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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第7章 熱砂の国
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7-44 ベヘンナディーの戦い

 夏の下月が終わる頃、一月に渡って起きていたデゼルト国の動乱に決着がつこうとしていた。


 デゼルト国首都オーマットから北西に二十キロほど離れた場所にてアフサルの旗揚げした討伐軍と、自らを王と名乗るワシャフの軍が対峙する。


 アフサルの軍は七氏族及び義勇兵からなる三万五千と、帝国より派兵された一万、合わせて四万五千。


 対するワシャフは七氏族から、金で雇った傭兵達五千、そして徴募して集めた一万。合わせて五万五千の兵を展開していた。


 ワシャフの軍勢がこの局面で倍に膨れ上がったのは、ガヴァ―ナへの偵察を成功させた部隊からの報告のお蔭だった。一万の帝国兵と竜騎兵という存在は親書の真偽はともかくとして、帝国との間に軍事締結が為された証明となった。


 これまで消極的な協力しかしてこなかった族長たちの気持ちを固めるのに十分役立った。王宮内で拘束されていた彼らの呼びかけで兵が増えたのだ。


 かくして戦力で上回る事の出来たワシャフだが、懸念が二つほどあった。


 一つは民衆から徴募した兵士。これは元を正せば戦士階級では無く、農民階級。普段は農地や放牧などで稼いでいる者達だ。戦士階級とは違い、長槍を持ち上げ振るだけの事しか出来ない、弱兵の集まりだ。彼らの目的は金である。直に秋を迎え、冬に突入する前に、少しでも蓄えを得ようと集まった。


 それでも一万という数はハッタリに使える。敵とぶつからせず、予備として戦場に居るだけでも相手に圧力を掛けられる。戦場の前線に出さなければ十分に役立つ。


 一番の懸念は、籠城戦を封じられている事だ。


 竜騎兵。帝国が持つ、二つの切り札の内の一つ。いわば虎の子の部隊を帝国が派兵させるなど、誰が予想できたか。


 空を雄々しく舞う竜騎兵を相手に籠城は意味を成さない。どんな城壁も一跨ぎで越えられ、亀のように縮こまっている自分たちの頭に魔法を落とされてしまう。


 いまだ二次元での戦いが主流であるエルドラドにおいて、空という次元を一つ上げた戦争は常識外である。対空戦という概念がないのだ。


 外征を虎視眈々と狙う帝国という脅威を認識しておきながら、竜騎兵への対策を怠っていたのは意識の欠如と非難されることではあるが、竜騎兵の主な仕事が海上防衛のためと、絶対数が少ないため警戒度はそれほど高くなかったという事情がある。


 そのツケをワシャフは払う事になる。


 首都の防壁に隠れていれば、街に対して爆撃魔法が落とされ、城下は火の海となりかねない。下手をすれば、民衆の怒りの矛先が敵ではなく、殻に篭る自分に向かうかもしれない。死への恐怖から我を忘れた民衆が暴徒と化して王宮に殺到する姿を想像して身震いする。


 そんな時に、アフサルからのメッセージを携えた使者が訪れた。


 曰く、そちらが首都に篭らないのなら竜騎兵を戦場にて使わない。正々堂々と矛を交わそうという内容だった。つまり、野戦で決着をつけようという事だ。


 アフサルにしても竜騎兵という存在は諸刃の刃だった。


 確かに、空から一方的に魔法を落とせば、敵への損害は甚大。加えて戦意を挫き、総崩れを狙える。だが、それは後の統治に大きな影を差す。


 いまだ騎士道のような決闘がまかり通る時代。空から一方的な虐殺を指揮したとなれば、アフサルへの民衆の支持は一気に低迷する。ワシャフに籠城策を取られ街への攻撃を許可した結果、首都が火の海になれば統治なぞ夢のまた夢だ。


 かといって、竜騎兵を使わず首都を包囲し普通の城攻めをした場合、多大な時間と物資を消費する羽目になる。それでも。帝国は既に第二陣、第三陣の部隊を送り込んでいる。それも、自分が率いている軍勢と同程度の大兵団だ。軍事大国である帝国が居る限り、兵の補充は思うがままだ。大軍勢が首都を取り囲めば、否が応でも開城するだろう。


 それに籠城ともなれば補給の問題がある。いまの時期は夏の終わり。収穫前という事もあり、首都の備蓄はさほど多くないと間諜から情報は上がっていた。相手に補給を許さなければ、干上がるのも時間の問題だ。


 もっとも、時間はアフサルの味方をしてくれるわけではないのだ。元々、短期決戦でデゼルト国を掌握しようとしていたアフサルの策略は、時間をかければかけるほど破綻しやすい。いまにも決壊する堤のように脆い。


 平野に引っ張り出し、ワシャフと言う悪逆の徒を討ち、内外に対して正当な王であると主張し、帝国の庇護下で領土拡張を行う。武と利を持って十四氏族を黙らせ、安寧と繁栄で民に夢を見せる。


 それがアフサルの構想だった。


 それゆえ長期化しやすい籠城戦をワシャフには選択して欲しくなかった。わざわざ使者まで出して、野戦で決着をつけようと誘うのだ。


 同時に、十四氏族が治める州にも同様の報せを送ったとメッセージには記した。これでワシャフが籠城戦を選んだとしたら、お前は腰抜けだと国内に知らしめることになるぞと挑発を添えて。


 アフサルの思惑を全て理解しておきながら、ワシャフは野戦を選ばざるを得なかった。外堀を埋められてしまい、どうあがいても打って出る以外の選択肢が無かった。


 一応の備えとして、首都には千の兵と自分の息子の中で一番使えない臆病者を指揮官として残して、アフサルは出兵する。


 かくして両陣営は首都からほど近い盆地で決戦を迎える事になった。


 川を挟んで睨みあう両陣営。


 アフサルは連なった山々を背に陣を張り、ワシャフは首都への道を背に陣を張った。


「背水の陣という訳か。子憎たらしい真似をして」


 陣幕に居るワシャフが偵察部隊から上がった情報を纏めて作られた、戦場の概略図を前にして苦々しく呟いた。山を背負い退路を断った事で士気を挙げるのが狙いなのか、それともほかに何か狙いがあるのか。


 ともかく、盆地という地形の事もあって、アフサルの軍は縦隊を敷いていた。先に戦場に到着していたアフサルに合わせる形で、ワシャフ達も似た陣形を取る事になった。概略図から眺めると、一本の丸太が伸びているような奇妙な図となっている。


 何しろ間に阻まれた川のせいで馬を使った渡河が出来ず、歩兵中心の戦争となるのだ。左右に兵を展開させれば中心が薄くなり、突破される確率も高くなる。一応、敵が正面以外の方向から渡河する場合に備えて、幾らかの兵を左右に展開しているが、総大将であるワシャフの居る部隊の前には、何千という兵が壁のように並んでいた。仮に、アフサルがワシャフの首を獲ろうとして中央突破を図ったとしても、行く手を阻む壁は何枚もある。一枚、二枚突破してもびくともしない。


 もっともそれは敵も似た陣形を取っている以上、同じ事なのだ。


「これでは互いに前線から消耗していくだけの、単純な戦となりましょう」


 何処か不満そうに呟いたのは血気盛んな次男だ。いま、ワシャフの陣営には部隊を預かる将軍として自分の息子たちが並んでいた。


 六人居る息子たちの、末子を除いた五人がそれぞれ将軍として指揮をする。


「いってみれば、これは押し合い。川を挟んだ向う側へと敵を押し続けて、アフサルの首を獲れば終わりという、実につまらない戦いですな、父上」


「確かにな。もう少し開けた場所なら、騎馬による運動戦が可能だというのに。父上に私の兵法を御覧に入れる、よき機会を逃してしまったではないか。この場所を選んだアフサルの卑怯者め」


「兄上の兵法なんぞ、頭でっかちの机上の空論。それよりも実践から学んだ俺の方が優れているぞ」


「何だと、貴様」


「うん? やるか」


 長男と次男がにらみ合う。それを冷ややかな視線を送るだけで止めようとしない、残りの三人の兄弟たち。彼らは既に、この戦争後の地位争いに目を向けていた。


 父であるワシャフが正当な王であると内外に主張出来たなら、自分たちは次代の王である。となれば、兄弟は次の玉座を争う政敵。いずれ敵となる相手よりも、一歩先んじるために此処で功績をあげ、父から褒章を得ようとするのは自然な流れだった。そのため、アフサルが単なる縦列を敷いているのに対して、ワシャフの軍勢は二列の縦列を敷く羽目になった。前へ前へと出たがる将軍たちの気質が、兵に伝播して前掛かりになっている。


 先陣争いをする息子たちを頼もしく思いつつも、足並みの乱れが敗北に繋がりかねない事を知るワシャフは口を挟もうとした。


 ところが、陣幕に飛び込んできた伝令に視線が集まった。少し前から戦場一帯は敵味方入り乱れて、幾つもの妨害魔法が発動していた。これによって魔道具間での連絡が使えなくなっており、情報の伝達は伝令だよりとなる。


「報告いたします。アフサルの先陣が、川を渡河し、攻め入ったとの事。現在、我が軍の先陣が受け止めております」


 太陽が真上を通過した頃、遂に開戦したのだった。







 アフサルの先陣、およそ三千の兵は渡河すると、休む暇もなくワシャフの先陣とぶつかった。どちらも十四氏族から派兵された、いわば同胞同士。


 つい数か月前までは同じ国の、同じ民であったのに、今では手に剣を、槍を、弓を、魔法を使い殺し合っているという状況だ。それを嘆く暇はない。手を止め、足を止め、何かを考えている者から戦場では死んでいく。


 アフサル側からの奇襲とまでは行かないが、先制攻撃に浮足立ったワシャフ側だったが、直ぐに態勢を立て直し反撃に出た。ワシャフ側の兵士が倒れて行く中、三千のアフサルの兵も削れて行く。


 奇妙な事に、アフサル側からこれ以上渡河してくる兵は居なかった。川を隔てて孤立した三千の兵は、あっという間に半数まで減ってしまう。


 指揮官が撤退を告げた時、兵士たちは鎧や武器などを放り捨てて川へと飛び込んでいった。そこに弓や魔法が放たれ、川は兵士の血で赤く染まっていく。


 突発的に始まった、さや当てのような戦闘はワシャフ側の勝利で終わる。それなりの被害を被ったが、それ以上に緒戦に勝利したことに兵士は勿論のこと指揮官である将軍たちが沸いた。


「見よ、勇猛なる兵士諸君。我らを賊軍と呼び、浅ましくも帝国と密約を交わしたアフサルの兵の、哀れな姿を。彼らは僅か一当てでかくも無残な姿をさらした。敵は弱兵の集まりだ。いざ、進め!! 勝利は我らの手に!!」


 勝利に沸き立ち、更なる戦果を求めて次男の軍が渡河を始めると、競うように長男の軍も動き出した。


「敵は烏合の衆なり。一当てすれば逃げ帰る臆病者だ。同胞を討つのは心苦しいが、全ては正当な王と、そして何より我らの大地を守るためだ。敵の骸を突き進み、アフサルの首を獲るのだ!!」


 功を競い合うように進軍する長男と次男。それは次第に熱のように伝播して後続の兄弟たちにも届いてしまう。彼らも続けとばかりに軍を前進させる。


 かくして、ワシャフの軍勢は渡河を始めてしまう。応戦するようにアフサルから弓や魔法の攻撃が放たれるも、それは散発的で、鼻息を荒くして突撃を命じる者達の士気を挫くことにはならなかった。


 半数の兵が渡河に成功した頃、両軍の先端がぶつかり合う。


 勢いはワシャフの方にあった。緒戦を勝利した勢いのまま、アフサルの陣形を縦に切り裂いてく。遠くに見えるアフサルの本陣まで届けとばかりに将軍たちは喉が張り裂けそうになりながら兵を鼓舞する。


 だが、その勢いが止まってしまう。


 アフサルの陣の三列目にはあの帝国軍の部隊が展開していたのだ。


 迷宮で鍛え、日頃から軍事訓練を欠かすことなく行い、何より数年前に起きた内乱を鎮圧した経験のある帝国軍の厚みは凄まじかった。


 ワシャフの軍勢を一歩も通さず、何度も弾き返した。鉄壁の陣地を崩すには、搦め手しかない。


 一度兵を退こうと長男と次男はどちらともなく決めた。敵の懐に深く入り込んでしまい、このまま突破できなければ取り囲まれると常識的な判断をしたのだ。


 ところが、彼らの予想に反して、後方が詰まってしまう。兄たちにばかり手柄を取られてたまるかと押し寄せた三男たちの軍が渡河を済ませてしまい、退路を塞いだのだ。


 功を欲して前進を続ける後方部隊と、態勢を立て直すべく転進しようとする前線。例えるなら、切り立った崖を前にして背中を押されるようなものか。


 逃げ場のない戦場で長男と次男の軍勢は帝国軍を相手に消耗し続けた。


 まるで石臼で削られるかのように減っていく兵士たち。死すら覚悟した二人だったが、時が味方してくれた。


 太陽が沈み始める頃、アフサル軍が全体的に後方へと移動を開始したのだ。ズルズルと縦長の軍勢が盆地を形成する山の方へと移動しだした。


 距離を取り始める帝国軍を追いかけるだけの体力は二人には無かった。どうにか生き残った兵を回収して、彼らも撤退した。


「貴様ら、私達を殺す気なのか!?」


 その夜。ワシャフの本陣に怒号が響いた。結局前線が渡河したことを受けて、ワシャフの陣も渡河せざるを得なかった。川に軍勢を分断されることを恐れた行動だが、そのために川を背負う事になった。


「兄上たちが調子に乗って前進したのが悪いのでしょう。敵のど真ん中で足を止めるなど、愚の骨頂ではないか」


「それはお前らが背後を塞ぐから、下がる事も出来なくなったのだ!」


 怒気を露わにする長男と次男。彼らは危うく帝国軍によって全滅されそうになった。対する三男以下の兄弟たちも不機嫌な塊だった。


 彼らが今日の戦争で行った事は渡河の前進ぐらいだ。実際に戦果を挙げたのは先陣争いをしていた二人だけなのだ。せめて一撃を相手に与えなくては立つ瀬がない。


 どちらにも言い分があるだけに言い争いはヒートアップしていく。それこそつかみ合いの喧嘩になりそうな時、ワシャフが一喝した。


「そこまでにしておけ、貴様ら! 勝利を目前にして足並みを乱せば、そこを掬われるなぜ分からん!」


「しかし、父上」


「しかしもない。いまは、勝利を。個人の名誉なぞ、犬にでも食わせてしまえ!」


 双眸鋭くさせ息子たちを罵倒するワシャフ。その怒りに対して、これ以上評価を落とすまいと五人の子らは押し黙った。


 そして何度か呼吸を繰り返して落ち着きを取り戻したワシャフが概略図を前に明日の作戦を提言する。


「アフサルの陣は後方にさがり、全体も後方に纏まっている。そこで、我らは縦列を解き、このように陣を敷くことにする」


 部隊を表す駒を緩やかなVの形に並べたワシャフ。それは背後を山で塞がれているアフサルの軍勢を囲う様な形だった。


「帝国軍の強さは今日の戦いで分かった。逆に言えば、それ以外の兵は取り立てて特徴は無い。つまり、帝国兵だけを無視すれば、この戦は勝利できるという事だ」


「父上。帝国軍を無視すると申しましたが、一体どのように」


 長男の質問に対して、ワシャフは駒を動かす。アフサル軍の先端に居る帝国軍の駒を前進させると、Vの字の先端である両翼の軍が動き出し、アフサルの居る本陣に向けて突撃を掛けるのだ。


「こうすれば、帝国軍はアフサルを守る為に後方へ転身する。すかさずこちらの中央部隊は前進をし、敵軍を包囲するのだ」


 ワシャフ陣営の駒がアフサル陣営の駒を囲っていき、最後にはアフサルの居るであろう、最奥の駒を倒した。


「アフサルは背後と左右を山に囲まれている以上、陣形を変えにくい。明日も縦列のままだろう。となれば本陣の位置も変わらず、最奥である」


「確かに、両翼の部隊で左右からアフサルを狙えば敵は総大将を守る為に下がりましょう。ですが、帝国軍が反転せず、中央突破を行ったらどうするのですか」


 数の上では勝っているワシャフ陣営だが、包囲戦をするには数が足りない。部隊を横に展開するという事は、それだけ中央の厚みを減らすというリスクを生むのだ。帝国軍の破壊力なら、確実に中央を突破しうる。


「その点は分かっている。そこで、私の本陣はここに置こうとする」


 言って、ワシャフは自分を示す駒をVの字の真後ろに置いた。上から見ると、陣形がVからYに変化したのだ。


「中央突破を警戒して、本陣を最後端のここに。その手前には徴募した一万の兵を置く」


「徴募した兵では帝国の部隊を止めるだけの力はありません」


「かといって、このような呼吸を合わせて動かなければいけない作戦に奴らは使えん。とにかく、この一万は全滅する事も織り込んだ死兵である。重要なのは、帝国軍と正面からぶつかる中央の部隊である」


 ワシャフが示した部隊を全員が見つめた。この作戦は帝国軍の正面突破を防がないと意味がない。それだけ重要な、そして激戦区の指揮官。五人の兄弟達はそんな死ぬ確率の高い場所は御免だとばかりに視線を向け合った。


 すると、ワシャフがその空気を読んで先んじた。


「私は、この戦の最大功労者を、この場所を守り切った者だと考えている。無論。勝った暁には私の右腕としての地位を与えよう」


 途端、兄弟たちは我こそがとばかりの勢いで名乗り挙げた。褒章を前にして鼻息を荒くするのは、まるで犬のような行動である。


 とはいえ、目的通り奮起した。これならば、明日の戦いも勝利するだろうとワシャフはほくそ笑んだ。


 自分の種から生まれたもう一人の息子、アフサル。ファラハが勝手に結んだ帝国との親書を手にして自分へと恭順の姿勢をしたかと思えば、討伐軍なんかを旗揚げした親不孝者。その亡骸は犬にでも食わせてやろうと固く決心していた。


 ―――彼らは何も気が付いていなかった。すでにアフサルが勝利の為の一手を放っていたことに。


 夜は明け、二日目の朝方。


 目論見通り、アフサルの軍勢は縦列を敷いたままだった。一方でワシャフは夜の内に陣形を変え、アフサルの軍勢を取り囲もうしていた。


 とはいえ、夜を徹しての陣替えは兵に疲労を蓄積させていた。朝も朝、日が地平線を僅かに昇った頃はまだ、ワシャフの兵士たちは見張りを残して床に就いていた。


 そろそろ朝の食事を配るといった頃合い。それを見計らったように、アフサルは動いた。


 先頭に立つ帝国軍を進軍させ、本陣である後方の兵たちも前進したのだ。


 朝方の奇襲にワシャフの軍勢は慌てる。夜襲が無かったと安心しきった所への奇襲だけに効果は抜群だった。中央突破を計ろうとする帝国軍を中央へ布陣した次男が受け止める。


 兵を補充した次男は帝国軍の猛攻を耐えながらも、各所に伝令を送る。想定した状況とは違うが、帝国軍を引きつけている間に、敵兵を囲えと。


 左右に展開する部隊がアフサルの後方へと迫り、囲いが生まれようとしている。


 何度も出入りする伝令からの報告にワシャフは勝利を確信して笑みを浮かべていた。


 だけど、一つの報せに唐突にその笑みが凍り付いた。


「急報! 左右から敵騎兵が全速で迫っております!!」







 この時。戦場を俯瞰で見る事が出来たならアフサルの仕掛けた一手は直ぐに看破出来たはず。


 朝方の奇襲よりも時間を遡り、夕暮れ時。アフサルが軍を後方へと移した頃合い。実はこの時、アフサルの兵は一部離脱をしていた。


 その数は五千。彼らは徒歩のまま山間を超えると、盆地の影に隠していた五千の馬と合流したのだ。五千の歩兵がそのまま、五千の騎馬隊へと早変わりした。


 五千の騎馬隊は二つに別れ、盆地の影に隠れながら夜を徹して駆けた。全てはワシャフの本陣を強襲するためだ。


 アフサルが盆地の、それも山を背にして陣を敷いたのは、全てはワシャフを逃がさないためだった。ワシャフの性格を知る者は、彼が戦況不利になればすぐさま撤退する男だと理解していた。それこそ、形振り構わない手で、民の命すら盾にして籠城するだろう。


 それゆえ、ワシャフが敗北を覚悟した時に逃げられないように、背後を断つ必要があった。その為にワザと敵を引き寄せ、劣勢の振りをして軍勢を引くことで、川を渡らせた。


 予想外だったのは、向うが二列縦列を止めて包囲戦へと移行できるように夜中に陣替えをした事だ。もし、ワシャフが自分の身を省みず、包囲を形成する部隊の何処かを直接指揮していたとしたら、全てご破算となっていた。


 だけど、臆病者で卑怯な男ほど自分の身の安全は確保していた。包囲から一つ外れた部隊こそがワシャフの軍勢である。


 いま、その部隊に対して、左右から合わせて五千の騎馬兵が突撃していく。


「お、お逃げください! このままでは御身が!!」


 傍に居た誰かの言葉をワシャフは正確に理解できていなかった。包囲に多くの正規兵を回し、自分の守りを徴募した兵たちで固めたのが失敗だった。


 彼らは容易く、ボロ布を引き千切るかのように騎馬兵の突撃を受け、陣形を保てなくなった。


 その騎馬兵の刃は着々とワシャフの部隊の中央へと向かっていた。


「逃げるとはいえ、何処に行けばいいのだ!?」


「ともかく、川です! 川に行きましょう!!」


 言われてワシャフは陣幕を飛び出した。川に飛び込めば生き残れると信じて。


 だけど、背後から駆け抜けた風が供の首を落とした。あっという間に周りの護衛を殺されてしまい、ワシャフは一人になってしまう。


 男の行く手を遮ったのは灰色の髪を持つ青年だった。男は騎乗したままワシャフを見下ろして言う。


「ワシャフ・プラティス殿とお見受けする。我が名はクリシュ・ナキ。アフサル様の矛である」


 双頭の槍を携えたクリシュを見て、ワシャフは彼がナキ家の当主とよく似ていると唸った。愚直なまでに主を慕う、厄介な存在だ。


 しかし、付け入る隙はある。


「待て! ナキ家の者よ! 其方はオードヴァーン家に連なる者に仕える一族だったな!」


「相違ないが、それが何か?」


「だとしたら、其方は仕える主を間違えている。アフサルはオードヴァーン家の血筋では無い。このワシャフの子だ!」


 ほんの一瞬でもいい。動揺すれば勝機は、生存の道はある。そう考えて告げたワシャフの胸を、双頭の槍が貫いた。


 その現実に驚き、混乱した。とても、現実とは思えなかった。だけど、遅れてやって来た痛みと血の味がどうしようもなく、これが現実だと告げていた。


「ど……どうして。そなた……の……主は」


 ごぽり、と。口からせり上がった血が言葉を遮り、心臓の鼓動は止まった。大地に崩れ落ちたワシャフを見て、クリシュは言う。


「主はアフサル様ただ一人だ。俺は血に従うのではなく、あの方の在り方に従っているのだ」


 かくしてワシャフ陣営は大将であるワシャフ・プラティスを失った。包囲を展開している息子たちは父の死に動揺し、更には軍の主導権争いに発展し、包囲を形成しきれなかった。そこを帝国軍の突破を受け、軍は壊滅的打撃を受ける事になった。


 ワシャフ・プラティスの起こしたクーデターはベヘンナディー盆地で幕を閉じる事になる。


 ―――同時刻、首都オーマットでも一つの出来事が進行していたのは、この戦場に居る者達はまだ知らない。


読んで下さって、ありがとうございます。


この戦争の配置や環境などは歴史上の合戦を多少参考にしております。

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