7-47 首都解放作戦Ⅱ
「安心してください。命を取るような真似はしません。ですから、余計な抵抗などはしないでください。じゃないと、痛い目を見る事になりますから。……なんだか、悪党な台詞だな」
自分で口にしながら若干へこむレイ。一方で相対するホセインは混乱の極みだった。
どうしてこうなったのだ。つい数分前までは自分はお気に入りの詩集を耽溺していたはずだ。古の詩人たちが己の悲喜交々(ひきこもごも)な感情を言の葉に記した名文の数々は、自分の置かれている状況を忘れさせ、解放してくれていた。
酒の力もあってか、より没頭できたというのに、外に置いていた兵士たちに邪魔をされたと憤慨した途端、兵士の一人が他の兵士を行動不能へと追い込んだのだ。
書庫の床に崩れた兵士たちが辛うじて、逃げて下さいと言うが、ホセインの足は見えない手にでも掴まれたかのようにピクリとも動かなかった。わなわなと震える体を止める事もできず、ダガーを手にした自分と同年代の少年が近づくのを見守ってしまう。
「お。お、お、お前は。ぼ、僕を誰だと、いや、それより、お前は誰の」
「ダリーシャス・オードヴァーンの命により、貴方を拘束させていただきます。生憎と、貴人相手に失礼のない振る舞いが出来るように教育されていませんので、不作法、ご容赦ください」
「きさ、きさ、貴様はやはり、ダリーシャスの、アフサルの部下、なのか」
これが自分の喉から出た言葉なのかと疑いたくなるほど、裏返った声にホセインは赤面する。レイはさして気にした様子もなく、
「部下と言うよりも、旅の仲間みたいなものですよ」
と、言った。そして、ホセインの視界から姿を消したのだ。驚き硬直するホセインの喉に冷たい刃が押し当てられた。喉から伝わる冷たい感触でダガーを当てられていることにホセインは遅れて気が付いた。
レイとしてはそれほど早く動いたつもりはなかったが、幾つもの修羅場を潜り抜け、望むと望まぬとに拘らずレベルを上げた結果、常人であるホセインからしてみれば十分怪物といえる存在になっていた。命の危険を感じた体が冷や汗を流す中、レイの落ち着いた声色がホセインの鼓膜を揺らした。
「再三言っているように命は取りません。ただ、貴方に大声を上げられては困るのです。ご理解いただけたのなら、これを咥えて貰えますか」
ダガーを握る手とは逆の手がホセインの視界の高さまで持ちあがると、そこには布が握られていた。その布を口に押し込めると、レイはホセインの体を隠し持っていたロープで拘束した。あっという間に身動きが取れなくなった少年が書庫の床に転がった。
まるで市場に並べられた魚のように微動だにしない少年を前にして、レイは今更ながらに罪悪感にかられる。
(冷静に考えると、一国の王子を夜中に猿ぐつわをして拘束するとかとんでもないことしているな。字面だけなら、極悪非道な奴だよな)
平々凡々な人生。何処で何を間違えたのやら。
幾ら敵対勢力の重要人物とは言え、十五歳の少年を相手にやり過ぎではないかと思いつつも、レイは作戦の段階を一つ進める。
書庫の窓を開け、事前に取り決めていた合図を外に送った。クトゥスから渡された香料入りの布袋の紐を緩めたのだ。何かの花の香りだと言っていたが、相当希釈されているのか袋を持つレイですら顔を近づけなければ匂いは分からない。
だけど、優れた感覚器官を持つ者ならこの匂いは簡単に嗅ぎ分けられるという。例えば狼人のハーフや暗殺者として特訓を受けた者ならすぐに分かるそうだ。
開け放たれた窓から複数の影が入り込んだ。それはローランやクトゥスといった別行動を取っていた者達だ。
クトゥスは転がるホセインを見て薄く笑った。
「上出来だ、坊主。ちゃんと目標人物を確保したんだな」
クトゥスの立てた作戦はシンプルだった。厳重な警備が敷かれている中をこそこそと進むのが不可能なら、ワザと騒ぎを起こす事で兵士たちの行動を誘導しようとした。
静かな水面に石を投げこむことで、波紋の広がり方から湖の大きさを計るように、騒ぎを起こす事で指揮官の居場所を探ろうとした。自分たちが襲った兵士たちの鎧を奪い、巡回兵に対して負傷したと思わせ、侵入者の存在を教える。その際に、重要な情報を手に入れたと囁き、自分から直接上の人間に伝えたいと言って、敵の懐に飛び込むのだ。
後は兵士の案内に従って指揮官なり、責任者の所へ向かい、その人物を無力化、確保して合流を果たせばいいのだ。回廊で倒れていた兵士たちの中にはクトゥスやローラン、マクスウェルなどが居たが、その中でレイが兵士の目に留まったのは偶然だった。
本来の予定ではホセインの居場所を知ってそうな兵士の元に辿り着く予定だったが、一足飛びに本丸に辿り着いた。
開け放たれた窓から続々と仲間達が侵入を果たす。その中にはダリーシャスの姿があり、拘束されているホセインは従兄の顔を見て悔しそうに罵るも、口に加えた布で全てくぐもってしまう。
「さてと。まずは王宮内の兵士を排除するとしますか。ホセイン王子、こちらのいう事を聞いているなら、目を一度閉じてください」
クトゥスの有無を言わせない口調に圧されるように、ホセインは両の瞳をゆっくりと閉じて、再び開けた。
「宜しい。それではこれから幾つか質問をしますが、肯定なら瞬きを一回。否定なら二回以上繰り返してください」
瞬きは一度だけ。飲み込みが早くて助かりますとクトゥスは言った。
「まず、この王宮に貴方以外のワシャフの息子は居るのか」
瞬きは一度だけ。この質問の答えは既にミストラルの技能などで判明している。言うなれば踏み絵だ。ホセインが正直に答えるかどうかを試すテスト。
「では次に。この王宮にカリバン王や十四氏族の族長たちは拘束されているのか」
瞬きは一度だけ。状況的に考えても、これだけの重要人物を監禁しているのなら王宮以外思いつかない。おそらく本当の事を口にしているはずだ。
「貴方はその場所を知っている」
瞬きは一度だけ。もっとも、この質問自体には意味は無い。助かりたいがために口先だけの返答をしているかもしれないし、実際の監禁場所とは別の場所を口にするかもしれない。どちらにしても、人の心に這入りこめるミストラルの技能がある限り、秘匿や隠ぺいは意味を成さない。
単にこちらのいう事を素直に従うかどうかを確認した。
なぜなら、次の質問という名の命令こそ重要なのだ。
「では、最後の質問……というよりも命令だ。王宮内にいる三百人の兵士を武装解除させ、城壁外へと出るように命令を下してくださいますか」
「むむぅ!!」
猿ぐつわの下からくぐもった声が上がる。目は驚きから硬直し、クトゥスを見上げたまま微動だにしなかった。何かを口にするも全て布に吸い込まれてしまう。話にならないと考えたクトゥスは猿ぐつわを解いた。
ホセインは口から肺へと空気を取りこみ、叫ぼうとするが、先んじてクトゥスが口を塞いだ。
「騒げば、どうなるか。分からないほど、愚かではありませんよね」
平坦な、淡々とした言葉の裏に途方もない圧力が潜んでいた。男が他の冒険者風の者達と違い、裏の世界に属しているのをホセインは肌で理解した。クトゥスはこくりと頷いた少年の口を押さえていた手を離した。
ホセインは脅迫に逆らわず、声量を絞って要求を突っぱねた。
「冗談じゃない。そんな事をしたら、僕が父上に殺されてしまうだろ」
誰よりも父親であるワシャフの恐ろしさを知っているホセインだからこその言葉。拘束されている体が、父への恐怖から震え出していた。
そんなホセインに向けてクトゥスは無言のまま腰のナイフを引き抜き、彼の顔にめがけて振り下ろした。衝撃音と共に、絨毯に穴が開いた。ホセインは顔の真横に突き刺さったナイフを見た。磨かれた刀身に怯えた自分が映っていた。
「ならここで死ぬか。どちらか選んでもらおうか」
返事はすぐに返ってきた。
それは突然響いた。
『王宮内全ての兵士に告げる。こちらはダリーシャス・オードヴァーンの手勢である!』
侵入者探索に追われ騒めきだした王宮の隅々まで謎の声が響いた。兵士たちや、王宮で働く者達全員の耳を揺らす声は、まるですぐ傍で語り掛けるように明確に響く。
誰かが、魔法で拡声した声だと看破したが、どこからするのかは不明だった。兵士たちは一言一句聞き漏らすまいと声に集中した。
『現在、我らはホセイン・プラティス王子の身柄を拘束している。彼の命は無事だと保証しよう。……今の所はな』
ホセインが拘束されていると知ると誰もが色めきたった。あまり兵から人気があったという訳ではないが、それでも彼は王子だ。それも失敗を許さないワシャフの息子。これだけの厳重な警備の中で怪我どころか、命まで奪われた暁には兵たちが全員、頭と胴体を二つに分ける羽目になってしまう。
何人かの兵士は書庫へと向かった。ホセインがそこに居るという事を知っていたからだ。だけど、そこに居たのは気絶し、拘束されている同僚の姿だけだった。
ホセインはおろか、レイ達の姿もなく、開け放たれた窓から夜風が入り込んでいた。
そのまま出所不明の放送は続いた。
『こちらの要求は簡単だ。君たちの武装解除と、王宮を囲む城壁からの退出である』
一方的な要求は兵士たちの顔を険しくさせた。オーマットの心臓部である王宮を含めた主要施設を囲う城壁は、門が一つしか存在せず、他の方法での侵入を固く拒む。一度王宮が敵の手に渡れば、奪還には多くの兵と時間が必要になる。
まだ影すら見えていない侵入者ではあるが、鮮やかと言える手際の良さから相当な手練れだと判明している。とてもじゃないが首都に残る兵だけで奪還は不可能だろう。
『君らに与える時間は十分とする。それまでに武器を捨て、速やかに門より外へ出たまえ。十分後、兵士の姿を見かけた場合、ホセイン王子に不幸な出来事が起きるだろう。それと、非戦闘員に通達するが、こちらが許可を出すまでは自室にて待機をしてほしい。例え、非戦闘員であっても、許可なく出歩けばホセイン王子に責を負ってもらおう』
十分という短い時間では何かしらの工作をする時間もない。交渉して時間を稼ごうにも、脅迫者と接触できないせいでどうしようもなかった。八方塞がりの状況に兵士たちが歯噛みしていると、老人のような喋り方をした張りのある声が最後にと口にした。
『君らへの信頼の証として、ホセイン王子の言葉を頂戴するとしよう……ホセイン・プラティスである』
響く声の種類が切り替わった。年若い、どこか神経質そうな声に聞き覚えの合った兵士たちは、どこからか聞こえる声に向かってホセイン王子だ、と叫んだ。
『兵士諸君に告ぐ。速やかに、武装解除をし、王宮内からの撤退を命じる。繰り返すが、これは命令である。十分以内に武装解除をし、速やかに王宮内から出て行くのだ。さもないと、僕が……僕の命が』
と、声の終わりが震え出した途端、ぶつりと音を立てて途切れてしまった。まるで狙いすましたかのような最悪のタイミングでの切断。命がどうなるというのか。
兵士たちは混乱の渦へと叩き落された。
下っ端の兵士は隣に居る同僚の肩を掴み、どうするべきか囁き合い、上役の兵士たちはこの状況の責任を擦り付け合った。誰もホセインを助けようとはしなかった。
そんな中、一人の兵士が手にした槍を床へと放り投げた。それどころか、着けていた鎧すら脱ぎ始めたのだ。近くに居た同僚が止めに入った。
「おい、お前。何をやっているんだ!」
「見て分かんねえのか。要求に従って、武装解除しているんだよ。お前らこそ、何やってんだよ」
咎めた同僚を含めた、周りの兵士を睨む男。兵士たちは男の強い視線にたじろいでしまう。
「相手は王子を、この警備の中で拘束して、雲隠れできるだけの戦力なんだぞ。俺達みたいな普通の兵士がいくら束になっても勝てっこない。それどころか、時間が過ぎたら、ホセイン王子を殺すかもしれないんだ。そうなったら、本当に取り返しがつかないぞ。いまなら、敵に脅されて仕方なく従うっていう言い訳が使えるだろ」
兵士としての職責よりも、自分の命を優先した男の卑下した物言いに兵士は反発しつつも、言葉が出なかった。むしろ、悪魔のような囁きがどこからか聞こえてきた。こいつの言っていることは間違っていない。余計な正義感や義務感を振りかざして王子が死んだとして、誰が責任を取れる。
そんな悪魔に囁かれたのは一人だけでは無かった。男に続けとばかりに兵士たちは武器を捨て、鎧を脱ぎだした。それは王宮内の至る所で、当たり前のように起きだしていた。
十分後。三百人いた兵士たちは王宮内から姿を消したのだった。
「……こんなに上手く行くとは、正直思っていなかった。どうやら、ワシャフ・プラティスの威光も、随分と張りぼてだったようだね」
兵士たちが列になって門へと消えて行くのを議事堂から見おくったローランがポツリと呟くと、同じ光景を見ていたレイも頷いた。
レイ達は書庫から場所を移し、議事堂へと避難していた。兵士たちは侵入者探しに躍起になっていたが、その注意はあくまでも王宮内部にしか向いておらず、廃墟同然の議事堂には誰も意識を払おうとしていなかった。
「仕方あるまい。ワシャフの反乱は、言ってしまえば自己保身からの反逆。国を良くするためという高潔な精神や、歪んで限界を迎える体制を変える為といった熱い情熱に起因していない。そんなのが頭を張っていれば、下もおのずとその気風になってしまう」
自分の元雇い主を厳しく表現したクトゥスはそのままヌギド族の男達を連れて門の方へと向かった。内側から門を閉める手はずだ。
本来、ローラン率いる《神聖騎士団》の面々なら三百人程度の兵士たちを正面から叩き潰すという荒業も可能だった。実際、ローランのような脳が筋肉で出来ている組はそう主張した。だけど、それに待ったを掛けたのはダリーシャスとマクスウェル、それにシアラといった脳が筋肉で出来ていない組だった。
彼らはダリーシャスが王や族長たちを相手にする時、単なる救出では無く無血で救出するという結果の方がよりインパクトを与えられると主張したのだ。アフサルが民に血を流させてまで勝利を掴もうとするのと真逆の行為をする事で、違いを演出したかった。
最終的に多数決で無血での救出案が採択された。ちなみに、正面から叩き潰すという案にこっそり賛成を示していたリザはレイとレティの容赦のない視線を浴びて縮こまっていた。
「それじゃ、僕らは王宮内に戻ろうか。ミストラル、彼から情報は引き出せたかい」
彼とは用済みとばかりに意識を失わされたホセインの事だ。少年は拘束されたまま議事堂のひび割れた床に転がっていた。
「ええ、もちろん。カリバン王と族長たちの監禁場所は全部わかったわ」
ダリーシャスが作った王宮内の地図にミストラルが印を付けて行く。どうやら族長らは分散されているがどれも近い場所に固まっている様だ。問題はカリバン王だ。彼だけは王宮内の奥まった場所に囚われているようで、行くだけでも時間が掛かりそうだ。
「なら、数人はここでホセイン王子の監視を。残りは最重要人物であるカリバン王と族長たちの解放に回ろう。兵士たちの大部分は武装解除に応じたが、もしかすると中には気概のある奴もいるかもしれない。そうなった時を警戒して、防具は装着。気を緩めないでくれよ」
ローランの指示に従い、レイは馬車を取り出して元のサイズに戻した。ポケットに入るサイズから、自分たちが寝泊まりしても余りある大きさにまで膨れ上がるのは何度見ても不思議な光景だ。
馬車の中に積み込んでいた《ミクリヤ》と《神聖騎士団》の装備品を下ろし、各自が手早く身に着けた。
「皆の衆。あと僅かで、王を、族長らを、首都をワシャフの支配下から解き放てる。すまないがあと一働き、頼むぞ」
ダリーシャスの言葉に、全員が頷き、王宮へと走り出した。当然、その中にはレイたちも居た。
青い月光が夜空を照らす中、先頭を走るダリーシャスの背中を見ながら、レイはふと気が付いてしまった。
計画通りに事が運べば、太陽が昇る頃には何もかもに決着が付くはずだ。外で行われている戦争が、アフサルが勝ったとしても、ワシャフが勝ったとしても、ここから先は政治の領域である。解放された王と族長たちの力を借りて軍を解体させ、武力を取り上げ、政治の場に引きずり込む。
そこに単なる冒険者の自分が介入する事は出来ないのだ。剣を振るって主張を押し通すような事はもうない。《ミクリヤ》が力を貸せる場面はもう無いのだ。
―――ダリーシャスとの旅の終わりが近づいていた。
それを寂しいと思ってしまうのは、仕方がない事だった。
読んで下さって、ありがとうございます。




