7-52 王宮の夜は未だ明けず
真夜中を過ぎ、かといって朝を迎えたわけではない王宮は俄かに忙しくなっていた。王宮の警備にあたっていた兵士たちは追い出され、代わりに解放された十四氏族の族長たちを世話するために侍女たちが動き出していた。
やはりどれだけ厚遇されていても、軟禁されている間、鬱憤は溜まっていたようだ。解放された反動から族長たちは用意された部屋でくつろぎ、隣に居る者と今回の事態を慰め合う。代わりに侍女たちがその間を飛び回っていた。空いたグラスに酒が注がれ、果物や肴が次々と運び込まれてくる。
そんな中、一人の男が悠然と入ってくると、場のくつろいだ空気は払しょくされた。
杖をついて歩く老人の背中は鋼で出来るのかと疑うほど真っ直ぐに伸び、蓄えられた髭は先端まで乱れがなく、年老いた双眸は賢者の眼差しのようでもある。
カリバン・デゼルトが室内に入っただけというのに、部屋の空気は一変し、族長達も締まりのない笑みを消し、居住まいを正していた。彼が何かしたという訳でも無く、ただ部屋に入ってきただけだというのに。
「皆の者。壮健そうで何よりだ。こうして、皆の顔を見れたことを王として喜ばしく思う」
重々しい口調は、つい先程まで孫をからかっていた好々爺とは似ても似つかない。身だしなみを整えたカリバンは王としての理想形を体現していた。
静々と後に続くダリーシャスが椅子を引くと、カリバンが上座に腰を下ろした。カリバンは居並ぶ一同の顔を順に見つめた。
室内に居るのは十四氏族の族長らとルドラ・ジブリール、《神聖騎士団》の面々。それにクトゥスを始めとしたヌギド族に、ラシードだ。レイ達のメンバーは魔法工学の兵器との戦闘によって消耗したため欠席である。ダリーシャスは見慣れた顔が居ないというだけで、少々心細く思っていた。
「ここに来るまでに、我が孫であるダリーシャスから多少なりとも話を聞いた。ワシャフの乱によって国が大きく揺れ、乱れ、どれだけの害を被ったのか。それら全ては、王族を取りまとめる儂がこのような身に甘んじた事の不徳である。許されよ」
頭を下げる王に対し族長たちは鈍い反応を示した。何しろ、ワシャフ、そしてファラハと結託して現王であるカリバンを軟禁し、自らと強い繋がりのある二人のどちらかを王にしようと画策したのだ。王が監禁された原因の一端は彼らにもあった。罵られることはあっても頭を下げられる謂れは無かった。下手に話を広げれば、自分たちのしたことが遠因であると弾劾されかねなかった。
逆にカリバンは頭を下げる事で、相手から譲歩を引き出そうとする。暗に、お前らが欲目をかいたからこのような事態になったのだと、言葉の裏に忍ばせた上で頭を下げたのだ。
下手に突っついて藪蛇は誰も望んでいない。
「頭をお上げください。我ら十四氏族。変わらずの忠誠をデゼルト王家に捧げる所存です」
一人が言うと、雪崩のように他の者達が続いた。これで、これ以上ワシャフの反乱の責をカリバン王家全体に取らせることは難しくなった。
伏せた顔で不敵に笑うも、上げた時には笑みを消してしおらしい表情を作るのを、カリバンは忘れなかった。
「其方らの言葉に儂は酷く感銘を受けた。これからも、我らは共に歩もうではないか」
カリバンの言葉に、族長たちは心にもない美辞麗句を返した。傍で聞いていたダリーシャスは茶番だと心の裡で呟いた。デゼルトという国は十四氏族たち無くして立ち行かないのなら、彼らを王家は敵に回せない。一方で十四氏族たちもそれぞれが独立してまで争うつもりもない。
かつて、この地はそれぞれの部族同士で争って来た。アルビノ砂漠や険しい山岳地帯などに囲まれ、箱庭のような土地の縄張りを奪い合って来た。そうやって血を流しながら、海を越えた他大陸の侵略を受けて、ようやく纏まったのだ。デゼルト族が中心となり、矢面に立つことで、残った部族を纏めた。十四氏族はデゼルト族を上に置くことで、自分たちの間に序列が存在しないようにしたのだ。
王家という楔を自らに突き刺す事で、互いをけん制し合って来た。それはこれまで変わらず、これからも変えようとしない。
それが正しいのかどうか、ダリーシャスには分からないが、それでもこれがアフサルという悲しき絶望を生み出したのは間違いなかった。
「さて。当面はワシャフの乱を鎮圧するにあたるのだが、ダリーシャスよ。其方はこの後、どのようにするのか。具体的な案があるのだろうな」
「勿論でございます。現在、我が兄アフサルがベヘンナディー盆地にてワシャフの軍勢と交戦中です。私は、その隙に皆様方の救出と、首都の解放を行うべく参上しました。首都を此方の手に取り戻せば、ワシャフは帰る場所を失うでしょう」
「その手際は、とりあえず合格としよう。どのようにしたのか知らんが、法王庁の『聖騎士』殿まで協力しているのだからな。それで、王宮内の兵を排除したが、その後は?」
「王並びに十四氏族の族長らが解放されたことと、盆地での戦いが兄上の圧勝で終わったと伝え首都内の兵に降伏を促します」
「つまり無血開城を狙う訳か」
多くの血を流さず、兵を死なせることなく首都を解放させる事が出来たのなら、それは間違いなくダリーシャスの名声を高める。アフサルがワシャフを討ち取ったとしても、十分比肩できる功績となり得る。
だけど、その判断をカリバンは甘いと評した。
「追い詰められたマッドラットはレッドパンサーにすら噛みつくぞ。逃げ場がないと悟れば、兵たちは死に物狂いで立ち向かってくる。いくら呼びかけをしても降伏勧告を受け入れないだろうな」
敵を一人残らず殲滅するというのなら、逃げ道を与える必要はない。取り囲み、一人ずつ確実に、念入りに、逃さないように潰せばいい。だけど、それは相手の退路を断つのと同じ。死が待っていると分かると、人は怯えて立ちすくむどころか、かえって奮起する場合がある。死に花を咲かせようと思わぬ反撃をしてくる場合がある。
ならばこそ、温情を掛けるのだとカリバンは言う。逃げ道を与える事で、生への渇望をくすぐり、楽な方へと泳がせる。川が上から下へと流れるように、人は生へと流されていくのだ。
「先の降伏勧告。あれは見事だった。武器を捨て、王宮から出るという選択肢を与える事で戦闘を回避した。あれと同じ事をすればいい。捕虜となる道では無く、自発的に逃げ出したくさせればいいのだ」
「しかし、相手は千の兵。三百の兵が恐れをなして逃げたとはいえ、次も全員が素直に指示を聞くとは思えません。むしろ、こちらに兵がほとんどいない事に気が付かれれば、弱腰と取られ、徹底抗戦するかと」
「なんじゃ。お主は兵をほとんど持っておらんのか」
まだ、ダリーシャスがアフサルと対立していることを王たちは知らない。ダリーシャスが肯定するように頷くと、王は仕方ないとばかりにため息を吐いた。
「儂の配下を使うとするか。誰か、羊皮紙とペンを持ってまいれ」
呼びかけに侍女が小走りでやって来た。王宮で普段使われている上質の羊皮紙に対してカリバンは筆を滑らした。かき終えると、部屋の隅で大人しく待っていたクトゥスを呼び寄せた。
「貴様、名前は?」
「クトゥス・ヌギドと申します」
「ヌギド。あの暗殺者一族か。なるほど、面白いのを味方につけておるな。ではクトゥス。これを城下のある者に渡るように段取りをつけろ」
折り畳まれた羊皮紙には首都のある場所を示す番地が記されていた。ダリーシャスが覗きこみ、どういう事かと祖父に尋ねた。
「有事の際に、儂の指示のみに動く者が城下に三千ばかり居る。ここに記した男は儂の古き友人でな、渡せば其の三千をいつでも動かす事が出来よう。三千の兵が内側に居ると分かれば、千の守備兵も素直に従うだろう」
命令の意図を理解したクトゥスはダリーシャスの方を伺い、許可を得ると部下を引き連れて部屋を退出した。これであとは王と族長らの解放を知らしめてやれば、三千の兵と戦うという選択肢をせずに兵は武器を捨てる。
一気に首都解放が近づいた。
十四氏族の族長たちが声明文の草書をあれやこれやと議論していると、カリバンが背後に居るダリーシャスへと質問をぶつけた。
「それで、ダリーシャスよ。貴様に一つ、問いたいことがある。……此度の反乱におけるオードヴァーン家への嫌疑だ」
場が静まり返る。特にダリーシャスの母方の祖父に当たるルディル・オードヴァーンは凍ったかのように動きを止めた。
ファラハ・オードヴァーンはオードヴァーン家に年頃の男が居なかったという理由でオードヴァーン家の当主として配下たちを纏めていた。ナキ家はその筆頭に当たる。
ここに居る十四氏族の族長たちは議事堂での一幕を目撃した証人だ。帝国との軍事締結。侵略戦争への協調、帝国皇帝からの親書。そして、アフサルが旗揚げした軍が帝国軍の兵が混じっているという事をワシャフから聞かされたのだ。
何人かの族長たちはこの事実を知り、消極的ながらもワシャフへと兵を出すように領地へ働きかけた。詰まる所、今回のクーデターの発端はファラハが王族と十四氏族の意向を無視して行動した結果でもあるのだ。
これが言いがかりだとしても、帝国との軍事締結が事実かどうかを釈明する義務がダリーシャスにはある。
ここが正念場だと理解しているダリーシャスは一度、静かに深呼吸をして精神を落ち着かせた。そして、ゆっくりと一同を見回し、告げた。
「オードヴァーンの者として、事実だけを話すと13神に誓います。まず、オードヴァーン家が独断で帝国と交渉をしていたことは事実です」
途端。オードヴァーン家を除いた族長から罵声が飛んだ。彼らにしても面子を無視された憤りがあるのだ。その上、帝国が外征を望んでいるのは周知の事実。他国の領土拡張に付き合って自国の兵を死なせるのかという怒りも当然あった。
それらを一身に浴びて身じろぎもしないダリーシャスをラシードは心配そうに見つめていた。彼は何一つ、今回の騒動に関わっていないのに、この場に居るというだけで責任者のように誹りを受けているのだ。
だけど、それらを受け止める事でしか開けない道もある。ダリーシャスは族長たちの罵声が潮の満ち引きのように変化する瞬間を狙って口を開いた。
「現在、アフサル・オードヴァーンは帝国の姫と婚約することで、縁戚関係となった帝国から此度の反乱を鎮圧するという目的で兵を借り受けました。ですが、鎮圧を終えたとしても兵は帰還しないでしょう」
「何を持って、そのような事をいうのだ!」
族長の問いかけにダリーシャスは勝負を仕掛ける。
「なぜなら、今回の一連の事態が全て、アフサル・オードヴァーンの策略だからです」
力強い断言は聴衆の興味を引きやすい。どういう事なのだという視線を浴びるダリーシャスは続けた。
「我が父、ファラハ・オードヴァーンはある経緯で南方大陸にて魔人種の動きありという事を知りました。そこで、息子であるアフサルを使者にして、帝国との軍事締結に関する交渉を水面下で進めていました。もちろん、これは防衛の為です。『人魔戦役』の再来を防ぐための、積極的な行動です」
ですが、とダリーシャスは言う。
「我が兄、アフサル・オードヴァーンは父から任された全権を使い、私的な企みを行った。帝国との軍事締結。その内容を防衛のための派兵から、帝国の外征の為の同盟へと。親書はそれを示す一端でした」
「つまり、ファラハ殿はあの親書を知らなかったという事になるのか」
「その通りです。父であるファラハは、アフサルを信頼するあまり、兄の本当の狙いに気が付かなかったのです」
「待て待て! 勿体付けた話しぶりだが、一体アフサル・オードヴァーンの目的とは何なのだ。なぜ、明るみになれば自分の父親が不利になるような企みをしたのだ」
族長たちはもっともだと言い合う。アフサルが有力な容疑者というのは理解できるが、その動機だけが全く見えてこないのだ。
当然である。ここから話す内容は、ダリーシャスですらいまだに真実なのかと疑いたくなるほど醜悪で劣悪で、悪辣なのだ。こんな事、誰が想像できたのか。
「アフサルの狙い。それはすなわち、父であるファラハ・オードヴァーンを殺すことにありました」
困惑が波のように広がる。族長たちの顔が理解できないとばかりに歪む中、ダリーシャスはアフサルを糾弾するべく真実を打ち明けた。
「我が兄、アフサル・オードヴァーンはファラハ・オードヴァーンの子では無く、ワシャフ・プラティスの子なのです」
ダリーシャスがアフサルの真実を語り始めて三十分。室内の空気は通夜のように暗く、重たくなっていた。椅子に腰かける者達は無言のまま、隣に居る者の心を探るように横目で見ていた。
アフサル・オードヴァーンの絶望。
父との決別。ワシャフの乱を裏でしくみ、帝国との交渉を極秘裏に、なおかつ一人で行えた手腕と、やりおおせた熱意。そして今まさに、その悲願が達成されようとする瀬戸際。
それら全てが、族長たちといえど言葉を失うのには十分すぎる出来事だった。
話始めは、何度か遮るような質問が飛んだが、中盤を超え、終盤を迎える頃には誰もが押し黙っていた。一気に話をしたダリーシャスがラシードの用意した水で喉を潤すと、話を纏めようとする。
「此度の動乱。それは全て我が兄であるアフサルが仕組んだこと。故に、私はアフサルを止めるべく行動を開始しました。ついては、皆様方にお願いしたい儀があります」
「……兵を貸せと言われても、困るぞ。アフサル殿を止めるために、これ以上民に血を流させるのは容認できない」
「そうではありません。アフサルの此度の暗躍を白日の下に晒すべく、詮議の場を開きたいのです」
そういう事かと族長たちは理解した。詮議の場とはつまり、王族の罪を王と族長らで審判する、いわば王族専用の裁判のようなものだ。ダリーシャスがアフサルを告発し、これまで話した事が事実かどうかを確かめる場所を用意してくれと頼んだのだ。
「確認だが、何か物的証拠はあるのか? アフサル殿と帝国が交わした先の軍事締結に関する書類や、あるいはアフサル殿の出生に関する証人などは」
「お一人だけ、用意しております。ですが、その方の名を公開するのはご勘弁を。詮議の場では明らかにしますが」
既にマストゥーレはヌギド族の護衛によって首都近郊まで来ている。首都での安全が確認できれば王宮内まで連れ込む予定だ。
「その証言だけでアフサル王子の行動を全て白日に晒せるのか。煙に巻かれて終わるのが目に見えてはいないか」
「ふむ。それは確かに道理だ。……いまや、彼は救国の英雄となりつつある。それをあまり、刺激するのも、なぁ」
族長たちの言葉にダリーシャスは心の中で臍を噛む。彼らの考えていることは、この反乱が終わった後の事である。カリバンがこのまま王に復帰するのか、それとも退位するのかは不明だが、このまま行けば次期王はアフサルが濃厚だ。
何しろ、背後に帝国という大きな武力が控えているのだ。感情は別としても認めざるを得ない。未来の王を相手に喧嘩を売るような真似はしたくなかった。
証拠が証言一つしかないというのなら、わざわざ事を荒げなくてもいいのではないかと族長たちは囁き合っていた。
しかし。
「相分かった。カリバン・デゼルトの名において詮議の場を開くことを誓おうではないか」
上座に居る男がそう荒々しく告げた。族長らが何か口にしようとするも、老人の双眸が向けられるだけで噤んだ。
「ご英断、ありがたく存じ上げます」
頭を下げるダリーシャスに対して、カリバンが打って変わって囁いた。
「白々しい。こうなる事を見越して、儂を助けたくせに」
「見抜かれていましたか」
ダリーシャスの狙いは最初からたった一つ。
カリバンの王としての心だった。
カリバン・デゼルトは病身であり、囚われの身ではあったが王なのだ。王である以上、彼には国を乱したという嫌疑がある者を野放しにしてはいけないのだ。
ここで族長たちが日和見をしたとして、アフサルの嫌疑を闇に葬ったとしても、それはいずれ何処かで戻ってくる。国を乱して玉座を手に入れたかもしれない男を、王として崇める事がこの先できるのか。カリバンは王として、デゼルト国を憂う者として、不安の種を後世に残しておくわけにはいかなかった。
その心理を突いたのだ。
エトネのアドバイス通り、十四氏族の族長たちを説得するのではなく、たった一人。カリバンに狙いを絞っていた。
かといってカリバンだけにアフサルの真意を打ち明けたとしてもこうは上手く行かなかったはずだ。最悪の場合、握りつぶされる可能性もあった。十四氏族の族長たちの前で話すという状況を作ったからこそ、カリバンから詮議の場を開くという言葉を引きだせたのだ。
狙い通りに事が進んだとダリーシャスはほっと一息ついた。
「しかし、ダリーシャスよ。一つ、貴様に尋ねておきたいことがある」
再びの問いかけにダリーシャスは思考を切り替えた。カリバンの瞳がダリーシャスを真っ直ぐに射抜く。
「アフサルを詮議の場に引きずり込み、あやつの口から真実を引きだせたとすれば、あやつは死を免れまい。それだけの事をしたのだ。となれば、情勢を鑑みても王位に近いのは其方となろう」
族長たちもその通りだと頷いた。アフサル、ワシャフが居なくなれば、必然的に王となり得るのはダリーシャスだ。まだホセインやルドラが居るが、彼らはワシャフの陣営に居たという理由から廃除されていた。
「ならば、貴様に問う。ダリーシャス・オードヴァーンよ。貴様は王に為るのを望むというのなら、どのような王と為るのだ?」
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