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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第7章 熱砂の国
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7-55 神前投票 『前編』

「ふむ、神前投票をこの場でか」


 椅子の上で身じろぎをしたカリバンにアフサルは畳みかけるように続けた。


「はい。国が乱れたいま、新たな王の元、国が新しき道へと歩み出すというのを内外に知らしめるべきです。ワシャフが簒奪した玉座を新しき王が座る事こそ、此度の動乱が終わったという証に他ならないと愚考します。お集まりの族長たちも、同様にお考えでしょう」


 アフサルの問いかけに族長たちは消極的な賛成を取る。ダリーシャスの告発が失敗した以上、彼が王になるのはレールに乗ったトロッコと同じ。分岐点は無く、決められた道筋を進むだけだ。


 となれば、未来の王の機嫌を損ねる訳にもいかない。反対意見なんて出るはずがなかった。


「どうやら族長たちの同意を得られました。となれば、あとはカリバン王の御意志に掛かっております。どうか、ご判断を」


 カリバンはアフサルとダリーシャスを見比べた。勝利を手中に収めたアフサルは意気揚々とした姿だ。ここまでを振り返れば、概ねアフサルの思い通りに進んでいるが、内心ではぎりぎりの綱渡りだったのだろう。踏み外せば、地の獄へと真っ逆さまに落ちるだけの綱渡り。それをいま、渡り切ったのだ。後は自分が腰かける玉座に座るだけだ。


 歓びが全身から溢れている。子供を産むために命を削り、子供を正そうとして命を散らした母に何の思い入れも無いような振る舞い。


 アフサルの濁った瞳が正常な輝きを失っているのは明白だ。勝ちを確信した笑みだけに、瞳の異質さだけが浮き彫りになる。


 この男が王になるのかとカリバンの胸中を言いしれない不安が爪を立てる。精神の不安が病魔に侵されている心臓を苦しめる。体の内側から剣を突き立てられるような鋭い痛みだが、周りに悟られないように顔は平静を装った。


 発作の痛みは短いが、間隔が狭まってきている。おそらく、残り時間はほとんど無いのだろう。ワシャフの反乱が終わるまでは死ねるかという気力だけでここまで来た。だけど、ここまでだ。


(どうするべきか。命の灯火を全て使って、アフサルと刺し違えるべきか。いやしかし、それでは誰も納得はするまい)


 懐にしまい込んだ物の存在感が物理的な重量以上の重さを老骨に与える


 視線を横に滑らせれば敗者となった、もう一人の孫が居た。


 机に両手を乗せ、万策尽きたとばかりに項垂れている。傍に居る、白髪まじりの少年が何と声をかければいいのか分からないと立ち尽くしていた。


 マストゥーレを殺され、従者が行方をくらましたという状況で立ち上がる気力も萎えてしまった。カリバンの瞳にはそう、映っていた。


 無理もない。元から勝ちの目が薄い戦いだった。アフサルの自白を引きだすにしても、証人一人ではどこまで渡り合えたのか。十四氏族の一人であり、なおかつアフサルの実母であるマストゥーレの証言は、一考するだけの価値はあったが、それでもアフサルを相手にするには力不足ともいえる。それでも勝負する価値はあるとダリーシャスは踏み、アフサルは勝負その物を握りつぶした。


 戦う前に勝負が着いてしまった。心折れ、膝を屈しても仕方ない。


 ここで引き下がったとしても、ダリーシャスの命は、しばらくは安全だ。


 首都解放の立役者であり、傍から見れば実弟であるダリーシャスを、アフサルは易々と始末できなくなった。暗殺という手段もないわけではないが、ダリーシャスが不審な死を遂げれば、この部屋に居る者達は誰が指示を出したのか直ぐに理解できる。


 ダリーシャスの死が粛清と捉えられた時、十四氏族がどんな行動を取るのか。


 恐怖政治は効果的ではあるが、従う者の行動を二つに分ける。


 従属か、反逆か。


 それが分からないアフサルでは無い。


 今、この瞬間引き下がるのならば、ダリーシャスはしばらく死ぬことは無い。


 その間に身の振り方を決める猶予はあるはずだ。アフサルと決別し、国を出るのか。あるいはアフサルに恭順を示し、屈服するのか。どちらにしても、その頃には自分は死んでいるのだろうが。


 ところが、カリバンの予想は裏切られる。


 乱れた赤みがかった金髪から覗かせる青年の双眸は、心が折れた者には放てない輝きがあった。思わず、感嘆の吐息を零した。


 ダリーシャスとて馬鹿では無いはずだ。この状況で取るべき最善の道は生き残ること。だというのに、まだ諦めていない様子だ。それが自棄になったからなのか、あるいは何か策があるのか、カリバンには分からない。


 分からないが、興味はあった。


 それを見たいと思い、懐にしまい込んだ物を押し込めて告げる。


「相分かった。ならば、ここに宣言しよう。我、カリバン・デゼルトは王位を退位し、次期王を決める神前投票を開く、と」


 議事の間に集まっていた人々が一斉に立ち上がり最上級の礼をとる。






 かくして、詮議の為に集まった人々の前で、神前投票へ準備が始まった。


 法王庁の法衣を纏った神官たちが列を成して部屋に入り、王に対して羊皮紙を差し出した。それは王位を退位することを誓う証書であった。カリバンは迷うことなく自分の名前を書き記すと、神官はカリバンの退位が成立したと告げた。


 王から王族へと戻ったカリバンは上座から降りた。空いた席に、次の王が座るのだと言わんばかりに、全員の視線が椅子とアフサルを交互に見つめる。


 硬質で静謐な空気のまま、儀式が進む。


 神官たちが大事そうに、硬貨と天秤を掲げて入室する。天秤は二人の間に置かれ、硬貨は神官が抱えたままだ。神官たちの中で最年長の老人が、全ての準備が完了したのを確認してから告げた。


「遠き果てより御照覧あれ、エルドラドを守護する13神よ。ここにデゼルト国次期国王を決める神前投票を執り行いたく存じます。王たらん者よ。神々に己の名を示せ」


「アフサル・オードヴァーン。ここに」


 アフサルが何のためらいもなく、自分の名前を告げた。胸に手をあて誇らしげに笑う。


「ダリーシャス・オードヴァーン。ここに」


 続いてダリーシャスが名乗り挙げた。それを正気かと見守る者。無謀だと笑う者。こうするしかないと諦める者。


 幾種類もの視線を浴びながらも、ダリーシャスは胸を張っていた。


「……驚いたな、ダリーシャス。こんなことを尋ねるのは気が引けるが、頭は正常に働いているか? これは神前投票だぞ。王の器ではない者は死が待つ儀式。どう考えても勝ち目のないというのに、名乗り挙げるというのは自殺行為だ」


「随分と饒舌ですね、兄上。存外、自信が無いのですかな?」


 それまで笑みを浮かべていたアフサルが表情を切り替えた。険の色を濃くすると、ダリーシャスを睨んだ。


「貴方を王にする訳にはいかない。その為なら、命を賭ける。俺は、最初からその覚悟を抱いてここに立っているのだ。今更、引き下がるつもりは無い」


「ふん。此方としては余計な手を使わずに済むという事だ。……ならば、もう言う事はあるまい」


 傍に居るレイは何も言えなかった。どう考えても無謀な勝負に挑む青年の背を眺めているしかできない。すでに、自分が介入できる余地は無い。投票を見守るしかできなかった。


「……以上か。ならば、宜しい。ここに王たらん者が二名現れた。ならば、王と為るにはどちらが相応しいかを決めたい。デゼルト王家の者達よ、前に進みたまえ」


 アフサル、ダリーシャス以外の王族達が傍聴席から前に進む。ジャマル、ホセイン、ルドラの三人が神官の前に立つ。


 いま、この場に居る王族の男子は五人。王候補の二人がそれぞれ自分に入れるとして、残った三人の内二人が入れた方が勝利するのだ。


 非常に分が悪いとレイは静かに思う。ホセイン、ルドラがどう考えているのか不明だが、ジャマル・グセイノフだけは確実にアフサルへと投票するはずだ。これまで彼と共に行動していたのは、何かしらの取引があったからに違いない。今更アフサルを裏切るはずがない。


 ならば、残り二人を味方にするしかないのだが、そんな都合のいい方法が降って湧いてくる事もない。レイが悩んでいると、アフサルが待ったと口にした。


「何かな、アフサル王子。今更、辞退するという事は認められませんが」


「それを口にしたいのは愚弟の方でしょう。私が待ったと言ったのは、王族がこれで全員ではないからです」


「……というと、どういう意味なのでしょうか」


 アフサルは神官の問いかけに答えず、ただ外の扉を指差した。すると合図がされたかのように扉が開き、男が姿を現した。その男にレイは見覚えがあった。


 灰色の髪をした青年、クリシュ・ナキだ。視線が合うと、若干険の籠った視線が返ってくる。ガヴァ―ナでの一件が尾を引いているのかもしれない。


 クリシュは一人では無かった。後ろに引き連れているのは腕と体を縄で縛られ、一繋ぎになっている男たちだ。元は豪華で威風堂々としていた戦姿が血や泥でくすみ、顔は殴打されたと思しき痣や腫れが痛々しく浮き出ていた。


 そして最後尾に現れた男の姿にレイは言葉を失った。漆黒の闇で鋳造されたかのような黒い全身鎧に身を固めた、帝国の将軍が居たのだ。兜に隠されているが、その奥にある視線が自分を貫いたようにレイは感じた。


 帝国の将軍は入り口近くに陣取ったまま微動だにせず、一方でクリシュは縄で縛られ血や泥で汚れた男たちを引きずった。突然の闖入者に驚きと困惑の視線が集中する中、ホセインが声を上げた。


「あ、兄上!? 生きておいでだったのですか!」


 ホセインに兄と呼ばれた男たちはバツが悪そうに顔を背けた。その言葉が引き金だったように、議事の間が騒がしくなった。族長らが誰々だと名前を囁き合う中、アフサルが声を張り上げた。


「プラティス家の長男、三男、四男は捕虜として拘束しておりました。首都に立てこもる反逆者の残党を降伏させるのに使おうと生かしておいたのですが、まさかこのような出番があるとは。何が起きるか、分かりませんね」


「どういう意味だ、アフサル!」


 傷だらけで判別しづらいが、年長の男が血の混じった唾を吐くと、アフサルは神前投票ですよと返した。


「いま、私と弟であるダリーシャスの二人が王に名乗り挙げました。貴方達は反逆者ワシャフの子ではありますが、れっきとした王族。つまり、投票権はあるという事です」


 そうですよねと神官に問うと首肯が返った。


「という訳で、選んでください。私か、あるいはダリーシャスのどちらかを。……貴方達の未来の為にね」


 最悪だとレイは叫びたかった。何が起きるか分からない。狡猾なアフサルの事だ。神前投票が行われる可能性も織り込んだうえで、ワシャフの子らを生かしておいたのだ。


 優しげな言葉と共に、冷徹な視線が生死の境に立っている男たちへと向けられる。そこから転落するのか、それとも天上から伸ばした糸に掴まるのか。選ぶのはお前たちだと告げていた。


 縄を解かれた男たちは兄弟同士で顔を合わせた。そして、二人が弾かれたように硬貨を取ると、王候補の間に置かれた天秤の片方に置いた。


 アフサルの方へと天秤が傾いた。


「お前に投票する。だから、だから命だけは」「俺もだ。俺はまだ死にたくないんだよ」


 跪き、涙を流す男たち。これでアフサルは二票手に入れたことになった。総数が増えた事で過半数は変わった。王候補以外の六人の内、四人を引き入れれば勝利だ。そして、アフサルはその半分を手に入れた事になる。


 捕虜となった三人の王子たちの内、長兄と思しき男だけが身動きをせずに、じっと足元を見つめていた。その様子に不審を抱いたアフサルが声を掛けた。


「……なにをしているのですか? 貴方も早く投票を―――なっ!?」


 ようやく顔を上げた王子にアフサルは絶句した。固く閉じた唇の両端から、真新しい血が雫となって流れ落ちたのだ。間を置かず、男の体が床へと倒れると議事の間が騒然となる。傍に居たクリシュが駆け寄ると、王子の口を強引に開かせた。途端、間欠泉のように血が吐き出された。クリシュが毒だと主に伝えた。


「……どういうつもりですか。このような場所で、自ら死を選ぶとは。折角、生き残る機会を与えてあげたというのに。そんなに死にたかったのですか? 私を王にしたくなかったのなら、ダリーシャスに票を投じるという方法もあったでしょうに」


「ふん……貴様にも……ダリーシャスにも……票を投じる……つもりは……無い。……誰が……貴様らが……王に……なる……見た……な」


 男は目を見開いたまま息絶えた。戦で汚れ傷ついた顔は、自らの吐いた血を浴びて更に凄惨な姿になっていたが、満足げな表情でもあった。


 かくして、票の数が一つ減った。王候補を除けば五人。内二人は既にアフサルへと票を投じていた。


 兵士らの手で慎重に運ばれていく従兄弟を見送ったアフサルはぽつりと呟いた。


「訳が分からんな。何かをするわけでもなく、ただ自己満足の為だけに死のうとするなんて」


 誰かに聞かせるつもりもなく、単に素直な心境を吐露した一言だ。別段、死を選んだ従兄弟を愚弄するつもりはなく、価値観の違う死に様を選んだ男への感想だった。


 ―――その一言がホセインの覚悟を決めた。


 彼は自分の分の硬貨を握りしめると、それを天秤の空いた皿に置いたのだ。二つの皿を支える腕がダリーシャスの方へと少しだけ傾いた。


 幼さが残る顔を赤くし、興奮からか鼻息を荒くしたホセインにダリーシャスは驚いたと呟く。


「まさか、其方が俺に票を投じるとは」


「確かに。ワシャフの子で一番臆病な君が、私に逆らうとは。どういった心境の変化だい、ホセイン」


 名前を呼ばれたホセインはアフサルに向けて鋭い視線をぶつけた。いつも、本の影に隠れていた少年とは思えないほど、強い視線だ。


「兄上の死にざまは確かに自己満足と蔑まれる物かもしれない。認めよう。あの死を僕だって理解できない。自分に酔った男の妄言だ。御霊に昇る最中、やっぱりやめとけばよかったと、後悔が湧き出ているかもね。……でもね。従兄弟の、いや、異母兄弟の死を自己満足と言い切った貴方の横顔は、兄弟の誰よりも父上によく似ていたよ」


「……なに?」


 それまで何を言われても崩れなかったアフサルの顔が驚きと嫌悪で染まった。予想外の一言に、仮面を剥がしてしまった。


「あれを見て確信した。貴方は確かに父上の子だ。……父上の血を濃く引いている。そんな人を王にしちゃいけない!」


 糾弾の言葉が刃のようにアフサルへと突き刺さった。異母弟からの言葉だけに、より鋭く、より深く刺さったのだろうか。アフサルの怜悧な横顔に汗が滲んでいた。


「何より、貴方は父上を殺した。そりゃ、貴方の境遇は不幸だ。生まれる前から政治の道具として利用され、生まれてからもそれから逃れられなかった。全部を恨んでも仕方ないよ。……それでも、貴方は父上を殺した。僕にとって、恐怖の塊でしかなかったけど、あれでも父なんだ。兄が父の仇を取らないというなら、僕が取るんだ!」


 ホセインの涙ながらの言葉に族長たちは胸打たれたように頷いていた。父の仇を討つという状況が、一族を重んじる族長たちの琴線に触れたのだろうか。


 アフサルは額に滲む汗を拭うと、余裕を取り戻そうと仮面をかぶり直す。薄く笑みを浮かべ、


「中々、聞きごたえのある言葉だ。ワシャフ伯父上も御霊でさぞ喜んでいるだろう。直に、孝行息子もそちらに逝くのだ。寂しくはないだろうな」


 ホセインの言葉すら馬鹿にしたような物言いをする。少年の言葉はアフサルの牙城を打ち砕くには足りなかった。


 なぜなら、まだ天秤はアフサルの方に傾いているのだ。ホセインの票で一票手に入れたが、向うは二票。過半数まであと一つなのだ。そして、残った票の内、一つはにアフサルへと投じられてしまう。


 ホセインの糾弾に騒めく聴衆が一斉に静かになった。


 王族の一人であるジャマルが動いたのだ。


 神官から硬貨を受け取ると、それを持って天秤の前へと立つ。


 これで勝負が決まると聴衆が見守る中、どういう訳かジャマルは硬貨を置かずに、動かなかった。訝しむアフサルに対してジャマルが口を開いた。


「アフサルよ。俺は、自他ともに認める、屑な人間だ」


「随分と唐突な発言ですな」


「まあ聞け。王族の権力を悪用し、自らの私腹と趣味を豊かにすることしか考えない外道だ。何より、自分が生き残るためなら父すら見捨てた。そんな俺が、お前を悪だと罵り、批判する資格なんてある訳がない」


「そんな君だからこそ、私は組めると考えたのです。利で動く人間だからこそ、信用できるのです」


 ジャマルはアフサルの言葉に皮肉げな笑みを浮かべた。


「そんな外道な俺でも、一つだけ許せないことがある。……何故、母親を殺した」


「……仰っている意味が分かりませんね」


 しらばっくれるアフサルに対してジャマルは言葉を続けた。


「お前の父がワシャフ伯父かファラハ伯父か、俺は知らない。だけど、マストゥーレ様がお前の為に命を削ったのは事実だろう。……お前はお前を愛そうとした人間を手に掛けた。愛を知らず、愛を理解できず、愛を拒絶した。まるで、親を喰らう蜘蛛のようだ。そんな奴は外道にも劣る畜生だ。俺は獣や虫と組むつもりはないぞ」


 ジャマルは指で弄んでいた硬貨を、ダリーシャスの方へと置いた。天秤にある皿の上に、同じ枚数の硬貨が積み上がった事で傾きは均等になった。予想外な展開にアフサルを含めた皆がどよめく中、ジャマルは決別とばかりに告げた。


「俺はダリーシャスを支持するぞ」


「……その選択は、きっと後悔しますよ」


 再び仮面が剥がれ、自分の思い通りの展開にならずに苛立ちを面に出すアフサル。


 これで皿に乗った硬貨の数は互いに二票ずつ。ここに、自分たちの票を加えても三票ずつ。つまり、あと一つで勝負が決するのだ。


 レイのみならず、議事の間に集まった全員が残った王族であるルドラへと視線を送った。彼が本当に公明正大な人物なら、国を乱した嫌疑のあるアフサルを王にするはずがない。なにより、彼の娘を人質に取ったワシャフを焚きつけたのは、アフサルなのだ。間接的とはいえ、アフサルが原因で娘の命が危険に晒されたのなら、彼に票を投じる訳が無い。


 そう期待を込めて青ざめ、胡乱気な瞳をした青年を見つめた。


 青年は病魔に侵されているカリバンよりも生気の薄い顔をして、神官の指示に言われるがまま従い、硬貨を握りしめ天秤の前に立った。


 硬貨を摘まむ指先が震え、何かを恐れ怯えるように―――置いた。


 天秤が傾いた。







 埃とカビが混じった匂いが辺り一面から漂ってくる。掲げたランタンが足元を照らすが、一つ先は闇が待ち構えている。


 マストゥーレが死んでいた部屋に繋がっている隠し通路を進むエトネたち。探索は難航していた。何しろ、王宮内にあった隠し通路は議事堂のそれとは比べ物にならないほど複雑で、罠すら仕掛けられていた。


 隠し通路という性質上、王族が使用するのを想定しているのだが、一方でこれを辿って追いかけられた時を考えての措置だろうとリザは推測した。後から追いかけて来たクトゥスもそれに同意した。


 とはいえ、何の手がかりもなしという訳でも無かった。


 彼女らが辿る犯人の痕跡は至る所に残っていたのだ。


 壁にぶつかった時に千切れた繊維。埃を踏み荒らした足跡。なにより、血の痕がべったりと残っていた。あまりにも明らかな痕跡は、ここを使った人間がどれだけ動揺しているのか証明していた。


 これらのお蔭でどうにか後を辿る事に成功していた。


「それにしても、ラシード君が本当にこんなことをしたのでしょうか。彼の王子への忠誠は、偽りではないと思っていたのですが」


 後からやって来たクトゥスが告げた衝撃的な内容。ラシードが裏切った可能性があるというのを聞いたリザは信じられないと否定した。だが、状況的に怪しいのも事実だった。


 健気な少年の姿に心打たれていたリザが複雑そうに心情を吐露した。すると、エトネがへんだよと口にした。


「何が変なのですか、エトネ」


「このあしあと。ラシードのじゃないよ。ねぇ、おじさん」


「む。……小娘の言う通りだ。俺達が追いかけているこの足跡は、どう考えても子供の大きさじゃない。それに歩幅も」


 小娘と呼ばれてむくれるエトネだが、クトゥスも同意見だった。狩人と暗殺者。共に獲物を追いかけ仕留めるため、僅かな痕跡から獲物の行動や、更には心理状況まで読み取る事が出来る。


「コイツを見てみな。壁に血の手形が付いているが、指の長さも、付着している位置も子供じゃありえない。あの従者がそこまで小細工をしたという可能性もなくはないが、こんだけ痕跡を残しているんだ。おそらく、ここを通ったのは大人だ」


「大人。そしてこちらの情報を知りえて、その上でアフサル側と通じている人物ですか。一体、誰なんでしょう」


「さあな。それは本人から聞くしかないが……どうやら辿り着いたようだぞ」


 クトゥスが示したのは壁に出来たでっぱりだ。その周囲に血の痕が残っていた。押すと壁の一部が回転した。追跡者たちはその扉をくぐる。


「ここは……物置か何かでしょうか」


 乱雑と荷物が積み重なった物置部屋にリザは声を潜めた。マストゥーレを殺した者が潜んでいるかもしれないと警戒しての行動だ。ロングソードの柄に手を当て、何時でも引き抜けるように構えていた。


 すると、エトネがまってと呟いた。


「こっちにだれかいるよ。ついてきて」


 言うなり、荷物を飛び越えて走り出してしまった。リザとクトゥスたちは慌てて追いかけると、奇妙な物体を見つけた。


 それは布で覆われたナニカだ。中で蠢いているのか、布が形を変え、くぐもった声がかすかに聞こえる。


 リザがエトネとクトゥスに確認を取ってから、布をまくり上げた。


 すると、縄で腕を縛られ、猿ぐつわをされ、目隠しまでされているラシードが姿を現した。


 思いがけない再会に驚くリザ。


「ラ、ラシード君! こんな所で何を。いえ、いまはまず、解放しなければ」


 拘束を解くと少年は明かりに目をやられたかのように固く瞼を閉じた。だけど、声だけは発した。


「その声。そこに居るのはリザさんですか!?」


「ええ、そうよ。ラシード君。君はここで何が」


 あったのと続けようとしたリザをラシードは遮った。


「大変なんです。あの方が。あの方が裏切っていました。詮議の場を開くとカリバン王がお決めになった後、どこかへと人目を気にして行ったあの方を追いかけたら、隠れて、アフサル様と魔道具で情報を流し、その上、ああ、なんてことを!!」


 混乱し、言葉が乱れるラシードにクトゥスが苛立ち混じりに尋ねた。


「おい、坊主。お前は見たんだな。マストゥーレ様を殺した犯人を。そいつはいったい誰なんだ!?」


「ああ、なんてことを。あの方は、あの方は―――」







 乾いた音を立て、硬貨が皿に置かれた。


 天秤は重さに耐えかねたとばかりに傾き、勝者の方へと頭を下げた。


 ―――アフサル・オードヴァーンへ。


読んで下さって、ありがとうございます。


土日も投稿します。

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