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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第7章 熱砂の国
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閑話:散髪

 大海原を一隻の船が進む。うねる海面に白波が立ち、帆に風を受けてぐんぐんと加速する。船員たちが甲板の上を右往左往し、船乗りの歌を共に歌う。


 牧歌的ながらも冒険心をくすぐる光景の片隅で激しく交差する影が二つあった。


 白髪まじりの黒髪を揺らす少年と、金色に輝く長髪を一つに纏めた少女だ。


 レイとリザの二人が剣を手にして戦っていた。


 防具を付けておらず、その代り武器は刃を潰した片手剣だ。もっとも、当り所が悪ければ死んでしまうおそれもある、危険性が無いとは言えなかった。何より、その剣を振るう二人に手心は無く、物騒な表現をすれば相手を殴殺しかねない速度で切り合っていた。


 もっとも、二人ともそれなりの修羅場を潜り抜けて来たからか、互いの攻撃をちゃんと躱し、避け、防いでいた。


 また、もしもの時に備えて、レティが手製のポーションや包帯、湿布などを用意して傍に居た。欄干に背中を預け、飽きもせずに戦う二人を見つめていた。


「何だか思い出すなー。前もこうして戦ってたんだよね。船の上で、あの二人」


「そうなの?」


 エトネが萌黄色の瞳に好奇心を宿らせてレティの方を振り向いて尋ねようとした。ところが、その行動をエトネの後ろに立つシアラに怒られてしまう。


「ちょっと、おちび! 急に頭を動かさないでよ。こっちは鋏を持ってるんだから、危ないでしょ」


「ごめんなさーい」


 叱られ頭を真っ直ぐに向きなおしたエトネは、視線を水平線が見える大海原へと戻した。船室から運びだした丸椅子に座り、廃棄処分される帆に穴をあけ首を出している。それを見た時、レイはてるてる坊主と似ているなと呟いていた。


 てるてる坊主となったエトネの後ろで、シアラは櫛で髪を梳きながら鋏を入れていた。


 しゃくり、しゃくり、と軽快な音を立てる鋏。緑と灰色が斑に混じった髪の毛が海風に煽られ飛んで行く。風下で散髪をしているため髪の毛が船員の顔にめがけて飛ぶようなことは無かった。


「それで? さっきの話の続きだけど、あの二人は前もこんな船の上で戦ってたの? なに、あの二人って昔は仲が悪かったの。ワタシが初めて会った時も主様、切られそうになってたじゃない」


「ええっ! そうなの、レティおねいちゃん」


「あはは。血の気の多い姉がご迷惑をおかけします。……まあ、奴隷市場の時を除けば、お姉ちゃんがご主人さまを本気で殺そうとしたことは無いよ。前のも訳アリの決闘だったしね」


「……やっぱりあの時は本気だったてことじゃない。それはそれで、問題よ」


 だよねー、とレティは己の姉を生暖かい視線で見つめていた。ちょっとポンコツな姉を見る妹の視線に気が付かないまま、リザはレイとの手合わせに熱を上げる。


 互いに同じ片手剣。肉弾戦に関わる能力値アビリティは敏捷以外ほとんど同じ。となれば勝負を別つのは己の戦闘経験とセンスだ。


 リザは帝国で最も研究され、改良されている剣術の基礎を修めていた。幼少の頃に孤児院にて護衛の元騎士や、時折遊びに来ていた父や兄から教わっていた。


『勇者』によって全てが燃やし尽くされた時からは、鍛えた基礎に実践において有用な戦術や、目にしてきた戦士たちの剣筋を取りこんだ。いまの彼女の剣は、戦闘で鍛え上げられた剣術である。


 対してレイは、エルドラドに来るまで戦闘のせの字も知らないような平和な時代に居た。剣の振り方も、最初は見様見真似。振った剣で自分を切らないように気をつけるので精一杯だった。


 それがオルドやミラースライム、ディモンドとの特訓で大分真面まともになってきた。また、エレオノールとの戦いを経て、一つ戦い方に変化があった。


 リザの横凪を躱すさい、後ろのマストの側面を蹴って宙を舞う。リザの背後に着地した少年は、剣を振り終えて無防備になった少女のわき腹を目がけて下から剣を振り上げた。


 ところが、その剣の軌道は途中で変えられてしまう。リザが後背に向かって回し蹴りを放ったのだ。顔面に迫る足裏を、剣の側面で防ぐ。防御に回ったレイは、衝撃を殺すのと距離を取るべくワザと甲板を転がり、欄干まで退避した。すかさず攻撃を加えようとするリザ。


 一気に距離を詰めようとするリザに対して、レイは欄干へとひらりと飛び乗った。足の面積の半分もない細い欄干。潮風や波で揺れる足場だというのに、足裏が接着しているのかと疑いたくなるほど微動だにせず、レイは欄干の上を走る。


 リザは並走しようとしたが、自分の不利に気が付いた。高低差もあるが、欄干の上では攻撃できる方向が限定されてしまう。流石に海上に出てから攻撃するという事は出来ない。


 攻めあぐねるリザ。その隙にレイは十分安全な距離を確保してから欄干を降りた。


「今日は随分とんだりねたりしますね。カエルを師匠にしたのですか?」


「そっちこそ、随分とやり難そうだけど。息が上がっているよ」


 レイの指摘にリザは口元を押さえる。確かに、レイが縦横無尽、とまでは行かなくても戦場を広く取るのに付き合い無駄に走らされていた。


 息もわずかではあるが弾んでいた。


 アクアウルプスにおいて、エレオノールとの戦いを潜り抜けたレイは、真面な剣術も習っていない自分が取れる、格上との戦い方を身に着けつつあった。


 それは相手の土俵に乗らず、徹底的に相手の嫌がる事を繰り返すのだ。エレオノールは天才的なまでに、自分の嫌がる事を繰り返していた。それが故意なのか、偶々なのかは分からないが、大いに参考になった。


 リザがスピードで相手をかく乱しつつ、真っ当な剣術で相手を削るのなら、自分は距離を取り続け、空間を大きく取る事で的を絞らせないようにする。


 その為ならぶしねる。


 リザはどちらかと言えば、平面の戦いに特化しすぎている。高低差がある相手を前にすると、その相手に振り回される癖がある。そこをレイは突くことで、どうにか実力差を埋めていた。


 実際、正面から剣を交わせば、十合以内に打ち負けるだろう。《ラプラス・オンブル》を使わなくても、それぐらいは分かる。


 とはいえ、これは手合わせ。相手を屈服し、勝利をもぎ取る殺し合いではないのだ。リザの弱点を明らかにしたのなら、今度は自分の弱点と向き合わなければならない。


 剣を中段に構え、レイはじりじりとリザとの距離を詰めようとする。するとリザも同じように剣を中段に構え、にじり寄り始めた。


 途端、リザの体から透明な、それでいて鮮烈な空気が流れ始めた。一定以上の戦士が相手を倒すという気迫を前面に出す、闘気だ。


 思わず、レイは近づきたくないなと率直な感想を抱く。自分が断崖絶壁の方へと歩を進めているかのように錯覚してしまう。リザもこれまでの旅の間に大きく成長した。特に、アクアウルプスにおいて、エレオノールを単身で瀕死まで追いやった。


 強敵を倒せなかったとはいえ追い詰めたことは自信となる。自信は力に繋がる物だ。いまのリザは、ステータスは成長していなくても、戦士として階段を一つ上がっていた。


 仲間の成長に嬉しく思うと同時に、遠ざかる背中をさみしく思う。彼女がこれまで築き上げた武に易々と近づけるとは思っていないが、それでも近づきたいとレイは望んでいた。


 いつの間にか、二人の剣先が触れるほどの距離まで近づいていた。視線は一点では無く、全体を満遍なく見つめる。ディモンド曰く、行動の起こりとは剣先では無く、重心の傾きや、僅かな視線のずれだという。だから、一点に集中するよりも全体を見つめる方が相手の行動を感じ取りやすいそうだ。


 海風に金色の長髪が揺れ、視界を黒髪が遮った。


 瞬間、リザの体が僅かにぶれた。


 レイが遅れたと気が付いた時には、右手にあった片手剣は宙を舞い、首筋にリザの片手剣が当てられていた。


「勝負あり、ですね」


 ぐうの音も出なかった。十合どころか、一合も打ち合えずに敗北してしまった。






「これで、ご主人さまの九戦九敗だねー。いよいよ、二桁の大台に突入しちゃうよー」


「こら、レティ! レイ様に失礼でしょ」


「気にしないで、リザ。事実だからさ。それより、汗を拭いたら、もう一戦お願いしてもいいかな」


「ちょっと主様。アクアウルプスを出て一日。ずっとリザと手合わせしてるじゃない。ちょっとは体を休めなさい」


 髪を切る手を止めたシアラが眦を吊り上げ注意する。レティから受け取った冷えたタオルで首筋などの汗を拭っていたレイは、落ちた雷に首を竦めた。


「全く。奴隷契約書ギアスロールに書きこんだ途端、これなんだから。リザも嫌な時は嫌と言いなさいよ」


「ふふふ。ありがとう、シアラ。でも、私もまだまだ大丈夫ですよ」


 体力が余っているとばかりに自分の胸を叩いてみせたリザ。その手の甲に刻まれている奴隷紋は、かつてのリザの蛮行を忘れていなかった。


 レイが異世界人だと知った彼女は、自分が探し求め、憎んでいる仇敵ゆうしゃの関係者かと思考を飛躍させ主となったばかりの少年を殺しかけた。奴隷紋は主に対して刃を向ける行為を禁じている。場合によっては、リザはその命を散らしかねない危険な行為をしていた。それだけ彼女の憎悪が深かったのだと、彼女の過去を知ったレイは理解できた。


 問題は、奴隷紋がその経験を踏まえて、主であるレイに対して刃を向ける行為を全て反逆と捉えかねないようになったのだ。それは手合わせであっても、反応する恐れがあった。


 そのため、レイは旅の間、リザ以外の者とばかり特訓を積むことになった。時には一人で剣を振る夜。ちゃんとした剣術を学んでいないレイにとって、闇雲に剣を振った所で得られるのは心地よい疲労感と自己満足だ。


 いまは、一回でも多くの血肉の通った稽古を積むべき。


 どうにかしなければと考えていた時、アクアウルプスで再会したジェロニモ・フェスティオがアドバイスをしてくれた。


 曰く、奴隷契約書ギアスロールに特記事項として手合わせの項目を作ればいい、と。


 アクアウルプスの奴隷商人を紹介してもらい、専門家の協力の元、リザの奴隷紋が反応しない手合わせのルールが作成され、奴隷契約書ギアスロールに記される事によって手合わせが出来るようになった。


「デゼルト国で反乱が起きたとなれば、今から向かう場所は想像以上の危険地帯かもしれません。レイ様が少しでも強くなりたいという気持ちはよく分かります。その手伝いにこの身を幾らでもお使いください」


 ただし、とリザは続けた。


「その前にレイ様。髪を切りましょう」


「……髪を切る?」


「はい。先の手合わせ。最後の一瞬、隙があったのは目に髪の毛が触ったからではありませんか」


 問いかけに確かにと頷いた。前髪が瞼に振れ、一瞬だがレイはリザから視線を切ってしまった。それが敗北に繋がったのは明白だ。


「ちょうど、シアラがエトネの散髪をしている所です。次、頼んでみたらどうですか」


「うーん。言われてみると、随分と伸びてきたな。頼めるかな、シアラ」


 考えてみれば、エルドラドに来て数か月。鏡を見てこなかったわけではないが、度重なるトラブルを前にしてそう言った普通の事に気を配る余裕が無かったのは否めない。前髪を摘まんでみれば、思っていた以上に伸びていた。


「いいわよ。おちびのがもう終わるから、っと。これで良し。エトネ、頭を海の方に向けて」


 エトネがケープを身にまとったまま椅子から降り、欄干に対して背伸びをしつつ頭を向けた。リザが落ちないようにと支え、シアラが桶に溜めた水で頭を洗い流した。


 夏の日差しに当てられ、ぬるま湯になった水を犬のように頭を振って乾かすエトネ。水しぶきが散弾のように飛び散った。


「きゃあ! エトネ!」


「おちび、やめなさい! まったくもう。ちゃんと拭いて乾かすわよ」


 畳んであったタオルを掴むと、シアラは首を振るエトネを捕まえ髪を強引にふき取る。じたばたと暴れるエトネではあったが、タオルの中から笑い声が聞こえてくる。


 数分後。さっぱりとしたエトネが満面の笑みを浮かべて甲板に腰を下ろしていた。


「あとはしばらく日差しを浴びてれば乾くでしょ」


「ありがと、シアラおねいちゃん」


 はいはいとお座なりな返事をしたシアラは、甲板に残った髪の毛を箒で集め、海に投げ捨てて行く。レイはケープに着いた髪の毛をはたきつつ、散髪で軽くなった頭を触るエトネを見下ろしていた。


「意外な特技だね。まさか、散髪が得意だなんて」


 全体的に軽くしつつも、元の髪型を崩していないシアラの技術に感心していた。ところがシアラは肩を竦め、


「別に得意じゃないわよ。単に、今ある髪型を短くするのが得意なだけで、流行りの髪型なんてこれっぽっちも分からないわよ」


「それで十分だよ。それじゃ、改めて。よろしく頼む」


 エトネ用にと開けた首の穴に手こずりながらもケープを纏ったレイ。椅子に座り、シアラに背中を預ける。


「はいはい。……失敗しても、怒らないでよ」


「……そいつは失敗の度合いによるな」







 しゃくり、しゃくり、と。鋏が軽快な音を立てる。身動きを取るなとシアラに言われてしまえば正面の海を眺めるしかない。そうなると、どこまでも変化の無い海面を見続けると退屈してしまう。


 先程まで体を酷使していたこともあり、体の内側を疲労が鉛のようにこびり付いていた。気を抜けば、睡魔が忍び寄って来る。こくり、と頭が舟を漕ぎそうになるのをシアラが連れ戻した。


「ちょっと。ヘンな風に頭を動かされたら、全部が崩れちゃうわよ」


「分かってるけど、退屈なのと眠気が……なんか、話をしながらやろうよ」


「冗談じゃないわよ。こっちはナリメーチル単位で集中してんだから、話しかけないでよ」


 どうやら、レイが思っていた以上にシアラは神経を尖らせていたようだ。仕方なく、レイは話の相手としてリザを選んだ。レティはエトネにアクアウルプスで購入した絵本の読み聞かせをしているので手が離せなかった。


 船室に戻ろうとせず、欄干に凭れながら海を眺めるリザ。その背に靡くように垂れている金髪は三つ編みに結ばれていた。


「髪の毛で思ったんだけどさ、リザって髪の毛長いよね」


「え? ええ。そうですが、それがどうかしましたか」


 彼女も手合わせの疲労からかうたた寝をしかけていたのか大げさに驚きつつ返事をした。


「いや、奴隷市場に居た子とか、労働奴隷とか見るとさ。短髪の子が多いなって思ってさ。リザぐらい長い子はあまり見かけないよね」


「ああ、そういう事ですか。確かにそうですね。労働奴隷に限らず、戦奴隷も大抵は短髪が多いかと。やはり、長いとそれだけ清潔を保つのが難しいですから。……奴隷で髪の長さが喜ばれるのは、やはり性奴隷でしょうか」


 奴隷の条件として、一番に上げられるのは健康であるかどうかだ。どれだけ眉目秀麗であっても、一騎当千の強者であっても、病気を抱えているだけで商品価値が下がる。


 奴隷商人は特に運搬中に病人が出ないようにと徹底させる。大抵の奴隷商人は奴隷を一度に大量に運搬するため、一人が病気になればそれが蔓延する恐れがあった。


 それこそ全体を守る為に、一人を見捨てるという事もありえた。ギルドに登録してある正規の奴隷商人なら、そこで奴隷契約を解消し、適当な治療院に押し付けていくが闇ギルドならそれこそ


 表現は悪いが、品質管理の為に頭髪を短くさせている。その点で言えば、リザほど長い頭髪は珍しいと言えば珍しかった。


 彼女は、奴隷商人を護衛する戦奴隷だったとはいえ、長い頭髪というのは戦闘に不向きだと考えて切る女性冒険者も少なくないのだ。


 そう言った例を見てきたことで、ふとした疑問がレイの中で湧き上がっていた。


「私が長髪を維持しているのは……母との思い出です」


「……お母さんの?」


 聞き返すとリザがこくりと頷いた。


「ほとんど会ったことはありませんでしたが、お会いした時に……褒められたのです。エリザベート。貴女の髪は綺麗な金色をしているわね。それはきっと神様からの贈り物だから大切にしなさい、と」


 気恥ずかしそうに告げるリザ。だが、彼女は何かに気が付いたかのように顔を上げた。


「あの。もしかして、短髪の方が好み……なんでしょうか。だとしたら、その」


 言葉を続けようとするリザにレイは率直な感想を告げた。


「僕は似あっていると思うよ。リザのその長くて綺麗な金髪。切るなんてもったいない」


「そ、そうですか!」


 飛び上がらんばかりに喜ぶリザとは対照的にシアラが不満そうにレイの頭を引っ張った。


「ちょっと。ワタシの髪はどう思ってるのよ」


「も、もちろん、シアラの紫がかった長髪も、神秘的でよく似あっていると思うよ」


「ん。取って付けたようだけど、合格にしてあげるわよ」


 途端、機嫌を直したシアラは髪を切る作業に戻った。鼻歌をしだしたのだからよっぽど機嫌が良いのだろう。聞かれても居ないのに、魔人種の髪に付いて話し出した。


「ワタシたち魔人種に取って髪の毛って、年齢を表す物さしみたいなものなのよね。長命種。それも長ければ五百年はざらに生きるのもいて、見た目があんまり変わんないから、髪の毛だけは伸ばそうって。ワタシもそうしているのよ」


 ゲオルギウスの伸びきった茨のような長髪もそう言った理由から伸びていたのかとレイは納得した。


 ふと、視線を感じたレイはシアラに断わりを入れてから振り返った。すると、いつの間にか絵本を読み終えたレティとエトネがこちらの方をじっと見つめていたのだ。


 特に、エトネの萌黄色の瞳が熱心に見つめてくるのだ。


「どうかしたの、エトネ」


 尋ねると、幼女がストレートに告げた。


「かみ、きってみたい」


「「「えっ!?」」」


 異口同音。レイ達が驚きの声を上げる中、エトネは続けた。


「おかあさん、いつもおとうさんのかみきってた。でもエトネがやりたいっていうと、またこんどって。だから、その」


 やりたいんだ、と囁く幼女を見て、シアラがレイに囁いた。


「ねえ、主様。責任はワタシが取るから、少しだけ切らせてやってもいいかな」


 いつもおちびと呼び、からかっているが何かにつけてエトネに甘いシアラ。共に違う種族同士の雑種という、似たような境遇からかシアラはエトネに甘いのだ。


 レイは仕方ないとばかりに頷いた。


「おちび。主様が切っても良いって。こっちにいらっしゃい」


 喜色を顔に浮かべ駆け寄るエトネに皆の顔が綻ぶ。櫛と鋏の使い方を教えるシアラ。エトネは目をこれでもかと開かせて見つめていた。


「とまあ、こんな感じでやってごらん」


 そう言って櫛と鋏を渡した。エトネに場所を譲ろうと退こうとするも、それよりも早く、エトネがレイの前に立った。


 エトネが前に立ったのは大した理由は無かった。単に後頭部の方はシアラがあらかた終えていた為、切る場所があまり残っていなかった。そこで、まだたくさん残っている前へと回った。


 ―――それが悲劇を生む。


 前髪に鋏を向け、爪先を伸ばし、目一杯の背伸びをしたまま、じょぎん、と。


「「「……あ」」」


 はらり、と。面積にして拳大の前髪がレイの視線を横切―――。


「リザ! 主様の目を塞いで!」


「ちょ、ちょっと待って! 何が起きたか、せめて確認を、こら、リザ。手を離せ!」


「申し訳ありません。申し訳ありません。ですが、エトネの為なんです。幼い子供のしたことなんです! ですから、どうか、どうか!」


「あ、ああ、あああ。ご、ごめんなさい、おにいちゃん。エトネ、エトネは」


「ねえ、この世の終わりのような声で謝られてるんだけど! 本気でどうなったんだよ、僕の前髪は!?」


「それを知ったら、皆が不幸になるだけよ! レティ、《回復ヒール》で髪の毛を修復して」


「無茶言わないでよ!? 《回復ヒール》は傷を癒すのであって、髪の毛をどうこうする呪文じゃないんだよ!」


「うっさい! アンタだけが希望なのよ。エトネが今、泣いてるのよ!」


「お願い、レティ。貴女の魔法が、今こそ必要なの!」


「ああ、もう。やるよ、やるから、やってやる! 《回復ヒール》、《回復ヒール》、《回復ヒール》、《回復ヒール》!!」


 少女のやけっぱちな詠唱が船に響き渡った。







 彼女の人生においてやった事の無い頭髪の復元という離れ業は、レティの献身によって成功した。レイの髪は元の長さに戻り、今度こそシアラの監視の元、エトネが初めての散髪に成功し、おおむね平和的に終わった。


 もっとも、いつの世も平和の裏には多大な犠牲が付き物である。


 想定していない使い方の魔法を連続で使用した反動で消耗しきったレティの事は忘れてはいけない。


 また、この時の顛末を見ていた船員らが港に寄港するたびに、酒の席でこの出来事を吹聴して回った結果、エルドラドの魔法使い達に衝撃が走る事になる。傷口を塞ぐことしかできない、《回復ヒール》の魔法に新たな可能性が見出されたと研究が盛んにおこなわれるようになるのは別の話である。


 また、新しい可能性を聞きつけたどこかの大手クラン団長の二つ名持ち冒険者にして禿頭がトレードマークの男が、夜な夜なクランの女性ヒーラーを自室に招き魔法を掛けてもらっているのを別の事と勘違いした副団長のエルフと修羅場を繰り広げる事になるのも別の話である。


読んで下さって、ありがとうございます。

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