7-8 アルビノ砂漠 『前編』
人という生きものは予想外の事に出くわすと、ほんのわずかだが思考が空白となる。得てして、緊迫した戦闘中に突拍子もない行動を取る事で、相手を硬直させるという手段がない訳じゃないが、この場合においてシアラはそんな事を狙っていないはずだ。
レイはあんぐりと口を開いたまま、どこかへ飛びかけた意識を引きずり戻すことに成功した。
「……え? ちょっと待ってくれないか。……いま、凄くさらっと言われたけど、魔法が使えないって言ったのかい」
できれば否定して欲しいというニュアンスをくみ取った上で、シアラは自分の発言が間違っていないと口を開く。
「そうよ。アルビノ砂漠一帯では昔から魔法が使えないのよ」
アルビノ砂漠が人の生存圏外と呼ばれる最大の要因は、その厳しい気候でも、モンスターが闊歩する事でも、広大な砂丘のせいでも無い。エルドラドを支える技術である魔法の類を一切持ち込めない事にあった。
魔法。それは単なる戦闘の手段に留まらない。極端な話、衣食住をある程度の水準まで魔法で賄う事が出来るのだ。特に、新式魔法の中には生活魔法と呼ばれるジャンルがあり、へき地での活動が多い冒険者にとって、煮沸消毒しなくて済む新鮮な水や、ずぶ濡れの荷物を乾かす火などは欠かせない。その魔法がよりにもよって砂漠という、生きるだけでも難儀する場所で使えないという事実にレイは眩暈がした。
「……それって、シアラの時代には、ってことは無いかな。いまは問題なく魔法が使えるとか、そういう可能性は」
「リザに確認したけど、変わってないみたいよ。ワタシの時代でも、何人もの研究者が調査隊を率いては調べたけど、結果はどれも同じ。魔法の核である魔法言語の類が一切使えないの。つまり、旧式や新式に精霊魔法、それに魔法工学の道具も砂漠では使えないと思っていてね」
魔法言語と聞いて、レイの脳裏にある存在の事が過った。少年は右手の中指に嵌めている赤色の指輪へと視線を向けた。いつでも外せるようにと、ブレイブサラマンダーの手袋の上からわざわざ嵌めていた。
「だとしたら、僕やエトネの指輪も使えないってことか」
「おそらく、そうなると思うわよ……確信は無いけどね。指輪に刻まれているのも魔法言語だもん」
予想外の問題にレイは頭を抱えた。《ミクリヤ》において、シアラの旧式魔法。レティの回復を始めとした補助魔法の数々は戦闘において欠かせない存在だ。そして、レイとエトネの持つ指輪に込められた魔法は切り札と呼ぶに相応しい存在である。
それが使えなくなるという事は戦力が半減するのと同じだ。
いや、それどころか、言葉は悪いが、戦闘中に役に立たないのが二人も増えるのだ。
「む。失礼しちゃうわね。ワタシはともかくとしても、レティの家事は立派なものよ。ワタシたちの旅に欠かせない要素じゃない」
馬車の中から、家事以外にも薬剤で頑張るからよろしくねー、という声が届く。確かにレティは薬剤と家事の二つでパーティーに貢献できる。となると、問題は目の前で腰に手を当てて仰け反るように胸を張る少女だけとなった。
「なに胸張って言ってんだよ。……じゃあ、やっぱり。君は砂漠だと」
「何にもできないわよ。そりゃ、もう。綺麗さっぱりね。……武装神官みたいに杖術が使えれば、少しは前線に立てたかもしんないけど、この杖じゃねぇ」
あっさりと。
シアラは自分がお荷物であると認めてしまう。あまりのあっけらかんとした態度は逆に好感すらもてそうになる。
「……そういう大事な事は早くに言ってほしかったな」
「ごめんなさいね。てっきり、主様も知っているのかと思ったのよ。これ、冒険の書に書いてあるぐらい重要な事だからね」
後で確認した所、彼女の言う通り冒険の書にも同じことが書いてあった。これが作成されたのは黄金期なので、本当に古くからの現象なのだと理解できた。
がっくりと肩を落としたレイであったが、何時までも落ち込んでいられないとばかりに、思考を切り替えた。魔法が使えないというのは確かに厳しい話だが、逆に考えればある種のメリットもある。
自分たちだけが魔法を使えないという訳ではないのだ。自分たちが使えないのなら、それは自然、相手も使えないという事に他ならない。モンスターも、人間も平等にだ。
アルビノ砂漠では魔法による索敵、妨害、攻撃を考慮しなくてよいのだ。これはある意味大きい事だ。魔法は、特に旧式魔法になれば状況を一変させる力を秘めている。アクアウルプスで散々超級魔法と対峙して、その威力と厄介さは骨身にしみている。それを警戒しなくても済むというのは有り難い話だ。
それに、レイ達には魔法以外にも選択肢はある。
「確認だけど、魔法が使えないだけで、技能とか魔道具は問題なく使えるんだよね」
「らしいわよ。ねぇ、リザ」
確認を馬車の中に求めると、リザは顔を出さず、声だけを出して返した。
「……はい。……昔読んだ冒険王の本にもその点は明記されていました」
それなら問題ない。これで技能、特に《トライ&エラー》が使えないとなったら、レイはラシードに別ルートか、別行動を提案していたところだ。
「だとしたら、遠距離の攻撃方法は僕のコウエンにダガー。距離は短くなるけど、エトネのクロスボウが使えるね。あと、シアラの場合は目が使える、と」
パーティーのリーダーとして、砂漠での戦闘時における注意点を洗い出しておく。ふと、口に出してから、
「そうだ、シアラ。いま、僕らの死の影を見てくれないか。それで、敵に追われているかどうかの判断がつくかもしれない」
レイの問いかけにシアラはちょっと待ってといい、金色黒色の瞳を強く瞑り、そしてゆっくりと開いた。
瞳には怪しい光が宿っていた。
シアラの持つ特殊技能、《ラプラス・オンブル》の第一の能力は個人の死亡する確率を影の濃さで判断できるという、簡易的な未来予知だ。
影が濃ければ濃いほど、死の未来が近く、確実に起きるという証だそうだ。
《ミクリヤ》のメンバーを順に見て、そして少し離れた場所で準備を続けるラシードたちを見たシアラは技能を停止させ、目頭を軽く揉んだ。
「大丈夫よ。今すぐ死ぬ運命になりそうなのは誰も居ないわ。でも、やっぱり危険な砂漠を渡るから、普通の状態よりも影が少しだけ濃いわ」
「分かった。それじゃ、シアラは時折でいい。死の影を見て、危険が近づいているかどうかを確認してくれ。それと魔法の使えない二人は僕、リザ、エトネの三人から離れない事。単独行動は禁止だよ」
「りょーかいです。ご主人さま」「はいはい。分かったわよ」
二人の返事の直後、ダリーシャスが出立の準備が出来たぞとレイに声を掛けにきた。彼もまた、いつもの上半身をさらけ出す格好を止め、無個性の塊である茶色のマントを羽織っていた。
あまり見慣れない格好をしたダリーシャスにレイは意外そうな視線を向けると、ダリーシャスが皮肉げに笑った。
「あまり見るな。先も言ったろう。相手は大自然の塊。人類の生存圏外アルビノ大砂漠。砂漠には砂漠の理があるのだ。生きる為なら、俺の矜持なんぞ捨てるしかあるまい」
ダリーシャスの言葉が嘘偽りのない物だと知ったのは、アルビノ砂漠を歩きだしてわずか一時間後の事だった。
ぎらついた太陽が真上から照らし、砂の大地は白くも、黄色くも、オレンジのようにも見える。振り返れば、駱駝とキュイと人の足跡だけが一列に続き、先頭には道導のようなものは無い。
三百六十度、全てが砂丘。風が吹く度に顔を少しだけ変えていく、変幻自在の世界。
なだらかな丘なんて一つもない、うねる様な高波の如き丘をレイ達は上っていた。左右に視線を向ければ、風でえぐり取られたのか坂が内向きに続く。転がり落ちたら最後、鼠返しのような坂を上るのは難しいだろう。
出立前、ラシードが砂漠を陸の航海と例えていたのを思い出した。
自分たちは一艘の船である。砂漠の中に点在するオアシスや街を目指して漕ぎ出す、と。
その通りだとレイは納得した。砂を海に置き換えれば、これほどしっくりくる表現は無かった。どちらも真水が必要だという共通点もある。残念ながら、移動は風だよりでは無く、自分の足のみ。歩みを止めれば、砂漠の生物に啄まれ骨となり、砂に沈んでいくだろう。
腰にぶら下げた水筒の蓋を開けて、水を一口飲んだ。すでに温くなってはいたが、乾いた細胞には十分な潤いをもたらしてくれる。
砂漠の気候は日本の夏とは違い、かいた汗をその場で蒸発させる。そのため、マントの下の衣服が汗で湿るようなことは無かったが、その分脱水症状に気が付きにくい。其方が思うよりも、汗を流しているのだとダリーシャスは助言を寄越した。対処としては、時間で区切って水を飲んだり、掌を強く握って汗が出てくるかどうかを目安にしろとも。
この辺りは王族といえど、この地で暮らす人間らしい知恵だ。先を歩くダリーシャスを始めとしたデゼルト国の人間たちは、砂で足を取られるような無様な真似はしていない。
特に先頭を歩くラシードは道なき道を分かった風に歩く。
後から知ったのだが、彼は砂丘の形や、神が気まぐれで置いたのではないかという岩や草を目印として進む道を決めていたそうだ。
ただ、そんな事は露とも知れないレイにしてみたら、道標のない道程。一度はぐれたら合流するのは難しいと思ってしまう。暑さに負けて垂れる頭を持ち上げて、自分が隊列からはぐれていないかと何度も確認してしまう。
《ミクリヤ》のメンバーで砂漠に対して適性があったのは、リザとレティだった。実は彼女たち、アルビノ砂漠は初めてではないと語った。
「昔。アルビノ砂漠のもっと西から入って東に抜ける旅をしたことがあります。その時に比べれば、今の方がずっと楽ですね」
「そうだねぇ。あの時は逃走防止の為に足枷に鉄球をつけてたもんね」
「ええ。それに砂漠だと水は貴重だからと言われて、水をほとんど飲ませてもらえかったものね」
何でも無い風に語り合うが、過酷な体験にレイの頬は引きつった。やはり、奴隷商人の戦奴隷として過ごしてきた経験値は計り知れなかった。
次に問題が無かったのはエトネだった。
パーティーの中で最年少の彼女は、未体験の砂漠にこれでもかと目を輝かせていた。砂を掬っては指の間から零れ落ちる感覚にくすぐったそうにし、太陽の光で刻々と顔を変える砂丘の色に感嘆のため息を吐き、照り付ける日差しも何のその。興味の引かれる不思議な岩や、初めて見たサボテンへと駆けだそうとするのをレイが慌てて追いかけるというのが何度も繰り返された。
いつもなら、あちらこちらへと進んでしまうエトネを捕まえるのはシアラの役目なのだが、残念ながら彼女はこの一行の中で一番砂漠に苦しんでいた。
紫がかった黒髪を束ね、ターバンに無理やり押し込んだ少女はニチョウの背中にしがみ付きながら砂漠でどうにか生きながらえていた。
「あついぃー。あつぃー。あつー。あー」
少し前から、あー、あー、あーとしか言わなくなったシアラにレイとリザはひそひそと小声で話す。
「どんどん、人間の言葉から離れて行っているな」
「大丈夫なのでしょうか。……ポーションを頭から浴びせるとか、何か対策を取るべきなのでは」
心配そうな二人に対して、キュイの背中で日干しになっているシアラがくぐもった声で否定する。
「……そんな事しても無駄よ。……魔人種はね、基本的にどんな過酷な環境でも生きていけるようになっているの」
元々、魔人種は故郷を持たない流浪の民だった。それを憂い、国を作ったのがフィーニスで、彼は魔人種の国を北の最果ての地に作り上げた。
「これは魔人種が寒い地方でしか暮らせないとかじゃなくて、単に余っている土地が北の方にしかなかったからなの。だから、もしかしたら、お……フィーニスはこの砂漠に国を作った可能性も無い訳じゃないの」
「だったら、どうして君はそんなに暑いのが苦手なんだよ」
「雑種の魔人種の宿命よ。往々にして、他種族の血が混じると、魔人種が生来持っていた耐性とかが著しく欠けるのよ。ワタシの場合は、人一倍、暑いのがダメなのね……生まれて初めて、知ったわ」
そう言って、彼女はキュイの背で丸くなった。一応、用心の為にレティが健康状態を診たが、生命の危機という訳では無いそうなので、シアラには我慢してもらうほかなかった。
代わりに砂漠縦断中はなるべく体に負担が掛からないようにとキュイの背中を優先的に使ってもいいと仲間内で決めたのだ。
そんなキュイはいつもと変わらない様子で砂漠を進む。駱駝と同じように水を体内でため込める機能を持っているようで、四本の足で砂地を軽快に蹴り上げて進む。背には半病人のシアラと水や食料が積まれているのに、その走りは頼もしかった。
こうしてレイ達一行は砂漠を進んでいく。
読んでくださって、ありがとうございます。




