8-43 思惑
人を殺す。
重き鋼のような響きのある言葉に、レイは打ちのめされたように固まった。思い出すのは眠らない街と謳われたシュウ王国ウージアでの出来事。その街を訪れた際にレイは人を殺した。
レティが誘拐され、取り戻す為に自身も刃を交わし、殺されそうになったとはいえ、人殺しは人殺しだ。
その死は《トライ&エラー》で無かったことには出来ない。
大河のような歴史からすれば、ちっぽけな出来事かもしれないが、その事実はレイの中で影のように染みついていた。
ダリーシャスの橙色の瞳は、レイの心の機微を察した。
「答えずとも良い。其方の手は、奇跡を為せる手だ。幾度の困難を乗り越え、未来を掴む手だ。それを国同士の利害の為だけの戦で汚す必要はない」
「でも、この戦争は、僕が神前決闘でゲオルギウスの正体を暴いたから起きたんだろ」
アフサルに力を貸していた帝国の真意は不明だが、結果的にデゼルト国と帝国の間に対立構造が生まれたのは神前決闘が原因である。そのことに責任を感じていたレイは、責任を取りたいと考えていた。
しかし、ダリーシャスはレイの考えを一喝する。
「戦とは、其方一人の責では無い。思い上がるのも大概にしろ! 帝国には、帝国の狙いがあり、我が国には、我が国の立場がある。譲れない物がぶつかり合い、摩擦が生じたに過ぎん」
自戒的になっているレイに対して、ダリーシャスは王として、そして年上の大人として諭す。
「レイ。其方が責任を感じる道理は何処にもない。兄上が、父上が、ワシャフ伯父が、そして俺が。この国の王族達がそれぞれの思惑から選択したから、こうなった。これは俺の戦争であり、其方とは無縁の物だ」
そこに居たのは、一人の王としての責務を一身に背負う男だった。
王として、この国で起きる事、起こす事の全てを抱え込もうとするダリーシャスからは静かな、しかし大きな威圧感が放たれていた。だけど、レイは食い下がった。
「……確かに、僕は帝国との戦争には関係ない。それに人を殺す事も出来ないかもしれない。だけど、この戦争に魔人が、六将軍が関わっているなら、それと無関係ではいられない」
レイは自らの頬を触った。左目下に走る傷跡は、今は何の熱も胎動も発していない。だけど、此処から注ぎ込まれたフィーニスの憎悪だけは、感触としていつまでも残っていた。
「六将軍が戦場に居るなら、僕は此処でのうのうと待っていることなんて出来ない。それにアマツマラを襲った六将軍も来ているんだろ。だったら、そこにはモンスターも居るはず。僕は冒険者だ。モンスターと戦うのを生業としているんだ。戦わない道理はないだろ」
一歩も退くまいとするレイの態度にダリーシャスは赤みがかった金髪をかき毟る。
「其方は、相変わらず頑固だな。だが、何度も言うように、俺は其方が戦争に参加するのを認めるつもりは―――」
「―――失礼、陛下。御歓談の所をお邪魔させていただきます」
新たなる闖入者の登場に全員の視線が扉へと向かった。僅かに空いた隙間からするりと体を滑らして入ってきたのは、法衣を纏った痩せた男だ。
法王庁の象徴である十字架の刺繍は施されているが、街で見かける神官らの法衣と少し形が違っていた。だが、男の特徴的な部分は衣服よりも、むしろ見た目にあった。痩せた頬に薄く開いた目は刃のように鋭く、入室の際の動作と合わせて、爬虫類のような印象を与える人間族の男だ。
突然の乱入にラシードが声を荒げた。
「オーバート殿。無礼ではありませんか。陛下の許しも無く立ち入るとは!」
「不作法は平にご容赦を。なにせ下賎の身でして。それよりも、通りかかった時に聞き捨てならない単語を耳にしましてねぇ」
オーバートと呼ばれた男はラシードの剣幕を意に介さず、そのままダリーシャスの方へと近づいた。口角を吊り上げているのだから、微笑を浮かべているのだろうが、それが微笑みだとは誰も思えなかった。
むしろ捕食者が獲物を前に舌なめずりをするような嫌悪感だけが見た者に与える。そんな笑みを浮かべつつ、
「いま、どなたか六将軍がどうとか、仰っていませんでしたかな」
「……僕が言いましたが、それが何か」
じろり、と。オーバートの瞳がレイを捉え、一瞬、何か値踏みをするような視線に晒された。「おや。貴方の顔は存じ上げないが、一体どこの何方様なのか」
「《ミクリヤ》所属、レイと申します。そう言う貴方こそ、何者なんですか」
「これは失礼。法王庁調査部所属、一等異端審問官オーバート・クリフ。以後お見知りおきを、『緋星』のレイ殿」
「……僕の事をご存知なのですか」
「無論。貴方の事は、ローラン殿からもお話を伺っているので。……個人的にも、職務的にも、興味があります。どうです、この後。一席、場を設けたいのですが」
「そこまでにしていただこうか、オーバート殿。レイは目が覚めたばかりの病人。あまり無理はさせないでほしい」
間に割って入ったダリーシャスにオーバートは仕方ありませんねと肩を落とした。だが、直後に男の瞳が怪しく光る。
「しかし、レイ殿には、これだけはご理解してもらいたい。此度の戦において、六将軍は存在しない、と。関与はない、と」
一瞬、レイの頭は空白で満ちる。異端審問官を名乗る、爬虫類に似た男の言葉が理解できなかった。
影も関与も何も、現実として六将軍によって砦は占拠されているのだ。何より、神前決闘の場においてゲオルギウスが白日の下に晒された。その事実を無視して何を言っているのだと戸惑っていると、オーバートはダリーシャスに向かって、
「そうでしょう、陛下」
と、問いかけた。それに対して、なんとダリーシャスは首肯を示した。
「……ああ、そうだ」
「ダリーシャス、何を言っているんだ!?」
ダリーシャスの変容に驚くレイを尻目に、オーバートは満足そうに頷いた。
「ならば結構です。では、私はこれにて。……陛下。子供を躾けるのも、大人の役目だという事をお忘れなく」
言うなり異端審問官は現れた時と同じように、扉の隙間からするりと外に出た。ラシードが大股で部屋を横切ると、扉を叩きつけるように閉めた。
「申し訳ありません、陛下。鍵をするのを失念しておりました」
「俺も忘れておったからな、同罪だ。……レイ、そのような目で俺を見るな」
鋭い視線を向けるレイに、ダリーシャスは決まりが悪そうに頭を掻く。
「何がどうなっているんだ。どうして、法王庁の人間はあんなことを言うんだ。教えてくれ、ダリーシャス」
「……これも、国家の都合というものだ、レイ」
どこか疲れた様子を漂わせるダリーシャスが語るのは、エルドラドの危ういバランスの問題だった。
「当初俺は、帝国との外交によって戦争を回避しようとした。公式、非公式、第三国経由。ありとあらゆる方法で連絡を取ろうとして、だが、帝国は何の返事も寄越さないまま、こう着状態に陥った」
そこまではラシードから聞いた話と一致していた。
「事ここに到れば、戦争も止む無し。そう言った意見が内部から出てしまえば、俺も抑えきれなかった。軍を編制するにあたり、俺は十四氏族を招集し、兵をかき集め、それでも足りない分をギルドから集めようとした。総動員令を発動するよう、要請を掛けたのだ」
総動員令とは、ギルドが冒険者に対して発令できる、強制命令のような物だ。ギルドが掲げる独立独歩の精神を踏みにじる行為なだけに、それが発令されるのはスタンピードの時など、大勢の生き死にが関わる時ぐらいだ。
「普通の戦争で総動員令を出す事なんて出来るのか」
「出来ない。ゆえに俺は法王庁にも働きかけ、帝国と六将軍が共に行動していることを理由に、総動員令を引きだそうとした。折しも、《神聖騎士団》の面々も居たから、彼らの口添えも期待できたのだ。だが、そこに法王庁から派遣されたあの男が待ったを掛けたのだ」
異端審問官オーバート・クリフは、何の前触れもなく、この王宮に姿を現れた。薄気味悪い笑みと雰囲気を漂わせた男は、少し前からこの国に調査のために派遣されていたそうだ。
ガヴァ―ナの港町でローランからの報告を受けた直後からデゼルト国入りしたという事は、二週間以上は滞在している事になる。彼の本来の役職は異端に触れている可能性のある人物の調査なのだが、ちょうど、とある人物たちの護送を終えたばかりで、手が空いていたのだ。
混乱続くデゼルト国に内密に入国した彼は、神前決闘の場にも立ち会い、ゲオルギウスが現れたのを受け、即座に法王庁上層部と協議。
その結果出された方針とは、この事実を隠蔽することだった。
「隠ぺいだって! 何だってそんな馬鹿な事を言いだすんだ!!」
六将軍の脅威を目の当たりにしただけに、それがどれだけ愚かな選択か、レイは十分に理解し激昂した。彼らは、単騎でスタンピードを引き起こせ、黄龍の封印を解き、そしてこうして戦争を画策している、危険な集団なのだ。
それなのに、その事実を隠蔽しようとは自殺行為だ。
「其方の怒り、俺も同じように感じている。だが、法王庁としては、帝国が六将軍と共に行動しているという事実を認めるわけには行かないのだ」
「だから、それはどういう事なんだよ」
憤然やる方ないレイに対して、傍で話を聞いていたレティが口を挟んだ。
「帝国を世界の敵にしないためですか、ダリーシャスさま」
驚く二人に、レティは静かな、しかし醒めた瞳で続けた。
「六将軍と帝国が手を結んでいる事が明らかになれば、人々は恐れを抱いちゃう。不安や恐怖は際限なく膨れ上がり、それが行き着く先は、第二次人魔戦役か、あるいは人間戦役か。それを法王庁としては認められないんですね」
「其方の言う通りだ、レティ。帝国という巨大な存在が、凶悪な『魔王』らと手を組み、外征を始めたとなれば、世の動きは戦に傾く。だが、仮にこの戦をデゼルト国と帝国だけの戦争とする事が出来れば、その最悪の可能性は防げると判断したのだろう。奴は、オーバートはその為に派遣された政治屋という訳だ。逆らえば、法王庁から国が睨まれる」
なんという茶番劇だ。
動きだしている脅威に耐えきれずに、見たくない現実から目を逸らす。厄介な可能性を先延ばしにし、とりあえずの時間稼ぎをするという行為が、後々どれだけ自分らの首を絞める事になるのか、法王庁は想像すらできないのか。既に六将軍は、フィーニスは何か壮大な仕掛けを始めているのだ。
「総動員令の発令は出来なかったが、代わりに《神聖騎士団》を借り受ける事は引きだした。ローラン殿を含めた《神聖騎士団》の面々は五日前に出立した第一陣に組み込まれ、今頃は前線基地に到着しているころだろう。ついでに、サファ殿の助力も得る事も出来た」
「ちょっと待ってくれ。ローランさんはもう戦場に行ったのか。それにサファさんも、この戦争に参加するのか」
意外な名前が出てきたため、レイは驚きに声を上げた。
レイが最後に見たローランの姿は痛々しいなんて陳腐な言葉では表現しきれないほど消耗していた。左手を無くし、全身から血を流していた姿は記憶から拭えない。あれから十日、いや五日で戦場に向かったというのか。それにローランとミストラルの二人を除いた《神聖騎士団》の面々は黄龍討伐という責務を果たし、首都に戻ってきて休む暇なく出発したという。
どちらもとんでもないタフネスぶりだ。
それにサファがこの戦争に関わるのは意外だった。
黄龍討伐に参加したのは、彼の師であるイーフェの事や、故郷を滅ぼした仇敵という感情が働いたからだろう。普段の彼の行動からすれば、六将軍が関わっているからといって積極的に他所の戦争に関わろうとしないはずだ。
「サファ殿に関しては、幾つか取引を行ってな。詳しくは説明できんが、随分とむしり取られる事になったぞ」
そう言って、ダリーシャスはレイの肩に手を置いた。力強く握ると、
「とにかく、レイ。其方はこの戦に関わるな。……其方らは十分、戦ってくれた。あとは、俺達が、この国に住む者の役目だ」
そう力強く告げ、振り返る事なく部屋を出た。ラシードが小走りで追いかけ、扉を閉める際に一瞬レイ達の方を気づかわしげに見つめた。
残されたレイは何も言えず、レティがそっと慰めるように傍に寄り添った。
それから少しばかりして、ダリーシャスと十四氏族らが集めた三万に昇る兵が、民に盛大に見送られながら出発したというのをレイは耳にした。
王宮が青い月光に照らされる。初秋に入ったとはいえまだまだ暑い昼間とは違い、夜の王宮に流れる空気はどこか緊張したものを孕んでいた。王の不在と、戦争が始まろうとする事を受け、人々の中で不安が広まっているからだろうか。
宛がわれた病室にも、その独特な空気が流れ込む中、レイは一人起き上がった。
レティの姿はそこには無かった。別室で作業をしているのだろうかとレイは判断した。
彼は隣で眠るリザを起こさないように―――といっても、眠り続けているため起きてくれた方が良いのだが―――忍び足で並べてある装備品の前に立つ。
十日の間に誰かが整備をしてくれたのか、月光に照らされて武具が出番を待ち焦がれるようにきらきらと輝いていた。
寝間着から戦闘用の衣服を纏うとその上にニコラス作の胸当てを重ねた。ブレイブサラマンダーの手袋を両手に着けると、右手の中指に赤色の指輪を嵌め、手甲を上から被せた。腰のベルトに龍刀を突き刺し、腰にはバジリスクのダガーとポーチを吊るす。ブーツの紐を止めると、レイは鏡の前で緩みが無いかを確認した。すると、鏡に映っているのは自分以外にも居る事に気がついた。
「そんな姿でどこに行くつもりかしら、主様」
振り返ると、いつの間にか扉が開き、シアラとエトネ、そしてレティの三人が病室に揃っていた。シアラは腕組みをしてふんぞり返り、エトネはどこか心配そうに、レティは不安そうに俯いている。
「まさか、夜這いじゃないわよね、そんな恰好で忍び込むとしたら、どこの貴族の邸宅かしら」
冗談めかしたシアラに対して、レイは表情を厳しくして口を開いた。
「シアラ、そこを退いてくれ」
レイが言うと、シアラは逆に一歩前へと詰めた。
「退かないわよ。主様が何処に行くのか知るまでは絶対に退かないわ」
金色黒色の瞳は鋭く、嘘を吐けば即座に見透かされそうだ。だけど、シアラは直ぐにため息を吐いた。
「もっとも、その恰好でどこに行くなんて尋ねるのも、馬鹿げた質問よね。夕食を一緒に取った時から、覚悟を決めた顔をしてたわよね」
「ご主人さまは戦場に行くつもりなんだね」
レティの確信めいた物言いに、バレバレだなとレイは苦笑した。
「うん。北で始まろうとしている戦争に向かうつもりだ」
途端、三人の少女らは花がしおれたような悲しそうな表情を浮かべる。
「おにいちゃんがいってどうするの。せんそうをとめるつもりなの」
「いや、戦争は僕が行ったからといって、止める事なんて出来やしないよ。そんな力は僕には無い」
「なら、何をしに行く気なのよ!」
「戦争を終わらせる為に行くんだ」
レイの口から出たとは思えないほど強気な発言にシアラは呆気にとられた。
「……こんな事を主に向かって言うつもりは無いけど……頭、大丈夫?」
「本気で心配しているのが伝わってくる分、心が苦しくなるな。頭は正気だし、考えもはっきりしている。正確には終わらせるきっかけとなるつもりなんだ」
持って回った言い方にシアラはじれったそうに髪を掻き上げた。
「ダリーシャスの話によれば、帝国軍の数は六万。デゼルト国側がかき集めたのは七万五千。籠城戦という事と、帝国の方が兵の質が上だという事考えれば、兵士同士の戦いだと帝国の方が上だ。一方で戦場で飛びぬけて強い人たちはローランさんを始めとした《神聖騎士団》の面々とサファさん。相手方には飛竜と六将軍が三人居る」
「ええ、ワタシもそのように聞いたわ。でも、それがどうしたのかしら」
「この中で厄介なのは、飛竜と六将軍だ。でも、飛竜なら此処に特化した武器が、いや存在が居るだろ」
龍刀の鍔を抜けば、刀身にコウエンの姿が一瞬映りこむ。赤龍の魂を持つ彼女ならば、飛竜を屈服させるのはお手の物だ。既に一度、六体の飛竜を支配下に取りこんだのだ。
帝国軍に飛竜が残っているかどうかは分からないが、もしいた場合、コウエンの存在は彼らへの強烈なアドバンテージになるはずだとレイは力説した。
「そして、六将軍の内、一人でも足止めできれば、ローランさんたちで残りの二人を倒すことが出来るはずだ。ゲオルギウスが六将軍最強なら、残りの六将軍はゲオルギウス以下なんだろ。あの人たちなら、少なくともサファさんなら一人は確実に倒せるはずだ」
「ちょっと待って。それじゃ、ご主人さまが考えていることって、もしかして」
レティの顔が引きつり、信じられないとばかりに首を振った。
しかし、レイはその通りだと言わんばかりに告げた。
「六将軍の一人を足止めする。そうすれば、この戦争は一気に終わらせられる」
読んで下さって、ありがとうございます。




