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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第7章 熱砂の国
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7-5 眠れない夜 『後編』

 ラシードにとってナリンザは母親のような存在だった。


 いや、正確に言えばようなではなく、母親その者と言っても差し支えなかった。ラシードの母は彼を産んですぐに亡くなってしまった。そのため、彼は幼少期を―――いまも幼少ではあるが―――乳母の手によって育てられていた。しかし、乳母に懐かなかった彼は、ほんの一時期。時間にして半年に満たない年月しか共に暮らしていなかったナリンザに大変懐いていた。それは自分と同じ髪の色や、瞳の色を通して母親を感じていたのかもしれない。


 ともかく、ラシードにとってはナリンザは母親同然の存在だった。遠く離れていても、家族だと思っていた。


 そんな存在の死は、少年の心に大きな傷を生んだ。時を悪くして、つい二週間以上前に父を亡くし、将来使えるべき主を失った少年には耐え難い苦痛であった。どれだけ大人びても、所詮は十にならない子供。その傷を一時は抑え込めたとしても、すぐに血が噴き出て、痛みが全身を襲う。いまはその時ではないと、理性が叫ぶが本能は割り切る事は出来ないでいた。


 だから、せめて知りたかった。


 塞がらない傷を覆い隠すのでも、蓋をするのでも、無視するのでもなく。真っ正面から向き合う事で乗り越えようとする。例えそれが、傷口を広げる事になるとしても、そうするしかなかった。






「……姉上。ナリンザ・ナキはどんな風に死んだのか。教えてください」


 ラシードの乾いた声にレイは心臓に直接刃を突き立てられたような衝撃を味わう。


 比喩でもなく、呼吸が一度止まり、味わった衝撃を緩和するかのように静かに息を吐き出した。動揺を誤魔化そうとして、茶を一口啜る。舌先を独特の風味が刺すが、いまはその刺激すら乱れた精神を落ち着かせる効果がありそうだった。


 来るべき時が来たと、レイは思う。


 たき火に照らされた少年の横顔はどこか、自分を守って死んだ女性を思い出させる。


 ラシードとナリンザは大分年の離れた姉弟のはずだが、随分と顔立ちが似ていた。


 ボロ小屋で初めて見た瞬間から、敗走の報告を悔しさを滲ませて話す時も、こうして横に座っている時でさえも。一つ一つの仕草からナリンザを思い出して、はっと息を呑む。レイがナリンザと行動を共にした時間は短い。だけど、短くとも濃い時間を過ごしていた。そのためか、彼女の仕草や喋り方、人との距離の取り方など細かい所をよく覚えていた。


 ナリンザとラシードが姉弟なのだと強く実感していた。


 そんな少年が意を決したように姉の死の真相を問うてきた。唇は真一文字に結ばれ、頬を青ざめている。肉親の死という重い現実と向き合う苦痛は相当なはずだ。アクアウルプスでレティが死んだ時。レイの心は幾つもの刃に貫かれたようにボロボロになった。この少年はいま、その時自分が味わった以上の苦痛を感じているのかもしれない。


 だとしたら、そんな真剣な問いを、レイが断わる道理はない。


 洞窟内はいつの間にかぴんと張りつめた糸のような緊張感に包まれていた。自分たちに向けて幾つもの視線が伸びているのにレイは気が付いた。リザやシアラが心配そうに見つめる中、その視線の中にダリーシャスの視線が加わっていた。高らかにかいていたいびきは止まり、上体を僅かに起こしてこちらを向いている。


 レイは大丈夫だと目配せしてから、ラシードの方へと向き直った。


「申し訳ありません。こんな、変な事を聞いてしまって。皆が力を合わせ、一丸となって難局を乗り越えるべき時に波を立たせるようなことを。ナキ家の人間として恥ずかしい事です。どうか忘れて―――」


「―――そんな事ないよ」


 捲し立てて、この場を立ち去ろうとするラシードをレイは引き留めた。少年の細い手が冷え切っているのは、洞窟の寒さだけではないはずだ。


「家族の死がどんな風だったのか知りたいって感情は恥ずかしくもないし、変な事じゃない。人間として真っ当な感情だと僕は思う。……きっと、ナリンザさんも同じことを言うよ」


「……貴方は姉上と会ったんですね」


「うん。会ったよ。……そして……ナリンザさんは僕を庇って死んだんだ」


 えっ、と。


 消え入りそうなほどか細い声が少年の唇から零れ落ちた。琥珀色の瞳がこれでもかとばかりに開かれ、困惑と混乱が入り混じった視線が突き刺さる。


 レイはその視線を甘んじて受け止める。


 逸らす事も、誤魔化す事も許されない。


 なぜならこれは、


『お前の罪ってやつさ』


 たき火に当てられて出来た影が喋りかけた。いや、正確には自分の内側に居る存在の声を聞き取ったにすぎないのだ。


 影法師。


 レイの心象世界に巣食う、罪悪感の具現化した存在。


 まるで錆びついた歯車を無理やり動かしたかのようなひび割れた声で、影法師は囁いた。


『ぎゃは。ぎゃはははは! どんな気分だい? お前が死なせた女の身内を前にした気分は? 早くこの場から居なくなりたい? それとも、洗いざらいぶちまけて楽になりたいってか?』


(騒がしいのが出やがったか)


 レイは自分の背後から耳元で囁く存在を無視しようとする。だけど、そんなのはお構いなしに影法師は続けた。


『どっちにしろ、お前にできるのはあの女がどんな風に惨めに死んだのか。それを伝えるメッセンジャーの役割だけさ』


 ―――その一言は無視できなかった。


 レイの中で怒りがマグマのように沸き起こり、それが血管に乗って全身を駆け巡った。素早く自らの荒廃した心象世界に潜りこむと、仁王立ちする影法師に掴みかかる。対した抵抗もなく地面に倒れ伏す影法師に馬乗りになって叫んだ。


「ナリンザさんは惨めになんか死んでいない! あの人は体中、どこもかしこも傷だらけになっても、フィーニスを相手にして逃げなかった。僕を見捨てなかった!」


 シアトラ村の戦いの後。村人と協力してリザ達はナリンザの遺体を綺麗に整えた。傷口を塞ぎ、汚れた体を拭き、死化粧を施した。その際に彼女たちは見たのだ。ナリンザの体の傷は全て正面からの傷だけで、背後からの傷は無かった。それは敵に背中を見せなかった証だ、と。


「そんな人の死を、お前なんかが侮辱するな!」


 慟哭と共に、レイの意識は元に戻った。すでに背後に影法師の存在は感じられない。どうやら、自分の心の奥底へと逃げ去ったようだ。心象世界でどれだけ時間を過ごしても、それは現実では数秒にも満たない。ラシードの視線は先程変わらないままだった。


 その視線を前にして、レイは語るべき内容を決めた。


「僕とダリーシャス、そしてナリンザさんが出会ったのはシュウ王国首都アマツマラから南に進んだ場所だ。その時にはもう、ダリーシャスは護衛をほとんど失ってしまって、従者のナリンザさんと二人きりだった」


 目も覚めるような白馬を操る美女と、胡散臭さと剽軽さを兼ね備えた王子という怪しげな風体の二人組と共にモンスターに襲われている村人を助ける事になった。


 その村人たちは、村に出来てしまった迷宮を如何にかするべく首都へと向かう最中だったが、馬車を破壊されたうえに、同行していた村人の一人が意識を失ってしまい途方に暮れていた。そんな村人たちを助けるために、ダリーシャスは馬を貸し与え、どういう訳かレイ達の馬車に乗り込んで居座った。


「……なんというか。王子らしい行動ですね。相手の迷惑とか考えずに、自分のしたいことを優先してしまう。そのくせ、するりと懐に滑り込んで信頼を得るのなんか特にそうです」


 ラシードがぼそりといった内容は少し離れた場所で寝転ぶダリーシャスの耳に届いたらしく、わざとらしい咳払いが返ってきた。


 経緯はどうあれ、意識を失った村人と、旅の足を無くしたダリーシャスたちを乗せてレイ達はシアトラ村に辿り着いた。


 そこは迷宮が誕生したばかりの村。先の精霊祭でのスタンピードを受けて、村人たちは迷宮からモンスターが這い出てくるのではないかと怯えていた。


 レイ達が冒険者だと知るなり、彼らは村に滞在してほしいと懇願。結局、なし崩し的に村の護衛としてダリーシャスたちと共に滞在することになった。


 そんな時に事件は起きた。


 村の子供たちが迷宮へと降りてしまったのだ。


 自分たちが見張っている中をすり抜けた子供たちを助けに降りようとした時、ダリーシャスは手伝いを申し出た。


「本当に王子らしいですね。他国民であっても、見捨てる事の出来ない、お優しい性格です」


 敬う者の器の広さに顔を崩すラシードだが、レイにしてみれば違う。あれはダリーシャスの業に近い。人から好かれてしまう特殊技能を持ってしまったがゆえに、自分に罰を与えるように危険な場所へと突き進んでしまう。


 ―――それが裏目に出た。


 子供たちを助けるために地下へ地下へと向かって行く最中、レイはダンジョントラップに引っ掛かり、ナリンザと共に迷宮の最下層。深層にまで落とされてしまった。


 今思い返しても、深層での出来事は神経を蝕む毒のような出来事だった。思い出すという行為自体が、かつて味わった死の記憶を甦らせ、幻痛がレイを苛む。


「大丈夫ですか? 顔色が青くなっているようですが」


「……大丈夫だ。話を……続けよう」


 記憶を振り返るだけで、心身が傷ついていく。だけど、その痛みの向こうにこそ、この少年に語るべき、伝えるべき事があるのだ。ここで終わる訳にはいかない。


「僕とナリンザさんは深層から脱出するために歩き出した。それは凄く、凄く、過酷な探検だった。複雑に続く迷路。ボスの間に出てきそうな凶悪なモンスターが曲がり角の先に存在し、冒険者を殺すための罠が所狭しと並んでいる、まさに悪夢のような光景だった」


 ラシードはレイの話に真剣に耳を傾ける。そこには姉の死を知りたいという切実な欲求と共に、冒険譚に胸躍るという年相応の好奇心があった。


 だからこそ、レイは申し訳なく思う。


 この物語は自分の力不足から悲劇に終わるのだから。


「どこを歩いたのか、どこに終わりがあるのか分からないまま、ずっと歩いていた僕らは身を休めるのに使えそうな広間に辿り着いた。そこでしばらく体を休めていたんだ。そんな時だった。巨大なスライムが広間を横断しようとしたのは」


 グラントスライム。スライム系のモンスターの中では最大級にでかいそれの腹部から、人の足が突き出ているのをレイ達は目撃した。


「人の足ですか。不思議ですね。出来たばかりの迷宮。それも深層なんて場所に人が居るなんて、奇妙な話です」


「ああ、その通りだ。僕は判断を間違えた。人の足を見て助けようなんて思ってしまったんだ。……グラントスライムに捕食されていたのはただの人なんかじゃなかった。かつての戦争で人を苦しめた『魔王』フィーニスだったんだ」


 ラシードの体が凍り付いたかのように動かなくなる。この年齢の少年でも、フィーニスの事は知っているのかと、レイは見当違いの感想を抱いた。


 髪も、肌も、悪意すらも純白の少年、フィーニス。自分と同じ『招かれた者』でありながら『七帝』となった存在はどこまでも残忍で、凶悪で、何より強かった。


「救出作戦の時に気絶してしまった僕を庇って、ナリンザさんは『魔王』と戦った。どれだけ傷つき、血を流し、槍が折れても。彼女は一歩も引かなかったんだ」


 深層での戦いからまだ二ヶ月しか経っていないが、レイには遠い過去のようにも思えた。それは《トライ&エラー》で何度も時を巻き戻した弊害かもしれない。だけど、それでも、意識を取り戻したあとに見たナリンザの姿が色あせることは無い。


 右腕を無くし、わき腹から血が滝のように流れ、左足から折れた骨が皮膚を突き破り、何より美麗な顔に走る大きな傷跡。


 その記憶の像がぼやける事は永遠にないはずだ。


「気絶した僕という荷物を抱え、フィーニスという怪物を相手に彼女は膝を屈することは無かった。……だからこそ、彼女は死んでしまったのかもしれない。……僕を守ろうとしなければ―――」


「―――生き残れたかもしれない、という事ですか」


 言うべき言葉を先んじられてしまい、レイは頷くしかできなかった。


 何より、これ以上言うべき言葉は無い。何を、どれだけ言葉を弄したとしても、この事実だけは変わらないのだ。


「つまり、姉上は貴方を守って死んだんですね」


「……ああ、そういう事になるね」


 ダリーシャス・オードヴァーンの従者、ナリンザ・ナキは冒険者レイを守って死んだ。


 これが全てだ。


 嘘偽りのない真実。それだけに無慈悲である。


 一見すると、確かに美談なのかもしれない。誰かを守る為に戦い死ぬ。それは戦士としての死に方では上等な部類に入るかもしれない。


 だけど、彼女の在り方からすれば逸脱していた。彼女はダリーシャス・オードヴァーンを守る為に生きていて、そして死ぬべき存在だった。


 全く関係ない戦場で、全く関係ない者の為に戦い、全く関係ない敵に殺される。


 いうなれば、それは、


「……無駄死に……したんですね。姉上は」


 沈黙を破ったのは引きつった声だ。それがラシードの出した声だと気が付くのに時間が必要だった。


 違うとレイは否定したかった。だけど、琥珀色の瞳の中にある、伽藍洞の穴を見て言葉に詰まった。それは闇に繋がっていそうなほど、暗く、歪な穴だ。


「オードヴァーン家の人を、主と仰いだ人間を守ることなく、赤の他人を守って死んだ。それが姉上の死ですか。……そんなの……無駄死にじゃないですか」


「……それは……それは違う」


「違いません。……ナキ家の人間として、間違っています。……それは、僕も同じですけどね」


 何処か捨て鉢の口調にレイは困惑した。ラシードは唇を無理やり動かすと自嘲めいた笑みを作る。


「主以外を守って死んだ姉。主を死なせてのうのうと生きている僕。ほら、やっぱり。姉弟揃って間違っているじゃないですか」


「そんな事ない。君だって―――」


「―――他人のあなたに、何が分かるって言うんですか!!」


 レイの言葉を掻き消すのはラシードの悲鳴じみた大声だった。それは洞窟内を幾度も駆け巡り、眠っていた物すら叩き起こした。肩で息を吐く少年は思わず口元を押さえた。


「……失礼しました。少し、外で頭を冷やしてきます」


「あ、待って! ラシード君!」


 レイが伸ばした手をするりと抜けて、少年は海岸とは反対の出入り口へと駆けだした。その後を、目を覚ましたばかりの白馬が静かに追いかけて行った。レイも追いかけようとしたが、その行く手をダリーシャスの言葉が押しとどめた。


「止せ。……其方が行った所で、慰めの役には立つまい」


「……でも、一人じゃ」


「激情に駆られているとはいえ、あれも一通りの戦闘訓練を習っている。それにアスタルテも向かったのだ。そう、危険はあるまい」


 言いながら、ダリーシャスは再び体を横たわらせた。そして、誰ともなしに呟いた。


「誰かの死を癒すのは、言葉でも行動でも無い。時間だ。あの者に必要なのは、一人になる時間だ。そうは思わんか」


 結局、レイは追いかける事はしなかった。そして、ラシードは日が昇るまでの間、洞窟に戻ってくることは無かった。


読んでくださって、ありがとうございます。


7章開幕して早々ですが、来週は投稿を見合わせます。

インフルエンザに掛かってしまいました。

次回投稿は23日月曜日頃を予定しております。

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