7-46 首都解放作戦Ⅰ
デゼルト国首都オーマットにおける、最も重要な施設である王宮は贅沢の象徴であった。幾つもの楼閣が渡り廊下や回廊で繋がり、豪華絢爛な調度品が所狭しと並べられ、熱砂の大陸でありながら水路を通して噴水が設置され、何十人もの奴隷を雇う事で清潔さを保つ。だが、その見てくれとは裏腹に内部は裏切りと欺瞞、そして謀略が渦巻く伏魔殿。
カリバン王が倒れ、いまの主として取り仕切っていたのはワシャフだが、彼とその息子五人は不在だ。ベヘンナディー盆地へと軍を率いて行った。後を任されたのは末の息子であるホセインだった。
戦というのは混沌が支配する空間。何が起きても不思議ではない。まかり間違ってアフサルの首をホセインが獲るという事も十分あり得た。そうなれば兄弟間のパワーバランスが大きく崩れてしまうそんな兄たちの警戒心から彼は一人、留守役を押し付けられたのだ。
そんなホセインの姿は自室では無い別の場所にあった。王宮内の一角にある、書庫に彼は居た。王族の歴史や、デゼルト国の詩人や物書きが発表した創作物、法律や判例など書き記した書物などが大量に収められた書庫は限られた人間しか入れない。まして夜中に居るのはホセイン一人だった。
少年は戦場に出ずに済んだことに安堵する一方で、出兵直前に兄たちに馬鹿にされたことに憤りも感じていた。自分を愚弄する嘲笑が耳にこびりついて離れなかった。見上げた兄たちの蔑む視線を忘れられない。
だからか、いつもは手を出さない度数の高い酒を舐めるように飲み、アルコールの力を借りて夜を過ごそうとしていた。いくら戦場から離れているとはいえ、いまは戦時下。首都の留守を預かった人間の取るべき行動では無かったが、彼を叱りつける父も馬鹿にする兄たちも居なかった。護衛の兵も要らないと言ったが、流石にそこは譲れないのか兵士が二人ほど扉の前で陣取っているが、それ以上の介入をしてこない。
いまだけは、この王宮は彼の物だった。
そんな王宮に不審な影が幾つも迫るのを、彼は気が付かないでいた。
議事堂から王宮へと移動したレイ達は、物陰に隠れながら単眼鏡を覗いていた。丸い視界の中で警護の兵士たちが王宮内を巡回しているのが映る。
「やはり、王宮内部となれば警備は一段と厳しくなっているな。ダリーシャス王子。いつも、これぐらいの警備なのですか」
「いや、違うな。確かに普段から警備は厳重だが、ここまででは無いぞ」
「だとすると、貴方が事前に教えてくれた王宮内の巡回図は信用しない方が宜しいですね」
事前にダリーシャスから王宮内の見取り図と、兵士たちの巡回する際のパターンを聞いていたが、後者の方は役に立たない。何しろ、三百人もの兵士が王宮内の警備に当たっているのだ。巡回する兵士だけでなく、彫像のように身じろぎせずに見張る兵士が等間隔で配置されている。
ここまでの厳戒態勢をダリーシャスは見たことがないと口にした。
裏を変えせば、ここにカリバン王と十四氏族の族長たちが監禁されているという可能性は高くなった。
「まずはここの責任者であるホセイン王子の身柄を押さえたいんだけど、ミストラル。さっきの兵士からホセイン王子が何処に居るのか調べられたか」
「残念ながら、あの兵士はそこまでの情報を持っていなかったわ。ただ、王宮の何処かに居るという事ぐらいは拾えたけど」
「あの……ミストラル様はあと何回、先程の技能を使えるのですか」
リザがおずおずと口を挟むと、ミストラルは指を三本立てて答えた。
「連続で使えるのは三回まで。だから、あと二回だけね。ホセイン王子のような立場の方なら王と族長たちの監禁場所を確実に知っているはず。だから、その分を取っておくとしたら使えるのは一回よ」
「そうなると、その辺の兵士に使うのは賭けになるわね。王子の居場所を探ろうとして下っ端兵士を捕まえたとしても知らなかったら無駄打ちに終わっちゃうわ。出来るなら、兵士たちを束ねる隊長とか、現場の責任者を捕まえたいわ」
「甘いぞ、魔人種の娘。あんな厳戒態勢の中、兵士一人をさらうこと自体不可能だ。常に互いを視界に捉えながらも外敵に備えている、綿密な守り。兵士が一人いなくなっただけで侵入がばれてしまう」
暗殺者として多くの施設に潜入してきたクトゥスは己の経験則から、王宮の守りが完璧だと言い放った。
「『聖女』の技能は対象の意識を奪ったうえで触れなければならないのだろ。王子の居場所を知っている、位の高い兵士ほど周りに兵を置いている。やはり不可能だろうな」
「不可能、不可能っていうのは簡単だけど。そこを如何にかして突破するのが暗殺者の腕の見せどころじゃないのか」
挑戦的な物言いにクトゥスはニヤリと唇を歪めた。
「ふん、抜かしおるわ。……そうだな、一つ手が無いわけじゃない」
そう前置きしてから説明しだしたクトゥスの作戦は確かに有効な手といえた。だけど、リスクも高い。何しろここに居る誰かが敵の懐に飛び込むのだ。その上、こちらが侵入したことも敵に知られてしまう。
「だが、他に使えそうな手は無い。ならば、やるしかあるまいな」
ダリーシャスの言葉に全員が覚悟を決めた。
王宮内の一角。建物同士を繋ぐ回廊の周りは芝や木々が植えられ、13神や精霊を模った像などが置かれている。そこも当然のように兵士たちが巡回し、あるいは定点観測のカメラのようにじっと闇を睨んでいた。
かがり火が焚かれていると、その辺りだけがぼうと浮かび上がっている。闇の中に潜む者からすれば、兵士の位置を明確にしてくれる分、有り難かった。
魔法使い達が杖を抜き、そのかがり火に向けて水の魔法を放つ。暗がりから放たれた魔法はかがり火を掻き消した。
あっという間に闇の中に沈む回廊。兵士たちは網膜に残る魔法の残滓に反応して、武器を構えた。良く訓練された兵士たちだったが、彼らは音もなく忍び寄る暗殺者集団の攻撃に沈黙していった。
次々と意識だけを奪われる兵士たち。闇の中で何かが動いているのだけは分かるのだが、それが何か分からないまま、最後の一人も後ろからの一撃を受けて昏倒した。
僅か十数秒で、回廊周辺に居た十人近い兵士たちは無力化されたのだった。
巡回の兵士たちがその現場に訪れたのは五分後の事だった。かがり火が落とされ、倒れている兵士たちを前にして彼らは驚き慌てふためいた。
「おい、おい! お前たち、どうしたんだ。しっかりしろ! 一体、ここで何があったんだ!!」
二人一組の巡回兵は一人が倒れている兵士へと駆け寄り、もう一人が辺りを見回して警戒していた。ここで何かがあったのかは確実だ。問題は、その何かがまだ付近に潜んでいるかもしれない。腰の剣に手を伸ばし、辺りを油断なく見つめていた。
「おい、しっかりしろ! 誰か、喋れる者は居ないのか!」
うめき声ばかりが返ってくる中、倒れている兵士の兜を取ろうとした巡回兵。すると、その倒れている兵士が巡回兵の手を掴んだ。掴まれたことに一瞬驚くも、意識がある事にホッとした巡回兵は倒れている兵士を抱き起した。
「ここで何が起きたんだ。敵襲か!?」
「う……うう。そ、そうだ。敵、襲だ。かがり火が消えたと思ったら、あっという間に、皆やられてしまった」
「くそ、やはりそうか! 数や、何か敵の正体に繋がる重要な情報は無いのか? お前は何も見ていないのか?」
巡回兵の質問に兵士は口籠りながらも答えた
「……あ、あるぞ。だけど……これは……まさか」
「なんだ。お前は何を見たんだ!!」
口を濁した兵士に巡回兵は苛立った様子で返した。数秒考えたあと、兵士は重い口を開く。
「う、裏切者が居る。ぼ……俺はそれを見てしまったんだ」
裏切り者という単語に警備兵のうなじが逆立つ。瞬間的に幾つもの可能性が頭を過る。なにしろ、ここは裏切りと欺瞞、そして謀略が渦巻く伏魔殿。ワシャフ陣営とて一枚岩では無い。むしろ、これまで恐怖政治を取り仕切っていたワシャフが居なくなったことで何かが動き出そうとしているのかもしれないと兵士が思っても仕方がない。
「それはどういう意味なんだ。お前は誰の裏切りを見たのだ。黙っていないで、早く答えろ!」
「そ、それは言えない。お前も裏切り者かもしれない。これは、俺の口から上に報告する」
言って、立ち上がろうとする兵士だが、まだ足に力が入らないのか崩れ落ちそうになるのを巡回兵が受け止めた。
「……分かった。しかし、お前一人じゃ歩けそうもないだろ。俺も一緒に行ってやる。おい、悪いが、ここの事は任せてもいいか」
相方が頷くと、巡回兵は兵士に肩を貸した。その際、随分と軽いなと思った。まるで、少年のような軽さだ。そんなまさかと思い、馬鹿な考えを頭を振って追い出すと、
「それで裏切り者を誰に話すんだ。まずは隊長に連絡するか? それとも隊長を飛び越えて上に直訴するべきか」
「出来るなら、ホセイン王子の所へ」
「おいおい! 本気で言ってるのか!? ……それだけ事態は逼迫しているって事なのか」
兜が肯定を示すように縦に動いた。
隊長などを数段飛ばして、一気にホセイン王子に伝えなくてはいけないのかと巡回兵は唾を飲み込んだ。そして、分かったと返すと肩を貸したまま廊下を進んでいった。
残された巡回兵は医師と増援を呼びに別方向へと走り出した。再び、倒れている兵士たちだけになった回廊。うめき声を上げていた兵士たちだったが、突然、彼らが一斉に起きだした。
つい今しがた気絶させられた者とは思えないほど機敏な動作で鎧を脱ぎ始めた男たちは、巡回兵と共に歩き出した兵士の方を向きながら話す。
「十分の一の確率で彼に行くとはね。人数合わせで着て貰ったんだけど、これは裏目に出ちゃったかな。彼一人で大丈夫かな。あっちの草むらから心配そうな視線を感じるんだけど」
「何かしらに巻き込まれてしまうという妙な運を持っているという事だろう。まあ、アルビノ砂漠での立ち振る舞いを見れば、それなりに場数を踏んだ冒険者だとお主も理解できよう。彼なら大丈夫だ。それより手を早く動かせ。先の兵士が戻ってくる前に元に戻すぞ」
張りはあるのに、老人のような喋り方の少年に急かされ、男は鎧を脱いでいった。
数分後。医師と他の兵士を伴って戻ってきた巡回兵の前には、先程と同じく、兵士たちが倒れている現場が広がっていた。
しかし、巡回兵は不思議だとばかりに首を捻った。どういう訳か、先程とは何かが違うという違和感が付き纏ったのだ。だけど、それが何なのか彼には分からなかった。
王宮内が俄かにざわつき始めた。巡回兵の発見と報告により侵入者の存在が露見したのだ。あちらこちらを忙しそうに兵士たちが駆けて行く中、巡回兵は重要な情報を握る兵士と共にホセインが居る場所へと辿りついた。
そこは寝室や執務室などでは無く、書庫だ。
巡回する前に、隊長から通達があった。ホセイン王子が書庫に篭っており、あまり騒がしくするなと。巡回の時も、書庫の付近は極力音を立てないようにと厳命されていたのだ。
書庫の前には兵士が二人、門番のように身動きを取らずに構えていた。だけど、彼らにも王宮内のざわめきが伝わっているのか兵士を見るなり何があったのかと尋ねて来た。
「侵入者だ。回廊で兵士がやられているのを発見したんだ。とはいえ、侵入者の数も特徴もまだ不明だが」
「なんと! それで、お前らは何を」
「俺は巡回中にこいつを見つけたんだが、こいつは敵に関する重要な情報を知ったんだ。それもホセイン王子に、直接お伝えしなければならない情報らしい。だから、そこを開けてくれ。一刻も早く、伝えなければならないんだ」
番兵たちは顔を見合わせた。そして、分かったと返すと書庫の扉を開いた。
書庫は最低限の明かりしか灯っておらず、夜の海上から浮かび出た灯台のように、ホセインの姿がはっきりと見えた。扉が開いた音に反応して酒の入ったグラスから顔を上げた、幼さを残す少年は不機嫌そうに口を開いた。
「おい、お前ら。誰の断わりを得て入室しているのだ。大体、先程から騒々しいぞ。何が起きているんだ!」
「も、申し訳ありません。ですが、この者らのいう事にはどうやら侵入者が入り込んだようで。現在、王宮内の兵たちが対応に追われています」
「な、何だと!! 貴様ら、この王宮に侵入者を許したというのか。父上が知ればお怒りになるだろう。……いや待てよ。そもそも、どうしてそんな事を僕に報告しているのだ!」
首都の警備を任されたとはいえ、彼は責任者であって司令塔のように現場に指示を出す訳ではない。侵入者が来たからと言って、陣頭で指揮なんて取れない。嵐が終わるのを隠れて待つぐらいしかできないのだ。それぐらい兵士たちとて知っているはず。
それなのに兵士たちが自分の所にやって来たのを不審そうに思う。酒を舐めるように飲んでいたお蔭か、頭はハッキリと回っていた。
「ご報告いたします。実は、この兵が襲撃された時、裏切り者を見たと口にしたのです」
「裏切り者だと? 意味が分からないぞ。一体誰が裏切ったというのだ。説明しろ!」
「それが、この者、王子以外には話せないとの事でして。おい、お前。王子に報告しろ」
巡回兵は肩を貸している兵士に声をかけ―――兵士が手にしていたダガーを見て硬直した。王子の前で武器を抜いているという事も異常だが、その武器が兵士に配給されている装備品とは一線を画しているのだ。モンスターの牙を研ぎ、根元の鍔が剣を受け止める機構になっているソードブレイカーの面を持つダガーなんて、一介の兵士が持つには分不相応。
そんな物は冒険者が愛用している武器だ。
「貴様、一体何奴だ!」
「案内ご苦労さま。そしてお休み」
ダガーを見た瞬間、誰何の声を上げるのと同時に、巡回兵は刃を抜き放った。兜を狙った一撃を兵士はそれまでのおぼつかない足取りが嘘のように機敏な動きで掻い潜った。そして突然の抜刀劇に驚く番兵二人を含めた三人の兵士を、ダガーから放った紫電で昏倒させた。
次々と音を立てて崩れ落ちる兵士たちにホセインの脳は停止した。目の前で起きている状況に理解が追いつかないのだ。呆然と立ちすくむ中、兵士が顔を隠す兜を脱ぎ去った。
兜の下から現れた顔は想像よりも幼かった。おそらくホセインと同い年ぐらいの少年。黒髪に白髪が混じるという特徴的な頭髪に、目の下に走る傷。ふと、機能停止に追い込まれたホセインの脳がある情報を吐き出した。
それは自分の従兄であり、アルビノ砂漠で追いかけていたダリーシャス・オードヴァーンが共に行動していると思しき冒険者の特徴と一致しているのだ。
「さて、ホセイン王子。改めて自己紹介からさせていただきます。僕は《ミクリヤ》所属のレイと申します。見ての通り、侵入者です」
白髪まじりの黒髪が揺れ、レイは申し訳なさそうに続けた。
「とりあえず、人質になって下さい」
読んで下さって、ありがとうございます。




