8-15 憎悪の檻
かつて、何の才能を持たない男が武装神官達の中に居た。
彼は、本当に才能を欠片も持っていなかった。
どれだけ修練を積み重ねても、武の結晶である戦技を身に着けられず、どれだけ苦難を乗り越えたとしても、技能に目覚める事はなく、どれだけ知識を獲得しても、魔法を会得する事もできなかった。
どこまでいっても、凡才の男。
そんな男が『聖騎士』の称号を獲得したのは、幾つかの政治的な理由と、彼の親が権力者であったからだ。彼よりも強い神官は幾らでもいたのに、それらを抜いて彼が抜擢されてしまった。
かくして、凡才の男は『聖騎士』を名乗り、職務を粛々とこなしつつ、二十五歳の若さでこの世を去った。あまりにも早すぎる死に、多くの人間は驚き、悼みはしたが、それも直ぐに忘れ去られた。まるで地面に落ちた涙の染みのように、時が立てば乾いて消える。『聖騎士』の称号は別の者へと引き継がれ、それで彼という人物の物語は終わる―――はずだった。
数年後、一人の少年が教会を訪れた。身なりは汚く、明らかに物乞いの子供。普通の感性なら、棒を持って追い払うのだが、そこは神の代弁者を名乗る法王庁の神官。彼らはいつもの通り、救いの手を差し伸べようとして、しかし、少年の口から出たのは驚くべき内容だった。
「助けてください。ぼくの中に、別の誰かが居るんです。そいつが、ここに来るようにと囁くんです」
顔を強張らせ、悲痛を露わにした少年の荒唐無稽な告白を神官は真摯に受け止め、調査を開始した。すると、驚くべき事が発覚したのだ。その少年の中に居ると言う人物は、数年前に亡くなった『聖騎士』その人であった。
凡才の男の人格と記憶を宿した少年の存在は、瞬く間に法王庁の中枢へと届けられた。高位の神官たちが少年の身辺調査を指示し、同時に少年に対する聞き取りは、さながら尋問のような高圧的な物へと変化した。
なにしろ、短くとも『聖騎士』として活動した期間の記憶を有しているのだ。その中には法王庁の暗部ともいえる秘密も含まれていた。
どこでその情報を知ったのか。
貴様はどこの手の者なのか。
目的は何なのか。
日夜関係なく続く拷問じみた取り調べの結果、彼らは少年が嘘を吐いていない事を理解した。
本当に、少年は凡才の男の人格と記憶を宿していた。一人の体に、二つの人格に二つの記憶を有していた。基本的には少年の人格が主となり、凡才の男の人格は体を動かす事もできずに、背後で囁く事しかできない。いわば、野次を飛ばす観客のような物だ。
そしてもう一つ、少年が手に入れていた物があった。他者の技能を開示する魔道具を用いると、驚くべき事が分かった。
少年は特殊技能を保持していた。
そして、その特殊技能を最初に所有していたのは誰であろう、凡才の男だったのだ。
技能名、《ロード・トゥ・ヘヴン》。
それは所有者を渡り歩く技能だった。
所有者が死亡した場合はランダムで、生前に移譲する場合は対象を指定する事が出来る。その際に、それまでの所有者の人格と記憶、そしてレベルの一部を蓄積させるのだ。
幾つかの実験の結果、技能を発動すると、少年に対して蓄積されたレベルが付与された。数値にして僅かに5だった。
技能が所有者を離れ新しい所有者を求めて彷徨うという事実は俄かには信じがたいが、調査結果が全てを証明していた。そして何より、少年の口から凡才の男について衝撃的な内容が告げられたのだ。
曰く、彼は13神に見出された世界救世主候補の一人、『招かれた者』である、と。
信じられない話ではあるが、神の教えを忠実に守る法王庁としては、これを容易に否定は出来なかった。なぜなら、法王庁が出来た経緯に、もう一人の『招かれた者』である冒険王エイリークの存在があった。彼の仲間であった初代法王はエイリークから、世界が崩壊する事を知らされ、それを食い止める事を後世の者達に言い聞かせてきた。
法王の教えもあって、《ロード・トゥ・ヘヴン》は神から贈られたギフトとして、法王庁は扱う事に決め、少年を手元に置くことにした。
少年が法王庁に保護という名目で監禁されてから数年が経過していた。
ある時、一つの実験が行われることになった。それは謎多き《ロード・トゥ・ヘヴン》に備わった機能の一つ、技能の移譲に纏わる事だった。
法王庁の調査では、少年と凡才の男の間に血縁関係は無かった。ただ、凡才の男が死した翌日に、少年が生まれたことぐらいしか関係性は無い。このまま少年が死ねば技能は誰とも知らない者へと渡ってしまう。それを防ぐためと、生前に移譲した場合何が起きるのかを確かめるために実験は行われた。
法王庁は移譲先に当代の『聖騎士』を決めた。その経緯には政治的な判断があったのは否めないが、大きな理由を上げるとすれば、レベルの蓄積が目当てだった。凡才の男よりもはるかに高いレベルの当代の『聖騎士』ならば、もっと多くのレベルが蓄積されるのではないかと期待されたのだ。そしてそれを更に次の『聖騎士』に、そして更に次の『聖騎士』にと引き継がせていけばどうなるのか。
技能に多くのレベルが蓄積されるようになるのではないかと法王庁の神官たちは考えたのだ。
そのような思惑で行われた実験は二つの悲劇を生むことになる。
一つは、少年の死だ。
《ロード・トゥ・ヘヴン》を『聖騎士』に渡した瞬間、少年は眠るように息を引き取った。まるで、心臓を抜き取られたかのように、一切の生命活動を停止し、少年の目は二度と開かなかった。
そしてもう一つは、《ロード・トゥ・ヘヴン》を引き継いだ『聖騎士』に起きた。彼は、それまでに所有していた戦技、技能、魔法の一切を失ってしまったのだ。
唯一の残ったのは《ロード・トゥ・ヘヴン》のみ。
この実験を経て《ロード・トゥ・ヘヴン》の本質が判明した。この技能は可能性を潰す。初めに所有していた凡才の男は、本当の意味で凡才では無かった。彼は特殊技能を得る代わりに、自らが手に入れるはずだった可能性を全て失ったのだ。
そして、死ぬことと技能を失う事は同義だった。特殊技能を失った少年の死がそれを物語っていた。
自らが持っていた可能性を全て失った当代の『聖騎士』に追い打ちを掛けるような出来事が起きた。
《ロード・トゥ・ヘヴン》を引き継いだ翌年。彼もまた、眠るように息を引き取ったのだ。
彼もまた二十五年の人生に幕を下ろすことになり、《ロード・トゥ・ヘヴン》は翌日に生まれた縁も所縁も無い赤子の可能性を潰して宿る。赤子は生まれながらにして、凡才の男と少年と先代『聖騎士』の三人の人格と記憶、そして新たに蓄積されたレベルを手にしていた。
そんな物、望んでもいないのに。
神に選ばれし『招かれた者』の一人、『聖騎士』イカロス・イムソムニア。彼が残したのは奇跡のような呪いだった。
「イカロスがこの世に降り立ってから六百年。これまでに多くの『聖騎士』がその身を犠牲にしてきた。13神がこの世に放った呪いを引き継ぐ器として、最長でもたった二十五年の人生を過ごし、次代の『聖騎士』に押し付けこの世を去っていく」
祭儀場の観客席に足を掛けたゲオルギウスは誰ともなく呟く。それはどこか恐れを含んだような独り言だった。
「その間も《ロード・トゥ・ヘヴン》は所有者の人格と記憶。そして何よりレベルを蓄積し続けた。それはさながら寄生虫の如く。宿主が死ぬ度に大きく、大きくなっていった!」
剛脚が観客席を蹴ると、破片が砂のように舞い上がる。魔人の姿は宙を放たれた矢のように突き進んでいた。手にした槍を後ろに振りかざし、加速した分を上乗せするようにローランへと叩きつけた。
並の人間なら肉体が水のように弾け飛び、高位冒険者でも耐えられない衝撃がローランへと襲いかかった。ところが、大剣を手にした男は、微動だにせずにそれを受けきった。
手にした槍を伝って、尋常ならざる気配がゲオルギウスを取り囲む。
それを振り払うが如く、槍が幾筋も振るわれる。
まさに神速の突きだ。
本来、槍というのは穂先の部分にしか殺傷能力は無いというのに、ゲオルギウスが振るえば、全体が一つの死を振りまく武器と化す。触れれば肉が裂け、骨が砕かれ、生が終わる。
だと言うのに、ローランはその全てを撃ち落していた。
ゲオルギウスの槍以上に長く、厚みのある鈍重な大剣を、まるでダガーのように凄まじい速度で操っていた。
ゲオルギウスが十の攻撃を終えるまでに、ローランは二十の攻撃を終える。それは物理法則すら無視した、暴威の結晶だった。
自らの槍が掠りもしないというのに、ゲオルギウスの相貌に野獣のような笑みが広がる。一方、追い詰める形になっているはずのローランは苦しそうな表情を変えなかった。
そしてどういう訳か、彼が腕を振る度に衣服から赤い物が染みを広げていくのだ。
ゲオルギウスの金色の瞳は、それを見逃さなかった。
「同じだなぁ! 人魔戦役の時も、私の前に立ちふさがった『聖騎士』は呪いを発動した。それまでに蓄積されたレベルを解き放ち、それに押しつぶされて死んでしまった!」
法王庁が《ロード・トゥ・ヘヴン》を『聖騎士』に引き継がせて数百年。それまでに蓄積された人格と記憶は混沌となり、誰の物か判別する事もできなくなった。表層に浮かぶのは、世界を救わなければいけないという叫びだけだった。
問題はもう一つの蓄積されたレベルだった。
長い研究の結果、技能が移譲される際に蓄積されるレベルは五パーセントと判明した。つまり、レベルが100に到達していれば、その五パーセントに当たる5が蓄積されることになるのだ。
それが六百年間続けばどうなるのか。
イカロスからローランに至るまで、《ロード・トゥ・ヘヴン》は八十二人もの間を通り抜けてきた。蓄積されたレベルは500に届こうとしていた。
今、ローランの体には己のレベルとは別に、六百年もの月日を掛けて蓄積されたレベルが付与されていた。
「三百年前の『聖騎士』は私に届かなかった。そこから三百年で、ここまで辿り着いた。認めよう、今の貴様なら、例え全開の私であっても勝てまい。しかしその代償が、今の貴様の姿だがな!」
「黙、れ」
「ぬおおお!」
ローランの大剣が力任せに振るわれ、ゲオルギウスの体が石舞台を滑る。純粋な力比べで敗北したのは何時以来だと記憶を遡ってしまう。
そんな過去に浸れる余裕があるゲオルギウスに対して、ローランにはそんな余裕は無かった。白銀の鎧を汚す赤い血は魔人の物ではない。全てローランの体が流す血である。
《ロード・トゥ・ヘヴン》がもたらす蓄積されたレベルの付与は、所有者の器を無理やり拡張させる。本来なら入りきらない水を零さないように容器が厚みを削ってまで形を変えるような物だ。当然、そんな体で動けば、器は中身に耐えきれずにヒビを走らせる。
それを避けるために『聖騎士』は日々、鍛錬を積み重ねてきた。己が器を極限まで鍛え上げ、それこそ一振りの剣となるまでに練り上げ、《ロード・トゥ・ヘヴン》を受け入れられる存在となろうとした。
ローランは文句なく、歴代最高の『聖騎士』であったが、それでも六百年の祈りを受け止めきるには足りなかった。
両腕の筋肉は大剣を振るう度に千切れ、足の骨は体を支える度に悲鳴を上げ、臓腑は高速の戦いに耐えられないと白旗を上げている。瞳は目まぐるしく動くゲオルギウスの動きをつぶさに拾い上げ、脳が圧倒的情報過多に熱暴走を起こし、神経が反射の速さに焼き切れる。
技能を発動して僅か一分にも満たないというのに、男の体はボロ屑も同然だった。
《ロード・トゥ・ヘヴン》は幾つかの制限を有していた。技能を発動する際は、加護や技能、魔法や魔道具などの効果を打ち消し、発動中も同様に効果を受け付けない。つまり、今の状態のローランを回復することは出来ない。
そしてもう一つが、空が見える場所でなければ発動できないという制限だった。前回、ネーデの迷宮で戦った時にローランがこれを使えなかったのは、それが理由だった。
「神の恩恵か。何とも皮肉な話だ。己が手にするはずだった可能性を全て差し出し、身も心も、戦いすらも神に捧げなければ神の恩恵は得られない。ローラン、貴様は憎くないのか」
「憎い……だと」
「そうだ。貴様ほどの戦士なら、《ロード・トゥ・ヘヴン》になぞ頼らなくとも一端の戦士となりえたはず。それを全て捨て去り、あと三年後には死ぬのだ。それを理不尽だと、嘆き、憎しみを抱かないはずがなかろう。違うか?」
ローランはゲオルギウスの見当はずれな指摘にくつくつと笑う。何がおかしいのだと尋ねられると、
「この身に宿った、八十二人が叫ぶのだ。世界を救えと。僕は、子供の時に先代から引き継いだその時から、その声に突き動かされてきた。それを憎いと思った事は一度も無い。むしろ、誇らしくあるのさ」
六百年の妄執が、遂に人の身で真なる怪物へと届いたのを、ローランは喜んでいた。先人たちが歩んだ道が、天へと辿り着いた。その最前線に居る事の何が不幸なのだ、何を恨めばいいのだとローランは心の底から思う。
槍を構え直したゲオルギウスはあからさまに侮蔑の表情を浮かべた。
「狂信者が。……ならば、新しき候補者を定めているのだろうな」
「まあね。……ただ、その点に関して、僕と法王庁の意見は違うだろうけどね」
ローランの瞳が意味ありげに横にずれた。その方向を追いかけ、ゲオルギウスが眉をひそめる。
「どういう意味だ、それは」
「なに、この地で面白い者と出会えたと言うだけの事さ。託すに値する人物をね。もっとも、それは貴様には関係無い話だ!」
叫ぶとローランはゲオルギウスに向かって跳ぶ。その際に、足首が耐えかねて砕けたが、彼は気にせずに大剣を振り下ろした。再び、ゲオルギウスの体が弾き飛ばされ、魔人は観客席下の壁面を何枚も打ち砕いて止まるのだった。
「ここで、貴様は死ぬ。ゲオルギウス、仲間の仇だ。その首、取らしてもうぞ」
ローランがゲオルギウスを追いかけ、石舞台から姿を消す。怪物同士の激闘は、祭儀場を打ち壊しながら激しさを増していった。
「レイ殿! 声が聞こえるのなら、お答えください! 《超短文・上級・拘束結界》!」
ミストラルの魔法がレイの体を押さえつける結界となって頭上から降り注ぐ。しかし、レイの足元に広がる闇はそれを受け止めようと手を伸ばした。無数の手が林のように乱立する様は高位冒険者たちの背筋に悪寒を走らせる。
ローランとゲオルギウスが余人を立ち入らせない戦いをする横で、残った《神聖騎士団》の面々によるレイの救出作戦は行われていたが、一向に進まないでいた。
マクスウェルの指揮の元、レイの体を縛りつける闇を引き剥がそうと攻撃を加えるのだが、それに反応して闇が防御態勢を取るのだ。ゲオルギウスを襲った武具の弾丸や、手や盾に攻撃が防がれてしまう。
一つ一つの威力も硬度も高くは無いのだが、それが纏まった数になって押し寄せれば、それなりの脅威となる。加えて、闇は無尽蔵に傷口からあふれ出しており、足元の影は面積を拡大する一方だ。
その中心で何をするでもなく呆然と立ちつくしたままのレイ。その距離は見た目以上に遠く感じられた。
「こうなると、広範囲を攻撃魔法で一掃したくなるのう」
「マクスウェル! そんなことして、レイ殿が一緒に吹き飛んだらどうする気なのよ! 技能が発動するかどうか、誰にも分からないのよ」
ミストラルの叱責にマクスウェルは同意する。
レイの言葉が真実ならば、彼は死んでも時を巻き戻すことが出来る。しかし、それはこの異常事態でも正常に作動するかどうか不明なのだ。何より、対等契約を結んでいない自分たちでは時が戻ったかどうか知覚できない。
レイを殺さずに、あの闇をどうにかしなければならない。
現在、ローランを除いた《神聖騎士団》の面々で闇を撃ち落す事は可能だが、それに時間を取られれば、レイが元に戻る可能性は比例して低くなってしまう。
「全く。随分と厄介な仕事を任されてしまったな」
ぼやくマクスウェル。すると、彼の耳朶を幼い少女の声が震わした。
『聞け、人間ども!』
「その声、コウエン殿か!」
闇に侵食されつつあるレイの右手にある龍刀が紅蓮の煌めきを発すると、そこから幼い少女の声がする。龍刀に宿るコウエンがマクスウェル達に話しかけているのだ。
コウエンは元を正せば赤龍の記憶を引き継いだ上位存在。それならば、この事態を打開する術を持っているかもしれない。そう考えたマクスウェルは口を開く。
「コウエン殿。状況は把握しておられるか」
『無論。此方から、レイの意識を守ろうとしたのだが……失敗した』
苦渋に満ちた声に全員の頭上に暗雲が立ち込める。しかし、それを晴らすようにコウエンは叫んだ。
『じゃが、光明は見出した! 至急、こやつを慕う娘たちを呼び寄せろ! あの者らが鍵だ!』
貴賓席が何度目かの揺れに直面する。
先程起きた天候外れの落雷から、下での戦いが激化したのをリザ達は感じていた。だけど、それを確認する余裕は少女達に無かった。なぜなら、相対する戦士から視線を逸らせられなかった。逸らせば最後、一瞬で命を刈り取られるかもしれなかった。
アフサルを守るように仁王立ちするクリシュ。双頭の槍では無い、普通の槍を扱っておきながらも、男の技量は不変だった。
高速の刺突がリザの急所を的確に狙う。それを捌くのは、不可能ではない。なぜなら突きは、どこまでいっても点の攻撃なのだ。狙い所さえ承知していれば、防御は難しくない。
しかし、戦いが長引くにつれてクリシュの槍は凄まじさを増していた。おそらく、手にした槍と、愛用の槍との間にある違和感を修正したのだろう。急所を狙う槍の柄を弾いても、更に速度を増した刺突が繰り出される。
隙を見て魔法を唱えようとするシアラやレティに対しても抜け目なかった。彼女らが詠唱に移ろうとすれば、即座に反応して阻止に回る。どこに隠し持っていたのか投げナイフを矢のように投げた。
エトネが懐に飛び込めば、彼女の徒手空拳を柄で打ち払い、間合いから弾き飛ばす。至近距離で放たれたボルトを、顔の寸前で掴んでみせた時は、リザは戦闘中であることを忘れて素直に称賛してしまった。
四人を相手にクリシュは一歩も引かない戦いを繰り広げていた。
貴賓席から外へと繋がる通路は兵士たちが押さえているためアフサルは逃げ出せずにいるが、クリシュを倒さなければアフサルを確保できない。
「レイ様と戦った時も思いましたが、やはり手練れですね。これでは予定よりも、時間が掛かってしまいます」
「だからといって、遠距離から魔法を撃つ訳にもいかないわよ。アフサル王子を生かしたまま確保しなくちゃいけないんだから、巻き込まれたら厄介よ」
連撃の隙間にある僅かな時間でリザとシアラは言葉を交わす。このままこう着状態が続けば続くほど、予測できない問題が発生する恐れがあった。
というよりも、現在進行形で起きているのだ。不規則に、断続的に起きる揺れと破壊音に、リザ達は言いしれない不安を感じていた。まだ、自分たちが生きているという事はレイが死んでいないという証明だが、はたして主は無事に避難できているのかどうか。
「だったら、ここは一か八かに掛けるとしますか」
「強硬策? ……仕方ないわね。援護は任せて」
リザが覚悟を決め、被弾覚悟でクリシュを倒そうと決め、シアラ達が援護に入ろうとしたまさにその時。予想外の闖入者が奇妙な均衡状態を崩す事になる。
「《ミクリヤ》の者達よ、しばしこちらに手を貸してほしい!」
声と共に飛び込んできたのはマクスウェルだ。魔法によって宙を舞った少年に少女らの意識は向いてしまう。その隙をクリシュは見逃さなかった。
くるりと反転すると、恥辱と動揺に震えていた主を抱えて貴賓席を飛び降りたのだ。リザが床を蹴りロングソードを横に薙ぐも、剣先は何も掴めなかった。
「う、うわぁああああ!」
「叫ばないで。舌を噛みます」
冷徹な従者の言葉は届かず、アフサルは悲鳴を上げて、観客席の通路へと着地した。そのままクリシュはアフサルを抱えたまま通路へと姿を消したのだ。
「通路に逃げ込みました! どうしますか、追いますか!?」
貴賓席から逃走方向を確認したリザが、何時でも追いかけられるように身構えつつダリーシャスに指示を仰ぐ。王子は待てと語気を鋭くしてマクスウェルの方を伺った。
「マクスウェル。其方がここに来るのは計画には無かったはずだ。何用で参った」
「異常事態が発生したという事じゃよ、王子。まずは下を御覧に」
マクスウェルの言葉にダリーシャス達は石舞台へと視線を向け、そこにある黒い沼のような物に立つレイの姿を見た。沼からは手や武具の形をした闇が無数に出現し、《神聖騎士団》の冒険者たちを襲っていた。
リザが青い瞳を見開き、狼狽を露わにして叫んだ。
「な、何ですかあれは!? あ、あそこに居るのは、レイ様、なのですか」
「うむ。間違いなく、レイ殿である」
重々しく頷いたマクスウェルは、理知を宿した瞳をシアラへと移した。魔人種の血が流れる少女ならば、この現象を理解できるのではないかと期待を込めた。
だが、美しく整った美貌を蒼白にさせて震える少女から、打開策は生まれそうになかった。
「現在、レイ殿は『魔王』による何かしらの攻撃を受け、意識を喪失し、味方を認識できずに攻撃している状況だ。このまま行けば、彼は……敵になってしまう恐れがある」
混乱を広げないために魔人とは口にできなかったマクスウェルは、そのまま言葉を続けた。
「あの闇が元凶だと睨んで、儂らは彼を救出しようとしているのだが、御覧の通り近づく事すらままならない」
戦技や技能を発動した高位冒険者ですら、闇の前に退けられているのが貴賓席からでも見えた。そんな状況で手を貸せとはどういう事なのか、リザ達に疑問符が浮かぶ。
「龍刀に宿るコウエン殿曰く、レイ殿を助けるためにはお主らが必要との事。現在、ローランがゲオルギウスを相手に単騎で戦っておる。概念殺しが発動する恐れはない。来て貰えるか」
「主様の危機なら頼まれ無くたって、行くわよ。と、言いたい所だけど」
シアラの金色黒色の瞳がダリーシャスの方を伺った。この作戦において、彼女らの役目はダリーシャスの身を守ることと、アフサルの身柄を押さえる事だ。いまこの場を離れれば、そのどちらも果たせなくなる。如何するべきかと逡巡する少女らに対してダリーシャスは、
「行くのだ、リザ、シアラ、レティ、エトネ。行って、レイを助けてこい」
「お言葉は嬉しいのですが、宜しいのですか。アフサル王子を追いかけなくても」
「アフサルの追跡なら、ヌギド族に任せる。元々、逃走を想定して、祭儀場の各地に配置してあるから、今からでも十分間に合うはずだ。俺もお爺様たちを追いかけて避難するとしよう」
「微力ながら、僕らがお守りします!」
いつの間にか貴賓席までやって来ていたラシードとその配下が力強く言う。
「だから、行け。行って、其方らの主を、そして俺の友を助けてこい」
「……その王命、しかと承りました」
リザ達が頷くと、マクスウェルは浮遊呪文を少女らに掛けた。途端、体が重力の糸を断ち切った様にふわふわと浮き始め、宙を滑るように疾走した。
ものの数秒で石の舞台に着地した少女達を出迎えたのは、腐食した空気だ。
物が腐ったのではなく、空気が腐る。鼻孔に突き刺さる悪臭は、そのまま脳を揺らすほどの刺激だ。思わず、意識が遠ざかりそうになる。ただでさえ、感覚が飛びぬけているエトネはこの場に立っているだけでも辛そうだった。
しかし、少女たちは自らを鼓舞し、臭いの元である闇へと視線を向けた。
影のように面積を広げる闇の中央に、レイは居た。
左目の下を走る刀傷から、闇を涙のように流し続け、瞳は光を失ったように虚ろで、口は快活さを忘れた様に半開きのままだ。苦痛に喘ぐうめき声が垂れ流されるが、そこに意思は欠片も存在していなかった。
「この気配っ! 間違いなく、お爺様の、『魔王』の物よ!」
悍ましい醜悪な闇を前にして、肌が粟立つシアラが断言した。どうしてこうなったのか分からないが、レイをこの状況に追い詰めたのは血の繋がった祖父である、と。
「コウエンちゃん! 聞こえる? あたしたちが来たよ! どうすれば、ご主人さまを助けられるの!?」
レティが悲痛な声を上げると、手にした龍刀から紅蓮の眼差しが返ってきた。
『良くぞ来た! いいか、娘共よ。レイを助けたければ、妾の言葉を聞け! いま、レイの意識は、フィーニスが仕込み、増幅させた憎悪の檻に囚われておる』
「それって要は、自分の心の中に、更に別の空間があって、そこに囚われているという事なの?」
『その理解で間違っておらん。奴の狙いは、レイの意識と、自らの魂の欠片を融合させる事だ。それが成功してしまえば、『魔王』の力を宿した《トライ&エラー》を持つ魔人が誕生することになる』
「魔人……魔人ですって!?」
「ご主人さまが、六将軍のような魔人になるの。でも、種族が違うじゃない。そんなこと、あり得るの?」
「どうやら、そのようみたいなの。敵の言葉を全て信用するつもりはないけど、否定する材料が無いわ。……どちらにしても、レイ殿を助けなくちゃ、本当に洒落にならない事態になるわね」
コウエンが口にした未来予想図は、集まった全員の顔を青ざめさせる。時を巻き戻す力は、例え一日程度でも使い方次第で大きな変革をもたらせる。どんな勢力でも喉から手が出るほど欲するはずだ。戦闘以外では積極的に使わないレイですら、《トライ&エラー》を使う事で赤龍、フィーニス、エレオノールなどを退け、撃破してきた。それがよりにもよって『魔王』の麾下に加わる事になれば最悪だ。
『レイの意識は憎悪の檻に囚われてしまい、《トライ&エラー》が発動するかどうか妾にも不明じゃ。ゆえに、レイを助けるには殺すのではなく意識を檻から出すしかない』
「出すと仰いますが、それはどうやってですか!?」
『其方らが外から呼びかけ、隙あらば触れろ! レイの意識が檻の中で眠ってしまったとしても、其方らの存在を感じ取れば目覚めるはず』
「でも、エトネたちがよんでも、だめなんじゃ」
不安に揺れるエトネを励ますようにコウエンは叫ぶ。
『この膨れ上がった憎悪は、一時ではあるが収まったのだ。其方らの約束が、力となって働いたのだと妾は踏んだ。其方ら以外に、この檻を壊せるのはおらん!』
「分かりました。皆、良いですか」
リザの呼びかけに応じて、少女らは呼吸を合わせ、心を一つにして叫んだ。
「レイ様!」「ご主人さま!」「主様!」「おにいちゃん!」
それは単なる呼びかけに過ぎなかった。しかし、少年を思う、真摯な気持ちは誰にも否定できない、尊い物である。どうなるのかと息を呑む《神聖騎士団》の前で、レイに変化が起きた。
ぴくり、と。
虚ろな瞳が動いたのだ。光を放たない、艶が消えてしまったガラス細工のような瞳が、リザ達の方を向いた。意思なき瞳に晒され、少女らは形容しがたい恐怖に震えた。このまま『魔王』と同化してしまい、レイの意識が無くなるという喪失への恐怖とは、全く別の恐ろしさだ。
「……レイ、そうだ、僕は、御厨、玲」
少年の口から零れた声は、少女たちが聞き慣れた物では無かった。男のような、女のような、大人のような、子供のような、老人のようでもある。幾つもの声が重なり一つに束ねらえたような、それでいて無機質な響きを秘めていた。
誰のか分からない声は続く。
「僕は、御厨、玲―――なのか?」
唐突な疑問符にリザは心臓を掴まれたように胸が苦しくなった。足が震え、その場で立っているのが難しくなる。それでも、この状態のレイが言葉を返していることに一縷の望みを託した。
「そ、そうです。貴方は《ミクリヤ》のレイ。私達の主です」
言葉は正しく伝わったのか。
レイはリザの方へと視線を合わせたまま、一言口にした。
「―――違う」
「違う? いいえ、そんな事はありません。貴方は、貴方様はレイ様です! お忘れですか!?」
悲痛な、聞く者の心を揺さぶる叫びは、しかし本当に届けたい相手には届かなかった。レイは虚ろな瞳のまま、否定の言葉を重ねた。
「違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違うちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう」
呪詛のように連なる否定の言霊。頭を振り、虚ろな瞳が深淵に繋がる穴のようだ。その異常過ぎる光景に、リザは知らずの内に半歩退いた。今のレイの傍に居たくない。離れたくて仕方なかったのだ。
本当に、『魔王』による魔人化だけが進行しているのか。何か、余計な物まで開いてしまったのではないかと思ってしまうほどの狂乱振りだ。
全員が絶句している中、闇に変化が起きた。際限なく広がろうとしていた闇の輪郭が震え、一気に持ちあがったのだ。異変を察知して飛び退く《神聖騎士団》の面々を無視し、闇はレイの体を包み込んだ。
「しまっ、レイ様!」
リザが叫ぶも一歩遅かった。闇はレイの全身に巻き付き、さながら布のように隙間なく覆い尽くそうとしていた。足の先端から、指の先、そして頭の天辺までを闇が絡みつき、ついでとばかりに龍刀をも飲み込んだ。
『ぬうぅ! 此方からも手は尽くすが、レイを助けには其方らの力が―――』
コウエンの言葉は最後まで伝わりきらず、闇は龍刀から紅蓮の輝きを奪い、光を飲み尽くす純黒で覆い尽くした。
そして、闇がレイの口元を覆う寸前、少女らは確かに聞いた。まるで迷子になった子供が助けを求めるかのように囁く声を。
―――僕は―――だれだ?
そして、沼のように広がっていた闇は、たった一人を縛りつける拘束衣へと変貌した。
奇妙な姿だった。
首から下は、皮膚を剥いだ筋肉を模したかのような鎧が覆い、心臓と繋がっているかのように脈動する。頭部を包み込むのは卵の形をした兜だ。何の意匠も施されていない、つるりとした曲面を描くそれは、表情や感情を削ぎ落したかのように映った。
その曲面の一部が割れると、無機質な、それでいて人の恐怖を煽るような金色の左目が姿を見せたのだ。
読んで下さって、ありがとうございます。
次回の更新は二十九日月曜日頃を予定しております。




