7-23 黄龍
古代種の龍とは、無神時代が始まるよりもずっと前から存在し、エルドラドにおける楔のような役目を与えられた存在である。人と神の間を繋ぐ精霊よりも上位に位置し、絶対的な存在ゆえに、自ら行動することはほとんど無い。
それゆえ、赤龍がアマツマラをスタンピードと共に襲撃したのは異常事態であり、誰にとっても予想外な出来事だった。
だけど、遡る事千年前、この熱砂の大陸で、赤龍の同列にして同胞である黄龍がエルフの国を滅ぼしたというのは驚愕の事実だった。
『誰にとっても寝耳に水だった。あの当時、赤龍を含めた全ての古代種の龍は一つの協定を結んでいた。……内容は人間に対する不干渉』
無神時代が始まると同時に、地上は混乱の渦に叩き込まれた。大地を流れる魔力に陰りが見え、人々は天からの導を見失い、依るべき信仰を忘れた。
まさに混沌と衰退が入り混じった、閉塞感の漂う時代だったと赤龍は振り返る。
そんな時代において、精霊や古代種の龍は人々にしてみれば、崇め奉るのにちょうどいい存在だったはずだ。13神の代わりに、自分たちを導いてくれると、そう思い込んだだろう。
それでは駄目だと、龍たちは考えた。神々の手から人々が解放される。それが善かろうが悪しかろうが、新たな時代だと龍たちは受け入れたのだ。新しい時代に自分たちのような古き理は相応しくないと、人々の前から姿を消した。人々にしてみれば、13神に引き続き、古代種の龍たちにすら見捨てられたという衝撃的な出来事だったが、百年も経てば人間は代替わりをし、その状況を受け入れるようになった。
かくして、人と龍の別離は成功した―――はずだった。
『それなのに、黄龍が人間の連合軍によってエルフとの戦争に投入されたと精霊たちから知らされた時、我らは皆、それを冗談の類だと思ってしまった。しかし、現実だったのだ。……いや、悪夢と表現するべきか』
赤龍の知識を引き継いだコウエンには、その当時の光景がいまだに色濃く残っている。千年が経っても薄まる事はなく、おそらく千年後も同様だろう。
精霊たちの嘆願を聞きとげ、塒にしていた火口から飛び立ち、海を渡って花の都に辿り着いた時、赤龍は手遅れだと理解してしまった。
花の蜜が空気にすら含まれているのではないかと想像してしまうほど甘ったるい匂いのした国から立ち上るのは、肉と人の脂が焼けたのと、湖かと間違うほどの大量の血が混じり合った表現できない悪臭。
色鮮やかな花畑が無限に広がり、爽やかな緑色の森が広がっていた国土は、いまでは全てが色あせ、乾いていく。誰かが踏み荒らすたびに花が千切れて飛んで行く。
見目麗しきエルフたちにとっての象徴であった水晶の城は、上半分が吹きとび、残った土台も無数の皹を抱えている。
死体が築き上げた絨毯の中には、エルフだけでなく、エルフを滅ぼす為に集められた連合軍の兵士たちも居た。数えるのも馬鹿々々しい量の死体からすると、連合軍も壊滅したのだろう。
何より、赤龍を絶望に叩き落したのは、花の都を蹂躙する怪物の存在にあった。
鱗の色は自分が記憶していたよりもどす黒い黄色に変色し、鱗自体も刺々しく形を変えている。否、変わっていない箇所などないほど、全身が大きく肥大化していた。
遠目でも、自らの数倍の巨体が国の残骸を蹂躙しているのが分かってしまう。
古代種の龍が一つにして、土を司る黄龍。それこそがエルフの国を滅ぼした犯人であった。
『あの時、妾は世界が崩壊する砂時計がひっくり返ったかのような、何もかもが手遅れに終わるという絶望的な予感がした。同列にして同胞だった黄龍は、姿形を大きく歪にしただけでなく、行動自体が狂っておった。あやつは、その場で蹂躙したエルフと人間の命を、食らっていた』
本来なら御霊へと昇るはずの魂を、無理やり己が身に取りこむ異形が、自らと同じ古代種の龍だと、赤龍は信じたくなかった。それだけ悍ましい光景だった。
「命を食らうってのは、僕らがモンスターを倒す事で得る経験値と同じなのか」
『概ね、その認識でよかろう。ただ、黄龍が食らっていたのは、人の魂だけはなかったのだ。あやつは、よりにもよって、この大地を流れる魔力にすら手をつけおった』
エルドラドにおいて、魔力とは世界中を流れる血液のようなものである。流れ込む量が多ければ、その土地は肥沃となり、逆に少なければ不毛の土地が広がってしまう。元々、エルフの国は無神時代の始めにおいて突出して魔力が多い土地だった。それゆえ、枯れる事の無い花畑を抱えられていた。
それなのに、蹂躙されるエルフの国から瑞々しさが失われていくのだった。
『黄龍は流れる魔力のみに手をつけたのではない。大地に張り巡らされた、魔力の通り道そのものを食らいおった』
人で例えるなら、魔力が血液なら、通り道は血管である。血を抜き取るのではなく、血管その物を捕食するのは、吸血鬼ですら考えつかない蛮行だ。
血が通わない箇所は人だったらどうなるのか。
―――壊死するのだ。
細胞が死に、正常な機能を停止し、最悪の場合は本体すら死に至らせる。
魔力の通り道そのものを食われた花の都はあっという間に全てが命を失った。緑は朽ち、花は朽ち、城は朽ち、空気は朽ち、大地も朽ち果てた。
何もかもが死に至る。そればかりか、死が外側へと向けて歩きだし、周囲を侵食しようとしていた。
黄龍が踏み出した足跡は、そのまま暴食の足跡へと至る。死を振りまく存在へと堕ちた黄龍に対して、集まった古代種の龍達は戦う事を決意した。
かくして、南方大陸において、古代種の龍達による激しい衝突が起きてしまう。
世界を守る為に集う五龍に対し、世界を喰い尽くそうとする黄龍。数だけなら赤龍たちの方が有利だった。しかし、彼らの想定をはるかに超える異常な強さを手に入れた黄龍は、圧倒的だった。
古代種の龍達が集まる前、既にエルフの『英雄』は死んでいた。
同胞たちが脱出する時間を稼ぐために、三日三晩休むことなく戦い、最期の瞬間まで精霊剣を握りしめていた。当代きっての最強の剣士が与えたダメージは、決して少なくは無かったはずだ。
それでも黄龍は強すぎた。
『あやつに何があったのか。それは今でも分からん。何かに手を出したのか、何者かの手を加えられたのか。少なくとも、五龍を前にしても、あやつは狂ったように前進を続けた。進む先に何があったのか、それとも何かから逃げようとしていたのかもしれん』
「黄龍自身から話を聞くことは出来なかったの」
『会話が通じんかった。狂いし者とは、えてしてそのような存在になってしまうからな』
「待った。狂いし者って何だよ」
そこから話すべきだったかとコウエンは己の不手際を嘆いた。
『妾や精霊たちには、13神がいくつかの楔をしておった。上位の存在である我らが人の世を支配しないようにと、制限を掛けたのだ。そのうちの一つが、己が意思で人を殺さない』
「それを破ったら、どうなるんだ」
『精神が壊れ、精霊として持つ不滅の権能を失う。つまり、殺されれば、死ぬ存在となるのだ』
肉体を持たない精霊に死は無い。肉体を持つ精霊と呼ばれている古代種の龍も、肉体の死はあっても、存在としての死は無く、肉体が死ねば時を経て復活する事が出来る。
だが、13神が定めた楔を破れば、彼らは消滅する存在へと堕ちるのだった。
「ちょっと待てよ。それじゃ、スタンピードの時に赤龍は暴れてたじゃないか。あれで死者が出ていないとは言わせないぞ。どうして、お前は消えていないんだ」
『なんと、酷い奴じゃ! 妾の消滅を願うとは。そんな風に育てた覚えはないのじゃが』
しくしくと目元を覆う小芝居を挟んだコウエンだが、レイの冷たい視線に耐えきれないのか真相を口にした。
『あの殺戮は、妾の意思では無い。魔人である、あの男が己の精神を切り分け、植えつけたことによる、いわば洗脳状態。少なくとも、妾は一度たりとも、自分から進んで人間を殺した事は一度もないぞ』
それは事実である。古代種の龍は死ねば強力な武器の素材となるという噂を聞きつけた身の程知らずの冒険者たちを返り討ちにした時も、殺してはいなかった。辛うじて息のある状態で帰したのだ。
『じゃが、黄龍は違った。あれは正常な思考が腐り堕ち、狂っておった。つまり、妾のように何者かに操られていたわけではないのじゃ』
そして、それが厄介だったと赤龍は続けた。
『魂食いという異常な行動を取った結果、変質した黄龍。それを討ち倒すのは世界を乱す行為ではないか。狂いし者は蘇る事は出来ない。ただでさえ、混乱と衰退が交差していた時代、それを更に加速させるような行為は忌むべきではないかと妾たちは考えた』
「だから、古代種の龍達は黄龍を討伐するのでは無く、封印したのよ」
コウエンの言葉を引き継いだのはハヅミだった。枯れる事の無い涙は幾筋も大地に落ち、それでも語るべき過去を、伝えるべき真実を彼女は口にした。
「この大地の深く底。人も、神も届かない場所に黄龍は封じられた。あなたたちは、その時に使った鍵を連合軍に参加していた九つの王たちに託して、この地を去ったわね」
『うむ。この地で何が起きたのか。この地に何が眠っているのか。それを後世に伝えるようにと言い含めたのだが、……どうやら、伝承には失敗したようだな』
「でしょうね。貴方達が鍵を託した九つの国は、その後すぐに滅んだ。鍵も何処かへと消え失せ、人々は新たに現れた問題に気を取られ、過去を忘れたわ。そして、この土地は魔力を無くし、魔法が使えない土地となった。魔力がないという事は、精霊も住むことは出来ず、私達もこの地を離れる事になったわ」
「新たな問題って、もしかしてエルフの大移動の事か」
そうねとハヅミは頷いた。
国を、住む場所を失ったエルフたちは新天地を求めて世界中を彷徨い歩くことになった。彼らはなるべく綺麗で、新鮮な空気のある場所を求めた。しかし、そのような生存に適した場所は、13神の去ったエルドラドでは数が少なく、あっても他種族によって先住されているのが常だ。
ゆえに、彼らは滅びを避けるために、先住者を滅ぼしてでも新天地を手に入れようとした。
エルフの国が滅んでからの百年は、エルフたちの大移動によって、大小さまざま戦乱が起き、その結果、一人の七帝が誕生してしまうのだ。
「ちょっと待ってよ。黄龍が人の魂やら魔力らを吸い上げて強くなったのなら、それは魂の肥大化とどう違うんだよ」
『全く違うぞ、レイ。黄龍がしたのは、他者の魂を吸い取る事だ。瓶の中に収まった飴が他の飴とくっつき、大きな飴になったとしても、瓶自体の重さは変わらんだろ? しかし、魂の肥大化は飴の個数が変わらんのに一つだけ、質量が増加するという全く別の現象よ』
そうなのかと納得したレイは辺りの景色をもう一度見回した。千年前、この地にて繁栄を築いていた王国。その亡骸の上に自分は立っているのだと実感した。
すると、ふわりとレイの前に青白い幽霊が集まり出した。いや、正確にはハヅミの前にだ。顔の無い、人の形に揺らめく幽霊たちはハヅミに向かって手を振っているかのようだ。
「……ねえ。もしかして、この幽霊たちは」
「想像通りだと思うわ。この地で死んだ者達。エルフたちの彷徨える魂だと思うの」
ハヅミは手を伸ばすも、幽霊たちは触れる事は出来ない。伸ばした手は何もつかめず、ただ空を彷徨う。
「魔力を失った大地に精霊は存在できない。だから、精霊がこの場所を訪れるのは千年ぶりなの」
千年ぶりの里帰りにハヅミは涙を流したのだ。
この地で死んでいった者達との、歪な再会に涙を流したのだ。
レイは何も言わずに、ただ幽霊との無言の語らいをする少女の傍に居続けた。
しかし、頭は別の事を考えていた。滅んだ王国の残骸。その下に眠る黄龍の存在。そして、この地を訪れたという六将軍の情報。
「コウエン。六将軍たちは黄龍を狙っていると思うか」
スタンピードの発生と時を前後して、世界各地で古代種の龍たちが相次いで不可解な行動を取り、死亡していた。その影に、六将軍が居るのは容易に想像できた。
六将軍たちが古代種の龍を使って何か大きな企てをしているのは、ほぼ確実だ。マクスウェルたちの話していたことが真実なら、間違いなく狙いは黄龍である。
『思うも何も、この地にはそれぐらいしか残っておらん。……残ってはおらんが、果たしてあやつらに堕ちた龍を御せるかどうか。いや、御せなくても良いのか。ほっとけば、勝手に世界を滅ぼすのだから』
コウエンの言葉にレイは違和感を覚える。
六将軍達を率いる『魔王』は自分と同じ『招かれた者』であるフィーニスだ。つまり、彼も世界救世を託された存在なのだ。
そんな男が、世界を滅ぼす劇薬に手を伸ばすのか。それともすでに志を棄て、世界を滅ぼそうとしているのか。
濁った白い少年の真意は読めない。
『……もしくは、その先が狙いなのかもしれんな』
「先? 先って何かあるのか」
レイが聞き返すと、コウエンはしまったとばかりに口をつぐんだ。どういう意味なんだと尋ねても、彼女は答えようとしない。
『気にするな。いまの其方には関係なき事。それよりも、黄龍を再度封印することは出来ん。青龍、緑龍が死に、妾とてこの様だ。六将軍の狙いが黄龍の解放なら、何が何でも阻止するのだ』
「阻止するって言っても、封印の鍵はどこにあるのか分からないんだろ。どうやって阻止するんだよ」
『それを考えるのが其方の役目。考えた事の力添えをするのが妾の役目じゃろ』
そう言って、コウエンは龍刀の中へ消えて行った。
丸投げである。
しかし、真実でもある。暗闇の中で道筋を見つけ、そこを照らすのが自分に出来る唯一の事だ。とはいえ、考えるべき事は山のようにある。アフサル・オードヴァーン、帝国、親書、六将軍、黄龍、悪魔の巣、イーフェ、『聖騎士』。
立て続けに明かされる真実と、待ち構えている難題に頭が痛くなりそうだ。
ふと気が付くと、隣に座っていたハヅミが頭をレイの方へと預けていた。どうしたのかと顔を覗き込むと、瞼は閉じ、穏やかな寝息を立てていた。
どうやら泣きつかれて、体の主導権をエトネに返したようだ。辺りを浮遊していたエルフの幽霊たちも消えた。
レイはこのままではエトネが風邪をひくと考え、幼女の体を抱きかかえてテントの方へと歩き出した。
「さて。どうするもんかな」
こぼれた呟きは誰にも拾われることなく、夜空に吸い込まれていった。
読んで下さって、ありがとうございます。




