8-13 変貌
石で出来た舞台は、観客の熱気とは裏腹に酷く冷たい。
触れた肌から熱が奪われてしまいそうだ。
円形に抉れたわき腹から、無遠慮な指で掻き分けられるような激痛が波のように何度も押し寄せ、体が熱くなる。その熱を吸う石舞台は、どこまでも冷たいまま。
これは不味いなとレイは思う。
読み違えたと、この結果に到ってから結論付けた。
読み違えたのは、レイではなくマクスウェルだ。
ゲオルギウスの精神構造から、相手がどのような行動を取るのか予測しきった彼でさえ、たった一点読み違えてしまった。それは鎧の魔道具の核となる部位が何処なのかという点だ。
どんな魔道具であっても破損すれば、修復する必要がある。破損率が高ければ修復することは出来ず、また魔道具にとって核となるべき場所が破損されれば率に関係なく効果を失ってしまう。
マクスウェルを含めた全員が鎧の魔道具という言葉に踊らされて、胴体の部分が核であると思い込んでしまった。
実際は違う。
鎧の魔道具、アプロクシメートリの核は兜だ。
その兜をケラブノス石で破壊されたことによって、ゲオルギウスはレイの能力値から解放され、本来の力を取りもどした。
だから、投擲された槍の凄まじき事。紙に一本の線を引いたかのようにしか、槍の軌道が映らず、防ぐどころか避ける事もできずに終わった。
加えて《全力全開》と魂の交換によって体力を著しく消耗した状態だ。筋肉は弛緩し、気力を振り絞っても動く気配すらしない。
血を流す体は動けず、激痛は意識を覚醒させるという生き地獄の中、レイは満足に動かせる瞳を四方に向ける。どうやら作戦は次の段階へと移ったようだ。
片方の耳がダリーシャスの鋭い弁舌を拾い上げる。内容までは聞き取れないが、アフサルを弾劾しているのだろうと判断する。だとすれば、そろそろリザ達が彼を守るために貴賓席に飛び込んだ頃か。
今回、レイが無事に帰ってくるのと同じだけ重要視されたのが、リザ達の安全だ。
何しろ対等契約を結んでいる彼女らが死ねば、レイも死ぬ。この死を与えたのが、概念殺しの権限を宿したゲオルギウスだったら、レイの《トライ&エラー》がどうなるのか誰にもわからない。もしかすると、一気に破壊されてしまう恐れがあった。
誰かが奴隷契約を破棄すればいいのではないかと提案したが、これをリザが頑なに拒絶したため、彼女らは絶対にゲオルギウスの前に立たないようにと厳命された。
その代わり、ダリーシャスの身辺を守る為に、持ち込んだ装備品を身に着けたら、貴賓席に向かうようにとマクスウェルは指示を出した。
倒れた位置からでは見えないが、作戦通りなら彼女たちは貴賓席の中の筈だ。
「いまのは、御息女か。しばらく見ない内に、随分と活発になられたようだ」
聞く者の背筋を震わす低いゲオルギウスの声が耳朶を震わす。彼はシアラを目にしたのだろうか。だとしたら、不味いのではないかとレイは焦燥に駆られた。
かつて、ゲオルギウスはシアラを、時が狂った氷の牢獄に閉じ込めた。
理由は復讐だ。
彼女の母にして、『魔王』フィーニスの娘がした裏切り行為を許せず、娘のシアラにまで手を出したのだ。彼女の暮らしていた、戦争から逃れた人々を虐殺し、彼女を死よりも辛い目に遭わした。そんな怪物がシアラを前にして大人しくしていられるのか、レイには甚だ疑問だった。
シアラ達の身に不穏な影が差す。動けずに投げ出された手足。その右手小指に巻き付いた三本の髪と、一つの約束をレイは思い出した。
彼女たちの元に帰る。
それを忘れたのかと自分を鼓舞し、立ち上がろうとする。
だが、自分の意気込みとは裏腹に体は付いて来れない。
元々、本人は気づいていなかったが、レイの体は崩壊寸前だった。例えるなら、見た目だけは綺麗だが、中身は虫に食われた果実のようであった。押せばあっという間に崩れてしまう。二度に渡る概念殺しによる死のイタミは、それほどまでに強烈だった。
ネーデの街でゲオルギウスに殺され死に戻った時は、体を休める時間はきちんとあったが、今回は違う。用心の為にと早めに起きてセーブポイントを作ったが、目覚めてから神前決闘までの時間が短すぎる。これでは回復なんて出来やしない。
それでも意思が体を動かした。
今にも崩れそうな体を、強靭ともいえる精神が内側から支え、神前決闘の舞台に上げてくれた。しかし、それも限界だった。
どうやっても、動かない体が悔しかった。
いつまでたっても、肝心な時に無力なままの自分に腹が立つ。
いつも、自分の行く手を遮る、限界知らずの怪物どもの存在が憎かった。
体の中で黒い獣が爪を立て這いずり回る。閉じ込められたそれが、出口を求めて撫でているかのようだ。
それが外に出た瞬間、何かよくない事が起きる。
言葉にするのも難しい、原始的な恐怖がレイの背筋を震わす。思わず、体を押さえつけるように丸まった。すると、視線の先のゲオルギウスが嗤ったように見えた。
この男はよく嗤う。
笑みの種類は大抵、嘲笑とか侮蔑かに分類されるが、それでも事あるごとに相好を崩していた。残忍なと形容されるが、その表情は腹立たしいほどに秀麗である。笑みとは、攻撃的であるなどと言うが、この男にはまさにそれが当てはまる。
戦いの匂いを嗅ぎつけて、この男は嗤うのだ。
魔人の手に、自らを貫いた槍が戻り、それが後ろに向かって振るわれると、ローランの大剣と交差した。途端、衝撃波が辺りを震わせた。蹲るしかできないレイにとって、それは台風と同じで、吹き飛ばされないようにするので精一杯だった。
ゲオルギウスは背後からの奇襲を察知し、完璧に対応してしまった。
それだけじゃない。彼はローランを囮とした《神聖騎士団》のコンビネーションも看破した。数秒遅れで観客席を飛び出した高位冒険者らが、一気にレイを救出するべく地面を滑るように走るのに対して、ローランを足場として蹴ると地面に対して水平に飛んだ。
そして無用となった鎧の魔道具を外すと、ぐるりと体を回して弾丸のようにはじき出した。流石に、それで手傷を負う様な事はないが、救出組は足止めされてしまった。その隙を狙ったようにゲオルギウスはレイに向けて槍の石突きを突きつけた。
喉を押され、気道が塞がれくぐもった悲鳴が漏れるが、ゲオルギウスは全く気にしない。
《神聖騎士団》の面々が取り囲むが、皆一様に表情が硬い。レイがゲオルギウスの間合いに囚われた上に、出血の量が多いのだ。石舞台にレイの赤い血が広がっていくのに比例して、命の残量は減り続けている。ミストラルが持つ回復魔法の中には、遠距離でも癒せる物があるが、今の状況で使ったとしても、レイの命を槍が貫く方が何倍も早い。
ゲオルギウスの出方を窺う事になったローラン。貴族然とした風貌に焦りが色濃く浮かぶと、レイは申し訳ないと呟いた。重傷を負った上に敵の人質になってしまったのだ。
足を引っ張っている。謝罪の言葉を幾ら紡いでも足りないが、残念ながら声は形とならずに雑音となって終わってしまう。
このまま、ゲオルギウスの道具として扱われるぐらいなら自殺をするべきじゃないか。
そんな考えがレイの脳裏に浮かんだ。
自殺を行えば、条件を満たすまでは《トライ&エラー》は使えなくなる。ゲオルギウスのような強敵を相手に《トライ&エラー》が使用不可になるのは、それこそ自殺行為だが、このまま出血により意識を失うよりかはまだ選択に自由がある。選択をするという自由が。
このまま死んで、ゲオルギウスの概念殺しに《トライ&エラー》を破壊されるよりかはずっとマシかもしれない。
リザやシアラに話せばネガティブな考え方だと説教されるかもしれないが、それが最善の手段かもしれないとレイは痛みで千切れそうな思考を繋ぎ合わせた。
右手で握る龍刀で首を貫こうとしたが、残念ながら持ちあがりそうもない。ならばとダガーへと手を伸ばそうとする。
すると、ゲオルギウスの低い、魂を冷たくさせる声が耳朶を震わせた。
「狙いはこの小僧のようだが、そちらとしても随分と重要視しているようだな」
「レイ君を渡してもらうぞ」
揶揄いが浮かぶゲオルギウスに対して、ローランは闘気を漲らせながら応じた。
今にも両者の激しい戦いが始まるのかと緊張が高まるが、どういう訳かゲオルギウスは別の方向に意識を向けているようだ。
レイを押さえつけていた槍が持ち上がり、力が漲るのを肌で感じた。
―――ちょっと、待て。
―――どこを狙っているんだ。
「貴様、まさか!?」
嫌な予感にレイの肌が粟立ち、マクスウェルの切羽詰まった声が余計に拍車を掛ける。開いた視界が、ゲオルギウスの殺気の矛先へと合う。
―――そっちは貴賓席の方角じゃないか。
「戦いの前に用済みの駒を排除させてもらおう。懐かしき顔が巻き込まれるが、それも致し方なしと言えよう。本来なら、三百年前に死すべき命。それが今日まで続いたのは偶然の産物である」
言葉の固さとは裏腹に、悍ましい感情が見え隠れしていた。この男は、この魔人は愉しんでいるのだ。殺戮行為そのものではなく、その行為がもたらす結果を愉しむ。
今ここで、アフサルだけでなくダリーシャスやシアラが死ぬことで、相対する者達がどんな感情を見せるのか、それを喰らうのがゲオルギウスにとっての娯楽だ。
何故なら、あの時もそうだった。
―――あの時とは何時だい?―――
時の繰り返しで消え去った光景。
自分以外、誰も知らない、覚えていない、世界すら忘却した出来事。
目の前で自分を助けようとした誰かを、ゲオルギウスはその槍で貫いた。
今になって分かる。あれは、そうする事で自分を激昂させ、絶望する姿を見たかったからだ。直後に放たれた合成魔法。あれで邪魔な人間を一掃したというのに、誰かを殺す時だけは、自分に見せつけていた。
―――そいつは酷い。許せないね―――
ああ、そうだ。
思い出せない誰かだけじゃない。シアラもそうだ。非戦の島に住む住人を皆殺しにしたうえで、シアラだけを生き残らせたのは、その方が愉しいと思ったからだ。
自らの快楽の為だけに人の生死を弄ぶ存在。
それを、許せるだろうか。
許せるはずがない。
許せるものか。
―――でも、今の君に何が出来る?―――
……何もできない。
四肢は動かず、命の灯火は尽きる寸前。
指輪の魔力は空となり、魂の交換も効果を切らした。
あるのは、この身を食い破ろうとする憎悪だけだ。
まるで黒い粘液のような憎悪が、血管に這入りこみ、全身を駆けまわっているかのような感覚に震える。だけど、今はそれを不快に感じていない。むしろ心地よいとさえ捉えている。
―――うん、なら、それを使えばいいよ―――
使う?
使うとはなんだ。
―――安心しな―――
―――使い方は分からなくても、一度、見ている―――
―――それに、君にはボクが付いている―――
いや、待て。
それ以前に、僕は誰と喋っているんだ。
―――君が微睡んでいる間に、全部終わるよ―――
―――次に目が覚めた時、それは君の新しい目覚めだ―――
自己の中から語りかけてくる甘い囁き。それはコウエンのような幼くも気高い意思と老練さが入り混じった声では無く。影法師のように達観と諦念が歯車のように噛みあった不気味な声でも無い。
例えるなら、変声期前の少年の如く清らかなでありながら、聞く者を不安の中に陥れる純白の声。
―――お前は……誰なんだ。
自らの裡で囁く声に向かって問い質すと、それは一瞬の間を置いて答えた。
―――君の同士だよ、レイ―――
それを最後に、レイの意識は泥のような暗黒に飲み込まれることになった。
そして、極限までに膨れ上がった憎悪が、殻を破り現出した。
ゲオルギウスの胸部から刃の形をした闇が突き出た。
魔人を取り囲む《神聖騎士団》の面々は一様に困惑した。なぜなら、そんな攻撃を誰も仕掛けていないのだ。ゲオルギウスの足元には重傷のレイが存在しており、さながら人質のように囚われていた。僅かながらに逡巡した隙を突くように、ゲオルギウスが槍を振るおうとした。先手を取られた形なのだ。
つまり、この闇の刃を生み出したのは《神聖騎士団》では無い。
だとすると、ゲオルギウスだと言うのか。
馬鹿げているとローランは浮かんだ可能性を吐き捨てる。
どこの世界に、自分の胸を貫く存在が居ると言うのだ。それも背後から、恐らく心臓の辺りを正確に狙うという。
ゲオルギウス自身、驚愕を顔に浮かべていた。自らの胸から生えたかのような刃を信じられないとばかり、黄金の双眸で見つめていた。
だが、ゲオルギウスは即座に動いた。前に跳ぶことで刃から逃れ、着地する前に反転するなり、ため込んでいた力を横薙ぎと共に解き放った。
衝撃波が背後の刃の形をした闇に向かって迫ると、刃の方に変化が生じる。それはぐにゃり、と形を崩すと、今度は円状に広がったのだ。
誰かがそれを見て、盾と呟く。
盾の形をした闇と衝撃波が競り合い、衝撃波が二つに分裂した。あらぬ方向へと軌道をずらした衝撃波が観客席へと突き刺さるのを、高位冒険者たちが身を呈して止めなければ、大惨事となっていた。
その間、盾は傷一つもなくそこにあった。
《神聖騎士団》でもなく、ゲオルギウスでもないとすれば、この闇を生み出したのはたった一人しかいない。
傷一つなかった盾の輪郭が震えると形を崩し、影のように石舞台へと染み込んだ。それと入れ替わるようにレイの体が起き上がった。
いや、起き上がると言うよりも、起こされたと表現するべきか。
レイの体に纏わりついているのは、先程と同種の、影のような闇だ。左目の下を走る古傷が開いたかのように純黒の闇があふれ出し、レイの足元を沼のように埋め尽くす。そこから、手の形をした闇が、レイの体を下から支えているのだ。
それだけじゃない。レイの体を、影のように闇は伸び、穿たれたわき腹の傷口を覆う。まるで包帯のように、体の各所に撒きついていく。
その異様な姿に全員が気圧される。歴戦の、それこそ六将軍が相手でも怯まなかった最上位パーティーが、たった一人の少年に圧倒されていた。そんな中、ローランが邪悪に染まりつつある空気を払拭するように叫んだ。
「レイ君。君の気持は分かるが、無茶はするな! その傷口は浅くない。治療が終わるまで動くんじゃない」
呼びかけに答えるどころか、反応すら起きなかった。レイの両目は朧げで、意識があるのかどうかさえ判別しない。
「マクスウェル。これはどういう状況なんだ。なにか、分からないのか!?」
パーティー内での参謀を務める友へと叫ぶと、いつもは理知に富む少年の相貌が、いまは恐怖に色濃く染まっていた。マクスウェルは服の上から、自らの胸元を強くに握りしめ、心ここにあらずといった具合だ。
舌打ちと共に視線を元に戻したローランが、低く嗤う声を拾い上げた。それはゲオルギウスの方からした。
「くっ、はははは! やはり、思った通りだ。運命を司る神とは、相当螺子曲がった性格をしている。よもや、この瞬間に開花するとはな。いやはや、これだから、この世は面白いのだ。しかし、陛下の影とは厄介な」
「ゲオルギウス! 貴様、何をした!」
烈火の如く激昂するローランに対して、ゲオルギウスは平然としていた。胸から魔人種特有の青い血を流しつつ、彼は肩を竦める。
「濡れ衣だ。この姿を見てみろ。哀れにも、奪った心臓をまたしても潰される始末だ。こんな無様な姿を晒す者が、自らを窮地に追い込むような行為をすると思うか」
「なら、レイ君の身に何が起きているのか知っているなら、教えろ」
「はっ! 教えろ? 教えろだと! よもや、法王庁に属する『聖騎士』からそんな殊勝な言葉が聞けるとはな。良かろう、私は寛大で慈悲深いからな。教えてやろう。あれは……陛下の憎悪だ」
陛下と聞き、頭に浮かぶのは一人しかいなかった。
「『魔王』フィーニスが、レイ君をあのような姿にしている訳か」
「様を付けろ。不敬だぞ」
ゲオルギウスの抗議を無視したローランは視線で先を促すと、魔人は嬉しそうに口元を歪めながら答えた。
「あの小僧は、陛下の憎悪の種子を埋め込まれ、それが開花したのだ。今此処に、七人目の魔人が誕生するのだ!!」
読んで下さって、ありがとうございます。




