8-44 王宮脱出 『前編』
シアラの相貌は、氷が溶けるように緩やかに変化していった。驚愕から唖然と、どこか呆れたような含みのある視線に、レイは苦笑いを浮かべるしかなかった。
「無茶苦茶な事を言いだしたわね。まさか、六将軍と戦いたいなんて」
「誤解しないでくれ。僕は、あくまでもかく乱、陽動、足止めだけをするつもりで、六将軍をこの手で倒そうなんて大それたことは微塵も考えてないんだ」
ダリーシャスから戦争は避けられないと聞かされた時から、レイは自分に何が出来るかを問いかけていた。人を殺す事が出来ない自分が、戦場という大きなうねりの中で、効果的に力を発揮できる場面はあるのかどうか。
考え抜いた結論がこれだった。
帝国が魔人と手を組んでまで戦争をする理由は分からない。魔人が黄龍の討伐以外にもどんな目的で戦争を引き起こすとするのかも不明だ。だけど、彼らの勝機が、帝国の飛竜と魔人の六将軍であることは間違いない。
ならば、そのどちらかか、あるいは両方が失われれば、戦争は早期に終わるのではないかと考えついたのだ。
龍刀に宿るコウエンならば、飛竜を威圧し退かせることが可能だ。そして六将軍を倒す事は出来なくとも、戦場から引き剥がしたり、あるいは足止めするぐらいなら、もしかしたら可能かもしれない。
無論、六将軍を甘く見ている訳では無い。むしろ、最大限の脅威だと認識した上での結論である。その危険性ゆえに、レイは一人で戦場に向かおうとしていた。
「王宮でダリーシャス達が戻ってくるまで待っているなんて事は僕に出来ない。だから、例え無茶だと言われても、行かせてほしいんだ」
頼むと頭を下げるレイに、シアラ達は顔を見合わせた。そして仕方ないとばかりにため息を吐いた。
「……何も考えずとりあえず、戦場に行くんだって事だったら、行かせるつもりは無かったんだけどね」
「それじゃあ、行っても」
顔を上げるレイに対して、シアラがただし、と詰め寄った。
「ワタシたちも行くからね」
「それは!」
「駄目だって言っても止まらないから。意地でも付いて行くからね」
「うん。それに、ほら」
自分を棚に上げて駄目だと言おうとするレイに先んじて、レティとエトネが言うと、彼女らは自分たちの装いを見せつけるように一回転した。
廊下からの明かりで照らされた二人は、そしてシアラも服装が夕食時と違っていた。戦闘に耐えうる衣服の上に防具を纏い、腰には杖が、手にはガントレットを嵌め、何時でも戦いに赴ける姿だ。更に、エトネが廊下の死角から荷造りを終えた鞄を引っ張り出した。
手際の良さに、レイはしてやられたと思う。どうやら、レイが戦場に向かおうとしていることを察して、先回りするように準備を終えていたようだ。彼女たちの掌で転がされていた事を腹立たしく思いつつも、だけど同じ気持ちなのだと知って嬉しくもなる。
「ワタシ達だって、主様と同じなのよ。ダリーシャス様やローラン様だけが危険な場所に行って、待っていられるような図太い神経じゃないもの」
一拍開けると、シアラはレイに突きだすように指を二本立てて見せた。
「条件は二つ。ワタシたちも連れていく事と、ちゃんと四人揃って帰ってくる事。それが約束できるなら、戦場に行くのを許してあげるわ。どうかしら、この条件?」
金色黒色の瞳が挑発的に吊り上がる。瞳の奥にある意思の強さは、どれだけ言葉を尽くしたとしても、変わる事はないのだろう。レイは降参とばかりに頷いた。
「ああ、皆で戦争を終わらせて、リザの元に帰ろう」
「うん、それじゃ行きましょう!」
頷きあうと、シアラはエトネと一緒になって廊下の様子を窺うように覗き込む。
一応、レイ達は王宮内に留まっているようにダリーシャスから命じられている。装備品を身に着けている所を見られれば弁明の余地は無い。すると、一人レティは眠るリザの方へと駆け寄った。
ベッドの上で横になる姉の傍で膝を突くと、彼女の手を自分の両手で包み込むように握りしめた。
意識の無いリザに対して、レティは無言で、ただ思いを伝えるように強く握る。数秒か、あるいは数十秒かけたやり取りは、レティが手を離す事で終わった。
「それじゃ、お姉ちゃん。行ってくるね」
返答は勿論ない。だが、廊下に向かって走り出したレティに対して、一瞬だがリザの手が伸びた様に、レイには見えたのだ。まるで―――行かないでくれと叫ぶように。
人気の少ない王宮内を、人目を忍ぶように移動する影。
その数は四つ。
青い月光の下、レイ達は音も無く走る。
十時間以上前に出立したデゼルト国の軍隊に追いつくためには、徒歩での移動は論外である。ならば足の速い飛竜が望ましいのだが、レイ達が黄龍討伐の際に奪った飛竜らは全滅してしまった。残された方法は一つしかなかった。
エトネが風に残る臭いを追いかけて先導する。遅れて、レイ、シアラ、レティが続き、彼らは王宮内のとある場所まで疾駆した。
「とまって」
鋭い警告に足を止めれば、前方に人影が複数ある。王宮内に残る守備兵が二人、目的の建物の入り口を固めていた。横から観察する分には、此方に気が付いている様子は無く、退屈そうに欠伸をしている。
居残りを命じられたという事で士気が落ちているのか、あるいは凡庸な兵士なのか。立ち振る舞いからしても、脅威としては感じとられなかった。
「どうしようか。少し、距離があるね」
レイ達が居る場所から入り口までは十メートル程度はある。魔道具や魔法の射程範囲だが、下手に大きな音を出してしまえば他の場所に居る兵士に気づかれる可能性があった。自分たちの立場はダリーシャス王の客分。滅多な事では拘束される事はないだろうが、兵士を力づくで排除することは滅多な事に含まれてしまう。
だからといって、走り抜けて昏倒させるには距離がある上に、遮蔽物が少なすぎた。松明が灯っているせいで、隠れている場所から走り出せば一発で見つかってしまう。
迂回路を探すべきかと考えるレイに対して、シアラが杖を取り出した。
「ここは、ワタシに任せて。おちび、後をお願い。《器を満たせ》」
止める間もなく、シアラは詠唱を終らせてしまった。
「《ライト》」
シアラが発動した魔法は、レイも知る魔法だった。光量の乏しい迷宮などで用いられる光魔法の一つで、術者の周囲を浮遊し、周りの空間を多少照らす程度の魔法だ。
ところが、シアラは生みだした光の粒を、地面を舐めるように転がせると、十メートル先に居る兵士たちの足元で解放したのだ。
その場が、夜から昼に切り替わったような明るさに包まれた。
「ぬおっ!」「な、何事だ!?」
足元に投げ込まれた閃光に目をくらます兵士たちに、今度はエトネが風のように走る。それは今までに見てきた中でも、比較にならないほど速く、それこそ技能を用いたのではないかと疑いそうになる。
視界を閃光で潰された兵士たちはエトネの相手にならなかった。彼女は拳を握る事すらせず、手刀で兵士二人を音も無く気絶させた。崩れ落ちる際、音を立たせないようにと受け止める気づかいまでしてみせる。
完全武装した兵士二人を軽々と担ぐエトネは大丈夫だと此方を向き、シアラは何事も無かったように歩きだしてから気が付いた。
物陰に潜んでいたレイが唖然とした表情で二人を見ていることに。
「……どうしたのよ、主様。昼間にナイトライダーを見た顔しているわよ」
「異世界の慣用句を使われても分かるか。……そうじゃなくて、二人の動きが、無茶苦茶洗練されていたんだけど、僕の知らないだけで、実は今が二週目なのか」
二人の動きの良さに驚くレイ。《ライト》の魔法をあのように使いこなすのも、エトネが一気に兵士二人を無力化した事も、十日前の二人からはあまりイメージできない行動だった。そのため、思わず《トライ&エラー》が発動していたのかという発想に飛んでしまった。
無論、そんな事はない。
シアラは首を傾げると、
「はぁ? なに、寝ぼけた事を言って……ああ、もしかして、主様。レベルアップの事、まだ気が付いてないの?」
シアラの指摘にレイはそういえばと今更な事に気が付いた。
コウエンからも、レティからも黄龍討伐によって大幅にレベルアップした事は聞かされていたが、その直後に知った戦争のせいで頭が一杯となり、その辺りの確認をしていなかった。
その事を告げると、シアラが仕方ないわねと前置きしてから説明を始めた。
「ワタシとエトネが目を覚ますと、ギルドの職員が来てね。どうもマクスウェル様が首都を発つ前に呼んでくださったようなの。それでプレートの更新を行ったけど……正直、見たら笑っちゃうわよ」
「笑っちゃうって、一体どれぐらいなんだよぉおおお!」
懐から取り出されたプレートを一瞥したレイは、驚きのあまりプレートを取り落とした。シアラが目を細めて、
「主様、五月蠅い」
と、指摘しつつ、プレートを拾い上げた。
青い月光に照らされた銀板には驚くべき数字が刻まれていた。
LV.116 RANK:Ⅾ
HP.321 MP.605
STR.113 DUR.159 DEX.119 MAG.395 POW.284 INT.340 SEN.129
レベルが三桁に到達している事も驚くが、それ以上にMPとMAG、そしてINTの数値が見た事も無い領域に達しつつあるのが驚いた。
「レベル116だって!? たしか、最後に更新した時は」
「ちょうど50だったわね。だから倍以上のレベルに上昇したって訳ね。ちなみにエトネの方は108よ。まあ、これだけ一気にレベルが上がったから、ここ数日は二人で体の動かし方や、魔法の変わった使い方なんかを挑戦していたのよ。お分かり?」
続けて知らされるエトネのレベルにレイはよろめいた。記憶にある彼女の最期のレベルは確か38だったはず。一気に70も上がったというのか。瞼を瞑り、気持ちを落ち着かせようとしたレイの前に、古ぼけた本が浮かび上がった。
それは『招かれ者』だけが開けるステータス画面のような物だ。
レイは本のページを捲り、自らのレベルを確認した。
LV.123
HP.493 MP.118
STR.413 DUR.462 DEX.337 MAG.13 POW.326 INT.252 SEN.331
膝から崩れ落ちそうになる。
一気に60も上昇していることや、能力値が軒並み上昇していることに驚いているのではなく、この期に及んでなお、MAGが二桁に毛が生えたようの低数値なのに愕然としてしまう。
MAGとは魔法の威力に関係する。この程度の数字では例え超級魔法を手に入れたとしても、宝の持ち腐れだろう。よしんば、低級や初級の魔法を手に入れたとしても、有用な運用方法は見いだせない。
「何だよ、この仕打ちは! 僕に魔法は高値の花っていう、神様のお達しか! そこらへん、答えろよ、クロノス様!」
無論、時の神クロノスが何かを答える訳でもない。急に崩れ落ちたレイに対して、気味の悪い物を見るような目をしていたシアラは、ややあってレイがステータス画面を開くことが出来るのを思い出した。
「ああ、自分の能力値を見てるのね。……それで、アンタはどうしたのよ、レティ。背中が煤けているわよ」
神に嘆きを訴えるレイの隣でしゃがみ込み、揃えた両足を体で抱き締めるようにするレティにシアラは恐る恐る声を掛けた。
レティは振り返りもせず、
「ふふふ。あたしが寝ている間に、皆がとんでもない所まで一気に駆け上がったのを目の当たりにして、ちょっとへこんでいるの」
と、地の底から響く様な声で呟いてしまい、シアラは何も言えなかった。
彼女は黄龍討伐戦に参加しておらず、膨大な経験値を受け取っていなかったため、一人レベルが変わっていなかった。
重要な局面で共に戦えなかったどころか、こうして実力の面でも大きく水を開けられたことに焦りと、哀しみが入り混じった感情に打ちのめされていた。
「……なんか、ごめんなさいね」
悲哀を漂わせる二人にシアラは自分が悪くも無いというのに謝ってしまう。そんな三人の元にエトネが戻って来た。気絶した兵士たちは適当な小部屋に押し込んできたのだ。
「みんな、なにしてるの。こっちだよ」
「え、ええ。ほら、行きましょう、主様、レティ」
シアラは落ち込んだままの二人の襟首を引きずりながら敷地へと入った。
王宮の端に位置するこの建物は厩舎だ。王族専用の馬や、王宮に滞在する客人の馬などを預かる施設で、藁の匂いに混じり、糞や動物の汗の匂いなどが混じる。そこにレイ達は用事があった。
エトネの案内で厩舎の中を歩くと、彼女が探し人ならぬ探し鳥を発見した。
「ここにいたよ、おにいちゃん」
「キュキュイ!」
柵の向こうで鳴くのは、四本脚の、ずんぐりと丸いシルエットをしたニチョウ、キュイだ。首都解放作戦の際にヌギド族に預けられたキュイは、いま王宮の片隅で旅が再開するのを今か今かと待っていたのだ。
「よお、キュイ。元気にしていたか」
「キュギュイ!!」
レイが近づくと、キュイは羽を広げて威嚇した。ニチョウは、種族的な特徴として男性を忌避する。御多分に漏れず、このキュイもまた、《ミクリヤ》の中でレイに懐いていなかった。
「はは。相変わらず、男には懐かないな、こいつ。まあ、元気そうで何よりだ」
「ご主人さま。キュイを刺激しないの。さあ、キュイ。ちょっと外に出ましょうね」
レイを退かしたレティは柵を持ち上げようとするも、鍵が掛かっているのに気が付いた。無理をすれば壊せそうだが、あまり大きな音などを立てたくはないというレイの意向に彼女は従う。
「さっきの建物に鍵があるかもしれないから、探してくるね。エトネ、手伝ってくれるかな」
「うん、わかった」
レティとエトネは厩舎の檻の鍵を探しに来た道を引き返す。レイもそれに続こうとしたが、横合いから伸ばされた手に行く手を阻まれた。
阻んだのはシアラだ。
金色黒色の瞳に険しさが宿るのを察して、レイは二人を見送った。
残されたレイは神妙な顔をするシアラに振り返った。
「それで。僕を残して二人を行かせたのは、何か大事な話があってのことだろう」
ただならぬ雰囲気のするシアラは言葉を選びつつ、話し出す。
「さっきは、あの子が居たから話せなかったんだけどね……未来予知をしたわ」
「―――っ! 何だって。それは本当なのか」
こくりと頷くシアラに、レイの胸中はさざ波が立つ。
シアラの持つ特殊技能、《ラプラス・オンブル》は未来予知の技能である。普段は、その人物の死亡する確率を影の濃淡でしか視通せないが、本人の意思とは無関係に、これから起き、シアラが目撃する光景を先取りする形で見てしまう。
見てしまえば、その未来は起こる事が確定するという、因果を固定する力とも言えた。
「あの子って、レティが関わるのか。それともエトネなのか」
「レティよ。場所は、多分、これから向かう砦の付近ね。周りの風景もそれらしい姿だったわ。砦が崩壊して、大地からは煙が上がり、屍が転がっている中でレティが泣いていて、そして主様に向かって、こんな事を言うのよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。言うってなんだ。君の未来予知は、絵を見るような物だよな」
シアラの言葉を遮って確認を取る。
シアラの未来予知は、これから起きる光景を、写真や絵のように静止画として見る。それはつまり、与えられた情報が表面的な物でしかないはずだ。
だというのに、声というのはどういう事だと訝るレイに、シアラは驚くべき事を告げた。
「その通りよ。今回、ワタシが見たのは予知夢。夢という形で未来の光景に飛び込んだのよ」
「それってもしかして。《ラプラス・オンブル》が進化したというのか」
「……かもしれないし、そうじゃないのかもしれない。良く分からないわ」
技能は進化する。
使えば使うほど効果が変化したり、拡張したり、向上したりする。場合によっては自分の持つ他の技能と混ざり合い、新しい技能となって発現することもある。それは特殊技能であっても例外では無い。
このような現象が起きる事を『冒険の書』では、人の持つ可能性の進化だと言及していたが、はたしてこれはそうなのか。
「予知夢を見たのは、神前決闘の朝。内容からして、神前決闘その物とは無関係そうだから黙っていたけど、こうなって来ると話は別よ」
「戦場に僕と君、そしてレティが向かう事が確定した以上、予知した未来と繋がっているのか。それで、レティは何て言ったんだ」
「……一緒に地獄に落ちてくれる。そう聞いたわ」
「地獄。地獄か。また、物騒な単語が出てきたな。それ以外に何か分かっていることはあるかな」
「ワタシの見立てだけど、その未来予知の中では、ワタシたちの周りは随分と静かだったわ。戦場の中で、そこだけ放置されているような、妙な感じ。それとそこにはエトネが居なかったの」
「……どこかで負傷して休んでいるなら、それでいいんだけどね」
シアラの予知に居ないという事は、最悪の可能性が混じる余地があると言う事だ。
「ごめんなさいね。相変わらず、面倒な事ばかり押し付けて」
「気にするなよ。大体、面倒事を引き寄せるのなら、僕に右に出る者はいないよ」
レイの持つ《トライ&エラー》は使えば使うほど因果を重ねる。厄介な出来事や強敵を招き、交錯させ、悪縁を結びつかせる。逆に言えば、未来を視る事で確定させてしまう《ラプラス・オンブル》に対して、因果に触れる事の出来る《トライ&エラー》を持つレイは、彼女の視た未来を変化できる唯一の存在でもある。
「気になるのは、シアラの視た予知は大抵血腥い、というか誰かの死に関わりそうな内容なのに、今回はそれが無いよね」
「そう……ね。思い返しても、あれは戦闘が終わったか、停止している時の光景ね。予知夢という事だけじゃなく、予知の種類もこれまでとは微妙に違ったわね」
「極端な話、レティを連れていかなければ、この予知は達成しなくなるけど」
「おすすめはしないわ。前衛の数が足りない上にヒーラーと守りを兼任できるレティを抜きに、六将軍の足止めなんか、出来っこないわ」
「そうだよね。……とりあえず、この事は僕の口から彼女に伝えておく。場合によってはレティは首都に残す可能性もあるから、そこは受け入れて欲しい」
強めの口調で伝えるレイの元に足音が響く。予想よりも早く鍵を手にいれた二人が戻って来たのかと顔を上げると、意外な人物がそこに居た。
困り顔を浮かべたレティとエトネの後ろに、文句を言いたそうに此方を睨む、ラシードが居たのだ。
読んで下さって、ありがとうございます。




