7-1 夜闇の上陸
分厚い雲が星も月も覆い隠す。無辺に続く雲の下では尽きる事の無い波が海岸に打ち寄せていた。波が白く泡立ち、切り立った岩が顔を覗かせる。そこは地元の者でも危険なために近づかず、夜になれば不気味さが相まって無人となる。
そんな場所に琥珀色の光が灯る。月明かりも無い世界では、その光ははるか遠くの海上まで届く。すると、暗い闇の如き海上に橙色の光が灯ったのだ。
二つの光は交互についたり消えたりを繰り返して、まるで会話するかのように交信する。幾度かのやり取りのあと、海面を切るように幾つもの小舟が動き出した。
小舟は海岸の光に誘導されて、即席で拵えたと思われる小さな桟橋に誘導された。
橙色の光はランタンだった。フードの付いたマントで頭まですっぽりと隠した小柄な人物はランタンを桟橋に置くと、懐から取り出した笛を口に咥えた。そこに向けて息を吹き込むも、音はならない。しかし、音が鳴っていない訳では無かった。訓練された者にしか聞き取れない笛の音に導かれるように岩場に複数の人影が姿を現した。皆、フードで顔を隠し、更には武器を構えていた。にわかに物々しくなった空気に当てられるように小舟の上でも武器を抜く音が響く中、小柄な人物が小舟に向かって尋ねた。
「尽きる事の無い」
「砂の大地」
間髪入れずに返されたのは事前に取り決めていた符丁だ。正しい返答に小柄な人物は安堵のため息を吐いた。同時に、周りを固めていた者達も武器を下ろした。
「いまなら周囲には手の者以外居りません。お早く、お移りを」
フードから発せられたのは子供の声色で、小舟の上からどよめきがさざ波のように起きる。だけど、符丁を返した男だけは、フードの人物が誰なのか知っているようで、驚かなかった。
「分かった。皆、船を降りるぞ」
呼びかけに応じた者達は手に荷物を持って、小舟から桟橋へと飛び移った。足元は不確かで闇のような夜だというのに、まるで階段を駆け上がるかのような身軽さで次々に飛び移ったのだ。
大小合わせると十人近い人数が小舟から桟橋へと移動する。すると、その内の一人が魔法を唱えた。小舟と桟橋の間にある段差を埋めるように《盾》が出現し、そこを二頭の動物が慎重な足取りで進んだ。
片方は目にも鮮やかな白馬だが、もう片方は異様な姿をしていた。人の背丈をはるかに超える、巨大な生物だ。キュイと独特の掛け声で桟橋へと移動すると自分の体に纏わりつく布きれを乱暴に剝がした。
出てきたのは黄色の体毛に紺色が混じるニチョウと呼ばれる動物だった。その巨体故に、小舟一つを独占していたそれは窮屈な檻から出たとばかりに体を震わした。
「アスタルテ! それに……ニチョウ? 一体、これはどういう事なのですか」
フードを被った小柄な人物が尋ねるも、尋ねられた側は答えるのももどかしいとばかりに、
「詳しく説明するにもまず、落ち着いて話が出来る場所が欲しい。何処か用意してあるのだろうな」
と、確認する。
人気のない海岸に不審な人物が集まっているというのを誰かに見られたらと考えると、それは正しい判断である。なにしろ、この一団はお尋ね者なのだから。フードの人物が先頭に立ち、一同を誘導するのに合わせて、小舟が来た道を引き戻していく。別れの挨拶は無い。それは軍船を降りる時に済ませたのだから。
ぞろぞろと岩場から移動する集団から取り残されるように、二つの影が最後尾となった。集団が先に行く中、足を止めた片方にもう片方が声を掛けた。
「どうしたんだよ、ダリーシャス。早く行かないと置いて行かれるよ」
「……いや、何。まさか、このような形で故郷の土を踏むことになるとは思ってもみなかったのでな。世の中、何が起きるのか、まったく分からんもんだ」
そうため息とともに漏らしたダリーシャスをレイは黙って見つめた。
夏の下月、上旬。動乱と混乱に揺れるデゼルト国。レイ達は夜闇に紛れるようにして上陸した。
フードの人物が一行を誘導したのは崖に隠れるように建てられたあばら小屋だった。人の記憶から忘れ去られ放置されていたのか、ろくに手入れもされていなく、今にも崩れそうだ。
「地元の村民が有事の際に使う避難所の一つです。ですが、作ったのはいいが使われる事もなく、放置されているのを勝手に利用しています。ここなら人目につきません」
フードの人物は説明すると、軋む引き戸を開けた。
アスタルテとキュイを外に置いてダリーシャスを先頭にレイ達は中に入った。あばら屋は見た目通り、中も老朽化が進み、家具も机一つという寒々しい物だった。そんな室内には、すでに何人もの人影があった。年齢はバラバラで青年も居れば、年老いた者も居たが全員に共通して、肌は色濃く染まり、顔には草臥れたり、憔悴したりした様子がうかがえる。
そんな男たちは警戒して武器を構え、そして入ってきた者が誰なのかに気が付き武器を取り落とした。
夜の外気を防ぐマントを羽織り、粗末なあばら小屋に居るというのにいささかの気品も衰えず。粗野のようでいて、どことなく高貴な顔立ちをした男の名はダリーシャス・オードヴァーン。デゼルト国王子が一人だ。
「おお、ダリーシャス様」「よくぞ、ご無事で。よくぞ、ご無事で」「御身の帰還、家臣一同心待ちしておりました」
小屋で待っていた男たちと案内をしていたフードの人物は一斉に跪き、頭を垂れた。ダリーシャスはそんな彼らを順に見て、そして言う。
「一同、面を上げよ。帰還の遅参、すまなく思う。俺がもっと早く帰って来れば、このような事態は避けられたやもしれん」
「いえ! すべてはオードヴァーン家に仕える我らの努力不足。此度の変事が終わり次第、如何様にも罰してください」
フードの人物が跪いた状態からダリーシャスの足元へとさらに移動した瞬間、被っていたフードが取れ、その下の素顔が露わになった。
道案内をしていたのはまだほんの十歳になるかならないかくらいの子供だった。
短く刈り揃えられた灰色の髪に、利発そうな顔立ちをした少年はダリーシャスの方を見上げながら更に口を開く。
「家臣筆頭であるナキの一族。その末席でありながら、この為体。未熟者のラシードを、お叱りください」
ナキという苗字にレイ達は動揺する。だがフードの人物ことラシードは彼らの事が視界に入っていないのか、琥珀色の瞳を真っ直ぐにダリーシャスに向けていた。
ダリーシャスはその瞳の色にある女性を思い浮かべ、そして似た様に視線を送る者達へと改めて口を開いた。
「何を言っているのだ。これまで其方らの献身にオードヴァーン家は幾度も助けられてきた。……それでも、其方らが此度の変事を恥じるというのなら、俺は主として、雪辱の機会を、挽回の機会を約束する。だから、決して、死んで詫びようなどと思うなよ。生きてこそ、その機会は訪れるのだから」
「「「……はっ!」」」
跪いて居た者達はダリーシャスの言葉に体を震わせ、再び頭を垂れ、仕えるべき者への敬意を表明した。そして、ようやく男たちが立ち上がると、小屋の中は人で一杯になった。
小屋はさほど広くなく、机の上に置かれたランプが室内を照らしている。先に待っていた者達が持ち込んだと思しき地図や報告書が机を埋めている。その机を囲むように人々は立つ。椅子なんて無い。
ふとラシードがレイを見て、怪訝そうな顔をした。次いで小屋の中に這入って来た金髪の少女や同年代ぐらいの栗色の少女。さらには自分よりも年下のハーフエルフに極めつけは紫がかった黒髪の少女を見て目を剥いた。
「ま、魔人種!? これは、一体……ダリーシャス様!?」
「慌てるな、慌てるな。この者らは道中で俺の護衛をしてくれることになった冒険者たちだ。これが《ミクリヤ》のリーダー、レイだ」
これと呼ばれたレイは訝しげな視線を送る者達に頭を下げた。すると、レイの名前に聞き覚えがあった者が驚きの声を上げた。
「レイ? それって『緋星』のレイなのか。あの『赤龍落し』や『迷宮殺し』。そしてつい昨日に起きた、アクアウルプスの『怪物の行進』で活躍したって言う新進気鋭の冒険者。それが君なのか」
「……ええっと。まあ、そういう事になっています」
「何という事だ。いま勢いのある冒険者が護衛とは」「これも13神のご加護か」「いや、ダリーシャス殿下の御人徳がなせる業だ」
喜ぶ男たちとは裏腹にレイは自分の事が海を挟んだ向こう側でも噂されていることに、何とも言えない複雑な感情を抱いてしまった。
『緋星』とはレイに付けられた二つ名である。アクアウルプスの最終局面で使った、《全力全開》の四重掛けからの魂の交換によって龍刀コウエンを従えた姿が、遠くで見ていた生存者たちには鮮やかな赤い星のように見えたとか。
この短期間で立て続けに幾つもの騒動に巻き込まれ、それなりの戦果とともに生き残ったレイをギルドは称えるのと同時に、重要人物としてマークする意味を込めて二つ名を付けた。つけられた側としては、たまったものでは無い。何が嬉しくて星なんて付いた二つ名を名乗らなくてはならないのだとアクアウルプスのギルドで三時間に渡って抗議したのだが、受け入れてもらう事は出来なかった。
「それでは、こちらの御仁も《ミクリヤ》の方で宜しいのですか? それにしては冒険者らしくはありませんが」
ラシードが最後に小屋に入った男へと視線を向ける。確かに、彼の言う通り、男の姿は冒険者ではない。猛々しさを前面に押し出した三十代くらいの青年は鎧や剣などを帯びておらず、衣服は港の下働きのような姿だ。
それも当たり前だ。彼は冒険者ではないのだから。
「違うぞ。其奴はヌギドの一族が一人。叔父上に雇われ俺の命を狙う暗殺者だ。ちなみに外に居る奴らも暗殺者で、こやつの部下だ」
「なるほど、暗殺者。道理で違う雰囲気という……暗殺者ぁ!?」
事もなげに爆弾発言をしたダリーシャスにレイとクトゥス・ヌギドは同時に頭を抱えた。ラシードたちからすれば敵に他ならないのだ。
小屋の片隅に置かれていた短い槍を掴んだラシードが、鋭い踏み込みと共に穂先をクトゥスへと向けた。しかし、その一撃は割りこんだリザの手甲に弾かれてしまった。
「なっ、退いてください。そいつは敵です!」
「申し訳ありませんが、そうもいきません。この方は……そう、中立なのです」
ですよね、とリザの瞳がレイの方を向く。レイは頷くとダリーシャスの方に顔を向け、
「ダリーシャス。あんたが余計な事を言うから、妙な空気になったじゃないか。責任はあんたが取ってくれよ」
「分かっているとも。ラシード、そしてクトゥスも武器を仕舞え」
いつの間にかクトゥスは懐から取り出していた短刀を構えていた。だけど、ダリーシャスに言われ、先に短刀を仕舞う。こうなると立場が無くなるのはラシードだ。いくばくか逡巡した後、少年も槍を降ろした。
「言葉が足りなかったな。確かに、こやつは叔父上が雇った暗殺者だが、此度の変事を受けてその依頼を保留として、我らの客人となったのだ」
「客人……ですか。その、お味方になったという訳では」
戸惑うラシードに対してクトゥスは扉の外に目配せする。そちらでも一触即発の空気が流れていたが、ヌギド族が武器を収めた事でラシードの仲間も武器を収めた。これで戦意は無いと証明できた。
「簡単に主を変えていては信頼されにくくなるのでな。かといって、沈む泥船にしがみ付く気もない。なので、情勢が見極められるまでは中立の立場を取らせてもらっているのさ」
そう言ってクトゥスはダリーシャスから遠く離れた位置に陣取って壁に背を預けた。外ではラシードの仲間がヌギド族を見張っている。クトゥス一人ならレイ達でもどうにか取り押さえる事は可能だ。つまり、闇に隠れられなければダリーシャスに危険はないという事だ。
当面の危険性が無いと分かると、小屋で待っていた者達は一様に胸をなで下ろす。
ところが、一人だけ首を忙しなく動かした。
ラシードだ。
少年は外と中を何度も視線を往復させている。それはまるで誰かを探すかのようだった。
「……では、あの……ナリンザ姉さんは……ここには。それに……他の護衛たちは」
琥珀色が不安げに揺れる中、レイはやはりと思うのと同時に鈍い痛みが胸の裡を抉る。
少年が言う、ナリンザ・ナキは死んだ。それも自分を庇って死んだのだ。
そのことを伝えようとするも、ダリーシャスが制止し、代わりに口を開いた。
「ナリンザ。それに他の者は……ここに到る旅の間に死んだり、あるいは傷が深く置いてきた。故に、この場にはいない」
ラシードはショックを受けた様に顔を青ざめるも、それは刹那の時間だ。一度顔を俯かせた少年が再び顔を上げた時には、動揺は拭い去っていた。
「……分かりました。その辺りの経緯は後でお話を。いまは、首都で何があったのか、ご説明いたします」
「……うむ。頼むぞ」
ダリーシャスから見えず、しかしレイからはラシードの小さな拳がこれでもかと白く握られているのがはっきりと見えた。姉が生きているのか、それとも死んでいるのか。こんなに幼い子供なら知りたいはずなのに、それを自分で律して、職務を全うしようとする心に一種の強さを感じた。
幼くとも、戦士の顔をしている少年が厳かに口を開いた。
「それではお話しします。首都であの日、何が起きたのかを」
読んでくださって、ありがとうございます。
7章開幕です。引き続き、平日更新を目指して頑張ります。




