嗟に、友好的な笑みを浮かべて手を上げる。
「やあ、こんばんは、ラシード君。奇遇だね、こんな所で会うなんて」
「まったくですね。こんな王宮の端の厩舎に一体何のようなのですか、レイさん」
「いや、寝たきりが長かったのでね。ちょっと体が鈍っているんじゃないかと思って、皆で散歩をしていたんだけど、道に迷ってしまってね。そしたら、此処でキュイと再会したから、ついつい長居してしまったよ」
「そう言えば、お伝えしていませんでしたね。僕らが王宮入りした際に、このニチョウもここで面倒を見ることになったんです。無論、ニチョウの為、世話をするのは女性のみですので、ご安心を」
「それは助かるよ。それじゃキュイ。大人しくしていろよ。僕らも大人しく部屋に戻るとするからな。それじゃ、ラシード君。おやすみ!」
颯爽と―――レイにしてみれば颯爽としたつもりでその場を後にしようとしたが、行く手をラシードが立ちはだかる。相変わらず見上げてくる琥珀色の瞳は真実を見抜いているようで、レイは居心地が悪くなる。
「ところで、レイさん。ここの警備兵が二人ばかり気を失っているのを発見したのですが、何か心当たりはありませんか」
質問の形をした糾弾にレイは項垂れるしかない。すると、ラシードはしかめっ面を解くと、肩から力を抜いたのだ。急な変調にレイを始めとした《ミクリヤ》の面々が戸惑う中、少年は懐から何かを取り出す。
それは武器の類では無く、鍵だ。
彼はキュイを閉じ込めている柵の鍵を開けたのだ。
ラシードの行動が分からないレイに対して、少年は再び懐からある物を取り出し、レイの手を掴んで握らせた。
今度は布だ。手ぬぐいほどの大きさだが、薄暗い月明かりの下でも分かるほど、手触りのよい高級生地に何かの印が縫い付けられていた。
「……これは何だい、ラシード君」
「今の僕の身分は陛下付きの従者長。王宮と首都内でしたら、ある程度の権力があります。その布は僕の、従者長の命令を遂行中という証だと思ってください。それがあれば、王宮と首都の門をくぐる事が出来ますよ」
「ラシード様。もしかしてアナタ、私達を」
シアラが少年のしようとしていることに気が付き、よもやという思いで尋ねると、少年は肯定するように頷いた。そこでようやく、レイ達も理解が追いついた。
間違いない。
ラシードはレイ達が戦場に向かうのを手助けしている。そうでなければ鍵も通行証も用意する訳がない。
理解するのと同時に、レイには別の疑問が浮かぶ。
「いいのかい、ラシード君。僕としては君の助けがあるのは助かるけど、これはダリーシャスの命令に逆らう事になるはずだ」
デゼルト国において、王の権力は限定的になってしまうが絶大である。そのダリーシャスの命令を事もあろうに従者長であるラシードが逆らうというのは、王の権力に異を唱えるような物だ。それを見逃せば内外に示しが付かない。
「こんな使えば証拠の残るような物があれば、君が逆らった事はダリーシャスに伝わる。そうなれば君の立場は」
最期まで言おうとしたレイだが、ラシードの制する手に押されて口を噤んだ。少年は覚悟を決めた表情で後を続けた。
「悪くなるでしょうね。陛下のご意向を無視する事になりますから。……ですが、姉上と、兄上から僕は学びました。従者とは、仕える主の進もうとする道を後ろから付いて行くのではなく、道を進むための道具であるべきです。それも、ただの道具では駄目なんです」
主の為に命を落とすべき従者でありながら、レイを守る為に死んだナリンザ。
主が道を踏み外したとしても、最期まで共にある事を選んだクリシュ。
兄姉の選んだあり方を見て、ラシードは己が理想とする従者の在り方を口にした。
「主に使われるだけの道具では無く、主を自ら支えられる道具。それが僕の理想とする従者の在り方です。ですから、こうすることが、陛下の為になると、僕はそう信じています」
ダリーシャスが向かう戦場は魑魅魍魎が跋扈する混沌。
味方に『守護者』サファと《神聖騎士団》がおり、敵には飛竜と六将軍が待ち構えている。どちらも人外の領域に足を踏み入れた怪物達。例え味方であっても、ダリーシャスの利になるかどうかは全く読めない。規格外の存在なのだ。
だとすれば、レイ達を送り込むのが最善なのかというと、それに首を傾げる者は多いだろう。いくら黄龍討伐でレベルが急上昇したと言っても、まだ人の身で到達できる領域だ。規格外の怪物達と比べれば、何段も劣る。戦場に向かったとしても足手まといになるだけだ。
そんな常識的な判断をラシードは否定する。
思い出せ。
混乱冷め止まぬシュウ王国から、未踏の迷宮から、未知の病に汚染された都からダリーシャスを連れて故国の地を踏ませたのは誰だ。
忘れるな。
幾度も行く手を阻む困難に対して挑み続けたのは誰だ。どう考えても身の丈に合わない死線を易々と越え、自分を助けに来てくれたのは誰だ。
ローランやサファ、そして六将軍が規格外の怪物なら、レイは計算外の奇跡だ。
どうなるのか、誰にも保証は出来ない。もしかすると、彼が戦場に現れるだけで状況が悪化する可能性もある。ラシードの理性はそう訴えている。
一瞬、ラシードは瞼を瞑った。
暗闇の中に浮かぶのは出立前の、寂しげなダリーシャスの背中だ。幾万もの兵に囲まれているというのに、彼は寂しそうだった。その幻影に別の幻影が並んだ。
黒髪に白髪が混じる、特徴的な少年の後ろ姿がダリーシャスと並ぶと、不思議としっくり来たのだ。それが、ラシードがレイ達を手助けする理由だった。
とはいえ、それをそのまま口にするのは気恥ずかしく、腹立たしくもあったため、ラシードは誤魔化すように語気を強めた。
「そんなのは、レイさんが気にする事じゃありません。大体、ニチョウを取り戻してからどうするつもりだったんですか」
「え? そりゃ、やっぱり強行突破かな。門を突き破るか、あるいは魔法を使って上から城壁を乗り越えるとか」
「そんなことしたら、逆に大騒ぎです。特に、王宮で緊急時でもないのに魔法を使われたら、流石にごまかしようがありません。……そんな事だろうと思って、此処を見張っておいて正解でした」
したり顔で指摘する少年にレイは自らの見立ての甘さを誤魔化すように頬を掻いた。
そして少年はキュイの厩舎に入ると、藁の中に隠していた小さめの鞄を取り出した。顔を寄せるレイ達の前でそれを開くと、羊皮紙の束が詰まっていた。これが何かとレティが尋ねると、
「陛下が率いる第二陣の進路図です。大よその時刻と、移動する進路が此方で、こっちの羊皮紙は前線司令部や砦などの概略図です。あとは目ぼしい情報を書きなぐった、手製の資料です。どこまで役に立つか分かりませんが、持っていてください」
と、何気なくレイに押し付けた。しかし、受け取るレイはその意味を理解して真剣な表情となった。
「これって、軍事機密じゃないのか!? いったい、どうやってこんな」
「軍議の場に僕も居ました。もちろん、発言権はありませんが、仔細漏らさずに聞いていれば、これぐらいは何とか。追いかけるのに道標も無しではどうしようも無いでしょう。どんな優れた船乗りでも、星と方位磁石と海図を頼りに海での位置を知るのですから」
手に持つ小さな鞄の重みにレイは押しつぶされそうになる。無論、物理的な意味では無く、このような機密を漏えいしてまでダリーシャスを助けたいというラシードの想いが、この鞄には詰まっていた。
「それと、先程も言った通り、その布があれば首都を出るまで素通りすることが可能です。ですが、その効果も首都の中までで、そこから先は通じません。下手に軍勢に近づけば、布を見せても、逆に怪しい奴だと思われて捕まる可能性もあります」
「じゃあ、どうやって王様と合流すればいいの?」
レティの質問にラシードは即答した。
「陛下の場合、戦場に着くまでに合流した場合、レイさんたちを、有無を言わせずに首都へ送り返すはずです。ですから、陛下が戦場に着くまでは合流しない方が宜しいと思います。合流というよりも、乱入した方がこの場合は最適解かと」
「戦争が始まる寸前か、あるいは始まってから紛れ込むという訳ね。それなら、見つかっても追い返される可能性は低いわね」
流石のダリーシャスも、戦場に飛び込んだレイ達の首根っこを掴んで引き戻すような真似はしないはずだ。
「それと、レイさん。こっちに来てください」
キュイを外に連れ出そうとするレティたちに場所を譲ったラシードが隣の厩舎に手招きした。
どうしたのだと不思議がるレイが隣の厩舎を覗き込むと、闇夜でも目が覚めるような白馬が足を折り畳んで眠っていた。人の気配に気が付いたのか、起き上がると、嬉しそうに鼻息を鳴らす。その馬にレイは見覚えがあった。
「アスタルテ! お前も此処に居たのか!」
名前を呼ばれた白馬は、柵の上から顔を伸ばしてレイに頬を寄せた。体温の高い馬の温もりに、レイは目を細めた。どうやら、レイの事を覚えていてくれたようだ。
「アスタルテもキュイと共にこの厩舎で面倒を見ていました。馬車を使えば、軍から見つかる恐れもありますし、速度が落ちます。何よりキュイではレイさんが乗れませんよね。ですから、この子を預けます」
「……いいのかい、だってこいつは」
ラシードの好意にレイは言葉を詰まらせた。
アスタルテはナリンザの馬だ。これから向かうのは戦場で、もしかしたらアスタルテが死ぬ可能性もあるのだ。そのことを言外に尋ねると、少年は覚悟したように頷いた。
「この子は戦馬です。戦場を駆ける事の出来る名馬。それを此処で眠らせるほうが姉上に怒られてしまいます」
最後をおどけて言うと、少年は頭を下げた。
「どうか陛下の、陛下の力になって下さい。僕はまだ弱く、戦場に立つことすら許されませんでした。ですから、どうか、僕の分まで」
「……ああ、分かった。どこまで役立てるか分からないけど、それでもダリーシャスの力になれるように一生懸命やってみる」
レイが胸を張っていうと、ラシードは安心したような、嬉しそうな笑みを浮かべて顔を上げた。
しばらくして、キュイとアスタルテが旅装を整えて外に出た。どちらも遠出を嬉しそうにしている中、レティがレイの傍に近づいた。
「ねえ、ご主人さま。おねがいがあるんだけど」
俯き加減で切り出した少女にレイはどうかしたのかと尋ねた。
「大したことじゃないんだけど、そっちの方に乗せてくれない」
「そっちって、アスタルテの方に? キュイじゃなくて」
ニチョウであるキュイの巨体は、シアラとレティ、それにエトネの三人が乗っても面積はまだあるし、安定感もある。それなのにどうしてこんな事を言うのかレイは首を傾げた。
「うん。えっとね、三人が乗っても大丈夫なのは知っているけど、それだと速度も出しずらいだろうし、それに遠距離組が二人固まるのもどうかと思うんだよね」
安定感はあるが、それは彼女の言う通り、普通の速度での話だ。先を行く軍勢に追いつく必要があるため、夜間とはいえそれなりの速度を出す必要がある。平坦な地形が多いデゼルト国とはいえ、暗闇の中を走るのに危険が無いとは言えない。
それにシアラとレティが揃っていると、レイの方に敵が向かってきた時の牽制が難しいのも事実だ。いくらかアスタルテに慣れたとはいえ、それでも武器を持って戦うほどでは無い。
だが、それらは全て後付けの理由だ。
本心は別にあると、付き合いからレイは察した。
何か、話したいことがあるのだ。
それに対してレイはちょうどいいと思う。自分も、彼女には話しておきたいことがあった。
「……分かった。でも、早馬の上だから、思いっきり揺れるだろうけど、我慢できるかな」
「それなら、大丈夫だよ!」
「よし、なら、後ろにご案内だ!」
そう言って、レイはレティを持ち上げ、馬の上へと少女を導いた。そして、続けて自分もアスタルテの上に跨った。
飛竜とは違う乗り心地を確かめるように歩かせると、準備を終えたキュイが近づく。そしてラシードも傍に寄ると、
「ここの後始末はお任せください。それに、リザさんの事も。皆さんが帰ってくるまで、お待ちしております」
それに対してレティが馬上から声を掛けた。
「お姉ちゃんの事、お願いします、ラシード君」
「僕からもよろしく頼む。それじゃ、行こうか皆!」
口々に少女らは返事をすると、レイはアスタルテの首を回す。久方ぶりの遠出に待ちきれんとばかりに白馬は駆けだし、その後を負けないとばかりにキュイが加速した。放たれた矢のように王宮内を疾駆する二頭の背に向けて、ラシードは深々と頭を下げたのだ。
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