7-40 帝国の将軍
熱砂の大陸にとっての慈雨が体を濡らし、荒野に蹄が刻まれていく。逃げる集団を追いかけるのは黒衣の戦士だ。
二本の槍を携えた異形は凄まじい速度で集団へと追いつこうとしていた。
「嘘だろ。あんな重たい全身鎧を身に着けて、この速度に追いつくというのか」
「馬が凄いのか、乗り手が凄いのか。ともかく、危険な相手ね」
光球が刹那の間だけ姿を明かした将軍に対して《神聖騎士団》の面々は最大級の警戒を送っていた。軽口にも緊張が滲んでいるのがレイにすら分かった。そんな中で、ローランが集団の中心辺りにまで下がってきた。
マクスウェルと並走すると、彼の方にラシードを押し付けた。見た目は少年であるマクスウェルがラシードを受け取ると、
「マクスウェル。僕がアイツの相手をする間、君が皆を連れてどこか安全な場所を見つけるんだ」
と、言い出した。マクスウェルは表情を厳しくして聞き返した。
「其方がそこまでしなければならない相手と見たのか」
「ああ。一瞬だけど、見て分かった。あれは生半可な相手じゃない。少なくとも、このままだと振り切るのは不可能だろうね。だから、誰かが残ってアイツの足止めをしなくちゃいけない」
「……其方なら、叶うという訳か。……一応聞くが、誰か援護に残しておくか」
「いや、僕一人で構わない。いまは王子とレイ君。両方の安全が最優先だ。予言の成就が僕らの目的なのを忘れないでくれ。合流のやり方はいつもの方法で」
分かったとマクスウェルが答えると、ローランは手綱をひいて馬の鼻先を後ろへとまわした。一行とは逆方向へと駆けだしたのだ。
「ローランさん! 一人で行くなんて、無茶だ!!」
レイの言葉もむなしく、ローランは真っ直ぐに突き進む。闇の奥に隠れた存在の気配が、一気に膨れ上がる。蹄の音がすぐそこまで迫っている中、ローランは大剣を片手で振りかざした。
そして、闇に同化したかのような黒一色の将軍に向けて斜めに振り下ろした。
名乗る暇も、武器を構える時間も与えない。それこそ後ろ指をされてもおかしくない行為だ。いやしくも『聖騎士』という二つ名を背負う男の行動ではない。だが、対峙する相手はそんな事は些細な事だとばかりに応戦していた。
長さの違う大小二つの槍の内、長い槍を片手で振るい、大剣を受け止めたのだ。
刹那の間、両者の武器が交わり、尋常ならざる轟音を響かせた。
鋼鉄の武器をどのように振るえば、これだけの衝撃が起こるのか。
ローランの大剣と帝国将軍の槍が僅かに触れあっただけなのに、大地を揺るがしかねない激突となった。互いの馬が驚き、距離を取る間、ローランは片手で大剣を回した。今の衝撃でも自分の体は何ともないとアピールしたのだ。対する帝国の将軍も同じように槍を手の中で回した。
互いに仮面と兜で顔を隠している者同士だが、共通した感情を通じ合う。
歓喜だ。
己の力量を極限まで高めたのは、掲げた信念の為だ。敵を打ち滅ぼし、主を守る為に武器を取り続けた。そこに迷いはなく、曇りは無かった。だけど、それでも拭いきれない物が一つだけあった。
退屈という感情だ。
あまりにも強くなりすぎた事で、どんな敵と矛を交わしても、一撃で終わってしまう。そこに達成感も満足感もない。ひたすらに鈍い手応えだけが纏わりつく、永劫の牢獄のような虚無感が広がっていた。
奇しくも、両者は似たような者同士。あまりにも強くなりすぎたために、戦闘という行為を機械的に行うしか出来なくなった戦闘マシーン。
そんな哀れな存在同士が出会ってしまったのだ。一撃で勝負がつかないという事実が天界の蜜のように甘く、蠱惑的で、逆らい難い誘惑を放つ。ローランがマクスウェルに手出し無用と言ったのは、レイたちの安全を優先した以外にも、この戦いを邪魔をされたくなかったのだ。
「「ふふふ、ははは、あっはっはっは!!」」
雨足が強くなるのに合わせて、両者から歓喜の哄笑が湧き上がる。天すら祝福しているようではないかとローランは思う。そして、怯える馬の首を触り、落ち着かせるように言う。
「君には申し訳ないが、僕の我儘に付き合ってもらうよ」
馬は覚悟を決めた様に短く嘶くと、蹄で大地を蹴る。黒衣の男の馬もまた、同じように前進した。互いの距離が再び零へと近づき、互いの武器が高らか打ち鳴らされる、
今度は、前回と違い馬の足を止めた斬り合いだった。
ローランは両手で大剣を握り、帝国将軍は両手に長さの違う槍を振る。二刀流ならぬ二槍流という訳だ。恐るべきことに、どちらの槍も達人級の威力を誇っている。伊達や酔狂でこんな戦闘スタイルを取っているわけではなさそうだ。
初めて見る戦闘スタイルに戸惑ったのは一瞬だった。右の槍を止めた瞬間に左の槍が迫るというのなら、大剣の回転速度を上げればいいのだ。
普通の人間が聞けば、失笑物の回答だが、ローランとしては心底真面目に考え出した結論であり、それを実践していた。大剣の軌道が打ち合いを重ねるごとに加速していき、弾かれたまま粒を更に弾くと霧のように散った。馬が足を止めてまだ二分も立っていないのに、打ち合いは三十を超えていた。
全くの互角の打ち合い。
どちらも顔を隠した状態だが、息の上がっている様子はなく、武器の回転速度はますます上がっていた。鋼鉄の武器がぶつかる度に響く衝撃音が途切れる事は無かった。
互いに互いを殺しかねない一撃が、馬を狙うという事は無かった。これは馬を狙わないという騎士道精神でも何でもなく、相手を狙い続けないと一手遅れてしまうという危機本能が囁いた結果である。そのため、観客が二頭の馬しかいない中での壮絶な決闘劇となった
それに変化が起きた。帝国将軍の槍が、ローランの大剣によって下から掬い上げられ、宙を舞ったのだ。大剣という巨大な鉄の塊でありながら、まるでレイピアのような繊細な技を披露したローランは続けて将軍の空いた手を狙って大剣を振る。もっとも、それは武器の無くした側への牽制の一撃に過ぎず、相手の行動を削るつもりだった。
ところが、ローランの予想に反した結果になってしまう。
なんと、帝国将軍はローランの大剣を空いた手で掴んだのだ。手甲とはいえ掌の部分は薄く、大剣が鋼を砕き肉に迫る感触が伝わった。同時に、ローランの意思に反して大剣が動かなくなった。
帝国将軍は自分の手を犠牲にして大剣を止めたのだ。身動きが一瞬取れなくなったローランの顔に向けてもう一本の槍が迫った。硬直した一瞬が命取りになる。防御しようとしたローランだが、一手遅いと歯噛みした。仮面が砕け、その下のこめかみに雨に濡れた槍の穂先が触れようとした瞬間、がくりと地面が沈みこんだ。
いや、沈んだのはローランが乗る馬だった。大地を踏みしめていた足が折れ、膝を突いた。同時にローランの体が地面へと迫った。転がり落ちる勢いを利用して、掴まれた大剣をもぎ取るのに成功したローランは、態勢を立て直すべく距離を取った。
槍の一撃は仮面を砕き、その下の皮膚を一部裂いていた。血が流れるが気にしている余裕はなかった。将軍に対して隙を見せまいと構えていたが、当の敵がこちらを向いていなかった。崩れ落ちたローランの馬を見ていたのだ。つられて、ローランも馬の方を見て、何が彼に起きていたのか悟った。倒れ伏した馬は蹄で懸命に地面を掴もうとするも、奇妙な方向に曲がった膝ではどうしようもなかった。
尋常ならざる二人の戦いを間近で見ていることになった馬が無事でいられるはずがなかった。ローランが攻撃を受け止めていた時も、逆に攻撃を放った時も同じだけの負荷が馬に掛かっていた。懸命に耐えていたのだろうが、それが決壊してしまった。
彼もまた戦っていたのだとローランは思い知り、心の裡で礼を言う。それに応えるかのように馬は嘶くと体を横たらせたまま眠るように息を引き取った。
辛くも生き残ったローランだが、少々厄介だなと口内で呟いた。馬を失った事で、先を行くレイ達との合流が面倒になった事と、何より敵との高低差が不利に働く。
これまでの打ち合いで、互いの力量が互角であると確認した。おそらくレベルや能力値もそこまで差は無いはずだ。それだけに高低差という違いが戦いにどのような影響があるのか全く読めなかった。
どうするべきかと悩むと将軍が動いた。彼は落とした槍を拾おうと馬の首を回したのだ。
―――途端。将軍が何かに気が付いたように馬を走らせた。一瞬遅れ、彼らが居た場所を紅蓮の炎が舐めるように焼き尽くした。その炎に見覚えの合ったローランは驚きの声を上げた。
「な!? あの炎、まさかレイ君か!?」
驚き固まるローランが振り返るとどういう訳か、アスタルテに騎乗していない、龍刀を構える少年が一人で居た。彼は将軍に向けて炎を放つと、ローランの元へと駆け寄った。
「どういうつもりなんだ、レイ君! 仲間と共に先に行ったんじゃないのか。いや、そもそも、あれは君が敵う相手じゃないぞ!」
「説教は後にして下さい。いまは、アイツを如何にかする方が先決です。……ローランさん。アイツの馬を倒せますか」
真剣なレイの様子に何かがあると察したローランは僅かな間考え、出来ると答えた。
「なら、アイツの馬を狙ってください。直に仲間が迎えに来ますから、それで脱出しましょう。……じゃないと、ここで貴方が死んでしまいます」
確信的な物言いに絶句するローラン。無論、これはハッタリでも脅しでもない、起こり得る可能性の一つなのだ。
話はローランが帝国将軍との一騎打ちをするために残った時にまで戻る。
「ローランさん! 一人で行くなんて、無茶だ!!」
レイの言葉はローランの足を止める事は出来なかった。闇に残る事を選択した騎士の姿は直ぐに消え、後には尋常ならざる轟音と火花が浮かんでは消える。それも次第に遠くなっていく。
「大丈夫だとも、レイ君。あれは阿呆だが中々頑強な奴。そう易々と死ぬことはあるまい」
マクスウェルの慰めを受けてもレイは自分の中に湧き上がる不安を払えなかった。アフサルの執務室ですれ違った時、帝国の将軍から感じた圧力がどうしても不吉な予感を生む。
そんな中、馬を走らせていたシアラが急にレイの方へと近づいてきた。どういう訳か、金色の瞳を手で押さえ、今にも吐きそうなほど顔を青ざめさせていた。
「シアラ。大丈夫……まさか、君。見えたのか!?」
「……そういう、事になるわね」
そう言うと、シアラは押さえていた手を離し、金色の瞳でレイを見つめた。その虹彩はどこか不気味な輝きに彩られている。
シアラの持つ特殊技能、《ラプラス・オンブル》。
人の死ぬ確率を影の濃さで表す以外に、もう一つ秘めた力がある。
それは未来視だ。
これから先、彼女が何処で見る事になる光景を先取りして視る力は、彼女を苦しめてきた。何しろ、彼女の意思とは無関係に、彼女では変えられない未来を視てしまうのだ。近しい者の死を見せられ、どれだけ足掻いてもその運命を変えられなかったシアラは自分の技能を憎んだ。
そんな、見る事で未来を決定するとも言える技能が発動してしまった。レイは何を見たのかと尋ねた。
「……どこか、分からない場所。……演舞場? みたいな場所で、主様とさっきの将軍が一対一で戦っている場面よ。周りには、いっぱい観客が居て、横にはリザとか、レティとか、エトネが居たわ」
「僕が一人で今の奴と戦っているだって。そいつは、とんでもない悪夢だな」
赤龍と対峙する未来を告げられた時と同じ絶望がレイを襲う。いつ来るか分からない未来に暗澹たる気持ちを抱いていると、シアラがそうじゃないと言いだした。
「分からないの? 未来だと、主様があの鎧男と戦っているのよ。その未来が確定しているって事は、このままだと、いま残ったローラン様との戦いを、あの鎧男は生き残るって意味よ!」
「―――っ! じゃあ、ローランさんはどうなるんだよ。いや、そもそも未来視にローランさんは居たのか」
「ワタシの見える範囲には居なかったわ。《神聖騎士団》の人たちも居なかったから、断言はできないけど、少なくともその未来には居ない。生死不明よ」
シアラの未来視は無慈悲なぐらい残酷に、未来に起きる光景を彼女に見せる。それを覆すことは出来ない。
―――ただし、レイを除いて。
どういう訳か、レイはシアラの《ラプラス・オンブル》で見る予知を覆せるのだ。《トライ&エラー》という因果を弄ぶ力を持っているがゆえなのかもしれない。
ローランが居ないという未来が、文字通りローランが死亡するという未来に直結しているのか、それとも偶々不在なだけなのか。そこは不明だ。いまのところ分かっているのは、ローランと帝国の将軍との戦いは、将軍の勝利か、あるいは引き分けで終わるという事だ。
その結末を変えられるのは、《神聖騎士団》のメンバーですら不可能だ。可能なのはただ一人、レイだけである。
「ここでローランさんを見捨てるわけには行かない。助けに行かなくちゃ」
「正気? って、聞くだけ無駄よね。どうせ、何を言っても止まらないんだもの。だから、こう聞くわよ。何か作戦はあるの?」
レイは頭の中で思いついた案をシアラに告げ、それをシアラは知恵を出して補強した。後ろで話を聞いていたエトネは子供ながらにも、またレイが綱渡りを挑もうとしていることだけは理解できた。
「上手くいくかどうか、際どい賭けね。いまは零時を超えてたかしら」
「まだだ。だから、失敗したら朝まで戻る事になる。最悪、その時はこの流れに入らないように周りを説得しまくるしかないな」
言うと、レイは後ろのエトネに声を掛けた。
「エトネ。アスタルテを頼む。巻き添えを受けたら可哀そうだ。それとシアラと一緒に、リザとレティに作戦を伝えてくれ」
「うん。おにいちゃん、がんばってね」
「ああ。それじゃ、行ってくるよ」
エトネに手綱を託すと、レイはアスタルテから飛び降りた。事前に足を緩めていたが、それでもそれなりの速度が出ていた。地面を転がって停止すると、レイは来た道を逆走したのだ。後ろからはマクスウェルの制止の声が聞こえて来たが、それらを振り切った。
そしてローランの不利な状況に介入したという訳だった。
紅蓮の炎を背に片手に槍を構えた将軍を見上げて、レイは肝を冷やす。兜の奥から自分を見つめる視線が刃のように突き刺さる。
「……どうやら、訳アリのようだ。詳しく聞きたいけど、時間がなさそうだね。確認だけど、アイツを馬から降ろせばいいんだね」
「お願いします。後は仲間が」
「分かった。いまは君の策に従おう。だけど、後で説教はするから、覚悟しておくように」
ローランはそういうと、将軍に向けて吶喊した。将軍は騎乗したままローランの剣戟を受け止めた。その隙にレイは自らの中に居るコウエンへと意識を向けた。
赤灼けた空と荒野が無限に広がる精神世界。不毛な大地という意味では南方大陸よりも寒々しく、苦しげな印象を与える。
コウエンは不満顔でレイを迎えた。
「この緊急事態に妾の元へ来るとは。よほどの用事のようだな。それとも、妾が恋しくなったかの」
「茶化すな。言わなくても、分かっているんだろ。僕とお前は心で繋がっているんだから」
「……だからこそだ。頼み事は、口に出して言うのが礼儀ではないか」
「それもそうだな。なら頼む、コウエン。指輪無しで行う魂の交換。その上限を上げてくれ」
言うと、レイはコウエンに対して膝を突いて頭を下げた。額を地面にこすり付けてはいないが、土下座に近い態勢だった。向けられたつむじを一瞥したコウエンは、
「いやじゃ」
拒絶の言葉を口にした。
コウエンは宙に浮いたままレイの下げた頭を素足で踏む。白髪まじりの黒髪が褐色の足裏で乱される。
「お主、最近妾への敬意などを忘れてはおらんか。貴様の趣味嗜好に合わせてこのような幼気な童子の姿を取っているが、妾は赤龍の生まれ変わり。貴様のような只人と言葉を交わす事など本来ならあり得ぬのだぞ」
紅蓮の瞳が縦に裂け、口からは牙の如き八重歯と炎を吐き出すコウエンの恫喝に対して、レイはひたすらに頭を下げたまま告げた。
「……お前に苦痛を与えているのは申し訳ないと思っている」
ぴたりと。コウエンの体が硬直した。頭を上げないレイは彼女の異変に気が付かないまま喋りつづける。
「魂の交換をした後、お前が苦しんでいるのは僕にも伝わっていた。心で繋がっているからなのか、お前が隠そうとしている事も気が付いていた。多分、お前が魂の交換の副作用を受け持っているんだろ。だから、お前は魂の交換に色々と制限を付けて、僕にやらせようとしないんだ」
「……そういう訳じゃないんだがな。気が付いておったか」
言葉を濁したコウエン。彼女は魂の交換を行うたびに、自身に襲い掛かる苦痛を思い出す。魂とは、言うなれば記憶の集合体だ。それまで生きてきて得た物を同量交換するのが魂の交換なのだが、普通なら同量でも密度が濃いのは赤龍の魂を引き継いだコウエンの方のはずだった。
人では世界が生まれた時から存在する赤龍の魂を受け入れきれないはずだった。
ところが、魂の交換を行うたびに、コウエンはレイの魂に苦しめられていた。
二十年と少ししか生きていない人間の魂に、龍が苦しめられているという常識外れの事態。付け加えると、レイの魂の記憶は不可解すぎた。エルドラドで過ごした日々と、地球で暮らした日々なら、圧倒的に後者の方が長い。割合からいえば、地球での暮らした日々が流れ込んでくると思っていたら、どういう訳か流れてくるのはエルドラドでの過ごした日々ばかり。それも、レイが知らない、見た事の無い光景が多数を占めていた。
御厨玲には何か秘密がある。
本人も気が付いていない、何か重要な秘密。
それを指摘すれば、致命的な、取り返しのつかない事になりそうだとコウエンは感じていた。言うなれば、爆弾だ。一度起爆すれば、レイという人格その者が大きく歪んでしまいそうなほどの火薬を秘めている。それゆえ、明かせずにいた。
心が繋がっているのはこういう時に不便である。隠し事の内容までは悟られなくても、隠しているという事実だけが筒抜けになってしまう。どうにかレイは勘違いしてくれたが、その勘違いもいつまで続くか。
コウエンは足を降ろすと、乱してしまった髪を手で梳いてやる。男の癖に、意外と細い髪質だなと思いつつ、
「別段、気にする事ではない。妾は赤龍の生まれ変わり、コウエンであるぞ。苦痛の一つや二つで音を上げておったら、其方に顔向けが出来ん。妾が気にしているのは、素の状態で魂の交換の上限を引き上げた時、其方の肉体が炎を御しきれんということだ。忘れてはおるまい。其方の力量では炎に身を焦がしてしまう事を」
「忘れるもんか。皮膚が焦げ、熱が痛みとなって神経を蹂躙し、骨が火に炙られる感覚。でも、それぐらいは耐えてみせる」
理由のない、根拠のない言葉だ。しかし、顔を上げたレイに微塵も揺るぎは無かった。御しきれなければ、自分が黒焦げになると承知の上で彼は言っていた。
こうなったら、レイは動かないとコウエンはため息を吐いた。
「良いだろ。一割未満の所を一割強まで交換するのを認めよう。これならば、其方が望む鎖を二本は出せるだろ」
「二本必要だってことまで分かっているのか」
「分かっているに決まっているだろ。心で繋がっておるのだ。考えている事も、やろうとしている事も、全て承知の上だ」
コウエンは言うと、胸元に手を当てる。すると、龍刀が彼女の体からまるで生えるかのように出現した。そして、龍刀の切っ先を自分の掌に向け、貫いた。
鮮血が溢れ、雫となって落ちた。
「飲め。一滴も零さず、犬のように啜れ」
レイは視線だけ不満な色を浮かべて、それでも従い、コウエンの魂を啜った。そして今度は自分の掌を龍刀で貫いた。鮮血が溢れると、コウエンが勿体ないとばかりに流れる血を飲み干した。
「ごめん。それと、ありがとう」
「礼など不要だ。さっさと行って、終わらせて来い」
消えゆくレイはそう言えばと口を開いた。
「お前の姿は、別に僕の趣味嗜好じゃないからな!」
口を突いて出た言葉は、はたしてコウエンに届いたのかどうか。意識が覚醒し、レイは自分の姿を見た。龍刀から炎があふれ出て、右手の上腕までを炎が手甲のように覆っていた。その炎を全て左手に移し、一つの形へと昇華しようとする。
だが、左手に集まる炎が暴れた。
やはり、指輪無しではまだこの段階の炎を完璧にコントロールできないのか。そんな弱音が頭の中を過った時、別のイメージが頭を過る。
荒れ果てた大地に一人残るコウエン。いつもの泰然とした姿をかなぐり捨てて、大地に額を押し付け苦悶の表情を浮かべていた。やはり、魂の交換の反動が彼女を襲っていたのだ。
「コウエンが頑張っているんだ。僕だって、負けてられるか!」
左手に意識を向け、レイは炎を自分のイメージへと固定する。それは炎で形成された鎖へと姿を変えた。
レイの異変にローランも帝国将軍もどちらも気がついていたが、対応する余裕はなかった。騎乗した状態だが、片方の槍を失い、手傷を負った将軍。落馬した状態で、額から血を流しているローラン。どちらもダメージはあるが軽傷だとばかりに武器を軽々と振り回し、打ち合いを続けていた。
とてもじゃないが、レイが介入する余地など無いほどの極限の戦い。だが、そこにあえてレイは挑んだ。鎖を将軍に向かって左右から伸ばした。まるで空中を泳ぐ蛇のような鎖は、一本は弾かれたが、もう一本が将軍の左腕に絡みついた。
「ローランさん。引っ張って!」
レイの言葉の意味を理解したローランが鎖に飛びつき、渾身の力を籠めて引っ張った。
将軍が目論見に気が付き、抵抗しようとするも遅かった。レイとローランの二人がかりで引っ張られたことでバランスが崩れ、将軍は地へと落下した。その隙をローランは見逃さず、将軍を支えていた馬の首を切り落とした。一瞬遅れて鮮血が荒野に染みを作り、馬の巨体が崩れ落ちた。
まず一つ、目的を果たせた。レイは巻きつけていた鎖を引き戻すと、空に向かって鎖を何度も打ち上げた。
「はっ、ははは、はっはっはっは!」
荒野に不気味な笑い声が響く。レイもローランも驚いて固まっていると、地面に腰を下ろしていた将軍が嗤ったのだと遅れて気が付いた。
兜によって奇妙に響く将軍の声が二人の耳を揺らした。
「主の命とはいえ、このような辺境の地に回されたことに腐っていたが。存外、悪くない物だ。俺の運命という奴もな」
将軍は楽しげに言う。
「思いがけない出会い。それも二人もだ。面白い、実に面白いぞ、この浮世は」
「随分とおしゃべりな奴なんだな。ついでに、その兜を外して正体を教えてくれないかな。……帝国にこれだけやれる将軍が居たなんて、聞いた事ないぞ」
「残念ながら、そういう訳にもいかない。此方は此方で色々と事情が立て込んでいてな。むしろ、聞きたいことは此方にもあるぞ。お前、何故戦技も技能も何も使わずに戦っているのだ?」
問いかけにレイが過剰に反応した。てっきり、ローランはそれらを駆使してなお、帝国将軍を倒せないでいるのだと思っていた。ところが実際は違うようだった。剣を、刃を交わした同士だからこそ分かるのだろう。
「……そりゃ、そっちが使っていないのを僕が使う訳には―――」
「―――それは嘘だな」
ローランの言葉を力強く将軍は否定した。
「お前の剣はそんな甘くはない。血と泥で汚れた剣だ。そこに騎士道のような見せかけの幻想は無い。どこまでも野蛮な本質が透けて見えているぞ。……おそらくだが、そういう制約が掛かっているのだろうな。此方が本気でなければ、貴様も本気になれないという」
「だとしたら、その言葉はお前に返すよ。お前こそ、本気じゃないんだろ」
「……ふむ。間違ってはいないが、正しくもないな。いまの状態は、確かに万全ではないが、それでも制約だらけの状況で最大の力を発揮しているぞ」
再び、レイは驚愕した。
あれだけの激しい打ち合いをしておきながら二人とも全力ではないのか。だとしたら二人の本気がどれほどなのか、レイには想像すらできなかった。
怪物と怪物は武器を構えたまま、距離を詰めだした。二人の間の空気が火薬庫のようなきな臭さに変わっていく。何かきっかけがあれば爆発する寸前まで膨れ上がっている。二人の闘気に当てられ、レイは一歩も動けなかった。
次、この二人がぶつかったとしても、自分にはどうすることもできない。どちらかが倒れるまで死闘は続き、その決着はローランの敗北で終わるのだ。
レイは焦りながら後方を何度も見た。自分が来た方角を、何度も何度も。合図は出したはずなのに、まだ来ないのか。
そんなレイの気持ちに応えるように、荒野に馬車が進む音が聞こえた。そして、レイの視界にキュイが馬車を引く姿が飛び込んできた。
「やっと来たか! 遅いんだよ!」
文句の言葉を出しながらも、口は笑っていた。御者台に居るエトネが準備は出来ているとばかりに片腕を突きあげた。
「ローランさん! 退きますよ!」
「え? ちょ、ちょっと待ってくれないか! 退くって、ここからが本番なのに!? 少しだけ、あと、五分だけでも。あ、引っ張らないで、鎖が熱い! お預けなんて、殺生だよ! レイくーん!!」
抗議をするローランを無視してレイは鎖を『聖騎士』の体に巻き付け、そしてもう一本の鎖を馬車の方に伸ばした。それを受け止めたのはリザだった。腕を布などで覆い、鎖に直接触れないようにしていても、炎の熱に表情を歪めていた。
だけど、彼女は鎖を離そうとはしない。腕に巻きつけ、叫んだ。
「レイ様! 大丈夫です! 引いてください!」
レイは鎖を縮めると、一気にリザの方へと体を移動させた。当然、もう一本の鎖で縛られているローランも一緒だ。レイが二本の鎖を必要としたのは、将軍を馬から引きずり下ろすためだけでなく、戦いに夢中になっているかもしれないローランを無理にでも連れ帰るためだ。
レイの狙い通り、二人は馬車の中に飛び込んだ。事前に頼んでいたクッション代わりの木箱を粉砕して二人はどうにか停止した。
「エトネ、引き返せ!!」
木箱の破片を吐き出したレイの言葉に、エトネは手綱を勢いよく引き、キュイが地面を滑るように方向転換をした。必然、馬車が振り回された。
横への加重にレイ達は床板などにしがみ付いて耐えた。
まるで嵐が馬車の中を襲ったかのような惨状が広がったが、馬車のドリフトという無茶を成し遂げ、キュイは方向転換に成功する。
「キュイ、はしって!!」
エトネの声に弾かれように、ニチョウは大地を蹴った。
一刻も早く、あの怪物から逃げるようにと。
だけど、怪物はレイ達を逃すつもりはなかった。手にした槍を持ち上げると、投擲するように構えた。
「折角楽しくなってきたんだ。こんな形で水入りなんて、つまらない結果は互いに不満を残すだけだろ」
ローランに向けた言葉は届かなくても、同じ思いだと確信していた。将軍は握りしめた槍を振りかざし―――。
「―――《留めよ、我が身に憎悪の視線を》!」
「《超短文・上級・反射盾》!」
レイの奥の手が発動した。将軍は槍の向き先を馬車の車輪から、後部に姿を現したレイへと向けさせられた。真っ直ぐ、流星のような一筋の線として空間を貫く槍は、レイの前に展開された《反射盾》に弾かれ、まったく同じ軌道を描いて将軍の肩を貫いた。
《心ノ誘導》と《反射盾》の合わせ技は、ついさっき思いついた事では無かった。むしろ、この新式魔法の存在を知った時からこの合わせ技は有効だと考えていた。
《反射盾》の弱点は、通常の盾の魔法と比べても面積が狭い事にある。そのせいで相手の攻撃を先読みする必要があった。だけど、レイの持つ《心ノ誘導》Ⅱと組み合わせる事で、相手の攻撃をレイに誘導し、彼を守る為に魔法を放つことで確実に攻撃を反射する事が出来るのだ。
「ははは、はぁー。どうだ、見たか! 上手く行って良かったー」
レイは心底草臥れたとばかりに馬車の中に倒れこんだ。今回、戻った回数は一回だが、それでも疲労は濃かった。特に許容以上の炎を使ったせいで、体の節々が軋み、悲鳴を上げている。それでも、どうにか全員無事に生き残る事が出来た。
こうしてレイ達は紆余曲折あったものの、ガヴァ―ナの港町を脱出することに成功したのだった。
「逃げられたか。……追いかけるのは、無駄か」
荒野に一人佇む将軍は自分の肩を貫く槍を気にも留めずに、レイ達が去っていった方角を眺めていた。雨は勢いを増していき、紅蓮の炎すら飲み込んだ。
「王子の頼みでここまで来たが、面白い奴らだったな。縁があれば何処かでまた会えるだろうな。……仕方ない。それを楽しみにして退屈な任務に戻るとするか」
将軍は一人呟くと、ガヴァ―ナの港町へと踵を返した。
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