7-2 首都に血が流れる
そもそも、どうしてレイ達が闇夜に紛れて上陸する羽目になったのか。全ては二週間前にもたらされた一つの報せから始まった。
デゼルト国首都オーマットにてダリーシャス・オードヴァーンの父、ファラハ・オードヴァーンが兄弟であり、政敵であったワシャフ・プラティスに殺され、首都を武力で制圧された。
いわゆるクーデターだ。
その報せをオードヴァーンと懇意にしているフェスティオに伝えたのは、オードヴァーン家に仕える家臣たちだ。その後、数度のやり取りを経て、ワシャフの目が港に及んでいる事を知り、レイ達は上陸の日を新月の夜に選んだ。幸運にも恵まれ、誰にも見つからずに上陸を果たした。
しかし、数度のやり取りはどれも短く、首都で何が起きたのかは不明だった。
それが遂に明らかになる。ダリーシャスが食い入るようにラシードを見つめた。
「あの日。首都にて王族と十四氏族の族長を集めた会議が開かれることになり、王族とその護衛、従者たちが議事堂に集まる事になりました。僕も、父の手伝いという名目の、実際は見学として議事堂の一室まで随行しました」
「話を遮ってスマンが、お前以外に当日の議事堂内の様子を知る者は? 特に、議事堂で開かれた会議に参加した者は居ないのか?」
ダリーシャスの質問にラシードは首を横に振った。
「議事堂内、それも会議の間に居た僕の父を含めたオードヴァーン家に連なる者、その全員が殺されてしまいました。ですから、会議の間で何が起きたのかまでは。ただし、会議が誰の提案で、何の名目で開かれたのかは存じています」
「話の流れからすれば叔父上が開いたのだろう。問題はどんな名目で父上たちを呼び寄せたのかだが……一体どんな名目なのだ」
「それが……ダリーシャス王子並びに王子の兄、アフサル王子。両名の王族としての称号を剥奪するという内容でございます」
予想していなかった内容にダリーシャスが戸惑いを見せた。
「はくだつ? ……つまり、俺と兄上を追放するという会議なのか」
「はい。ワシャフの言い分では、ダリーシャス王子が不在の期間が長くなったこと、そしてアフサル王子が帝国に向かわれたことによって、神前投票がいつまでも始まらないという現状は政治における空白地帯を作る事に等しい。よって両名の王族としての称号と地位を剥奪し、一刻も早く神前投票をするべきではないかという、言いがかりに近い内容でした。これにファラハ様は激怒。会議で一歩も引くまいという意気込みで乗り込まれました」
「豪胆な父上らしい。……それで、其方は会議の最中は控えの間に居て」
「……その時を迎えました」
控えの間と言っても、議事堂にはその類の部屋が幾つもあった。それぞれの氏族が自分たち専用に使えるようにと調度品を持ち込んだり、模様替えをしたりとしており、ラシードがその日いた部屋もオードヴァーン家専用の控えの間だった。
控えの間に居たのはラシード一人だけだった。ファラハや少年の父親、そして護衛や使用人たちは皆、彼をおいて会議の間に向かった。いずれ、ダリーシャスの弟の側仕えをする事になるとはいえ、まだ若輩である彼は会議の間までの同行を許されなかった。大人しく待つというのが、今日の彼の役目だった。
根が真面目な性分の彼は広い控えの間に一人でいるというのに、ソファに座るという事をせず、背筋を伸ばして壁の隅に張り付くように立っていた。
これも鍛錬の一つだと言い聞かせ、日が傾き始め、足が震えてきても姿勢を崩そうとはしない。
机の上に置かれた甘い菓子を食べても良いとファラハから言われていたがラシードは父親の視線を思い出して自分を律した。
そんな時だった。控えの間に繋がる廊下から、悲鳴がかすかに聞こえてきたのは。
控えの間までは武器の持ち込みを許されているため、自分の槍を掴んだラシードは即座に身構えた。そして、扉の方へとゆっくりと近づいていく。心臓が不吉な予感に強く鼓動を打つ。
いつもなら数歩で辿り着く距離なのに時間をかけて辿り着くと、扉を薄く開けた。そうすると、微かにしか聞こえなかった悲鳴がハッキリとした形になって飛び込んできた。議事堂勤めの女中たちが野良犬なんかが紛れ込んだことで騒いだことも、前にはあった。だけど、ラシードの耳には悲鳴以外の、剣戟の音や、男の怒鳴り合う声が聞こえていた。
何より、扉を開けた事で、ここがいつもの空間とは違う場所に塗りつぶされたのだとひしひしと感じていた。
年の割によくできた少年だと褒められていても、結局のところは子供だ。まだ、戦場の空気に慣れてなんかいない。
それでも、部屋の隅に逃げ込まず、逆に廊下へとするりと体を滑らしたのは勇気ある決断だった。
後から振り返っても、どうしてこのタイミングで外に出ようとしたのか、ラシードには説明がつかなかった。ただ、虫の報せとでもいうべきか、カンのようなものが働いた。
廊下の向かい側にある部屋へと飛び込み、そこで様子を伺っていると、廊下の先から複数の兵士が走って来るのが見えた。数は少ないが、全員が武器を血に染め、怪我をしている者も居た。
彼らは鬼気迫る表情で廊下をかけぬようとして、ラシードが居た部屋の扉の前で止まる。部屋のプレートを確認して、扉を蹴破って中に這入っていた。
向かいの部屋に逃げ込んだラシードの耳にまで、先程まで居た部屋が荒らされていく音が聞こえて来た。あの兵士たちはあの部屋がオードヴァーン家の人間が使う部屋だと知りながら、荒らしているのだ。
ここに来て、ラシードはこの騒動の原因が、自分たちと敵対している勢力が行っているのだと理解した。同時に、会議の間へと向かった父親たちの事が心配になる。
ラシードは再び勇気を振り絞って廊下へと滑るように出て来た。足音を極力抑え、向かいの部屋で行われている探索か略奪が終わらないようにと祈りながら廊下を進んだ。向かうのはもちろん、会議の間だ。
会議の間までの道をラシードは頭に入れていた。しかし、その足は何度も止まる事になる。なぜなら、血に飢えた野獣のような兵士たちが会議の間の方から進んでくるのだ。
疑う余地もなく、向かう先で何か事は起きた。そこに雪崩れ込んでいた兵士たちが、何かを探しに巣穴から飛び出しているのだ。
兵士の足音や姿を見かける度に廊下を戻ったり、柱の影に隠れたり、知らない部屋に飛び込んだりしたせいで、三十分かけても会議の間のかの字も見えてこない。
それどころか、目的地から走ってくる兵士の数は増えて行く一方だ。
かといって、父親たちの、更にはオードヴァーン家当主のファラハの無事を確認するまでは議事堂を離れる訳もいかない。
そんな中、ラシードは最大の危機を迎えた。
逃げ場も、隠れる場所もない見晴らしの良い廊下の中央を進んでいた時、廊下の前後から兵士たちが走り寄ってくる足音が聞こえてきたのだ。咄嗟に辺りを見回すが、何処にも身を隠せる場所は無い。扉に飛びつくも、鍵が掛かっているのかビクともしなかった。
足音は更に近づいてくる。
扉はがたがたと揺れるだけで開く気配はない。
万事休す。
せめてナキ家の男として戦って散ろうと考えた少年が槍を構えた瞬間、何の変哲もない扉がくるりと回り、そこから伸びた腕がラシードを捕まえて壁の中へと引きずり込んだのだ。
「―――っ!? な、何や、もがぁ!」
「静かにせんか、ラシード」
じたばたと暴れる少年を引きずり込んだ男の声に、ラシードは震えた。その声に聞き覚えがあったのだ。回転扉の中は埃臭く、かび臭く、何より真っ暗だが、隙間から漏れる灯りが男の顔を一瞬だが映し出した。
その男こそ、ラシードの父だった。
父上と呼ぼうとした口を塞がれてしまう。ラシードの父は息を止め、回転扉に耳をつけて外の様子を伺っている。ラシードは父親の邪魔をしないようにと息を止めた。
それからしばらくして、兵士の声と足音は遠ざかった。そこでようやくラシードの父はラシードを解放した。
その際、何かぬるりとした液体がラシードの顔を汚したが、父親と再会できた喜びの方が勝った。
「父上、ご無事でしたか! それで、これは一体、いえ、それよりもファラハ様はどちらに、ここはどこで」
「まあ、待て。落ち着け。深呼吸を繰り返せ」
顔も見えない暗闇の中でも、不安を感じさせない声はラシードを落ち着かせた。数回深呼吸を繰り返したラシードは一番にするべき質問をした。
「ファラハ様はいま、どちらに」
刹那の間、息を呑む音が聞こえた。それだけで、全てが察せられた。ダリーシャス・オードヴァーンの父、ファラハ・オードヴァーンが死んだのだ。
「やはり、ワシャフ・プラティスの手勢ですか」
「……ああ。あの砂狐め、議事堂のそこかしこに手勢を忍ばせておったわ。……ファラハ様はワシャフが隠し持った短剣で死去なされた」
分かっていた事実だが、やはり直に聞くとショックは大きかった。
だけど、それ以上に不可思議な点がある。会議の間にワシャフが剣を持ち込んだという事だ。王族といえど、会議の間に入る際には身体検査が行われる。それを掻い潜って武器を持ち込むのは難しい。
つまり、議事堂内にプラティス家に組する者が居たという事になる。
「どうやら、今回の会議そのものが、奴の罠だったという訳だ。……オードヴァーン家に仕える者として、あるまじき失態だ」
「……ですが、まだ王子たちがいらっしゃいます。アフサル王子やダリーシャス王子。それにまだ乳飲み子ですが、ナジム王子も!」
ナジムというのはダリーシャスの年の離れた弟だ。ラシードはいずれこの赤子に仕える事になっていた。しかし、またしても沈黙が伝わってくる。
「まさか……ナジム様も」
「そうだ。ナジム様を連れて脱出した者達が魔法で死ぬ所を見た。おそらく、即死だろう」
苦しまれずに逝けた事だけが救いではあるという言葉はラシードには届かなかった。ナジムが今回の緊急動議に参加させられたのも、プラティス家側からの要望だった。アフサルとダリーシャスらの王族としての資格をはく奪した瞬間に神前投票が開始できるという向こう側の理屈だったが、こうなると分かっていれば領地に置いてくるべきだった。
未来の主の死に、ラシードの思考は空白を生む。それを知ってから知らずか、ラシードの父は少年の手を取り、引っ張った。
「急ぐのだ。包囲が完成される前に此処を抜け出す。そして、ここで起きたことを王子らのどちらかに伝えなければならない」
ラシードの父は迷うことなく迷路のような通路を進む。暗闇だというのに、足取りに乱れは無かった。この通路は議事堂内に作られた秘密の抜け道である。議事堂内にはこのような通路が幾つもあり、ここはファラハが押さえていた通路であると父親は息子に語った。
とはいえ、そんな事はラシードには関係の無い話だ。痛いほど強く握る父に聞きたいことは山ほどあった。だけど、頭は上手く働かず、とにかく足だけを動かしていた。
どれだけの時間が過ぎたのか。ようやく迷路は終わりを迎えた。
行き止まりの壁の窪みに手を入れたラシードの父。すると、扉がふわりと回る。空いた隙間から二人は外に飛び出し―――絶句した。
そこは議事堂から遠く離れた旧市街地のはずれ。貧民窟と呼ばれる場所だ。普段は乞食同然の暮らしをしている者達が屯している場所に、完全武装している兵士たちが待ち構えていた。
「ほう。ここで待っていれば、鼠の一匹ぐらいは捕まえられるかと思ったが。中々の大物が出て来たではないか。なあ、ナキ家の当主」
半円状の囲いの外で偉そうにふんぞり返る隊長は馬上から嘲るように言う。
「しかし、その様子。随分と手負いではないか。それに、子供連れとはな」
手負いという単語にラシードは動揺する。暗闇から日光の下へと連れ出され目が慣れるのに時間が掛かったが、ここに来てようやく自分の体が赤い血で染まっている事に気が付いた。
もちろん、ここに来るまで負傷はしていない。つまり、この血は自分の物ではない。はっとなって顔を上げた先では父親が血を流していた。それも衣服を真っ赤に染めるほど大量の血だ。
「ち、父上! その怪我は!!」
「静かにしろ。こんなのはかすり傷だ」
すぐに、それが虚勢だと分かる。戦場の空気は知らなくても普段の父親を知っているラシードには、これまで見たことがないほど苦しそうだと判断がつく。
「どうして、ここが分かった。この出入り口は誰にも知られていないはずだが」
「密告があったそうだが、何、これから死ぬ貴様には関係あるまい」
馬上の部隊長が右手を上げると、それが合図のように矢が番えられていく。ラシードの父は息子が持つ槍を奪い取って構えた。
息子とは比べられないほど堂に入った構えだが、子供用にと仕立てられた槍。その長さでは中途半端になり、兵士から失笑が漏れた。
「槍の名手と謳われたナキの当主が、最後に構える槍がそんな惨めな物とは。仕える主を間違えると、悲惨な目に遭うというもの」
「ふん。ならば、貴様はこの世で一等、惨めな最期を終えるのだろうな。何しろ、外道畜生も道を開けるプラティス家の靴を舐めているのだからな!」
「戯言を! 放て!!」
部隊長の号令により、次々と矢が放たれた。致命必死の矢嵐を前にラシードは目をつぶった。それで現実が変わる訳もないが、それを理解するにはまだ彼は幼かった。
しかし、数秒経っても矢が自分を貫くような痛みは無かった。恐る恐る目を開けた彼は、間断なく放たれる矢を、全て叩き落す父の背中を見た。動く度に傷口から血が噴き出し、大地を赤く染めて行くというのに、槍は衰える事を知らない。
むしろ兵士たちが恐れおののくように、矢嵐が収まった。部隊長は顔を歪めて、
「やはり、痩せて枯れても、死に瀕しようがナキか。ええい、仕方ない。近づいて槍で殺せ!」
部隊長の言葉に、槍持ちの兵士が弓兵の代わりに前へ出た。今度こそ駄目だと思うラシードとは違い、父は笑った。そして、何故か槍を息子の方に返し、そして息子の手を取ったのだ。
何をと問いかける間もなく、父親は槍兵へと向かって走り出した。当然、背後にはラシードが居る。
まさか打って出るとは思っていなかった槍兵たちは反射的に槍を振るう。息の合わない槍を掻い潜ると、父親はその中でも一人尻ごみをしている兵士の腕を掴んだ。
「新兵か? 槍の扱いがなっておらんなぁ」
あっという間の早業だった。相手の片腕に対して蛇のように絡みつくと、新兵から槍を奪ったのだ。取り上げる際に新兵を蹴り飛ばした父親は右手に槍を、左手に息子を抱えて敵陣へと躍りかかった。
狙うのはただ一人、この場で騎乗している部隊長。
「な、なにをしているのだ。相手は手負い! それも子供が居るのだ。全員、かかれ! かかれ! かかれぇ!!」
号令が何度も飛ぶが、部隊長の意に反して兵士の動きが鈍い。何しろ、相手は手負いの獣。近づく端から仲間が打ち倒されていく。いくら命令とはいえ、割に合わないのだ。
それを見越したかのように一直線に突き進んだ父親は、ここまで接近してから逃げようとした部隊長に向けて槍を投げる。渾身の投擲を浴びた部隊長は、槍を半ばまで受けて、落馬した。
すかさず、馬の手綱を掴んだ父親は左手で抱えていた息子をそこに乗せた。そして、自分も騎乗しようとして―――後ろから剣の一撃を浴びたのだ。
「ち、父上ぇ!!」
ラシードの叫びに答える余裕もない父親は後ろを振り返り、笑った。自分の背中に刃を突き立てていたのは、槍を奪った新兵だったのだ。槍を奪われ、足蹴にされ、恥辱に塗れた己を奮い立たせる気迫が全身から立ち上っていた。
「……なんだ。……やるじゃないか」
口を吐いて出たのは称賛だった。しかし、父親は拳を固め、裏拳を新兵の顔に叩き込んだ。そして自分の背中に突き刺さった刃を抜き、後ろを見ずに叫ぶ。
「ラシード! 屋敷に戻り、家臣たちを纏めて首都を脱出せよ。いずれ戻られるアフサル様かダリーシャス様に、事の次第を伝えるのだ!」
「嫌です! ラシードは父上と共に!」
「我儘をぬかすな。この様子だと、我ら以外に逃げ出した者はおるまい。だから、お前はこの言葉をお二方に伝えるのだ。……ファラハ・オードヴァーン様は国を売ろうとした売国奴ではない、と」
「それは……一体、どういう意味なんですか!?」
問いかけに答えは帰って来なかった。代わりに、父親はラシードが乗る馬の尻に刃を掠らせた。驚く馬が飛び上がらんばかりの勢いで駆けだしたのだ。
あっという間に、馬は戦場を離れようとしていく。
ラシードが手綱を掴み、後ろを振り返ると、剣を振るう男の人影が、幾つもの槍に貫かれて倒れるのが見えたのだった。
「父上、父上、ちちうえぇぇぇ!!」
少年の悲痛な叫びが貧民窟に響き渡る。
読んでくださって、ありがとうございます。




