8-11 三度目の決闘
開始の合図が天を震わすと、神前決闘に赴いた二人の戦士は、それぞれ対照的な行動を取った。
静と動。
夜闇をそのまま固めたような色合いの鎧を纏ったゲオルギウスは、奇形の二槍流のまま、悠然と構えていた。一見すると、気だるそうに立っているだけなのに、そこから隙を見出す事は微塵もできない。
先手を譲るという強者からの驕りや、どんな攻撃をも凌げるという自負が混濁している。
当たり前だ。
鎧の奥底に隠されたのは人魔戦役において、もっとも多くの戦場を駆け抜けた、六将軍最強と呼ばれた男である。手にした槍で多くの戦士を死に追いやり、唱えた魔法は無辜の民を悲鳴事飲み込んでしまった。
そんな存在にとって、レイは取るに足りない、路傍に生えた草程度の存在しかない。
互いの実力差は、蟻と象、いやそれを通り越して、蟻と星ほどの差がある。
例え、身に着けた鎧の魔道具の効果によって、能力値が同程度になったとしても、ゲオルギウス優位は微塵も揺るがない。
六将軍第六席ディオニュシウスから借り受けた鎧の魔道具、銘をアプロクシメートリという。複数の魔人種の血によって生み出されたこの鎧は、ローランやレイの予想通り、装着者の能力値を戦う相手の能力値に変化させる効果を持つ。
この世で最弱な存在がこの鎧を身に着けた瞬間、この世で最強の存在と同じ領域まで到達できる、夢のような魔道具……などという事はない。
この魔道具にはいくつかの欠陥が存在した。
まず、装備している間は魔法や戦技、技能の類が一切使えなくなる。更に相手が複数の場合、その集団における平均値に固定されてしまう。
こと、戦いに向いているとは言い難い性能なのだ。
それも当然と言えた。
そも、この魔道具の目的は訓練用だった。
人魔戦役が始まるよりもずっと前、まだ魔人種の国が誕生する前まで、魔人種たちは流浪の民だった。国を、定住する土地を持たない彼らが糧を得るために選んだ生業は傭兵だった。
常人を遥かに超える精神力、長い寿命は武を鍛えるのに適し、特異な技能に目覚めやすい彼らは傭兵家業に適していた。それでも、生まれた時から魔人種全員が戦士という事はない。どんな魔人種でも訓練は必要だった。
この鎧は教官役の魔人種が、格下の訓練生を相手にする際に用いられた道具だ。互いの能力値を同等にすることで、戦闘技術が生死を分けるという事を言葉ではなく拳で分からすために使われてきた。
ゲオルギウスが三百年の沈黙を破り地上に帰還し、仲間の元へ帰参した時、彼は幾つかの任務を任された。その一つに、帝国の将軍と身分を偽り潜入する任務があった。
これは厄介だとゲオルギウスは唸る。
何しろ、息をするだけで殺気を辺り一帯に振り撒く怪物。生半可な偽装では、直ぐに正体がばれてしまう恐れがあった。そこで、ディオニュシウスのコレクションから、この鎧を借り受けた。戦闘時に自動的に発動し、戦う相手に合わせて能力値を変化、というよりも低下させ、更には技能などを封印状態にしてくれる。これでゲオルギウスは正体を隠す事が出来た。
もっとも、非戦闘時には効果を発揮しない。だから、ゲオルギウスにとってガヴァ―ナの港町でレイと顔を合わせた時、兜の奥で渋面を作り、珍しく冷汗すら流していた。
ここで正体が露見すれば、フィーニスの与えた命令を完遂できなくなると恐れたのだ。
(流石にあの時は判断に迷ってしまった。あの場で、正体に感づかれてしまえば、この後に控えている祭りに影響したかもしれん)
その心配は杞憂となって終わった。レイは鎧の男に警戒の眼差しを送るだけで、その奥に隠れているゲオルギウスに気が付く事はなかった。
ゲオルギウスは知る由もないが、《トライ&エラー・グレートディバイド》のペナルティはレイの意識下で影に紛れるように働いていた。
かくして正体を隠し通したゲオルギウスは、今日という日を迎えた。
アフサルは心底、ゲオルギウスのことを帝国将軍ディオクレティアだと誤認している。
レイがどう考えているのかまではゲオルギウスでも読み切る事は出来なかった。それでも、龍刀を構え、引き絞られた矢のように吶喊するレイの姿に、恐れや躊躇が全くない事に気が付いていた。
龍刀から噴き出す炎が軌跡となって、あたかも尾のように伸び、ゲオルギウスは迎え撃とうとする。
しかし、レイは槍の間合いに入る直前になって、足を止めるなり己を鼓舞するように叫んだ。
「《全力全開》!」
赤の指輪に込められた魔法が、光の粒子となってレイの体に注がれる。指輪型の基盤という魔法工学の常識からずれている道具による魔法。それは歴戦の戦士であっても、未知の物体の為、普通なら対処に戸惑う。
だが、相手は普通では無かった。
ゲオルギウスは道具の方に着目せず、発動された魔法から狙いを看破した。
(肉体強化魔法とは。珍しい魔法を使うではないか)
兜の奥底で怜悧な顔が興味深いとばかりに歪んだ。
肉体強化系の魔法は、あまりメジャーな魔法では無い。
強化する面積と、上昇率によって効果時間が変化する。その上、新式魔法といえど、覚えられる魔法には限りがあり、短い時間しか発動できない魔法に空きを埋めるのを嫌う冒険者や戦士は多い。
それでも愛用する者は居り、事実、このゲオルギウスも似たような魔法を習得している。
レイの能力値が上昇するのと僅かに遅れて、ゲオルギウスが身に着けている鎧の魔道具が反応した。能力値が新たなる数値に更新されたのをゲオルギウスに示した。
その上昇率からレイが唱えた《全力全開》の効果時間を一分と看破。頭の片隅で秒数を数えだした。
(肉体強化による近接戦闘に持ち込む腹積もりなのだろう。おそらくこの鎧が魔法による強化を反映しないと判断して、強化した状態で押し切る作戦か)
同じ能力値に変化するならば、僅かにでも上昇すれば優位になれると、レイがそう考えたのだとゲオルギウスは思い込んだ。
だが、アプロクシメートリは当たり前のように、魔法で強化された能力値に対応し、変化した。これで姑息な狙いは崩れたのだ。
兜の奥で、魔人は獰猛に笑った。
「だとしたら、温いぞ、小僧!」
豪腕が唸り、二槍の槍が突風となって荒れ狂う。一歩でも間合いに入った瞬間、レイを串刺しにしかねない。
近づけるものなら近づいてみろと、言葉にせずに物語っているかのようだ。
そんな突風を前にしてレイは、一歩動く。
後ろへと。
困惑するゲオルギウスを尻目に、レイは龍刀に絡みつく炎を石舞台に向けて放つ。それは舞台上で、二人を別つ炎の壁へと変化した。
(どういう事だ。肉体強化の魔法を使ったのは、接近戦を行うからではないのか)
予想が外れ戸惑うゲオルギウス。鎧を通じて炎の熱気が伝わってくる。いまのゲオルギウスは耐久もレイの能力値となっているため、炎の壁に飛び込めばある程度の消耗は覚悟しなければならない。
一秒にも満たない時間、紅蓮に揺らめく炎を前にして考え込んだゲオルギウスは、わざわざ相手の罠に飛び込む必要はないと判断した。
槍を構え、炎に向かって突き刺し、散らそうとする。
しかし。
「むぅ! 鎖か!」
炎を突き破って出現したのは、炎で構築された鎖だった。先端が刃のように鋭くなっており、端から噴き出す火を推進力として空中を自在に動き回る炎の鎖。
ゲオルギウスには見覚えがあった。
ガヴァ―ナから逃亡するレイ達を追跡した時にレイが使用していた炎だ。
二本の鎖は、さながら蛇のように空中で身を揺らすと、一転してゲオルギウスの槍を絡めとろうとする。弾こうとするも、目でも付いているかのように優雅に躱されてしまう。無造作に槍を突きだしたのが裏目に出てしまい、二本の槍がそれぞれ鎖に絡めとられる。
(武器を縛る腹積もりか。そのための強化か!)
炎の向うに居るレイに向けて、ゲオルギウスは兜の奥で歯を剥きだしに吼えた。腕の筋肉が膨張し、槍を掴む手に力が入る。槍を奪われるものかと力任せに引いたのだ。
だが、その行為はゲオルギウスの予想を裏切る結果となる。
まるで赤子の手を捻るかのように、槍は自分の方へと引き寄せられた。想定した綱引きのような力比べは行われず、その手応えの無さに不気味さを感じ、直後金色の瞳にレイが飛び込んできた。
紅蓮の壁を突き破り、レイが単身突撃を仕掛けてきたのだ。
腕には鎖の根元が生えたかのように繋がっている。レイはゲオルギウスが引く力を逆に利用して飛び込んできたのだ。
「狙いはこれか」
「そういう事だ! 《砕拳》」
空中を舞うレイの体から精神力が一カ所に集中する。拳に宿る戦技をゲオルギウスが防ごうとしても、槍は引き戻した影響で、一手遅い。
レイの拳がゲオルギウスの兜に深々と突き刺さる。
拳と兜。
勝敗は―――兜に軍配があがった。
「くそっ! 固すぎるだろ」
レイは拳から伝わる魔道具の硬度に呻いた。戦技を纏った左拳に鈍い痺れが広がり、遅れて鈍痛がやって来た。これはヒビが入ったかと呻く。
「狙いは面白かったぞ!」
自らの兜に対して拳を突き刺した少年を称賛しつつ、ゲオルギウスは槍を振るう。レイは鎖を引き寄せる事で、槍の穂先を僅かにずらすことに成功するが、それは首に刺さる一撃が、胸当てに向かった程度だ。
《耐久》の加護が発動し、穂先を障壁が受け止めた際にレイはゲオルギウスから距離を取ろうとする。
しかし。
「ははは! どうした、残り四十秒。逃げ回る為に使いきるのか!?」
鎖に巻き付かれながらも振るわれる槍を凌ぎきれないでいた。レイの意思に反応してコウエンが微調整を加える鎖の妨害も何のその。槍は的確にレイを追い詰める軌道を描く。
同じ能力値同士でありながら、こんなことが起きるのは理由が明確だ。
ゲオルギウスはレイが鎖を操作する方向や速度に先回りするかのように読んで、それを織り込んだうえで対応している。いわば、戦闘に限定した未来予知を行っていたのだ。
経験と鍛錬が積み重なった先にしか存在しない極地を前にして、レイは身震いをする。
恐怖からではなく、ゲオルギウスが持つ技量の凄まじさに圧倒されていた。
だが、それとこれとは話が別だ。
どれだけゲオルギウスが武人として凄まじくとも、今は目の前に立ちふさがる脅威にしかすぎず、自分が生き残るためには倒すしかない。
レイの瞳に星のような強い意思が輝くのを、ゲオルギウスも見た。かつて相対した敵の中に、こんな瞳をした奴もいたと、刹那の間過去を振り返る。
もっとも、そんな相手も倒してきたのだが。
ゲオルギウスは二槍を持って、レイの首を落とそうとするも、その穂先は空を斬る事になる。外した事の原因は直ぐに理解した。二振りの槍にしつこく絡んでいた鎖が消えたのだ。
鎖の妨害を織り込んだうえでの一撃だったせいで目測が誤ってしまった。
それを見越したように、レイはゲオルギウスの攻撃圏から離脱することに成功した。
しかし、すでにその体は幾つもの傷を抱えていた。深手は無いが、傷だらけの姿がどれだけ不利な状況なのかを物語っている。また、ゲオルギウスの間合いから離れたとはいえ、その距離は僅か一歩。ゲオルギウスが踏み出せば、再び穂先は届くのだ。そして、《全力全開》が切れるまであと十秒しかないのだ。
そんな状況で、レイは叫んだ。
「コウエン、ありったけの炎を!」
紅蓮の刀身に褐色の少女が映りこみ、吼えた。
『承知ッ!』
豪ッ、と。振り抜かれた軌跡から大火がゲオルギウスに向かって押し寄せた。レイが現状で放てる最大級の火力が漆黒の鎧に向けて放たれたことになる。
まるで鉄砲水のように押し寄せる炎を前にしてゲオルギウスは動かなかった。
炎は一瞬でゲオルギウスを飲み込んだ。
観客席から悲鳴が巻き起こり、アフサルが口汚く、己の代理を罵ったがレイの耳には届かない。なぜなら、渦巻く大火の中で動く影を見つめていからだ。
瞬間、炎が風に吹き飛ばされる。
二槍の槍が竜の翼のように炎を散らすと、その中心に鎧の男は変わらずにいた。
漆黒の鎧は高温に晒され変形したのか、細部が溶けているが原型を留めている。
「……これで、終いなのか」
落胆の声が足音と共に発せられる。鎧の奥に隠されたゲオルギウスは存命だ。
「ああ、これで終わりだ」
《全力全開》が効果を失い、レイの体から力が抜けていく。
当然の結果だ。
前回の時間軸で、コウエンの炎が鎧の魔道具を打ち破ったのは、二度の《全力全開》を使用した上で魂の交換を行い、更に腕を犠牲にした劫火。
対して今回の大火は《全力全開》一回分。魂の交換もしたが、後先考えない炎では無い。
この結果になるのは想定内であり―――想定通りだ。
魂の交換による疲労から膝を着くレイに対して、ゲオルギウスは嘲りと落胆が入り混じったため息を吐いた。
槍を肩で支えながら、どうするべきかと考える。
(見た所、昨日まで破裂寸前だった聖印が、今日はどういう訳か穏やかになってしまった。これではいくら仕掛けた所で弾ける可能性は少ないとみるべきか)
視線はレイの目の下を走る傷口へと向いていた。
自らの体にもある六将軍の証に複雑な感情を向けていた。
フィーニスから祝福されたことへの身を焦がす嫉妬心と、自らと同じ物を人間種が持つことへの嫌悪感。
それらが入り混じりつつも、ゲオルギウスはフィーニスの意思を最大限酌むつもりでいた。この戦いでレイの聖印が発動するのなら、そのように仕向けるつもりだった。
ところが、こうも小康状態になってしまえば、それも難しい。
(だとしたら、小僧に構う必要はあるまいな)
元から、レイの事は主命には含まれていなかった。確かに聖印を目覚めさせるのは重要な事だが、ゲオルギウスにとって最も優先するべきなのは下された命令だ。
だから、ゲオルギウスは槍をレイに向けるのに、何の躊躇いも無かった。
「己が弱さを恨め。迷わずに御霊へと昇れ」
せめてもの慈悲とばかりに頭を向けて槍を放とうとして―――。
―――背後で爆発が起きる。
「な―――なんだとっ!」
ゲオルギウスはらしくも無く驚きを声に出してしまう。背中から感じる爆風と熱は相当な物だ。新式魔法に相当して上級以上はある。今のゲオルギウスにとって、それは致命的な威力を有している。なぜなら、まだ彼はレイの能力値なのだ。
即座に振り返り、何が起きたのか確認に回る。
首を振り、構えていた槍をそちらに向けるまでの一秒に満たない時間、歴戦の戦士は幾つもの可能性を思い描いた。
第三者の介入。神前決闘という場を無視した、レイの仲間による奇襲攻撃。もしくは全くの関係の無い、単なる偶発的な攻撃行為か。
あるいはレイの何かしらの陽動か。
いや、それはあり得ない。
レイが力無く、膝を突いている。何かしらの行動を取っていたはずがない。
ならば、この爆発は何なのだ。
振り返ったゲオルギウスは舞いがった黒煙に視界を塞がれる。それを槍で吹き飛ばし、下手人を葬ろうと動きだし、しかし足が止まった。
なぜなら、背後には誰も居なかったのだ。
無傷なままの石舞台をぐるりと囲むように観客席が広がる、変わらない光景がそこにあった。
それが何を意味するのか。
ゲオルギウスは気が付くも遅かった。
「小僧、レイ! 貴様がぁ!」
咆哮は二発目の爆発に飲み込まれることになった。爆心地はゲオルギウスの眼前。
振り返った時、金色の瞳は拳よりも大きな鉱石が、赤く、激しく点滅するのが映った。
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