7-9 アルビノ砂漠 『後編』
砂漠の夜は昼とは真逆の様相となる。
人を焼き焦がしかねない太陽はどこかへと追いやられ、青い月が空を我が物顔で君臨し、星々が従者の如く付き従い、冷えた空気が体の芯まで凍らせるように寒かった。
黒い、軍服のようなコートをボタンまで締めた状態で上からマントを羽織ってどうにか人心地ついた。手には焦げ茶色の液体が並々と入ったカップが握られている。
その正体はカザネ亭で貰ったコーヒーだ。旅の間、少しずつ、少しずつ大切に飲んでいた秘蔵の品も、残りが半分を切っていた。しかし、レイはそのコーヒーをラシードたちにも振る舞った。
積極的に交遊を図ろうとしたのもあるが、一番の理由はカザネ亭の旦那がくれたコーヒーが美味しい事を自慢する目的もあった。実際、ラシードを除いた大人たちはコーヒーの美味しさに驚き、どこで手に入るのかと尋ねて来た。
そして、いま。コーヒーの返礼とばかりに弦楽器によるデゼルト国の民謡が満天の星に向かって響いていた。
最初はこんな砂漠で歌を歌って目立つのではないかと思ったが、ダリーシャス曰く、これが砂漠の夜での過ごし方なのだそうだ。
「御覧の通り、四方が砂ばかりの土地。夜は長く、暇を持て余す。女を抱くこともできず、酒を持ち歩くのも限界がある。そこで、砂漠を行きかう隊商は歌を歌って過ごすのだ。逆に、じっと火を囲んで過ごしている方が不審で目立つものだ」
そう説明されれば、そういうものかと納得した。
男たちが弾いているのはデゼルト国では一般的な弦楽器だ。長い棒の根元に小さな太鼓のようなものが付属し、棒の長さに合わせて何本もの弦が張られている。それをヴァイオリンで言う所の弓で引くのだ。特徴的なのは弓の先端に鈴が付いている事で、何度も往復するたびに、鈴がちりん、ちりんと鳴る。
独特の広がりをみせる音色に合わせて手拍子が加わり、ダリーシャスを始めとしたデゼルト国の人間たちが歌いだした。
それはどこか讃美歌のように荘厳でありながら、それでいて粗野でもあり、どこか陽気でありながら陰気でもある。様々な面を持つ不思議な歌だ。
食事を終え、コーヒーを片手に音楽を味わっていると、隣にシアラが座った。彼女は《ミクリヤ》の中でレイ以外にコーヒーが飲める一人だ。ミルクも砂糖も無い黒茶色の液体に唇を湿らせた。
「体調の方はどうなんだい?」
「お蔭さまで。日が沈んだら、随分と楽になったわよ。……明日は自分の足で歩けるように頑張るから」
「あんまり無茶はするなよ。倒れたら、そっちの方が困るんだから」
「何よ。魔法の使えないワタシが倒れたって、戦力としては問題ないでしょ」
「そういうんじゃない。ただ仲間が倒れたら、凄く嫌だろ」
子供じみた感想だが、それはレイの偽りのない本音だ。シアラは少しだけ驚いた様子を見せ、そして相好を崩すのを隠すようにコーヒーに口をつけた。
既にリザとレティ、それにエトネは眠っていた。明日も昼間は歩き通しになると言われたこともあり、早々に眠りについたのだ。キュイの体を枕にして少女三人は仲良く眠っていた。
ダリーシャスたちの歌が佳境に入っても起きない所を見ると、昼の移動で疲れていたのだろう。
「……不思議な歌だな。聞いた事なんてないのに、どこか心に来るものがあるよ」
「そうね。ねえ、ラシード様。この唄ってどんな唄なの?」
火の番をしていた少年が振り向き、
「様なんてつけないでください。僕はそんな呼ばれ方するような者ではありません、シアラ殿」
「なら、ワタシも殿なんてつけないで頂戴。かしこまった呼ばれ方は嫌いなのよ」
「分かりました、シアラさん。……それで、この歌は英雄を賛美する歌です」
英雄、とレイとシアラはオウム返しに尋ねると、ラシードは火の番を止めて二人の近くに座る。
「はい。いつの時代の、どんな英雄なのかはよく分かっていません。ですが、南方大陸に伝わる古い、本当に古い英雄についての歌です。他の国でも、歌詞などに多少の違いはありますが、おおむね似た歌が伝わっていますよ」
英雄といえば、強い戦士に憧れるリザの担当だが生憎彼女は眠っている。次いで、古くを知るシアラの方を窺ったが彼女は心当たりがないのか首を竦めた。
ラシードはシアラに体調を尋ねて来た。昼の時も何かとシアラの調子を心配していたのはラシードだった。もっとも、シアラの体調を本気で心配しているのと、余計なトラブルでスケジュールが崩れるのを心配しているのが入り混じった態度ではあったが。
「もう大丈夫よ。初めての砂漠で、体がびっくりしたの。でも、明日は自分の足で歩けると思うわ」
「それは何よりです」
「それにしても、これだけ夜が涼しいなら、夜に移動すればいいのに。そうすれば、ワタシも最初から歩けるのに。……というか、水の消費を考えたら、日中は休んで、夜に出発すればいいじゃないの」
名案を思いついたとばかりに言う彼女だったが、ラシードは、それは無理です首を横に振った。
「夜だとモンスターの活動が活発になります。一応、ここは砂漠の外周部なのでそこまでモンスターが出てくることはありませんが、その分野盗の心配があります。それに砂漠に住むのはモンスターや野盗以外にも、厄介な猛獣もいます」
一拍開けて、少年は言葉を続けた。
「それに、夜は彼らの時間です」
「彼ら? それってどういう」
意味なんだ、とレイが尋ねようとすると、周りの変化に気が付いた。たき火の外側、青い闇の中を何かが動いているのだ。
レイは腰に差してあるダガーを抜き放ち、つられてシアラが杖を引き抜いた。だけど、ラシードがレイの裾を引っ張り押しとどめた。
「大丈夫です。あの方たちは何もしません」
「あの……方たち? それはどういうことなんだ」
「口で説明するよりも、見た方が早いでしょうね。良く目を凝らしてください」
ラシードに促されて二人は闇を見つめた。すると、そこには驚きの光景が広がっていた。
最初、薄い白い靄がゆらゆらと蠢いているようにしか見えなかった。それは次第に輪郭を作り出し、まるで人のような大きさと形をしだした。それが一つ、二つ、三つと増えてくると、いつの間にか周囲には白い形をした煙のような人が何人も浮かんでいたのだった。
「まさか……幽霊なのか!? それともモンスターか!」
レイの脳裏に、かつて遭遇したアンブレイカーゴーストというモンスターの影が過った。青白い、女の形をした幽霊は別名冒険者泣かせと呼ばれるモンスターだった。
青白い、霞のような体をしたモンスターは、どれだけ切っても手応えなんて物は無かった。その霞の正体は極小の魔石なのだ。それら全てがアンブレイカーゴーストの心臓であり、一粒でも残せばそこから復元するという。ギルドが提示する退治方法は超火力の魔法によって、空間ごと削るという乱暴なやり方だ。
その場合、魔石は全て砕けてしまうため、回収は不可能。そもそも、極小の魔石は換金する事が出来ない。そして、厄介な事にアンブレイカーゴーストは確認されている超級モンスターの中でも経験値の低さでも抜きん出ている。
それゆえ、倒してもなんのメリットがない事から、冒険者泣かせと呼ばれているのだと、レイは後から知った。
その記憶をほじくり返しながら眼前の光景を見るも、二つほど違う点を発見した。まず、一つ目は目の前の幽霊たちは白く、対峙していても、モンスター特有の不快さや嫌悪感が湧き出て来ないのだ。もう一つが焚火の明かりよりも内側に入って来ないのだ。
訝しむレイにラシードが大丈夫ですと繰り返した。
「彼らは人に危害を加えません」
ほら、とラシードは手を白い幽霊たちに向けた。確かに少年の言う通り、幽霊たちは手に反応を示さず、ふわふわと浮いていた。
「これは何なの? 本当に人の魂ってことなの」
金色黒色の瞳を何度も瞬かせたシアラが固い声色で尋ねると、ラシードはよく分かりませんと返した。
「ここ五十年ほどばかり前から現れるようになったと聞きますが、これの正体はよく分かっていません。アルビノ砂漠の夜にしか現れず、誰かに危害を加えたりせず、ただ人が集まった場所に吸い寄せられるように姿を見せる。それぐらいしか分かっていません」
「……だとしても変よ。御霊に向かうはずの魂が、こんな、それも人の目で見えるぐらいにあるなんて」
「ですから、僕ら地元の人間は、これを大地の記憶と呼んでいます。御霊に上がった魂の残響が残っているのだと」
不思議な光景だった。白い幽霊たちはふわふわと、まるで泳ぐかのように浮かんでいる。空には青い月と満天の星が宝石のように散りばめられ、どこか幻想的な光景だった。
いつの間にかリザとレティが起きだして、目の前の光景を眺めていた。彼女たちはかつてこの砂漠を訪れたことがあるからか、驚く様子は無かったが、懐かしそうに、肩を寄せ合いながら見入っていた。
ところが。
一人だけおかしな様子を見せている者が居た。
エトネだ。
一緒に眠っていた二人とは違い、ふらふらと焚火の外側へと歩き出していたのだ。またエトネの悪い癖が出たのかとレイは引き戻そうと追いかけた。
「エトネ、エトネ。一人で出歩くなって言ってるだろ」
しかし、少女は呼びかけに反応しなかった。足取りはふらつき、砂に何度か足を取られそうになっている。まるで夢遊病患者のようだった。
レイはある種の確信を持って、エトネの前に回り込み、少女の瞳を見た。予想通りというべきか、若草色の瞳の縁を、薄水色の光輪が宿っていたのだ。
「やっぱり。いまの君は、ハヅミなんだね」
返事は無いが、レイは確信していた。青色の指輪に宿るハヅミは、条件さえ揃えばエトネの体を、一方的に操る事が出来る。どうやらその条件を満たして、外へ出てきたようだが、その目的が分からない。
エトネの体を動かしているハヅミはレイの方に反応を示さない。彼女は星の海を漂う、白い幽霊たちの方へと手を伸ばしていた。仰ぎ見た眦から涙がこぼれ、滴となって乾いた砂に染みを作る。言葉もなく、ただ哀しみから涙を流していた。
対する白い幽霊たちは、何か奇妙な仕草をしては夜の闇に消えて行った。
あれはもしかすると、手を振っていたのではないだろうか。
だけど、確かめるすべはない。何より確かめている場合では無かったのだ。がくり、と。エトネの体から力が抜けたのだ。慌てて支えたレイの耳に、エトネの穏やかな寝息が聞こえていた。
「一体、何が何やら。どうなってんだよ、ほんと」
誰か、説明してくれとレイは一人愚痴る。
翌朝。
太陽が地平線に光の雫を振り撒いた。東の空から闇は追いやられて消えて行く中、起きだしたエトネに昨夜の事を尋ねるも少女は不思議そうに首を傾げるばかりだった。どうやら、ハヅミが体を動かしていた時、彼女の意識は眠っていたようだ。
何も覚えていない。
「でもね。ハヅミがゆめのなかで泣いてたよ」
「泣いてた。……泣いてたのか」
「うん。どうしたのってきいても、ずっと泣いて。……だから、エトネもかなしくなっちゃった」
ハヅミはコウエンと違い、エトネの体を借りなければレイ達に自らの意思を伝える事は出来ない。そのため、エトネが彼女の真意を聞きだせなければ、昨晩の事の真相は闇の中という事だ。
それはともかくとして、一行は再びオアシスを目指して歩き始めた。
二日目、一番元気だったのはシアラだった。
「昨日は恥ずかしい所を見せたもの。今日は張り切って行くわよ!」
「おー!」「おー?」
拳を高く上げると、レティとエトネが面白がって真似をした。いつもの斜に構えたシアラにしては元気が良いなと思っていると、リザが冷静な意見を述べた。
「あれは自分を鼓舞しているのでしょう。やはり、起きた時も少しふらついていました。まだ、この暑さに慣れていないと思います」
「そうか。……悪いけど、リザ。僕も気をつけておくけど、シアラの様子にはそれとなく注意してくれ」
分かりましたとリザが返す中、シアラは一人気炎を吐く。
「槍でも弓でも魔法でも、なんでも掛かって来なさい!」
―――そんな事を言うから、砂嵐がやって来てしまった。
一キロ以上先からでも、目視できる巨大な砂嵐だ。よりにもよって、真っ直ぐにレイ達のいる方向へと移動していた。それは正に迫りくる壁のようだった。人どころか、城壁すら軽く超える高さの砂嵐が巨人のような歩みで迫ってくる。
「シアラがあんなこと言うから!」
「あれはワタシのせいじゃないと思うわよ!」
「二人とも落ち着いてください! ラシード様。砂嵐はどう対処するのですか?」
ぎゃあぎゃあと言い争う二人を一喝したリザが先頭で迫りくる砂嵐を見つめるラシードの判断を仰いだ。
「リザ殿。シアラさんにも言いましたが、僕に様なんて敬称はいりません」
「そ……それは分かりましたが、あの砂嵐は」
「うーん。僕らだけでしたらそのまま直進しますが……まあ、今回はやり過ごしましょうか」
「だったら、すぐに身を隠せるような場所を」
言って、辺りを見回すレイに対して、ラシードやダリーシャスは駱駝を一カ所に集めた。そして膝を折る駱駝の影に隠れるように身を倒す。まるで岩陰に隠れるかのような行動だ。
「……おいおい、まさか」
砂嵐があと数十秒もしない内に直撃するというのにふざけている場合かと叫びそうになり、はたと気が付く。そう、あと数十秒もないのだ。だからこその、この行動なのではないか。
彼らの様子で、ラシードたちの対処方法を理解できてしまったレイは冷汗を背中に感じていた。こともなげに、少年は言う。
「いまさら砂嵐から身を隠せそうな場所を探すなんて無理です。皆さんも、こうやって耐えてやり過ごしてください」
あっけらかんと。それこそ何でもない、日常の話をするようにラシードは言う。顔はあげず、下を向き、荷物が飛ばないように体で押さえつけるのがコツですと付け加えた。
「……嘘よね。そんなので、あの砂嵐をどうにかするつもりなの!?」
シアラが慌てふためくが、もう時間が無かった。砂嵐はすぐ目の前までやって来ていた。ごうごうと唸りを上げる音が逃げるなと叫んでいるようだった。
「仕方ない。やるしかないだろ。キュイ、しゃがんで。レティとエトネがその影に入って、二人とも手を握り合って、離すんじゃないよ」
レイの指示に幼女二人は、それこそ崖から落ちそうな相手を掴む勢いで腕を掴んだ。そして、リザとシアラが二人の上にさらに覆いかぶさった。少女四人が一塊になった上からレイがさらに押さえつけるようにかぶさった。
「レティ、それにエトネ。息は出来ていますか?」
「大丈夫だよ、お姉ちゃん!」「へいき」
「あんたら、口を閉じなさい! 来るわよ!!」
シアラの言葉通り、砂嵐が直撃する。
舞い上がった砂が全身を激しく打つ。風にあおられた衣服が体に纏わりつき、そのまま剝がされそうになる。ちらりと開けた視界は、一メートルどころか三十センチ先も見えない。日の光すら遮った分厚い砂嵐の中は、一面が薄茶色に汚された世界だった。
これまで、風魔法を浴びたことは一度や二度では無いが、それとはまったく種類が違うとレイは感じていた。魔法には使用者の意思が篭る。多くの魔法が相手、つまり自分を殺そうとする殺意が込められており、浴びた瞬間、その意思と自分の意思がぶつかる。
だけど、大自然の猛威は違う。
単純なまでの、それこそ機械的なまでの無意識。その前では人間がちっぽけな存在だと思い知らされる。特に、魔法という便利な技術が使えないアルビノ砂漠ではそれが顕著になった。
砂嵐は一時間経とうが、二時間経とうが止む気配はなかった。だけど、三時間が経とうとした頃、やっと収まり始めた。いや、通り過ぎてくれようとした、の方が正解だった。
唸りを上げていた風の声が遠くなり、遮られていた日差しが首筋を焼く。その熱で、レイはようやく砂嵐が終わったのだと顔を上げた。
途端、背中や頭に積もった砂が一塊となって背後に落ちた。口の中も砂が入り込み、水を一口つけて洗い流す。その水筒の中にすら砂が混じっているような感じがしたが、そこは諦めるしかない。流石に水を棄てる気にはならなかった。
「随分と手荒い歓迎を浴びたな。あれだけの砂嵐は俺も久方ぶりだ」
同じように水で口の中を洗ったダリーシャスが背後を指差した。そちらを振り返れば、今さっき自分たちを通り過ぎた砂嵐の背中が見えていた。
「とりあえず、全員無事のようだな。ならば重畳、重畳」
言って、体に纏わりついた砂を落とした。すると、レイ達の耳に驚きの声が飛び込んだ。
「うわぁ! キュイがすごい事になってるよ!!」
レティの声に視線を向ければ、確かに黄色のデブ鳥はすごい事になっていた。砂嵐の直撃を浴びた側が茶色く変色していたのだ。まるでオセロの駒を横から眺めたかのように綺麗に茶色と黄色が分離していた。
茶色の正体は羽毛に絡まった砂だ。
「あっははは。綺麗に砂を浴びた側だけ茶色になってるよ」
「はっはっはっは! いや、見事見事。仲間を守った証ではないか!」
思わず吹き出し、笑った二人に対して、キュイはその巨体にあるまじき高速移動をして迫る。逃げる事も避ける事も許さない。キュイは茶色に染まった面をレイ達に向けると、
「キュキュイ」
と。まるでくらえと言わんばかりに体を震わした。人の背丈よりも高いニチョウの体から落ちた砂は、近くに向かって滝のように流れた。当然、傍に居るレイ達は頭から砂を被る事になった。
「キュ、キュ、キュ。キュキュウ」
頭から砂を被った人間二人をニチョウは嘲笑った。
「……なるほど、それは宣戦布告と見做すがいいんだな!」
「良かろう。焼き鳥にして平らげてやるぞ!」
「キュキュ。キュッキュウッ!」
掛かって来い人間ども、と言わんばかりにキュイは羽ばたいた。
こうして紆余曲折在りつつも、モンスターや盗賊、そしてプラティス家の監視をすり抜け、どうにかレイ達はアルビノ砂漠に点在するオアシスの一つへと辿り着いたのだった。
読んでくださって、ありがとうございます。




