7-6 果たすべき責任
南方大陸はレイがこれまで訪れたどの大陸よりも荒涼としていた。
東の地平線に太陽が姿を現す頃、レイ達は海岸から入った洞窟を、反対側から抜けた。岩山の口から外へと這い出すと、現れた大地は平坦で、酷く寒々しかった。季節は夏だというのに。
まず、木が少ないのだ。中央大陸や東方大陸で見かけた背の高い木々はほとんどなく、足元を膝の高さまでしか伸びていない雑草がちらほらと地面に緑の染みを作り、それ以外は大地がむき出しとなっている。
外に出た際に付いた土を払うと、乾いた砂を払っているような感触が手に返ってきた。
「驚いたか? 南方大陸は雨季が極端に短く、量も少ないのでな。大陸の六割ほどが乾燥地帯となっておる。デゼルト国も国土の七割近くがこんな風景だらけだ」
足を止めたレイにダリーシャスが故郷の土を掬い上げた。青年の手には乾いた砂のような、礫のような細かい土が乗っており、吹いた風に舞って散る。
「弓なりの国土の内、東を海。西を砂漠が関所のように守ってくれているお蔭で、隣国との国境である北西の部分に関所を置くことで防衛出来ているのは、幸運と取るべきか、不幸と取るべきか分からんな」
故郷に帰ってきた事で気分が高揚しているのか、それとも近隣諸国を親善大使として回ってきた職業病なのか。えらく饒舌に自国の事を語り出したダリーシャスにレイは律儀に付き合う事にした。
「これだけ乾いた大地じゃ、農作物が不足しがちなんじゃないの」
「然り。農作物に適した土地を最大限活用しているが、それでも民が飢えない程度でやっとだ。そんな危うい状況では、不作の年は飢饉で街が骸に埋まりかねない。そこで、十四氏族は各々のやり方で領民を飢えさせないようにしている。フェスティオ商会。あれもその一つだ」
言って、ダリーシャスは近づいてくる蹄の音に顔を向ける。そこにはラシードを乗せたアスタルテが鼻息を荒くして大地を踏みしめていた。驚くことに、少年は鞍も手綱も着けない裸馬で御していた。
「オードヴァーン家は主に馬の生育で有名でな。アスタルテのような良馬を輩出しているのだ。各国を回る際にアスタルテを連れ回していたのは、売り込むための材料とするためでもあった」
朝日を浴びて白馬は輝いているように見え、ダリーシャスは誇らしげに目を細めていた。アスタルテもまた、故郷の土を踏めたことに興奮しているのか、何度も大地を蹄で打ち鳴らしていた。そんな中、ラシードがひらりと地面に飛び降り、アスタルテの世話を他の者に任せると一目散にダリーシャスの元へと駆け寄った。
「王子。近隣の港、及び漁村に忍ばせた部下たちからの報告では、王子らの上陸にプラティスの者が気づいた様子はなしとの事です」
「うむ。報告ご苦労。しかし、油断するな。いつ、どこに奴らの目があるか分からん」
はっ、と小気味よい返事をする少年の振る舞いに、昨夜の出来事は欠片も残っていないかのようだ。だけど、眦に涙が幾筋も流れ落ちた跡がくっきりと残り、何より、少年はレイと目線を合わそうとすらしなかった。
やはり、まだ姉の死に納得が出来ていないのか、微妙にレイと距離を取ろうとしている。これを無理やり詰めるのは簡単だが、それは逆効果にしかならない。やはり時間が解決するのを待つしかないのかもしれないとレイは天を仰いだ。
「それと、アスタルテの事なんですが、ここで別れようかと思います」
急な提案にレイが驚きの声を上げてしまう。慌てて口を塞いだが、やはりラシードはレイの方を向こうとしない。
「ふむ。それはやはり、砂漠だからか?」
「はい。普通に砂漠を横断するだけなら、馬でも可能かもしれません。ですが、万が一、プラティス家の追撃に遭えば部隊は全力で逃げなければいけません。そうなると、馬の足が……それにあれだけの白馬です。この先、嫌でも目立ちます」
「……それも仕方なかろう。其方の判断に任せる」
「ありがとうございます。この地に残る仲間の元に預け、折を見て北上するように手配します」
そう言って、ラシードは仲間の元へ戻っていく。ダリーシャスはラシードが声の届かない位置まで行ったのを見届けてからレイに謝った。
「すまんな。勝手に決めてしまって。あれも其方に懐いていたというのに」
アスタルテはレイの馬という訳では無い。だけど、レイに懐いていたのも事実だ。いまも別れを惜しむようにつぶらな瞳を向けていた。別れるのが惜しくないといえばウソでは無い。だけど、道理は彼方にあるのだ。レイに口を挟む権利は無い。
「仕方ありませんよ。アスタルテにも随分と助けてもらいましたから、ここは一度休んで貰った方が良いです。それにうちにはバカ鳥が一匹いますから」
そのバカ鳥は何か感づいたのか、アスタルテの方に近寄り体を擦りつけていた。アスタルテも嫌がることなく受け入れていた。どうやら動物同士、何らかのシンパシーが芽生えたのかもしれない。
こうして、アスタルテと別れたレイ達は薄明が空から夜を追い出す頃には出発した。
向かうのはアルビノ砂漠の入り口にある街、カストロだ。
どこにプラティス家の目があるか分からないデゼルト国での移動という事もあり、レイ達はアルビノ砂漠に点在するオアシスで商いをする商会の若旦那を護衛する冒険者という体裁を取る事にした。
ラシードが手配した幌馬車二台の後ろをキュイが引く馬車が続く。前二両の内、一つには売り物としての塩やカストロまでの水や食料が積まれ、もう一つはダリーシャスやラシードなど重要人物を乗せている。その両脇と先頭にはオードヴァーン家に仕える屈強な戦士が武器を構えて、油断なく警護していた。
元冒険者や、ナリンザ同様に迷宮で経験を積んだという経歴の彼らは眼光鋭く、猛々しさを併せ持つ。はっきり言って、見てくれだけなら古強者という出で立ち。並みの盗賊なら遠目で見た瞬間に引き返すのは間違いなかった。
そんな中、年若いレイ達が任された役目は後方の警戒という名目の、いわゆる下仕事であった。三台が縦に並んで走る中で最後尾に追いやられ、前二台と少しだけ距離を離して付いてこいとラシードの部下に出発前に言われた。
「これって、どう考えても信用されてないわよね」
馬車の中から身を乗り出したシアラが流れゆく雲を視線で追いかけつつ呟いた。リザが咎めるような視線を送るも、どこ吹く風。彼女は尚も危ない発言を続ける。幸い、そんな発言を聞いて咎める者も、眉をつり上げる者もいないので好き放題に言える。
「よくわかんない危険分子を遠ざけ、さらに言えば何かあった時の囮として使えるように後方に配置して、王子を守りの固い中央の馬車に乗せているんですもの。あからさますぎて、逆に笑っちゃうわよ」
彼女の言葉通り、ダリーシャスは《ミクリヤ》の馬車にはいない。いつもの癖で此方に来ようとしたのだが、ラシードが頑として認めず自分の乗る馬車に引きずられるように連れ込まれたのだ。
「まあ、仕方ないよ。僕らは流れの冒険者。あっちはオードヴァーン家に仕える家臣。これまでダリーシャスを守ってきた事を認めても、ここから先は、自分たちで守るんだっていう縄張り意識だろ。まだ、あからさまな態度で来てくれる分、楽といえば楽だよ」
「理解力のある主様。アスタルテを取り上げられたのに、それも笑って見過ごすつもり?」
「あ! やっぱりあれってそういう事なんだ」
御者台に居るレティが口を挟む。隣で暇を持て余していたエトネが振り返り、眉を立てた。
「アスタルテ、いじわるされたの?」
「違います。いじわるされたのは、どちらかといえば、レイ様の方になりますね」
リザの言葉にレイは乾いた笑みを浮かべるしかなかった。しかし、いまいち理解が及ばないのか、エトネはしきりに首を傾げるので、仕方なくシアラが説明を始めた。
「だからね。この先が砂だらけの砂漠だとしても、次の街に行くまでは大丈夫なのよ。その証拠に、先を行く馬車は馬が引いているでしょ。それなのに、あんな場所でアスタルテを別の仲間に託したのは、主様の傍に置いておきたくなかったていう意思表示なのよ」
「……さば……く?」
「ああ、まずそこから説明しなくちゃいけないのね」
右に傾けた首が左に倒れるのを見てシアラは肩を落とすも、すぐに気を取り直した。
「いい? 南方大陸は雨季が短く、量も少ない。そうなるとね、地面が乾くのよ。これが飛んでもなく酷くなると、地面が全部、砂に覆われちゃうの。ワタシらがこれから行くアルビノ砂漠は別名、砂の海と呼ばれる場所よ」
「すな……おすな?」
「海岸とかにある砂の事?」
「そうよ。あの砂が海のように地面を覆っているそうなの。昔からアルビノ砂漠を横断するにはニチョウやラクダといった水を体内に多くため込める動物が重宝されて、馬のように水をこまめに摂る動物は不向きなのよ」
シアラの説明にエトネとレティは子供心に目を輝かせていた。彼女らの中で砂漠に対する妄想があっという間に膨れ上がったのだろう。和気藹々と、思った事を口にしあい、まだ見ぬ砂漠に思いを馳せた。
しかし、それとは裏腹にレイは静かだった。魔法で拡張された馬車内の一点を見つめたまま押し黙ってしまう。リザとシアラが視線を交わし、主へと話しかける事を決めた。
「レイ様。体調がすぐれないのですか?」
「……いや、そうじゃないんだ」
「だったら、どうしたって言うのよ。出発してからずっと黙りこくって」
三色四個の瞳に見つめられたレイは観念したかのように息を吐く。
「いや。……旅の終わりが少し見えて来たなぁ、って思ってさ」
馬車の中が水を打ったように静まり返る。きょとんとした顔を向ける二人に、レイは慌てて言葉を付け足した。
「いや、あの。僕の旅がって話じゃないよ。ダリーシャスを首都に送り届けるっていう意味での旅がって意味だよ」
「それは……そうかもしれませんが。ですが、終わりが見えたと思うにはまだ、時期尚早なのでは?」
「そうよ。首都の王宮どころか、城壁すら拝んでいないのに、もう旅の終わりを意識しているなんて。急にどうしちゃったのよ」
二人が困惑まじりにレイに問いかけると、少年は乾いた笑みを浮かべつつ、心中を吐露した。
「あははは。……いや、まあ。……ここから先はさ、ラシード君を始めとした、ちゃんとダリーシャスの力になれる人が居るから、もう、僕の出番は要らないのかなって思ってさ」
元々、レイにダリーシャスを守りたいという気持ちはサラサラ無かった。慇懃な態度を繰り返す、厄介な王子。特にダリーシャスと出会う直前、シュウ王国の王子と図らずも剣を交わしてしまった背景があっただけに、王族を無碍に扱えなかった。
そんな持て余し気味な男をここまで連れて来たのは、ひとえにナリンザの死に責任を感じていたからだ。助けられた命を、彼女が助けるべきだった命を助ける事で返す。
本当にそれだけだった。
極論を言ってしまえば、ダリーシャスが神前投票で負けても、それでも良かったのだ。首都まで連れていくという目的さえ達成できれば、それでナリンザの死が、自分なんかを助けるために死んだ彼女の死を無駄にせずに済む。
そう思っていた。
ところがだ。
旅を続けて行くうちに、レイの心境にも変化が起きて来た。
それがダリーシャスの持つ特殊技能《ユマン・ゲンニュ》の効果なのかは不明だが、レイはダリーシャスの事を死なせたくないと思うようになった。出来る事なら、王になって欲しいとさえ思うようになっていた。
―――「……レイ。俺は……王になる」
アクアウルプスで打ち明けられた本心を聞いた瞬間、レイは正直な所、嬉しかったのだ。自分の命の恩人が守ろうとした男が覚悟を決めたのだ、と。だからレイは出来る限りの協力をしたいと思っていた。
ところが、デゼルト国に来て早々思い知らされた。ここがレイ達にとって他国で、ラシードたちからすれば外野に過ぎないのだ。
「僕に出来る事は剣を振るって、敵を倒す事。でも、それはラシード君たちにだって出来る事だ。そして、今のダリーシャスが必要としているのは、多分、そういう事じゃないんだと思うんだ。……なんてことを考えてたら、ちょっとここに居る意味が分かんなくなってきてね。もしかしたら、僕はここに居ない方がいいんじゃないか、ってぇ?」
最後の言葉が崩れたのは馬車が急停車したからではない。不調な主を心配して距離を詰めていた二人の少女が顔を見合わせ、示し合わせた様に繰り出されたチョップによるものだ。ご丁寧に、戦奴隷の契約に抵触しないように威力はほとんど無かった。
目を白黒させるレイ。そんな、人の良い主にリザとシアラは呆れつつも、説教する。
「確かに、レイ様の持つ技術で、ダリーシャス様の助けになりそうなのは戦闘です。そして、ラシード様の部下たちもそれなりに鍛えているご様子。ですが、この世界では何が起きてもおかしくありません」
「思い出してごらんなさいよ。これまでの旅の中で、事前に予想のついた出来事が一つでもあった? どれだけ準備しても、それを上回る酷い目に遭って来たじゃない」
「いや……まあ……確かにそうだけど」
レイの脳裏を駆け巡るのは、エルドラドに来てからの戦いの連続である。ダリーシャスと遭遇してからだけに絞っても、とんでもない目に遭って来た。
「そりゃ、主様の《トライ&エラー》による因果の蓄積があって引き起こした事もあったけど、少なくとも港で襲おうとしていた暗殺者。あれを潜り抜けたのは主様の手柄でしょ。多分……ううん、絶対、ラシード様たちじゃ、どうしようもなかったわよ」
シアラが言うのはトトスの港町で起きた一件だ。レイを狙うガシャクラと、ダリーシャスを狙うヌギド族。そしてレイとダリーシャス一行の三つの陣営が入り乱れるややこしい状況。数度の死を乗り越え、レイ達はほぼ無傷で、港を離れる事が出来た。
仮定の話ではあるが、仮にナリンザが生きて、そして他の護衛が無事だったとしても。彼らだけでこの港を生きて脱出するのは難しい。それだけ、ヌギド族が仕掛けた罠は辛辣だった。
そういう意味では、この港を脱出できたのは紛れもなくレイの功績だ。
だけど、納得しないのかレイはでもと言いかける。ところが、その言葉が紡がれるのをリザは指で押しとどめた。白い、柔らかな指が触れるだけで、レイの口は石化したように固まった。
「そもそもレイ様。思い出してください。……一度でも、たった一度でも、ダリーシャス様はレイ様を要らない、と。そう、仰いましたか? ここから先は不要だ、と。そう、申されましたか?」
―――そんな事、一度も言われなかった。
シアトラ村の迷宮でも、ナリンザが死んだ夜も、アクアウルプスのホテルでも、桟橋での別れでも、船上でも。一度だってダリーシャスはレイの事を必要ないなんて言わなかった。
それが答えだ。
レイの顔に生気が宿り、差していた影が消えて行く。それを見届けると、リザは指を離しにっこりと笑った。
「……少なくとも、私はダリーシャス様がレイ様を必要としていると思います。だから、ちょっと周りにできる人が出て来たぐらいで、くよくよしないでください」
「そうだよ! それに、この先、ご主人さまやあたしたちが頑張らないといけない場面は絶対来るよ。……なんて、言うのは罰当たりかな?」
「良いんじゃない。どうせ、きな臭い情勢。ラシード様の部下にもプラティス家が送り込んだ刺客が居ないとも限らないわ。どいつが敵で、誰が味方なんて分かんない。ダリーシャス様にしてみたら、一番信頼できるのはきっとワタシらぐらいじゃないの」
「……ダリーシャスさま。王子なのにともだちすくないの?」
エトネの容赦ない表現に馬車の中は笑いに包まれた。レイもつられて笑う中、自分の中にあったかつて抱いた思いを再認識する。
ダリーシャスを首都まで連れていく。本当なら、ダリーシャスを王にしたい。だけど、レイにはその方法が全く分からない。だから、せめてダリーシャスの道に立ちふさがる敵を倒し続けよう。
きっと、彼女が生きていたら、そうしたはずだから。
読んでくださって、ありがとうございます。
更新再開です。




