閑話:冒険王 奴隷時代Ⅳ
どれだけの時間が過ぎたのか教えるかのように安城の手足は伸び、日々の過酷な労働で培われた筋肉はしなやかさと硬質さを兼ね備えている。顔つきも精悍さが増していき、形だけは大人へと成長していた。
日が射し込まないというのに、常に蒸し暑い横穴での発掘作業中、男たちは最低限の衣服しか纏わずに作業をする。そのせいで安城の若々しい体は松明の明かりに照らされ、妙な色気すらあった。
もっとも、それに負けて手を出そうものなら、容赦ない反撃を受けるのは、実行した者達ほどよく知っていた。
振り下ろしたつるはしが岩肌を削り、鉱石が顔を覗かせると、今度はノミのような道具を用いて鉱石を砕かないように慎重に掘り進める。それに気が付いた他の奴隷がしゃがみ込み、作業を手伝っていると、安城は背後で監視している兵士の方を盗み見た。
十年が経過しても、兵士たちが意識を改革するような事は無かった。奴隷たちの前だというのに、防具を外し、風通しの良い格好をした兵士は、蒸し暑い横穴の中で、手にした水筒からこれ見よがしに喉を鳴らして飲み干す。完全に油断している。
安城はその隙を利用させてもらう。
隣でしゃがみ込んで作業を行っているネズに対して、削った岩から零れ落ちた破片を黒板のように見立てて、文字を書きだした。それはどこか、アルファベットを崩したような字だ。
『JYOUKYOU HA DOUDA』
短く、手早く一文を書くと、それを手で払う。すると、今度はネズが同じ文字を使う。
『MONNDAI NAI』
それはエルドラドにおいてそれまで存在していなかった言葉だ。
ローマ文字、二十七文字をベースとして、主語、修飾語、述語の語順で構成されている。つまりローマ字表記だ。それをかな読みさせている。
全員が別々の場所で暮らすようになるまでの二年間で、幾度の試行錯誤を繰り返してできた、彼らだけの間に通じる言葉。この地獄のような片隅で生まれ、育まれた、もう一つの兄弟だ。
もっとも、単語を繋ぎわせた、言葉としては洗練されておらず、意思疎通をどうにか可能としている程度ではあるが。それだけに、他の奴隷や兵士らには意味は通じない。見られたとしても、それを文字だと知っていなければ、情報が漏えいする恐れはない。安全に連絡が取り合える手段だ。これを利用して、安城たちは集めた情報を整理し、作戦を伝達していた。
しかし、おかしな点もあると安城は首を傾げる。この世界には個々人で違う能力値が存在している。ステータスを本という形で見る事の出来る自分以外にその事を知っている者はいないが、この項目の名称は英語を使っているのだ。13神なりのサービスか何かなのか、それとも自分が知らないだけでアルファベットや英語が使われている地域があるのか。この辺りは不明のままだ。
『MINNA MATTEIRU』
ネズからメッセージに、心臓が高鳴った。
今日。
反乱は起きる。いや、起こすのだ。
安城の兄弟たち十一人に加え、下の世代、合わせて七十人が反乱の時を今か今かと待ち望んでいた。
残りの多くの奴隷や、兵士たちは自分たちが反乱を起こそうなんて微塵も考えていないはずだ。皆、この十年、泥水を啜るように耐え抜いていた。下の世代を奪い、奪われる螺旋に組み込まないように、必死になって抗い、護ってきた。彼らはそれに応えるように、反乱に協力してくれる。
脱落者は出てしまった。一人も死なないでくれという、安城の思いは破れ、五人の兄弟が土へと帰った。それでも、生き延びた者達は、明日への自由に渇望していた。
それでも、危ない賭けだと、安城は冷たい汗を拭う。
僅か七十人程度の蜂起では、兵士の対応次第ではすぐに鎮圧されてしまう。鍵は、他の奴隷たちが反乱に加わるかどうかだ。日和見主義とは言わないが、変化を望まない上の世代が、我が身可愛さに反乱に加わろうとしない可能性は十分にあるのだ。
だけど、延期する訳にはいかない。皆は今日を希望の日として歩んできた。それを取り上げれば、膝を屈してしまう。それに、条件的にも今日は最適な日なのだ。
「たっく。外が曇ってても、ここの蒸し暑さは変わんねえな」
横穴の蒸し暑さに文句を吐ける兵士。同僚の愚痴に同調するでもなく、鷹揚に頷く兵士たちを横目に、安城はこの天気こそ神の助けだと信じていた。
十年も暮らしていれば、今日が何日なのか知らなくても、ある事に気が付く。それは奴隷の配送時期だ。ここでは一定の年齢に達した奴隷同士で子作りをさせ、労働力を生産させているが、それでも足りない分を余所から集めている。それには大体の周期があり、今の時期は奴隷が送られてこない時期なのだ。
外からやって来た奴隷曰く、自分たちがこの採掘場に送られた時、脇を大勢の兵士で固められていた。おそらく、奴隷の逃亡を阻止するためや、強奪を防ぐためだろう。つまり、奴隷が来ない時期は兵士の数は少なくなるはずだ。
仮に、採掘場の兵士が運搬に関わっていなかったとしても、他所から兵が来る時期を避けるのは当たり前の話だ。
そして、今夜は新月。付け加えると、厚い雲が空を覆っている。雨季が来たため、ここ最近は天候が悪い。夜になれば、辺り一面は墨汁をぶちまけたような、濃い闇に覆われる。逃げるには打ってつけの環境だ。
今日を逃す手は無い。
ネズも、デクノも、ここに居ない兄弟たちも、同志たちも、そして何より安城も緊張していた。
手に汗が滲み、ノミを打つ音に乱れが混じる。気を抜けば、本当に成功するのだろうかと不安の影が足元ににじり寄る。
それでもと、自分に言い聞かせる。
(それでも自分が始めた事だ。どんな結末であろうとも、中途半端に終わらせる事だけは絶対にしたくない)
改めて覚悟を決めた、正にその時だった。外から作業の終わりを告げる鐘の音が、反響して鳴り響く。
―――それが合図の音だ。
「よーし! 作業を止めて、道具を箱に詰めろ!」
兵士の言葉が穴に響く。奴隷たちは草臥れたとばかりにため息を吐き、のろのろとした足取りで手にした道具を所定の位置に戻そうとする。
その流れに逆らって安城は狙いを付けた兵士の元へと近づいていく。安心しきったかのように背中を見せている兵士。ネズもまた、人ごみに紛れて、兵士の方へと移動している。彼らだけでない、別の横穴でも、外でも、不審な動きをした奴隷が大勢いた。
心臓が早鐘を打つ。これから始める事に、胃が軋む。それでも、こうするしかない。こうすると決めたのだ。
迷うなと自分に言い聞かせた。
「ん? お前、何をして―――っ」
言葉にならない、くぐもった悲鳴が兵士から放たれた。振り返った兵士は頬から突き刺さったつるはしの先端によって、大きく口が裂けてしまった。真っ赤な血が地面を濡らし、痛みで苦しむ兵士に向かって、安城はつるはしを何度も叩きつけた。
「ぎざ、ま、なに、を、がん、やめ、でぇ」
言葉が途切れる度に、つるはしが人を打つ音が挟みこまれる。手には顔の骨が砕ける感触が伝わり、数秒も経たない内に、顔を何度も貫かれて穴だらけになった兵士は地面へと横たわった。
悲惨な死体は一つでは済まなかった。ある所では奴隷が振り回したスコップによって殴打された兵士の首があらぬ方向に折れ、ある場所ではノミで目を潰した兵士から奪った剣を奴隷が渾身の恨みを込めて振るっている。惨劇はあっという間に始まり、誰も止める間もなく終わった。
多くの奴隷が、その光景を呆気に取られて見つめていた。理解が追いつかないとばかりに呆然と立っている。
動かない死体を前に、荒い息を吐く安城。事情を知らされていない奴隷の一人が、金縛りから解放されて叫んだ。
「お、おい、お前! な、何をやったのか、分かってるのかよ!」
「何をって、兵士を殺したんだ」
「ふ、ふ、ふざけるなよ! 兵士を殺しちまったんだぞ。お、俺達、皆殺しにされちまうぞ! お前、お前、お前ら、正気なのかよ!?」
それは当然の思考だった。主に反抗した奴隷となれば、待っているのは死だ。直接加わっていなくても、同類扱いされてしまう。
一人が安城を罵ると、それに習えとばかりに多くの奴隷が異口同音に非難をしだす。非難の合唱が横穴に響く中、安城はつるはしを振り下ろした。
物言わぬ骸から水音が響くと、合唱がぴたりと止んだ。跳ねた血が顔を汚した。
「それで? お前らは、俺達を非難して、罵って、それで満足なのか。お前らはこの終わりが決まっている螺旋にずっと残っているのか」
この十年。いや、この地に生まれ落ちた時からため込んでいた感情が爆発する。
「俺は嫌だね! 自由を知らず、外を知らず、不条理な社会に縛られたまま、死んでいくのは。区切られた空しか知らないまま、死にたくない。だから、自由を得るために戦うんだ! ついてくる奴がいるなら、一緒に戦え。そうじゃないのなら、大人しく縮こまっていな。運が良ければ、生き残るかもしれないからな」
卑怯な言い方だと自覚していた。この世界がそんなに甘くないのは自分も知っている。兵士が死んだ以上、奴隷たちが生き残るには、自由を勝ち取る以外無いというのに。何より、彼らの協力なしには反乱は成功できない。
安城にとって、ここは最初の山場だった。
誰もが身動きを取れないまま、時間だけが過ぎようとする中、最初に安城を罵った奴隷が、ゆっくりと歩き出した。その手にはつるはしが握られている。それをゆっくり構え、振り下ろした。
水音が響く。穴だらけだった兵士の顔に、新しい穴が生まれ、血があふれ出す。
「戦ってやる。俺だって、俺達だって自由が欲しいんだ! 皆だってそう思っているんだろ。こんなクソったれなごみ溜めで、死にたくないよな!!」
「……ああ、そうだよ。俺だって戦ってやる!」「くそ、くっそ、くっそ。やられるぐらいなら、やってやるよ」「こうなったら自棄だ! 兵士たちを血祭りに上げてやる!」
一人の叫びに呼応して、怒号が広まった。手にした武器を掲げて、男たちは血走った瞳で上を睨む。その先にある、自由を見据えたかのように。熱狂はこの横穴以外にも広まっていた。厚い土で遮られているというのに、まるで吼えるかのような絶叫が伝わってくる。
異常なほどの熱気に包まれる中、安城は近づいてきた奴隷へと声を掛けた。
「演技、ご苦労様。お前は、ここの指揮を。俺は自分の部隊を率いて、外の兵士と、上の兵士を襲う」
「分かった。後は任せておけ。上で合流しよう」
親しげにやり取りを交わす両者。彼は同士の一人だ。反乱を声高に非難し、周りを煽った上で、一番に非難した人間が賛同するという流れが出来上がれば、自ずと周りもそれに続く。そのきっかけを生むためのサクラだ。安城は外の様子を確認するべく、仲間と共に走り出した。
採掘場において、日が地平線に沈む光景を見られるのは、兵士だけの特権だ。すり鉢状の盆地の底、その僅かな部分でしか暮らせない奴隷たちにとって、太陽とは斜面の影から現れ、斜面の影に隠れる物でしかなかった。
すり鉢状の盆地の縁から兵士たちは沈む夕日を眺めていた。ここでの仕事は退屈だが、兵士たちからの人気は高かった。
いま、世界中でモンスターの活動が活発化している。日夜どこかしらの迷宮で程度に差はあれどスタンピードが発生し、モンスターが狂ったように子供を産んでコロニーの拡大を狙い、そのためのエサとして人間を襲っている。
どの国でも兵の増員が叫ばれ、国防に血税を注ぎ込んでいた。この採掘場で取れた鉱石は兵士たちの武器や防具として生まれ変わる。
そんな中でこの近辺ではモンスターの姿はあまり確認されていなかった。迷宮も存在せず、コロニーもまだ小規模な初期段階の頃に駆除してきたお蔭で平和だった。それに採掘場の地形からも一種の要塞となっており、他国が攻めてくる心配もない。
兵士たちからしてみれば天国のような職場なのだ。
辺鄙な土地で女や酒は手に入りずらいが、このご時世、兵士に宛がわられる職務はモンスター退治。顔も知らない貴族の領地を守る為に派遣されるのはまっぴらだと、ここを希望する兵士は後を絶たない。
唯一気をつけないといけない奴隷たちは、奪い、奪われる螺旋に自らを組み込んでいっている。一握りの奴隷を恐怖と痛みで支配し、その奴隷たちが自分よりも弱い奴隷を襲うように仕向ければ、あとは簡単だった。下に向いて渦を巻くように、暴力の螺旋が生まれた。
そんな環境で産み落とされた奴隷の子供たちは、骨の髄から学んでいる。ここでは奴隷たちこそが敵だと。手を取り合って団結しようなんて誰も考えない。
奴隷たちが兵士に対して反抗を試みたり、反逆を行うという事はあり得ないのだ。
それが全兵士の中で共通した認識だった。
―――だから、彼らは地の底で雄叫びを上げている奴隷たちの事を、認識する事すらできないでいた。
横穴を飛び出した奴隷たちは、血走った眼で採掘場の中を上から下まで舐めるように見まわす。奴隷と兵士の違いは一目瞭然だ。彼らはいつも金属の鎧を身に着け、居丈高に振る舞っている。遠目からでも、日が沈んだ時でも、即座に見つけ出す事が出来る。
先頭を切って走るのは、安城らよりも若い奴隷の子供たちだった。彼らはこの十年間、常にこの日を夢見ていた。
安城とその兄弟たちから教えてもらった、自由という言葉。世界を広げるおとぎ話の数々。それらが今まさに手に入らんとする時なのだ。
遮二無二になって駆けだすと、まるで一番を争うように兵士にシャベルやつるはしを突き刺す。むき出しの顔や頭を重点的に襲われた兵士が、今わの際に思ったのは、こいつらは何なんだという疑問だった。
日々の苦役に顔を歪ませ、天に見離されたかのように頭を下げていた。反抗するという意思は削がれ、日々を慢性的に過ごし、死んでいくだけ。それがどうだ。汗を玉のように噴き出し、顔から火が出んばかりに赤らめ、野生動物のように目を爛々と輝かせる姿は。
本当に同じ存在なのか。
本当に同じ人間なのか。
自分たちはこれまで、奴隷を動物のように扱って来た。餌を与え、時に厳しく、時に優しくしていれば、素直にいう事を聞く。それが不条理だとも、不幸な事だと自覚しながらも、抗うという事せずに受け入れる。
知無き獣。
だが、それが甘かった。確かに、これまでの彼らに知なんて無い。単なる獣と一緒だった。
誰かが、そこに知恵の実を与えたのだ。それはきっと暴力的な甘さをしていたのだろう。自由への意思を持てなかった奴隷たちに、これだけの衝動を与えたのだ。
「じぐ、じょう。誰が……誰がやりやがったんだ」
自らの頭から噴き出す血が、つるはしが開けた傷口を伝って口に流れ込む。兵士は区切られた空を見上げながらこと切れた。
そんな兵士の体に奴隷たちは群がった。
別段、彼を食べるという訳では無かった。奴隷たちは素早く、それこそはぎ取るかのような乱雑な手つきで兵士の死体から装備品を剥がしていく。その際に動かなくなった体がおかしな方向に捻じれるのも構わなかった。
「兵士から奪える物は全て奪え! 急げ、急げ、急げ! 向うが態勢を立て直す前に、ケリを付けるぞ!」
斜面の上から安城は叫ぶが、はたして全員の耳に聞こえたかどうか。ともかく、盆地の底では兵士に対する殺戮と略奪が順調に進んでいる。
酸鼻極まる光景の筈だが、安城の胸に去来していたのは高揚だった。その事に気が付くと、随分とこの世界に染まったなと苦笑を浮かべてしまう。
共に並ぶネズが苛立った様子で、
「おい、にーにー。まだ、終わってないだろ。なにボケっとしてんだよ」
「いや、済まない。そうだな、まだ終わってないな。全員、聞け! 下での戦闘は此方が有利だ。だから、俺達はこれから上の縁の部分に向かう。目についた兵士を片っ端から殺して回れ! 全員、走れ!!」
安城の檄に全員が体を震わした。自らの体を突き破りそうな熱を糧に、走り出す。傾斜のきつい斜面に打ちつけられた足場は、十数人の奴隷の熱意に軋み悲鳴を上げる。
円形の採掘場。奴隷たちに許されたのは、地の底と横穴だけだった。空を区切る縁の部分は、奴隷として生まれ、ここ以外を知らない安城にしてみればスタートラインのような物だった。あの縁より向うに自分を待っている世界がある。そこを見る事もなく死んでたまるかと、いつも自分を奮い立たせていた。
今まさに、そこへ辿り着こうとしていた。
下の異変に気が付いた兵士らが列を成して押し寄せようとするのを、安城は邪魔だと言わんばかりにつるはしを振り下ろす。
鋭い切っ先が爪先の先端に食い込み、兵士が悲鳴を上げ、足を止める。その隙につるはしを持ち上げ、反対側の先端で顎の下から突き刺した。口から弧を描くつるはしの先端が飛び出た。
続いて次の兵士を狙おうとして、失敗に悟る。
つるはしが抜けないのだ。
顎の骨か、歯か、何かに引っかかってつるはしが抜けなかった。
安城は仕方ないと呟くと、重傷を負った兵士が腰に佩いているロングソードを引き抜いた。軽く持ち手を握ると、棒立ちとなっている兵士を後ろへと突き飛ばした。
同僚の無残な姿にたたらを踏む兵士たちの、恐怖心に付け入るように安城は迫る。剣の柄尻で兵士の顔を殴打すると、足払いを掛け転倒させる。即座に武器に手を伸ばそうとする兵士に向けて剣を振り下ろした。
綺麗な弧を描いたロングソードは兵士の手首に食い込むと、骨の固い感触を伝えてくる。
「ふむ。流石に、切り落とすまでは行かないか。ならば、と」
武器を抜けなくなった兵士に向かって肩からぶつかる。突然の行動に驚いた兵士は為すすべなく転倒するも、すぐさま起き上がろうとする。だけど、安城はさせまいとばかりに、胴体を足で踏みつけ、腕に突き刺さったロングソードを抜いた。
先端が兵士の血で赤く染まった刃を、兵士の首筋に向けて突き刺した。
何の躊躇いもなく、刃が首に埋まる。兵士は目が飛び出しかねないほどの形相で空を、安城を睨んだまま血を吐いて絶命した。
剣を引き抜くと、周りの様子を確認した。
安城ほど手早く兵士を殺せている者は少なかったが、おおむね優勢だった。事前に説明した通り、兵士一人に対して必ず三人で戦えるように場所を取っている。
一人が攻撃を浴びている間に、残りの二人が兵士を襲える必勝法だ。日本における赤穂浪士の討ち入りで実証された戦法に間違いはないと安城は頷いた。
風が強く吹いた。闘争で火照った肌には心地よく、安城は思わず目を外へと向け―――息を呑んだ。
西の方角に、今にも潰れて消えそうな、輪郭がぼやけた赤い夕陽が見えたのだ。十八年ぶりに見る夕日に、呆然と立ち尽くしていた。
「ああ、やはり美しい。異世界でも夕日は美しい」
真っ赤に染まった太陽が照らす世界。遠くに緑の群集が見え、河川がうねり、山々が折り重なるように連なっている。
これが世界。
これがエルドラド。
転生して以来、初めて見る夕日に安城の心は震えていた。それは夕日が完全に消えるまで、彼の心を離そうとはしなかった。そんな彼に向かって、兄弟の一人が声を掛けた。
「にーにー。こっちは終わったぞ」
その声に反応して、安城は分かったと返し、改めて周囲を見回した。
太陽が沈み、今宵は月が姿を消す新月。星を隠すように厚い雲が空を覆っている。あっという間に暗くなった周囲で、松明の火がつけられていく。
それは盆地の底でも同じだった。上から見下ろすと、鍋の底が抜け燃えているようにも見える。
松明の明かりは作戦が順調に進んでいる証明だった。盆地に降りて行くための足場は数カ所あり、それら全てがこちらに落ちたことを意味している。
下では兵士が全滅し、そこから武器や防具をはぎ取った奴隷たちが列を成して大挙して押し寄せ、後方に女子供が続く。
盆地の底に残ろうとする者はいない。残れば待っているのは死よりも厳しい罰かもしれないのだ。ならば、生き残るために立ち上がろうと決めた。狙い通りに進んだ。
作戦は順調と言えたが、まだ半分程度しか進んでいない。
外から来た奴隷たちの情報から、この採掘場が三つの構造から成り立っていると判明した。
奴隷たちが発掘の為にと掘り進めているこの場所は、実は切り立った崖に囲まれていた。縁に申し訳程度に建てられた柵から眼下を見下ろせば、底なしの闇しか見えなかった。
落ちればまず、助かるまい。
地上と唯一繋がっているのは巨大な橋のような一本道だけだ。情報通り、遠目からでもそこが遮蔽物などで遮られている様子は無かった。
問題は、その奥だ。
周囲を崖で守られている採掘場の、唯一の通路を塞ぐように、向こう側には砦が築かれている。日が沈み、遠目という事もあってか、輪郭がぼやけてしまう。それでもそれなりの大きさをほこっているのは分かった。
内部構造も、中で何人の兵が詰めているのかも全くの不明だ。
ここが難所であるのは、間違いない。おそらく、こちらもそれなりに被害を出すだろう。それでも奴隷たちの心に恐れの影は薄かった。
兵士たちの力量が想像以上に低かったからだ。今まで、居丈高に振る舞っていた存在の、化けの皮が剥がれた。奴隷の反乱という、備えて当然の可能性に全く無警戒だった彼らはあっと居間に殺され、身ぐるみを剥がされた。
いままで、自分たちが怯えていたのは何だったのだとばかりに、奴隷たちは兵士の無能ぶりをあざ笑い、ここまでの勝利に酔ってもいた。
そして久方ぶりの、あるいは初めての地上に驚いたり喜んだりしている奴隷たちを前に、安城は叫ぶ。
「皆! ここが正念場だ。おそらく、砦の兵士たちは採掘場の兵士たちが戻っていないことに不審がっているはずだ。待ち構えているかもしれない。けれど、あの橋を渡り、砦を落とせば、その先は自由が待っている。分かるか!? 自由だぞ! 何かをするのに、兵士の目を気にすることなく、どこにでも行ける。人間が生まれた時から持ち合わせている、当たり前が、そこにあるんだ!! 俺はそれが欲しい。皆は、どうなんだ!? 欲しいと思う奴だけ、前に出ろ!」
無数の足音が一つに揃った。
居並ぶ奴隷たちの集団は一歩だけ前に進む。
それが答えだと安城は頷いた。
「さあ、自由を掴みに行くぞ!!」
読んで下さって、ありがとうございます。




