7-22 楽園の残骸
振り返ったエトネの瞳に宿る青い虹彩。それは彼女の中に宿るハヅミが表に出ている証である。そっと、レイは青色の指輪へと視線を送る。
「この砂漠だと、魔法の類は使えないと聞いていたんだけどね」
「そうよ。だからこれは精霊魔法としての憑依じゃないわ。単にエトネの体を操っているだけで、精霊の力はこれっぽちも扱えないもの」
「だったら、今の君は無力じゃないか。エトネの体で歩き回るなよ」
「そうね。でも、貴方の事だから、この子が一人で出歩こうとすれば付いてくると思ったのよ。貴方が居れば、危ない事なんてないじゃない」
「……随分と信頼されたもんだよ」
得意げに笑う姿はエトネの姿形なのに違和感が付き纏う。いつもの舌足らずの口調ではなく、大人びたしっかりとした口調。声も別の存在と響きあっているせいか二重に聞こえてくる。やはり、エトネでは無く、ハヅミが表に出ているのだと実感させる。
ハヅミはレイの腕の中から離れると、丘の上で足を崩して座り、隣のスペースを手で叩いた。座れという意味なのだろうか。レイが並んで座ると、ハヅミが丘から見える光景を指差し、尋ねた。
「ねえ。貴方にはこの景色はどんな風に見えるのかしら」
唐突な質問に困惑しつつも、レイは見たままの光景を口にした。
「どんなって、岩と砂しかない、寂れた場所としか見えないよ」
昼はまだ、太陽がぎらついた日差しを容赦なく注いでいるせいか、厳しい環境だけれども輝いていたように見えた。だけど、夜になればその様子は一変した。静々と降り注ぐ青い月光と星の輝きはどこか冷たさを孕んでおり、時折姿を見せる青白い幽霊のような存在が死の世界を印象付ける。
レイの偽りのない感想にハヅミは気分を害した様子もなく、ただ苦笑を浮かべていた。
どこか、悲しげな笑みにレイは逆に問いかけていた。
「それじゃ、君にはここがどんな風に見えるんだよ」
「わたし? そうね……色とりどりの花畑よ」
予想していない答えにレイが戸惑うと、ハヅミはここに存在しない光景を口にし始めた。
「赤い花。青い花。黄色い花。白い花。ありとあらゆる花がそよ風に吹かれて揺れる。清らかなせせらぎは枯れることなく流れ続け、木々の隙間から落ちる光の雨を抜けると、宝石を散りばめたような湖があるの。一年を通じて水温の変わらないそこでは沐浴ができるわ」
ハヅミの口から語られる光景は、どこか幻想的な風景だった。そして何より、それが作り話ではないと実感させる重さがあった。おそらく、彼女の口にしている風景は彼女が目にした風景であり―――かつてこの地にあった風景なのかもしれない。
ここでありながら、ここには無い光景をハヅミは語る。
「人々は森の恵みを糧として暮らし、国を出ずに生涯を全うできた。水晶で出来た城は誇りだったわ。見た目とは裏腹に脆く、それこそちょっとした衝撃で崩れてしまう脆弱な城。そこに傷一つ無かったのは、国の守りが完璧だった証だわ」
「国。……ここに国があったんだ」
何処か夢うつつだったハヅミがはっとなってレイの方を見た。そして、少女はやはり悲しそうに笑みを浮かべると、告げた。
「そうよ。ここには国があったの。……花吹雪く、永遠の都と謳われた花の都。エルフの国が、ここにはあったの」
エルフの国。
それは千年以上前に存在したという国の事だ。いまは散り散りになって暮らすエルフたち全ての、生まれ故郷であり、失われた王国。
エルフの隠れ里で、サファやロテュスから話を聞いていたレイは、そのことを思い出す。
「ここには昔、エルフの国があったのか」
「そうよ。といっても、エルフたちや、わたしたち精霊が共に暮らしていた時はこんな荒れ果てた土地じゃなかったのよ。……ねえ、コウエン。覚えているかしら。この地にあった、永遠の繁栄を約束された場所の事を」
ハヅミはレイの脇に置かれた龍刀に向けて語りかけていた。レイは龍刀を抜き放ち、ハヅミの見やすい位置に刀身を突き刺すと、波紋と共に紅蓮の瞳が浮かび上がった。
『うむ。覚えているとも。風光明媚、なんて言葉では語り尽くせない、楽園と呼ばれるのに相応しい場所だったのう。……それが、こんな荒涼とした場所に変わるとはな』
赤龍の記憶を引き継いでいるコウエンもエルフの王国の、在りし日の姿を記憶しているらしく、勿体ないとばかりにため息を吐いた。
「ええ。この悪魔の巣と呼ばれる盆地そのものがエルフの王国だったのよ。信じられないでしょうけど、本当の話」
超常の存在であるハヅミとコウエンが揃ってため息を吐くほど美しかったというエルフの王国。その在りし日の姿を思わせる影すら存在しない悪魔の巣を前にして、レイは一つの疑問を抱いた。
「あのさ。ここがエルフの国だったのは分かった。そして、それが美しかったのも分かった。だとしたら、どうして今、この場所はこんなに荒れ果てているんだ」
いや、とレイは続けた。
「そもそも、どうしてエルフの国は滅んだんだよ」
その質問にハヅミとコウエンはそれぞれ沈黙を答えとした。二人の様子から、それが軽々に語れない内容なのは察せられたが、それでもとレイは尋ねる。
「かつて、この地にはイーフェと呼ばれる、僕と同じ『招かれた者』が居たんだろ。あのサファの師匠に当たる、そんな人が居てもエルフの国は滅んだ。いったい、ここで何が起きたんだよ」
イーフェという単語はハヅミの琴線に触れる言葉だった。青い虹彩が縁取る萌黄色の瞳から、大粒の涙が雫となって落ちるのに、さほど時間は要らなかった。
あっという間に決壊した涙を前にして、レイは慌てた。声もなく、ただひたすらに涙を流す幼女に対して、どうするべきかおろおろと醜態を晒す。
手元にはハンカチのような小洒落た物は無く、レイは仕方なしに袖口を引っ張り、目元を拭う。それでも涙は止まらず、比例して染み込んでいく袖口は重くなっていった。
「イーフェ。イーフェ、イーフェ。可哀相な子。誰よりも自由を欲して、それでいて一族を守る為に不自由の鎖に縛られた子。全ての精霊に取っての愛し子。『精霊の寵愛を受けし者』だったイーフェ。あの子の死が、国の終わりを告げた鐘だったわ」
「『精霊の寵愛を受けし者』? それってエトネの称号じゃないか」
レイが『招かれた者』として与えられた権限の一つに、パーティーメンバーのステータスを本の形として開示することが出来る。その中には称号が記されており、エトネが『精霊の寵愛を受けし者』という称号を持っているのは知っていた。
しかし、その称号をイーフェが持っていたというのは初耳だった。
「私の知る限り、この称号。ううん、精霊とこれだけ心を通わせられるのは、エトネを除けばイーフェだけよ。ほかには誰も居ない。だからこそ、全ての精霊はこの子を守るためなら、何でもするわ。イーフェの悲劇を繰り返さないためにね」
精霊という存在をレイは多くを知らない。だけど、精霊がここまで誰かに対して心を砕いている姿は想像もつかないし、あり得ないと感じていた。精霊はこのエルドラドにおける上位存在であり、世界を支える柱である。そんな存在が、たった一個人の為に涙を流し、守る為に並々ならぬ決意を抱くのは違和感すらあった。
そして、超級精霊の一部であるハヅミがこれだけ思い入れのあった、エルフの『英雄』と呼ばれたイーフェに何があったのか。エルフたちの王国に何が起きたのか。あまりにも謎が多すぎる。
すると、沈黙を保っていたコウエンが重い口を開いた。
『妾は話すべきだと思うぞ、ハヅミ』
びくり、と名前を呼ばれたハヅミの肩が震えた。
『歴史にすら記されるのを阻まれた、あの惨劇を。あの時、あの地に居た我らが伝えなくてはいけないのだ。それが妾らの役目だと、そう思うぞ』
涙を流すハヅミに返事は無い。だけど、コウエンを止めようともしなかった。だから、彼女は語り出した。
エルフの王国が滅んだ日。この地で何が起きていたのかを。
『当時、このアルビノ砂漠と呼ばれている場所は砂漠では無かった。確かに、緑豊かな土地とはいえんかったが、それでも人が定住し、国を形成するだけの体力はあったのだ。細々とながら村々に人が住み、それが集まり街を為し、国を為していた。その中で、エルフの国は抜きんでていたといえよう』
千年程前。世界は大きく揺れていたと、当時の赤龍は感じていた。そこから遡る事三百年前、13神との繋がりが切れた世界は混乱し、大いに乱れた。13神は世界の管理を直接行っていた。大地を流れる魔力の増減は、その土地に暮らす人々にとっては生死に関わる重要な問題だった。極端に言えば、どの国の長も魔力が豊富な土地を欲し、常に争いの火種はくすぶっていた。そんな国々の間に立ち、裁定と仲裁と管理を同時に行っていたのが13神だ。
ところが、13神が去ると、世界的に魔力が減少したのだ。無神時代の始まりは、飢餓の始まりだった。
それまであった恩恵が無くなり、残された果実の奪い合いが始まったのだ。
何処の大陸でも血が流れ、資源は消費され、憎悪だけが膨らんでいく時代。後に暗黒期と呼ばれる時代と比べても無神時代の始まりは陰鬱とした時代だ。多くの国が滅び、歴史を語る証人と書物が散逸し、誰もが平和だった時代を忘れて行く。無神時代の初めから、その前の時代の歴史を知る者は、いまの世にはほとんど存在していない。
そんな暗雲とした時代で唯一、地上に残された楽園と言える場所があった。それこそが、後に南方大陸と呼ばれることになる大陸にある、エルフの王国だった。
『鋼よりも固い、金属の如き森に囲われたこの地は難攻不落の砦だった。どんな武器も、兵器も、魔法も効かんからのう。人の手ではどうしようもない。だから、エルフの国を獲ろうとする者は、唯一の玄関である小道を奪おうと攻め立て、護ろうとする者達は死力を尽くして戦っていた』
エルフと人の戦争は往々にして、風の通り道とよばれた小道を取り合うものだった。攻め手である人間たちは数を揃え、物量で押しつぶそうとし、守り手であるエルフたちは防御陣地を敷き、専守防衛に徹する。百年に及ぶ戦争の中で、一種の様式美のような構図が出来上がっていた。
唯一の例外は最強のエルフと呼ばれたイーフェだ。
『あれは精霊を身に纏う事のできた、数少ないエルフだった。それも後の世で低級や中級と呼ばれる低位の精霊では無く、ミヅハノメといった最高位の精霊を同時に複数宿せたのは、あやつだけだ』
《憑依》の技能は特殊技能ほどではないが、エルフ族の血筋にしか発現しないレアな技能である。
「それは『精霊の寵愛を受けし者』だからできたってことか」
『さてな。それが『招かれた者』である、あやつの技能だったのか、それとも特別な存在だったからなのか、妾には分からん。そこの幼子が年を経て、経験を積んだからといって、先代と同じ領域に立てるかどうかも知らん。……それだけ、『英雄』と呼ばれたあやつは、規格外だったのう』
エトネが宿せる精霊はいまの所、風の中級精霊である《カテギダ》と水の超級精霊の一端である《ハヅミ》の二柱だ。かつて、エトネと出会った時に、レイは《カテギダ》を宿したエトネと交戦した。まだ戦闘経験が少ないエトネは、直線的な動きしかしてこなかったから、どうにか対処できた。しかし、その身体能力は凄まじく、いまの自分でも捉えきれるかどうか自信は無い。
中級精霊でこれなのに、超級精霊を複数同時に憑依できたというイーフェの強さは、想像することもできない。あまりにも途方もないスケールに、おとぎ話のようにしか聞こえない。
『最強のエルフと、攻め筋が限定されてしまう国土。この二つを持ってして、エルフは幾度もの侵略を受けても、全て跳ね返せていた。……そう、跳ね返せてしまったのだ』
百年近い年月、エルフたちは負けなしだった。どんな策を用いられても、どんな兵器を投入されても、どんな名高い戦士が戦場に現れても、全てに勝利できた。
―――その間に、この大陸で失われた命は、計り知れなかった。
餓死、病死、戦死。あらゆる死が南方大陸を埋め尽くさんとばかりに広がった。その責はエルフたちには無い。彼らは彼らの国を守る為に侵略者たちと戦って来た。それを間違いだと断ずることは誰にもできない。
それでも、死んでいった者達は、死んでいく者達を見送った者は、こう思ってしまうのだ。
エルフさえいなければ。エルフがあの土地を明け渡してくれれば。父は、母は、息子は、娘は、祖父は、祖母は、兄は、弟は、姉は、妹は、孫は、友は死ななくて済んだのではないか。
理不尽な憎悪もまた、誰にも否定できなかった。
エルフたちはその憎悪に気が付くことなく、衰退期において唯一の平穏を享受していた。
その日が来るまでは。
『人々の憎悪を背負った化身とでも呼ぶべき存在が、九カ国の連合軍によって投入された。それがエルフの終わりを告げたのだ』
「……そいつは、何者なんだ」
龍刀の刃に浮かぶコウエンは皮肉げな笑みを浮かべて、告げた。
『後の世で、『国食い』と呼ばれる怪物。その正体は古代種の龍が一つにして、堕ちた存在となりし同胞だ』
ここに来て、レイはおぼろげながらにも悟った。どうして、東方大陸に篭っていた赤龍が、南方大陸で起きた悲劇にこれだけ詳しいのか。かつての赤龍も、この惨劇に関わっていたのだ。
一拍開けた後、コウエンはまるで、自分の罪を打ち明ける罪人の如き厳かな口調でその名を告げた。
『其の名は、黄龍。土を司る龍だ』
読んで下さって、ありがとうございます。
ここで一つ訂正を。
3―62で登場した土龍という名称を黄龍に変更します。ご了承ください。




