7-24 傷
ハヅミとコウエン。悠久の時を過ごした二人が見て来た、エルフの国崩壊という衝撃的な昔話から一夜明け、レイ達は悪魔の巣を脱出するべく出発した。
追撃部隊を躱す為に悪魔の巣へと足を踏み入れた時は、困難を避けるためにより危険な場所へと足を踏み入れた緊張感が一行を包んでいた。それとは打って変わったようにラシードや部下たちの顔色は明るかった。
なぜなら、S級冒険者であるローランが率いる、《神聖騎士団》が脱出行に加わったのだ。レイ達を中心に置いて、前後を《神聖騎士団》のメンバーが護衛をしている。『聖女』であるミストラルやマクスウェル、そして他の冒険者たちもA級ないしB級だけど実力ならA級と同等の冒険者たちは、傍に立っているだけで頼もしい。
その頭目であるローランは遊軍として自由に行動している。マクスウェル曰く、ローランの感知能力は人間族としては異常なほど発達しており、遠くに居るモンスターの位置は当たり前のように、状態、状況、実力などを手に取るように感じ取るのだという。その抜群の感知能力をフルに使い、彼は此方にとって、危険になりそうだという可能性を持つモンスターに奇襲を掛け、危険を排除している。
お蔭でレイ達は超級モンスターの悲鳴は聞こえるけど、姿を見る事なく進めていた。あまりにも楽が出来てしまうだけに、申し訳なさがこみあげてくる始末だ。
「欲を言えば、ローランさんが倒しても、僕らには経験値が少しも入って来ないんだよな」
モンスターを倒した際、経験値は与えたダメージに比例して分配される。また、ギルドでパーティー申請をしたメンバー間なら、誰が倒しても均等に経験値が分配される。
つまり、ローランが倒したモンスターの経験値は、全て《神聖騎士団》のメンバーに行き渡る。
ならば、レイ達が戦いに加わればいいのではないかという話なのだが、流石に経験値を稼ぎたいので戦闘に加わらせてくれと頼むわけにもいかない。
折角のレベルアップのチャンスだというのに指をくわえて見ているだけなのだ。
「こら。ご主人さまったら、守ってもらっているのに、贅沢を言っちゃいけないでしょ」
「いけないでしょ」
「あはは。ごめんなさい」
二人に叱られ、謝るレイはそっとエトネの方を注視した。いつもと変わらない様子で、レティと並んで歩いている。朝方、昨夜の事を尋ねたが、エトネは不思議そうに首を傾げていた。やはりエトネは何一つ覚えていない様子だった。
覚えていないのなら、それでもいいとレイは考える。先代の寵愛を受けし者が歩んだ悲劇の道程を、無理に伝える必要はない。そもそも、彼女自身、家族を失うという悲劇を味わい、ここまで来たのだ。
イーフェの死は悲劇的ではあるが、それは過去に起きてしまった事で、悼む事は出来ても、変える事は出来ないのだ。酷な言い方ではあるが、レイともエトネとも無関係の人物だ。
むしろ、今は未来に向けて思いを巡らせるべきだ。
レイはエトネに向けていた視線を後方へと動かした。
「今日は大丈夫そうですね。足取りもしっかりしてますし、朝食もちゃんと取っていましたね」
「なによ、リザったら。ワタシの事をそんなに熱く見てくれたの。恥ずかしいわねえ」
「当たり前でしょ。仲間なんですから」
「……揶揄いがいがないわね。……ああ、でも今日も暑いわね。……太陽、滅んでくれないかしら」
「シアラ。それは不可能という奴です」
呆れ顔を浮かべたリザに、シアラが冗談よと返した。
三人から少し遅れて歩くシアラは、砂漠に入った当初と比べれば随分と暑さに慣れたと思う。砂に取られていた足も、しっかりと地面を踏みしめていた。
横で気遣いながら、速度を合わせるリザは疲労なんて感じさせない様子だ。昨晩、泣き疲れて消えたハヅミから体の主導権を返してもらったエトネを連れ帰ると、いつの間にかリザは起きていた。何があったのかとは尋ねず、レイと寝ずの番を変わると申し出た。レイはその言葉に甘え、エトネを天幕に戻して、自分も横になった。
その時から眠っていないはずだというのに、リザは弱音を吐かず、時折シアラに対して水を差し出したりとサポートに余念がなかった。
四人の少女達が和気藹々と、笑みすら浮かべているという幸せな光景なのに、レイは臓腑を撫でまわす、冷たい手の感触に顔をしかめた。その手の持ち主を呼ぶとするなら、不安だ。
帝国の南方大陸進出と六将軍の暗躍と封印された黄龍。
言葉を並べただけでも、闘争と邪悪な匂いを漂わせるというのに、よりにもよってその関係者がこの場には勢ぞろいしているのだ。
元帝国四大貴族のエリザベート・ウィンドヘイルとレティシア・ウィンドヘイル。六将軍を束ねる『魔王』の孫娘、シアラ・マールム。今代の『精霊の寵愛を受けし者』、エトネ。
《トライ&エラー》は発動するたびに、因果を強くするという副次効果がある。今までは、強敵や大事件を引き寄せているのだと考えていたが、もしかするとこの状況こそが因果を重ねて来た事の結果なのではないかと馬鹿な想像をしてしまうぐらい、関係者が揃っていた。
もし、親書が本物で帝国が進軍していたら。
もし、六将軍の暗躍が本気で黄龍の封印が解かれたら。
もし、その考えるだけでも頭が痛くなる状況に捕まってしまったら。
―――今度こそ、自分は何もかも失うのではないか?
自分の想像に臓腑が鉛を飲み込んだかのように重く感じる。氷の塊を直接血管に流し込まれたかのように、体が震える。息をする度に喉が狭まり、心臓が痛いくらい早鐘を鳴らす。手足の感覚が無くなり、視界が狭まっていく。頬の傷がうずき、乾いてもいないのに、無性に水が欲しくなった。
吊り下げていた水筒の蓋を開け、レイは飲み口にかじりついた。
中身は夜の内に煮沸した水である。
だけど、レイは驚きのあまり咽て吐き出してしまった。乾いた大地に染み込む液体の色は、何故か赤かった。
血だ。
自分の口内に充満するのは鉄錆の臭いだった。傾けた水筒の飲み口から流れるのは、真っ赤な血だ。
とくとく、と水筒の容量すら超えた量の血が流れ、いつの間にか足元は血の池で満たされていた。
―――ちゃぷり、と。
血の池に波紋が広がる。レイは視線を向けて愕然とした。血の池に、リザや、レティや、シアラ、エトネが浮かんでいたのだ。
つい先程まで、生き生きと過ごしていた少女たちは、今では物言わぬ人形のように身じろぎ一つしない。血の池に浸る目から光は失われ、溌剌としていた肌は屍蝋めいた色合いへと変化した。手足は関節を無視した方向に捻じれ、開いた傷口から血が流れこむ。
「ああ、あああ、ああああ、ああああああ!!」
何処からか、獣の咆哮が聞こえた。それが自分の口から出た絶叫だと気が付くのに、随分と時間が掛かった。
足は動かない。足を動かすという機能そのものが削ぎ堕ちたかのように、一歩も前に出ない。四人の少女達へ駆け寄りたいと狂いそうになりながらも、足は凍り付いたように動かない。
―――ちゃぷり、と。
再び波紋が広がる。その音に気が付き、レイは視線を上げた。血の池に幾つもの波紋を作りながら、その男はそこに立っていた。
手入れをされていなかった黒い頭髪は蔦のようにくねらせながら血の池に触れるほど長い。
重厚さと武骨さを兼ね備えた黒檀の鎧は、一国を守護する城壁のような威圧感を放っている。
手に握る漆黒の槍は穂先が赤く染まり、これまでに奪ってきた命の怨念が取り巻いていた。
そして、前髪に隠れた男の、氷のように美しくも恐ろしい相貌から放たれる、金色の視線がレイを射抜く。
「……ゲオル……ギウス」
名を呟くので精一杯だった。
仲間の死体を挟んで、血の池で佇むゲオルギウスはレイの方に視線を向けたまま、微動だにしない。それだけで、レイの体は威圧されたように痺れてしまう。
どうして、急にゲオルギウスが現れたのか。いつの間にリザ達は死んだのか。何故、対等契約による死は発動しないのか。
考えるべき疑問点は幾つもあるはずなのに、レイは一つの感情に縛られていた。
コイツが皆を殺したのだ。
直感的な本能だけで、レイはそう信じた。その途端、目元の傷が疼きだす。
コイツが殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した、殺した。
―――ナラ、コロサナイト。
何処からか、静かな声がした。
遠くから響いたようで、耳元で囁かれたようでもある。
聞いた事のあるようで、聞いた事のないようでもある。
男のようであり、女のようでもある。
子供のようであり、老人のようでもある。
天使のささやきのようであり、悪魔のささやきようでもある。
ただ、一つだけ分かっているのは、その声にレイは頷―――。
「そこまでじゃ、レイ。在りもしない光景なんぞ、見るでない」
先程とは違う、聞き覚えのある、厳しくも優しい、古めかしい喋り方の声が耳をついた。同時に、レイの視界を柔らかな物が塞いだ。
「深呼吸をせい。お主が見ているもの、これ全て幻影じゃ」
「げん……えい……」
「そうじゃ。幻影じゃ。ゆっくりと、意識を集中させろ。妾の声に耳を傾けておれ。其方の仲間は誰も死んではおらん。ゲオルギウスなる存在も、其方の前には立っておらん。全ては、幻。つかの間に見えた、陽炎にすぎん」
視界を塞がれたレイは、声に集中した。すると、むせ返るような血の臭いは消え、足元を濡らしていた液体の感触が消えた。
「良し。その調子だ。……いま、手を離す。その眼で、真実を見よ」
ゆっくりと、視界を覆う手が離れ、レイは目の前の光景を直視した。
一面に広がっていた血の池は消え、リザ達の死体も消え、ゲオルギウスの姿も消えていた。
その代り、視界に飛び込んできたのはひび割れた大地に、赤灼けた空。それだけで、ここが何処なのか直ぐに分かった。
「ここは僕の、心の中か」
「うむ。やっと正気に戻りおったか。手間をかけさせてくれるぞ」
後ろから聞こえた声に振り向くと、褐色の肌を晒す幼女がふわふわと宙に浮いていた。龍刀の中に宿るコウエンだ。レイとは心象世界で繋がっているから、ここに居る事は驚かない。
しかし、どうして自分がここに居るのかレイにはさっぱりわからなかった。自分はつい先程まで、皆と一緒に悪魔の巣を突破しようとしていたはずだ。
「おい、コウエン。何が起きているんだよ。さっきの光景はいったい……いや、待てよ。また、アイツの仕業か!」
ひとりでに納得したレイは叫ぶ。
「影法師! 話があるなら、直接出てこい!」
レイの罪悪感が生み出した影法師は、時折現れては、宿主であるレイの心を折ろうと囁いてくる。今回のも奴のせいだろうと思いこむのは、当たり前の考え方だった。
見渡す限り地平線しかない世界にレイの叫び声が響き渡ると、大地に伸びる影がひとりでに起き上がった。それは質量を持った影のようで、レイに向けて親しげに手を上げる。
「よう、レイ。お前から俺を呼ぶなんて、珍しいことがあるもんだ。この乾いた世界に雨でも降るんじゃねえの」
茶化すような物言いをする影法師をレイはきつく睨んだ。
「答えろ、影法師。さっきの光景はなんだよ!」
「さっきの光景? 一体全体、何の話だよ」
「恍けるな! リザ達の死体や、ゲオルギウスの幻影の事だ。僕を動揺させて、何をしたいんだよ、お前は!」
いまにも飛びかからんばかりの剣幕だが、影法師は動じることなく、むしろレイを小ばかにしたかのように首を振った。
「あのな、レイ。一つ、お前は勘違いをしているぞ」
どういう意味だとレイは尋ねた。
「この世界はお前の世界だ。俺や、そこの褐色チビはいってみりゃ、居候だ。お前に嫌がらせのように囁くことは出来ても、お前の世界そのものを塗りつぶすような悪夢は出来っこないんだ。だから、あれは俺のせいじゃないんだよ」
「……そんなの、誰が信じられるか!」
無実を訴える影法師に怒鳴るレイ。ところが、追い打ちをかけるようにコウエンが口籠りながらも告げた。
「こやつの肩を持つ訳じゃないが、今回ばかりはその通りじゃぞ。先の光景は、其方自身が生み出した幻影。妾たちは何もしておらんのだ」
「そう……なの……か」
コウエンが頷くと、レイは思わずへたり込んでしまった。自分が生み出した幻影にしては、先程の光景は真に迫っていた。それこそ、本当にリザ達が死んでしまったかのような真実味があり、そしてゲオルギウスに抱いた憎悪も本物であった。
「まったく、失礼しちまうぜ。じゃあな、臆病者」
嘲るように吐き捨てると、影法師はレイの影へと戻った。宙に浮かんでいたコウエンもまた、レイの傍へと降り立った。いつもなら、嘲笑に歪む紅蓮の瞳がこの時ばかりは慈愛に満ちている。
幼女の手がレイの頭を優しくなでた。
「……すまんの、レイ。昨夜話した事が、お主の心を追い詰めたのかもしれん。妾の失策であった」
気遣いの声にレイは違うと言葉に出さず叫んだ。先程の光景は、自分の恐怖心が見せた幻影なんて生易しい物ではない。もっと別の、悍ましい何かだ。
しかし、その何かを言語化できずにいた。
「外のお主は、歩いている最中に急に倒れたのだ。ほれ、仲間の呼んでいる声が聞こえるぞ」
コウエンが空を見上げると、幾つもの声が雨のように降り注いだ。
どれもレイの名前を呼んでいた。
途端、レイの体は透けていき、気が付くと空を見上げていた。
赤灼けた空では無く、澄み切った青空だ。それだけで元に戻ったのだと実感する。
その空を埋め尽くすように、幾つもの顔が自分を覗きこんでいる。レティとエトネが涙をこぼし、リザとシアラが顔を青ざめさせ、ダリーシャスが血相を変えている。他にもラシードやローランが心配そうにこちらを見つめていた。
「……えっと……僕は」
「ご主人さまが起きた!」「おきた、おきた!!」
どうなったのかと尋ねる前に、レティとエトネの突撃が言葉を遮る。サイドから圧し掛かられて、レイは一瞬呼吸が出来なくなった。
「もう、心配したんだからね。急に、ばったりと倒れるんだから!」
「本当よ。呼吸は少なくなるし、脈も弱くなるわ、ポーションは効かないわで、大変だったのよ」
「ああ、でも。目が覚めて本当に良かったです。本当に、良かったです」
リザ達の心の底からの言葉にレイはごめんね、とありがとうを繰り返しながら立とうとする。しかし、体はまだ万全では無いようで、立ち上がるに到らなかった。
すると、リザ達を掻き分けてマクスウェルが近寄り、レイの頬を片手で挟み込む。急な行動で驚くレイの口は開き、そこめがけて粉薬が注がれた。そして、一気に水も流し込まれた。
抵抗することもできずに、レイは薬を飲み込んだ。
「ごほ、ごほ。……な、何をするんで、って苦いっ! すっごい、にがいっ!!」
森の空気を濃くしたかのような青臭さが喉に広がる。思わず吐きそうになるのをマクスウェルが口を押える事で防いだ。
「気付け薬だ。にがくても体には良いはずだ。どうだ? 体は動かせそうか?」
口を塞がれ、視線だけで抗議するレイを無視するマクスウェル。良薬は口に苦しというが、どの過ぎた苦さは、それだけで毒といえた。とはいえ、数分も経てば喉を青臭い塊は流れていき、薬の効果が出たのか体に活力が漲ってきた。
レイの様子を診ていたマクスウェルは満足そうに頷いた。
「どうやら、問題は無さそうだな。とはいえ、また倒れられても面倒じゃから、休憩でもとるとするか」
マクスウェルの提案に全員が頷いた。レイは申し訳ないという気持ちから手伝いを買って出ようとするも、皆から体調を気遣われ断られてしまう。結局、レティの鶴の一声で大人しく座って待つことになった。
どうして自分があんな悪夢を見たのか。その理由は分からないまま、レイは無意識に目元の傷を撫でた。
読んで下さって、ありがとうございます。




