7-51 カリバン・デゼルト
リザのロングソード越しに、魔石が砂となって崩れていく手ごたえを感じた。同時に、氷の膜に覆われた金属に変化が起きる。
龍刀の一撃すら弾いた堅牢な鋼が、水銀のような柔らかな不定な姿になっていくのを見て、倒せたことをレイは実感した。水銀は氷の膜の中で泡立ち、蒸発して消えた。後に残ったのは、胸の部分が開いた巨人兵の氷像だけだ。
ロングソードを握りしめたまま、レイは背中から落ちた。《耐久》の加護が働いたおかげで衝撃は緩和されたが、どういう訳か体が重くて動かせなかった。思考も靄が掛かったように鈍く、そこでようやく自分に何が起きたのか理解できた。
「ありゃりゃ。これは参ったな。精神力切れで動けないや」
「ちょっと主様、頭打ってないでしょうねっ、とっ、と」
「シアラお姉ちゃん? 急に転んでどうしたの? って、ああ、そっか。そっちも精神力切れだよね。……ってあたしもか」
助けに駆け寄ろうとした、シアラ、レティも同様に床に体を横たわらせる。少し離れた場所で蹲っているリザも立ち上がる様子は無かった。
五体満足で立っていられたのは、指輪を使ったエトネと、中級魔法を使ったダリーシャスのみだった。
「むう。これは参ったな。エトネ、其方は回復の薬は……先の雷撃で全滅していたな。では、外に行ってローランらを呼んでこよう。皆を頼むぞ」
そう言って返事を待たずに外に出ようとしたダリーシャスだったが、足は直ぐに止まった。なぜなら扉が大きくたわみ吹き飛んで、彼の真横を通り過ぎたのだ。
水平に吹き飛んだ扉は、反対側の扉を突き破った。途方もない力で吹き飛ばされたからか、鋼鉄の扉がくの字に折れ曲がっていた。
「マクスウェル、やっと開いたぞ! レイ君、王子! 無事か!?」
「この馬鹿垂れ! 中の状況も確認せずに飛び込むなと、いつも口酸っぱく言っておるだろう。ミストラルも、ワクワクしながら飛び込むな! 貴様ら、そうやって毒の部屋に飛び込んだのを忘れたのか!!」
ドーム状の建物に現れたのは《神聖騎士団》の面々だった。大剣を構えたローランを筆頭にミストラルやマクスウェルらが続いた。彼らは油断なく、視線を鋭くして室内を見回して言葉を失った。
なにせ、広間のあちこちで、雷撃を浴びて服を焦がしたレイ達が倒れ、中身が空っぽの巨人兵の氷像が美術品のように置かれている。何かがあったのだけは確実に分かるのだが、何が起きたのか想像もつかなかった。
「今頃来たのね、『聖騎士』様。見ての通り、ここで魔法工学の兵器が暴れていたのよ。でも、どうにか撃破した所よ」
「……そうだったのか。遅れてすまない!」
謝罪の言葉に嫌味を口にしたシアラの方がバツの悪そうな顔になった。
「ほほう。お主らだけで、魔法工学の兵器と戦ったというのか」
興味深そうに呟くのはマクスウェルだ。少年は四方八方に視線を向けると、天井に向けて魔法を放った。天井からぶら下がっているシャンデリアが砕け、赤い宝石のような物が落ち、マクスウェルの手の中に納まる。
「こいつは、自動型の兵器によく見られる機構の一つだな。おそらく、この環境内で限定的に起動する、自動兵器の類だろう。大抵の自動兵器は後期に作られたため、完成度もさることながら、破壊すること自体難しいと言われている。それをよく、このパーティーだけで倒したものだ。見事、見事」
「そいつはどうも。……まあ、御覧の通り、僕ら全滅に近いので、ローランさん。申し訳ないけど、塔の上までダリーシャスと一緒に行ってくれませんか」
「僕がかい? それは構わないけど」
「流石に兵器以上の番兵が居るとは思いませんけど、それでもこんな所に兵器を置くような形振り構わない奴が王様を監禁しているんです。上で、まだ罠がないと限りません。だから、お願いします」
レイの言葉にローランは納得したように頷いた。レイはそのままエトネの方へ首を向けた。《ミクリヤ》の中で数少ない無事な仲間に、
「エトネ。君の方は大丈夫か。塔は高いけど、昇れそうかな」
「うん。へっちゃらだよ」
「じゃあ、ローランさんと一緒に上に向かってくれ。君なら、誰かが潜んでいても感じ取れるだろ」
こうして、ダリーシャスはエトネとローランを伴って塔を昇る事になった。壊れた扉を踏み越えて姿を消した三人を見送ったレイ達はミストラルらが治療することになった。
螺旋階段の上から流れてくる空気はどこか陰湿で、薄気味悪くすらある。塔の出来た経緯が経緯だからか、王家の闇や不浄が此処に集まり、魔境と化していても全くおかしくなかった。
デゼルト国は闇を抱えている。
それは多かれ少なかれ、どこの国にもある事だが、デゼルト国の闇はどうしようもないほど血腥く、陰湿だった。何処を向いても悲劇が当たり前のように隠れている。ダリーシャスとて、過去を振り返れば、双子として生まれてしまった。双子は不吉の証として、弟は死に自分は生き残ってしまった。
もしかすると、アフサルが画策していなくても、いずれこの闇の中から生まれたナニカがこのような状況を作り出していたかもしれない。それはジャマルだったり、ホセインだったり、あるいは自分だったかもしれない。
階段を昇る足が闇から這いずるナニカに引っ張られるように重くなる。足元を見ても、薄闇に浮き出る両足は何ともなかった。後に続くエトネがどうかしたのかと下から覗き込むのを、大丈夫だと返した。
依然として、両足が重いのは変わらない。変わらないまま、ダリーシャスは最上階へと辿り着いてしまった。
来る者を阻み、捕えた者を出さないとばかりに鋼鉄の門は固く閉じられている。この塔が王族を監禁する目的で作られた以上、鍵は中からでは開かないはずだ。
閉ざされた扉を前にしたローランが大剣を構えた。
「少し、退いてください。……はぁ!」
気合一閃。
ローランが大剣を一振りすれば、扉は単なる鉄塊へと成り果てた。斜めに切り裂かれた鉄塊を踏み越え、三人は中へと入った。
そこは殺風景な部屋だった。家具は極端なまでに少なく、王宮でありながら調度品や装飾の類がほとんどない。窓も小さく、子供の頭程度しか面積が無い。
改めて、ここが王家の恥部を隠すためだけにある部屋だとダリーシャスは実感した。人が最低限の営みを送るのに不自由しないだけの家具があり、監禁している人間が勝手に死なないように縄や刃になりそうな装飾は一切ない。
ポツンと置かれたベッドの周りには何処からか持ち込ませたのかと思しき大量の本が、竹林のように積み重なっていた。
僅かに入る月光を頼りに、薄暗い室内の中、ダリーシャスは本を崩さないようにベッドの膨らみへと近づき、片膝を突いた。
「寝所への侵入、平にご容赦を。されど、救出に参りました、カリバン王」
告げ、顔を盗み見るように視線を上げた。ベッドに横たわるのは八十をとうに過ぎた老人だ。積み重なった年齢が皺となって皮膚に刻まれ、かつては王宮の侍女たちの思慕を集めたという端正な横顔は年老いてもなおくすむことは無い。
反応を待つこと一分、二分。おや、とダリーシャスは思う。何の反応も返って来ないのだ。
様子を見守っていたローランとエトネすら何かおかしいと察した頃、ダリーシャスがベッドの縁を手で掴んだ。
まさかという思いを込めて声を掛けた。
「王? ……カリバン王!? ご気分が優れませんか。それともまさか、ああ、そんな! お爺様。目を開けてください!」
悲痛な声が室内を揺らす。二人が本の林を蹴とばして駆けつけると、ダリーシャスがカリバンの体を揺らしていた。それを抵抗することなく受け入れる老人に生気は無かった。
―――まるで、死んでいるかのようだ。
ローランの背筋を冷たい汗が流れる。この状況は誰も想像していなかったが、起こり得る事でもあった。元々、カリバン・デゼルトの体調は芳しくなかったと聞く。彼が倒れた事で、デゼルト国は王不在という状況が生まれてしまったのだ。死んでいても不思議はない。
「だからといって、今この瞬間でなくてもいいだろ。……これで計画が大きく狂ってしまうぞ」
族長らを味方に付けるための切り札を失った事にローランは歯噛みする。すると、エトネが老人の眠るベッドに飛び乗った。死者の体に何をするのかと二人が止めに入る前に、彼女はなんと老人の体をくすぐったのだ。
小さな指先が枯れ木のような体をくすぐる。
「お、おい。エトネ。いくらなんでも、死者に無礼な真似は」
止めろとダリーシャスは続けようとした。ところが彼の声は遮られてしまった。
「くく、はははは! ははは、こりゃ、お嬢ちゃん。儂の負けだ。これぐらいで勘弁してくれないか。じゃないとお主の指技で昇天してしまいそうじゃ」
がばり、と跳ね起きた老人は笑いながらエトネの腕を外側から抑え込もうとするも、冒険者である幼女はするりと躱した。ベッドに飛び乗った時のと同じ要領で降りてしまった。
「……お爺様? 生きて……おいでなのか。……というか、死んで……ないのか」
信じられないとばかりに、呟くダリーシャス。何しろ、先程までのカリバンは誰の目から見ても死んでしまったかのように生気を失っていたのだ。それこそ、いま奇跡が起きて死の淵から蘇ったと言われた方がまだ納得できる。
「うむ。秘儀、死んだふりだ。こんな所に閉じ込められていると、暇で暇でな。やる事と言えば、本を読むか、こうしてやって来た人間を揶揄う事ぐらいしか出来んのだ。食事と清掃に訪れる侍女を相手に腕を磨いておったのだ」
あっけらかんと。カリバン・デゼルトは悪びれることなく言ってのけた。ダリーシャスとローランは思わず膝の力が抜けそうになった。何しろ二人とも、僅か数秒の間に様々な感情や未来図を描き、頭を抱えていたのだ。
「しかし、こうも早く儂の死んだ振りを見破るとはな。やるな、お嬢ちゃん」
「えもののしんだふりをみやぶれなきゃ、かりううどしっかくだもん」
エトネが胸を張って言う。その姿はどこか誇らしげでもあった。
「信じられません。時と場合と状況考えてください。貴方は、仮にもデゼルト国の王。そんな立場ある人間が、このような下らない事をして周りにどのような影響を与えるのか。想像してください」
「むうう。この年で孫から真っ当な説教を受けると、老骨に堪えるの。それも、儂をここに閉じ込めた主犯の片割れの息子からとは」
もっとも主犯共は全員息子なのだがなとカリバンは寂しそうに続けた。
「……やはり、ここに閉じ込めたのは父上たちですか」
「うむ。当初は、儂の寝室で治療は行われていたのだが、完治を前にして無理にここへ押し込められてしまった。いまさら王の役職に戻っては困るという意思表示だろうな。最低限の世話係と共に、病床の身で監禁生活を送っていたわ」
ベッドの上で胡坐をかくカリバンは貴重な経験を積めたと豪胆に笑った。
「お体の方は大事ないのですか。そもそも、どこが悪かったのですか」
「倒れた原因は心臓だが、医師の見立てでは全身が限界を迎えているそうだ。内臓関係は手の施しようがなく、血管はちょっとの事で直ぐに切れる。こんな所に閉じ込めんでも、政務に復帰するのは不可能だというのに、あの馬鹿息子共は」
「そうなのですか。……それで、いま国がどうなっているかはご存知でしょうか」
世間から隔離されたカリバンに探りを入れようとすると、老人は不敵な笑みをダリーシャスに返した。
「ワシャフがファラハを討ち、反乱を起こし、アフサルとぶつかっておるという事ぐらい知っておる。このような虜囚の目にあっても、儂を慕う者は幾らでもいる。覚えておくといい。何もできなくとも、情報は勝手に入ってくるのだ」
「……流石です、王よ」
偽りの無い本心が口を突いて出た。例え、不自由な監禁生活を送っていながらも民の為に、世の情勢に目を向ける姿に素直に畏敬の念を抱く。
「とはいえ、ここに居て届く情報は鮮度が悪い。お主が儂を助けに来るという可能性は考えてもおらんかった。どうやら、儂が思っている以上に状況は混沌としている様だが、そんな中でこのおいぼれに何用なのだ」
「無論、貴方の力を借りたくて。説明は別の場所で。まずはこの塔から降りるのですが……歩けますか」
つい今しがた息を切らせて昇った階段を思い出してダリーシャスは確認を取る。カリバンは黙って唇をゆがめた。改めて病床の老人を見つめれば、その四肢は枯れ木のように細くなり、ガウンの隙間から肋骨が浮き出ていた。意識ははっきりとしているが、肉体はやはり無茶が効かないのだろう。
ダリーシャスは背中を祖父に向けながらしゃがんだ。
「分かりました。とりあえず、背負いますので。どうぞ、乗って下さい」
「できれば、女子がいいのじゃが」
「塔に穴開けて突き落しますよ。それが嫌なら、さっさと乗って下さいませんか」
仕方ないとブツブツと文句を吐きつつも、カリバンはダリーシャスの背にかぶさった。
その体は病からか、それとも意にそぐわない監禁生活からか。人の体とは思えないほど軽かった。例えるなら、膨れ上がった麻袋を持ち上げた時、重さがさほどなくて面喰うようなもの。
麻袋が見た目と違う重量だったとしても何の問題は無い。でも、人の体が見た目以上に軽いという事実にダリーシャスの胸中で何とも言えない悲しみが広がった。
この軽さは、カリバン・デゼルトの命の残りを表しているかのようだった。
偉大で、尊敬に値する人物の弱った所に触れて戸惑うダリーシャスの耳元でカリバンは笑った。
「ふふふ。面白いなぁ。ついこの間まで赤子だったお前に背負われる日が来るとはな。うむ、これを味わえただけでも、今日まで生きたかいがあったという物か」
「……なにを……おっしゃいますか」
声が震える。涙が溢れそうになる。
ダリーシャスは感情を悟られないように耐えながら階段へと足を向けた。その姿を見た者は誰も彼らが王家の人間とは思わないだろう。
何処にでもいる、ただの祖父と孫のようにしか映らなかった。
昇る時、あれだけ息を切らせた階段を、今度は下りとはいえ人を背負う事になったダリーシャスだが、彼は一度も弱音を吐くことなく、ローランにカリバンを預けるような事もせずに、階段を降りきった。
誰にもこの役目を譲ろうとしなかった。
読んで下さって、ありがとうございます。




