7-39 帝国上級歩兵
ポーズを取る仮面の人物は身の丈ほどある大剣を軽々と回した。それだけで、その男が誰なのかレイには直ぐに分かった。
「な……なにやってるんですか、ロー」
「おおっと。すまないが、そこの少年。悪いが僕の名前なんて呼ばないでくれたまえ。具体的には二つ名から秘密で頼むよ。正体が判明すると、色々と都合が悪くてね。僕を呼ぶなら……そう、正義の味方と」
「は、はぁ。正義の……味方ですか」
「ふざけた奴め。その不愉快な仮面を取って、下に降りてこい」
兵士の一人が罵声を浴びせる。
「だから、通りすがりの正義の味方だって言っているだろ。幼子を抱えた少年を取り囲む狼藉。見逃すわけには行かないな!」
啖呵を切ると、仮面の人物―――声からして確実にローランはもう一人の仮面の少年を抱えて飛び降りた。着地すると、詰め寄ろうとした兵士を仮面越しの一睨みで竦ませた。
周囲を帝国兵に囲まれているというのに堂々とした振る舞いだ。帝国兵たちも、ただ者ではないと察し、警戒をレイからローランへと切り替えた。その隙に仮面の少年がレイの方へと近づいた。
「レイさん、エトネさん、ご無事で何よりです」
「その声、君はラシード君か。どうして君が、いや、それ以上にその恰好は何なんだい」
道化師の如き意匠の仮面をかぶり、マントで全身を包む少年は気恥ずかしそうに体を揺らした。
「その、ロー「正義の味方!」……通りすがりの正義の味方様がここに来るまでの露店で適当に購入したのを付けるようにと言われまして。もちろん、僕の趣味じゃありません」
だろうなとレイは思うと同時に、道化師の面に拭いきれない不快感を覚えた。アクアウルプスで散々苦しめられた女の事を思い出してしまう。
ローランは何処か満足そうにくぐもった笑みを漏らした。
「一度やってみたかったんだよね、こういうの。『冒険王』曰く、トクサツとかの作法らしいんだ。仮面で顔を隠す、正義の味方って奴をね」
またしても『冒険王』エイリークの趣味がエルドラドの人々に妙な影響を与えていた。同じ異世界人として頭が痛い。
とはいえ、ローランの救援は願ってもいない幸運だった。レイに振り返ったのを隙と見たのか、襲いかかった帝国兵士をローランは見ることなく躱し、すれ違いざまに裏拳を叩きこんだ。
兵士の顔が兜ごとへこみ、倒れたのが合図だった。剣に槍に弓が一斉に繰り出される。流石に密集地という事、街中という事から魔法は放たれなかったが、リザの言う通り、帝国上級兵は普通の兵士たちとは段違いに強い。
素の状態のレイなら、まず苦戦する相手だ。
そんな敵を相手に、ローランはくるくると、まるでダンスのステップを確かめるように動く。あまりにも自然な足運びに帝国兵は翻弄され、攻撃は外れ、あまつさえ同士討ちをしてしまう。
悲鳴と怒号が交差する帝国陣地。レイはチャンスとばかりにエトネに言う。
「今のうちだ。キュイを連れて来てくれ」
エトネは頷くと、馬屋の中へと飛び込んだ。そしてレイはラシードに後ろに下がるように言うと、コウエンを抜き放った。
紅蓮の刀身が夜の中に灯ると、何人かの兵士がレイの方へと意識を向ける。じりじりと距離を詰めてくる帝国兵たち。
ローラン一人に全てを任せる訳にはいかない。彼は冒険者である以前に法王庁の所属だ。彼が正当な理由もなく帝国兵を打ち倒していることを知られると、色々と不都合があるのだろう。そのために顔を隠しているぐらい、レイにも分かる。
今も、大剣は牽制に振るうだけで、帝国兵を無力化するのは拳や蹴りといった素手が主体だ。それでも相当な威力なのか、鎧はひしゃげ、剣すら折れた。
そんな怪物を相手にするよりも、少年を狙った方が楽だと帝国兵が考えるのは当然だ。戦闘の基本は、相手の嫌がる事、弱い所を突くことである。
剣を構えた兵士が一気呵成にレイへと飛びかかった。レイはその剣を龍刀で受け止め、左に逸らそうとする。だけど、それを予期したかのように別の兵士が距離を詰めて来た。
右から迫る敵に対してレイは対処が遅れた。正面で鍔迫り合いを続ける兵士が邪魔をするのだ。振られた刃を《耐久》の加護で受け止めた。相手はそれを予期していなかったのか、防がれた反動で後ろに下がった。
だが息をつく暇はなかった。今度は左から新手が槍を突いてきた。レイは手甲で槍の穂先を受け止めるも、微かに肩を突かれてしまった。肉が裂け、鮮血が肌を伝う。
息の合った連携に厄介だと嘆息する。
正面の兵士を蹴り飛ばす事で距離を取ろうとするも、すかさず別の兵士がレイの足止めと意識を自分に向けようとする。帝国兵は多数で一人を襲うのに手慣れているのか、それぞれが自分へと意識を誘導しようとする。意図的に死角を生もうとするのだ。正面にばかり気を取られれば右から。右を対処すれば左が。左を対処しても正面が残っている。
そしてもう一つ、やりづらい理由があった。
蹴り飛ばした兵士がロングソードを構えると、やはりなとレイは思う。正面の帝国兵はリザと同じ剣術を使うのだ。最初、それに驚いて対応が遅れてしまった。
考えてみれば、おかしな話ではない。リザは帝国の元貴族。かの国で主流となっている剣術ならば、他に習っている者が居ても何ら不思議ではないのだ。
帝国兵と戦うなんて想定していなかっただけに、目の当たりにして頭が混乱してしまった。
だけど、もう大丈夫だ。レイは細長い息を吐き、龍刀の刃先を下に向けた。
そして、足に回した精神力を一気に解放した。今度は正面の兵士が対応に遅れる番だった。下から掬い上げるように軌跡が振るわれ、軌道にあった剣が二つに両断された。鍔迫り合いの際に与えた刃こぼれを狙った。
続けてまだ精神力が残っているうちに、厄介そうな槍使いを倒す。槍の穂先がレイを貫くべく、前へと突きだされる。その槍を龍刀の根元で受けると、一気に距離を詰めた。
槍の側面を押さえつけながら、懐に飛び込み、槍使いの腕を狙い、龍刀を振るった。無論、峰打ちだ。鈍い手ごたえが手に伝わった。
音を立てて落ちた槍を拾い上げ、レイは最後に残った兵士へと投げた。唐突な行動に兵士は驚きつつも適切な判断を下した。槍を躱して、反撃に移ろうとした。しかし、男の体は不自然な震えと共に崩れ落ちた。
男の足元には紫電で模られた蛇が絡みついていた。正面の兵士を倒した時点で、レイがこっそりと生み出した雷蛇だ。
どうにか三人を撃破したレイは、ローランの方へと視線を向けた。そこには五十人の中級冒険者相当の兵士を打ち倒した戦士が一人佇んでいた。
「うん。これで終わりのようだね」
「ですね。助かりました、ロ……正義の味方さん」
「ははは。気にする事ない。何しろ、私は通りすがりの正義の味方だからね」
何やら満足そうに高笑いする正義の味方ことローラン。ちょうど、馬屋からキュイを連れたエトネが出て来た。眠そうに欠伸をするキュイは足元に転がる兵士を邪魔だとばかりに蹴とばしていた。
「それで、どうして貴方たちがこんな所に居るんですか」
「なに、そこの少年、ラシード君に頼まれてね。何でも君たちがアフサル王子に殺されそうになっているから、助けてほしいと。涙ながらに訴えられたので、大急ぎで宿を飛び出したんだ」
「ラシード君が、僕らを助けるために?」
驚いて少年へと視線を向けると、ラシードは慌てて顔を背けた。
「べ、別にレイさんたちを助けたかったわけじゃありません。ダリーシャス様をお助けするべく、行動しただけで、レイさんたちを助けるのはついでです」
口調は尖っているが、仮面の下は赤面しているのが手に取るようにわかる。何しろ、灰色の髪からちょこんと出ている耳が、夜でも分かるくらい赤くなっているのだ。
「……その、皆様が退出されて、離れに移った後。しばらくしてからアフサル様が部下たちにダリーシャス様たちの排除を命じて……それで、どうするべきか悩んで、思いついたのが正義の味方様だったんです」
「頼まれた僕らが屋敷へと辿り着いた時には、すでに一戦闘終わった後。君たちの姿はなく、敗残兵の収容されている現場だった。そこで、君らが逃げるのに、ニチョウを回収するだろうと踏んで、ここに来たという訳さ。……っと。どうやらこれ以上、ここに居るのは不味いな」
ローランが話を中断して街の入り口とは逆の方向を指差した。
集まっていた野次馬を蹴散らして、デゼルト国の兵士たちが我先にと走って来るのが見えた。
「困った事に、帝国との戦闘は後々でどうにでも誤魔化せるが、流石に彼らとやり合ったのがばれてしまうと厄介でね。すまないが、ここは逃げの一手だ」
言うと、ローランは帝国兵を跨いで入口へと向かおうとした。
「ちょっと待ってください。入り口でリザ達と合流する時に、馬車が無いと逃げられません。いま、キュイと馬車を繋げますから」
「それには及ばないよ。先行して入り口に向かっていた僕の仲間が、馬を揃えて君の仲間と合流している。まずは、一刻も早くこの街を脱出しよう」
流れるような手際の良さにレイは感嘆する。流石S級冒険者。この手の修羅場に慣れているのだろう。
憂いが無くなった事で、レイ達は急いで入口へと走り出した。それを血気盛んに追いかける兵士たち。中には街中だというのに馬で野次馬の群れを掻き分ける者もいた。
見る見る内に距離が縮まり、戦闘可能な距離になると、騎乗した兵の一人が弓に矢を番え、放つ。風きり音が響くと、レイは龍刀から炎を出して防御に徹した。続けて放たれた矢をローランも大剣を振るい、風を生み出して防いでいく。防御に手間を取られてしまい、速度が落ちて行く。
更に距離を縮めると、今度はエトネが金切り声を上げた。
「あぶない! まほうがくるよ」
エルフ特有の萌黄色の瞳が精神力の高まりを感知した。振り返れば、兵士たちの中に魔法使いらしき者の姿が混じっていた。足を止め、詠唱を邪魔しようとするも、逆に兵士たちも足を止め魔法使いを守ろうとする。
囲いを破り、詠唱を止めるのは間に合わない。それはローランとて同じだった。
その時、風に乗って詠唱が紡がれるのを焦る思いで聞くレイの耳に、別の声が割り込んだ。
「後ろは任せな。お前は黙って前を走れ、坊主」
瞬間、どこからか発生した白煙がレイ達と兵士たちをも包み込む。視界が濃い煙に覆い尽くされ、兵士の困惑した声と、何かが投げられる音がした。そして、煙の中を、まるで昼の下のように何者かが駆けて行くのを、レイは気配で察知した。
今の声は聞き覚えがあった。
しかし、どうして彼らがここに。何故、自分たちを助けるのか。
疑問が泡のように浮かぶが、いまはそれに囚われている時間すら惜しい。
「正義の味方さん! 今なら、逃げきれます」
「そうだね。どこのどいつか知らないけど、助かった!」
ローランはラシードを抱え、レイはエトネを抱え、白煙を突破した。いつの間にかはるか先をキュイが一匹進んでいた。
あの阿保鳥は主とか仲間とかを放置して一目散に逃げていたのだ。レイ達と違い、魔法が掠めただけでも重傷の可能性は高い。だからといって、何の臆面もなく走る姿に一言ぐらい文句を言いたくなった。
「やっぱり焼き鳥にして食べてやろうか」
「ええ! キュイたべちゃうの!? キュイ、にげて!!」
恨みごとを呟くレイをエトネが涙目で止めに入った。レイは慌てて冗談と返したが、半分ぐらいは本気だった。
ちらりと後ろを振り返れば、白煙は勢い強く、その中から兵士が飛び出してくる様子は無かった。謎の勢力の介入があり、レイ達はアフサルの兵を振り切り、遂に街の入り口へと辿り着いた。
そこにはローランの言葉通り、リザ達と《神聖騎士団》の面々が馬と共に待機していた。
「レイ様、エトネ! お早く! あちらから、新手です!」
「おいおい、まだ来ているのかよ。しつこいだろ!」
焦るリザの視界の先には新たな兵士の影があった。別の道から迂回する形で進軍してきた兵士たちが入り口に到着しようとしていた。
彼らの視線はレイ達へと向けられている。どうやら、人相の類は既に出回って共有されている様だ。
「待たせて、ごめん! 僕の馬は!?」
「首を長くして待っている奴が居るぞ」
騎乗したダリーシャスが顎で指すと、答えるように馬が嘶いた。その馬は目にも鮮やかな白馬だった。
「お前、アスタルテか」
南方大陸に上陸した時に別れた白馬がそこに居た。レイの姿を見つけると、アスタルテは嬉しそうに頬を寄せた。
どうやら、ちゃんと覚えていてくれたようだ。
馬の背には鞍が付き、手綱もある。アスタルテ自身が乗れと言わんばかりに尻を向けていた。
レイはひらりと跨ると、エトネを自分の後ろに乗せた。キュイの背が空いてはいたが、裸の状態で無理に乗せると落ちる危険性もあった。
ローランも空いている馬に跨ると、抱えていたラシードを自分の前に置いた。これで全員が騎乗したことになる。
「まずは一刻も早く、遠くに逃げるぞ!」
ダリーシャスの言葉は鞭のように馬を走らせた。十数頭の馬と一頭のニチョウが夜の荒野へと駆けだしていく。後方からは兵士たちの怒号まじりの罵声が聞こえてくるが、彼らはそれ以上追ってくる様子は無かった。
「どうやら、街の外までは追って来ないようだね」
「安心するのはまだ早い。向うも準備が整えば追跡部隊を編制するはずだ。こちらとしてはどこか安全に隠れられる場所を確保したい所なのだが」
「……いや、どうやらそんな悠長な余裕はありませんよ、王子」
仮面を着けたまま空を見上げたローランが舌打ちと共に言う。
「竜騎兵がこちらに向かってきているぞ! 全員、上空を警戒しろ!!」
ざわりと一行に動揺が波のように押し寄せた。誰もが夜の空を見上げるが、分厚い雨雲が天を覆っているのしか分からない。だけど、ローランが断言したことと、雨の音に混じり何かが羽ばたく音が聞こえてくると、全員の顔に険しさが浮かんできた。
特に、アマツマラで赤龍と対峙したことのある者は、聞こえてくる羽ばたきが赤龍の羽ばたきと酷似しているのに気が付いた。
数秒も経たずに、それは一気にレイ達へと迫る。肉眼で視認出来た時には手遅れだった。二メートル以上ある竜の背に跨った帝国兵がこちらに殺気を向け、魔法を詠唱しているのだ。
「おにいちゃん!」
エトネの悲鳴だけで、それが旧式の上級魔法の類だと分かる。問題は相手との距離だ。上空五十メートル以上の高さに位置する竜騎兵に届く攻撃は《ミクリヤ》には無い。《神聖騎士団》の面々が行動に移ろうとしているが、一歩遅い。どうやっても、先に相手の方が詠唱を完成させてしまう。
(レティの《反射盾》は範囲が狭い。相手の魔法が何処に向かって放たれるかを先読みしなければ、不発に終わる。足を止めるか? でも、向うが何発も魔法を撃って来たら、逃げる時間が無くなる)
どうすればいいのか考えるレイの頭を殴りつけるような大声が響いた。
『レイ!! 妾を抜け!!』
大地を揺るがしかねない大声は龍刀に宿るコウエンだった。声に弾かれるまま、レイは龍刀を抜くと、紅蓮の刀身が夜の世界を吹き飛ばすかのように輝いた。
途端、竜騎兵の様子がおかしくなった。正確には帝国兵を乗せた竜の様子が。
遠目でも、竜が驚き慄いている様子がはっきりと分かった。
『白竜が産み落し子の末裔よ。我が輝きに覚えがあるのなら、この場より去れ』
コウエンの声が夜の荒野に響くと、竜がくるりと反転したのだ。ガヴァ―ナ横にある帝国軍の居留地へと引き返したのだ。一行は余りの出来事に呆然としてしまう。
『ふん。あの程度の若造如きに、手をこまねくとは。見ておられんぞ』
「……そいつは悪かったな。……あと、助かった」
礼を言うと、コウエンは用が済んだとばかりに輝きを消して引っ込んでしまう。龍刀を鞘に仕舞うと、驚き固まる《神聖騎士団》の面々を代表してマクスウェルが尋ねて来た。
「レ、レイ君。其方の剣は、一体何なのだ。いま、その剣から声がしたと思ったら、竜騎兵が去っていきよったように見えたが」
「この刀は龍刀コウエンと言って、赤龍の魂みたいなのが宿っているんです」
「なんと、驚いた。いまのを見れば、それが疑いようのない事実なのは明白だ。六龍の一つが宿る剣とは恐れ入った。詳しい経緯を聞きたいが、いまは逃げるのが先決だな」
「ええ。とりあえず、どこか全員が隠れて休める場所を」
見つけましょうと続けようとしたレイだが、聞こえて来た蹄の音に言葉を打ち切った。背後の闇の中から馬の嘶きが聞こえてくる。すると背中に掴まっているエトネが口を開いた。
「なんだか、すごくこわいひとがくるよ」
抽象的な表現にレイは困惑する。エトネの感覚は正確で、それこそ体臭や足音だけで多くの情報を引きだせる。そんな彼女でさえ、怖いとしか表現できない存在に不気味さを感じた。
「どうやら一騎駆けのようだが。追っ手かどうかわからない。とりあえず先を進もう」
ローランの言葉に全員が荒野を進む。だけど、馬の蹄は真っ直ぐに自分たちの方向へと近づいていた。やはり、追っ手なのだろう。
マクスウェルが後方の闇を睨み、そして杖を振るい《光》を生み出した。
光球は闇を切り裂きながら後方へと飛び、追っ手の姿を白日へと晒した。そこに居たのは全身を黒いプレートアーマーに身を包んだ者が、これまた闇に溶け込むような黒い馬に跨っていた。
「アイツは、帝国の将軍!」
その姿に見覚えがあったレイとラシードは同時に叫び、呼応するかのように将軍は手にした長さの違う大小二本の槍で光球を打ち消した。再び闇と同化した帝国の将軍だが、聞こえてくる蹄の音は加速し、嘶きが近づいてきた。
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