8-31 メッセンジャー
滑らかだが抑揚のない作り物めいた音声とは違い、肉声は息づかいすら聞こえそうな程生々しく、どこか鬱屈し、苦しんでいるのがありありと伝わって来る。
飛竜の背で、レイは呆気にとられた表情で『機械乙女』の口を借りて流れるノーザンの肉声に耳を傾けた。
「『繰り返して通告する。神々を信じるな。彼らもまた騙されている。私達は騙されているんだ。あの『正体不明』に。『正体不明の娘』に。奴らは神々の目を奪い、耳を塞ぎ、欺いている。神々自身が真実だと思い込んでいることは、多くは正しいが、ある事だけが間違っている』」
乙女の口から流れる音声は、神への怒りに昂る訳でも、不信に同調を求める訳でも無く、静かに、しかし信じて欲しいという熱を含んでいる。まるで嘘つきと罵られた狼少年が、村人を守る為に真実を語るような悲壮さが伝わってくる。
だからなのか、レイは『七帝』の一角を前にして、身じろぎ一つ起こす事も出来ずに聞き入っていた。
「『それをこの子に吹き込むのは危険すぎる。『正体不明』が時を待たずに動き出す可能性がある。だから、このメッセージを受け取る者に頼みたい。この子を倒して、私の研究所の場所を聞きだし、来てくれ。そこで世界の真実を託したい。同じ『招かれた者』を信じて、来てくれ。……どうか、頼む。この世界を、理不尽ではあるが美しくもあり、優しくとも残酷なこの世界を、守る為に』」
命を一滴まで絞り出すような、そんな切実な思いの籠ったメッセージは唐突に終わる。僅かな間、二人の間に静謐な時間が流れると、口火を切ったのは『機械乙女』だった。
「質問。ミスターのお名前は?」
「……レイ。向うでの名前は御厨玲だ」
「登録。私は対魔法工学兵器用兵器Ω―1。個体名称、ポラリス・オルストラ。創造主の命によりミスターを特殊任務従事者の目録に追加。私を撃破した暁には創造主の研究所の座標を公開します。創造主曰く、私程度を倒せなければ、世界を救う事は出来やしないと。ゆえに、申し訳ありませんがお付き合いくださいませ」
淡々と、事務手続きをこなす熟練の事務員のように、感情を撤廃して語る『機械乙女』―――ポラリスにレイは考えが追いつかなかった。
「ちょ、ちょっと待って。……神を信じるな、彼らも騙されている、って、そんな事を言われても」
混乱する思考だが、聞き覚えのあるフレーズに記憶は丁寧に引き出しを開けてある事柄を思い出してくれた。それはテオドールの工房で読んだ、冒険王のレポートだ。日本語で書かれた日本刀の作り方。その最後のページに殴り書きで記されていた。
―――神々を信じるな。
「あれって。冒険王が書いたんじゃなくて、『科学者』が書いたのか」
「推察。貴方が考えているのは、恐らく冒険王が残したレポートの事かと。創造主は、後世に伝わるであろう書物に、エルドラドに存在せず、『招かれた者』に通じるようにと他言語を用いて同様の言葉を書き加えております」
「それじゃ、やっぱり。あの言葉はノーザンが書き足したのか。神々を信じるな。彼らも騙されている。……も、ってことは、それはつまり、僕ら『招かれた者』が騙されているのか。『正体不明』に」
「拒絶。申し訳ありませんが、秘匿事項に関しての開示権利を私は有しておりません」
「……君は、それでいいのか?」
「困惑。質問の意図が不明です。ミスターは何を仰りたいのですか」
「だって、君は僕に。僕ら『招かれた者』に倒されるようにと望まれているんだろ。ノーザンは何を考えてそんな事を」
「無為。考えるだけ無駄と提案します。創造主のお考えは複雑怪奇。森羅万象を見通したがゆえに、足元の小石に躓く様な方ですから」
ポラリスは一度言葉を区切ると、するりと間合いを詰めた。飛竜の背に跨るレイの前に降り立つと、腰をかがめ、顔を近づけさた。宝石のような美しい瞳に自分の唖然とした顔が映りこんでいた。
「提案。私と戦闘行為をいたしますか」
と、平坦な口調で尋ねた。あまりにも自然な聞き方だったので、レイは反射で肯定しようとしかけ、慌てて首を横に振った。それが否定だと伝わってくれたのは、何よりも有り難かった。ポラリスは顔を上げると、ひらりと空中を駆けあがった。まるでそこに階段があるかのような軽やかなステップにスカートが靡く。
「了承。では私は、当初の目的を果たさせてもらいますので、此れにて失礼いたします。願わくば、貴方が私を倒しに来てくれますように、ミスター・レイ。貴殿の活躍を祈らせていただきます」
振り返ると、空中だというのに、ポラリスはスカートの両端をちょいとつまみ、腰を折り曲げ深々と頭を下げる仕草は、洗練された女中のそれで、ここが何処で、どんな状況なのかすら忘れてしまいそうだった。
いや、実際レイの頭は明かされた驚愕の事実に翻弄されて、処理しきれなくなっていた。
銀色の閃光が、一条の流れ星のように南西の空へと消えていくのを黙って見送ってから、自分がすべきことを思い出したのだ。
「――――っ! しまった!!」
『しまったじゃない、この大戯け者。女の色香に誑かされて、脳が鼻から落ちたのか!? 追いかけんか、この大馬鹿者!!』
龍刀から伝わる怒りのオーラに背を向け、レイは飛竜を走らせる。だが、元から最高速度で負け、最高速度に到達するまでの時間でも負けているのだ。ポラリスの背中は遠く、見送るしかできない。どうやっても、追いつくことは出来ないだろう。
レイはマクスウェルへと通信を繋げた。
『レイ殿か。そちらの方はどうなっておる』
「ごめん。『機械乙女』がそっちに向かった。急いでくれ!」
一瞬の空白の後、マクスウェルが大丈夫だと力強く返した。
『兵器の投下は終えた。今は安全な場所に退避しておる最中、っと。噂をすればなんとやら。此方に向かってくる物体、あれが『機械乙女』だな』
「『機械乙女』はサファさんと戦ったせいで、燃料不足です。道を塞がなければ、無視するはず」
『そのようだな。此方を一瞥すらせずに、通過しよったわ』
「それじゃ、すぐに地表へ! 下手に空中に残っていると、衝撃波で吹き飛ばされてしまう」
前回の時間軸で、レイ達はアルビノ砂漠に居ながら、オーマットの爆発によって生じた衝撃波で墜落しかけた。今度は爆心地からの距離は近くなる。衝撃波は比にならないはずだ。
マクスウェルは見ていない爆発の威力を、レイの真剣な声色からくみ取ると、
『了解した。地表にて衝撃に耐えよう。レイ殿、お主も安全な場所に降下しておるのだぞ』
と、告げて通信を切った。
これでやるべき事は全てやった。
後は『機械乙女』ことポラリスが黄龍を守る砂嵐を吹き飛ばしてくれれば、それで十分なのだ。
レイは飛竜に下へ降りるようにと指示を出すと、訓練された飛竜は緩やかに地表へと降り立った。大砂丘は姿を変え、赤土を多く含んだ乾燥した大地がむき出しとなっている。砂のほとんどが、砂漠の一カ所に集まり、黄龍を守る鎧となっているのだ。
遠くからでも空を支える様な巨大な竜巻が見え―――閃光が奔る。
それまでのと一線を画く、血の色を凝縮したような濃い紅色の熱線が、竜巻を貫き、大爆発が大地を揺らした。
ポラリスの瞳は内蔵されたセンサーによって、幾つもの情報を収集していた。そのうちの一つ、サーモグラフィーは砂の竜巻に潜む巨大な存在を浮き彫りにした。
規格外の大きさの生物に対して、インプットされたデータベースだけでは正体が思い当たらず、衛星との通信を開き研究所のデータベースと接続。蓄積された情報から、エルフの伝承が表示され、巨大生物の正体を理解する。
古代種の龍が一体、墜ちた精霊、黄龍。
エルフの国を滅ぼし、ついでとばかりに近隣諸国にも甚大な被害をもたらした怪物。未確認ながらも『正体不明の娘』の一人が関わっているかもしれない案件だと、付記されている。
もっとも、その事と、今の目標は全くの無関係である。
サーモグラフィーとは別のフィルターを通して、ポラリスは黄龍の背に落ちている魔法工学の兵器を捉えた。波長が同一であると確認されると、手順が一つ進む。
ポラリスの役目は兵器の破壊。
ただ、それだけなのだ。
その為に八百年近い時間を一人で過ごし、その為だけにこれからも過ごす。そのことを寂しいと感じる心は彼女に搭載されていなかった。
創造主の悪ふざけでデザインされた広域破壊兵器を構える。幾十もの銃口から淡い紅色がホタルの明かりのように灯る。普通の感性を持つ者ならば、それを幻想的や神秘的と表現したかもしれないが、ポラリスにそのような感性は存在せず、ただ淡々と手順をこなしていく。
「モードチェンジ。広域破壊状態に展開。目標補足。エネルギー残量、オールグリン」
元来、『機械乙女』は兵器を破壊する兵器なのだ。
その目的は、あくまでも兵器の破壊であり、対人戦闘に勝利することでも、軍を薙ぎ払う事でも、国を亡ぼす事でもない。兵器を破壊する瞬間にだけ、全てのリミッターが解除されるのだ。
同じ『七帝』ですら、その存在に嫌悪と忌避を抱く、破壊の化身が降臨した。
四肢の関節が固定化され、衝撃に耐える態勢を取る。
帰還用の燃料を残し、それ以外の残存燃料を全て手持ちの兵器に注ぎ込む。
淡かった紅色は濃くなり、輝きは間近で直視すれば網膜が焼き切れるほどに輝き、破裂寸前まで膨張していた。
「射撃体勢完了。長距離砲―――発射」
どこまでも平坦な合成音を呟くと、兵器は自らの兄とも呼ぶべき兵器を破壊するべく、業火の引き金を絞る。
銃口から熱線が一斉に照射されると、それらは一点で収束した。瞬く間に巨大な光球と化した熱線が空間を焼き払いながら直進した。砂の竜巻を打ち破り、黄龍の背に落とされた腕輪の形をした兵器に触れた瞬間、高熱が空間を焼却したのだ。
そして―――大地を揺るがす爆炎が吹きあがった。
地面が縦に揺れる様な爆発に続き、レイに押し寄せたのは砂だ。いつかの砂嵐と比にならない量と速度で、砂の津波が押し寄せる。逃げる事は出来ず、レイは慌てて飛竜の影に隠れた。
飛竜の巨体すらよろめかせる砂の津波に、もしも飛竜に隠れずに浴びたら、穴だらけになったかもしれないと、そんな馬鹿げた妄想が頭の中でちらりと浮かんだ。
コウエンに屈服した飛竜は、親鳥が雛を温めるようにレイに覆いかぶさった。鱗が砂を弾く音の粒が途切れることなく続き、そしてようやく収まったのは五分ほど過ぎてからだろうか。
周囲が静かになったのを感じ取り、レイは飛竜の影からのろのろと這いずり出す。飛竜を盾のように扱ってもなお、砂はレイの全身に纏わりついていた。鼻で呼吸すると、砂の柱がぼとりと落ちた。
周囲を見渡すと、見覚えのある景色に切り替わっていた。先程まで赤茶色の土が剥きだしだった大地に、再び砂が戻って来た。
そしてアルビノ砂漠の中心への方角には、きのこ雲が空に向かって伸びているのがはっきりと見えた。
背筋に冷たい汗が流れる。日本人として、きのこ雲から連想される物を思い描き、本能的な恐怖が奔る。それを感じ取ったコウエンが安心しろとばかりに語りかけた。
『何度も言うが、『機械乙女』の扱う兵器に、毒の炎は含まれておらん。あれは無害な兵器だ』
「すごく、突っ込みどころが多い評価だな。それに、その言い方だと、まるで大地を汚す兵器があるように聞こえるんだけど」
『うむ。あるぞ。妾はそれを知っておる』
忌々しそうに断言するコウエンは続けて、
『赤龍が塒にしていたメスケネスト火山。そこのすそ野である平野が、モンスターの楽園になっているのは、迷宮のせいでも、妾のせいだけでも無い。人間戦役の時に、毒の炎が使用され、人の住めない穢れた土地に成り果てたのだ。あれから三百年、あの地に住まうのは人ならざる者達だけじゃ』
『招かれた者』たちは、良かれ、悪しかれ、エルドラドに大きな影響を与えてしまう。ノーザンが生み出した魔法工学の道具は、人々の生活を豊かにする一方で、魔法工学の兵器は人々の平和な営みを一瞬で消し飛ばしてしまう。
兵器の破壊の為だけに、きのこ雲を生みだすだけの威力がある爆発を起こすポラリス。彼女を止めなければ、オーマットのように都市が消えてしまう恐れがある。一方で彼女を破壊してしまえば、兵器の封印が解かれ、人々の自制が効かなくなり、暗黒時代の再来を迎えるかもしれない。
危ういバランスの上で、今のエルドラドが成り立っているのだと改めて痛感する。
ふと、レイの視界に銀の煌めきが映りこんだ。きのこ雲の手前、此方を見下ろすように宙に浮かんでいるのはポラリスだろうか。その光は一瞬強く輝くと、そのまま上空へと向かって一直線に移動し、振り返る事も、止まる事もせずに青い空に吸い込まれるようにして消えた。
兵器が破壊され、役目を終えた『機械乙女』がいずこかにある研究所に戻ったのだろう。
(神を信じるな。彼らも騙されている、か。色々と考えてしまう言葉だけど、今はそれよりも、あっちだよな)
砂の竜巻は吹き飛び、白煙がきのこ雲を作る。その下には黄龍が居るはずだ。
レイはマクスウェルに対して通信を開いた。
「マクスウェル。ここから『機械乙女』が撤退したのを確認した。そっちは、皆無事か」
『……うむ。全員無事だが、少々問題も起きた。とりあえず、サファ殿を連れて、此方に合流してはくれんか。傍におるだろう』
「それが……サファさんなんだけど、途中で落ちていないんだよな」
『お、落ちただとぉ!』
咄嗟に耳を塞ぐも、脳内にテレパシーのように響くのであまり意味は無かった。マクスウェルの叫びは止まらず、
『落ちて、その後はどうしたのだ。よもや、お主。そのままにしてきたのではなかろうな!?』
「……あははは」
乾いた笑みしか浮かべられなかった。マクスウェルが絶句するのだけは伝わって来る。
レイにも一応、言い分はある。
サファが落ちた時はまだ、兵器の投下は行われておらず、『機械乙女』の足止めが最優先だ。それにポラリスの口から明かされたメッセージに気を取られてしまい、サファの方を気遣う余裕は、正直なかった。
マクスウェルとの通信を繋げたままサファの方に呼びかけると、ほどなく通信が開いた。
『童か。ここからでも、見覚えのある爆発が見える。どうやら、首尾は上手く行ったようだが、そちらは無事か?』
普段通りの男の様子に、レイは一瞬口籠る。
この男、高度五百メートルから落ちたんだよな。
「一応無事です。いま、迎えに行きますけど、さっき落ちた場所に居ますか」
『いや。そこを離れ、爆発の方角に移動中だ。低空で飛空すれば発見は容易の筈だ』
サファは落ちたというのに、もう移動を開始していた。特殊部隊の隊員顔負けのバイタリティーだ。呆れ半分、恐れ半分の気持ちを抱きつつ、レイは飛竜の背に跨り再び空へと舞い戻った。
来た道を引き返すこと、数分。
着流し姿のサファが砂漠を歩きづらそうにしているのを発見した。
サファも羽ばたきの音に気づいたらしく、顔を上げた。その傍に降り立ち、サファの姿を見下ろすも、怪我をした様子は無かった。
「無事で何よりなのは喜ばしいですが、なんで無事なんですか」
「無事であることをそんな風に言われるとは思わんかったぞ。単純な話だ。地上に激突する寸前、地面に向けて一撃を見舞い、その反動で落下の衝撃を相殺しただけだ」
簡単な話だろうと言ってのけるサファに対して頭痛がした。
「童も高所から落ちた時は試してみろ。有用な技だぞ」
「出来るわけないだろ、そんな物理法則に喧嘩を売る真似」
思わず本音が出てしまう。サファは気分を害した様子を見せずに、そのまま飛竜の背に跨った。飛竜は翼を打ち鳴らし、空へと戻ろうとすると、急に悲鳴を上げた。
何事かとレイが驚いていると、背後から囁くような声が聞こえた。
「千年ぶりか」
氷を耳の穴に押し込められたかのような悪寒に、体が震えた。背後から漂ってくる死の気配に、気が遠くなりそうだ。視線の先は、南西の方角。きのこ雲が上へ上へと昇っていく方向だ。
煙が上がっていくことによって地表部分が、緞帳が上がるように露わになっていた。
一瞬、レイはそれが何か分からなかった。
なぜなら、あまりにも巨大すぎたのだ。
薄汚れた黄土色の鱗や肉と、縦に裂けた虹彩を目にして、それがようやく生物だと認識出来た。じゃなければ、平野に近いアルビノ砂漠に、突如として千メートル級の山が出現したように感じただろう。
「正直、ゲオルギウスには感謝すら抱いている。この千年、奴の事は考えないようにしていた。考えれば最後、俺は九つの封印を探し出し、行く手を阻むものを全て斬殺し、奴を解放しただろうな」
響く声に混じる色は、まぎれもなく歓喜だ。
花吹雪く様な明るさは微塵も存在しない、薄暗い洞窟の中で一人身もだえするような、陰湿な喜びにサファは身を震わせていた。
「黄龍。貴様をこの手で―――殺す。それが貴様によって滅んだ者達への唯一の手向けだ」
どこかで黄龍討伐の開始を告げる鐘が鳴る。
読んでくださって、ありがとうございます。




