7-17 悪魔の巣 『後編』
キュクロプス四体から辛くも逃れたレイ達だったが、すぐに次の困難に直面していた。立ちはだかるのは超級モンスターが蔓延る悪魔の巣。キュクロプスたちから逃げる為とはいえ、悪魔の巣の奥へと足を踏み入れたのは悪手だった。
砂岩地帯で構成される悪魔の巣は切り立った崖や、山のような砂岩が道を塞ぎ、まるで迷路のような構造をしていた。曲がり角の向こうから響く獣の吐息だけで背筋が凍りそうな思いにかられる。ここはいうなれば、迷宮の深層と同じ空間なのだ。
かつて、シアトラ村の迷宮で深層を探索する羽目になったレイには二度と体験したくない状況だったが、泣き言をいっている場合ではない。気を抜けば、すぐに全滅してしまうのだ。
レイには死んでも時間を戻せる《トライ&エラー》という能力があるが、決して万能ではない。死亡という定義が、生命活動の停止となっている以上、毒による麻痺や石化などはその範疇に入らない。意識を失っている間に誰かが再起不能のダメージを負ったり、死亡すれば、目が覚めた時にセーブポイントが出来てしまうので巻き戻すことが出来ない。そういった可能性が十分にあった。
仲間の死や、全滅を避けるべく、打てる手は全て打つべきだとレイは決めた。
エトネが先頭に立ち、匂いと音で敵の位置を推測。後方に位置するシアラが《ラプラス・オンブル》を定期的に発動し、死の影が濃くなる瞬間を見定め、リスクの高い選択を取っていることをレイに告げ、リスクの低い選択へと切り替える。
この二人のお蔭で、キュクロプスたちを振り切ってから二時間。レイ達はどうにか危険な目に遭わずに進むことが出来た。
とはいえ、それは辛うじて。
いわば、綱渡りのようなものだ。
底なしの奈落の上に綱がかけられ、レイ達はそこの上を歩いているのと同じなのだ。いまも、毒々しい色をした、装甲のような鱗を生やした巨大なワニもどきとすれ違った。岩の隙間に飛び込むのが、あと数秒遅かったらと思うと、胃の腑が恐怖で引き攣った。
超級モンスターが通り過ぎたのを確認して、レイは安堵のため息を吐きつつ、背後を振り返った。
そこには疲労を滲ませるラシードたちの姿があった。ある者は岩に凭れかかり、ある者はしゃがみ込んで息を整えている。
無理もないとレイは思う。
何しろ、キュクロプスと遭遇する前に五度の遭遇戦をこなし、悪魔の巣の奥へと進路を切り替えてからは休憩を取る事も出来なかった。ラシードが選んだ人員は、ダリーシャスの護衛という事もあり、荒事に慣れているはずだ。中には元冒険者も居る。そんな腕利き達でも、迷宮の深層に近いこの空間は呼吸するだけで命を削られるような雰囲気だった。
こんな常識が存在しない環境で涼しげな顔をしていられる余裕なんて無い。
それはリザ達も同様だ。ラシードほどではないが、彼女らにも疲労の色は浮かんでいた。レイと旅をして迷宮に潜ったり、スタンピードやアクアウルプスでの一件という過酷な状況を潜り抜けた彼女たちを持ってしても、悪魔の巣という特殊な場所は難所だった。
特にシアラの疲労は濃かった。元から白い肌が、より一層白く、儚げな色合いとなっている。肌を流れる大粒の汗を拭うことすらできないようだ。彼女にとって忌まわしい技能、《ラプラス・オンブル》はペナルティや代価を求めることは無い。それでも連続で使用すると精神的な負担が生じるのは仕方なかった。人の死の可能性を見つめるという行為の負荷は、レイの想像を超えていた。
これまでの人生で、こんなに短い頻度で使用した事もなかったため、慣れない行動が余計に疲労をかけていた。
そんな疲労困憊の一行の中でレイは一番精神的に余裕があった。深層を何度も《トライ&エラー》で繰り返した事で、耐性が出来たのかもしれない。とはいえ、それでも肉体的な疲労は否定できなかった。
手足に軽い重りをぶら下げたような疲労感があり、無視できなくもないが、ラシードたちの様子を見る限り、ここで休憩を取るべきだとレイは判断した。
「皆、ここで一度、休憩をしよう」
レイの提案にラシードが力なく首を横に振った。
「……いえ……いまは、一刻も早く、ここを……抜けましょう。いつまでも、こんな場所に居る方が……危ないです」
ラシードの言葉にも一理ある。だけど、それは体調が万全なら、という前提が必要だった。レイが少年の体を軽く押すと、高く積んだ積み木が崩れるように少年は倒れそうになった。思っていた以上の疲労にレイが慌てて少年を抱きかかえる。
「ほら、言わんこっちゃない。体は正直だね」
「……はい。お手数をかけます」
幼い顔を歪めたものの、ラシードは自分が満足に動けない事を認めた。こうしてレイ達は僅かな隙間で小休憩を取る事になった。
火を起こし、やかんで湯を沸かし、疲労回復の効果があるハーブを放り込んで啜る。肉体的には勿論の事、精神的な疲労が癒えていくような、心地よさに浸る。中にはうたた寝を始める者もいた。
そんな状況でも、いや、そんな状況だからこそ誰かが周囲を見張る必要はある。一番余裕のあるレイが隙間の入り口に陣取り、顔を覗かせては辺りを見渡す。先程の巨大なワニもどきは既に居なくなっている。エトネとシアラによる索敵の賜物か、辺り一帯にモンスターの影は無かった。
というよりも、おかしい。
悪魔の巣は内側に行けば行くほど、危険度が上がるとラシードは言っていた。確かに、超級モンスターの姿を幾度も見かけ、感知し、その度に身を隠したり、進行方向を変えたりした。その結果、更に悪魔の巣奥地へと進んでいる。
それなのに、モンスターの出現頻度が下がっているように感じたのだ。
悪魔の巣の外周部を進んでいた時は、止まらない津波のように次々とモンスターが襲撃してきた。モンスターがモンスターを呼ぶという事態もあったのだ。
悪魔の巣にあった法則がひっくり返っている。内側に向かうほど安全になっていき、外側の方が危険度は高い。
これがレイの勘違いなのか、それとも何かしらの原因があっての異変なのか。それすら分からないもどかしい状況だ。
(とはいえ、超級モンスターが居ない訳じゃないし、下手に遭遇すれば危険なのには変わりないんだよな。それに外側の方がモンスターの厚みがあるってことは、このままだと脱出することもできないって事じゃないか)
どうするべきかと悩むレイは、癖のように無意識に龍刀の鯉口を切った。
すると、露わになった刀身に紅蓮の視線を感じ、視線を落とした。
「コウエン。やっと姿を現したな」
『如何にも。久方ぶりの邂逅じゃのう、レイ。息災だったか?』
龍刀に宿る、赤龍の記憶を引き継いだ存在、コウエン。見た目は褐色の幼女なれど、立ち振る舞いは悠久の時を生きて来た重みを感じさせる。レイにしてみれば、扱いにくいが、ここぞという時に頼りになる存在であった。
そんなコウエンとの久しぶりの邂逅にレイは口元を緩めた。彼女ときちんと話をするのは、アクアウルプスでの一件以来だった。
龍刀の炎は、一部ならコウエンの意思がなくても扱えるため、戦闘では問題なかったのだが、それでも寂しさはあった。
「息災だったかじゃないよ。そっちこそ、どうしてこんなに長い間、顔を見せないでいたんだ」
『何じゃ? そんなに妾に会いたかったのか。愛い奴よ。頭でも撫でてやろうか』
からかいの言葉にレイは唇を尖らせたが、反面ホッとしていた。前と同じように自分に語りかける幼女の姿に変わりなかった。
アクアウルプスでの事件。『怪物の行進』と呼ばれる騒動の最終局面。レイとコウエンは一つの賭けに出た。首謀者であるエレオノールを倒す為に、互いの魂を交換するという荒業に出たのだ。いまだに、龍刀の力を扱いきれていないレイの未熟さゆえのギャンブルは、結果的には成功したといえる。
水の都に緋色の星が誕生した瞬間だ。
エレオノールを撃破し、《アニマ・フォール》は解除できた。
全てが万事上手く行った中、唯一影を差したのが、魂の交換をしたコウエンが姿をみせなかった事だ。折りを見ては声を掛け、自らの精神世界にも潜りこんではいたのだが、褐色の幼女は姿を見せないでいた。
それがこうやって軽口を叩きに姿を現してくれた。レイは気が付かれないように胸をなで下ろしていた。
「撫でるなよ。……まあ、心配したんだからな。全然、姿を現さないからさ」
レイとコウエンは心象世界で繋がっている。故に、その言葉が表面上の言葉でない事は、コウエンにすぐさま通じるのだった。きょとんとした顔を浮かべた幼女はすぐさま勝ち誇ったように唇を歪めた。
『そうか、そうか。其方、随分と妾の事を心配したようじゃな。くくっ、ほんに愛い奴よのう』
「うっさい! それより、どうして姿を見せなかったんだよ」
途端、コウエンは表情を消して真剣な眼差しをレイに送った。物言わぬ、紅蓮の視線を前にレイはどきりとした。
『……事情があった。許せ』
短い言葉に込められたのは、詮索無用という固い意思だ。レイはどういう事だと問いかけたかったが、コウエンの表情から断念する。心象世界で繋がっており、コウエンがレイの感情を読み取れるなら、その逆も可能である。
はっきりと、コウエンがこの件を深く掘り下げたくないと思っているのが伝わってきた。
「……まあ、いいさ。それより、こっちの状況は分かってるのか?」
『否だ。こちらも色々あって。外に気を配る余裕は無かったのじゃ。……なんだか、辺鄙な場所におるのう』
「そうか。分かった。とりあえず、これまでの経緯を簡単に説明するよ」
レイはアクアウルプスで知ったデゼルト国でのクーデターから、アルビノ砂漠の悪魔の巣に到るまでの道程を語った。もっとも、赤龍の生まれ変わりであるコウエンにとって、人間たちの権力争いはつまらない些事であり、彼女が反応を示したのはアルビノ砂漠の部分だった。
『アルビノ砂漠? ……聞かん名じゃ』
「そうなのか? てっきり、お前なら何か知っているものだと思ったよ」
首を捻るコウエンにレイは驚いた。何しろ、赤龍は古代種の龍。無神時代が始まるよりも前から生きて来た存在。その知識量は比肩する者がいないはずだった。その赤龍が知らないと口にしたのは予想外だった。
『ここ数百年。妾は塒にしていた火口から一歩も出んかったからな。他大陸の事なんぞ、興味もなかったゆえ、そんな名の砂漠があったことすら気がつかんかった』
コウエンの説明にレイはそういうものかと納得した。相手は赤龍。うたた寝をしている間に年単位で時が過ぎるような存在だ。砂漠が南方大陸を侵食しているという環境変化だって、変化することが当たり前だと受け入れてきたのだろう。
『しかし、南方大陸の中心か。……いや、待てよ。もしかすると』
呟きは最後まで続かなかった。なぜなら休憩によって体力を回復したラシードがレイに話しかけてきたのだ。
「レイ殿。そろそろ、出発しましょう。夜になる前に、ここを抜けないと、ここで野宿する羽目になってしまいます」
「そいつは確かに危険だね。それじゃ、出発しようか」
レイの言葉に各自が準備に入る。レイも立ち上がり、外の様子を伺っていると、コウエンが再び語りかけて来た。
『レイ。本題に入ろう。魂の交換についてじゃ』
真剣な調子のコウエンにレイはどういう意味だと聞き返した。
『水の都にて行った、魂の交換。あれは……危険じゃ。少なくとも、指輪によって強化された状態で行うのは、妾は反対する』
「……急になんだよ。そりゃ、魂の交換にリスクがあるのは承知しているけど、あの力は絶大だぞ。あれ無しだったら、エレオノールを倒せなかった。それに魂の拒絶反応なんてほとんどなかったじゃないか」
魂の交換。
それはエレオノールが提案した、龍刀を支配下に置くためにレイの魂を一部ではあるが、赤龍と変化させる行為だ。普通なら他者の、それも赤龍の魂を受け入れた人間の魂は、それだけで狂い死にしてもおかしくない。赤龍の魂を受け入れるというのは、赤龍の生きて来た時間を受け入れるのだ。
コウエンは魂の拒絶反応が出て、死ぬほどの激痛が起きるかもしれないと脅すように言っていた。ところが、蓋を開けてみれば、レイに異変は全くなかったのだ。取りこんだ魂と自分の魂は反発も拒絶もせず、あっさりと受け入れた。
とはいえ、やはり赤龍の魂は人の身には過ぎたる物。レイの意識は限りなく薄くなり、むき出しとなった戦闘本能が龍刀を自在に操っていた。
それでもエレオノールを撃破できたのは、魂の交換をしたからだとレイは考えていた。
『訳を聞くな。……いいか! 指輪を使って魂の交換をしようとするなら、指輪は一回のみじゃ。重ね掛けした状態では絶対にせんからな!!』
コウエンのこれまでにないほどの真剣な声色にレイは頷くしかなかった。レイが納得したのを見て、幼女は満足そうに頷いた。
「でもさ。仮に素の状態の僕とお前で魂の交換をしたら、龍刀の力をどれだけ引き出せるって言うんだよ」
『そうさのう。あの時の状態が妾の全力から……五割といったところか』
エレオノールとの決戦時、レイの四肢は炎の鎧に包まれ、龍刀も炎に包まれていた。一度振るうだけで、建物が崩れていったあの破壊力を持ってしても、まだ半分なのかとレイは眩暈を覚えた。
『仮に、指輪を一度使用した状態なら、解放できるのは二割前後。素の状態でなら……一割未満といった所じゃのう』
「一割未満か。ちなみに、魂の交換をしない、いつもの状態なら。僕はどれぐらい、お前の力を解放できているんだ」
レイの質問に対してコウエンはふっ、と鼻で笑った。答えるのも馬鹿らしいという態度だった。
(どうやら、本調子に戻ったようだな。腹は立つけど、安心できる)
魂の交換という荒業を行ってからろくに顔を合わせられなかった相手の無事を知れて、レイは胸のつっかえが取れた気分だ。
―――まさにその時だった。
隙間から全員が抜け出した瞬間、シアラが叫んだのは。
「主様! 危ない!」
金切り声にレイが反応して振り返ると、金色の瞳が怪しく輝いていた。つまり、《ラプラス・オンブル》を発動しているのだ。それがどういう意味なのか瞬時に悟ったレイは周囲を見渡した。
何処かに死を与えようとするモンスターが居るはずだ。ところが、レイの予想に反して、周囲は無人の荒野だった。
「何処だ! 何処に敵が居るんだ!」
焦るレイがより遠くに絞って周囲を警戒していると―――ついに見つけた。
二百メートルは離れているだろうか。遠くの方に仁王立ちする巨大な存在を見つけたのだ。
単眼の巨人、キュクロプスだ。
一体だけが遠く離れた場所から此方を仁王立ちで睨んでいる。レイの視力は普通だが、キュクロプスの一つ目が逃がすまいと叫んでいるようである。
そして、キュクロプスは動き出した。
体を半身にして、右腕を後ろへと引っ張る。それはまるで、何かを投擲する構えに酷似していた。
何を投げるのか。
考えるまでもない。キュクロプスの武器は一つしかないのだ。
「―――ああ、そういう事かよ!」
レイの全身を冷や汗が伝う。キュクロプスの行動が、シアラの言葉が、何を示しているのか、レイは気が付いてしまった。気が付いてしまった以上、対処する必要があった。
「全員! 来た道を戻れ!!」
レイは叫ぶなり、自分は逆の方向へと駆けだした。仲間から離れ、技能を発動した。
「届け! 《留めよ、我が身に憎悪の視線を》!」
祈るような思いで発動した技能は、キュクロプスの意識をレイに向けさせる。振りかぶった右手が握る、三叉の槍の穂先が仲間とは逆方向へと駆けだすレイへと移動して―――放たれた。
槍が空気の壁を切り裂いて飛翔する。
キュクロプスが超級モンスターと呼ばれる所以。それは巨人としての体格では無く、その体格に相応しい槍を、全力で投げる事にあった。
スタンピードの時。キュクロプスの亜種に対して、守備を担っていたオルドたちが接近戦を挑んだ最大の理由はまさにそこにあった。キュクロプス亜種が全力で槍を投げた時、その一撃を防ぐのが不可能だと判断したからだ。
つい数秒前までレイが居た地点めがけて槍が迫る。膨大なエネルギーを秘めた一撃は、大地を震わせ、止まる事をせずにそのまま後ろの方へと突き進む。レイの体は余波で吹き飛ばされてしまうほどだった。
しかし、その程度の衝撃は予想できていた。すぐさま態勢を立て直したレイは、一変した大地を見て体を震わせた。槍が地面を捲り上げ、壁のように道を塞いでいた。これではリザ達の元へ戻れない。
更に不幸なのは、キュクロプスの位置からレイの姿は丸見えという事だ。逃げ場も、隠れる場所もない中、キュクロプスは恐ろしい行動に出た。
空になった右手で、大地に突き刺さった二本目の槍を掴んだのだ。
遠くから視認する限り、キュクロプスの姿は一体しかない。しかし、その一体の傍には棒状の物が二つ突き刺さっているのだ。どういう経緯か分からないが、他のキュクロプスはこのキュクロプスに自分の槍を託したようだ。
四体のキュクロプスなら槍の数は四本のはずだが、一本は既に消費されている。レイ達が隙間に逃げ込んだ時に、上から投げつけられたのがそれだ。あの惨状からでは、槍の回収を諦めたのかもしれない。
レイへと殺気を飛ばすのは技能のせいだけだろうか。もしかすると、単眼に向けて火矢を放った個体かもしれないと、レイは思考の片隅で考えた。それはそれで好都合だ。自分に恨みがあるなら、壁で分断されたリザ達に、敵は注意を向けない。
手にした新しい槍を、先程と同じ惚れ惚れとするフォームで構えた。大地に突き刺さる槍の数はあと一本。つまり、この一投を躱したとしても、更にもう一投残っているのだ。
数秒後には弾道ミサイルのような一撃が繰り出される。
受け止めるは不可能。
回避するのは不可能。
身を隠すのは不可能。
生存は―――不可能。
それでもレイは生き残れる可能性を引き出そうとする。
龍刀を抜き放ち、叫んだ。
「コウエン、魂の交換だ! 指輪無しの状態なら、文句は無いんだろ!」
『警告して早々にこれか! まったく、浮世もままならぬ!!』
苦々しく叫ぶコウエンだが、彼女とてこの状況では魂の交換が必要なのは承知している。躊躇いなくとはいかないが、それでも受け入れた。心象世界に潜りこんだレイがコウエンの血を啜り、コウエンがレイの血を啜る。妖しく、どこか淫靡な光景だった。
「じゃが、時間が足りんぞ? ほれ、既に槍は放たれたぞ」
コウエンの言う通り、キュクロプスは二射目を投擲していた。その穂先は真っ直ぐとレイに向かっている。魂の交換が成立し、龍刀が反応するまでに掛かる時間は一秒以上。その時には、レイの体はミンチと成り果てている。
だけど、レイは問題ないと返した。
「僕は一人じゃないからね」
心象世界からの帰還を果たしたレイの右目は紅蓮に輝き、迫りくる槍を睨む。
槍とは正面に対して最大の効力を発揮する造形をしている。キュクロプスの投擲ともなれば、その一撃は城壁すら砕く。だけど、その造形故に、弱点もある。
それは側面からの攻撃だ。
レイを目がけて飛んだ槍に、大地の壁を飛び越えたリザが攻撃を加えた。
「《風牙》! 《風牙》!」
立て続けに戦技を連発したのは、成長の証か。二発の風の塊がレイを吹き飛ばそうとした槍の穂先に直撃し、角度を変えるのに成功した。
レイの傍を槍がすり抜ける。発生した衝撃波だけで吹き飛ばされそうになるのを、コウエンを大地に突き刺す事で堪えた。
「レイ様! ご無事で……そのお姿は。それが魂の交換を果たした姿ですか?」
着地を決めたリザはどこも怪我をしていない。心配そうに近寄ると、晴れた空を思わせる瞳が驚きに丸くなった。
魂の交換についてはリザ達にすでに話していた。何しろ、エレオノールの強さを目の当たりにしたリザとシアラは、レイがたった一人で彼女を倒したと聞いた時に真っ先に思ったのが、今度は何を犠牲にしたのかという危惧だったのだ。
かつて、フィーニスを倒す時にレイは新たな技能、《トライ&エラー・グレートディバイド》を手に入れた。その代償は重く、自らを削る物だ。レイという人間は勝つためなら、他者が二の足を踏むような代償を簡単に受け入れる危うさがある。目を離すと、あっけなく滅んでしまう様な危うさを少女たちは感じていた。
魂の交換において、拒絶反応もあり得るという事は、レイから聞いていた。そして、その拒絶反応は思ったほど酷くなかったという話も聞いていたが、相手は赤龍の魂。使い続ければ、どんなしっぺ返しが来るか分からない。
そんなリザの不安を感じたレイは明るく告げた。
「大丈夫だよ。指輪を使わずに、そのままの状態で魂の交換をしたから、それほど魂は交換してないから。もっとも、その分エレオノールの時みたいに無茶苦茶はできないけどね」
そう言って、レイは自分の状態を確認する。龍刀コウエンは炎に包まれ、刀身を僅かに拡張し、それを握る右手にだけ炎の小手が生まれていた。前回に比べれば、貧弱だ。空を飛ぶのは無理だろう。
だけど、それで十分だ。相手の一撃を止められれば、それでいい。
「リザ、僕の後ろに回ってくれ」
「……分かりました。御武運を」
言って、リザが射線上から退くのと、キュクロプスが構えた三本目の槍を投擲するのは同時だった。
レイは素早く反応した。
龍刀からあふれでる炎を束ね、一つのイメージに落とし込み、それを具現化する。流星の如き槍を飲み込むのは、この世ならざる龍の炎である。
「落ちろぉおおおおお!」
絶叫と共に放たれた業火が槍と激突した。
勝負は一瞬だった。業火が槍を溶かし、槍が業火を打ち払う。
つまり―――相打ちだ。
流石は超級モンスターというべきなのか、自分は未熟だと納得するべきなのか。果たしてどちらなのか。ともかく三本目の槍は龍刀の炎を散し、己の体も消し飛んだ。
どうにか生き延びたぞとレイが考えた瞬間、レイの思考は停止した。
溶けた槍と、散った炎の向こう側。
地面に突き刺さった三本の槍を全て使い切ったはずのキュクロプスが、四本目の槍を足で掬ったのだ。
「……馬鹿な。あり得ないだろ!」
レイは狼狽した。四体のキュクロプスはそれぞれ一本ずつしか槍を持っていなかった。そして、自分たちと遭遇した際に、そのうちの一本を使い回収できなかったはずだ。
まさかあの隙間から無理やり回収したのかとレイが考えていると、まったく別の角度から答えが浮かび上がっていた。
四体のキュクロプス。それが間違っていたのだ。
確かに、増援のキュクロプスは四体だった。しかし、その前に一体、キュクロプスが居たではないか。
レイとリザとエトネの三人がかりで戦い、足止めしたキュクロプス。その存在をレイは失念していた。
「仲間から槍を回収したって訳かよ!」
正解に辿り着いたとしても、既に手遅れだった。四本目の槍はレイ達を射抜くべく投擲されたのだ。
唸りを上げ、風の壁をも破った一撃が迫る。いま一度炎を出すには時間が足りない。それでもとレイはなけなしの炎をかき集めて、槍に向けて放った。
炎は槍を飲み込もうとするも、すぐさま打ち破られてしまった。僅かに槍の勢いを削る事には成功したが、それは槍の直撃を受けた時に残る肉塊の量が変動する程度にしか影響しない。
死んだとレイは思う。
だけど、この一撃で良かったと同時に思った。
この一撃なら、確実に即死できる。死に戻りのイタミは辛いが、重症のまま生き延びるよりかはずっとマシだ。
せめてリザだけは生かそうと、背中に隠れている少女を突き飛ばす。
そして槍が手を伸ばせば届く距離に達した瞬間。
―――世界が震えた。
激しい火花が散り、鉄が鉄を噛み砕く音が響き、途轍もない衝撃波が全身を揺らす中。
白銀の背中を見た。
読んで下さって、ありがとうございます。




